落葉松亭日記

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テロ事件・欧州にとっての落とし穴

2015年02月12日 | 政治・外交
ISILがヨルダン軍パイロットを殺害したとする映像を公開したことを受け、ヨルダン空軍は7日までの3日間でISILの拠点56カ所を空爆したと発表した。
イスラム国拠点56カ所空爆=ヨルダン空軍「地上から一掃する」 時事通信2015年2月9日(月)09:09
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-150209X649.html

 【エルサレム時事】ヨルダン空軍は8日、過激組織「イスラム国」がヨルダン軍パイロットを殺害したとする映像を公開したことを受け、7日までの3日間でイスラム国の拠点56カ所を空爆したと発表した。地元メディアなどが伝えた。
 場所は明らかになっていないが、イスラム国の支配地域の拠点であるシリア北部ラッカが中心とみられる。

 空軍のマンスール・アルジョブル司令官は8日、イスラム国の訓練施設や武器庫、兵舎などを破壊したことを明らかにし、「イスラム国の攻撃能力を約20%低下させた」と強調。また、「このテロリストを地上から一掃する覚悟だ」と述べ、今後数日間、空爆を強化する意向を示した。
 また、米軍率いる有志連合にヨルダンが参加して以降、約7000人の戦闘員を殺害したという。

この応酬は今後更にエスカレートしていくのだろうか。
|視点|パリの大量殺傷事件―欧州にとって致命的な落とし穴(ロベルト・サビオIPS名誉会長)
http://www.ips-japan.net/index.php/news/politics-confict-peace/2283-opinion-the-paris-killings-a-fatal-trap-for-europe-2
Roberto Savio【ローマIPS=ロベルト・サビオ】ROME, Jan 12 2015 (IPS)

かつて文明の揺籃の地であった欧州大陸が、イスラム教に対する聖戦という落とし穴へと、やみくもに突き進んでいる様を見るのは辛い。しかも僅か6人のイスラム過激派テロリストがその引き金になるのに十分だったという現実に、思わず暗澹たる気持ちになる。
しかしそろそろ、世界を席巻した「私たちはシャルリー・エブド」という熱狂から目を覚まし、事実を検証するとともに、私たちが実は少数の過激派の術中にはまり、彼らと同じような思考に染まろうとしている現実を理解すべき頃合いだろう。なぜなら、「西側欧米諸国とイスラム教の間の対立が今後さらに先鋭化すれば、その先には世界を巻き込むより悲惨な結末が待っているからだ。

まず一つ目の事実は、イスラム教が全人類の23%にあたる16億人の信徒を擁する、世界で2番目に大きな宗教という点だ。その内、アラブ人の信徒数は僅か3億1700万人に過ぎない。世界でイスラム教徒が人口の大半を占める国は49カ国にのぼるが、その3分の2近く(62%)がアジア・太平洋地域に位置している。事実、中東・アラブ地域のイスラム教徒よりもインドとパキスタンのイスラム教徒(3億4400万人)の方が多いのだ。また、インドネシア一国だけでも、2億900万人のイスラム教徒がいる。

ピュー・リサーチ・センター(Pew Research Center)は、イスラム世界に関する調査報告書の中で、イスラム教の戒律の順守や見解については、中東よりもむしろ南アジア地域の方が、より過激な傾向にあると指摘している。例えば、「犯罪者に対して厳しい刑罰で臨むべき」と回答した者は、中東・北アフリカで57%だったのに対して南アジアでは81%であった。また、「イスラム教を棄教したものを死刑にすべき」と回答した者は、中東では56%だったのに対して、南アジアでは76%にのぼっている。
従って、今日欧米諸国との紛争にとりわけアラブ人が関与している特異性の背景には、明らかに(イスラム教そのものというよりも)中東の歴史が関っている。以下にその4つの理由を解説しよう。

一つ目の理由は、
全てのアラブ諸国が(かつての欧州植民地帝国或いは列強諸国による)人工的な創造の産物であるという点だ。
第一次世界大戦中の1916年5月、フランスの外交官フランソワ・マリ・ドニ・ジョルジュ=ピコ氏と英国の中東専門家マーク・サイクス卿が、ロシア帝国とイタリア王国の支持のもとに会談を重ね、大戦終結後のオスマン帝国領(現在の中東地域を含む)の分割に関する秘密協定をとりまとめた(サイクス=ピコ協定)。
従って今日のアラブ諸国は、フランスと英国が中東地域の民族、宗教、或いは歴史的背景を一顧だにすることなく地図上に国境線を引き、互いの勢力圏を分断定義した結果誕生した国々なのだ。
中にはエジプトのように歴史的なアイデンティティを保持できた国もあったが、イラク、サウジアラビア、ヨルダン、アラブ首長国連邦といった国々ではそれさえ叶わなかった。
今日、人口3000万人におよぶクルド人が未だに自らの国を持てず中東の4カ国(トルコ、シリア、イラク、イラン)に分断された状態に置かれている問題のルーツは、まさに、この欧州列強による中東分割にあることを、想起しておく価値はあるだろう。

2つ目の理由は、
欧州列強が、そうして打ち立てた新国家に、息のかかった人物を王や首長に据えた点だ。当時、こうした人工国家を経営していくには、強権による支配を必要とした。
そこで、これらの国々では、当時欧州で進行していた民主主義のプロセスとは全く合わない政治体制が敷かれ、民衆の政治参加は建国当初から完全に欠如することとなった。つまり中東諸国では、欧州列強の承認のもと、「時」が事実上「封建時代」で凍結されたのである。

さらに3つ目の理由として、
欧州列強がこれらの国々に対して、産業開発や地元民衆の真の発展に資するような事業に一切投資を行なわなかった点が挙げられる。
一方、欧州列強は石油採掘権については、外国企業に独占させた。その結果、石油輸出の恩恵がアラブ人に享受されるようになったのは、第二次世界大戦後の、非植民地化プロセスが進展してからのことだった。
こうして第二次大戦後に欧州列強が去った時、アラブ諸国には、いかなる近代的な政治体制もインフラ設備も、地元の管理体制も皆無な状態だった。

最後に、より現在の問題に関る点だが、
4つ目の理由として、
欧州列強が残していった中東の支配者らが一般民衆に対する教育や医療を顧みなかった中で、代わりに敬虔なイスラム教徒らが、政府が提供しないサービスを提供する役割を担ってきた点が挙げられる。
そうしたイスラム系慈善組織が設立した神学校や病院のネットワークは、その後中東各国で大きく発展したことから、複数政党制が導入されると、こうした草の根の実績がイスラム系政治団体の正当性と民衆支持の基盤となっていったのだった。
それだけに、中東の2カ国を例に挙げると、エジプトやアルジェリアでは、イスラム系政党が選挙で勝利し、その勢いを止めるには、欧米諸国の黙認のもとで軍事クーデターを引き起こすしか手段がなかったのである。

もちろん長年に亘る歴史をこの限られた紙面に凝縮して説明しようとすれば、当然ながら内容は表面的なものとなり、欠落している点も多々出てくることは避けられないだろう。 しかし、今日の中東地域全体を覆っている民衆の怒りと不満がどのようなものか、そして、それらがいかにして貧困層の人々の「イスラム国」への関心を惹きつける結果となっているかを理解するには、この容赦なく要約した中東の歴史プロセスが役に立つだろう。

私たちはこうした歴史的な背景を忘れてはならない。
なぜなら中東では、たとえ歴史に疎い若者でも、イスラエルによるパレスチナ占領という現実から、欧米によるアラブ支配の歴史を常に思い知らされる構図があるからだ。
とりわけ米国のイスラエルに対する無条件の支援は、アラブ人の間では屈辱の歴史を永続化する行為と受け止められている。
また、歯止めがかからないイスラエルによるユダヤ人入植地の拡大は、パレスチナ国家樹立の可能性を事実上不可能にしている。

昨年7月から8月に勃発したイスラエル軍によるガザ空爆に際して、欧米諸国の反応は形式的な抗議に終始するものだった。
このことはアラブ世界では、「欧米の意図は結局のところ、アラブ民衆を抑えつけ、本来排除されるべき腐敗して正当性が疑われている中東の支配者らとの同盟関係のみに関心がある」という明らかな証左だと受け取られた。
また、ピュー・リサーチ・センターも指摘しているとおり、欧米諸国のレバノン、シリア、イラクへの絶え間ない干渉や、各地で展開している無人攻撃機による爆撃作戦は、イスラム教徒の間では、イスラム教を抑え込もうとする欧米諸国の歴史的な政策の一環だと広く受け取られている。

また私たちは、イスラム世界にはいくつかの内部対立があること記憶にとどめておくべきだ。 なかでも最大のものが、スンニ派とシーア派の対立である。
しかし中東アラブ地域ではスンニ派イスラム教徒の少なくとも40%がシーア派を同じイスラム教徒とはみなしていないのに対して、アラブ地域以外ではこの傾向が希薄になる。
インドネシアでは、自身をスンニ派と自認した人々は僅か26%にとどまり、実に56%の人々が自身を「ただのイスラム教徒」と回答していた。

アラブ世界で、人口の大半を占めるスンニ派住民がシーア派住民を同じイスラム教徒として認め、両者のコミュニティーが共存してきた国は、イラクとレバノンのみである。中東地域における両派対立の構図は、全イスラム教徒の僅か13%にあたるシーア派が多数を占めるイランと、スンニ派が多数を占めるサウジアラビアを軸に展開しており、両国の指導者が対立を掻き立てている。

「イスラム国」の前身組織でイラクを活動拠点とした「メソポタミアの聖戦アルカイダ機構」は、当時の指導者アブムサブ・ザルカウィ(1966~2006)の指揮の下に、シーア派住民への攻撃を執拗に繰り返すことで、イラク社会の二極化(それまで共存してきたスンニ派住民とシーア派住民間の対立と暴力の連鎖)と、首都バグダッドのスンニ派住民(約100万人)に対する民族浄化の悲劇を引き起こした。
その際、シーア派の住民や武装組織による報復の対象となり、家族や財産を奪われたスンニ派住民の多くは、同じスンニ派の「イスラム国」(そもそもシーア派住民を攻撃してこの悲劇を引き起こした張本人)に保護と求めた。
過激なカリフ制の復活を謳い欧米のみならずアラブ世界全体と対立している「イスラム国」がイラクで多くのスンニ派住民を引き付けている背景にはこのような皮肉な事情がある。

さて、オタワ、ロンドン、そして今回のパリと、欧米で発生した全てのテロ事件には、奇妙な共通点がある。
つまり、実行犯はいずれもアラブ地域出身者ではなく犯行が行われた国出身の若者で、居場所を転々とし、職につかず社会から孤立していた人物であった。
また、いずれも10代を通じで全くと言っていいほど信仰心に篤い人物ではなかった。
さらに、犯人のほぼ全員が、過去に司法当局の世話になっていた。


犯人がイスラム教に改宗し不信心者を殺せという「イスラム国」の要求を受け入れたのは犯行の僅か数年前のことだった。
現世の将来に絶望していた若者は、これにより自分の人生に意義を見出し、殉教者として天国で重要な位置を得られると考えたのだ。

こうしたテロ事件をうけて、近年欧米諸国では、イスラム教そのものを敵視する動きが高まってきている。
1月7日版の「ニューヨーカー」誌は、「イスラムは宗教ではなくイデオロギーだ」とする感情的な記事を掲載した。
イタリアでは、右派で移民排斥を訴えている政党「北部同盟」のリーダーであるマッテオ・サルビーニが、イスラム世界との対話を進めているとしてローマ法王を公然と批判したほか、政治評論家のジュリアーノ・フェッラーラがテレビ番組の中で「我々は聖戦を戦っている」と宣言した。

パリの大量殺傷事件に対する欧州(と米国)の全般的な反応は、フランソワ・オランド大統領が言う、「極端なイデオロギー」が引き起こした結果として非難するものだ。
しかし一方で、アンゲラ・メルケル首相が先般反対の立場を表明した、右派ポピュリスト団体「PEGIDA(西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人)」がドレスデン(イスラム教徒の人口は2%)で行った反移民デモ行進も、高まる反イスラムの潮流という「極端なイデオロギー」を示すものだ。
Pegidaの標的はドイツへの亡命を希望している200万人の難民(大半がイラク人とシリア人)で、「彼らの真の意図は戦争からの逃避ではない」等と主張して、昨年10月から毎週ドイツ各地で反移民集会を開いている。

一方で欧州各国を網羅した調査報告書によると、移住者の圧倒的多数が、移住先の経済にうまく溶け込んでいる。国連の報告書も、欧州における人口減少問題との関連から、今後欧州諸国が今日の社会福祉体制を維持し、国際社会において競争力を維持していくためには、2050年までに少なくとも2000万人の移民を受け入れる必要があると結論付けている。
しかし、今日欧州各地で発生している現実は、それに逆行するものである。

また今日欧州では、政府を解散に追い込んだスウェーデン民主党や前回の地方選で25%の得票率を獲得し、更なる躍進を狙うフランス国民戦線の例にみられるように、排外主義的なナショナリズムを掲げる右派諸政党が、英国、デンマーク、オランダ等、各地で勢力を伸ばしている。

今回パリで発生したテロ事件は、言うまでもなく極悪非道の犯罪であり、如何なる意見の表明も、民主主義に欠かせないものだが、一方で、今回の事件以前にシャルリー・エブド紙を実際に読んでその挑発の程度を確認したことがある者は極めて少なかったという事実も、踏まえておくべきだろう。
ガーディアン紙のタリーク・ラマダン氏が1月10日付の論説の中で指摘しているように、シャルリー・エブド紙は、「表現の自由」を主張する一方で、2008年に社員の漫画家がニコラ・サルコジ大統領(当時)の子息とユダヤ人女性の結婚を風刺した作品を反ユダヤ的だと非難された際には、その社員を解雇している。

シャルリー・エブド紙は、世界におけるフランスの優越性とフランス文化の優位性を擁護する声であり、読者数はごく限られたものだった。そしてそうした読者も(異なる文化や宗教間の尊重と協力を基礎とした世界観とは真逆の)挑発的な内容を売りにして獲得したものだった。
そして今、「私たちはシャルリー・エブド」の大合唱が起こっている。
しかし、世界の二大宗教間の衝突を先鋭化させれば、決して些細な出来事では終わらないだろう。
私たちは、犯人がイスラム教徒であろうがなかろうが、テロと戦わなければならない
(私たちは、ノルウェー人でキリスト教原理主義者のアンネシュ・ベーリン・ブレイビクが、イスラム教徒がいない祖国を訴えて同胞のノルウェー市民91人を殺害した事件のことを忘れてはならない。)

しかし私たちは今や致命的な落し穴にはまり込み、イスラム教への聖戦を押し進め、結局は圧倒的な大多数を占める穏健なイスラム教徒までが追いつめられ、やむなく武器をとって戦う…という、まさにイスラム過激派が望むシナリオへと突き進んでいるのだ。

欧州諸国の右派諸政党が、こうした社会の急進化から恩恵を被る状況は、実は、イスラム過激派らにとっては歓迎する事態なのだ。
イスラム過激派は、世界を戦いに巻き込み、その中で独自のイスラム教(つまりイスラム教であれば何でも良いわけではなく、スンニ派の教義を彼らが独自に解釈したもの)を唯一の宗教として打ち立てることを夢見ているのだ。
これに対して、私たちは、本来ならこうした過激派を孤立させる戦略を採用すべきなのに、(彼らが望む)対決策に手を染めているのだ。

さらに言えば、アラブ世界で現在起こっていることと比べれば(例えば、シリア一国だけでも昨年だけで50,000人が命を失った)、これまで欧米諸国で命を失ったテロの犠牲者の数は、ニューヨークの9・11同時多発テロ事件のケースを除いて、ごく小さい規模でとどまっている。
私たちは、実は「世界規模の悲惨な衝突を創り出そうとしている」ということに気づくことなく、なぜこうもやみくもに落し穴に向かって突き進んでいこうとするのだろうか?

(原文は↓)
http://www.ipsnews.net/2015/01/opinion-the-paris-killings-a-fatal-trap-for-europe/

本記事の中で紹介されている見解は著者個人のものであり、インター・プレス・サービスの編集方針を反映したものではない。
翻訳=IPS Japan


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