Pのlog ( 大阪と上海のChouChou)

通称P。shushu(照れちゃう)ような稚拙きわまりない文面で、上海や大阪のchouchouを綴ります。よしなに。

Pudong Shangri-La(浦東香格里拉大酒店)

2009年12月31日 | 上海chouchou(みる・くらす)

 

  1933年にジェームス・ヒルトンが「失われた地平線」にてこの名称を初めて
  使った”シャングリ・ラ”。チベット語でいえば「シャンの山の峠」程度の意味
  なのだけれど、山の奥地に仙人のように集まった僧が住む場所=転じて
  ユートピア、桃源郷をさすようになっている。

  1971年に香港を本拠とするホテル・チェーンがシンガポールを最初として
  展開を開始したのが同名のホテル。
  2005年と2007年に杭州のシャングリ・ラに宿泊した経験のあるぼくたち家族
  2010年に切り替わる大晦日。

  浦東のシャングリ・ラに初めて泊まることになった。
  KYOKOさんの強引なreservationにより窓側の部屋を確保できたからだ。

  

  ようやく浦東に到着したタクシー  の助手席に座ったKYOKOさんは予約を
  成功させたにも関わらず旧館と新館のどちらに予約したのかわからず、
  ほくの判断でとりあえず旧館に横づけしてもらった。
  結果としてぼくの判断は正しかった。 

  KYOKOさんの懸念は問題なく予約は無事、窓側の部屋にされていた。
  年末のひょんなタイミングだっただけに奇跡といえる。
  定期的にホテルからメールがきていることを思い出したぼくは、このホテルの
  Golden Circleメンバーだったことを思い出した。カードは忘れたけれど
  ちゃんとシステムには登録されていた。これで館内の施設は使えるように
  なった。このメンバーはすべて英語のHPで登録しないとできないように
  なっていて、日本人には非常に敷居の高いカードとして有名だったらしい。
  いまは東京にもホテルがOPENした関係で日本語もできたらしいので、それほど
  話題になっていないと思うけれど。

  ぼくはたまたま、英語の練習で登録したらできた、というだけだったのだ。
  偶然とはおそろしい。

                 

  部屋に案内されると、さっそくRinNonが騒ぎ出す。でもね、きょうはお部屋で
  飲んで食べて景色をみる日なんだよ。

  そう言い聞かせるけれど、とにかく10歳には許容できない内容だったかも
  しれない。でもお腹はすいているので、とりあえずしたがってくれた。

     

  窓の外は外灘。こんなによく見える場所でいいんだろうか?と思えるほどだ。

     

  部屋に入った直後はまだイベントも始まっておらす、いつもの外灘。
  いつもの様子なのにすでにこのimpactなのが心憎い。

             

  対岸の旧市街、浦西側には蓮の葉を思わせる王冠のようなwestin。
  あとで読んで知ったのだけれど、この日この瞬間はJINO@上海さん 
  KEN@上海さん が宿泊していたとのこと。偶然とはおもしろい

     

  すてきな景色を見るときに人は言葉を語れなくなる。
  初めてKYOKOさんがやってきた2005年国慶節、ここをみて彼女は上海に
  住むことを決意したのだけれど、5年たってまたここで今度は宿泊をする。
  これはあくまで偶然だけれど、そのとき見た景色を拡大発展させた今の
  景色をどうみているのだろうか?

  きっと現時点の感覚で次に進むのだろうけれど。

 

  しんせん館のお寿司と途中で購入していたワインとの晩ごはん。
  おせちは明日の朝らしい。

       

   テレビではNHKで紅白が始まっている。海外で、と但し書きをつけずとも
   紅白そのものを、見ようとしてみているのはそれこそ10年以上ぶりのこと。

   上海に住むRinNonにとって、嵐が上海にきたときにコンサートには行った
   ものの、テレビで日本の歌手にふれる機会というのはそれほどない。
   それでも彼女らも、嵐の歌はちゃんと口ずさむことができるのだけれど。
   DVDの影響だね

 

  お寿司は少しぱさついているというか寿司めしがいまいちだった。
  もうなくなってしまったらしいけれど、かつてあった「寿司王」くらいまでは
  いかなくても、その80%くらいの旨さはあってもよかったのではないでしょうか

   とか少し思いましたが、上海で 外灘で 日本食を食べながら
      雑踏にふまれたり騒がれたりの喧騒を回避してのんびりできるなんて
      それはもう至福のときだなって

  RinNonはさすがに理解できないけれど、KYOKOさんとぼくは充分理解して
  いる…はずでしたが、仕事疲れかワイン  数杯で彼女はで寝込んでます

                              

  船はライトアップしてるのはいつもの通りだけれど、年末のかきいれどきなの
  か、出ている船の数がいつもよりやや多く感じます。

          

  この景色をどう写そう。写しても写してもうまく写らない
  デジイチではない機種の問題と、それに倍する技術力の問題と。
  そして酔いのせいも若干の含有量をもちながら、センスを補ってあまりある
  この景色とlocationを全く生かせないこの景色を、どうしてくれようと思いながら
  目にはしっかりと焼きつけておこうと決めたのでした。

  

   TVの画面のPERFUMEのかわいさに狂喜したり、E・YAZAWAの予定調和
   でありながら、それでも存在感で他を圧倒する力とか。
   そんなものを見ていると浦東側は、いつもバスの停留所であるはずの
   場所がコンサート会場になっていたり

             

  浦西側の外灘8号のあたりでもコンサートらしきものが始まっていたりします。

     

  外灘の大晦日は、旧暦で動く中国の人たちはおうちでくつろぐ時間でも
  きちんと新暦で動き始めた中国人と、もともと新暦で動く日本人や欧米人を
  取り込みながら、新年を待っているところです
                                        

★浦東香格里拉大酒店Pudong Shangri-La
  上海市浦東新区富城路33号
  +86-21-6882-8888
  http://www.shangri-la.com/jp/property/shanghai/pudongshangrila


夜。延安高架路を走る

2009年12月31日 | 上海chouchou(みる・くらす)

 昼間はそれからは予定どおりだった。

 しんせん館にいくと特設テントで、おせちの受け取りができた。寿司もお箸も
 買い込んで、これでホテルで食べるごはんは確保

  RinNonは16:30に予定どおりバスで帰ってきた
 最後のroutine workでまたもやダンキン・ドーナツにいく。

  「今朝、ママと一緒にここで朝ご飯食べたんだよ。パパはドーナツだらけに
   なっちゃうよ」
   「いいんだよ。バスで帰ってきたら寄るのがルールだよ」


  こうして、上海にきて4日目。4回目のお迎えもダンキン・ドーナツに寄って
  3つのドーナツと、1個の無料ドーナツを買って帰った。

  それでも、ドーナツを食べながら宿題をするのはえらいものだ

     

  結局みんなに時間厳守を指示してはいても、一番遅かったのはKYOKOさん
  だった。これも想定どおりだからRinNon含めてだれも気にしていない。

  

  準備ができていたぼくたちは、それほど時間を使うことなく出発に向かう。
  12月31日18時前の万科広場は、いつもの夕方とそれほど変わらない車の
  量で、KYOKOさんだけが焦っていて、KYOKOさんだけがタクシーがなかったら
  どうしようとか言っていた

                

  振り返る万科広場の時計は、いつもよりきれいに見えて。
  今日は浦東に泊まりです。また明日会いましょう 

     タクシーに乗り込んだKYOKOさんは一言

       「虹橋路、洛城広場」

       え?…なにそれ?焦る理由はそれですか 

      

  大晦日のご挨拶まわりだったのだ。お花を買っていたKYOKOさんは
  広場の入口でタクシーを止めると、中に駆け込む。たぶんSUIRENへのご挨拶
  だろう。自分が内装担当した店へのご挨拶。悪くはない。

  RinNonとぼくの3人は、タクシーでおとなしく待っていた。洛城広場の入口では
  いろんな人が行きかい、にぎやかだ。マッサージやさんの中からこぎれいな
  女性が3人でてきた。観光客だろうか?場所的には駐在奥様かもしれない。

  これからどこかで、すてきな店で新年を迎えるのだろうか?
  そろそろ日本人にはそわそわする時間になってきた
                                        

    タクシーの運転手は、洛城広場に寄ると聞くと明らかに不服そうな
      表情で、待ている間にも「ちぇ」的な不平をぼくにもわかる中国語で
     つぶやいていた。家族の中で一番中国語を話せなくなったぼくで
     これだからRinNonであれば完璧に聞き取ったはずだ。けれど、2人は
     特に驚きやおびえの表情も出さずにDSをしていた。
     もう慣れたのだ。子どもなりに肝ったまの座り方もお行儀のひとつ、
     処世術のひとつとして習ったということだろうか。

     それはそれで悪くはないだろう。特にこんな場合は。だからとくに
     話しかけなかった。

  KYOKOさんが戻ってきて、きちんと運転手にわびを言って浦東に向かって
  ほしいと言うと、彼は機嫌を直したのか あるいは 浦東までの距離と自分の
  儲ける金額を思い出したのか 「好的」と答えてだまて走りだした。

       延安高架路は外灘・浦東にむけて渋滞。

   そうか。渋滞かあ。たしかに新天地や外灘、各ホテルなどはcount down
   イベントがあるようだし、渋滞してるのもうなずける。
   まあ12時まで渋滞なんてありえないので、のんびり構えて座っている。

 

   ふだんきれいに見えるのに、猛スピードで通過するので  映すことも
   できない場所をじっくり高架の上から見ることができるので、却って
   面白かったりする。上海展覧中心も今夜はずっとライトアップだろうか。

               

  のろのろと動く道路の向こうには少しずつ浦東が見えてくる。
  極め付きは南北高架路。いつも下部をLEDでライトアップしているのが
  その下を通過するときに、こんなにきれいにじっくり眺めることができた。

   





    延安高架を同僚や上司や友人と、行ったり来たりした夜。
    浦東にあった会社から出発すると必ず通ったこの下の部分。
    いま思うと、いつもこの歌とセットに想い出す

    そのころに流行していたからだろうか?それともぼくの潜在的な
    イメージなのかもしれない
                    
    上海ならば 張一白「夜、上海。」。東京ならばタルコフスキ「惑星ソラリス」。
    高速道路が登場する映画はあるけれど、上海のここが語られる映画が
    あったっていいのにと思う。

                 

  延安高架を通る大晦日。もう上海で迎える正月は何度目になるだろう。
  外灘の手前で、きれてしまった高架を降りて、延安東隊道に入る。

  運転手も家族もみんな、もうすぐだなという ほっとした  気分が流れて
  トンネルをでると

   

    陸家嘴の2本のビルがお出迎えでした。
    自分がおしゃれな人間になったかのような気分で、腰もココロも数センチ
    浮き上がった感じがしました。

   


Last 100meter (上海Logistics)

2009年12月31日 | 上海chouchou(みる・くらす)
 家のある古北まで戻ってきた。

  延安高架路の下、家楽福(カルフール)の前でトラックが並んで高架下の
  一般道の側道が封鎖されているようにもみえるが、これは仕入の車の
  列だ。これも見慣れた風景である。

  

   もともと大型店舗なのだが、トラックの受け入れは店舗奥、脇のところにある
   スロープから一台ずつ3Fまで上がっていくことになる。ようは階上になって
   いるうえ、横付け面積が少ない。また仕入担当が少ないのでこうやって
   トラックが並んで渋滞になることに。

   物流のITの仕事をしていたときに、配送の一台のトラックを追いかけたことが
   ある。偶然ここに配送していたトラックの人によれば平均2時間ここで待機する
   ことになるという。
   大型のトラックは昼間は市内に乗り入れられないという上海市の規則がある。
   郊外に大型倉庫を流通側が構えればこれは解消されるのであるが、そもそも
   在庫を管理するのは納入側という商慣習があるので、わざわざ仕入側が
   倉庫を構える発想にならないのだ。

  納入は、仕入担当が店内の様子を見ている場合などは順番どおりにならない
  こともあるし、これだけ渋滞になるほど待たせていても昼ごはんは定時に
  ちゃんととるらしい  こんなところはあまりにも中国らしい。

                

  かくして配送のトラックは中小型化されたまま、改善されることもなくきょうも
  主要なショッピングセンターの裏手でこうして渋滞を作りながら、運転手は
  納入を待ち続ける。そしてそれは主要な道路の車線を数時間もふさぐほどに。

      

  小型で機動力をもたせようとするとこういうリヤカーや自転車で運ぶほうが
  確実だったりする。だからこういう初期的な輸送携帯だって地方ではまだまだ
  残っている。物流はまだまだ発展しているとはいえないけれど、それでも急激
  に動いていくだろう。でも最後の100mでまだこんなに古きやりかたは残っている

  

  商売のやり方が少し日本と違うだけで、こうして旧来の形は今日も残って
  いる。なにしろ人を運ぶのだって、タクシーでなくリヤカーの荷台に乗せて
  ○円だったりバイクタクシーや、自転車のテュクテュクみたいなタクシーも
  郊外なら残っているくらいだ。ちょうど古北が車のタクシーとの境目だったり
  するので、ここまでバイクや自転車のタクシーがくる姿を見ることもできる。

        

かつて知っていた道を。

2009年12月31日 | 上海chouchou(みる・くらす)

 食後の運動も兼ねて歩き始める。

 天山路を西へ。

   昔は、その町の出身者が住むから道の名前がついているのだとばかり
   思っていた。中国語の先生は大学生で、江西省南昌の出身だった。
   でも、当然南昌路には住んでいなかった。
   それを言うと先生は大笑いした。さもおかしいようで涙を流さんばかりに。

   南昌路はにせもの市場のあった襄陽市場のすぐ南に面していて
   そういう商人が行きかう通りだった。そこを過ぎれば静かな下町だったけど。

    

  そういうわけで、天山路は別に新疆の人たちがいっぱい住んでいる地域、
  というわけでは…当然ない。

        

  それでも下町には変わりない。こんな通りがぼくはとても好きだ。
  そこでは浦東ほど、ぎすぎすした忙しさやせわしなさもなく。みんなゆっくり
  過ごしている。

  飲水機の替えの水のタンクをいっぱい背負ったリヤカーやら
  さっき維心で食べた値段よりも半額以下のはずの「蘭州ラーメン」の店が
  あったり。(この麺はひさしく食べていなかったので食べてみたかった 
  ここではちゃんと1分が60秒で過ぎるようにできている

               

  天山路から縦に折れ、芙蓉江路を少し歩いてすぐに、茅台路で曲がる。

   飲み物を冷やしてない駄菓子やさんや 

         

  いろんなものを回収しているリヤカーやら。
  かつて、昼間に家族で食べに来た牛タンやさんやら、夜にタクシーで通り
  過ぎたり、歩いて冷やかしながら酔いをさまして歩いた通りとか。

   

 こんな団地もありました。ああ、あったあった  夜にそびえたつように
 あるこわいような暗さの中、それでもたくさんの人がいて、ちゃんと保安も
 あって維持されている不思議な治安のよさだとか、
 現地の人もこんな高層に住むんだって、いう不思議な共感とか、
 団地の中は日本のどこかのような不思議な空間で(そう、たしかに仲良かった
 女の子の家がこんな感じだった  )それでいて中国特有の形が見え隠れする
 居心地のよさとか。

  そんなことを思い出しながら、あの頃ぼくはなにを思って歩いていただろう
  とか、そんなことを 

潘叙コ柏 & 弦子 - 不得不愛


   この歌とともに思い出したりしながら歩く。
   何年たったのだっけ? 
                                      

   帰国直後にこの歌は「NHK中国語会話」の主題歌になっていた。
   切ないフレーズで飛行機が飛んでいく冬の北京の空が背景でとてもきれい
   だった
   昼も夜も深夜も、いろんな思い入れのある通りを歩いて 
   今度は水城南路に入る。
                    

   荷物を運搬する地方の人と、こぎれいなお姉さんのアンバランスでありながら
   成立させている風景。ここはいろんな業界、いろんな世界に住む人が
   それぞれ のびのびと生きている。

     

  ここは交差点のガソリンスタンド。水城南路×仙霞路。
  欧米のいわゆる”eight Majors”を凌駕するともいわれるSINOPECの
  ガソリンスタンド。年末のせいか、それとも最近は平常でもそうなのか、
  給油待ちの列。それだけ車が増加しつづけているということだろう。
  
   2009年。ついに年間自動車販売台数が世界一になった   

 

  それでも、こんなふうに人の力に頼る世界はまだまだあるわけで
  この国の潜在力の懐の深さを思いながら

  でもすぐに違うことを考えてみたり。大晦日の午後はそんな感じです。

  そろそろおせち取りにいかなきゃ


天山路あたりまでラーメンを食べに。(維心)

2009年12月31日 | 上海chouchou(たべる)

 昼ごはんは何を食べようか。今日まで ひとりな昼なので、なんでも好きな
    ものを食べられるのだ。

   ということで簡単にラーメンにすることにした。 
   蘭州など西域系の現地ラーメンやさんも捨てがたいのだけれど、日本で
   「中国にもラーメンあるの?」と聞かれることも多いので、日本のラーメンを
   出す店に行ってみることにした。
  
   悩んだのは、天山路×古北路の交差点から古北路をさらに少し北にいった
   「利つう」か「維心」。そのときはこの2店が系列とは知らなかったのだけれど
   とりあえず見て決めようということで。

   天山路×古北路の交差点手前でタクシーを降りる。古北路もここまでくれば
   庶民的になる。

   

   車の通りが非常に激しくなっているけれど、人通りの多さ、信号無視する
   人の多さと、このばらばらでカオスな動きは面白い。

                   

    ここは地下鉄2号線の婁山関路駅がすぐ近い。その上部がショッピング
    センターになっているので、その分人通りも多くなっている。
    そういえばぼくの住んでいる間はずっと工事中のままだった。ついにできた
    わけだ。そのせいで、車の通りがよけいに増えているんだろう。

        

  それでも信号無視している人が変わらないのは面白い。ぼくも人の波に
  ついていくと、道路の中央に取り残されてしまった

  もともと道路の幅に比べて青信号の時間が短すぎるのだ。
  それでも、こんな太い道路でも、人はみんな車の流れをずっとみていて、
  隙あればわたってやろうと狙っている。なんだかのら犬みたいだ

 

  反対側の古北路にはバイクの流れ、過積載のトラック。よくある地元の風景だ

         

  バイクでこれだけの荷物を運ぶおじさん。そうそう、こういうのがまた見たく
  なるから面白い。一番うしろにぶら下げているだけの荷物はきっと、落ちても
  気づくことはないだろう

  ぼくが面白がって写真を撮っているのを  通り過ぎる人が不思議そうに
  眺めていく。そんなこと不思議に思う人は少ないし、観光客がここまで来る
  ことはないからだろう。でもこうやって残しておくのが…

       ぼくの楽しみなんだから  

  そしてバイクの走るほう、古北路の北側を歩いていく。

  「利つう」はちょっと戸の構えが小さすぎて、入るのに気おくれしたので
  「維心」にした。
  ちょうど昼ごはんどきに差しかかるころ。席は空いているのだろうか。

   

  カウンターは空いていて、ぼくのようなひとり客はまだ数名入れるけれど、
  テーブル席はもう結構埋まってきていた。日本人だけでなく中国人の姿も見える
  思うのだけれど、ラーメンというのは和食なのだろうか?

  中国人が開発した、新しい寿司です、と出されたらさすがに少し抵抗がある
  だろうけれど、ラーメンは違うのかもしれない。
  麺というのは和洋中それぞれにあるし、いろいろあっても抵抗が少ない食べ物
  なのかもしれない。そもそもおいしくて清潔なら中国人だって食べるだろう。
  そう思うことにして、注文を。

                     

  店員さんは全部中国人。厨房の中は見てないけれど日本人だろうか?
  店員さんの愛想は悪くないので教育は行き届いているとみえる。
  「維心ラーメン」のセットとして餃子をつける。これで基本の味がわかるから
  チャーシューとかとんこつ、とか無理に最初から頼むことはないのだ。

  中国にきて、日本のラーメンが中国に迎合しようと無理な変化をさせていたり
  単に日本で売れないから中国で勝負みたいなラーメンやさんもあった。
  そういうのを見極めるには最初は、素の形で勝負してもらうほうがいいのだ。
  だいたいラーメンがまずけりゃ餃子だってまずいのだから



  ラーメンはなかなか外見と違ってあっさり気味で、上海にきてから食べ過ぎ
  かなと思っていたおなかにもきちんと入ってくれた。
  餃子も変に甘かったりする部分がなく充分おいしい。

  ネットで事前に調べていて、「ダシの味が一定していない。行くたびに味が
  変わる」ことをクレームしていた方がいらっしゃるけれど、それは中国で期待
  するのは無理だろう。マニュアル化されていないので、料理人ごとに微妙に
  味が違うし、本人も同じ味を出せないだろうし。そこは慣れだろう。

  5年前はモスバーガーだって日本と違う味だったし、店舗ごとに違う味だった。
  マニュアル化するのが苦手なお国柄なのだ。長い目でみればよいのだ。
  麺の長さくらいには

    

 食べ終わって、元「上海WALKER」である「WHENEVER」の最新号を持って帰る。
 これもよくある風景だ。
 こうやって新たな情報を手にして、そしてまた新たなroutineが出来上がる。
 変わるのは雑誌数と雑誌のページ数がちょっと増減するくらいで、そのスタイル
 は変わらないのだ。

             

★らーめん 維心
  上海市長寧区古北路179号
  +86-21-6274-2318
  http://www.chainavi.jp/shanghai/user.html?sid=2915838 (ちゃいなび)


  店をでて北側を望む。そこでやっと車の流れが多い理由を理解する。
  古北路が蘇州河を越える橋が完成しているのだ。それで車の流れが突き
  抜けて、多くなっている。地下鉄の開通とともにこうなったのだろうか。
  たしかにここにラーメンやさんを置く意味はあるかもしれない。
  昔は日本料理は焼き肉やさんくらいしかなかったのだけど、これならやって
  いけるかもしれない。それに競争相手がまだ少ない。

    

 反対にもときた道を向く。古北のあたりのビルが遠くに見える。少し散歩しながら
 家に戻ることにした

              

   日用品、洗濯ばさみとかハンガーとか、そんなものを売り歩くおじさん。
   年末の売上はどうですか?

    


火事とDonuts屋での朝食の相関について

2009年12月31日 | 上海chouchou(みる・くらす)

 いよいよ大晦日。きょうはうちの家族は浦東のシャングリラ・ホテルで
    外灘をみながらの年越しをすることになっている。
    超緊縮財政のおり、質素に上海で過ごそうというぼくの提案のどこを
    聞いていたのか、KYOKOさんの粋なはからいと言える

   正月は春節のとき、とはいえ学校は明日から三が日は休み。
     昨晩はblogを書いていたせいで寝不足のぼくは、ついにお見送りに
     いけなかった…

   本日のシャングリラのcheck inは16時と予約したらしく、KYOKOさんは
   RinNonに選択授業は出ずに帰っておいでよと勧めるが、Rinが頑として首を
   たてに振らなかった。きょうは好きなpianoの授業があるというのだ。

   ふだんNonに流されることが多く、好き嫌いの主張や思考そのものが
   あやふやなRinなので、このことはかなり驚いた。KYOKOさんは言うことを
   反映できずにため息をついていたけれど、ぼくはかなり嬉しかった。

   Rinがこうやって主張をしてくれるんだから尊重すべきなのだ。

   結局check inは18時にすることにした。それで充分なのだ。
   もうトンネルは一本増えているし、通行止めになったって浦東へのわたり方
   は何個でも思いつくはずだから

   ぼくに朝ご飯を作るか何かする予定なのか、ソファに横たわってまだ寝ている
   ぼくの頭上で、RinNonを見送りに行ってくるとKYOKOさんの声が聞こえた。

   かすかにうなずいた記憶があるけれど…
   
   それから思い出したようにDVDをみていると、DVDだけでなく自分自身が
   回想シーンに入っているかのように少し視界が悪くなった。。
   ふと上をみると、ぼくの回想の吹き出しではなく実際に部屋の天井を
   黒い煙が覆っていた。

      火事だっ   


   台所に行くと火の手はフライパンから送風口のところに移っていた。
   それでもまだチロチロした火だけだったので大急ぎで  でもあわてず
   水は使わないで消した。

   フライパンの火はもう燃えるものがなくなったようで、自然に消えた。
   あとは溶けて落ちてきたカバーらしきものに水をかけて消し止めると
   ようやく火はおさまったが、煙は台所、リビングはおろか家じゅうに充満して
   しまっていた。家の中が黒い空気で覆われ、それが下に降りてくるからか
   すべて煤だらけになるしぼくは鼻とのどをやられた。

   かなりこれには困った。
   もしかするとKYOKOさんは知らない間にぼくに保険金をかけていたんだ
   ろうか?でもそんなに儲かってなかったし…とりあえず思い返してみても
   殺されて双方特になりそうなことないし、その案は残念ながら打ち消してみた。

   

          

  部屋から黒い煙を出すために、咳込んだり鼻水を垂らしたりしながら 家じゅうの
  窓をあけているころに、KYOKOさんが帰ってきた。

  この状態にはかなり驚いたようだった。まあ驚かなかったらこっちのほうが
  驚くけれど  

  さすがにかなり恐縮した様子で謝っていた。アイさんにおこげな処理と
  ソファや布団の煤払いをお願いするとして、朝食は作らずにダンキンで食べる
  ことにした。

      

  ダンキンドーナツ。家から歩いて3分もかからないところにあるこの店に
  上海にきてもう何度来たことだろう

    

  東展小学(RinNonの学校)のバスがもう出発した通りは、そのあと少し
  通りが静かになっている。
  浦東にいくには高速が混むのでもう遅いし、出勤のピークは過ぎているのだ。
  KYOKOさんの出発は8:30すぎでよいらしい。

 

  コーヒーを飲みながら、きょうの段取りを引き継がれる。好むと好まざるに
  かかわらず、ぼくは「しんせん館」で注文した寿司とおせちを受けとり、
  RinNonのお迎えのあと、帰宅したKYOKOさんと合流して浦東にいくと
  いうことになった。まあ。その程度なら散歩する自由もあるし いいか

                     

  朝のダンキンはお客さんも少なく、母親と子供づれらしい2人づれが急いで
  持ち帰りで買って帰ったほかは誰もいなかった。

  壁の絵にはドーナツをもった人が3人いる。背景画のほうがぼくたちお客さん
  より1名多いくらいだ。朝の喧騒の時間を過ぎたこの時間、火事の消火活動
  を終えたぼくと、保険金をかけそこねていたKYOKOさんがドーナツを食べて
  いる。コーヒーの紙コップはスタバよろしくフタの一部を開いて飲むタイプ
  だったけれど、微妙にコーヒーが漏れる。そしてそれが熱い
 
      

  そんな、まだ少し抜けているところもあるダンキンのゆるみ具合が好きなのだ
  ジャンクフードで迎えるお正月、といったところだろうか?
 
★唐恩都楽(DUNKIN'  DONUTS)古北店
  上海市長寧区栄華西道99-101


 

  KYOKOさんは大晦日の今日も仕事モード。
  そそくさと歩いている。
  ぼくはそのうしろからのんびり歩いて消火栓にあいさつしていたりする。

  それぞれの年の瀬 

  火の用心。          


合家 ふたたび。

2009年12月30日 | 上海chouchou(たべる)

 RinNonは、おりこうさんに宿題を終えた。話し合いの結果、本日は
    沖縄料理。

   古羊路の「合家(GO-YA)」に行くことにする。
   2人はここのタコライスが大好きなのだ。行ったことは何度かあるけど
   もちろん2人では行けないので、ひさしぶりに食べたいという。2人なら
   2皿食べるんだ!  と張り切っている。

 合家で食べるのは2回目だ。上海ブロガーとして有名なやJINO@上海さん
 げんさんも関わるこの店は沖縄のこだわりが随所にみられるけれど、それが
 却って肩肘はらずに好きなものをどうぞ、という店のイメージに昇華されていて
 RinNonみたいなちびでも、入りやすい店になっているのだ。

 今回ぼくも、ソーキそばと「みそ風味ゴーヤチャンプルー」をどうしてももう一度
 食べてみたくなったので、ぜひ必ず行っておこうと決めていたのだ。

   3人でタクシーに乗って古羊路へ。そう、昼に138蟹宴館に来ているので
   本日二回目の古羊路になってしまっている
   でもまあ、店や料理につながりはないし偶然の位置ということだ。ここも
   それだけ店が増えてきたということだろう。

  

 タクシーを降りたら、そこはもうすっかり夜の食堂街だった。中華のお店は
 年末年始だからか、もともとそうなのか、派手な電飾をしていて、外にも
 おとこのひとが座っている。そこを通りぬけてその横にあるのが…

                  

       合家でした。ちゃんと予約してます

   前回きたときと偶然同じ席になりました
   予約しなくてもすいている日で、宴会しているグループも少人数でそれほど
   うるさくなく、それに別の部屋。あとはカップルが1組だけ。

   RinNonのご要望どおりに、タコライス。それに前菜代わりに野菜で
   ほうれん草と豚肉の炒め物と、もやしと豚肉炒めを注文。

   あとはぼくの欲しいソーキそばです

  

  途中でKYOKOさんから電話があり、晩ごはんはどうしているのかと聞いて
  くるので合家にいる旨回答。

  違うところに行きたかったらしいのだけれど、それならどうぞ行ってくださいと
  いうと、こっちに合流するとのこと。

                        

    RinNonもゆったりと待っている。こうやって外でごはんを食べてることは
    うれしいんだろうか?でも日曜日なのに一日家にいたりとか、そんなのは
    やっぱりいやだという。
    自分で料理を作れるようになったらいいんだけど、  とか。
    自分たちのできることの容量をこれから見極め始めるから、まだ何して
    いいかわかんないし、できそうだし(Rinはできるし)
    現状に物足りない気分を持ってくる時期なのかもしれない。

    知らないうちに2人の子どもは、ますます遠くにでかけていくのだろう。
    さみしいけれどしょうがないとも思う。
    こうやって半年とか、時折会うだけだと距離感を測るだけでも大変なのだ。
    まだお話できているほうじゃないかとも思う。  
                                   
   


         

   それでもまだ今は、反抗もそれほどないしいいほうだろう。
   こうやってカメラにもちゃんとおさまってくれる。

 

  向こうのカップルはなんだろう?仕事帰りだろうか?年の瀬だけど年の瀬
  ではない上海の日本人は、こうやって同僚でつつましやかに忘年会をする
  しかないのだろうか?
  そういえば駐在時は年明けに現地スタッフと

   「(日本人は)新年会 兼 (中国人は)忘年会」

  という変な宴会をやていた。まあ呑めればみんなそれでHappy  だったころの
  話だ。いまはどうしているんだろう。

  Job-HOPしたメンバーも一部はたまに連絡がある。職種替えしたメンバーも
  たかにメールで近況を教えてくれたりする。こうやって仕事は変わっても、
  つながりは切れないのは欧米風なんだろうか?

                

  前菜がきた。ほうれん草は見えるけど、もやしのほうにほとんど肉が見えない
  のは、ぼくに老眼が始まっているわけではないし、RinNonもきゃきゃと笑い
  ながら肉がないやとウケている   まあいいか。

     

  なぜかRinNonの記憶にソーキそばがない。だけど争って食べていた覚えが
  あったので注文したら、やっぱり2人はちゃんと食べていた。3人でわけわけ
  して食べるにはちょうどよい量で、ちょうどよいあたたかさ  だった

 

  お待ちかねタコライス登場。ぼくは申し訳程度にだけもらって、あとは2人で
  わけて食べていた。たしかにあっという間になくなって、双子らしく2人同時に
  「ふう  」と満足げなため息をついた。

                    

    「もう一回食べれる?」
    「大丈夫 

     こういうわけでタコライスをおかわりしたいと注文。生中を何杯も頼む
     夜もあればタコライスを2皿頼む日もあっていい。

     2人が向かい合ってクラスの誰がスキとか話をしている。もうそんな年
     なのだろうか?でも幼稚園のころや日本での保育園のころからNonは
     おませにそんな話を語っていたし、Rinは食べるもののほうが関心が
     高い様子だったし、いまもそこは変化がないようだ。
     まだまだぼくが気に病む時期は先なのかもしれない 

    そうこうしているうちにKYOKOさんが合流。いきなり焼酎お湯割りを
      頼むと、食べ物メニューも一気に左よりになっていく

      

   そうなるとゴーヤはなかなか重宝される。みそ味で苦みを隠してというか
   いい具合に苦みばしったところだけ、よい感じに残したみそ味ゴーヤ
   チャンプルー。夏場に「居酒屋ぷく」でうっちーに作ってもらったけど
   やっぱり本家のほうはかなり違う  (ごめんなさい 

 

  そしてこんなお豆腐もいつのまにかあったりして…
  焼酎お湯割りだけでは酔いきれないKYOKOさんはあと1杯ほど飲んでました
  が、先日酔いつぶれたばかりなぼくは、その恐怖もあって抑え気味。

               

   そういうわけで、1時間たたないうちに締めでおにぎりになってしまいました
   それでもお味噌汁は好評

   この合家の前に建築しようとしたテンポがあってそのつながりもあり、合家
   の関連の人脈ももつKYOKOさんは、すっかり呑みが板についたようで
   飲みっぷりも結婚前の強かった時期にすっかり戻っている

  

   人は少しずつ変わる。それぞれの環境での強さを身につけていく。
   8月にうちに滞在(合宿?  )していたときのひ弱だったRinNonは、
   地の利のせいなのか、2人とも生き生きと毎日を暮らしていて、環境なんて
   充分乗りこなしている感じすらしている。

           

  ここの店員さんは、注文をとるときにメニューを全部日本語で書いていた。
  えらいと思う。一生懸命覚えて書けるようになるまで持ってきたんだろう。
  それは学習能力、ではなく順応性、と呼ぶべきなのかもしれない。
  けれど生活力という点では、愛想の点や気のまわり方ではまだまだなところ
  もあるけれど、ささやかなことで すてきな成果をあげ、まわりを味方につけて
  いける力を見せてくれる。

★沖縄料理 合家(GO-YA)
  上海市古羊路427号
  +86-21-5477-3298


   お勘定をすませて帰りは4人そろって歩き出す。GW明け5月末にきたときは
   KYOKOさんと酔って歩きながら帰ったけれど、真冬の今日は寒かった。

   4人ともクビをすくめてタクシーに逃げ込んで…古北まで戻りました

  

中孝介 それぞれに (台湾映画 海角七号 ver.)


  2008年に台湾でヒットした映画「海角七號」。出演していた中孝介が歌って
  いたのがこの曲だ。
  日本では「花」が有名で、ぼくもとても悲しいことがあったときにblogに貼り付けて
  いた日があるけれど。

  もう前の年になるこの映画はまだ見ていない。それに彼は奄美の島唄で
  沖縄の島唄とは微妙に違う文化なのだと読んだことがある。
  でもなにしろ、島唄をうたい 台湾で先に有名になった、この彼のことをぼくは
  まだ充分知らないし、この映画もまだ見ていないのだ。

  上海の片隅で、琉球料理のごはんを食べる日本人家族のこの夜を
  Hybridと呼んでこじゃれた日記にするよりは、沖縄ののんびりした雰囲気だけ
  でも せめて味わいたい、ここで疲れた生活をしている日本人の
  ちょっとした ゆるい年末の晩ごはんなんだからと
  笑われてみても、それはそれでいいんじゃないかと

  そんな気もしてみたわけです。

  合家はトイレで波の音を流していました。
  いつか沖縄にいければ、同じ音なんだろうかと確かめられればいいなと思う。

   


そしてきょうもここでお迎えをする。

2009年12月30日 | 上海chouchou(みる・くらす)
 散らばっている荷物のまとめやら、撮った写真  の整理とか家でこまごま
   しているとアイさんがきて掃除を始めてくれた。

 いったん家をでてDVDやさんに向かう。
 今回はあまり購入していないのだけれど、追加でSTAR TREKの2009年版と
 NORAH JONESのCDを買う。
    
 少しずつ欲しかったものをそろえていくことはとても大事だ。
 あっという間に買ってしまうと、それはあとで買ったことを忘れてしまいそうだから。
 苦労して探して、なければ他の店で

   

  16:30が近付いてきた。携帯電話をみて、時差があると勝手に間違えて
  15:30にダンキン・ドーナツの前で待ってみた。
  やっぱりベンツが何台も、そしてときどきBMWとかアルファとかが通り過ぎる
  風景で、とくに気がつかなかった。

  でもよく考えれば、夕方なのでアイさんがお迎えにきていたりするけどそれも
  ないし、えらく年を召してからお子さんができたのだろう、おじjさんといって
  よい年配の方もぼくとは違ってどっしりと構えて毎日迎えにきておられるのだ
  けれど、その方もいない。

  10分ダンキンの前で立っていて、ようやく時差なんかいらないことを思い出す。

  時間間違えたんだ  自分に腹をたてながら、いったん家に戻った。
  今回から海外の場所だけ指定すれば時差から電話会社から全部自動選択
  するタイプに変えたんだった… 

   
   
  今度は本当に16:20に再度でてみた。やっぱり外は寒くって、ぷるぷるしながら
  待ち構える。

  ちゃんとアイさんのグループと、おじいさんは待っていた。
  さすがに待つベテランなんだ。待つ位置から時間から隙がないってことだ。
  
    こういうのも テクニックなのかもしれない。

  いまだにキョロキョロしているぼくは(だって無理もない。今日でまだ3日めなの
  だから)、建物は同じだがテナントが変わってしまった場所を探してみた。
  ようは、前の道路をじっとみてベンツやらポルシェやらと対照的リヤカーや
  バイク型の電動自転車の群れを見るのに飽きたのだ。

  アイさんやおじいさんに「まだ努力が足りない」って怒られそうだけど
  
  

   ダンキン・ドーナツの上には、中国語教室の看板が。
  明らかに日本人向けだと思うけれど、通ってる人がいるんだろうか
  たいていの人は華東師範大学に習ったり会社手配の家庭教師さんに
  習ったりするもんだと思ってたけど…でも需要がちゃんとあるんだろう。

  ドラゴン桜   言いたいことはわかるけど…

  スパルタはいやだなあ

                

  避風塘の上は台湾料理。初日に行った康友推掌の横の店だ。
  よくみると朝までやってるようだ。深夜にひとり派手な赤の内装の店で
  台湾式の鍋を食べている姿ってあまり想像ができないけど…
  需要があるんだろうか?

  さすがに深夜にそこに…あ。行ったけどお客さんいなかったなあ… 

   そうこうしているうちにバスが帰ってきた。
     RinNonは登下校番長でもなんでもないけれど、いつもどおり左サイド
     最後尾の席からゆっくり最後に降りてきた。

     ダンキン・ドーナツに入って持ち帰りで3個、1個無料のセットを買って
     家で3人で食べた。ささやかな routine work だ。

   
     

138蟹宴館

2009年12月30日 | 上海chouchou(たべる)

 そう。Quick Recovery。いまは昼なのだ。月はまだ寝ている時間で
   太陽の主役の時間に高いごはんはだたべないのだ。
   昼に食べるべき上海蟹をさがす。

   行き先は古羊路。”138蟹宴館”。けっこううまいとKYOKOさんも語っていた。
   値段が店の名前になっているようだ。
   さっき行った中国夢飯店のほうが安いが、もちろん看板倒れも甚だしい
   状態だったので、こっちの店も半信半疑で入店した。

   さっきの店と違って窓からの採光はふんだんで、妖かしい様子は全くない 
   1F入口で、一生懸命蟹を向いている女の子たち。カメラを向けると一斉に
   逃げる。下町の店で、地方出身者で固めている店、といった佇まいだ。
   まあここまでは悪くない。

               

   2Fに通されて…やっと一息。

    

  138元という価格を店の名前にいれるのはMOTEL168と同じ手法だ。
  でも本当に138元なのか?

  点菜( order確認 )にきた女の子に聞く。

   たしかにそうですよ。…   ただ、    (そらきた)

   138元のは蟹が小さいんです。あと50元だせば
       これになります。 
   
  2匹の大小差のある蟹をもってきて彼女は言う。  
   
                          
  
  
  あとで思えばここで判断を間違った。もしかしたら小さいのにしたらコース全般が
  蟹なので、量が減っちゃうのかと思ってしまった。
  でも実際には最後に出てくる蟹の話だけなのだ。
  ここで失敗しちゃった。でもまあいいかと思った。

   どんなにしろ、さっきの店の女老板よりよっぽどお客さん目線なのだから

  

   ①まずは前菜盛り合わせ
     よくある辛いおまめさんがうれしい。ああ、中華だなって思い出す。
     今回RinNonが給食の関係なんかで、中華ばかりだからいやがるので
     中華ちゅうかしたご飯を食べれてうれしい

     待っている間に、2人でようやく話し始める。
       尾崎さんのHPは業務用と個人用がある。どちらにしろ今は
       通販の形でいろんなものが売っている。いつのまにこんなに手広く
       しているんだろうと思ったけれど、実は本職ではないらしい。
       そちらは従来どおり。でもなかなか忙しいそうだ。
       もうきちんと日本のご家族にも仕送りできているというから、かなり
       軌道に乗っているように見える。

    いつの間にか3年が過ぎている。この間すごい苦労があっただろうと思う。
    それでもそれを顔に出さなくなった。

    尾崎さんがんばっているんですね。ようやくそう言えるようになった。
    もう何年も日本に帰っていないという。すっかり上海の人になった顔は
    それでもよく自称コンサルとか、暗にうまい汁だけ吸わせろといったような
    風情で、上海に上陸してくる、少し反対の顔が垣間見える人たちとは
    違って、まだにこにこして話す顔は今までの尾崎さんのそれだった 

                  

   ②蟹爪肉の蒸し物
     このあたりで気づきました。あれ?どう考えてもさっきの蟹は最後だけ
     料理は別の蟹で作ってくれてるんだなって。でももういいやって気分に
     なりました。

           

     ③アスパラと蟹足肉の炒め物
       野菜はわりと苦手なものが多いぼくですが、アスパラは大好き。
       蟹とあわせることでしゃりっとしたものができて楽しくなります。

   

       ④蟹身と蟹ミソ炒め
         蟹みそがついに登場。ああ、上海蟹だよと喜び始める時間です。

           

   ⑤蟹みそ豆腐
    豆腐はあまり食べないぼくなので、これは2人とりわけなので尾崎さんに
    おまかせ

      

  ⑥これなんだろうな
    寒天かな。ぬるっとしたきしめんみたいな太さのと蟹と蟹ミソであえて
    います。あっさり味でいいですね。

 

   ⑦蟹ミソ焼きそば
     ここまでくると、最近少食のぼくはもうおなかいっぱいになってきます。
     蟹も小さいのでホントよかったな  次回はそうしよっと。

                     

   ⑨蟹そのもの
    そして先程選んだ蟹を。Nonなら喜んではしからはしまで剥いて食べる
    でしょう。でもまあ今日はひとりなので、ぼくのやり方でゆっくりと。 

 

    ちゃんとタグがついてます。本物の上海蟹であるって印です。
     良心的。でもこんなの言いだすと、
      ・偽物王国でこれくらい偽物が作れるだろう
       タグが偽物が売ってるならどんな蟹にでもつけられる
      ・だいたい陽澄湖以外もブランドを主張したらどうなるんだ?
       もずく蟹はどこでもとれるわけだし。
      ・だいたいタグの本物がなにかって僕たちは知らない

     きょう以降ぼくらはお腹をこわさなければ、この蟹が陽澄湖であろうが
     なかろうがうまかったと満足するでしょう。
     
     そういうもんでしょう  どうぼくらのお腹もアバウトにできている。

           

   尾崎さんに正月はどうするんですか?と聞いたらやっぱり上海のまま
          でした。上海も好きだし、仕事ももっとがんばりたいし。

  純粋な気持ちだけでできない部分はあるし、ものにならない仕事も山ほど
  あるし、お話中もそんな話があったけれど。

  でも…それでも「きっと大丈夫ですよ」くらいしか家ない自分がもどかしい
  こういうときに、33通りくらいにさまざまな励ましができる人がカウンセリングとか
  に向いているんだろうか。

    

 

     窓の向こうは古北2期のマンションの一群。
     南に位置する古羊路で蟹を食べながら、少し老朋友との邂逅を
     楽しんだ午後でした。

★138蟹宴館
  上海市古羊路451-2号
  +86-21-5477-1725

   

   尾崎さんとは水城路の万科広場、元の場所でさようならしました。
   延安路のほうに歩いて(きっとバスに乗るんだろう)尾崎さんを見送ると
   もう少ししたらRinNonが帰ってくることを思い出し、家に帰って荷物と
   写真の整理をすることにしました。

   尾崎さん、また会いましょう 

ファイト! 中島みゆき


くたばれ 中国夢蟹味館

2009年12月30日 | 上海chouchou(たべる)

 老朋友来了。まさに「老朋友」と敬称つけて呼べる友人、尾崎さんと再会。

   12時。万科広場にて待ち合わせた彼とランチを、ということに。
   最後にあった昨年正月はたしかSUIRENだったけれど、その前に行った
   安龍路にある「中国夢蟹味館」で上海蟹を食べようかと提案。

   つねにつきあってくれるスタンスをLife styleそのものにして成功している
   尾崎さんはすぐに賛成してくれた。
   
   水城南路を北に歩く。延安高架をこえて、虹橋路にあたると、まだ地下鉄の
   工事で砂埃のあがる状況は変わっていなかった。

   歩道が一部きれてしまっていても、あるいは横断歩道のラインなんて
   とうの昔に消えてしまっていても、みんなおかまいなしにわたる。
   さすがに車の量は多いので信号無視して渡ろうとする人は少ないけれど
   それでもスレスレに走る車をものともせず横を歩く人たちのたくましさに
   (僕たちはわたるだけでよかった  )
   と思うのだった。

      

     水城路をさらに北に進む。虹古路までの途中、服屋さんやDVDやさんの
     並ぶ地元的にぎやかな通りに出る。
     交差点の近くにある太陽市場。

   なつかしい。無造作かつ地面に近くにあるというイメージの品ぞろえだけれど
   それでもまだ古北が近いせいか、きれいなほうな市場なのだ。
   魚も野菜も安いのだ。まだ昼だけれど、たしかに人通りもいい。
  
  

  虹古路にあたると西にそれる。市場をぐるっとまわるように針路を変える。

                   

  市場の西向こうに団地が並ぶせいか、ラフな格好の人の姿がよく見える。
  ちっちゃい子がもこもこの厚着で父母や祖父母に手をひかれている姿を
  季節がらよく見かける。

  歩きづらいだろうにと同情したくなるような厚着なんだけど、それはそれで
  ほほえましい姿だったりするし、厚着できるのが裕福になってきた印なんだ
  というなら、それはそれでいいんじゃないかって思う
 
        

    

  よくなかったできごと。
  2年前、食べにきた中国夢蟹味館。ちゃんとフリー系の雑誌にも載っている
  上海蟹の店。128元でコースが食べられると書いてあり、以前もちゃんと経験
  していたのにもかかわらず、である。

  店内に入ると、女老板(老板娘と書きたくない  )がしゃべくっていた隣の
  テーブルに案内された。
  まわりには中国語のメニューで単品で頼んでいる姿があるのにもかかわらず
  日本語のメニューを渡され、そこには398元とかいった高いコースしか書いて
  ないのだ。

  驚いてぼくたちは尋ねる

   まわりの人たちが見てるメニューくれよ

   あれはメニューじゃないんです

   じゃあなに?ぼくらこんな高いのあるって聞いてないぞ。単品でいいから
    くれよ
   単品はないんです。
   は?(まわりを指差して)じゃあいまあの人とあの人の見てるものはなに?
    単品のメニューじゃないか
   あれはメニューじゃないんです

  メニューじゃなければなんなのだ  

  新聞を読んでいるとでもいうんだろうか?
  明らかに日本人とみて、差別か区別かわからないが
  高いものを食わそうとしている。

  たった2年でこの始末。老板が変わったのか?それともただの慢心か?
  中国語を話せるからまだよかったが、日本人の観光客だったら完全に
  だまされるか、気づいても泣き寝入りで高い飯を食わされている。
  誰が、昼から6,000円近いごはんを食べるというのだろう。

  以前はHISやANAのツアーで組み込まれている様子があった。
  こんなばかな店が組み込まれているなら問題だなと調べたが、いまはそんな
  様子はなかった。誰かが気づいて取り消したのだろうか?

  それでもWHENEVERたSUPERCITYをみて食べに来ようとする駐在奥様や
  家族はいるだろう。なにしろ128元で上海蟹が食べられるというのは雑誌の
  中では最安値なのだから。

  こんなやり方がいまだまかり通るのもかなり悲しい。
  ごく控えめにいって

   さっさとつぶれてほしい  
  
  あるいは違う老板になるか、だ。

  憤慨しながら何も注文せずに店を出る。受付の女の子はすぐ出てきた僕らに
  驚いて「どうしたの?」と声をかけてきた。
  
   この店昼から高いコースを食べさせて宣伝でうそついてる。単品はだめ
    っていうし、他の店にするよ
   え?うちは単品でも全然OKですよ?

  やっぱり老板がうそをついている。 
  最後は申し訳なさそうな受付の女の子を後ろにおいて、タクシーに2人
  乗り込んだ。せっかく運動もかねて古北から歩いてきて、結局車に乗ることに
  なってしまった。
 
★中国夢蟹味館
  上海市長寧区安龍路471号
  +86-21-6262-9992

      次の店でQuick Recoveryだ。