来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
ベビーシッター事件に思う
またも可哀想な事件だ。ベビーシッターに預けた子どもがいわば「殺されてしまった」という。このニュースを聞いて「どうしてこんな訳の分からないベビーシッターなんかにわが子を預けるのか」という疑問と親への非難の気持ちがわき起こる。
しかしちょっとひるがえってわが体験を思い出す。私も、今はもう40年以上前のことだが、3人の子どもを育てながら共働きを続けた。「赤ちゃん保育園」が(今もそうだが)必ずしもおいそれとは見つけられない。あったにしても遠い。
働らき続けるためには、子どもをどこかに誰かに預かってもらわなければならない。近くのおかみさんが、今でいうベビーシッターの役を引き受けてくれた。
あるとき、仕事を終えて彼女の家に行くと、すごい泣き声が聞こえる。あわてて部屋の飛び込んでわが子を抱きかかえて帰宅するということが、自分も妻も何度か体験した。そんなことを経て、父母たちと「ポストの数ほど保育所を」という運動を進め、ベビーシッターのお世話にならなくて済んだのだが、今問題になっているベビーシッターの件も、こういったケースとつながっているのではないか。
なんども記したのだが、政府も与党も「安心して女性も働けるように」とウマイことを言っているのだが、その前提が整備されていない。すなわち子どもを安心して育てることのできる社会的条件の整備である。保育条件(保育園)。
政治家諸兄姉、本当に体をはって「安心して子育てと働らくことのできる条件」をつくるために頑張って欲しい。多分地方議員も必死になって頑張れば成果をあげることができると思うのだが、どうだろう。
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