たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

ペニスピン、その後

2008年05月19日 23時03分06秒 | 性の人類学

さる3月に、プナン人のキャンプに滞在したとき、わたしは勇気をふりしぼって、夫がペニスピンを付けている何人かの女性に、その性具の快楽の度合いについて尋ねようと試みたが、ことごとく、笑ってはぐらかされたり、うまくかわされたりした。で、男たちによる女の快楽の代弁が、幾つか集まった。ペニスピンを知った女性にとっては、それは、「味の素」で味をつけた料理のようなものであり、もはや「塩味」だけの料理では満足できないようなものであるという喩えがなされた。ペニスピンを使うと膣が広がり、もはや、それを使うことなしでは満足できないのだ、という言い分もあった。すべて男たちの解釈である。快楽を表わす表現は、どうやら、プナン語には、「いい(jian)」という言い回し以外にはないようである。快楽をめぐる言語は、月並みであるというか、単純明快であるがゆえに、逆に、深い趣があるようにも感じる。ペニスピンの脱着性について。それは、容易に脱着できる(写真参照:横から見た図)。ある男は、川での水浴び(ふつうパンツ一丁でする)のときに、石鹸をつけて洗っていたら、川の中に落としたことがあると語った。町の娼館などには、娼婦が痛がって困るので、それを取ってから、ポケットに入れてから行くようになっているという話も聞いた。まるで指輪か何かのように。以上、ひさしぶりに、ペニスピンについて。


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