「おもてなし」の心とゴミ箱

2020年の東京オリンピックに向けて、日本人の心として「おもてなし」がいわばキーワードになりかかっている。外から来た人たち、それが日本人であれ外国人であれ、私たちはその人たちへの親切な態度をとることがおもてなしの基本であろう。もちろん、笑顔で接するとか、挨拶や困っていると思われたらヘルプの態度をとるとか、「おもてなし」の具体的な表し方は多岐にわたるだろう。

例えば、2年前に京都に旅行した。その時、かなり困ったのはゴミ箱がないことだった。知らない所、不案内であったこともあるだろうが、札幌などで当たり前にあるゴミ箱が全く見つけることができなかった。見つけ方が悪いということだったかも知れない。もしそうであれば京都の町にゴメンなさいというのだが。
「自分のゴミは自分が責任をもって始末する」という建前はいいのだが、それにしても捨てたくなるゴミというのは意外にあるのではないだろうか。
札幌では例えば駅(JRでも地下鉄でも)の待合所か人の通る所にちょっと気をつけるとゴミ箱はある。これに慣れていた私など京都の町でちょっと捨てたいゴミを捨てることができず持ち続けることになった。つまらない話かも知れないが、これが妙にもともと好きだった京都に対して「減点」の気持ちになったことは否めない。

だから「おもてなし」は、こういうことも含めて外から来た人の気持ちが萎えないような小さい準備をすることがまず必要なのではないだろうか。

ある面での有効な措置は、逆にマイナスに働くことはある。家庭のゴミを捨てると少し費用が浮く、という不心得者が出るとか。
札幌などにもそういうマイナス面もあるだろうから、今後このゴミ箱はどうなるか分からないが、私はまず「おもてなし」の最初の第一歩として設置し続けて欲しいと思う。

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