Pのlog ( 大阪と上海のChouChou)

通称P。shushu(照れちゃう)ような稚拙きわまりない文面で、上海や大阪のchouchouを綴ります。よしなに。

古北路×天山路 【あのときと変わらない夜に。】

2010年04月30日 | 中国つれづれ。

 食べおわったぼくたち3人は、もう一度天山路を古北路のほうに戻り
   タクシーに乗ろうかどうしようかとか言いながら、歩いていた。

 夜の古北路は食べ終わった人たちが、まだこれからはじまる夜のためにだろうか
 仕事おわりにはまだ遠く、にぎやかに過ごしている。

   

   ここは完全に下町で、ぼくの好きなエリアのひとつだ。
   バイクなのか、電動自転車なのか子どもを前に乗せたおじさんが通り過ぎ

                             

サザンオールスターズ せつない胸に風が吹いてた




   花やお菓子を積んだリヤカーがゆっくりあるいて呼び込みをするでもなく
   とぼとぼ歩く車道と歩道の間を

           

   ぼくはたのしそうに、カメラを  かまえて写真を撮る。
   上海にきたばかりのRinNonは少し警戒するみたいに歩いていて
   何年かたったころは、めんどっちいとか思いながら早く帰りたいなあと
   少し早歩きをしていたりするものだったけれど
   もうすぐ11歳になろうかという年頃は、もうすっかりこんな夜も受け入れて
   2人で屋台とリヤカーの間をぬって、はしってじゃれあい 笑い声をあげ
   ながらついてくる。
 
           

   彼女たちはもう6年目になる。上海に住む時間のほうが日本より長くなった。
   そういう気分はどんなのだろう?

       そのことはこのまえもママが言ってたけど…

   どう思うって言われても、とくに感想はないし住めば都だから両親が思うほど
   感慨はないし、日本の一部が思うほど大変だと思われる意味がわからないし
   現地のヒトが思うほど上海が最高  一番だと思うわけでもなく、彼女たち
   にとって今一番住んでて普通に面白いのが上海なのだろう。

 

     携帯のSIMカードやら、長距離電話カードを売るじさんはハーモニカを
     吹き、その横に二胡を弾くおじさんとあわせて、なんだか西方の音楽を
     練習するのか楽しむのか、楽しそうに演奏している。

     おかねを稼ぐために弾いているのか、商売あがったりなので休憩して
     いるのかわからないけれど、本当に自然に弾いていて、21時に近い
     夜の上海を盛り上げる。

                   

    麺と、それにトッピングするものをリヤカーにのせて、路上にお湯や
    座る即席簡易テーブルをおいて商売しているおじさんたち。

    麺にのせる野菜と香辛料関係のぷんとする生活感あふれる匂いのそばを
    越えていくと、ああここが下町なんだと思い出す。この匂いが真夜中も続き
    夜のネコと呼ばれる上海の人たちは、昼寝をしていたせいか元気よく
    遊んでみたり、しゃべりつづけていく。

       

    そこを過ぎると、茅台路がみえてこのあたりにしてはおしゃれできれいな
    佰威大酒店がみえる。

       

      パパは写真撮れて満足したし、どうしよう?タクシー  で帰ろうか?
      どっちでもいいよー

    ぼくらはめんのリヤカーの向こうから流してきたタクシーの1台に
    手をあげて乗り込むと、おとなしくおうちに帰った。

      


Arcadia 【5年越しの日々】

2010年04月30日 | 上海chouchou(たべる)

 タクシーは水城路をすぐに曲がり、仙霞路に入ってから古北路にあたり、
    天山路に向かう。

    指定した交差点にくるとタクシーは天山路を曲がらずにするすると路肩に
    寄せてゆっくり停まった

    天山路は娄山关路の駅ができてきれいになった。年末にきたときは昼間
    だったから、夜にみたきれいな姿をみるのは初めてだった。

     

    その昔、上海にきたばかりのころに同僚に晩ごはんを食べるにいい処、
    ということで教えてもらった店がある。

    それがArcadiaだった。そのころは武夷路×定西路というすごく難しい
    場所にあって、実は中山公園にすごく近いとか花市場(途中で移転して
    曹家渡にきた)とか、すぐ横にあった紹興酒をかめにいれて売っていた
    店だとか。。。パジャマで出歩く人たちとか…

    そんな通りにあった小さな洋食やさんだった。

    こんなきれいなところにあるんだろうか?
    駅の反対側にも大きなビルがあって、天山路は本当にきれいになって
    いた。両サイドの大きなビルには中華のチェーン店が入っていて、まるで
    張楊路の新時代広場のようだった。

                 

  虹橋公寓をこえて少し入ったところ、天山商厦の大きなビルの手前に立って
  このあたりだろうかと見回すと…公寓側のビルの端っこにひっそりと看板が
  でていた。

  もしかしてここかな?

  やっぱりそうだった。ひっそりとした佇まいはいかにもArcadiaだった

  まだ大丈夫なんだろうか?
  あまりに静かなドアをあけると…

     

  テレビとカウンター、そのうしろにテーブル席。奥には座敷席があった。

  昔のArcadiaは、いくつかのテーブル席と厨房、そして奥の小さな階段をあがると
  まるで小さな劇場のように、二階席にぐるっととりまくこじんまりとしたテーブルが
  あった。その不思議な空間と、日本語が流暢な奥さんが店員さんとして出て
  きて応対してくれた。たしか内蒙古の方だと聞いていたけれど

  いらっしゃいと応対してくれたのは、その奥さんだった。

    

   たしかにArcadiaだった


     

   テレビでは(テレビがあるのだ  あることが驚きだった)万博の開幕式を
   放送していた。

   仕事帰りなのだろう。おじさんがじっとみて、そして何人かが入れ替わる。
   労働節初日でもまだ働いている駐在員には開幕なんてのはattendのタネが
   ひとつ増えたという、頭痛のタネくらいなのかもしれないけれど。


      
       (EXPOのHPから転載)


ENYA   Angels


  
            

   Nonはミートスパゲティを注文。一番にやってきた。
   なんだか、ぱさぱさなそのスパゲティが、昔なつかしな感じなのだけれど
   Nonは不思議な顔でそれを食べ始めた。

    

  ぼくはハンバーグとごはんを。
  そう。ここでは昔こういうのとかクリームコロッケとかを食べていたのだ。
  
  まだ上海に到着したばかりのRinNonとKYOKOさんを連れて、日本食が
  恋しくなったらここにおいで、と薦めたのがこのArcadiaだった。

  ハンバーグの味はあの頃となんら変わらないなつかしい味だった。
  日本の懐かしい味をだしてくれる洋食屋さんの、復活を自分で味わいながら
  懐かしい味をなつかしいと感じるのは、そのなつかしさのもつ深みを感じ
  ているのか、それとも昔あった店舗の構造だとか、最初につれてきた
  まだ幼稚園児だったころのRinNonを懐かしく思い出しているのか、
  よくわからなくなっていた。

              

   あのころは五輪も万博もまだ昔の話で、景気よくアジア大会だとかW杯も
   招致するとぶちあげていて、まだ見ぬ先の話と、そのころぼくはどこで
   何をしているんだろう。上海にまだいるといいなと漠然と思っていた。

   残酷なほど時間はすぎて、五輪はもう2年前に終わってしまっていたし、
   こんな風に上海の片隅で、万博の開会式をみているなんて思いも
   よらなかった。
   KYOKOさんはいま浦東近くか新天地の事務所で花火を見上げているの
   だろうか。

          

     

   昼ごはんが、「こ熊や」の白カレーで、少し失敗気味だったRinの注文した
   オムライスは最後にきた。

   さっき、どうでもいいやと投げやりになっていたRinはおいしそうにもぐもぐと
   食べ始めた。今度はNonのミートスパがいまいちだったらしく、食べるペース
   が遅い。あからさまに困った顔をしてNonが少し残していたが、それでも
   なんだかまだお腹がすいているというふうでもなく、本を読み始めた。

 

   昔は紹興酒のかめの並んだ店の横に店頭のドアのよこにこんなロゴが
   貼っていた。いまは店内にこんなふうに載っている。

   ここまで、復活するまでには大変な道のりがあったのだろう。突然なくなった
   ときは本当に残念だった。

   店員のおばさんに「昔、武夷路×定西路のところにありましたよね。ぼくは
   そのころから通っているんです」と言いたかったけれど、なんだかそれを
   言ってはかえって興ざめになる感じがして、3人でだまって食べていた。

   そしてテレビをみるというより、テレビをみながら食べている男性数人
   (みんなばらばらに1人ずつできていた)を見るともなしに見ていた。

                          

   そう。万博が始まる。
   道には花が咲き乱れ、そして浦東の何もかもをscratch&rebuildした
   両岸に、史上最大の参加国の博覧会の会場の上には、もう一度春節に
   戻ったような花火が打ち上げられ、

   みんなが待ちに待っていたみんなの万博が、ぼくとは違う誰かのための
   ように思えるのは、こんなに近いのにテレビでみているせいかもしれない。

   あるいはArcadiaの空間がそうさせるのかもしれないけれど

   まあ、そのうち万博にはいってもいいかとは思えた。
   だって、ぼくはぼくなりに、このeventを待っていたのだから。

  

   Nonの残したミートスパゲティは、たしかにもうぱさぱさだった。
   それをある程度食べると、もうだいたいRinNonも本を読んでいるだけだったし
   切り上げる時間だった。

   お勘定をすませて、外ででるとあのころみた定西路のまっくらな並木道では
   なく、天山路のネオンの景色だった
                                          
★Japanese Kitchen   Arcadia
  上海市天山路767号虹橋公寓1F
  +86-21-6228-8331


和平広場のできごと 【Moon Crying】

2010年04月30日 | 上海chouchou(たべる)

 夜。結局KYOKOさんは仕事が終わりそうもなく、本日は夜ごはんも
    RinNonと3人でたべることになった。

  もともと今日は万博の開幕で浦東では花火がいっぱいあがるよ

  KYOKOさんはそう言ってぼくらを誘ったけれど、RinNonも疲れてるみたいだし
  のんびり古北の近くでごはんを食べれば充分だった。

     和平広場か洛城広場でごはんをたべようよ
    
 いいよ。


  Nonだけがちゃんと答えてくれるのが気になった。  

  洛城広場から、和平広場にぬけるBAR SUIREN前の通路を通り、和平広場に
  でる。萬蔵、花月、PUNJABI(インド料理)、麻浦屋(KOREAN)、鼎泰豊…
  いろいろあるのにRinがぜんぜん首を縦にふらない


     ぜんぶいやっ  なんか食べたくなくなった

  なんだそれは  

  Nonが ああ、始まった。。。というような「しょうがないなあ、もう… 
  という顔をする。KYOKOさんも言っていたが最近Rinがかなり無気力なことを
  言うことがあるらしい…


    これかー

  
     いったい何を食べたいのか。ぜんぶいやなら自分で提案しなさい
 
 
  ここは許すわけにはいかない。Nonはあの店はいやだなあ。とか、ここなら
  いいよ。とかちゃんと言ってるのだから。

  Rinはただただ、我を通すわけでもなく、わがままを言うだけで、ぼくたちは
  今、和平広場の 萬蔵の前の階段で立ち往生しているのだ。

  萬蔵にいく年配の男性と、それにつき従う小姐の姿やら、仕事あがりかも
  しれない食後のサラリーマンのグループやら、きのこ鍋をもう食べ終わった
  中国人らしい夫婦とか…

  そんな人たちが通り過ぎていくのをぼくは無視して、Rinに怒った顔をまっすぐ
  向けたまま表情をくずさないでいた。

  いままではそうやってわがままを言っていたのかもしれない。
  でもわがままじゃだめなのだ。

  ぼくがじっとにらんでいると、それでも小さいころは…というよりほんの少し前まで
  わんわん泣いてごめんなさい  と言ったのに、Rinはきょうは泣かなかった。

   じっとなにもないだろう右のほうを見て、じっと口をへの字に結んで
   なにも言わないでいた。別にインド料理やさんや鼎泰豊の店内を
   みているわけでないことはすぐにわかった。

   目に涙をうっすら浮かべながら、それでも泣かないでいるRinをみていると
   怒っているのに、なんだか心の中で「おっきくなったな…  」と思った。

 Nonは、またその大らかさで

    ねえ、どうすんのさー。別に萬蔵のざるそばでもいいやんかー


  と、くるくるぼくらのまわりをまわりながら微笑んで言う。彼女は彼女で気を
  使っているのだ。ぼくの知らないうちに、でもほんの少しずつ 日本にいる
  ちゃんと両親そろって育っている子どもたちより、遅いかもしれないけれど
  でもちゃんと育っている。上海にいるたくましさを備えて。

     さっき鳴った電話がまたなって、出てみるとKYOKOさんだった。
    ざっと説明して取り込み中なのですぐ切ったから、事情を察して行くべき
    店を考えてくれたのだった。

     天山路のArcadiaなら大丈夫なんじゃない?

    たしかにあそこならファミレスより小じんまりしているし、Rinも大丈夫
    だろう。

  ようやく、Rinも首を縦にふった。あるいは次にぼくがどんな店を提示しても
  うんというつもりだったのかもしれない。

  Nonもいいよ、と軽く言ったので、結局ぼくらはここまで歩いてきた和平広場を
  離れてタクシー  に乗って移動することになった。


  Rinを怒りながら、心の中で相反するように「成長したんだろうなあ」とぼんやり
  考えていたぼくは、タクシーの中でまた別のことを考えていた。

  この前日本にいたときのできごとだった。

  ぼくがクルマの中で、音楽をかけているとRinがそれにあわせて小声で
  歌いだしていた


倖田來未 / Moon Crying(short ver.)



   どうして10歳の女の子が、もうこんな歌を歌詞も覚えて歌えるんだろう…
 
   もしかしてもう初恋とかしているんだろうか

   とくに何もちゃんとしてやれていないくせに、パパっぽくふるまうぼくは
   控えめにいって、かなり狼狽してしまった。

      ど…どうしてこの歌知ってるの?

   Rinは軽やかに窓の外をみて、ハミングを中断してこういった。

      PUZZLEってドラマの主題歌だったから。

   なあんだ…

   案外まだまだ子どもなんだと思いなおした。
   恋をするならNonが先かもしれない。おませさんだから。でもNonは
   あまり歌わない。残念ながら彼女が歌うと音程がはずれがちなのだ  


   あるときはもう成長していて、またあるときはまだまだおそろしく子どもな
   RinNonはもうすぐ11歳の誕生日がくる。

   11歳間近な双子の女の子とタクシーに乗って、ぼくは水城路を北へ
   天山路の交差点で下りるからと運転手に告げた。

  


花はどこへいった 【Where have all the flowers gone?】

2010年04月30日 | 中国つれづれ。
 帰りのタクシーの車内からぼーっと景色をみている。

  延安高架路をおりて、ぐるっと世貿ビルをこえ古北路にはいる交差点。
  お年寄りたちが大量に花を植えかえている。

  そう。。。中国でよくみられる光景。春から夏秋冬、四季おりおりに花が咲き
  乱れている光景はたしかにステキだけれど、それを季節ごとに植え替えて
  いるのだは、いかがなものかとも思う。

  花が根付かないし、土も荒れるように思うのだ。
 

  いろんな社説で批判がでるのだろう。でも今日も、そう万博を控えて
  むしろ今日こそ最後のふんばりで、花はきょうも上海に彩りを与えるために
  植え替えられる。

  せわしない光景だ    



花はどこへ行った ベッツィ&クリス





   古北路を通って延安路をどうにか直進できたタクシーは…
   (そう、また道を知らない運転手にあたってしまったのだ 

   無事指示どおりに右折して栄華東道をあるき、水城南路でクルマを降りた。

    
   RinNonと、今回初のDUNKIN' DONUTS。 

   

  まだ晩ごはんまでは少し間があります。           

同楽坊 【try&errorの意味について】

2010年04月30日 | 上海chouchou(みる・くらす)

  タクシーは自信をもって間違った道を進む。というかぼくがひとりごとの
      ように言ったとおりに行っている。まあ間違った道をいかないだけまし
      だろう。。

   西康路×余姚路といったのに「???」という感じだった運転手には
   とにかく「常徳路の駅にいけよ。ほら、そしたらわかるだろ?」と説明したのだ。
   でも途中で西康路にぶつかったのにすっかり無視して、そして常徳路に
   いくと「おー、駅だ」というわけだ。

     いや、駅に行きたいわけじゃないだろ  

   余姚路について右折しろと指示する。結局彼は道を全く知らないってことが
   よくわかった。彼がキレなかっただけよしとしよう…

      

   降りてから少しまわりを見渡してみる。大きな看板があって、ここが目的地
   であることがわかる。

   三叉路が三つ重なった三角州のようなこの場所に「同楽坊」がある。
   新天地やその他の、倉庫街や老房子を改築してできたモールと違って、
   ここは工場密集地を改造してできた場所らしい。

  

   2005年からデザイン事務所が入ってrenovateを始めたというのだけれど…

   なにしろ…おさみしい場所だ 

               

   BARだったりCLUBと語尾があがるほう  )だったりがあるから昼間は
   やっていないというのはわかるんだけれど…

              

    でもこれですか?コスプレNightとかやったら、客層はかなり限定される
    だろう。そこまでしないと夜でもヒトが集まらないということか、あるいは
    すでに限定されたtargetのみを狙わざるを得ない状況なのか。

    いずれにしろ、あまりよくない状況であることは窺える。

    

       

   M50蘇州河沿いの地区田子坊・新天地、そして正月に行った老場坊
   いろいろ例を出しても成功事例は特色がないと難しい。

   この三角州で、デザイナーたちはいったい何をしたかったのだろう。

               

   Cafeがあり、そしてKENTO'Sがある。それなりに客は入っているが
   このCapacityから考えれば採算のあう人数ではない。なにしろ連休初日の
   昼下がりにこれなのだから。

   客の大半は欧米人で中国人がちらほら。きっと欧米と関わりの多い中国人
   なのだろう。となると…ちょっと繁盛は難しい。ちょうど昼前に新天地の喧騒
   を見てきたばかりなのでよけいにそう感じるのかもしれない。

       

  ぼくは新天地のレスのタイトルをlike.no.other とした。
  どこかのメーカーのそのままなんだけれど  そのものずばりのものが
  この同楽坊にはないのだ。

  ちょっと違う、くらいじゃあもう生き残れない時代に入ってしまったのだ。

   

   個の時代に生き残ることができなさそうな、この場所は実は夜はにぎやか
   なのかもしれない。でもたいていのBlogを読むと

     同じことが書いてある。

   ようは…  夜にはだれもきていないのだ  
   (いや、いくつかはあったけれど 

     そう考えると少しせつない。
   
             

   夜になるとにぎやか、かもしれないCLUBの入口で、RinNonが走り回る。

     

  昼間のさみしいこの場所で見る場所がもうなくなってしまうと、ぼくは
  2人に声をかけて帰ろうかと言った。

  手持ちぶさただった彼女らは、当然いいよと言って駆け下りてきた。

               

  目の前には高層マンション。昔こんなマンションの中に入ったことがある。
  夜に高層階から眺める上海は、浦東や外灘の風景なんかは見えなくて
  大阪のそれと同じようなのに、なんだか生活感が詰まっていた。

  友達がよこでタバコを吸いながら、2人でじっと見ていたのを思い出した。

   

  真後ろにはなにかの店舗を建てるのだろうか、大工さんが急ピッチで
  工事をしている。KYOKOさんはいま何してるんだろうってふと思い出した。

     

    ねえ。タクシーみつかるかなあ…
    うーん。その西康路まで出ればきっとあるよ。

  Rinがそう心配するほど「閑静な住宅街」なのだここは。

  タクシーを拾う前、同楽坊の端っこにある、なにやさんなのだろうか…
  昼休みからそろそろ起き出そうかという家族をみていると、こんな同楽坊
  なんていたらなかったんだろうなあとすら思えてきた。


★THE NEW FACTORIES 同楽坊
  上海市余姚路28号
  http://www.thenewfactories.com/new/index.htm 


   ちなみにこのHPはけっこうすごい出来です。でもかなり重たい…
   そう、この同楽坊とおなじように重厚長大で使いづらいのかもしれない。
   もし、そこまで読んで開発されていたのだとしたら、それはもう
   J.Joyceだって驚くような仕掛けの小説になるかもしれない。


こ熊や 【暑かった5月の昼下がり】

2010年04月30日 | 上海chouchou(たべる)
 准海中路を越えてからが迷う始まりだった。

   まるでぼくたち家族を象徴するかのように  、金陵中路にでて、その道なりに
   准海中路に戻って、あららと言いながら成都北路を横断。

   そこを無事に渡ったのでもう着いたと思ったら…そこからがよけいに大変
   だった。ようはWHENEVERの地図のとおりに店がないのだ。ついでにいうと
   住所の場所はコンビニ(可的)なのだった。

     いつも僕は可能なかぎり、地図を頼りに自分の足で探すように
       している。そのほうが覚えやすいからだ。

      「英語を覚えるには辞書をひきなさい」と教えられたからだろうか?
      高校生のときのぼくの分厚い辞書はマーカーだらけだったけれど、
      ぼくは未だにTOEICが550点すら越えないで苦労している。
      その意味では地図を見ながら歩くのは、いいことではないのかも
      しれない。事実、よく迷子になると一緒に歩かされる友人から批難
      されることも少なくない。  

   今回もその状況に見事にはまってしまった。
   しかしさすがに今日は暑かったし、14時にランチが終わるとしたら、
   そろそろ焦るべき時間になってきていた。

   電話をかけてみる…

     留守番電話だった…  なんの意味があるねん                                    

  

   結局、成都南路をだいぶ南にいけば、そこに大きな店舗が見つかった…
   1FばBAR。まだ営業していなかったので2Fにむかう。

                         

   がらんとした店内にはテーブル席と個室に1組ずついるだけだった。
   こ熊やのランチは今日まででGW中は空輸の(費用かな?)関係で
   休業になるそうだ。ちょうど間に合った。迷ったけど間に合った。

          

 こんなに個室があいているのに、そのせいか逆に通されたのはテーブル席。
 個室だと呼んでもなかなか来なかったかもしれないし、KYOKOさんがあとで
 曰く「個室にしてって言えばよかったのに」なのだが、やはりテーブルに通して
 しかも料理が遅かったということで、実は対外評価ほどぼくの評価は高くない
   

   

  子どもらはやっとついたこともあって安心して本を読みだした。
  ずっと同じ本を読んでいる気がしたので、帰るときには次あうときまでに読む
  本の約束をとりつけておこうと考えながらみていた。

             

  料理は3つ。ぼくは弁当。Nonが海鮮丼、Rinが白カレーだった。
  残念ながら最初にきたのはぼくの弁当だった。

     

  この店にきて一番よかったのがこのメニューなのは皮肉だった。
  RinNonには少し申し訳ないことをした気がする

 

  次にきたのがRinの白カレー。これもなかなか豪勢だった。Rinはちびちび
  食べながら、Nonを待っている。何も言わないけどやさしいのだ

               

  ぼくの料理は豆腐、サラダ、玉子焼き、肉類、…おかずも豊富で食べきれない
  ほどだ。RinNonにもあげようと思ったけど、さすがにまだそこまでは食べる気に
  ならないらしく、いらないとつれない返事。

          

   でもデザートの生チョコといちごはあげてしまうことにしようとか思っていた。

   Nonの海鮮丼がなかなか来なかった。
   じれてじれて…でも板前の男性二人はのんびりしたもので、最後はきれた
   ぼくがまだかと声をかけて店員が慌てて、やっとでてきた様子だった。

   (実際には、もって手前で手前の服務員女性がぼくのきれているのに
     気付いて慌てていたようだけれど)


       

   でもやってきた海鮮丼は待っていたのに相応しい、豪華さでNonも満足そうに
   食べ始めた。なんだかんだとNonは海鮮がスキ。
   何も言わずに丼に一心不乱に取り組んでいるのがその証拠だ。

                    

   それに対して、なんだかRinのペースがいまいちだった。
   おかしいなと思って白カレーを食べてみた。

      うーん…いまいち 

   ここはRinには「よくがんばって食べたなあ」と感嘆して言ったくらいだ。
   これは…誰をターゲットにしてるんだろ…ちょっとぼくとRinには受けなかった。
   残念だけど…

   Nonはでも満足げに、いっぱい入っていた海鮮丼を食べきった

   ちょっと評価のわかれる昼ごはんになってしまった。
   KYOKOさんのお薦めにしてはいまいちと言えるかもしれない。

       

   いつのまにか店内はぼくらだけになっていた。
   ランチタイムがおわるのだ。

   デザインはすてきな白を基調とした店内。住所と電話番号が不案内である
   こと以外はほんとにいい店なのかもしれない。あるいは飲み会になる夜に
   なったらば。JINOさんはたしかここを絶賛していたし。。

    

   昼下がり。入口ののれんに吹く風は生暖かくて、初夏のような装い。
   その急にきた季節を歓迎できないように、歩き疲れたぼくらはここで少し
   涼をとれたことを喜べばいいのかもしれないけれど。

            

★じゃぱにーず 新割烹 こ熊や(日本新割烹 小熊屋)
  上海市盧湾区成都南路105-117号
  +86-21-6386-5177

  

   成都南路は不思議な通りだ、こんなに市街地に近いのに、そして准海中路
   にも接しているのに、まだこんなに古びている。

   このあとはタクシーで少し新しめのSPOTに行こうと思う。
   静安寺北方の「同楽坊」にいくか徐家匯のあたりにある「永新坊」にいくか。

    永新坊のほうがいいよ。同楽坊はなんにもないよ

   KYOKOさんのお薦めはこ熊やの評価とあいまって、どうしたものかと
   ぼくを迷わせる。まあでもできた順にいけばいいだろう。

   タクシーの運転手には「西康路×余姚路」と告げた。
   運転手は「は?はあ…  」と答えた。

   なんだか不安な感じがした…           
   

like.no.other 【新天地を歩く】

2010年04月30日 | 上海chouchou(みる・くらす)
 新天地駅に到着。初日にきたときの様子から、RinNonに説明しながら
    歩いていく。

   ここがママの勤める事務所だよ…というと、あまり気乗りしない返事が
   返ってきた。

    そう。  きょうは暑い   のだ。

   今回長袖中心に服をもってきているので、このまま暑いとあっというまに
   着るものがなくなってしまう。若干不安を覚える天候ではある。 

      

   新天地の横にでてくる。少し中を突っ切っていくことにした。

    

   ここは相変わらずおしゃれだ。他にもいっぱいこじゃれたspotはできた
   けれど、官主導とはいえfirst runnnerのメリットを充分に活かしていると
   いうか、よけいなものがなくsmartだ。

            

  上海のどこよりも欧米人の数が多く、そして中国人の観光客も多い。両者
  共存して多いなんて陸家嘴とここくらいなものだ。
  そうでない、隠れたspotをぼくらは探すひねくれものだけれど  、それでも
  たまには新天地。  そう、悪くないのだ。

     年末に来たときにKYOKOさんと待ち合わせたときに目の前にあった
     不思議な模様のビルは結局工事がされていなかった。
     KYOKOさんによると、ドバイ資本のJumeirah Hotelsが資金難に陥り
     建設を中断。ドバイで7つ星のホテルを運営しているジュメイラがついに
     上海に、と期待されていたがドバイ不況には勝てず
           双子のデザインで建築中だった 

   

    こちらのCONRADも2010年以降に延期となっているようだった。
    中国以外の地域はまだ不況な部分は残っている。ドバイなんて今はどう
    なのだろう?でも一度行ってみたいところだし、こうやって身近に感じる
    チャンスもあったのに残念だ。

               

   悲喜こもごもな新天地を抜け、准海中路につきあたる。香港広場の前は
   相変わらず人通りが多く労働節初日でにぎやかだった。

     

  Cartierが入っているのか、巨大な看板が見えた。向こうにも
  Bulgari、Montblanc、Burberry…

  なんだか心斎橋を思い出した

  夜はどうなるんだろう…        

   RinNonと歩きながら、准海中路を越え「こ熊や」をめざす…

    

水城南路を北へ 【地下鉄にのって③】

2010年04月30日 | 上海chouchou(たべる)

 KYOKOさんは仕事熱心にきょうもでかけていった。

  残ったぼくらは、少しおでかけをすることにした。
  おひるごはんは和食がいいと言うので、新天地のほうまで地下鉄で行って
  「こ熊や」まであるいていこうと決めた。

  RinNonは水城路から地下鉄に乗ったことがないらしい
  それはまずいだろう。
  KYOKOさんは毎日通勤で使っている。ぼくはたまにしか来ないのにもう
  2回乗ってしまった。
  RinNonだってもう日本なら小学校5年生だ。乗っていないって理由にはならない
  のだから。

      

  地下鉄にのて出かけよう。マンションをでて歩くけれど、そうだ。
  マンションのすぐ横の地下街を抜けていこうと考えた。

  入口のあたり、韓国スーパーの手前に万博タクシー。
  ここから万博に行くので予約した人を待っているのだろう。

       あ、万博タクシーだ。あれって予約してなくても乗れるのかなあ
    うーん。よくわかんないけどそうみたいだよ  
  
  RinNonとRVタイプのこぎれいなそのタクシーをみながら地下に入る。
  3人とも今回は万博にいくつもりがないので、まだかやの外な出来事なのだ
 
      

  地下街の水城路側の出口。果物やさんが。
  これは以前は、交番のように交差点のそばの小屋にあった店だ。
  少し店舗がきれいになったってことだ。
  この場所にうつってしばらくたつけれど、どうなんだろう。
  昔、巴里経典に住んでいたころは目の前に見えていたし、ライチだとか
  マンゴーだとかみかんだとか柚子だとか、果物の大好きなRinNonによって
  いろいろ試されてきた。

   

      いまも果物よく買うの?
     そうだねー。マンゴーとかはよく食べるよ。

     よろしい  果物がいっぱい食べられるのは上海だからだよ。


                

  万博だからか、水城路の脇の歩道は石畳風のきれいなまっすぐな通りに
  なっている。雨のときでもべこべこの道でも気にならなかったのに、なんだか
  おしゃまになった女の子とお話するみたいで、ちょっと気恥ずかしかったり
  する  それでも消火栓はやぱり斜めに傾いたままだったり、大雨が
  降ったら、昔みたいに道路が冠水しちゃう状況はこれじゃあ変わらないんだ
  ろうなって思ったら、それはそれでおかしかったりする。

  この道はおもしろい。

     

  延安路の高架下をこえて、地下鉄に向かって歩く。
  4年前はずっと工事しているか、囲いで中が見えないようになっていた建物が
  1Fを店舗にしている。お花やさんだったり、服屋さんだったり。

  それは地下鉄の開通と、その上部の虹橋路がきれいになったことによって
  引き起こされたちょっとした改善点だ。

  おばあちゃんと手をつないで歩く少年は帽子を買ってもらったのだろうか?
  帽子のてっぺんには値札のタグがついたままで、でもそんなの指摘するのが
  申し訳ないくらいうれしそうに、とびはねながら歩いている。
  あるいはタグをつけて歩くのが趣味なのかもしれない。
  上海はなんだってありなのだから。

  RinNonと、どっちなんだろうってお話しながら脇を通り過ぎる。

  マンションの入口では、ママに怒られて大泣きしている子どももいた。
  ひとりっこ政策で甘やかし過保護的な姿しかることのない上海で、その姿は
  新鮮だった。がんばれ男の子  みんなそうやっておっきくなるんだ。

       

  地下鉄に乗ると、Nonが通う日本語補習校のお友達がおかあさんと一緒に
  ホームにいたらしく、声をかけられていた。
  見慣れぬぼくがいて、なんだかお互い「あっ」って感じで会釈を返しただけに
  なった。こんなときにもRinNonはもじもじしなくなった。少し成長したんだろう。
  でもあいさつはしてほしいんだけどな。

  ぼくも中学生のころまであいさつがとっても苦痛だったけれど… 

        

  地下鉄に乗って新天地駅まで。立ってドア際にたつ2人はまあまあ、さまに
  なっていた。その調子でもう少しかっこよくなってね
  Rinは最近引きこもりで、ちょっとぶた  になりつつあるので注意してね

 

   ねえ座ろうよ、と2人が言う。少しすいてきたときに3人並んで座る。

   途中の駅に着いたときに、万博の広告が見えた。

   そう。明日からだねとまたちょっと思い出した。

  


深夜の帰還

2010年04月30日 | 上海chouchou(みる・くらす)


   タクシーがついたときはもう夜中をずいぶんまわっていた。
   RinNonはぐずったり眠りこけたりはしないで、ちゃんと立って歩いて
   マンションの入口をくぐっていった。

   もう11歳になる。

   少し大人になったのだ。それでもまわりの景色はあまりみえていない
   ようだった。無理もない。まだ子どもなのだ。もう眠っている時間に
   いつもみたく、少し斜にかまえたセリフを言ったりするのはむりだろう。


   まだ支払っているKYOKOさんよりも早くドアを開けてとびだして小走りに
   マンションに入っていく。

   そう。もうねむたいのだ。よくがまんしたね

      

     牛肉麺の店はまだ開いていた。今回も食べる機会はないだろうか…



                            

    万科広場側の入口には、マッサージ屋さんのネオンがピンク色に壁を
    照らしている。あまりすきなマッサージやさんではないので入ったことが
    ない。でも夜のこの風景はきらいではない。

    もう12時をすぎている。

    KYOKOさんも足早にRinNonを追いかけて入口に入っていく。


                                おやすみなさい