Pのlog ( 大阪と上海のChouChou)

通称P。shushu(照れちゃう)ような稚拙きわまりない文面で、上海や大阪のchouchouを綴ります。よしなに。

年年歳歳花相似

2010年04月04日 | 大阪chouchou(その他の場所)

 土曜日が英語の授業だった3カ月を終え、今週から週末は2日とも
    ぼくひとりのものになった。でもガイア(  )が壊れてしまって、ぼくは
    自分の足で移動するか  自転車で移動できる範囲のことしかできない
    週になった。

 土曜日は、それほどなにもしなかったといっていいと思う。

 日曜日  朝、トヨタから電話があってくるまの受け取りが16時30分ごろになる
 とのことだった。

 結局それまでは家で過ごし、そのあとランニングを兼ねて鶴見緑地を走り、
 ついでにトヨタまで歩いて車を受け取ることにした。
 
   

 いつもは家をまっすぐ南下して、周回jogging道路から公園に入るのだけれど
 きょうはたまたま大きな道から脇にそれる形で走り、東口から入る形で走って
 みた。いつも、鳥の写真やなにが釣れるかわからない魚を求めているのか
 太公望のごとく何かを待っているかのおじさんがいる池は今週は桜が咲いて
 いた。水の吹き出し口に垂れるかのように咲き乱れる花はそれはそれで
 いつもの少し汚いどぶ川の様子を忘れさせる、じゅうぶんはなまるな情景を
 提供していて、カメラをかまえたおじさんや、シートを敷いた家族づれで
 盛り上がっていた。

              

  すぐそばにマンションがいくつかあり、それに公園の中心まではいれば
  これの数倍な人がいることは容易に想像できるだけに、ここで花見をして
  ほのぼのしている人は、おそらくこの数10m範囲に住むひとたちなのだろう。

      

  ふだんでも緑地の近い生活というのは、人生が少し豊かになった気持ちに
  なるし、自分の土地であるかは関係なく、少しきぶんが広くなるのかも
  しれないけれど、いまはみんなすっかり酔ってる感じで、そんなことも関係ない
  昼過ぎな情景だった。

  時間は15時30分すぎ。そう、ひるごはんを食べて、でも変えるにはまだもう少し。
  ビールもあらかた胃袋の中にある時間帯なのだ。

 

  ちょっとそんな中、まじめに走るぼくは異常なのかもしれない。そしてさらに
  公園の中心に入っていくのだ。少し迷ったけれど、まあいいやとおもうことに
  した。花がきれいな日にはきっとみんな気分もおおらかなはずだから、だれも
  気になんてしないだろう。

                  

  風車の前にはチューリップ。この予想されたお誂え向きな風景は当然
  典型的なHappyを日々享受しているfamilyにこそ提供される。

        

  撮れているのか撮れていないのか、わからないムービーをもつ子どもや
  小さなちびな男の子が女の子に指導されている風景なんてのは、きっと
  チューリップと風車とセットで語られるべく用意されてしかるべきで、
  私たちこそそれにふさわしく、そして教育上も好ましいと思う人たちで
  すっかりにぎわっていた。

  それはそれで正しいのだ。そしてぼくの気分も昼という健康的な時間の
  せいか、うきたってくる。
  でもなんだか場違いな気分は否めない。ここで会社の同僚や知り合いに
  会ったとしたら、ぼくはきっとすこし慌てた気分で

   「あ、ちょっと太ってしまったんでダイエットで走ってるんです  

  って、少し笑顔で語らないといけないんだろう。
  ぼくはこういうときに用意する笑顔のレパートリーってのがあまり持ち合わせ
  がないのだ。団体行動に年々向かなくなってきているってことだろうか?


# Love is...






 

   そこから坂を駆け下り、人をかき分け、咲くやこの花館前の道路を走る。
   もうそこはピクニックをする家族でやまのようで、噴水に群がるちびな
   子どもや、自転車でビュん  って少しキキっとブレーキを利かせた走りを
   みせるちびちゃんやら。そんなものをかき分けながら、歩いたり走ったり
   して、ぼくはここを通り過ぎる。

   そう、いつもは「走っている」つもりの公園が、なんだか「通り過ぎている」
   気分になっていた。小心者だな

               

   ここでも家族づれは多く、上海の世紀公園をまたいつものように思い出す。
   ぼくはあのころも一人で暮らしていたのだ。

   浦東に住んでいたぼくは真夏によく散歩で世紀公園まで歩いたりしていた。
   ここと同じくらい、きれいで広い公園はそのころよく大人な男性が噴水で
   シャンプーで髪を洗ったり、カラダを洗ったりしていた。

   立て札や警告で、よく噴水のまわりにべからずとして書いてあるそんなことを
   実際にする人がいるんだ、  だから書いてあるんだと、そのときぼくは
   思い知った。

   ここ鶴見緑地の噴水は子どもの聖地だった。好ましく、正しくfamilializeだった。
   場所も時間も違えば、きちんと好ましく運営されるのだ。
   それが文化なのか、慣習と呼ぶべきなのか。

   いまは世紀公園にはそんな人はいないかもしれない。
   でもそれはまだ寒いからかもしれないけれど。

         

   早足かかけあしで公園を抜けてしまったぼくは、まだ時間があるせいで
   公園を出たところで少し休憩しないと16時30分どころか16時前にトヨタに
   着いてしまうことがわかった。

   この人通りをあてこんで、露店がいくつかでていた。
   お年寄りの夫婦がアイスクリームやさんを出していて、その年齢に相応しい
   からか、お年寄りがそのあたりに座って世間話に興じていた。

   

    ぼくはアイスを買ったけれど、少し間をおいて一人ですわり、目の前の
    芝生で休憩しているひとたちをみながら、とりあえずまた春がきたことは
    喜ぶべきなんだろうなと思っていた。
    だって、毎年春には浮足立って結局あまりいい思い出が公私ともに
    なかったから、なにもない春というのは森進一に歌われなくたって、ぼく
    にとって珍しいことだったから。

    アイスを食べて、トヨタには歩いていった。
    車はちゃんと直っていて、ここ数年少し車をよじらせるとでていた
    キューキューいう音も消えていた。

    10年選手の車で、お世辞にもカッコ良くない車で、男性はみんな
    もう買いかえればというけれど、それでもこの春はまだこの車でいけそうな
    感じがした


★花博記念公園鶴見緑地
  大阪市鶴見区緑地公園2-163
  06-6912-0650
  http://www.ocsga.or.jp/osakapark/hfm_park/01tsurumi/index.html