落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

大相撲初場所10日目

2007年01月16日 | 日常・身辺
 朝青龍(寄り倒し)琴光喜
 23連敗中の琴光喜、解説の北の富士さんは「もう諦めてるんじゃないですか」、北陣さんは「打つ手無し」と仰っていた。しかし琴光喜はそれなりに考えていたと思う。やや右に回って上手をとり横綱にはまわしを取らせなかった。よしこうなったら琴光喜のものと思うが、そこからは横綱のじわじわと反撃が始まり、有利と思われる琴光喜に二の矢を出させない。
 7日目の安馬戦でも目まぐるしい攻防があったが、一瞬の隙があったのか「とったり」で安馬を下した。観ている方も何が起きたのか分からないぐらいで、気がつくと安馬の髷から背中にべっとりと土が付いていた。
 朝青龍は後半になると安定感が増しいつものように優勝モードに入ってくる。天才的としか云いようがない。

 白鵬(下手投げ)琴奨菊
 琴奨菊は昨日ライバルの稀勢の里に惜敗した。将来両雄並び立つ姿が浮かぶような一番だった。
 昨日の悔しさをバネに白鵬に臨んだろうが空回りしたように思う。さすが大関白鵬、琴奨菊の両まわしを取ってしまうと、左右に揺さぶり下手投げで下した。

 稀勢の里(寄り切り)安美錦
 文句なしの寄り切り、安美錦は何も出来なかった。2連勝で星を五分にした。残り全部勝って二桁を狙って欲しい。

 時天空(引き落とし)豊真将
 豊真将は場所毎に大きくなる感じで楽しみ。今日は追い詰めながら時天空に上手く回り込まれ左足が俵を割ってしまった。悔しい一番。

 安馬(内無双)高見盛
 安馬は先場所当たりから身体がふっくらしてきたように思う。力も増したのではないだろうか。
 高見盛は身体が柔らかいのか固いのかわからないが、今場所は好調。この一番も見応えあった。モンゴル系はスピードがある。思ってもみない安馬の「内無双」が決まった。

納豆

2007年01月16日 | 世相
 いつも食べている納豆が品薄でおかしいなと思っていたら、TVでダイエット食材として紹介されたらしい。
 しょうがないので3つ130円のを買って帰った。トイレットペーパー騒動とまでは行かないが、TVの影響は大きい。

「あるある大事典」で紹介 納豆が品薄に (2007/01/11 17:37)産経
ダイエット食材として放映
 フジテレビ系の情報番組「発掘あるある大事典II」(関西テレビ制作)が納豆をダイエット食材として放映した影響で、全国のスーパーなどで納豆が品薄になった。増産が間に合わないメーカー各社は、11日付の全国紙朝刊に「おわび」の広告を掲載し、生産態勢を強化するなど対策に追われている。
 騒動のきっかけは7日放映の「食べてヤセる!!!食材Xの新事実」。納豆をダイエット食材として、1日2パックを朝晩に分けて食べるだけで効果があると紹介、番組の出演者が2週間で数キロやせたと報じた。翌8日からスーパーなどで納豆を大量に買い求める人が相次ぎ、品薄状態になったという。
 ミツカン(愛知県半田市)には、小売店から通常の約3倍にのぼる注文が殺到。全3工場で増産態勢を敷いたが追いつかず、11日、全国紙5紙に広告を掲載した。
 広報担当者は「これまでも情報番組で紹介されると売れ行きが伸びることもあったが、今回は異例。納豆をあまり食べない関西からも引き合いが相次いでいる」と話す。
 通常の約2倍の注文が殺到している旭松食品(大阪市淀川区)は、納品先1店当たりの供給を減らし、全店に行き渡るようにするなどの対策をとった。担当者は「ありがたいというのが一番。予想を大幅に超える反応だった」。
 納豆は、仕込みや豆の発酵などで製造に3~4日かかるとされ、増産分が店頭に並ぶまでには時間がかかる見通し。スーパーのダイエーは「12日ごろには入荷が7~8割回復するだろう」とみている。

 ついでに納豆について注文だが、あのパック毎にちまちまと付いているタレと芥子はいらないと思うがどうか。納豆そのものはどのメーカーが作ろうと大差がない(と思う)ので差別化を図るためタレに工夫をしているものと思われる。いちいち鋏で切り出すのがじゃまくさいといつも思う。そしてその鋏にタレが付いて錆びるのだ。あのビニール袋は小さいがコストのうちだし、すぐにゴミになってしまう。醤油と芥子ぐらいは手元にあるし、自分で加減する楽しみも奪われている。付属品なしの納豆はないものか。
 (COOPの納豆はタレなしがあったが、最近見かけなくなった。世の奥様方はタレ付きがお好きらしい)

500円映画劇場

2007年01月15日 | 音楽、映画
 最近懐かしの名画DVDが大型ホームセンターやスーパーマーケットに行ったとき並んでいるのに気がつき、ポツポツ買って10本ほどたまってしまった。
 若い頃TVの日曜洋画劇場でも放映されたかも知れないが、もうすっかり忘れてしまっているのがほとんどだ。
 今日は午後、「怒りの葡萄」を鑑賞した。1940年ジョン・フォード監督によるものでアカデミー賞もとっている。
 同監督は西部劇で有名だが、こんな社会派ドラマも残しているのだなと改めて感動した。

 DVD売り場には少ないが邦画もあった。溝口健二監督の「雨月物語」もあって買おうと思ったが、なぜかハングル表記になっておりあきらめた。小津安二郎監督など巨匠の作品で観たい映画はたくさんある。ちゃんと日本人の手でデジタル化して欲しいものだ。

左義長(とんど)

2007年01月13日 | 日常・身辺
 早いもので正月も半ばになった。うららかなとでも云ってよいような日射しの中、近所の小学校で左義長が行われた。子供の頃、尼崎の北部では「とんど(焼き)」と云っていたが、この地(神戸市北区)にきて初めて「左義長」という言葉を聞いた。wikipediaを見ると全国色々な呼び方をしているらしい。

 正月飾りをする家も少なくなり、燃えているのはベースの笹竹のようだった。行事も11時から始まり12時半に終わってしまった。

 懐古談になってしまうが、子供の頃のそれは規模が大きく一大行事だった。近所のお寺の境内に古木が組まれる。三々五々村人が持ち寄った正月のしめ縄や門松、古いえべっさんの縁起物などが昼頃にはうずたかく積み上げられる。大勢が見守る中、消防団の人によって点火された。子供達は習字練習の反故を持ってきて燃やしたりした。そうすれば字が上手になるといわれた。子供は背が低いので炎の熱気を顔にまともに受け真っ赤になった。夜になって下火になると、黴だらけになったお鏡餅を金槌で割ったものを持っていって焼いた。

播磨アルプス・高御位山(300m)、桶居山(248m)

2007年01月09日 | 散歩・山歩き
 昨夜はあれこれと山サイトを眺め、播磨南部の山を歩くことにした。
 天気図は西高東低の典型的な冬型だが、関西地方の等圧線は広がっている。風も収まって来ている。
 夜明け前に目覚めたが、東の空は茜色、上空に残り星が輝いていた。どうやら日だまりハイクが出来そうだ。
 JR山陽線で加古川から姫路にかけて北側に樹木もまばらな低い山並みが見えていた。その中の一つに高御位山があった。今回は登山口近くに駅があり電車で行くことにした。久しぶりに通勤サラリーマン諸氏に混じって電車に乗った。

 JR曽根駅=車道歩き=豆崎登山口(9:00)~経塚山古墳(9:20)~156mピーク(9:40)~鹿嶋神社分岐(10:20)~百間岩通過~鉄塔下(10:45)~鷹ノ巣山(11:15)~桶居山分岐(11:25)~高御位山(12:05)昼食・休憩(12:35)~桶居山分岐(13:15)~獅子岩(13:30)~鉄塔下(14:15)~桶居山(15:00)~達磨落とし岩(15:10)~桶居山下(15:25)~深志野登山口(16:15)=車道歩き=JR御着駅
(獅子岩、達磨落とし岩 という名前は公称ではなく、私の印象です)


桶居山 (絵をクリックで拡大、右下に小さく登山者が見える)


 一般的なコースは馬蹄形になった峰を東たは西の端から登るのが多いらしいが、少し欲張って、高御位山を往復したあと桶居山へ向かうコースにした。高御位山の頂上には神社があり、そこで昼食にした。しんどければそこで降りようとも思っていたが、弁当を食べ休憩し近くにいる人たちと話をしているうち元気も回復し初期の計画通り引き返し桶居山へ向かった。

 鷹ノ巣山から東に少し下りた所に桶居山への分岐がある。そこから北に行くにつれても周囲は同じような石山が累々と横たわっており、植林された緑の山々を見慣れてきた自分には、こんな風景もあるのかと面白かった。また向かって行く山、通過した山々がいつも見渡せるのが楽しい。

 途中、年輩の夫婦に追いついた。「まぁ、めずらしい!」と仰っていた。たしかに行き交う人もすっかり少なくなっていた。お気に入りの山なのだろう、何度か来られているという。急斜面では先に降りたご主人が下から奥さんに指示を出している麗しい様子を拝見した。夫婦は桶居山には登らず途中から姫路別所に抜けるコースを行くとのことだった。

 簡素な円錐状の桶居山に近づくにつれ頂上に至る40度を超えそうな急斜面が露わになってきた。高度差7、80mはあるだろうか。
 その山からくる同年輩の人にコル付近で行き交わした。
 「山の向こう側もあんな調子ですか」と至極あたりまえのこと聞いてしまった。
 「ええ、そうですね、はじめてですか、でも、どうってことありません・・・気を付けて」とにこやかな返事。
 午後の時間帯に向こうから来るというのは近隣の人かも知れない。不安そうな表情が出ていたに違いない私にそう答えると去っていった。

 来てしまったものは致し方ない。あまり下を見ないように慎重に登り始めた。
 20分あまりだが頂上に立ったときはホッとした。頂上から南側遙か下の尾根を降りていく夫婦の姿が小さく見えた。

 北側は大きな岩の間を降りていく感じで比較的楽な気分。途中には崩壊し残った達磨落としのような大きな岩があった。
 深志野登山口まではいくつもの小さなアップダウンがありなかなか下に降ろしてくれない。太陽は大分傾き遠くに見える海が光り始めた。
 飼い犬の声や自動車の音、列車の音が近づき最後の急斜面になった。下の風景と地図で御着駅の方向を確認した。

 降りたところには登山口の標識もなく、路地の奧と云ったところだった。
(HPにスライド掲載しています 1/11)

初雪

2007年01月07日 | 写真・絵





小寒を過ぎた今朝8時頃降り始め、わずか10数分で雪化粧。





正午過ぎ、西の方から急速に明るくなり、早くも雪が溶け始めた。
14時を過ぎて日が射してきた。雪はすっかり跡形もなく消えた。幻のような数時間だった。
(絵をクリックで拡大)


チキンラーメン

2007年01月06日 | 日常・身辺
 即席麺の元祖、安藤百福さんが亡くなられた。
日清食品創業者の安藤百福氏が死去 「即席めん」生みの親 (2007/01/06 01:06)産経
 即席めん(インスタントラーメン)の生みの親として知られ、日清食品創業者会長の安藤百福(あんどう・ももふく)氏が5日、急性心筋梗塞(こうそく)のため大阪府池田市の病院で死去した。96歳。通夜・告別式は近親者のみで営む予定。社葬の日程は未定。喪主は妻、仁子(まさこ)さん。
 戦前、故郷の台湾から大阪に出て繊維問屋を営んだが、敗戦で無一文に。戦後の闇市で屋台に群がる人々を見て食品事業を志し、昭和33年、世界初の即席めん「チキンラーメン」を世に送り出した。これが大ヒットして“ラーメン文化”の基礎を築いた。46年には「カップヌードル」、その後インスタントの焼きそば、うどんなどを相次ぎ発売。即席めんを「国民食」に定着させた。
 60年に二男の宏基氏にバトンタッチし、会長に。その後長期にわたり増収増益を記録、日清食品を無借金経営の優良企業に育て上げた。昭和39年から平成元年まで日本即席食品工業協会理事長。58年紺綬褒章を受章。

 「昭和33年(1958年)8月25日に販売開始。これを記念して8月25日は『チキンラーメン誕生の日』とされている。チキンラーメンの発売により、それまでの「支那そば」「中華そば」にかわり、「ラーメン」という呼び名が全国的に広まった。」(Wikipedia)

 チキンラーメンのデザインは今も変わらずスーパーに並んでおり、50年近くのロングセラーだ。その後各社から発売され食文化の一分野を形成し、宇宙食にもなるぐらいだ。日清食品が無借金経営というのもすごいことだ。

 自分の昼食も、便利な即席麺を利用することが多い。栄養が偏らないよう野菜を追加し、粉末スープは塩分を加減して2/3程度にしている。

初歩き 三田市 羽束山(524m)

2007年01月04日 | 散歩・山歩き
 初歩きに出かけた。曇りがちだがまずまずの天気だった。

 12月23日に登った大船山の南に、らくだの瘤のように見えていた山である。
 頂上には羽束神社や観音堂があり、初詣を兼ねて登る人たちも見受けられた。毎日登山をする人もいるのか、登山口には竹の杖が沢山置かれていた。

 羽束山の峰続き、すぐ南には甚五郎山、北側には宰相ヶ岳(500.6m)があり、ついでに足を延ばした。

 香下寺登山口(10:25)ー六丁峠(10:40)ー甚五郎山・往復ー六丁峠(10:55)ー(11:10)羽束山頂上(11:35)ー木器への分岐(11:50)ー(12:05)宰相ヶ岳頂上、昼食(12:35)ー木器への分岐ー香下寺登山口(13:10)

 帰路、神戸市の水源にもなっている千刈水源池に寄り羽束山全景を撮った。(写真)

 帰宅:14:50  バイク走行:76km

向こうではブタ年

2007年01月02日 | 日常・身辺
 「日本の常識は世界の非常識」などと云われるが、日本では亥年だが韓国ではブタ年だそうだ。恥ずかしながら知らなかった。
【ソウルからヨボセヨ】黄金のブタ年 (2006/12/30 08:19)産経新聞
 来年の干支(えと)は「亥」で日本ではイノシシだが韓国ではブタである。イノシシが家畜化してブタになったといわれるから両者は親戚(しんせき)だ。韓国語ではブタは「テジ」でイノシシは「メッテジ」という。「メッ」は韓国の古語で「やま(山)」を意味する。だから野生のイノシシは「山ブタ」ということになる。
 干支の「亥」が日本でイノシシになったのは“猪突猛進”でも分かるように、あの野性的な勢いに好感してのことかもしれない。一方、ブタは多産で家畜として財産になったから、韓国では福を呼ぶ縁起のいい動物になっている。貯金箱も昔からブタのかたちをしている。だから来年、年男や年女になる亥年生まれは、日本では“元気”いっぱいというイメージになるが、韓国では“富”や“福”のイメージだ。
 ところで韓国では来年の「ブタ年」は600年に一度の「黄金のブタ年」といわれ、この年生まれは“金運”、“財運”に恵まれるとされている。そこで来年はベビーブームが予想され、妊婦は年末出産を遅らせたり、赤ちゃん業界は需要拡大に期待を膨らませたりしている。日本以上の出産率低下に困っていた政府も一息つきそうだとか。ソウルの街には黄金色のブタ人形があふれている。(黒田勝弘)

 中国でもそうらしく、南寧(南中国の広西チュアン自治区2006年12月30日)の動物園のアトラクションでブタのダイビング公演があったとの写真(新華社)があった。

 新華社のニュースでは、サダム・フセイン処刑直後の生々しい写真も掲載されていた。また中国のインターネット人口が1.32億人に達したとも報じている。ただし言論規制は強力とのこと。

中国:ネット利用者数1・32億人、強化される当局の監視・統制 (06/12/31 11:42)
【大紀元日本12月31日】中国のインターネット利用者は昨年より30%増加し、2006年末には1・32億人に達し、米国に次いで世界2位を占めている。その内、ブロードバンド利用戸数は5200万戸に達し、中国国内のウエブサイトは約80万サイトに上るという。中国では、ネット利用による産業の振興や教育分野での活用が進められる一方で、中国共産党(中共)当局は、体制批判につながる言論の規制を強化している。

 英BBCによると、中国におけるインターネットは単一の業種から社会と大衆に深く溶け込んだものになったとし、ネット利用者は年々増加しており、2004年の利用者数は9400万人に対し、2005年の上半期だけで、1億人を突破したという。

 中国情報産業部の王旭東・部長によると、政府は現在農村へ各種情報伝播を推進しており、2007年には中国東部地区のブロードバンドが郷・鎮・村まで広げ、東部と中部地区の行政村町もインターネットが利用できるように進めているという。

 インターネットの迅速な発展は実際、ネット・ビジネス、広告および旅行業の繁栄を促した。しかし、中国共産党(中共)当局は、人民に対してインターネットの利用によるビジネス運行と教育を推進している一方で、インターネットに掲載する内容に対して、厳しく統制しており、共産党統治を批判するまたは共産党にとって脅威であると思われる内容はすべて厳しい審査を受けるのが現状だ。実際、国際的なIT企業と協力し、それらのソフトウェアを購入して巨大な監視・統制システムを作り上げる金盾プロジェクト(Golden Shield Project)を進めており、2008年に完成するという。

 国境なき記者団は、中共がインターネットの言論自由を抑圧していると非難したが、これに対して、中共当局は否認している。

謹 賀 新 年

2007年01月01日 | 日常・身辺
元日

年の始めの 例(ためし)とて

終わりなきの世の めでたさを

松竹たてて 門ごとに

祝う今日こそ 楽しけれ

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 昨夜は遅かったにもかかわらず暗いうちに目が覚めた。いつもバイクで前を通るだけの地元の神社にお参りすることを思いつく。5時半起床。

 この地に住んで20年以上経ったが杉尾神社にお参りするのは初めてだ。旧小部村の鎮守様のようだ。歩いてみると鈴蘭台から神社まで緩やかな丘を越えているのがわかる。2.5K早足で20分ほどかかり、冷え込んだ朝だが到着する頃には汗ばむくらいだった。

 境内は明々と電灯がともされ、傍らにテントが張ってあり白布を張った机が用意され、日中には此処で縁起物が配られるのかも知れない。2,3人すでに参拝者がいた。昨年1年の無病息災を感謝し、今年一年の家内安全、健康、平和を祈念する。

 帰路につく頃、東の菊水山の後ろが明るくなってきた。初日の出はあいにく曇っていた。
 晦日に買っておいた一人分のお節と雑煮で簡素な朝祝いをする。8時半を過ぎて日が射してきた。室温も16度まであがり暖かい穏やかな新年の幕開けとなった。