ルーサー・ヴァンドロスの歌をどうぞ。
A House Is Not a Home ♪
よくお聴きくださいね。
この人、技巧を極めている。歌界の匠(笑)。
バート・バカラックの名曲をとてもゆっくり歌う。
あっちやこっちと寄り道しながらみたいな歌い方が楽しい。
私はこの曲が大好きなんです。
A chair is still a chair
Even when there's no one sitting there
But a chair is not a house
And a house is not a home
When there's no one there to hold you tight
And no one there you can kiss good night
Even when there's no one sitting there
But a chair is not a house
And a house is not a home
When there's no one there to hold you tight
And no one there you can kiss good night
「椅子はどうあっても椅子だけど、家はあなたを大事にしてくれる人がそこにいなければ家じゃない」ってな感じの歌だ。
本日の話は「境内があってそこに本堂やナントカ像があるだけじゃ寺じゃないよ」って話である。
西友のオリジナル製品のポテトチップス。
フライドチキン味とチーズバーガー味。
これが結構イケる。
オリジナル製品で「みなさまのお墨付き」ってやつですよ。
スーパーのPB製品を嫌う方も多いが、普通だと思う。スーパーがその製品を作っているわけではないし。
誰もがご存じのメーカーが製造してスーパーに納入していて、大量に販売してくれるという条件と引き換えに、相当安価にスーパーに納入しているので、我々にとってのスーパーでの購入価格も安い。
これはカルビーが製造している。
次。こちらもイケる。
すでにご紹介したことがあるが、こちらの西友ブランドもいいよ。
どっちもおいしいが、本日は左のを食べましょう。
鴨だしそばだ。
東洋水産グループの酒悦が作っているね。
お湯を注いで待つ。そして特性の油を上からかける。
ちょっとお湯が少なかったなあ。
なぜだろう。線のところまで入れたはずなのに。
この香りがいい。
ごま油が入ったそばっておいしいですよね。それが楽しめる。
おつゆまで飲んじゃう。
最近の私のお気に入りであるエミン・ユルマズさん。
いつも解説がすごく面白い。情報発信も多いしね。
エブリシング・バブル(プレジデント社)。
少しでも関心がある方、読むなら今すぐにどうぞ。
今の話、近い未来の話だからね。
私はさっぱり金融市場がわからなくなり、日本株の個別銘柄を売った。今も持っているのは一銘柄だけだ。
日本株に関して持っているのは市場の指数だけである。指数なら逃げる時も買う時も、動く時はさっさと動ける。
その次は、慶応大学の中島隆信先生が書いたお寺の経済学(東洋経済新報社)。
こんな先生らしいよ。
第2章 すべては檀家制度からはじまった。
そうよ。この本だけじゃないね。あちこちの本に書いてあるが、お寺のことを歴史を遡って調べると、江戸時代の前と江戸時代以降でお寺はガラッと変わるね。
お寺の情報のうち、創建当時の情報、例えば開山が誰で宗派が何でその寺が生まれた当時の政治的背景等、あるいは逆に現在の境内の様子やそこにある宝物などに、私はあまり興味はない。必要な時はガイドブックを読めばいい。
今のお寺の多くは本来のあるべき姿からは程遠く見えるが、それはなぜなのか、そしてお寺が過去から現在へどんな変化を辿り、なぜ変わったのかを知りたいと思って、私はいくつかの本を読んでみた。
江戸時代の前はよほど高貴な貴族か武家しかお寺に墓を持つことはなく、ほとんどの人は死ねば共同墓地とも言うべき場所に土葬で埋められて終わりだった。その場所はどちらかと言えば忌み嫌われるところだったから、墓石を建ててその後は墓参りしてなんて習慣も一般的には存在しなかった。
またお寺は一般人の葬式には絡まなかった。僧が立ち会って葬式なんてしなかったし僧が一般人に戒名を授けることもなかった。四十九日も三回忌も何もない。それくらいだから、お寺に一般人の墓なんてなかったのである。
我が家の近所にもたくさんお寺の墓地があるけどね、こういう状況は長い歴史の中では江戸時代以降に徐々に出て来た新しいものらしい。「創建は平安時代の西暦〇〇〇年ですごく古いんだぞ」なんてよくお寺は言うしそれは事実なんだろうが、お寺はずっと同じだったわけではなく、長い間にはその変わり方も相当なものだったのだ。
徳川幕府にとってはキリシタンとお寺が2大抵抗勢力になりうる存在であり、それを排除し支配すべく、幕府は動いた。キリスト教信仰は禁止し、すべての人をどこかのお寺に必ず帰属させ、お寺にそれを監視するように定めた。そして幕府のために働くことになったお寺には飴を与えた。
それまでは一般人の葬式や墓等には全く係わらず、救いを与え教義を伝えることをもっぱら使命としていたいただけのアカデミックなお寺は、江戸幕府が敷いた体制に服従する形で、幕府のキリシタン弾圧の片棒をかつぎ、その見返りとしてすべての人を檀家としてどこかのお寺に迎え入れるという特権をもらい、その檀家の世話をすることを生きる糧にしたのだった。
あらゆる人が檀家として制度上お寺に従うしかなくなった。檀家は葬式やその他の法要やお墓の管理をお寺にお願いし、お寺が定期的に催す行事に参加し、その都度お寺は寄付やお布施を檀家に要求するという関係が成立して行く。それが江戸時代だ。
そうなるとお墓はお寺の中の墓地につくった方が便利になり、そこから一般人のお墓もお寺の墓地内に入ることとなる。そうなると土地の広さが限られて来るから、土葬が火葬に切り替わり、個人別墓も無理になって「〇〇家の墓」って家単位の墓が出来て、ごく最近のと同じ形式が整う。
それまではお寺とは無関係に村はずれの共同埋葬所に土葬されて終わりだった一般人の死についても「良い戒名をもらわないと成仏できませんよ」なんてお寺が急に言い始めるのが江戸時代の途中からだ(笑)。そのためにはお金を寄越せとなり、法要やお寺の行事が頻繁におこなわれるようになり檀家を寺に集め、寄付を強要し、墓参りなんて習慣も出て来るのだった。檀家はそれを拒絶できない。どこかのお寺に帰属していないとキリシタン扱いされてしまうから。
「葬式仏教」なんて言葉があるが、日本独特のそれも江戸時代以降の目新しい形なのだね。
こうして江戸時代に始まり徐々に形を整えた檀家制度で、ガラッと変わったお寺であり墓であったけれど、それがまたついこの前から、20世紀後半以降、急速に変わって来ている。
檀家制度は、少子化時代や人の流動化時代に合わないからだ。人が生まれ育った同じ場所に一生留まり、親戚もみんな近所にいて、檀家としてお寺を親戚一同で支えている間はいい。しかし少子化でどんどん檀家のメンバー数が少なくなり、流動化でひとり息子が米国に行って米国人女性と結婚して帰国するつもりはなく、妻の米国人女性は当然個人主義で「日本の『〇〇家の墓』なんて集合住宅みたいな墓なんて入りませーーん」と言う。そんな時代に、檀家制度によってお寺を維持することは難しくなる。
恐ろしく長い仏教の歴史からしたら、直近400年ほどの間に生まれて徐々に整ったが、早くも崩壊しつつある制度(=檀家制度)に囚われることなどなく、私は私の両親を「葬式無し、戒名無し、墓すら無し(=海洋葬)」で見送ることができて良かったと思っている。両親の理解があってのことだが。私の両親はあっさりしている(笑)。
私がこの「無し・無し・無し」を説明すると、「あなたは進歩的と言うか、よくそこまで踏み切ったねえ」と驚く人が多いのだが、お寺の長い歴史を見ると、私の「無し・無し・無し」の方が江戸時代以前の一般人の葬り方に近い。つまり現在世の中で一般的な方法よりも、私の「無し・無し・無し」がより保守的で古来のやり方を踏襲していると言えなくもないよ(笑)。
お寺も結局はその時代の権力者に忖度してなんとか生き延びて来た。さて、これからお寺はどうなるのでしょう。一般に言われる分類に従うと、大きく分けて現在のお寺は以下の三種類に分かれるらしい。これはどこの本にも書いてあることだから正しいのだろう。
1.檀家寺
2.信者寺
3.観光寺
ただし明確に1. 2. 3.と分かれるわけではなく、重なっていることが多い。巨大な有名寺なんて、たいてい複数の性格を兼ね備えているからね。
1.はわかる。江戸時代以降は多くの人が檀家として基本的にそれに従ってきた。檀家のためのお寺だ。下の画像のとおり、建長寺境内西側を行くとこんな道があり、左側に龍峰院、天源院、正統院他の塔頭が並んでいる。そこはみんな檀信徒以外には閉じている。
したがって中の見学や撮影ができないものだから、観光客は「お高くとまってる」なんて文句を言うが、私はむしろそれくらいの方が、江戸時代以降の本来の寺の役割を果たすことに徹していて良いと思う。
尤もそれすらも、タイやカンボジアあたりの仏教のお寺とはずいぶん違うけれどね。「日本の寺ってなんでもありなんですね」と戒律が厳しいタイの仏教関係者は日本のお寺の現状を笑うらしい。妻帯や肉食をする住職が、お寺を世襲で継いでいることも多いから。そもそも妻帯がなければ、世襲もあり得ない。
つまりは日本の住職は聖人ではないわけで、ギョギョッとするような大金を払って、聖人でもない住職から「成仏するために」頂く戒名っていったい何だろうか?などと考えてしまう。
「私から戒名をもらわないと成仏なんてできないよ」と肉食&妻帯の非聖人である住職は言うが、そもそも戒名を授けるなんて日本以外のお寺じゃ存在しない習慣だろう。沖縄県でもほぼ存在しない。ましてやそれに大金を包むだなんて。「そんなことをしないタイの仏教徒は成仏できないのか?」と私は逆に、日本の住職に尋ねてみたい(笑)。
檀家制度自体が壊れ始めているが、それはひどくなるばかりで廃寺に追い込まれるところがこれからは増えて来る。先に述べたとおり、少子化と流動化のためそれは避けられない。お寺の中の墓地は、今や墓じまいだらけである。そこでお寺は檀家からますますお金をとろうとして、悪循環に陥っている。檀家寺の将来はあまり明るくない。
2.の信者寺は、それこそ寺そのもだろう。
善光寺が典型だ(ただし善光寺は檀家寺でも観光寺でもあるが)。檀家制度なんて江戸時代以降の話。庶民にとって、自分や親族の葬式や墓について、かつてお寺は関係がなかった。お寺と庶民の関係は信仰に関わるところだけだった。
遠くからでも善光寺なんて信者がやって来る。
それこそ本来のお寺だと思う。しかしこのレベルになるには相当な努力を必要としそうだ。
ところで話が逸れるけれど、この画像(↓)いいでしょう?
2022年の暮れの画像だ。ピカピカだよ。
さて話を戻して、存在としてもっとも不思議なのは、3. 観光寺だ。
お寺も生き残りを図らないといけないだろう。だからいろいろとやり方を混ぜないといけないのはわかる。檀家寺でありながら観光客も招き入れるのも、ある程度は仕方ないだろう。
しかしほとんど観光業専業で観光寺化している寺って、寺としてどんな意味があるんだろうか?
1.江戸時代以前からある信徒のためのお寺
2.江戸時代以降の檀家制度
3.昭和半ば以降の檀家制度の崩壊
観光寺が専業であるかに見えるお寺ってそのいずれのステージとも違って、もはやお寺の意味がよくわからない存在のように思う。
檀家や信徒に対し信仰の力や教義を説き交わすことから離れ、本来の信仰からは相当かけ離れた動機の観光客を大量に招き入れ、満開の紫陽花や貴重そうな仏像を見せて、出来たばかりの〇〇地蔵をあちこちに置いて「インスタ映え」を心がけSNSを発信することに専心して、拝観料を集めその他のグッズ提供に徹する。観光の要素も少しはあって良いとは思うのだが、それがほとんど本業のようになってしまっている場合は、もはや寺としての意味がないように思う。
決定的に悲惨なことは、いくつかの極端な観光寺が、教義の普及や救いを人々に与え信徒を増やすこと(つまりお寺本来の社会貢献)に関心をほとんど失っていることである。なぜならそれは手間がかかるが、収入は少ないからね。本来のお寺の役割を果たすよりも、墓を整備するよりも、境内に紫陽花や桜でもいっぱい植えて世話した方が経済性に優るのだ。年間何万人かの観光客を集めた方が儲かるから。しかしそれってもはや本質的にお寺ではない。
観光寺の真新しい〇〇地蔵を見て「本当に癒されました💛 境内にある〇〇地蔵を全部みつけたので、恋愛成就かもかも」などとインターネット上のあちこちに書いてあって、それはその人の感じ方だから自由だけれど、その「癒し」とはどこから来るものなのだろうか? その〇〇地蔵が、仮に鎌倉の古刹ではなく、都内原宿の竹下通りにあっても効果は同じではないかと私は不思議に思うのだ。
さて、妻が実家から戻る予定なので、豚ひき肉を調味料とともに炒め始めましょう。
並行して麺を茹でる。
辛くて甘いひき肉の出来上がり。
それ以外はすでに準備してあるので、あとは盛り付けるだけ。
完成です。
冷やし豆乳担々麺(ただしうどん)。
豆板醤、辣油、花椒で舌が辛さにまみれる。
これが晩御飯(笑)。