たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

反省しない文化~大学生はそれをどう受け止めたか?(3)

2008年05月18日 18時10分13秒 | エスノグラフィー

・日本ではなぜこんなにもストレス社会なのか疑問に思うようになった。反省をしないというプナンの考え方は、私は良いと思う。私自身もあまり反省をしない、しかし、反省をしないが由に同じことを繰り返してしまうのではないだろうか。・・・プナン人の反省をしない社会を日本に広めるのは不可能だろうが、私はそのように生きたいと思う(国3)。

もし私がプナン社会に入ったら、私も先生と同じように、色々なことを考えさせられると思います。日本にいて、あたり前すぎて、問われるまでもなかったことを、考えさせられ、思い込みを根底から覆されるのは何だか気持ちがいいです。プナンの生き方は、自然“なのだと思います。日本は特に「こうあるべき」とか「これはこういうものだ」という縛りが多く、窮屈に感じます、善悪という言葉がよく使われているなあと、思いました(健福2)。

・プナン社会は、私たちが住んでいる社会とは価値観などが違っていて驚きました。国や地域によって価値観や生活などが違うということを改めて感じました。日本ではよくうつ病など精神病的な病気があるが、プナン社会にはそういった病気はないのか?プナン社会にうつ病がないのだとすれば、反省や後悔という考えを捨てることで減少するのかなと思いました。日本では、よく自殺やいじめなどという言葉を耳にしますが、プナン社会に自殺やいじめは存在するのですか(国3)。⇒自殺はありません。いじめという概念・言葉はないですが、もし「いじめ」のようなものがあれば、反論がなされるようです。

・私はすぐに後悔し落ち込んでしまうので、このプナン社会の考え方がすごくいいなあと思いました。けど反省はすごく大事だと思います。私はバレーボールを長年続けています。試合に負けたりするとすごく悔しくて、もっとあそこでこうすれば良かったと後悔します。後悔しない為にはもっとどうすれば良いのか、反省します。そして次にぜったいに勝つ。やはりこれは大事だと思います(国4)。

プナン人は反省しないと言っていたが、このような狩猟漁撈を行っているような民俗集団などもまた同じように後悔はするが反省はしないのではないでしょうか?私はよくいろいろな事に対し反省し、そうすることが息苦しく感じることが多々ある。だが反省することは向上心があることだと思う。だからプナン人のような考え方に驚いたが、同時に、私も先生のように少しうらやましく感じた部分もあった。自分はよくくよくよ悩み、気分が落ち込んでしまうことがよくあるので、そんな感情を持たない社会の中に行ってみたい。でもやっぱり「反省する」ことで、人間は成長するのではないでしょうか?だからプナン人たちは昔から変わらない生活スタイルでいられるのではないかと思う(LA2)。⇒狩猟民の社会では、一般に、人びとは反省しないのかということですね。じつは、わたしの知るかぎり、その問題を追究した研究はないので、いまのところ分かりません。

・プナン社会において反省はないということでしたが、日本社会では例えば自分を批判的に反省し、客観視することも自己を磨くことの一つのような考え方があると思いますが、反省しなくても自己を高めることができるのでしょうか。それとも自己の高まり方も反省というものがなければ、また違った自分の高め方というものが存在するようになったのでしょうか(国3)。⇒反省することは自己を高める一つのやり方ですが、反省しない人たちにとって、別の自己の高め方があるのかどうか、私には分かりません。そもそも、プナンには、自己を高めるという意識はないか低いように思います。

プナンは反省しない民族と聞いて最初はこんなのんきな人々がいるのだなと感じたが、授業を受けていく中で私たちは後悔や反省を日々していくことを当たり前だと感じているんだと思った。現代の様々な社会状況や事件も場合によっては過剰な反省からくる思い込みや考えすぎといった事実から引き起こされているのではないかと考えた(国3)。

「反省をしない文化」というのはすごく衝撃的でした。自分は「反省するのが当たり前、反省しないのは悪である」という環境の中で育てられたため、プナンの人々の行動が考えられません。精神的には受付られないと思います。しかし、こうした「反省」の文化というのは、生まれたときからの本能なのではなく、環境によって形成されたものであることを知り、なかなか興味深いと思いました(国3)。

・日本では考えられないと思いましたが、やはり学ぶものは多いと思いました。反省というのは強制されるものではないと思うのですが、日本ではそういうこともあってしまいます。もっと視野を広げていろいろな社会を知るべきなんだと思いました(総文2)。

・今の「反省をしない」という話を聞いていて、よく考えてみたら、私も反省していないということに気づきました。バイトでも反省のふりをしていただけだということに気づき、いっきに親近感を抱きました。日本人は考えすぎたり、うつになったりしてしまう人が多いから、少しはかれらのようにテキトウな感じで生きてみればよいのにと思います(国3)。

反省という考え方がないということに驚きました。普段の私たちの生活の中に「反省」という言葉がない時がないなと思いました。小さな頃から、どっかいたら反省を書かされるといったものが習慣で当たり前のように思っていましたBM3)。

・“プナンの人は反省しない”。これはポジティブな精神でどことなく沖縄の”なんくるないさ~“と似ていると感じたのだが、もし殺人が起きたとしたら、自分たちで気をつけよう、では済まされないような話だと思った。しかし、日本と違い、プナンでは殺人が起きるような事が、そもそも無いのではないかとも考えられた。自分達がしっかりしよう、と当人を責めることのない程度のことなのかと思えば、とても平和な社会が築かれているのではないかと、少しうらやましくも感じた(国3)。

・自分は結構毎日が反省の連続だから、ある意味うらやましいなと感じました。反省をしないから、まちがったことをしたときも特に気にしないで、再び同じことを繰り返すこともあるのだろうかと思いました(国3)。 ⇒そもそも、再びまちがったことを繰り返すことを悪いことだと思わない場合、反省をしないのだと思いますが、いかがでしょうか。

・私はなんとも複雑な社会に生まれてしまったんだと、プナンの人々の生活について授業を受けている内に感じました。私たちは、無理矢理楽しさ、幸せを見つけたり、必要以上のストレスをかかえこんでしまっていて、自ら自分を毎日の生活で痛めつけてしまっていると感じました(国4)。

反省しない人々。最初それを聞いた時はびっくりしました。そんな文化があるのか、でもその人自身が反省するのではなく、そうさせてしまった周り(人や環境等)が変わるということ。今の日本社会において、少し取り入れてみれば、ストレスをあまり溜め込まずに、よい方向へといくのかなと思いつつ、日本社会には、反省しない事は認められないんだろうなって思いましたBM4)。

・プナンは反省しない社会だという事を初めて知りました。私はなにかとマイナス思考で、すぐ反省したりするので、そういう意味ではプナンの人々はすべてにおいてプラス思考で前向きな人々が多いのかなと感じました(総文4)。

・反省しない社会があることを初めて知りました。プナンの人々には信頼とか信用するとかいうことがないのか疑問に思いました。これでも社会が成り立っていることにも疑問に感じました。私たちの社会は反省する日が毎日あるので、考えられなかったのが私の感想です(国4)。⇒おそらく信用・信頼というのをわざわざ言わなければならないようなレベルの社会組織の密度というのがあるのだと考えます。プナンは、そういったことが話題や問題になるほど、人間関係が粗くはないように思います。ほとんど実証不能ですが。

終わり。

(写真は、反省しない大人たち?)


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2 コメント

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反省しない文化について (LA2)
2008-05-20 16:01:12
 プナンの人々はなぜ反省しないのか、なんとなく私は、生と死に対する感覚の違いからきているのではないかと思いました。
 日本人のほとんどは、明日や遠い将来を考えて生きて生きますが、その明日や将来がやってこない、今日で死ぬとは考えていません。本来ならば、いつ死んででしまってもおかしくはないのですが、人々は寝る前に明日目が覚めることを疑いもしません。
 日本は定年まで、社会に貢献できるまで生きることを前提に教育をしています。
 しかし、プナンの人々は、今こそ多少違いますが、昔は生活のすべてを狩猟にかけてきた狩猟民です。獣が取れなくて飢えたり、いつ獣に反撃され、怪我をしたり狩の途中で怪我をしてそれが原因で命を落としたり、得体の知れない病にかかり命を落とすなど、死は日本より身近にあったと思います。
 そんな明日があるかわからないなかで、生きてきたプナンの人々には、今を生きることの重要さが肌でわかっているのかもしれません。だから反省して今を無駄にするようなことはしないのかもしれないと思いました。
 ほかに、日本の人々は個を中心にするが、プナンの人々は個よりも一族などの単位を中心に置いているのではないか。それも、「我々の一族は代々こうだ」というものではなく、「一人一人がいての一族だ」といううものなのではないか。矛盾しているようだが、ようは一人が手であり、足であるから、たとえ仲間の誰かが盗みを働いたとしても、それを罰することは自分の指を傷つけるようなもにだからそういうことはしないのだろう。
 もし日本のように個が中心なら、責任は個人にあり、反省しなければトカゲの尻尾のように切られるだろう。
 プナンの人々はそういう文化にあるから反省をしないのではないかと他の学生たちの疑問を読んで考えた。
 
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Re: 反省しない文化について (プナンの犬)
2008-05-20 22:35:26
(1)動物を狩り、いまを生きるのに精一杯で、その首尾がうまくいかなければ死ぬしかないような暮らしをしているプナン人たちには、「反省」することが必要なかったのではないかという意見ですね。逆にいうと、将来の安定を手に入れるようになってから、つまり、農耕開始以降に備蓄をするようになって以降に、時間の観念をもつようになり、人間は「反省」するようになり、よりよき日常を目指すようになった、向上するために「反省」するようになった、というふうに考えれば、辻褄が合いますね。

(2)さらには、個人の悪行を執拗に咎め立てすること、その上に、個人に「反省」を強いるというようなことは、共同体全体の統合、あるいは存続にとって得策ではなかったのではないか、ということですね。人びとは、個人の問題よりも、共同体の維持・存続に目を向けなければならなかったからこそ、とりわけ、個人に対して、「反省」を求めることなど必要なかったのでは、という意見ですね。

LA2とは2年生ですか、頭の使い方、恐るべし!
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