たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

タマズー

2010年10月02日 09時22分29秒 | 人間と動物

動物園に行きたいと思った。いま考えてみると、ある授業で、動物霊について、別の授業で、生き物のセックスについて、ちょうど教えている最中だからかもしれない。獣魂碑からアニミズムを、精巣の大きさと性交形態の関係について、昨日話をしたところだった。ヒトと動物の関係について、(もちろんヒトも動物なのだが)とりわけ、現実に直面しながら、いや、少なくとも、現実の一面に触れながら、もっと知らなければならないことがあると、ずっと思っていたが、なかなか実行する機会がながった。問題が山積し忙殺された春学期からに比べて、今学期はほんの少しだけ楽になり(大学院の授業が閉講になったなど・・・)、心的な余裕が少し出てきたのかもしれない。頭で考えているだけでは限界があるということもある。いずれにせよ、昨日、午前中の2コマ連続の授業が終わってから、多摩動物公園に行った。秋晴れ、気温は高め。おそらく5年ぶりだと思う。オランウータンの展示のあたりがずいぶんと変わっていた。5年より前には、多摩動物園にずいぶん通ったものだ、年間パスポート(回数券)も持っていた。O大学からは、車で30分強。けっこう近い。アフリカゾウの前に座って考えあぐねていたときに、突如として、論文の組み立てが、頭のなかで流れ出したことがある(2002年の「邪術師を暴き出すーインドネシア辺境における差異と同一化ー」という論文)。動物の臭いのおかげかもしれないと、その頃は、勝手に思っていた。その後、論文の執筆に行き詰ったとき、平日の午後から、お客が少ないだろうと思われる時間帯を狙って、出かけた。いま、特段、論文に行き詰っているわけではない。今後、二本予定があるが、まだ一行も書き始めてすらいない。でも、すんなりとは書けないだろうなあという、なんとなく感じている。どうしよう。ま、今回は、あまり目的もなく、ふらっと行ってみたのであるが、たまたま、昨日は、都民の日で、入園料が無料だった。園内を歩きながら、狩猟民プナンなら、動物園をどう見るのか、思いをめぐらせてみた。プナンのなかに一人、政府の招待でクアラルンプールの動物園に行った男性がいる。動物園の話を、彼はたまにする。そこには、一角獣やトラなどの動物がいると。プナンには、食の対象としての動物にタブーはない。彼らなら、イノシシを見て、うまそうだと思うだろうか?オランウータンを見て、食べないのはもったいないと考えるだろうか?そう考えるのは、動物園の動物たちにとって、少し不謹慎なことかもしれない。しかし、動物が、そのもともとの生態環境を離れて、都市空間の一角に連れて来られているというのは、まぎれもない事実である。研究者の観察や市民の楽しみのために。見世物として。人間と動物の関係の観点から、動物園を眺めてみなければならないのかもしれない。しかし、この点は、ここでは、とりあえず置いておこう。手元に『動物園というメディア』青弓社という本がある。次回行くまでに目を通したい。上で言ったように、都民の日のため、多摩動物公園は、ベビーカーに子どもを乗せた若いお母さんたち、親子連れ、遠足の園児たちで、動物園は、そこそこ賑わっていた。思った。ヒトも動物だとすれば、動物園には、動物とヒトがいる。いや、ヒトと動物がいて、動物園ははじめて完成するのだと。そう思いながら、わたしは、若いお母さんたちを観察してみた。いきなり、先生、って、女性に声を掛けられた。ベビーカーを押していた。わたしの授業を取ったことがある卒業生だと名乗った(ごめんなさい、覚えてなかったですが)。横に旦那さんらしき方がいて彼女に「だれ?」と尋ねていた。軽い会釈をして離れた。今年に入って、3人目である。卒業生に、学校以外で遭遇するのは、クアラルンプール空港、相模原についで、タマズー。タマズーで、O大学の女子学生にも会った。話を聞いたら、5限(4:10~5:40)に授業があるのにサボろうとしていた。間に合うように送っていった。


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