「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

八ヶ岳西麓梅雨明け後の滞在(5) 秘蔵の八ヶ岳本と個人的な思い出

2009-07-23 07:51:04 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
梅雨明けって本当かいっ?ほとんど毎日降るんだけど。15年ほど前、「梅雨明け宣言」ってのがあったが、その後ずっと雨が続いた挙句に気象庁が「梅雨は明けてませんでした」と告白したことがあったなぁ。

今では古書店で探すしか入手方法がない、八ヶ岳関連秘蔵本をいくつか紹介しよう。我が山荘には、こうした本がいくつか置いてあるのだ。「秘蔵」というからしてどれも古い。まずは恋沼薫著「週末・田舎人のすすめ」(ダイナミックセラーズ、1988年)である。バブル経済の終盤、日本の地価は急上昇してなんでもない東京郊外の住宅地が坪あたり数百万円もしていた時代に出版された本だ。今から振り返ると狂気の沙汰だ。日本の地価全部を合計すると、それより大きなカリフォルニア州が何個も買えると言われたりもした。

恋沼氏はこの本で、八ヶ岳山麓の当時の暮らしが都会あるいはその郊外の暮らしに比べて、いかに快適で安くつくかを楽しげに書き現わしている。元コピー・ライターの恋沼氏は当時八ヶ岳南麓、長坂の大井ガ森をベースに自然工房という集団を運営しておられた。その後この集団は日本におけるログハウス建築の先駆者のひとつとなる。私の最初の別荘も、恋沼氏とその仲間がカッティングした太い丸太のログハウスだった。右の画像は表紙をめくったところにある恋沼氏のサイン。私が買った本に、後日恋沼氏がサインしてくれたものだ。

恋沼氏はログ・ビルダーとしても大成されたが、多趣味な才人という印象の方だ。お書きになった文章も楽しく、著書も多数。この本を買った当時(1989年)は私もまだ若く、恋沼氏からいろいろと話を聞いた。そして八ヶ岳山麓への憧れが募った。この本を眺めていると、当時のことを思い出す。もう20年前のことなのだ。ということは、私も当時はまだ30歳になってなかったわけだ。当時から今まで神奈川県と長野県を往復する暮らしが続いているのか。あぁ~~~。



都会(あるいはその郊外)に住む多くの若い諸君(そんな人がこれを読んでいればの話だが・・・)に言いたい! 八ヶ岳山麓(あるいはその他どこでも田舎に)に関心があり、山小屋を所有する気持ちが多少なりともあるなら、無理をしてでも若いうちからそれを始めるのが良いぞ! 私がそれを始めた20年前と比べれば、山麓の別荘地の地価など今やタダ同然だ。しかもこの20年間ほぼ金利は低下し続けたので、今ではお金を借りたとしても、日々の返済額がしれている。「価格×金利」という計算をすると、昔のデタラメを知る私には、今山麓の山小屋を手に入れる諸コストはバカみたいに安く見える。

若い時からいつも安全圏に留まり「リスク」の無い範囲で、確実安全にのみ生活を楽しもうとしていると、すぐ近くに大きくエキサイティングな楽しみがあってもそれを享受するチャンスを失ってしまっているかも・・・という反対側の「リスク」が発生する。残念ながら日本語の感覚では、前者の「リスク」のみが「危険」であって、後者の「リスク」を機会を失う「危険」とは捉えないようだが。マイナスになることをすごく恐れるが、得られた可能性が高いプラスを得なかったとしてもあまりくやしい気持ちを抱かない、という国民性か。

こんな楽しみを我々年寄りに独占させておく手はないのよ、ホント。その他の様々なことと同様、第二の拠点の周囲の歴史、自然、文化を深く理解した上でそれを満喫出来るようになるまでに、まずは時間がかかってしまう。ところが残酷なことに、歳をとってから新たな生活拠点を別途設けると、その楽しみの終焉は、アッと言う間に到来してしまうのだ。私の年老いた両親の八ヶ岳山麓暮らしを、本人達は「天国だ!」と楽しんでいた。私もそれに貢献出来て嬉しかった。しかし残念ながらそれは諸事情により5年で終了してしまったのだ。



次が、いつも編集が上手なエイムックの「カントリー・スタイル」(エイ出版、2000年)。

4人の人物が表紙に描かれている。1番右が我らのハセヤン。おらが村、原村の人気者だ。原村の雑木林の中にあるレストランと言うか、田舎暮らし自給自足生活の元祖を見学出来る、なんとも不思議で魅力に満ちたスポットのリーダーだ。

この本は面白かった。ハセヤン他、信州の様々な自立したリーダー達の生活を取材してうまく記事にまとめているからだ。編集者のテクニックが上手なのだろう。

名物ハセパンを焼く工程も載っている。私はこれを読んでから、レストランで食事をしない時も、ただハセパンを買うだけのために彼のカナディアン・ファームに行くようになった。



最後が月刊誌Outdoor1999年9月号「八ヶ岳大周遊」特集だ。翌年この雑誌は廃刊になってしまった。当時はこの雑誌やField & StreamやBE-PALが、アウトドア雑誌として競合していたものだ。内容が、ほとんど狂乱騒ぎのアウトドア・グッズ自慢大会の様相を呈していた時期もあった。BE-PALは今も健在だ。1980年代半ばにOutdoor誌の別冊として創刊された「夢の丸太小屋に暮らす」は、今も形を変えて出版されている。

今や新築ログハウスは北欧製のマシンカットでキレイに「四角く」製材されたモデルばかりで、「丸太の」ログハウスを建てる人は皆無に近いのだが、その雑誌のタイトルはいまもなぜか「夢の丸太小屋に・・・」なのだ。「夢の丸太小屋に・・・」が創刊された時代は、日本におけるログハウス黎明期であり、ハンドカットの太い丸太を使ったものしか「ログハウス」とは呼べない時代だった。そういう時代背景があって、今の日本では「丸太」のログハウスがほとんど建てられることもなくなったのに、そうした呼称の雑誌が残っているわけだ・・・などと延々と説明する私はジイサンか。きっとそうなのだろう。



さて、このOutdoor誌はとても面白い雑誌だった。アウトドア系で「ヤングでナウな(相当古い表現)」女性タレントの田中律子ちゃん(今は子持ちのおばちゃん)もこの表紙を飾って人気者になった・・・なんてことを、今も記憶して語り継ぐ私はやっぱりジイサンか。絶対そうだ。

若い人よ、それだけ20年~10年前の私はいろいろと一生懸命にアウトドア情報を集めることに奔走していたのだよ。このOutdoor誌によれば、八ヶ岳は黒曜石の宝庫らしい。



その情報を得て私は黒曜石を探しまくった。探して探して、延々と探してついに大きな黒曜石片を発見した! 発見場所は八ヶ岳北麓の急斜面を死にそうになってよじ登ったところ・・・ではなく、みやげ物店だった。600円と言う大金を出して買った。それもまた思い出である。結果ではなく、プロセスが大事なのだ。

私は読み終えた本をいつまでも取っておく趣味はない。どんどん処分する、と言うか古書店に二束三文で売る。しかしいくつかのジャンルの本は永久保存する。その一部がここで紹介した本だ。パラパラめくっていると、当時の様々なことを思い出して、おかしいやら恥ずかしいやら。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする