かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

筑紫と南島

2023年01月13日 | Books
今日は、この時期にしては、過ごしやすい1日。
ゴルフだったが、スコアはふつう。



本書は、角川選書の地域の古代日本シリーズの、筑紫・南島編。
と言っても、九州全体に話が及んでおり、なぜ筑紫という名を題名に使ったかは、よくわからない。
当初九州全体を筑紫島と呼んでいたが、その概念に、隼人、日向など、南部を含む概念だったのか。

地域の古代と言っても、九州は、古代、中心だった訳で、あまり地域性は感じられない。
特に前半は、稲作やら、青銅器やら、鏡の話で、まさに日本古代史を語る上では、必ず触れられる分野。
古代史が大きく塗り替えられいる中、弥生早期においても、韓国からの文化流入の痕跡が認められるという。
そのころの船のレベルがどれほどのものだったかわからないが、事実は覆せない。

当然宗像氏の話も出ているが、磐井の乱前後の動きを見ると、宗像氏は、朝廷側についており、九州vs朝廷ではなく、九州南部vs朝廷の戦いであったことがわかるという。
これが、朝鮮の百済、新羅に対する距離感との違いと考えれば、整理できる。
そこまで、クリヤーな対立軸が描けていたかはわからないが。
政治的というよりは、より経済的なものだったかもしれない。

終章でやっと南島、つまり屋久島以南の諸島の話が出てくるが、これは、かなりの異文化世界。
かつ、北の方と、中央部と、南部とでもかなり様子が異なる。
研究は、まだ始まったばかりで、これからなのだが、海に囲まれていることから、土器文化は深化せず、貝文化が栄え、その貝を中心にした交易が栄えたと考えられるという。
唐の古銭なども見つかっているというから、中国との直接の交易もあったと考えられる。
一方、島間の移動手段が、どの程度のものだったかわからず、交流の痕跡はあるものの、その深さについての研究は、これからだ。
クラウドファンディングで、当時の技術で制作可能であった葦舟で島間を移動しようと試みたプロジェクトがあったが、見事に失敗した。
海流が早く、予想より、時間がかかったため、沈んでしまった。

ということは、木製だったのか。
しかし、良質な木が取れる地区ではなく、木を彫る技術も未発達の中、可能だったのか。
わからないことだらけだ。

最後に阿蘇という名についてのエッセイが載っている。
確かに、南方系の言葉を想起させる名だ。
シンガポール時代、ティーレディがアソウさんと呼ばれていたのを思い出した。
固有名詞だったのか、職業としての呼び名だったのか。

各章において、深堀りした解説が読めるので、ひじょうに面白いシリーズだ。
続編が楽しみ。
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