河津の桜の話は、前にしたが(新聞報道によると先週が満開だったらしい)、その時もらったチラシを見て、河津八幡神社という神社にも寄った。歌舞伎ファンには、有名な場所らしい。河津の町の名は、河津三郎という人の名から来ており、この河津三郎は、有名な曽我兄弟のお父さんだということがわかった。どういう話かと言うと。平安時代末期、河津三郎は、所領争いがもとで、工藤祐経のために悲運の最後を遂げる。その息子十郎(兄)と五郎(弟)は、あだ討ちの機会を狙う。1193年、源頼朝が、富士の裾野で狩りを催し、それに同行した工藤祐経の寝所を兄弟は襲い、あだ討ちを果たした。その後、兄弟は捕らえられ、頼朝は、勇気と孝心に感じ入って助けようとしたが、工藤祐経の子供である犬坊丸の哀願により、兄弟を殺すという物語である。その時、兄弟は、また、22歳と20歳であった。この曽我物語が、謡曲、浄瑠璃、歌舞伎、絵本等、その後も長い間、様々な形で取り上げられたわけである。
日本人が、このようなあだ討ち物、滅びゆく物に共感を覚えるのは、千年前も同じらしい。曽我贔屓は、判官贔屓と同じ意味である。曽我物語がなかったら、赤穂浪士の討ち入りの話も、こんなに有名になったか?
写真は、中央が鳥居と神社、左が河津三郎が持ち上げたとされる力石、右が、兄弟の像である。小ぶりではあるが、歴史を感じさせる神社だ。神社の祠の中には、元の神社(小さい)が収められている。