たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

ヤノマミとヤノマミ

2010年09月12日 00時19分06秒 | エスノグラフィー

国分拓『ヤノマミ』NHK出版を読み、DVD『ヤノマミ~奥アマゾン・原初の森』NHKエンタープライス(写真)を見た。それらは、ブラジルのアマゾニアの辺境に暮らすヤノマミの共同体で、150日間にわたる同居取材に基づいて書かれたルポルタージュと、彼らの暮らしについてのドキュメンタリー映画である。

狩をするヤノマミ。彼らは、共同体で狩猟行に出かける。二週間にわたる狩りで、49匹の猿をしとめたという。彼らは、動物の胎児をけっして食べないという。そのまま森に置かれ、土に還される(92ページ)。なぜなのだろう、気になる。比較人類学者の癖かもしれない。わたしの調査しているプナンは、胎児を好んで食べる。イノシシでも、シカでも。それは絶品だと、プナンはいう。ヤノマミの小さな男の子と女たちは、狩りの期間、森の家で過ごすが、男たちが獲物を持ち帰ると、集まってくる。そして、胎児で遊んだり性器をいじったりする(90ページ)。プナンの子どもたちもそうする場合もあるが、決まって大人たちに猛然と叱られる。天候激変が引き起こされるので、動物との近接は禁止されるのだ。対照的に、ヤノマミの子どもたちは、しとめられ、死んだ動物と戯れる。自由だ。そんなことをふと思ったりした。DVDでも、狩猟や漁撈の場面は、じつに印象的である。

「ヤノマミのしきたりでは、死者に縁のものは死者とともに燃やさねばならない。そして、死者に纏わる全てを燃やしたのち、死者に関する全てを忘れる。名前も、顔も、そんな人間がいたことも忘れる。彼らは死者の名前をけっして口にしない」(106ページ)。他方で、プナンには、死者とともに、死者の名前を葬り去るというしきたり(ngeliwah ngaran:喪名)がある。死者の名を言ってはいけない。死者の近親者の名前も、死者とともに一時持って行かれ、死者の近親者は、喪名で呼ばなければならない。似ているところがある。

「ヤノマミでは、四、五歳になるまで名前がない。男の子は<モシ>、女の子は<ナ・バタ>とだけ呼ばれる。<モシ>とは男性器、<ナ・バタ>とは女性器のことで、<バタ>とは『大きな』とか『偉大な』という意味だ。つまり、<ナ・バタ>とは、『偉大な女性器』という意味だった」(119ページ)。へ~。プナンも、子どもが生まれても、しばらく名前をつけない。「赤子(anak bale)」と呼ばれ、そのうち、祖先の名から取って名づけられる。カツミもいたが、死んでしまった。二回プナンに行ったO大の男子学生名前、セイジってのもいる。こちらは、健康に育っている。プナンでも、でっかい女性器という言い方がある(jaau ukin)。でっかい男性器(jaau nyi)との対語であるが、前者の表現は、わたしには、なんかいまだにピンと来ない。でも、なんとなくヤノマミとプナンは、似ている気もする。

そんなことを気にしながら、本を読んだ。しかし、この本とDVDは、産まれたばかりの子を天に返す儀礼に一番の焦点が置かれている。「ヤノマミの世界では、産まれたばかりの子どもは人間ではない。精霊なのだ」(196ページ)。「遠くを見つめながら、全てを悟っているような、そしてある種の強さを滲ませた表情で、モシーニャはこう言ったのだ。『腹が痛くなって森に行った。生まれた子どもは天に精霊のまま返した。首を絞めて白蟻の巣に入れた』」(196ページ)。「ヤノマミにとって、産まれたばかりの子どもは人間ではなく精霊なのだという。精霊として産まれてきた子どもは、母親に抱き上げられることによって初めて人間となる。だから、母親は決めなければならない。精霊として産まれた子どもを人間として迎え入れるのか、それとも、精霊のまま天に返すのか」(178ページ)。人類学者ジャック・リゾーは、ヤノマミに出産後の性交渉の禁忌がある理由は、「人口調整」と「母体の健康」ではないかと推察したというが、そのことから、産まれたばかりの子を天に返すしきたりの理由を、「人口調整」のための間引きが行われてきたのだと邪推することは可能かもしれない。しかし、そんな「文明」側からの類推は、不毛であるということを、著者でありDVDのディレクターである国分氏は知っているのではないかと思われる。体験的に、ヤノマミにおける生と死の剥き出しの同居をとおして、全体性のなかで、その一見すると暴力的なしきたりは描き出されるのである

DVDでは、現代人からは、「嬰児殺し」とも読み替えできるかもしれない、暴力的な子殺しの場面に先立って、男女の交わりが、死と隣り合わせの行為として、この上もなく妖しく描かれている。こういった仕掛けは、わたしはひじょうに好きである。
ラシャの実が実るのに感謝して催される祭りの夜に、男女は踊る。「月明かりの下、男と女は抱き合うように踊り、歌った。女は男とのパンツを引っ張り、男は女の肩に手を回し胸を揉みしだいた。みんな、汗塗れだった。歌と踊りは闇の中でいつまでも続き、朝日が昇る前に突然終わった・・・男と女は、どこかへ消えていた」(101~102ページ)。「そこは藪蚊が群れる茂みの中で、降り続く雨のために湿原のようになっていた。蛙の産卵場所だという。だが、夜になれば蛙を食べる毒蛇も集まる。毒蛇に噛まれれば二時間で死ぬ。若い男と女は死と隣接する場所で交わっていた」(102ページ)。カタルシスの果ての性交とその後の生の再生産は、死の縁で行われる。

産まれたばかりの子を天に返すというヤノマミの「暴力的な」習慣を、たまたまテレビを付けて目に飛び込んできた現代日本人に不用意に発信してしまうことに対する国分氏の苦悩に対して、映画監督の吉田喜重氏は、「『人間が解決できない問題を提示することこそ、ドキュメンタリーではないか』と言った。そして、そんな場面に立ち会えたのは幸運なことだと静かに付け加えた」(312ページ)という。国分氏とともに、わたしも、吉田氏のことばに共振したい。ドキュメンタリーを「人類学」と置き換えることもできよう。「人間が解決できない問題を提示することこそ、人類学ではないか」と。

こうした心情が語られた
「あとがき」から振り返って、わたしは、全体をつうじて、国分氏の他者への態度に共感する。「一回目の滞在(2007年11月~12月)では、町に戻った時、ショックを受けた。町はあまりに騒がしく、汚れていて、堕落しているように映ったのだ。ワトリキの人々を想うと、なぜか切なくなった」(306ページ)。「ヤノマミの世界には、『生も死』も、『聖も俗』も、『暴も愛』も、何もかもが同居していた。剥き出しのまま、おもに同居していた。だが、僕たちの社会はその姿を巧妙に隠す。虚構がまかり通り、剥き出しのものがない」(310ページ)。

まったく、同感である。わたしも、他者の空間に長くいればいるほど、そこから帰国したときに、ショックが大きい。そうした浮揚した感覚は、他ではまったく感じられない。2年間のカリス社会、1年間のプナン社会の暮らしは、帰国後しばらくの間、わたしを茫然とさせた。わたしは、すべてのものを持っていかれたように感じた。そのとき、なんて不器用なのだろうと、わたしは思っていた(しかし、最近、年に二回、一ヶ月ほどの短期滞在では、強烈な脱力感はなくなってきている。このことは、逆に、悲しむべきことではないだろうか)。ディレクターが、そうしたナイーブな感覚をもっているからこそ、このドキュメンタリーには、たんなるお楽しみ番組ではない迫力が感じられるのではないだろうか。国分氏たちが、ナプ(ヤノマミ語で、人間以下の存在、外人)として、自・他の距離を強く意識しながら、ヤノマミたちを、人間の心を通い合わせる相手として接し、彼らに真正面から向き合おうとしているさまが、痛いほど伝わってきた。


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