最初の計画は、初日に瀞峡に行って、二日目は、那智と、新宮。そして、最終日に、本宮大社に行く予定だった。
結局、瀞峡のジェットボートは、3日とも欠航になったので、二日目に本宮大社と那智に行き、三日目は、高野坂と新宮近辺を回ることにした。
ということで、朝一で、熊野本宮大社に向かった。
床が木の古いバスに揺られ一時間強。
熊野川沿いのすばらしい景色。途中に、温泉宿も。
ただ、温泉宿近辺は、一部不通になっていたから、結構キャンセルも出ていたかもしれない。
そして熊野本宮大社へ到着。
まさに古事記の舞台。
明治に、熊野川近辺にあった社が流されて、今の位置に移築された。
参道。
歴史を感じさせる。
神門には、堂々と、菊の御紋が。
本殿(證誠殿、しょうじょうでん)。
古来、熊野の神と言えば、本宮大社の神のことを指したという。
建物自体は、江戸時代のもので、明治の洪水の後、当地に移された。
オガタマの木。ご神木の一つ。
宝物殿。
入口には、皇族の使用されたボートが。
中には、東大寺のものに次ぎ、日本で二番目に古い釜が展示されている。
順序が逆になるが、こちらが拝殿。
本殿に直接お参りできるので、私みたいに、最初す通りしてしまう人も多いかもしれない。
建物も、こちらの方が新しい。
至るところに八咫烏が。
八咫烏の導きで、神武天皇は、奈良に都を建てることができたと古事記に記されている。
ここが元本宮大社があった大斎原(おおゆのはら)。
今の本宮から降りたところになる。
巨大な鳥居が凄い。
日本一=世界一と言われているが、伊勢神宮や、大神神社のと比べてみてどうだろう。
大斎原に向かう参道の周りの田んぼだが、道が泥に埋もれているのがわかるだろうか。
前日までの台風で、ここも泥水に浸かっていたのであった。
自然の脅威、熊野川の名の由来もわかるような気がする。
2011年の大災害も記憶に新しい。