来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
AKB48総選挙と現実の政治
日頃、スター・タレント界にほとんど興味知識関心のない私ごときも、NHKニュースでこの総選挙が報じられて驚きの感を禁じ得ない。
AKB48というスターたちが登場してきた経緯とか、この若い女性たちのグループの常日頃の行動が非常に「普通」であって、誰もが「会いに行けるアイドル」というコンセプトをもっていて、遠い所にいるのではなく、ごく身近にいるアイドルというコンセプトなど、ファンの年齢層にあまり偏りがないなどとニュース番組で知った。だからこの選抜総選挙がいわば「国民的社会的現象」に通じるのだということについて、ある種の共感すらもつ。
投票した人が、自分の一票で「変えられる」という実感を抱くことができる、この実感は現実の政治では無縁だとのこと。政治の世界では、自分の一票などほとんど無きに等しい、それに比べるとAKB48の総選挙への関わり感ははるかに充実しているし達成感はあるし、投票が身近である、とNHKのアナウンサーは説いていた。
こういう「対比」も、ある側面を分析する点では当たっているのかも知れないが、若者たち(だけでなく3分の1以上の有権者も)政治に関心を持たない。自ら愚民レベルに落ちこんでいっていないのか、とすら思う。
消費税を大幅にアップさせる政権主流、原発反対の声が多いのにどんどんこの再稼働を促す政府とそのグループ、これに対する反対立場の野党勢力はゴミのように小さく、その発言はまったくマスコミ上では出てこない。
AKB総選挙で誰が一位になっても全く大勢に影響はないが、政治勢力の動きはこれからの国民の生活に重大な影響を及ぼす。
都会の一隅で、そういう事情をなさけないと嘆じている。「一隅を照らす」力だけでしかない、あるいは一隅も照らしていない。伝教大師の「一隅を照らす」思いをヒントとして。
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