検察庁法の改正問題そして創価学会など

検察官という仕事がある。これは悪いことをした人(その疑いがあるケースも含めて)を裁判に掛けるかどうかを判断し、必要であればしょっ引くことができるという言ってみれば「正義を守るヒーロー」だ。
いわゆる三権分立というのは立法(国会がになう)、行政(内閣が)、司法(裁判所が)の三つが分立しているのが民主国家(近代国家)の原則をさす。だから検察官というのは行政職にはいるのだが、ことの性格上司法権の一翼をになうという意味もあるのではないか。

この検察官のポスト(特に上級の)は内閣の任命によることをはっきりさせるというのが今問題の「検察庁法改正問題」だ。これが社会的に急速にクローズアップされてきた。すなわちこういう権力分立の原則をおびやかす政治は許せないということ。これまでにない動きなのではないだろうか。

しかし、例によって安倍政府は国民の批判や指摘はナンジャラホイの姿勢で「今国会で成立させる」という方針らしい。

この数年、森友・加計問題、そして今回の検察庁法の改正など、安倍首相の政治を私物化して恥じない姿勢がものすごくロコツになっている。そしていうことは「ていねいに説明し議論して…」だ。自分の発言が実際の政治行動と矛盾していると思わないのだろうか。

なかでも非常に気になるのは、公明党の態度だ。
今日、知人から創価学会の池田大作さんの詩が紹介された。今日は、ナイチンゲールの生誕の日で「国際看護師の日」であり、これを記念して池田さんが2000年のこの日「命守る尊き皆様に感謝」と詠んだ詩を紹介してくれた。

私はこの詩を読み「こんなにいい詩を詠んだ池田さんの後輩たちがどうして自民党の尻馬にのっているのでしょう」とメールをした。公明党は創価学会と表裏の関係にあるのではないか。その公明党が自民党の提灯持ちの役割しかしていない。
検察庁法問題に関連しているかどうかはともかくとして、最近の政治的な動きについての感想の一つである。

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