Pのlog ( 大阪と上海のChouChou)

通称P。shushu(照れちゃう)ような稚拙きわまりない文面で、上海や大阪のchouchouを綴ります。よしなに。

agnes b. 'B. CARING'

2011年04月30日 | 日本つれづれ。



   5月1日。夕方にふと気付いたことがあって急遽でかけることにした。

   ぼくは今回の義援金のしくみに疑問をもっている。
   今回の地震はかなり広範囲で、いつもの義援金よりももっと支援しないといけない気がしているのだけれど、
   収集のしくみは確立しているのだけれど配布のしくみがいまいちでしかないように思う。このため集まった
   ものはどんどんプールされているだけのような気がしてならない。
   というわけでまだ、とりあえずぼくは小額しか寄付していない。

   でもだからといって、いつまでもなんにもしないのはいやだし、だからといってセンスなくいろんなところに
   投入するのもいやだ。

   ということで、agnes b.でやっているキャンペーン 'b. caring' に賛同してTシャツを買うことに
   していた。していた…というのは、ネットで調べていたのだが買うのを忘れていたのだ。
  ふと気付くと終わりが近づいていたので、まさか売り切れではあるまいな…と危惧しながら
  思い立ったが吉日とばかりに自転車に乗って  、電車に乗って  大阪駅に。

  大阪市内にあるagnes b.の店は梅田阪神と心斎橋大丸。
  femme は結構どこにでもあるのだが、homme が少ないのだ。

   

     地下鉄を下りて、阪神につながる歩道橋にあがる。もうすぐOPEN になる大阪駅。
     新しい大阪駅って言うけど、新大阪駅と言えないのは、なんだかおもしろすぎ。
     何はともあれ、駅が新しくなった5代目大阪駅はついに上から乗降する形の駅になった。

     個人的には京橋駅もそうあるべきだと思うんだけれど…

                               

   阪急のビル  設計図面がなく旧来の建築物の壁に阻まれ、最近3度目の本番稼働延期を
   決定したという。かなりのロスだろう。伊勢丹が先にOPENすることになる痛手だけではなく、工事中の
   通行者の不便によるimage down も甚だしい。阪神の建て替えもなかなか進まないことになる。
   正念場だけど…がんばってほしいものです。

                         

    人の流れが変わるせいか、歩道橋を遣う人が増えているのか…
    こんなふうに橋の上で、露店をしている人がたくさん列を為している。ギターを弾く人や
    物売りの人、支援を呼び掛ける人。違法かもしれないけど、こうやってにぎやかしい景色を
    みるのは好きだ。
    大阪は上からの押しつけでは動けないので、こういう自然発生的なものをみるのはのびのびしてて
    楽しくなる。


    

       結局agnes b. は5Fにあるコーナーの一角にあった。女性店員さんがL sizeはたったいま
       売れたばっかりなんです…と申し訳なさそうに応対する。
       どうしようか考えていると、男性店員さんが「4Fのほうにあるかもしれないよ」と電話をかけてくれた。

        シャツはUNISEXに作ってますから大丈夫ですよ。ありましたからご案内しますね

    店員さんはみんな親切だった。みんな笑みをたたえて応対してくれた。4Fも5Fも。 
    ブランドものを買うなんてひさしぶりのことだったので、年甲斐もなく緊張していたぼくもホッとしてお礼を
    いった。  

    みんながみんな、少しずつ笑顔でいいことをすればいいんだ。
    簡単なことなんだけど、これもなかなか難しい。

    よい気分で店をあとにした。
    Tシャツを手にして、義援金にするのはこんな形だっていいんだよって誰かに言いたくなった。

    

★agnes b HOMME 梅田阪神店
  大阪市北区梅田1-13-13阪神百貨店5F
  06-6348-8781
  http://japan.agnesb.com/ja/



     そのあとは本屋さんをめぐり、それから御堂筋を南下して淀屋橋まで歩いて電車に乗って帰った。

   


夜にティッシュを買う生活

2011年04月29日 | 京阪(守口・門真)chouchou





      4月29日。昭和の日、というらしい。みどりの日だとばかり思っていたら、いつのまにか
      それは5月4日になっていた。

      片付けをしているとすっかり夜になった。

      なにかを400円券があったのを思い出して、この際だから肌触りのいい高いほうのティッシュを
      買おうと、急にでかけた。
      ドラッグストアに走って…あるいは歩いて、補充にでかける便利な生活はもうすぐおわる。

      そう思うと閉店まぎわ22時30分のアカカベもなんだか愛おしくなって
      写真に撮ってしまった。


マクドナルド 京阪守口市駅店 【はじめまして】

2011年04月28日 | 京阪(守口・門真)chouchou

 ぼくらは、ソースものをたっぷり食べ終わると最後のコーヒーが飲みたくなった。

    マクドナルド。
    駅の高架下のそこまで歩くと、ふらりと入ってみた。

    このマクドナルドは、実は入るのは初めてだ。
    なんだかここと、何軒か東に位置するミスドとは、待ち合わせによく使っているけど
    マクドのほうは入るのが初めてだ。

    結局、ここで待ち合わせすることはいまではなくなってしまった。

 そこにすっと入っていくのは、なんだか不思議な気分がした。
 かつての残骸を現場検証するために潜入する気分にもなった。

 そんなことはつゆ知らないという体で、店員さんはマニュアル通りの丁寧な対応を
 してくれた。友人はもっている割引券で、ラテを一杯奢ってくれた。

     受験生なのだろうか、22時30分を越えた店で学生服の男の子がなにかを買い求めていた。


       

   

     ぼくらは東西に長い中の座席構成をみて、禁煙席の端っこのほうに横に並んですわり
     ラテを啜った。

     仙台に昔住んでいた友人は、石巻にも一時住んでいたという。
     自然に話しは地震のときのできごとになった。
     東京ではすごく揺れたこと、そのせいで初めてばかにしていたのにヘルメットをかぶって
     机の下にもぐりこんだこと。

   みんなの心のなにかを確実に変えた1ヶ月半のできごとを
   ここでもぼくたちは反芻した。

     大阪にもいろんなことがあったよ。

     そんなふうに僕は言う。
     揺れと津波の被害はなかったけど。

     でもこうしてマクドに入ってラテを横に並んで飲みながら外を歩く人を眺めているのは
     1ヶ月半となんにもかわっちゃいないのだ。

   なんにも変わらずに、このようにぼくたちは生きている。
   それでも、精神的なもの、人生観とかそういうものが根こそぎ再構築しないといけない
   くらいに変化していると思う。
   生かされていることを、こんなに自覚して、そしてなにを為すべきか模索して
   そして何もできていないことを それから何もしてこなかったことを
   でも仕事をするしかないってことを
   ぼくらは考え続けた1ヶ月半だったけれど。

     ぼくはまた時計を巻き戻して、わざわざ心が締めつけられるように苦しかった日々に
     戻すようなことをいまからするだろう。
     それでも東北の人たちに比べればずっと、ずっと幸せなんだとも思う。

     人はそういうけれど、それでも関西にもいやなできごとはいっぱい起こっている。

     ぼくらは、いろいろ言われながらも、何を言われても生きていくしかないのだ。

     NEVER MIND WHATEVER I DO!


       

     それでもこの日々がやってくる。
     明日から黄金週間だ。

     ぼくたちはラテを飲んだ後立ち上がり、店の出口でさようならを言った。
     友人は電車に乗るために西に向かってあるき、ぼくは自転車に乗って東に向かい
     交差点を南下していった。


     明日からは休暇で、これからは、しばらくひとりになる。



★マクドナルド 京阪守口市駅店
  守口市寺内町2丁目2-14
  06-4250-6203


    
   これが、ぼくの自転車で通勤する最後の夜になった。 



はじめまして/中島みゆき
 


藤家 【ソースの夜】

2011年04月28日 | 京阪(守口・門真)chouchou

 GW前の最終日は、あたふたしたまま終わってしまった。
     週に4日しか勤務日がないことは、ときにはとても困難な状況を生み出す。

  精神的にも疲れた週だった。
  さて、定時を越えそのまま休暇に入るにはまだ少し残っていた仕事がありそれを片付ける。
  ちょうど東京からきていた友人が、本番稼働後の次の推進ということでこちらに来ていたのだ。

  誘ってみると20時には終了。ということで晩ごはんを食べに行くことにした。
  ATMに行きたいので、先に会社をでて守口に向かう。

  「ソースものが食べたい夜なんだ」というので、藤家に向かうことにした。
  空は、曇りがちで時折雨がぱらつく自転車通勤にはうらめしい夜だ。 
                                                  
     
     高架下のTSUTAYAの前で待っていると、そこに停めようとするお姉さんとか
     これから一杯飲みに行こうと駅北側に向かう男性やら、結構多くの人が通り過ぎる。

     GW開けからは電車通勤に変更し、そこからすぐに自動車通勤に一時的に変更しようと
     するので、自転車で見るこの景色はこれが最後なんだなあと、なんだか感慨深く
     この景色をみていた。

     信号と、その上の空をみていたら、その向こうにある呂仁とかマッサージやさんとか
     いろんな出来事を思い出した。
     考えれば、いまはもうどうでもいいような、時間の流れのはるか向こうに行ってしまった
     出来事とか。

     とかそのうちに友人がやってきた。

      ソースもので藤家にしたんだけど、他の店でもいいよっ
      まあほかにあったっけ?すぐ思いつかないし藤家でいいよ

  

    そんな感じで歩きながら、駅の西側にむけてもう少し歩いて行った。
    きょうは最終日だけに、みんな揃って飲みにでもいくのだろうかと思っていたら店はお客さんは
    入っていたけれど、いつも使う3Fを今開けますから…との程度だった。

    冷え込む消費。

        いったい誰のせいだ…  明らかに政府の問題なのだろうけれど…
        でも企業もそろそろ、意味なしな自粛ムードを解禁して率先して「おらが町」の正常化
        に取り組まないとやばい気がする…
        
               

   ということでぼくらは、3Fにきた。既視感…
   そう…いつも閉めているフロアではなく、ぼくが前に来た席なのだ。ということに気づく。
   さあ、どんどん食べよう。

                              

      まずはサラダ5種盛り。 ダイエットを終えたぼくはサラダがかなり必須アイテムになっている。

            と言いながらキライなものがあるのもどうかと思うよ

      と言われるが、そこは気にしないのだ

    ソース焼きそば。

    ソースが欲しいときにソースもの。だから流行だからといって塩やきそばをえらんだりはしない
       焼きそばとお好み焼きを食べると、ひと息つけた。
                                            

    仕事のぐちとか笑い話。そう、そんなことも言うのもおじさんの証拠なんだけれど、最近
    溜まっていたことが多いので、やっぱりぶちまけてしまった…
    直接関係ない人にこぼすのは悪くないだろうし

               

     最後にビビンバで締める。ごはんものが最後ってソースものでは珍しいけど韓国料理をうたう店だけ
     あって、うまいビビンバで締まりました

                              

       たくさんタレントのサインが並ぶ1Fを抜け、入口にはかわいいうさぎがランチの宣伝をしてました

  

     がんばれ藤家  美人5姉妹なら大丈夫だっ

★藤家
  守口市早苗町2-20
  06-6996-1822


焼きドのつづき

2011年04月26日 | 日本つれづれ。




    きょうは朝から夜までずーっと出張先で過ごした。

    レビュ…会議…レビュ…資料準備…そしてメールをみてチェック…コメント送信…

    なんだか一日何時間あっても足りない気がする…


    最後20時前に、ユーザさんのところで座席を借りて仕事をしていたけれど

        先帰るよ、最後電気消してってねえ。出るときはもうあの出口からしか出られないから…

    と言われた。ほぼ最終退出に近かった。


    

    それでも、まだ外は21時過ぎ。門真駅までいって、ミスドに寄ってみたら焼きドーナツはあった。
    前回買えなかったのが、ようやく今回買えました。


          でも…’焼き’って大騒ぎするほど…味かわらないんだけど…

                ホットケーキみたいな味するっていうけど…普通のドーナツでもそんな感じは
                あるからなあ…

                いまひとつ…まずくはないけど、騒ぐほどじゃない…


               

    


サカイの理由

2011年04月23日 | 日本つれづれ。




 ついに引越をする準備を始めた。
 とはいってもお任せにするしかない(荷物が大量なので)せいで、まずは業者の選定から。

 前回もお世話になった会社つながりの業者さんと、いまいる家の管理業者である大東建託
 からの割引もあるという推薦で、サカイ引越センターと一日で調整を実施。

 サカイについては社宅から精華町に引越する際に、すごく熱心に働く若者たちという印象が
 強くて好印象だったこともある。

    

 CMでやってるいわゆる「サカイ品質」についてそれはあの頃ぼくが感じた感謝の気持ちと
 同じレベルで続いているのだろうか。

 それと前回の業者さんのほうがよいのか。

      きょうは2社とそれぞれ調整をおこなった。

      
    

  しょうもないことで、結果はあっけなくでてしまった。


  サカイ品質に賭けてみようと思う。

     ①値段が結局安い。(もう1社は最初は安かったが付帯事項がついてくると高いことが最初から
       こちらが見ても明確に見てとれた)
     ②ぼくの家で打ち合わせするときに、営業の方がきちんと靴をそろえてから上がってこられた。
     ③そしてもう一点。


       お米をもらったのだ。ひとめぼれ。

   ちょうどお米がきれそうだったのだ。
   
   それで決まったの  お米で?   自分でも不思議なんだが、考えてみればこれはいくつか
   ポイントがある。

      まず、引越のときは面倒なので、引っ越し先で米を買い直そうとする。ぼくもそうだ。だから
      うまく配分できないと、引越前にお米が乏しくなる場合がある。きょうもらった袋の大きさは
      「引越までの数日もてばいい」量なのだ。そこはよく考えている。

      そして、もう一点。営業さんは契約が決まっていない最初の挨拶のときにお米をくれたのだ。
      だからこれは持ちだしなのだ。それはすごく好感がもてた。


      できれば、いまのご時世だし東北の苦労して販売に苦しむ地域のお米がよかったなと思う。
      そして「うちは福島でもちゃんと引越してるんですよ」って言ってくれれば最高なんだけど。


  なにはともあれ、引越が始まる    
  
 


鯛将丸 【まっすぐである意味】

2011年04月22日 | 京阪(守口・門真)chouchou

 金曜日の夜に担当システムの企画会議があった。

  ひとつは本社に報告するもので、これは上司が行ってくれていた。
  もうひとつが、部署内でのreview でこれはぼくの報告で決まるものだった。

  ぼくは最近、こういうpresentation するevent に連敗中でいやあな気分で、柄にもなく
  緊張していた。そういうこともあって、無事「企画承認」として終了したときはほっとして座りこみたく
  なるほどだった。

        本社報告のほうも無事終了ということで、おわったあとおぐらさんと飲みにいくことになった。
        もともと、むらおさんとみやもとくんと飲みにいくところだったそうだ。

   出発したとき既に20時を過ぎようとするころ。少し遅めのスタートは、急に思いついた飲み会の
   せいもある。男ばかりの飲み会ではそういうことは気にしないのだ。
   まだ仕事を残していたみやもとくんを残して、むらおさんを加えた3人は守口の高架下にある

   「鯛将丸」に入る。

       

   これが、最近やってきた むらおさん。
   にこやかで、大きな声でハキハキと話す。自信たっぷりという感じではなく物腰もやわらか。
   最近まで内閣官房のIT対策の仕事をしていたとあって、政治の停滞も気になるようで…
   ともかくさわやかなのだ。まっすぐなのだ。
   
   みやもとくんに場所を連絡したあとみんなで乾杯。   


                          

   何を注文しよう  さわやかな、むらおさんが刺身の盛り合わせの一番高いのを指差して
   「これいきましょうか  」と言う。それはまっすぐすぎるよ、むらおくん…
   身の程をわきまえるぼくらは結局、財布の状況と相談しつつ…いろんなものを注文していく。

           

   まずさば  さばを刺身でいけますよ、お薦めとくればこれだろう。さばやアジといった銀色の魚は
   安いが足が早い。刺身で食えば脂がのって最もうまいのだ。

                   

   そら豆といくつかの付け出しと、さばの刺身で食事をはじめる。
   これはなんだっけ? そうだ…菜の花だ。

   

         あとよかったのが、このまぐろのかま。これはくいでがあった。
         みんなでほじっていく過程がおもしろい。性格が結構でるものだ

        

  きょうはホタテがいいよっ 、と進めてくれたおばさん店員の、そのホタテがやってきた。

                                    

              たしかにくいでがよさげなんだけど…ひとつじゃわけにくい

               かまをうまくよりわける、むらおさんがまじめな主張を
 
    繰り返す。そしてついに恋愛論にはいる。

    【お題】   結婚の決まった自分は、元カノに結婚が決まった報告をする。向こうもすでに次の彼氏が
                 いる。でも彼女は深刻そうな顔で「私…ガンみたいなの」と告げられる。
                 あなたはどうするか。

      むらおくんはきっぱり「いかない」と答える。そうなのだ。まじめなのだ。おぐらさんが「ほーっ  」と
      感嘆の声をあげる。

      ぼくはこう答えた。「経済的な障壁事項がなければいくよ。だってガンなんでしょ?しかもぼくに電話で言うわけでしょ?」

      ぼくは続けてお話する。
      それはこんなお話だ。

ジョニーウォーカー黒ラベル

  
           ぼくはこんな男の人でありたいと思うけどなあ…
      
       おぐらさんが「それもお前らしい」と言う。むらおくんは腕組みしながら…

           どうしてそのお話はBAR が舞台なんですか…

            え  そこなの?

        むらおくんはまじめなのだ。そしてまっすぐなのだ。

  

       合流したみやもとくんが、のびーるの天ぷらというのを注文した。これだった。野菜なのね
       きょうは仕事の話だけでなく、なんdかいろんなところに話がとんでくれた。これはむらおくんの
       おかげでもある。
       
       彼が異動してきたのは3月16日付。おかげでまだ歓迎会をできていないのだ。自粛ムードから
       世間がKeynes の名前を気にしだした最近まで、まだ宴会がない。

       でもこうやって少しずつそれでも溶け込んでいるのは、それも個性なのだろう。

                            

       なかなかおもしろい奴なのだ

           

      ふぐを食べて、それあ鳥の唐揚げと触感が似ているせいなのか、酔ったせいなのか。
   味の違いがわからなくなってきたころ、ぼくらは23時をかなり過ぎていることに気づき、おひらきを決めた。

                                 

     お勘定をしているとき、ふとぼくは振り返ってみると。

  

       結構、もうお客さんは減っていた。でも最後じゃなかった。ぼくたちは慎み深く金曜日の
       夜を過ごせたのだ。

                      

      あと一週間でGWになる。直前最後の週は4日間しかない。みやもとくんはうちのリーダのはせがわくんと
      こもりさんとMalaysia に出張にいく。その間ぼくは国内で、けっこういそがしい日々を過ごさないといけない…

      怒涛の日々がついに始まる。ぼくは週末にその呼び水を準備しないといけないのだ。
      
                                                                

★漁港酒場 活魚・浜焼  鯛将丸 守口本店
  守口市寺内町2-1-6
  06-6997-0300


開通しました

2011年04月21日 | 日本つれづれ。




 3月初旬のころ、ぼくはいろんなことが溜まっていて、Blogの更新も1ヶ月をはるかに越えて
 遅れて更新していました。
 3月11日が来て、ぼくは、さらに「文字を書けない」ほどの衝撃があって、このままだとどうしたら
 いいのかと思うことになり、結局3月11日近辺の心境を描くことから再開をしました。

 そのせいで、このBlogは2月のできごとの更新と、近況の更新が同時並行で進むことになりました。

 ’食べログ’から飛んで、照会されている方はそれほど気にならないかと思いますが、普通に
 読み進む人にはとても不便だったかと思います。
 もともと日記なんて徒然なるもので、それでいいじゃないか、という意見はあるにせよ、ですが。


 さきほど、最も描きづらかった、地震当日のぼくの過ごした夜の話である「風来坊で手羽先を食べた話」を
 描き終えました。いま思えば、なんでもない夜の過ごし方なのですが11日の夜にこんなことをしていて
 よかったのだろうかと、描きようがなく最初から投げそうになっていたできごとでした。
 でも、描き終えたおかげで、ようやくstoryが一本につながった気分です…

 これからどんなふうに自分が展開するのかよくわかりません。最近ぼくは15歳も年下の同僚に
 「無計画なPさん」と揶揄されたことからもわかるように、なにしろ明日なにが起こるかよくわからないし
 人生なんてそんなものでしょう?と。

 まあだからこそBlogを書く意味があるわけですが。

    

   2006年、その年限りで引退すると宣言してなんでもやり放題だった新庄剛志がオールスターで
   LEDの表示板のついたベルトのバックルで登場。そのとき書いてあった言葉は、ぼくがいつも
   考えることなのだけれど。
   
        NEVER MIND WHATEVER I DO!    ほっとけ、俺の人生だ。


  


マクドナルド 中環安田東店 【もうすぐここにもこなくなる】

2011年04月21日 | 大阪chouchou(その他の場所)

 朝。資料を作成している…

    会社に顔をだしてから、かしださんのところに行くべきか、それとも直接行くべきか
    悩むところだ。

    結局、かしださんのところに早めに顔をだして、そこから自分の仕事をこなすほうが
    一番効率がいいことに気づいて、あわててはせがわさんにメールをしてから自転車に
    飛び乗る。

     

     中環沿いのマクドにはいり、そこでPC を開けて、ざっと今日の会議の内容を確認する。
     会議自体はコウモトくんが進めてくれるので、あとは内容に不備がないかだけ確認を
     すればよい。

     4月になって、担当する業務が急に広がったせいで、ばたばたするようになった。
     しかも新しく受け持ったほうは、システム障害が多いので、抜本的に体制とか仕事の
     進め方を変えないといけないのだが、どうも担当者に危機感が薄くて  すぐに
     変化する感じがなくて、きりきり胃が痛む…

     きょうも、そちらの仕事の指示内容を、コーヒーを飲みながらさっと決めてから
     やっと自分の資料作成の時間にあてる。


  

      最近こんなのばっかりだ…

   自転車で会社に通う時期ももうすぐだ。引越をしようと思っているのは何も前をむく
   ためではないのだっていうことは、前回から感じるようになっている。
   なにかをDelete して何かを始めるために。あるいはそれすらできないときはどうするのか?

   それがこれからぼくの探す答えなのだけれど。そう簡単に進むものでもない。 


   というわけで、このマクドに来るのも、もうしばらくなさそうだ。

   店は朝早いせいで、おじさんばかりが普通なのだけれど、きょうは女子高生と思われる2人が
   入ってきて朝ご飯を食べていた。きちんと店員さんと受け答えをしていることから、サボり組
   ってわけでもなさそうだ。じゃあいったい、なんだろう…

   あまり考えないことにして、あとはかしださんの事務所に顔をだして、続きをしようと

               ばたばたとPCを片付けて、再び自転車の人になった。  



★マクドナルド 中環安田東店
  大阪市鶴見区安田4丁目1-33
  06-6913-9434
  http://www.mcdonalds.co.jp/shop/map/map.php?strcode=27131


この夕焼けの向こうに

2011年04月17日 | 日本つれづれ。

 地震からもう1ヶ月が過ぎた。なんとかそんなに過ごしてきたかという感じだった。

 誰かが言っていた「歴史の転換点」はここ数年のできごとの中にある。そしてこの地震も
 日本の歴史の大きな特異点として、今後も位置づけられるだろう。阪神のときとはかなり性格を
 異にしている。


    誰かが残り、誰かが前に進める。その当たり前のことがまだ全然できない。
    日本人はこういうときにいつも心がおれそうになる。

    福島県にすむ友人から、写真を一枚送ってくれた。

        今日は宮城に向かった。亘・名取…被害の大きな地区をみて声もでなかった。
          自分だって地震の被害はあったけど、そんなこと言うのが申し訳ないくらい。
          帰りに高速に乗ると、そっちのほうがすごく夕焼けがきれいだった。
          仙台が復興するほうに向かう、夕焼けだといいなとそれだけ考えてた。 


    もちろん彼女はボランティアで仙台に行ったわけではない。生活の一部なのだ。
    それでもまだまだ充分には…充分にと語るにまだほとんど足りない、政府のせいだとも言うけど
    心のケアも必要なのだ。日本人は立ち直るにはもう少し時間が必要だ。


  だからこそ、こんな夕焼けをみると自然は残酷なほど美しいと思うし、復興への前進する源で
  ある景色であってほしいなと思う。



Mr Big - To Be With You (with lyrics)




   あるTV番組でやっていた。最初に東北でコンサートを開催したBandはMr.BIG だという。
   それも仙台は会場の関係でキャンセルになり盛岡で第一回を実施した。

   もちろんあとの被災していない地区もまわるtour の一環ではある。

   ただ、「ぼくらにできることが音楽なのだから」「福島もなにも関係ない。歌える場所がある限りぼくらは
   来る。今回来れなかった仙台にもきっとくるから」

   えらい。ぼくはメジャーだったこの曲くらいしか知らないけど、それは沁み渡る。
   TVではおじさんだとか、車いすに乗ってやってきたおばあちゃんまでがMr.BIGのコンサート会場に
   やってきて、涙を流していた。


   おばあちゃんは本当は聞いたことがなかったかもしれない。でも音楽で涙して、これが復興の始まりだ
   と語った。中年のおじさんは当日配布されたパンフにあったCDとみて

     「全部持ってたんです。でも今回の津波でみんな流されちゃって…これをまた手にいれたってことは
     こいつも復興の始まりだってことです」

   げんきよく語っていた。


   夕焼けの向こうは、晴れると天気のおじさんはよく言う。そのとおりであるように、仙台はいつも
   夕焼けだったらいいのに…