「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

逗子市沼間(2) 神武寺へ

2024-07-15 19:30:28 | あちこち見て歩く
SNSに比べたら面倒なので、放置気味なブログ。とりあえず再開。

逗子ということで、再びキマグレン♪

リメンバー♪

JR東逗子駅踏切北側、いきなりの急坂。



どんどん登っちゃうよ。


前回お話したように、今より暖かかった縄文時代の海進期には、逗子も鎌倉も現在その中心部となっているところは入り江だった。恐ろしいねえ。温暖化ってこういうことなのか?


【横須賀市】

前回行った逗子アーデンヒル(下の画像の左側の丸で囲んだところ)や、県営住宅(右側の丸で囲んだところ)は古逗子湾の南側の山である。


私が今立っているところは、古逗子湾の北側の山の斜面である。

その間にある低地は、かつては海水が入っていた。

その山の上の住宅街をどんどん上がる。


この住宅の並びの一番奥がここ(↓)。


階段を下りる。かなり急な階段だ。


すると参道に出る。

ここが神武寺の表参道ね。


表参道を上がって神武寺にお参りして、沼間参道を下って帰る予定だ。

メレル社のモアブ3ミッドはますます快調。


かなり山深いですよ。


鎌倉や三浦半島に多い石だ(↓)。


房総半島でも同じような凝灰岩がよく出るらしい。

三浦半島と房総半島は似ているところがあるね。

柔らかく、表面がぬるぬるしやすい石。基本的にこんな石ばかりのこのあたり。

足元を気を付けて。


ここからは昔の参道っぽくなって来るよ。


人が誰も来ないわ。

本格的にハイキングしようという人が長距離を歩いて来るか、それ以外は、神武寺の檀信徒が通るくらいかな。でも最近の檀信徒は、サッとクルマで舗装された沼間参道を上がってしまうらしい。


頼朝もここ神武寺にお参りしたらしいが、これじゃあね、観光客なんて来ないよね(笑)。

でももし神武寺が鎌倉市内にあったら、結構な数の人が来るんだろうね。

変なスポットに行ってないで、住所区分なんて無関係に、こういう面白いところへもっと行けばいいのにと思うが、こういうところは一般的にウケが良くない(笑)。

さらに楽しいのはここからだ。


迫力ある参道。

これぞお寺参り。


大山阿夫利神社みたいにハードじゃないし。

でもどこか荘厳なイメージもあって、良い参道だな。


横の崖も、地面も、よく掘ったよね。

重機もない時代に。

来て良かったな~。まだ参道の途中だけど(笑)。


ここに来るのは18年ぶりくらいかな。

鎌倉市に引っ越してからは、私は一度もここへ来ていない。

こんぴらやぐらへ行きましょう。



やぶの中でちょっと鬱陶しいけど。


こちらがそのやぐらだ。


かなりの規模だよ。


逗子市のホームページによれば、中国北方の長頸瓶や、常滑壺が出土しているらしい。


また表参道に戻る。

変わった標識だね。行き先を示す矢印が下の方についている。


総門。


山門ではないらしい。

総門を反対側から見ましょう。


ここまでは別の参道(沼間参道)でクルマで来ることができる。

ただし檀信徒だけね。ここがその駐車場だ。


山号は医王山。


724年、行基がやって来て創建。天台宗のお寺だ。

平城京の時代ですよ。本当にここまで行基が畿内から来たのかね?

そしてこの山の上までさっき私が登って来た参道をつくり神武寺を建てた? 

杉本寺でも少し怪しいと思う。平城京の時代の鎌倉の山側なんてただのド田舎ですぜ。さらにこの逗子市沼間の山の上って・・・。

仮に杉本寺まで行基が来てそれを建てたとして、「あ~、なんだな、となりの逗子に天台宗でひとつ建てといてくれる?」って修行僧のだれかに託したとか(笑)。

あるいはこの山くらいは見に来たかもしれない。でも参道づくりやお寺の建築は「よきにはからえ」。

参道をつくるだけでも何年かかかりそうなことだし、そんなあちこちのお寺の建築全部に行基が関わっていられないのでは?って思うけど。そうした歴史はよく知らないので、どなたか当時の詳細をご存じの方がいたら教えてください。

完成した参道を楽に歩いて来るだけで私なんて疲れ切っている私だ。当時は大変だったことでしょう。


奥に客殿(本堂)があるが、閉じられている。


檀信徒のみが入れる。

このやり方の方がよほど清いから、私は好きだな。

鐘楼の屋根が見える。


未練たらしくふたたび客殿を覗いてみる。


ここからもう一段高くなったところに先ほどの鐘楼がある。


こちらだ。


美しい建物だね。

湿度が高くなったのか、レンズのフィルターがやたら曇る。

画像が光ってしまうね。

神武寺の森の力?(笑)


さらにもう一段上がる。


もう登りは止めてくれ~。

六地蔵に到着。


まだ上があるよー。


朱の楼門。二階建て構造だ。


横にはナンジャモンジャ。


樹齢400~500年らしい。


楼門には山号が書いてある。


医王山神武寺だね。

旧漢字は「醫」。

楼門を逆側から撮影。


こちらは薬師堂。これは本堂じゃないよ。本堂(客殿)はさきほど見た岩の向こうで、檀信徒以外は進入禁止だったところにある。


解説はこちらをどうぞ。


以前、屋根はかやぶきだったとある。

それも美しかっただろうね。

斜めから撮影。


さらに階段があって、そのままハイキングコースにつながり鷹取山(横須賀市)に行けるらしい。


しかし私はここで終了。


東逗子にクルマが置いてあるからね。

戻らなければならない。


あ、ここからなら客殿(本堂)が見える。


その右手が庫裏なのかな?


ここから(↓)「こんにちは~」なんて堂々と入って行ったら、新しい檀信徒が来たとばかりに歓迎されるかしら。


すごかった。

鎌倉の多くの寺よりよほど古いしね。山岳信仰らしい厳しさがあった。

先ほどの鐘楼がまた見えた。


こちらは檀家さんの墓地。


その横を下る。こちらは沼間参道と言う。登って来たすごい山道が表参道ね。


こちらはコンクリート製の参道で楽々だ。

お寺までクルマで檀信徒さんが上がれるように、こういう道にしたんだろうね。

途中に檀信徒用の駐車場があった。


かなりの傾斜の下り坂を一気に下る。


谷戸の下まで来たよ。ここはもう住宅地。


鎌倉でも逗子でも、谷戸が好きな人は世の中に一定割合いるんだね。



地形的には私も好きだけど、私自身が住んでいるところはまったく違う(笑)。

三井のリパークは昼間は1時間あたり300円。


しかしなあ、ちょっと行ったところにヨークマート東逗子店の無料で広大な駐車場があるのに、ここを使う?

海宝院。いつ見てもかっこいい。


今日は前をそのまま通過。

JR東逗子駅前のチキンノグチ。

鶏肉の惣菜店で、珍しい存在。昔からあるよ。


休業中って話だ。

ヨークマート東逗子店に戻って来た。


よく歩いたわ~。

逗子アーデンヒルに上って下って、神武寺に上って下って。

縄文時代なら、古逗子湾を横切るように泳がないといけないコースだ。

ヨークマートのお弁当を買って帰りましょう。


無料の駐車場。やたら広い。


この駐車場の他に、店舗ビルの地下にも駐車場がある。

はい、こちらがお弁当。


沼間の南から北まで、上がって下りて上がって下りて、めちゃくちゃ歩いた。

ここ最近、お仕事日もお休み日も、毎日結構歩いているなぁ。

これだけ歩けば、かなり食べても許されそう。がっつり行きましょう。
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逗子市沼間(1) 逗子アーデンヒルへ

2024-07-13 12:00:47 | あちこち見て歩く
昨日の国内株式市場は大きく下落したね。

日経平均で1,000円以上の前日比マイナスだ。



昨日の引けで、TOPIXを買ってみた。

逗子だからキマグレン♪

最後の夏♪

お出かけだ。

私達が鎌倉市に引っ越して来る前に住んでいた逗子市沼間ってところに出かける。


久しぶりに見てみたくなったのだ。

御成小学校前を通過する。


九品寺横を通過する。


名越の坂。ごみ処理場の煙突が見える。



名越の処理センターもまもなくその仕事を終える。

すると鎌倉市内にごみを燃焼させる場所はなくなる。

近隣の自治体と共同処理するらしい。それって大災害でもあったら、ごみ処理が他市に引き受けてもらえず困るんじゃないの?なんて思うが、そうでもないらしい。引きうける余力があって金を払えば喜んで引き受ける自治体は多いと某市会議員さんに教えてもらった。

そんなもんなのか?

小坪のトンネル。これを抜けたら逗子市だ。昔はこんなものはなく、人々は名越の切通を歩いて抜けたらしいが。


小坪トンネルがない時代は大変だったろうね。


逗子市内だ。


私は逗子市から鎌倉市へ引っ越して17年半。

逗子市内中心部のビルに記憶があるものもあるし、建て替わってしまっているものもある。


逗子銀座商店街だ。


逗子の貴族みたいな石原良純さんが推薦するピーチロールを売る珠屋さんもここにあるよ。

駅前の大きな魚屋さんである魚佐次。


三盛楼。浪子最中が有名だ。


店主さんとは何度もお会いしたことがある。

京急逗子線の終点は逗子・葉山駅だ。


そんな名前になったのは私が逗子を出てしまってから以後の近年のことで、それまでは昔から逗子駅と呼ばれていたので、私はこの逗子・葉山駅という名前になじみがない。

東逗子のヨークマートの駐車場に駐車した。


ここは無料。少なくとも営業時間中はゲートが空いたままだ。

ってことは、JR東逗子駅周辺のコインパーキングの経営って苦しいだろうねえ。誰も利用しないのでは?

建物も大きいヨークマート東逗子店。


ここはもともとダイエー系のマルエツとして1991年にオープンした。

時代は流れて今はセブン&アイ系のヨークマート。

メレル社モアブ3ミッドで本日も歩きましょう。


キリガヤのモデルハウスだ。


桐ヶ谷は逗子に多い姓だ。

キリガヤは逗子の古い木材店で、四半世紀ほど前にいきなり住宅部門をつくった。湘南地域では施工実績も多い。我が家の近くでも多く見かける。

今の逗子市長もこのキリガヤを経営する桐ヶ谷さんだ。私も逗子市民時代に一度お話したことがある。とても落ちついた良い方だ。風格があるというかな。経営者としての経験が豊かだからかな。

このあたりから東が沼間と呼ばれる地区である。逗子では一番山側というか、東側で横須賀市に近い。


沼間はかつて「沼浜」と呼ばれたらしい。

頼朝のお父さんの義朝が居館をここ沼浜に持っていた。沼浜城と呼ばれた。

逗子でも一番山側なのに、浜ってどういうこと?とも思うが、今より暖かった縄文の海進期には現在の沼間地区の低地にまで入り江が入り込んでいたらしい。


【横須賀市】

ご覧のとおりだ。だからこのあたりの石が独特なのである。凝灰岩が出来て隆起して。「鎌倉石」なんて言うけれど、それが鎌倉や逗子のお寺で参道や階段に使われている。

逗子も入り江が深いが、鎌倉なんて中心部は当時はほとんど入り江だ。縄文期からしたら、鶴岡八幡宮その他全体が歴史的には新しいものなのである。縄文時代から延々と神話じみたストーリーが背景にある諏訪大社ってやっぱりすごいな。

注目は大船湾だね。現在海から遠く内陸であるにもかかわらず、水害に悩まされて来た鎌倉市内の柏尾川沿いの地区。これを見るとその理由がよくわかる。

この斜めの建物は以前は床屋さんだった。建物全体が斜めなのに、開閉すべき扉だけは水平なのが面白い。


この前を通るのは県道だ。

このあたりでは一番低い土地がここで、縄文期はここまで海水が来ていたのだろうねえ。

あ、アリス・ウォーターが逗子文化プラザなぎさホールに来たらしい。


なんで?(笑)。

私はこの人のレシピ集を持っているよ。

五霊神社だ。御霊神社じゃない。


ここはイチョウが有名である。


台風のあとなんて、ギンナンを取りにみんなやって来る。


氏子さんも多い。


康楽だ。昔からこの位置にある。建物は変わったけどね。


ほら、先ほどご紹介したモデルハウスのキリガヤと同じく酒屋さんのきりがや。


昔はよくここで日本酒を買ったよ(笑)。

逗子アーデンヒルの入口だ。


私がかつて住んでいた住宅地だ。

右手(↓)に見える坂を上がれば、その住宅地に到着する。

左には県道があって、右手には坂。真ん中に変な空地というか道があるでしょう?


これが何か、ご存じの方は少ないと思う。ここの住人でも少ないよ。

これは以前からなんども紹介している水道みちの一部だ。だから中途半端に細長く空いているのだ。言われてみれば不思議な空間でしょ?

神奈川県の北の方の水源から流れて来て、鎌倉市で異なる水系が合流し、それは逗子に入り、ここを流れて向こうに見えている山を抜けて横須賀の軍港に到達し、海軍に必要な水道として貢献した。

さて、ここからが逗子アーデンヒルの始まりである。


バブル期に開発された住宅地で、歩道部分は全部こんなタイルが貼ってある。

しかし修理する時はこうなる(↓)のでバカみたいだ。


住宅地なんてものは、なんでも永続可能性が高い材料を使わないといけないと思う。

たびたび修理して使うものだからね。

右手の階段。階段の上は空地だ。それもかなり広大な。


バブル期に丸紅がこの住宅地を開発した。その時に丸紅と逗子市が交わした約束は、小学校建設予定地を無償提供するということだった。それがこの広大な空地(↓)である。

ところが1990年代に入り日本は停滞期に入り、人口減も始まり、小学校の建設なんてことは必要なくなったのだ。



その後逗子市はここに大規模病院を誘致しようとした。しかし逗子アーデンヒルの住民は「それは約束が違う」と言い出した。病院ができると一般車両がどんどんこの住宅地に流入することとなり、救急車もサイレンを鳴らしてどんどん入って来るからね。

病院に来てほしくない逗子アーデンヒルの住民と、来てほしいその他市民は大喧嘩。そりゃ大変だった。ちなみに私は2005年にアーデンヒル自治会副会長を担当しており、あちらを立てればこちらが・・・なんて状況で、もう嫌になっちゃった。

結局大規模病院候補はいくつか現れたのだが、逗子アーデンヒルの住民の強硬姿勢に恐れをなしたのか、その後どこも開業しなかったらしい。したがって空地は小学校も建たず、病院も建たず、ただの空き地のままである。しかしそれから年限が経ち、かつて反対していた住民もかなりのシニア層になり「病院があった方がいいなあ」なんて言っているらしい(笑)。

これが空地(↓)だ。


この画像の黄色い線で囲んだ部(↑)に着目ください。

これがまた面白い(と私は思う)。

それは奥田英朗著の面白い小説「邪魔」の表紙の画像になった。



この事実を知っているのは、おそらくこの本の製作者と私だけ。ここの住民はこんな小説を知らないし(笑)。小説の内容はまったくこの住宅地と関係はないからね。

私はたまたまこの作家が好きで、この小説を手に取って気づいた。初版はたしかにこういう表紙だったが、その後すぐに文庫化され、その表紙は変わってしまった。

何事も観察していると面白いもんだ。

アーデンブリッジに入る。


この住宅地にクルマで入る道はここだけ。

閉じた住宅地なので、無関係なクルマの通過がなくてとにかく静かなのである。


しかしまあ住宅地開発とはいえ、お金の無駄みたいな設計だよね。


ここも例のタイル。


アーデンとは英国の森の名前だ。シェイクスピアの小説にも登場する。

ディベロッパーである丸紅の社員の中に英国好きがいたのだろうと私は想像する。

しかしなぜ丸紅はここをアーデンと名付けようと思ったのだろう?? かなり不思議なネーミングだ。

私は自分の家の土地を丸紅から購入したので、その時の丸紅の担当者にそれを尋ねた。「なぜわざわざアーデンと名付けたの?」と。しかしその担当者はまったくそれを知らなかった。自分が販売する土地くらい、なぜ自社がそう名付けたかという背景くらいはお客に説明しなさいよ。

懐かしいこの遊歩道(↓)。


生前の両親が一時期仮住まいとして、数カ月ここに住んでいた。

その時父とよく散歩したのがこの遊歩道で、ここはムクゲや大島桜が楽しめる。

ムクゲを見ると私は父を思い出す。

このあたり(↓)は三井不動産が建売した地区だ。


これが住宅地内のメインストリートね。


両側ともケヤキだ。

この住宅地の1区画を私が購入した理由は、ここが建築協定をしっかりと定めていたからだ。土地の分割は法的に不可である。さらに住宅の建て方についても定めが細かくあった。日本ではかなり稀な住宅地だったのだ。

この前に住んでいたところは、隣地にいきなりカラオケスナックが出来て、大変だったのだ。

日本は土地の用途を分離させない。工場も商店も住宅地も農地もみんなごちゃごちゃなところが多い。

我が家はこの先にあった。


この住宅地の特徴のひとつはアガパンサスが咲いていること・・・ではなくって、電柱が茶色に塗られて、道路から外して配置されていること。


茶色に塗られると、少しは景観上落ちついた感じになる。

しないよりはまし、くらいの程度だが。

でも道路にはみ出てないのはとても助かる。

ごみステーションも道路から外してある。


これはいいね。

またバブル期以降の住宅地なので、門灯がほとんどの家にある。


防犯上、これはかなり効果があると警察官もおっしゃっていた。


それではどんどんこの住宅地を歩きましょう。


計画的に植栽は多く植えられているし、歩道が潤沢で、散歩していても気持ちがいいですよ。


ただしいわゆる新興住宅地風であり、いかにも「作りました」感があるのは否めない。


遊歩道も設けてある。

それもかなり多い。


中央の公園。


また遊歩道。


メイン・ストリートに戻る。


こちらは中学校。つくりが大げさだよね(笑)。


この中学校のあたりがこの住宅地のピークで、ここから先は下がる。


もうちょっとで逗子アーデンヒルのご紹介も終わりだ。

私には、ひたすら懐かしい場所だ。


これが最後の画像(↓)ね。


ここから公園に入る。



そして公園を出たら、もうそこは逗子アーデンヒルの外。



集合住宅がある。


クラゲマークだ。つまり神奈川県営住宅ってことね。


とても綺麗で人気があるらしいよ。

いつも満室状態でなかなか入れない。

そこから下る。


沼間って、先に解説したとおり本当に「沼浜」で、逗子アーデンヒルがあった高台から降りるとそこの低地が縄文期の海進地域で入り江になっていたみたいで、そこからまた先は高い山になっている。海面が高い時代には、山に挟まれた入り江だったわけね。

昔は文法的にかなりおかしな「犬のフン禁止」の看板があったんだが、それはなくなって新しいものに切り替えられたみたい。


でも「犬のフン禁止」も厳格に言うと変だね。

公道上での犬のフンを禁止する国なんて存在しない。犬はそれをする。

「犬のフンの放置禁止」がいいんじゃないかな。ってうるさい?(笑)

はい、降りてきました。沼間交番。


私は路上に落ちていた財布を拾い、この交番に届けたことがある。

手続きをしているうちに、落とし主が交番に現れ無事財布をお返しすることができた。

1割のお礼を拒絶したら、後日落とし主さんからお菓子が届けられた。こういうのはありがたく頂きましょう。

右側が県道で、左側、私が立っているのが先に説明した海軍の水道みちの一部である。逗子も鎌倉も水道みちだらけなのだ。


これがその水道みちね。



これをずっと西へ行けば名越隧道を抜け、鎌倉市へ送水管が通じている。

東へ行けば先に解説した逗子アーデンヒル横のへんてこりんな空地を抜けて横須賀市へ送水管が通じている。

ここは水道みちの一本北側の小道。


水道みちはたいてい海軍があとから強引に作った道が多く、並行してもっと古くからの道があることが多い。

JR東逗子駅。


真鶴駅といい勝負の小ささ。

公衆トイレがありますよ。


ちょっと立ち寄った。

こちらは逗子が本社のスーパー・スズキヤ東逗子店。


小さいけどね、面白いよ。

【つづく】
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お寺ってそもそも何?と考える@鎌倉七里ガ浜

2024-07-11 13:12:01 | 本/音楽/映画
ルーサー・ヴァンドロスの歌をどうぞ。

A House Is Not a Home ♪

よくお聴きくださいね。

この人、技巧を極めている。歌界の匠(笑)。

バート・バカラックの名曲をとてもゆっくり歌う。

あっちやこっちと寄り道しながらみたいな歌い方が楽しい。

私はこの曲が大好きなんです。

A chair is still a chair
Even when there's no one sitting there
But a chair is not a house
And a house is not a home
When there's no one there to hold you tight
And no one there you can kiss good night

「椅子はどうあっても椅子だけど、家はあなたを大事にしてくれる人がそこにいなければ家じゃない」ってな感じの歌だ。

本日の話は「境内があってそこに本堂やナントカ像があるだけじゃ寺じゃないよ」って話である。

西友のオリジナル製品のポテトチップス。

フライドチキン味とチーズバーガー味。


これが結構イケる。

オリジナル製品で「みなさまのお墨付き」ってやつですよ。

スーパーのPB製品を嫌う方も多いが、普通だと思う。スーパーがその製品を作っているわけではないし。

誰もがご存じのメーカーが製造してスーパーに納入していて、大量に販売してくれるという条件と引き換えに、相当安価にスーパーに納入しているので、我々にとってのスーパーでの購入価格も安い。

これはカルビーが製造している。

次。こちらもイケる。

すでにご紹介したことがあるが、こちらの西友ブランドもいいよ。

どっちもおいしいが、本日は左のを食べましょう。


鴨だしそばだ。

東洋水産グループの酒悦が作っているね。

お湯を注いで待つ。そして特性の油を上からかける。


ちょっとお湯が少なかったなあ。

なぜだろう。線のところまで入れたはずなのに。

この香りがいい。

ごま油が入ったそばっておいしいですよね。それが楽しめる。


おつゆまで飲んじゃう。

最近の私のお気に入りであるエミン・ユルマズさん。

いつも解説がすごく面白い。情報発信も多いしね。

エブリシング・バブル(プレジデント社)。


少しでも関心がある方、読むなら今すぐにどうぞ。

今の話、近い未来の話だからね。

私はさっぱり金融市場がわからなくなり、日本株の個別銘柄を売った。今も持っているのは一銘柄だけだ。

日本株に関して持っているのは市場の指数だけである。指数なら逃げる時も買う時も、動く時はさっさと動ける。

その次は、慶応大学の中島隆信先生が書いたお寺の経済学(東洋経済新報社)。


こんな先生らしいよ。



第2章 すべては檀家制度からはじまった。


そうよ。この本だけじゃないね。あちこちの本に書いてあるが、お寺のことを歴史を遡って調べると、江戸時代の前と江戸時代以降でお寺はガラッと変わるね。

お寺の情報のうち、創建当時の情報、例えば開山が誰で宗派が何でその寺が生まれた当時の政治的背景等、あるいは逆に現在の境内の様子やそこにある宝物などに、私はあまり興味はない。必要な時はガイドブックを読めばいい。

今のお寺の多くは本来のあるべき姿からは程遠く見えるが、それはなぜなのか、そしてお寺が過去から現在へどんな変化を辿り、なぜ変わったのかを知りたいと思って、私はいくつかの本を読んでみた。

江戸時代の前はよほど高貴な貴族か武家しかお寺に墓を持つことはなく、ほとんどの人は死ねば共同墓地とも言うべき場所に土葬で埋められて終わりだった。その場所はどちらかと言えば忌み嫌われるところだったから、墓石を建ててその後は墓参りしてなんて習慣も一般的には存在しなかった。

またお寺は一般人の葬式には絡まなかった。僧が立ち会って葬式なんてしなかったし僧が一般人に戒名を授けることもなかった。四十九日も三回忌も何もない。それくらいだから、お寺に一般人の墓なんてなかったのである。

我が家の近所にもたくさんお寺の墓地があるけどね、こういう状況は長い歴史の中では江戸時代以降に徐々に出て来た新しいものらしい。「創建は平安時代の西暦〇〇〇年ですごく古いんだぞ」なんてよくお寺は言うしそれは事実なんだろうが、お寺はずっと同じだったわけではなく、長い間にはその変わり方も相当なものだったのだ。



徳川幕府にとってはキリシタンとお寺が2大抵抗勢力になりうる存在であり、それを排除し支配すべく、幕府は動いた。キリスト教信仰は禁止し、すべての人をどこかのお寺に必ず帰属させ、お寺にそれを監視するように定めた。そして幕府のために働くことになったお寺には飴を与えた。

それまでは一般人の葬式や墓等には全く係わらず、救いを与え教義を伝えることをもっぱら使命としていたいただけのアカデミックなお寺は、江戸幕府が敷いた体制に服従する形で、幕府のキリシタン弾圧の片棒をかつぎ、その見返りとしてすべての人を檀家としてどこかのお寺に迎え入れるという特権をもらい、その檀家の世話をすることを生きる糧にしたのだった。

あらゆる人が檀家として制度上お寺に従うしかなくなった。檀家は葬式やその他の法要やお墓の管理をお寺にお願いし、お寺が定期的に催す行事に参加し、その都度お寺は寄付やお布施を檀家に要求するという関係が成立して行く。それが江戸時代だ。

そうなるとお墓はお寺の中の墓地につくった方が便利になり、そこから一般人のお墓もお寺の墓地内に入ることとなる。そうなると土地の広さが限られて来るから、土葬が火葬に切り替わり、個人別墓も無理になって「〇〇家の墓」って家単位の墓が出来て、ごく最近のと同じ形式が整う。

それまではお寺とは無関係に村はずれの共同埋葬所に土葬されて終わりだった一般人の死についても「良い戒名をもらわないと成仏できませんよ」なんてお寺が急に言い始めるのが江戸時代の途中からだ(笑)。そのためにはお金を寄越せとなり、法要やお寺の行事が頻繁におこなわれるようになり檀家を寺に集め、寄付を強要し、墓参りなんて習慣も出て来るのだった。檀家はそれを拒絶できない。どこかのお寺に帰属していないとキリシタン扱いされてしまうから。

「葬式仏教」なんて言葉があるが、日本独特のそれも江戸時代以降の目新しい形なのだね。


こうして江戸時代に始まり徐々に形を整えた檀家制度で、ガラッと変わったお寺であり墓であったけれど、それがまたついこの前から、20世紀後半以降、急速に変わって来ている。

檀家制度は、少子化時代や人の流動化時代に合わないからだ。人が生まれ育った同じ場所に一生留まり、親戚もみんな近所にいて、檀家としてお寺を親戚一同で支えている間はいい。しかし少子化でどんどん檀家のメンバー数が少なくなり、流動化でひとり息子が米国に行って米国人女性と結婚して帰国するつもりはなく、妻の米国人女性は当然個人主義で「日本の『〇〇家の墓』なんて集合住宅みたいな墓なんて入りませーーん」と言う。そんな時代に、檀家制度によってお寺を維持することは難しくなる。

恐ろしく長い仏教の歴史からしたら、直近400年ほどの間に生まれて徐々に整ったが、早くも崩壊しつつある制度(=檀家制度)に囚われることなどなく、私は私の両親を「葬式無し、戒名無し、墓すら無し(=海洋葬)」で見送ることができて良かったと思っている。両親の理解があってのことだが。私の両親はあっさりしている(笑)。

私がこの「無し・無し・無し」を説明すると、「あなたは進歩的と言うか、よくそこまで踏み切ったねえ」と驚く人が多いのだが、お寺の長い歴史を見ると、私の「無し・無し・無し」の方が江戸時代以前の一般人の葬り方に近い。つまり現在世の中で一般的な方法よりも、私の「無し・無し・無し」がより保守的で古来のやり方を踏襲していると言えなくもないよ(笑)。

お寺も結局はその時代の権力者に忖度してなんとか生き延びて来た。さて、これからお寺はどうなるのでしょう。一般に言われる分類に従うと、大きく分けて現在のお寺は以下の三種類に分かれるらしい。これはどこの本にも書いてあることだから正しいのだろう。

1.檀家寺
2.信者寺
3.観光寺

ただし明確に1. 2. 3.と分かれるわけではなく、重なっていることが多い。巨大な有名寺なんて、たいてい複数の性格を兼ね備えているからね。

1.はわかる。江戸時代以降は多くの人が檀家として基本的にそれに従ってきた。檀家のためのお寺だ。下の画像のとおり、建長寺境内西側を行くとこんな道があり、左側に龍峰院、天源院、正統院他の塔頭が並んでいる。そこはみんな檀信徒以外には閉じている。



したがって中の見学や撮影ができないものだから、観光客は「お高くとまってる」なんて文句を言うが、私はむしろそれくらいの方が、江戸時代以降の本来の寺の役割を果たすことに徹していて良いと思う。

尤もそれすらも、タイやカンボジアあたりの仏教のお寺とはずいぶん違うけれどね。「日本の寺ってなんでもありなんですね」と戒律が厳しいタイの仏教関係者は日本のお寺の現状を笑うらしい。妻帯や肉食をする住職が、お寺を世襲で継いでいることも多いから。そもそも妻帯がなければ、世襲もあり得ない。

つまりは日本の住職は聖人ではないわけで、ギョギョッとするような大金を払って、聖人でもない住職から「成仏するために」頂く戒名っていったい何だろうか?などと考えてしまう。

「私から戒名をもらわないと成仏なんてできないよ」と肉食&妻帯の非聖人である住職は言うが、そもそも戒名を授けるなんて日本以外のお寺じゃ存在しない習慣だろう。沖縄県でもほぼ存在しない。ましてやそれに大金を包むだなんて。「そんなことをしないタイの仏教徒は成仏できないのか?」と私は逆に、日本の住職に尋ねてみたい(笑)。

檀家制度自体が壊れ始めているが、それはひどくなるばかりで廃寺に追い込まれるところがこれからは増えて来る。先に述べたとおり、少子化と流動化のためそれは避けられない。お寺の中の墓地は、今や墓じまいだらけである。そこでお寺は檀家からますますお金をとろうとして、悪循環に陥っている。檀家寺の将来はあまり明るくない。

2.の信者寺は、それこそ寺そのもだろう。

善光寺が典型だ(ただし善光寺は檀家寺でも観光寺でもあるが)。檀家制度なんて江戸時代以降の話。庶民にとって、自分や親族の葬式や墓について、かつてお寺は関係がなかった。お寺と庶民の関係は信仰に関わるところだけだった。


遠くからでも善光寺なんて信者がやって来る。

それこそ本来のお寺だと思う。しかしこのレベルになるには相当な努力を必要としそうだ。

ところで話が逸れるけれど、この画像(↓)いいでしょう?


2022年の暮れの画像だ。ピカピカだよ。

さて話を戻して、存在としてもっとも不思議なのは、3. 観光寺だ。

お寺も生き残りを図らないといけないだろう。だからいろいろとやり方を混ぜないといけないのはわかる。檀家寺でありながら観光客も招き入れるのも、ある程度は仕方ないだろう。

しかしほとんど観光業専業で観光寺化している寺って、寺としてどんな意味があるんだろうか? 

1.江戸時代以前からある信徒のためのお寺
2.江戸時代以降の檀家制度
3.昭和半ば以降の檀家制度の崩壊

観光寺が専業であるかに見えるお寺ってそのいずれのステージとも違って、もはやお寺の意味がよくわからない存在のように思う。

檀家や信徒に対し信仰の力や教義を説き交わすことから離れ、本来の信仰からは相当かけ離れた動機の観光客を大量に招き入れ、満開の紫陽花や貴重そうな仏像を見せて、出来たばかりの〇〇地蔵をあちこちに置いて「インスタ映え」を心がけSNSを発信することに専心して、拝観料を集めその他のグッズ提供に徹する。観光の要素も少しはあって良いとは思うのだが、それがほとんど本業のようになってしまっている場合は、もはや寺としての意味がないように思う。

決定的に悲惨なことは、いくつかの極端な観光寺が、教義の普及や救いを人々に与え信徒を増やすこと(つまりお寺本来の社会貢献)に関心をほとんど失っていることである。なぜならそれは手間がかかるが、収入は少ないからね。本来のお寺の役割を果たすよりも、墓を整備するよりも、境内に紫陽花や桜でもいっぱい植えて世話した方が経済性に優るのだ。年間何万人かの観光客を集めた方が儲かるから。しかしそれってもはや本質的にお寺ではない。

観光寺の真新しい〇〇地蔵を見て「本当に癒されました💛 境内にある〇〇地蔵を全部みつけたので、恋愛成就かもかも」などとインターネット上のあちこちに書いてあって、それはその人の感じ方だから自由だけれど、その「癒し」とはどこから来るものなのだろうか? その〇〇地蔵が、仮に鎌倉の古刹ではなく、都内原宿の竹下通りにあっても効果は同じではないかと私は不思議に思うのだ。

さて、妻が実家から戻る予定なので、豚ひき肉を調味料とともに炒め始めましょう。


並行して麺を茹でる。

辛くて甘いひき肉の出来上がり。


それ以外はすでに準備してあるので、あとは盛り付けるだけ。

完成です。

冷やし豆乳担々麺(ただしうどん)。


豆板醤、辣油、花椒で舌が辛さにまみれる。



これが晩御飯(笑)。
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地味で暑い1日@鎌倉七里ガ浜

2024-07-10 00:00:28 | 
雨がわずかだけぱらついた。


乾いてもらわないと困るんだよねー。

芝刈りしないといけないから。


芝刈りをしようと思っていると、直前に雨が降る。

芝刈りをするので、出来れば曇ったままでいてほしい(涼しいから)が、それだと芝生についた雨滴がなかなか乾かない。

結局この季節はいつも炎天下に芝刈りだ。


濡れた傘も干しましょう。


22年前に買った丸善(MARUZEN)の傘。とても長持ちだ。


多少高いけれど、22年使えばもとはとれる。

乾いたらくるくると細くしっかり巻いて片づけましょう。


さて、大嫌いな芝刈りを始めよう。


雨天のあとだ。

隅っこに行くと、蚊がいっぱい飛び出してきた。



一旦退却。

虫よけを首と腕にかける。ムヒも用意する。



どんどん芝刈りする。汗だくだ。


僅かな作業でも吹き出す汗。

これで芝刈り機作業は終わりかな。


汗を拭き拭き、わずかな面積でも40分くらいはやってたかな。

暑いと体は疲れるけれど運動不足になりがちだから、芝刈りでそれを補える。

芝を順番に捨てながら。


あとはバリカンで細部の作業。


芝刈の日のランチは、簡単にソース焼きそばと決まっている。

日清だよ。



サッと作ろう、サッと。

ほらできた。


おいしいねぇ。

よくまあこんなに安くておいしいものを開発したもんだね。


あ、東側の窓から辛うじてわずかな量の日差しがかなり上の角度から入って、床に到着している。


そしてそこからバウンドし、天井へ。


妻は外出し、夕方まで戻らないそうだ。

「晩御飯も軽いのをよろしくね」と依頼されてしまった。

精進料理の基本中の基本、軽いけんちん汁を作りましょうか。


我が家では晩御飯をつくる人は、翌日の朝ごはんのうち、前日でもできる部分を作っておくという決まりになっている。

ゆで卵を作る。あとはサラダやハムとか?


さてけんちん汁を始めましょう。

精進だしはこの二つ。

昆布と干しシイタケ。


以前に書いたとおり、鎌倉時代前半に昆布が鎌倉にしっかりと普及していたかどうかは、かなり怪しい。

明らかにその頃なかったのはニンジンである。アジア系ニンジンが日本に入るのは江戸時代の途中からであり、今我々が食べている欧州系ニンジンはそれより後から日本に入っている。ゴボウは当時あったかもしれないが、これも原産地は遠く平安時代には日本に来たらしいが、鎌倉にそれがあったかどうかは相当怪しい。

だとすると、けんちん汁が伝説のとおりに建長寺の開山蘭渓道隆様が作ったものだと仮定して、その内容はいったいどういうものだったのか?というのが私の昨年からの最大の疑問である。


しっかり精進だしをとりましょう。



暑過ぎるからアイスクリームを食べましょう。



ごま油でゴボウ、ニンジン、こんにゃくを炒める。


もはやなんでも適当。

精進だしを加え、水も加え、醤油。

そして煮る。


大根も煮る。

伝説にしたがって豆腐は手で崩す。そして煮る。最後に醤油で調整。


味見してオッケー。


はい、晩御飯だ。

この日は非労働日。朝夕のドガティ君の散歩と西友への買い物でおそらく合計4kmくらいしか歩いていない。あ、でも汗だくで長時間の芝刈りをしたな。

しかしいずれにしろそんなにカロリーを消費するような運動はしておらず、そんな日は少ない食事。現代人に多い栄養過多あるいは運動不足で、バランスを崩したくないからね。

けんちん汁以外は、ごはん(コーン入り)、搾菜、ひじきの煮たの。


昆布と干しシイタケと醤油だけだからねえ。

こんにゃくと豆腐は入るがあとは野菜のみ。

つまり動物性のものが何もない食事。かなりあっさりしている。


でもね、精進料理っていいわ💛

おすすめですよ。

一方で現代風精進的な食べ物。

マンナンライフの蒟蒻畑。


お腹にいいですよ。

爽やかでおいしい♪

マンナンライフ企業CM 30秒
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梅雨の中休み in 鎌倉(3) 稲村ヶ崎洋菓子店のお菓子と佐島漁港の豆アジのから揚げ

2024-07-08 13:04:24 | 食べ物・飲み物
まったくなんて湿度でしょうか。

毎日除湿機に水がいっぱい溜まる。



しかもめちゃくちゃ外は暑い。

妻が「稲村ヶ崎洋菓子店にお菓子を予約したから、それを取りに行け」と私に命じるので、私は行く。

なんと従順な夫でしょう。


でたらめに暑い日(7/5)だね。

大昔に東京都からもらってきたらしいマンホールの蓋もあちちちち。


下の画像で右側が西武不動産が開発した七里ガ浜住宅地。

左側が飯野不動産が開発した住宅地。


どちらも稲村ガ崎5丁目だ。

ここは住宅地内を循環するバスが通る。

そこに稲村ヶ崎洋菓子店がある。


妻に命令されたとおりに購入して来た。

妻は江戸の実家にお出かけ中だ。


帰宅したらこれを食べる計画らしい。

前日に鎌万に行ったことはすでにこのブログに書いた。


魚がいろいろ売られていたねえ。

季節がらシロギスの天ぷらを食べたくなった。でも最近シロギスって鮮魚店でみかけないよね。この日鎌万にはシロギスがあったが、なんとベトナム産だった。

シロギスは沿岸の砂地に住むが、漁獲量が激減しているのは、日本近海の水温上昇の影響が大きいらしい。

加えて海岸の浸食も理由だとか。


みなさん、出来る範囲で温暖化をなんとかしましょう。食習慣からやクルマの利用方法や住宅の設計まで全部関係するのであります。

いかに温暖化を避けるかを何でも考えてできることから実行しないと、シロギスが減るだけじゃなくって地球のあちこちで人が死ぬ。



昨日もすごかったが、今日も暑いね。昨日は静岡市駿河区で40度だとか。ドガティ君が生まれたのがそこだ。

ところで鎌万は、お客である我々が謝罪したいくらいに安い魚が多い。

「こんな少額の支払いでごめんね」みたいな。

買って来たのがこれ。


佐島港に揚がった豆アジだ。安いんだ。

180円だよ。

豆アジとは言え、9尾も入っている。


下の地図で黄色いのが七里ガ浜住宅地、赤いのが佐島漁港だ。



鎌倉市民で、佐島港に魚を買いに行く人は多い。

釣り船も佐島から多く出るので、釣り人にはおなじみの場所である。

私が全部しっかり食べるからね。


包丁は不要だ。

手でエラのところを持って、一気にはらわたまで抜き取る。

このようにね。

これで処理は完成。 


あとは塩して、片栗粉付けて、揚げるだけだ。

ジュワーーっと。


うまそうだ。


サントリーのシークワーサー・サワーを飲みましょう。


ドガティ君も暑いってさ。


キッチンに張り付いて油を舐めるチャンスをうかがうワンコ。

第一陣が揚がった。


レモン液を掛けて食べる。


足りなきゃ塩をかけて。

ドガティ君も食べたそうだ。


頭からしっぽまで全部バリバリッと食べよう。


次をまた揚げる。


サントリーをごくごく飲む。


おいしいわ。

これで最後かな?


ドガティ君は舐める舐める。

とてもおいしいらしい。


これで全部揚がったよ。

おいしく頂きましょう。


これで3回連続の投稿も終了だ。

ここからはおまけ、後半の締めに入る。

夕飯は冷やしキツネうどん。

奥がキツネ。手前は翌朝用のサラダとハムの用意。


ゆで卵も用意する。これも翌朝用だ。


あとはパンやコーヒーやヨーグルトだが、それは明朝用意する。

ドガティ君は暑すぎて体が垂れている。



妻が江戸から帰宅した。

はい、どうぞ、冷やしキツネ。


食後は稲村ケ崎洋菓子店の夏のブラウニーと生姜と檸檬のゼリー。


いつものことながら、良い材料をたっぷり使い、まったく手を抜いてないなあ。



3連続投稿でした。
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梅雨の中休み in 鎌倉(2) 最短ルートを考えたり、あしなやのサンマーメンを食べたりする

2024-07-07 00:00:00 | 食べ物・飲み物
本覚寺に入る。


ハスの花の季節。


このブログによくコメントを下さるyukarillyさんのお宅からもらわれて行ったハスが、この本覚寺で丁寧にお世話されて、毎年このようにキレイに咲いている。


今年もまた楽しませてくれるのですね。


ここに(↓)種が溜まる。その様子を見るのが好きです。


若宮大路沿いのこのお店。


食べ放題飲み放題コースが格安で夜に軽く宴会するには最適だとか。

私は行ったことがないんだけど。

新装松林堂ビルのマーロウ。


いつも賑わっている。

しかしこっち(↓)はどうしたんだろ?


以前は大和証券だったが、それが移転してからはずっと開いたままだ。

鎌倉駅前なのにねえ。もったいない。

その奥はSMBCの銀行と証券。


いつもお世話になります、カルディ鎌倉店。


このすぐ先、鎌倉駅東口交差点角にあら珠というとんかつ屋さんがある。

そこは以前別のお店だったところをあら珠が居抜きで購入して営業しているらしいのだが、その店舗の一部(黄色い破線のところ)が暗渠上の不法占拠状態だとして、話題になっていた。


反対側から見るとこうだね。


たしかに他のビルはすべて若宮大路から4~5m引いている。


衛星画像で見るとこうだ。



黄色い四角が先ほどの店舗の一部。

確かにこの店舗部分だけが飛び出しているね。

長年放置するとこういうことが起こる。急に指摘されても店舗も困る。

市役所さん、しっかりしてよ。

ここもそうだったね。


扇ガ谷地区に源流がある扇川の上の暗渠だ。


で、その後この問題はどうなったんでしょう?

でも今もお店があるから、解決してないのか、市が折れたのか。

暑過ぎるからか、若宮大路も人がいない(笑)。


豊島屋もガランとしている。

際コーポレーションの紅虎餃子房は、同社の別系列に変更。


まだ行ったことがない。

鎌倉にラーメン店は多くなったが、こちら(↓)はまだ新しいお店だ。

ナナメ上をゆく。面白い名前だね。横浜のラーメン店の移転らしい。


このビル(↓)の2階ね。


興味あるんだが、時間が合わないなあ。


三河屋さん。


店舗も古いが、その奥には蔵がある。

このレールはお酒をトロッコで奥の蔵まで運ぶためのもの。


今は使っていないのだろうが、こうしてレールは残っている。


八幡宮沿いを西へ。


こちら(↓)は北鎌倉と鎌倉中心部を結ぶ道路だ。


ここを私は時々徒歩で通る。

それが本日の問題だ。

ここから鎌倉駅に向かうにはそのまままっすぐ小町通り(↓)を抜けるのが最短コースとなる。まっすぐ行けば鎌倉駅だからね。ほとんど直線だ。


暑すぎて、いつもは朝の東京駅丸の内側改札前みたいな状態の小町通りに、この日は人がいない(笑)。

いつもこうならいいんだけれど、小町通りは最も人が集中する通りで、時間帯や曜日によっては前に進むのが大変。

下の地図で私がいるのが一番上。鎌倉駅は一番下。小町通りを抜けるコースは赤線でこれが最短コースだ。しかしこれが混む。そこで人やクルマに悩まされずに江ノ電鎌倉駅にたどりつくコースを確認して、決めておきたい(笑)。今後私はそのルートを歩くことにする。



それが黄色い線だ。今回そのルートを設定した。

このルートは一見複雑だが、そうではない。「なるべく南下するが、道が行きどまりになったら仕方なく右に曲がり、次に南下する道を見つけたらそこを南下する」という法則を貫くと良い。

ただし一度だけ例外があり、それは赤い丸をつけたところ。ここの角だけは左に曲がる。そこ以外は「南下してぶつかったら右に、そしてまたなるべく早く南下」を繰り返すだけ。

小町通りを離れる。


最初の南下。


ぶつかるから、右に曲がる。


すぐ南下。


ぶつかったら右へ。


南下。長い南下。


ここ(↓)が例外で、ちょっとだけ左へ行ってすぐに南下する。


ここ(↑)が赤い丸(↓)のところね。



あとはまた南下して右の繰り返し。


おもしろいでしょ。

おもしろくないですか?(笑)

こんなことを面白がる人はいないのだろうか?

鋭角に右に折れ曲がる。


このコース内で最も鋭角な曲がり方。シャープ!

不思議な路地が多いね。

その先ですぐにまた南下する。


やや長い南下。


ぶつかると右折する。


そしてすぐに南下。川沿いを南下するのだ。


駐車場横を抜ける。


右折して、駐車場の横を進む。


そしてすぐ南下して、今度はJR横須賀線沿いを進む。



右折して鎌倉駅北側の踏切を渡る。


今度は線路の反対側を南下。


ほら、江ノ電鎌倉駅だ。


このコースはいい!(自画自賛)



人にもクルマにも悩まされずにさっさと歩ける。

なにより静かである。

なんとニッチな話が好きなブログでしょうか。多くの人にとって関係がない話ばかり。


若宮大路方面へ移動する。


妻が好きなクローネ・フス。


腹が減った。

朝から妙本寺に行って、そこから市内をぐるぐる。

めちゃくちゃ歩いている。

しかものどが渇いている。

大新(右端)はまだ開いてない。


そういう時は老舗のあしなやへ。


ここは家庭的な店だ。

店員さんがみんなやさしい。ニコニコしてね。

冷たいお水を一気に飲み干す。


お水をもう一杯ほしいと私が言うと、大きなコップでくれた。


やさしいわねえ。

周りは近所の常連さんだらけ。早めの時間帯にここに行くと、近所のシニアな常連さんが多い。みんな静かに食べていて、雰囲気もほんわかしている。

サンマーメン大盛だ。


神奈川の県民食。

サンマーメンってもやし麺みたいなもんだと思うのだが、メニューでは、サンマーメンとは別にもやしソバ(醤油・みそ)ってのがある。サンマーメンは中華風で、もやしソバは醤油あるいは味噌ラーメン風なのかな。


細めでおいしい麺。固めにゆでられている。

スープが上品。あっさりしているが、コクがある。

私が自作するサンマーメンとはスープのタイプが違うね。


こういう上品な作り方が私はできないのよねえ。

ごちそうさまでした。

若宮大路側の裏口から出る。


東急ストアで買い物。


さらに鎌万へ。


豆アジ。


キスにめごち。夏だね。


豆アジを買った。安い買い物だ。180円だよ。

さあ帰りましょう。

浜辺へ漂着する流木がすごいので鎌倉市では処理に困っているみたい。


稲村ケ崎を通過。


七里ガ浜住宅地へ戻った。


壮観だね。無糖のオンパレード。


冷やして飲みましょう。

【つづく】
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梅雨の中休み in 鎌倉(1) 鎌倉中心部の軽井沢と言われる(←ウソ)妙本寺へ

2024-07-05 09:28:10 | あちこち見て歩く
昨日のことだ。

我が家の庭は干からびそう。


クルマの中は熱々。


日本中で7月4日とは思えない暑さが展開されていたらしい。

あ、いいアウディだな。高そう。


我が家のワゴン車とは大違いな形。

若宮大路へ。

砂丘の上の(砂丘に見えないが)一の鳥居を通過する。


鎌倉郵便局前。


そして鎌倉東急ストアの駐車場へ。


ガラガラだ。木曜日の朝9時過ぎだから。しかも暑いしね~。

スルガ銀行の前を通り抜ける。



本覚寺の横を通る。東身延って言い方が面白いよね。


鎌倉に何かと縁がある日蓮聖人が山梨県の身延山久遠寺に祀られていて、そこよりは東のここに分骨されているから、この名前がある。

私は中央道でよく山梨県を通過するので、「身延」と言われたらピンと来るが、一般的には「身延」と言われても場所がよくわからないだろうから、さらに「東身延」と言われても場所もその意味もわからず、何のこっちゃ?だよね。

今も残る古い理髪店の一つ、理容庄司。


こちらが山門だ。


若宮大路ではなく、小町大路側に山門はある。

そこから向こうに見えるのが本日またまた訪問する妙本寺だ。

遠くに総門が見えている。


妙本寺と言えば比企。比企一族だ。

鎌倉幕府の中で高い地位を占めるだけの功績があったはずなのに、用意周到で賢い北条につぶされてしまう。

北条って可愛くないのよ。佐藤二朗、いや比企能員および一族は小栗旬に、いや北条にやられてしまう。

 鎌倉殿の13人 第31回 諦めの悪い男

総門をくぐりましょう。


比企ヶ谷の妙本寺。

比企がこの谷戸の名前だ。

妙本寺の由来はこちらをどうぞ。


暑かった昨日は7月4日でした。

それは米国の独立記念日。

Chicago - Saturday in the Park (Official Audio)

Saturday in the park♪
I think it was the fourth of July♪  

で始まるシカゴの名曲、サタディ・イン・ザ・パークをどうぞ♪

独立記念日は大事だが、それを歌詞に織り込んだポピュラーソングも珍しい。


鎌倉青年団の石碑があるよ。


ここは比企能員の屋敷がかつてあった場所。

これ(↓)はその屋敷ではないよ。これは比企ヶ谷幼稚園。妙本寺が経営する幼稚園だ。


比企一族がかつて住んだ屋敷の跡地に、比企一族をしのんでこのお寺が建てられているのだ。

方丈門。


ここから上がるとこのお寺の実務部門とも言うべき場所に早く行けるが、今回は参道をまっすぐ行きましょう。

総門より内側に個人の住宅が多い。

このあたり、いいよね。静かだし、鎌倉駅からすぐだし、緑が多いから。


おぉ~~、涼しい、涼しい。


ここは鎌倉中心部の軽井沢・・・なんてことは誰も言わない。

でもね、本当に森が深いのです。

結局そこが涼しいかそうでないかは、木陰の量で決まる。


以前建築家の高橋修一さんの実験結果をこのブログでご紹介したが、それによると、真夏のそれぞれの場所の気温は、その場所の標高や地面の素材(土か芝生かアスファルトか等)にはあまり関係なく、そこが木陰に覆われているかどうかに大きく左右されるらしい。

住宅の中の気温と同じだ。床を直射日光が暴力的にたたけば、その室内は熱くなる。海抜800mほどのカンカン照りな芦ノ湖畔より、海抜10mの木陰いっぱいのアスファルトの地面の上の方が、涼しいのである。


ここはいつも涼しいね。

もちろんそれでも暑いんだけど、他よりましだという話である。


ここはケヤキの木。


見事に木陰を作ってくれる。


比企ヶ谷から流れ出た水が、それはやがて滑川に注ぐよ。


そしてそれは由比ヶ浜へ。

この階段。毎回撮影してしまう。


苔が生えるってことは、木陰になる時間が毎日かなりな程度はあるってことだ。

涼しいんですよ。


下の画像で、昔からの参道(左)と、自動車の時代になってつけられた新たな参道(右)。


その新しいクルマ向けの参道には、三つの石が埋められている。


比企一族の宿敵である北条のミツウロコを模したものらしいよ←ウソ。


こんなものは、ミツウロコではないわ。


ケヤキがなんとか育つ。


こちら(↓)は朽ち果ててしまっていて、大変だ。


この朽ち果てたケヤキの根っこは、9年前(2015年)はこんなの(↓)だった。


もうちょっとしっかりしていたのだね。

二天門に近づく。


これは本当に美しい門なんだよね。


中央に龍がある。

そして獅子も。


象も。


この象が好きなんだな~。

象と獅子のセット。


浄財を。いつもお世話になっているので多めに。


このお寺は私が鎌倉で一番好きなお寺だ。

カネのにおいがほとんどしないから。そういうお寺こそ信徒を集めてもらいたい。

祖師堂は正面を工事中だった。


日蓮聖人像ね。


この像の下が、永遠廟(合同供養墓)になっている。

祖師堂に向かって右側脇に古いお墓が多い。

見事な五輪塔がある。


これ(↓)は、よくわからないなあ。とにかく古い。


イヌマキだ。


我が家の生垣と同じ木。

先ほどのミツウロコに続き、ヨツウロコか?


違いますよ(笑)。

古いお墓を振り返る。


一段上がったところにも天然記念物のイチョウの古木の横に何かあるね。


すみません。調べていません。

これが比企一族の墓だ。


「比企能員公一族之墓」と書いてある(↓)。


石はかなり新しい。

彫刻を見るとそう思われるから。

私が仕事でよく一緒に働いている人のひとりに80歳の女性がいて、その人は京都育ちでその後半世紀ほど鎌倉に住んでいる人なのだが、私がその人に「私は妙本寺が好きなんです」と言うと、その人は「あんた、あんなところへよく行くなあ。あそこは比企一族の怨念がめちゃくちゃ絡みついて恐ろしいんとちゃう?」とおっしゃる。


そんなことを、私はまったく感じない。

ここは私にとっては「鎌倉の軽井沢」で空気がさらさら~(笑)。

他よりは涼しい苔むす森なのでした。


比企一族って悲しい。北条には参ったね。あっちはかしこ過ぎたね。

ここは住所では鎌倉市大町一丁目なんだが、ここだけ比企ガ谷って住所にしたらよかったのに。まあ、鎌倉にはそういうのがたくさんあるね。大蔵とか大刀洗とか胡桃ヶ谷とか・・・住所区分になっていないけれど、そう言われればどのあたりかすぐわかる場所。


こんな(↓)上に向かって開く高層ビルのデザインってあったね。



お塔婆が多い。お寺自身がこれを担当しておられるようだ。


南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

こちら(↓)と同じ文字が。


この言葉は、苦悩から人を解放してくれますよ。

日蓮聖人さんが、しっかりと。

奥はまたお墓が続く。


祖師堂に光が。


今まで見て来たお墓を振り返る。


比企一族の怨念はあるんだろうが、私はまったくその重圧を感じない。

すがすがしいね、ここは。

さらに奥へ。


この奥には一般の方々の墓地が広がっている。



再び祖師堂。


いつ見ても美しいね。


二天門を反対側から見る。


上を見上げると鐘楼。


その横には歴代墓所。


歴代の住職はこちらに眠っておられるらしい。


作り変えられたのだろうね。

かなり新しいものだ。ここは塔頭なんてものはなく、歴代の住職の合同墓らしい。

少子化・流動化時代の最終的な形はそれだと思うわ。建之者(墓を建てる人)は当然いるんだけど、建てたあとにその墓を檀家として面倒見る人たちはいないという時代。

こちらが本堂だ(↓)。


ここの全体的配置における本堂の位置はかなり変わっているね。

つつましやかで、私は気に入っている。

本堂から樋を伝って落ちる水がここにたまる。


ササリンドウ(↓)。


鎌倉市の市章と同じ。

振り返ると上の方に先ほどの鐘楼が見える。


こちらが寺務所だ(↓)。


ここの下にあるのが方丈門で、ここが方丈門石段。


しかし現在の妙本寺に「方丈」と呼ばれる建物はない。

方丈とは、住職の居場所、仕事場、あるは居室、あるいは住職が迎えるお客さん向けの客間だったりする。

本堂のことを指したのか、寺務所のことを指したのか、それともかつては方丈という別の建物があったのか。


その方丈石段を下りる。



妙本寺の配置図だ。


脇にある道を行きましょう。

長い道、階段。


恐ろしく長い道。


左右の住宅の土地は妙本寺の土地であり、妙本寺からの借地なのでしょうね。

セットバックもなく、とても美しい。

竹林も。


これが蛇苦止堂。


比企能員の娘であり二代将軍頼家の側室であった若狭局が、比企一族滅亡の恨みをはらすためか、死後も活発に動いたらしい。

それは北条の者を蛇のごとく狂った状態に追い込むものだったとか。それを鎮めるために建てられたのが蛇苦止堂だ。

その奥まで住宅が並ぶ。ずべて妙本寺の土地なんだろうねえ。


では帰りましょう。


脇に小さな神社。



お寺も中にこういう小さな神社があるところが多いね。

これはどういう経緯なのかな。調べたけれどわからなかった。

総門まで戻ってきた。


総門の北側には魅力的な路地があるけど、それはちょっと無理だわ。


もう暑すぎるからなー。

ではまた。

【つづく】
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江ノ電稲村ヶ崎駅前はぶか牛肉店のハチノスを韓国風炒め物にし湘南ゴールドサワーと楽しむ

2024-07-04 00:43:51 | 食べ物・飲み物
ジトジトするなぁ・・・。

この季節は苦手だ。

どうして私はもっと乾燥した気候の土地に生まれなかったのだろう。

7年前に行ったアリゾナ州なんて、カラッカラだったもんなあ。



月みたいだ。

雲ひとつなくて、ずっと飛行機から地上が全部撮影できた。



気温は高くなるが汗をかかなかったな。

対照的に、見るからにジトジトした景色(↓)。



鶯吟亭の南側の道だ。

鎌倉中心部から戻る。

江ノ電稲村ヶ崎駅で下車して、はぶか牛肉店へ。


さらに踏切の向かいのセブンイレブンへ。


神奈川県特産湘南ゴールドをご存じですか?


それを使ったおかし(↑)もある。

しかしおじさんはやっぱり湘南ゴールドサワー(↓)。


爽やかなんだなー。

神奈川県下のセブンイレブンでは取り扱っている店舗が多いよ。


神奈川限定の文字が光る。


神戸市灘区新在家南町にある企業が作っているね。


私にとっては懐かしい住所だ。

こちらがはぶか牛肉店で購入したハチノス(牛の第二の胃袋)。


これを熱湯でゆでる。最初は10分。お湯を替えて次に20分。また替えて次に30分。


酢を加えて煮る。

下準備段階だ。これは切ってあるが、胃袋っていうくらいだから、本来は袋状だ。

恐ろしく分厚い肉だよ。だからどんなに強く煮ても大丈夫。


北米のスー族(ネイティブ・アメリカン)の歴史を見ると、彼ら彼女らは現地に多かったバッファロー(バイソンとも)の内臓をバッファローのこの頑丈な胃袋に入れて煮て食べたという。

胃袋を鍋としても使ったんだね。我々が使うハチノスより、バッファローの胃袋はもっと頑丈だったことだろう(と想像する)。

そしてスー族は最後にはバッファローの胃袋も食べてしまったらしい。

素晴らしい調理方法。肉を食べるなら全部食べましょう。食べやすい肉だけじゃくて。内臓も胃袋もだ。スー族の人たちは生活スタイル自体が自然にSDGs的だったんだねえ。

彼らが古来から食べていたバッファローはみな野生のものだ。現代人が食べる肉は、野生のつまりジビエなものはほとんどなく、食糧用に生産されたものである。そして拡大し続ける畜産業は地球温暖化を促進している。

また運動不足かつ(あるいは)過食に陥っている現代人の生活習慣病を抑えるにも低カロリーなタンパク源を混ぜることが望ましい。

さらに円安が進行すると、日本人の購買力はこれから相対的に落ちそうで、国際的な肉の獲得競争の中で「買い負け」しそうである。




様々な理由から、6月30日の日経新聞によると、2050年代の食卓では肉の50%超が植物由来の代替肉になるとの予想が紹介されていた。

ちなみに、バッファローつながりで言うと、私のPCのキーボード、マウス、Wi-Fiルーターは全部Buffalo(バッファロー)社のものだ。



スー族には、ダコタ、ラコタ、ナコタなどの部族があるが、ダコタは州の名前にもなっている。ダコタって、アイダホなんかと同じで英語じゃないよね。

明るい緑色のところがノース・ダコタ州、サウス・ダコタ州だ。


映画Dances with Wolves(邦題はカタカナでダンス・ウィズ・ウルブズ(狼とのダンス))に感動的なシーンがある。私が大好きなシーンだ。言葉が通じない者たちの最初の意思疎通だ。

主演者ケビン・コスナーがこの地域のラコタ族の人たちを家に招いてもてなす。言葉は通じない。そこで彼はバッファローの動きの真似をする。ラコタ族の中には辛抱強くそれを理解しようとする人がいて、その人はやがてそれを理解し「それはTatanaka(タタンカ)だ」と言う。ケビン・コスナーは「(我々は)Buffalo(バッファロー)と呼ぶ」と言う。ここで両者に「Tatanka = Buffalo」という認識が生まれる。

Kevin Costner - Dances With Wolves Extract

ということで、皆さん、バッファローのことを今後は「タタンカ」と呼びましょう(笑)。バッファローなんて呼称は新しい。太古からあの巨大な牛は北米の人によってタタンカと呼ばれて来たのだ。私もPCのマウスを製造する会社(バッファロー社)のことを、タタンカと呼んでいる(笑)。

その次に、ケビン・コスナーはラコタ族のみんなにコーヒーをふるまうが、そこでの砂糖に対するラコタ族の人たちのリアクションが面白い。

長時間ゆでる。バッファローの胃袋の中で内臓を煮たスー族ってどんな風な味付けにしたのか?なんて想像しながら。それぞれの地域に、それぞれの食材、調理があるね。


茹で終わったら切る。


ちょっと細長い三角に切るのが私の好み。


これくらいが食感的に良いように思う。


話が変わるが、私の古いジーンズ。Leeだ。


膝もかなり擦り切れている。


脱色しても、擦り切れても、そんなにおかしくないのがジーンズだ。

最初から破いて履いている人もいるくらいだからね。


しかし座面に最も擦れるところがついに破れて来た。

最近まで破れていなかったが、朝、ドガティ君の散歩中にしゃがんだ時にビリビリっと音がして、こんな穴が開いた。


いくらなんでもねえ。

環境負荷に配慮し、代替肉も内臓も胃袋も食べて、耐久性のある服を長年使うべきだと言っても、そろそろ捨てましょうかねえ。ケツが見えても困るから。

ニンニク、長ネギ、ピーマン。


ニンニクは擦る。

ピーマンと長ネギはご覧のとおりにザクザクと切る。


スープをつくる。


ドガティ君は散髪中。


「おとーさん、助けて」

ドガティ君、耐えなさい。

砂糖、コチュジャン、香味ペースト、醤油、ニンニク、唐辛子の味がする炒め物を作る。


ただしコチュジャン多めで韓国風だ。

加熱してどりゃーーーー!!!!!と叫んで中華鍋振り回して終わりだ。

超短時間の調理。

ごはんにスープで韓国風ハチノス炒め定食。


サクッと仕上がってますでしょ。


ケビン・コスナーに食べてもらいたいね。

きっと彼も「おいしい」と言うと思うな。



おやつはチョコバリ。


こういうのがおいしい季節になった。

はぶか牛肉店では焼き豚も買ったのだ。


これはまたあとで食べようかね。

ということで、これは夜になってから食べたのでした。


いつもおいしいはぶか牛肉店の焼き豚でした。

狼にからかわれてでもいるようなケビン・コスナー。

Dances with Wolves - Two Socks at Play

まさにDances with Wolves(狼とのダンス)。

巨匠ジョン・バリーの美しい音楽とともにどうぞ。

あの007シリーズや野生のエルザなど、多数の映画音楽を担当した人だ。
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七里ヶ浜で遊ぶのは早朝 / フェヌグリークを使うカレー

2024-07-02 12:00:01 | ペット
Official髭男dism - TATTOO [Official Video]♪


なんとなく、この曲のムード。

暑くなって来ると、ドガティ君の散歩開始時刻はどんどん早くなる。


この日は明け方近くまで雨が降っていた。

七里ガ浜住宅地はどこもボトボトだ。


歩いているだけでも水が跳ねて濡れる。

どうせ濡れるなら、海へ出てしまいましょう。


江ノ電の踏切を越える。


すぐに行合橋だ。


ドガティ君にとって最高の遊び。

それは砂浜でボール投げ。


リードを引きずって走る。


誰もいないから遊びやすい。

遠くにぼんやりと富士山(↓)。見えますか?


最近は朝早くても観光客の人が駅から近い砂浜に来るので、我々ワンコ族はそこから離れて奥で遊ぶ。


ご近所の人たちはワンコ族も非ワンコ族もサーファーたちも、汚れても平気な姿で歩いているし、ワンコの行動パターンもよくご存じだ。

しかし観光客の人は長いスカートで真っ白な服だったりするので、その服が汚れたら大変。そのキレイな服の方々がわざわざ近づいて来て「かわいい~」なんて言いながら、しゃがんでワンコの視線の高さになり、海で遊ぶワンコを撮影しようとしたりする。

それ、かなり危険なんです(^^;;  

ワンコは「この人、遊んでくれちゃうんだ!」と思っちゃうから(笑)。ドガティ君なんて「遊ぼ!」とか言って、飛びついていっちゃうから~。


ドガティ君はボールを追う。


さらに西へ。


いつも元気なサーファーたち。


なんかカッコいいよね。

絵になるっちゅうか。

川遊び。

この土管からは棲んだ水が出て来るよ。


このあたりのワンコ族からは、ここは「土管」と呼ばれているらしい。

七里ガ浜二丁目の住宅地の丘から流れて来る水だ。

下の画像の黄色いところがその流れで、地形的に谷になっている。

等高線にそって江ノ電の線路も北側に向かって湾曲しているでしょ。



黄色い矢印(⇦)で表したのが土管のある位置である。

そこから水が地表に現れて、海へと流れているのだ。

ドガティ君はその土管の周囲で走り回っていた。


ワンコ族とその向こうのサーファー族。


おーーい、ドガティ君そろそろ帰るよ。

「ボクはまだもうちょっとみんなと遊びたいんですけど・・・」


キリがないから帰りましょ。

かっこいいオジサンのサーファー。


60年以上前からサーファーみたいな人がいっぱいいる七里ヶ浜。

サーファーになりたいドガティ君は、とりあえず砂浜を疾走する。



江ノ島さん、さようなら。また来週でも来るわ。



よく遊びました。ボクはもう満足です。


スジウスバノリなのかな?



波待ち族。


舌の上は砂で真っ黒だよ。


そんなのが楽しい?

「はい、楽しいです」

七里ヶ浜って毎日楽しめるねえ。

今日はちょっと波がある。


どんどん歩いて、行合川まで戻って来た。


行合川に入る。


流されないようにしようね。行合川もそれなりに流量があるから。

帰りましょう。

江ノ電が通過。


住宅街に帰って来た。


こちらはその日のランチのカレーに使うスパイスたち。


辛そう。


ブラウン・マスタードからスタート。


ポークのカレーだ。


妻がピラティス教室に出て行った。

私はランチ係で、妻の帰りを待つ。

ほら、帰って来たよ。そこから速攻でランチを仕上げにかかる。


ドガティ君が妻をお迎えしているところ。



出来ました。フェヌグリークが効いたポークのカレー。


サラダ。



タイ産ジャスミンライスだ。


フェヌグリークってスパイスは、大変個性的にカレーの骨格をつくるね。

おいしいわ~。
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いつもの芝生の世話、ガリガリ君を食べる、チキンのマスタードソースとジャンバラヤ@鎌倉七里ガ浜

2024-07-01 00:03:37 | 食べ物・飲み物
なぜかいきなりJudy and Mary。

くじら12号 ♪

CMに使われたね。たしか広末涼子ちゃんが出ていた。

この曲に夏のイメージがあるけれど、それはきっとあのCMのせいだ。

前回のこのブログの投稿は一昨日だったが、その日のアクセス数がいつもより少々多かった。閲覧数5,863、訪問者数が3,153だ。訪問者数のわりには閲覧数が少ない気もする。細かい話だが、閲覧数÷訪問者数<2となるのは、このブログでは珍しいのだ。昔なんてたいていその計算をすると、3くらいになった。一見さんとして見に来る人が多いからだと思うが。

検索等でいきなりこのブログに到達する人が多いのだと思う(そして二度と来ない(笑))。だからアクセス数のわりにコメント数も少ない。一般的にブログの中には、ほとんどSNSのように親しい人と盛り上がっているものがあるが、これはその反対。よほど私の書き方が変わっているのかねぇ。



それはともかく一昨日は、ここ1カ月の平均の二倍近くあって、最もアクセス数が多かったのだ。

さて、それは旧石原慎太郎邸効果か、尾崎行雄効果か、レバニラ効果か。

何が理由でしょうね。アクセス解析機能を見てもさっぱりわからなかった。

芝生の成長が速い。

刈ったばかりだと思うが、日々伸びている。


芝の世話も生垣の刈り込みも大変だけど、運動としてとらえればなかなか良いよ。

汗もかくしね。かなりのカロリー消費になる。

レンガのアプローチは夏にはやたら熱を持つので、その周囲の芝生の生育は悪い。


寒い時期は逆のことが起こるのである。

レンガの近くの芝生が、他よりもよく育つ時期があるのよね。

なにごとも思ったとおりにはゆかないものだ。


あとで世話しなきゃ。

でもその前にガリガリ君を食べましょう。


この季節にはめちゃくちゃおいしい。

芝生とダイカンドラが混じるエリア。面白いでしょ。


あとで引っかき掃除をする予定。


引っかき掃除とは、レーキで芝の間に埋もれている芝の枯れ葉をほじくりだして除去する作業。

それをしないと地面が枯れ葉に覆われ土が窒息したような状態になり、芝生の生育が悪くなる。

しかしその作業は大変腰を痛める作業なのでした。

朝から海に行ってドガティ君を遊ばせたので、濡れた長いリードとボールを乾かす。


奥様はピラティス教室へ出て行った。

私はいつものようにランチ当番。

だれでもできまっせ。

エスビー社のジャンバラヤ。そしてマスタード。これさえあればオッケー。



サラダ、シャウエッセン、ミックスベジタブル。


鶏モモ肉に塩と胡椒。



皮目から焼く。


しっかり焼いたらひっくり返す。


そして蓋して、弱火でじっくり焼く。

バター、豆乳、マスタード、酒。


味付けはこれで完了する。

鶏肉から脂が大量に出るので、拭く。



酒を入れて煮立てる。

アルコールが飛んだら、豆乳をたくさん入れましょう。


バターも加える。

そして溶かす。


最後にマスタード。


そしてよくかき混ぜて、マスタードのソースを鶏肉に絡める。

もっとリッチな味付けがお好きで、体に悪いくらいにこってりさせて美味しくさせたいなら、生クリームを足しましょう。

オリーブオイルでシャウエッセンとミックスベジタブルを炒める。


ご飯を加えて、エスビー社のジャンバラヤ総合スパイスを加えてさっさっさ。

はい、奥様がピラティス教室から戻った。

ジャンバラヤと鶏肉のマスタードソースにサラダもどうぞ。

ワンプレートで午後2時くらいのランチ。


前日から疲れていたので、その後私は寝た。

夕方起きたがまだ暑い。

ちょっと芝生のお世話をしたが、レーキの作業は腰が痛くなるし、とにかく暑い。


もういいわ。

やる気なし(笑)。

また明日以降にしましょう。


ところで調べたらあった。

これだ、冒頭でご紹介した、くじら12号を使ったCMは。

CMですよ〜178「HONDA Live-Dio」

ホンダのDioは原付バイクだね。

排ガス規制対応で、ホンダは来年早々に原付の生産販売を終了することをすでに決めている。


来年秋以降は125cc以下のバイクが多くの人に利用されることになるね。

原付、さようなら。
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