Pのlog ( 大阪と上海のChouChou)

通称P。shushu(照れちゃう)ような稚拙きわまりない文面で、上海や大阪のchouchouを綴ります。よしなに。

歳歳年年人不同( 田子坊にくるたびに )

2010年01月02日 | 上海chouchou(みる・くらす)

 てくてくと瑞金路を南下して歩く。建国中路を左折。
   もう少しで着くよというと、RinNonが少しぐずりはじめた。なんかいろいろ
   ぶらぶらというより、時間がかかると思ったのだろうか?急に、帰る帰ると
   合唱するように  ぐずる。

   少しおとなげなかったけれど、

    わかったよ。じゃあ2人で先に帰ってもいいよ。
       じゃあね


   と言ってみる。さすがに、まだ2人だけでタクシーに乗ったりはできないのだ。
   ちょっと意地悪だったかもしれない  でも甘いときも多いけど、こんなときも
   多いのだ。こわいパパを演じないといけない。

   家でごろごろしてたって、楽しいけれど上海に住んでる意味がないんだから。
   「なんだかよくわからないけど、ぶらぶらと来たことがある」場所がある。

   それが観光地なんかじゃなくて、ちょっといいところだった、なんてのが
   これからcreativeな感性を育てるんだって思うから。

                       たぶんだけれど。
    

   初めて北側から泰康路田子坊に突入。それも古い東端の通りではなく
   一番最新の西側から田子坊に入ったようだ。

          

  正月3が日は上海だって学校や会社はお休み。それでだろうか、すごく人が
  多い。島耕作でもついに登場したし、新天地と比肩するだけの人気になって
  きたのだろうか。

        

  初めて田子坊にきたのはいつだったか。まだ東の通り一本しかなくて、
  これから発展するのかなあ、この通りをrenovateするって発想はいいけど
  民間の自然活力でいけるんだろうかって思う状態だった。
  それがいつのまにか店が並ぶようになっていた
  ( 2009.01.04 泰康路田子坊①常に変化の街で
  でも一番西の端はまだ発展中だった。
  ( 2009.01.04 泰康路田子坊④光と影
  昨年5月にきたときは少し発展していて、さらにこぎれいになりつつあった
  ( 2009.05.30 Greschenkronは泰康路の夢をみるか )  

  知らない店が増えて、最初にventureというより冒険家のように開店した店は
  淘汰されていたり、拡大発展したりしている。知らない店のうち大部分は増えた
  ところだ。
 
            

  店が増えて、通りで湯あみをしていたおばさんや所在なげに座っていた老人
  や、学校帰りで走って通り過ぎるこどもは見えなくなった。
  かわりに、なんだか古めかしくてでもすてきな建物なのに未整備でみすぼらし
  かった家並みは、みんなきれいになって店に変わった。

  ついに観光地となって各国のガイドに掲載されるようになってきたのだろう
  (各国の店が冒険して出店するようになっている)欧米人の姿も増えてきたし
  日本人の観光客もみえるようになった。ANAだかJALだかHISだか。
  ITの新規用語よろしく、いろんな横文字観光会社が大小織り交ぜてここを
  紹介するようになって、初めてきたときは
   「日本の観光客に荒らされてない、これからのおしゃれな街 

  だった田子坊はすっかりバスが乗りつけて、ぐるんと市内を一周するコースに
  組み込まれてしまった。( バスはいったいどこにいるんだ? )  

             

  こんなに増えてるなんて思いもしなかった。それは何度か上海にきて、その
  たびにチェックしに来ていたぼくにとって、うれしい反面すこしさみしいこと
  だった。

  新天地には新天地の。泰康路には泰康路の。M50にはM50のよさがあるのだ

  みんなわかってくれているだろうか?

      

         

  それでもまだ通りには店のできていない部分があって、そこには人が住む
  気配が残る。今度きたときはそこすらも、もうないだろう。
  まだ少し許せるのは、それは個人で勝負にでる店が自分でrenovateする
  のであって、大資本がブルドーザーで押し流していくのではないとうことだ。

         

  大きくなりすぎた田子坊は、ついに地図ができていた。そりゃあそうだ。
  普通に歩いたって迷子になるのだ。いままでなかったほうがおかしいのだ。

    

  いったん南側にでて、正面入口(そう、有名なgateがあるところ)から入りなおす

   

  見慣れた店と、見慣れない小便小僧みたいな店があった。

           

  RinNonとの約束どおりに、お茶をする場所を探す。この映画にでてきた店
  だって、以前は普通にお茶できたのに、みんなが「あ、見たことある  」とか
  思うせいか、いっぱいになってしまっている。

  

  ついにこのカフェは机をおいて、強制OPEN CAFEにしているし

             

  雑貨の店は前にもましてこぎれいになって、見ている人もこぎれいな人が
  すっかり多くなった  RinNonもこころなしか背筋をのばして歩くように
  なっている。女の子だからだろうか?それともNonがballetを習うようになって
  背筋がのびるから、主体性のないRinがつられてるから、だけだろうか。

                 

   石庫門、という言葉の似合う中華なお店もあれば

    

  服の店があったり、洗濯物が吊ってある横道や、頭上にフロアに残る住居に
  吊るしている洗濯物ですら、観光客は写真におさめる。

  それはぼくもしてきたことなので、気分はわかるけれど。
  干している洗濯物まで観光客用になったようで、なんだか不思議だった

  中国風な店で孫に説明しているような欧米人のおじいさんや

       

  欧米風な店の前でものおじせずに、覗きこんでいる中国人の若者をみて
  いると、この通りの爆発的発展の息吹を感じます

  そろそろRinNonが疲れてきました。東のすじを中に入り、お茶する場所を
  探しましょう

       



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