「ねこもしゃくしも」

これは、何もかも、といった意味の語で、以前から知ってはいた。漢字で書けば、「猫」も「杓子」も、だろうと思っていたが、あの猫と杓子が組み合わさって、どうして「何もかも」という意味になるのか、は考えたことも無かった。
昔からの用語は、どこかで妙な関係でつながってできてくるのだろう、ぐらいの認識だった。「おとなのための知的雑学」という書物を一年ほど前に買って書棚に入れていたが、それを整理しようと取り出して開いたページにこの語があった。

猫でなくて「禰宜の子」を意味する禰子(ねこ)なのだという。禰宜は、神社の神主。神主の子だから、神社の信徒のことなのだ。
そして杓子でなく、釈子をいうのだそうだ。つまり釈尊(シャカ)の子を意味する言葉で仏教徒を指すのだとか。
つまり「ねこもしゃくしも」は、神社の信徒も仏教の信者も、という意味。

猫も杓子もどこにでもいるし、どこにでもある、だから、この二つの組み合わせでも意味は通るのだが、その猫も、米作りが始まったころ(弥生時代)から飼われていたし、杓子も昔からあったのだから、この二つの組み合わせの語でも通じるのだろうが、やはり神社の信徒も仏教徒も、の意味の方が自然の感がする。
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