Pのlog ( 大阪と上海のChouChou)

通称P。shushu(照れちゃう)ような稚拙きわまりない文面で、上海や大阪のchouchouを綴ります。よしなに。

ほほえみ輸出します

2011年03月06日 | 中国つれづれ。

  上海時代の中国語の家庭教師の黄先生は、いまも同じ会社で働いている。
     ひさしぶりにメールがきて、ひとつお願いをされてしまった。
    
        会社の同僚に、赤ちゃんができた人がいるんだけど日本の粉ミルクで
          育ててるんだけど、最近近くに売っていなくて…日本で買って送って
          もらえないですか?
        いいけど、缶だよね?うまく送れなかったらごめんね。でもやってみるよ。
        うん。じゃあうまく届けば振込するから口座を教えて。

    ぼくは、中国銀行にまだもっていた口座の番号を連絡だけしておいて、まずは
    メールに添付されていた粉ミルクを探すことにした。

    それほど難しくなく、家の近くのアカカベで無事見つかった。
    6缶欲しいというのはけっこうな量だった。しかもこのほほえみというのは

       いちばん高級な粉ミルクだった

        上海人ってお金持ちだなあ…

      

        事前に郵便局に電話して、粉ミルクは中国に送れることを確認しておいたので
        アカカベで買うときに段ボールも一緒にもらった。偶然ぴたりサイズで梱包できる
        のがあったので、ご機嫌になってお礼を言ってアカカベをでた。

        今週はキャンペーンで赤ちゃん用の離乳食の缶詰もついていた。お得感上昇

              無事郵便局にもっていきました。
        自転車で運ぶのはなかなか一苦労だったけれど、それがあかちゃんのためだと
        思うと、なんだかうれしかった。

        中国は数年前の粉ミルクであかちゃんがたくさん亡くなった事件があって以来
        結構子どもを育てる若い夫婦は苦労しているらしい。
        「高くても日本製で」というのは生活レベルがある程度そろっていれば当然の
        帰結なのかもしれない。



        数日してメールがきて、セブンイレブンで銀連経由で中国銀行の口座を確認すると
        ちゃんと入金されていた。便利な時代になったものだ。

    
    


広州からのNews

2011年02月05日 | 中国つれづれ。

  続いて、広州からのNEWS


       上海に東方珠塔、東京に東京タワー、そしてスカイツリーができてきたように
       広州にもテレビ塔があるんだよ。

       かつて香港で過ごし、いまは転勤で広州で暮らすGRE友さんのメールにはあった。
       ちょうどアジア大会のころの話題をしていたころだ。

       送ってもらったのが、この写真。

       よくみると、スカイツリーにどことなく似ている。

       「そうかなあ  」と友人は言うのだけれど、ぼくにはとてもよく似ているように思う。

       そして、別のNEWSでスカイツリーが、広州テレビ塔を抜いて世界一の塔になったと
       言っていた。

       そうか。こいつがライバルだったんだ。

       いつか機会があれば、この広州のテレビ塔だって間近で見たいと思う。
       なんかその昔みたような記憶があるんだけれど…


         


      そして友人の添付にはこんな写真もあった。

         逆立ちしてギターをひく芸人さん。

         人はいつでもなんのためかわからないことに、人生そのものを賭けてみたりするものだ。

      
      広州は治安が悪いとか、広東語の壁があったり、ぼくの中ではあまりよいimageがないのだ
      けれど、この友人のおかげで身近に感じることができるようになってきた。

    
        


Chalon 【Another Sky】

2011年01月13日 | 中国つれづれ。

 帰国する日も晴天だった。

         13時すぎの便なので家を出るのは余裕がある。
         片付けはあらかた済んでいたし、ちょっとした衣服とパソコンなどの機器を
         直すと、あとはすることがないくらいだった。

         いつも早朝のCAに乗っている身としてはJALはちょっと遅い便すぎる
         くらいだ。

    

         浦東空港にはタクシーで向かう。
         特に渋滞もなく、トラブルなく順調に空港に到着した。

         KYOKOさんに帰る旨、連絡をいれた。

         check inもそれほど時間がかからず、パスポートと持ち物検査が少し並んだ
         程度で、すべて準備完了になった。


      

          第一ターミナル。
          やはり第二と比較すると人の数が多く、にぎやかだ。

          ふと横をみるとCI:China Airlineの飛行機が停まっている。
          もう飛び始めて2年以上経過している。台湾と大陸はEPAも成立していま
          一番連携が強化されている時代にきている。
          むしろ対中国大陸市場としては日本を凌駕する勢いのはず。
          なのに日本でそれほど大きく取り上げられていない。


  

         日本で報道されるとするなら、その航路がまだ紛争領域である厦門上空を迂回して
         香港ルートのため時間がかかっていることとか、そんな隅をついて報道されるのが
         オチかもしれない。今回いろんなことで中国市場における日本の後手の踏み具合を
         またまた深く感じて、さみしくなることも多かった。

         こうして飛行機が「JALよりも近い搭乗口に設置されている」ことは今後
         海峡両岸にとってどうなるのか、まだまだ興味深いところではある。

         それらは、今後のアジア情勢に大きく影響するのに、日本人とっては
         きっと別の空の話なのかもしれない


Traveling Notes~ Another Sky


        残り時間はあと40分と少し。
        機内食はでるんじゃないか、という気もしたが時間をもてあますことも
        あって、Chalonに入ってカレーライスとコーラを注文した。

        コーラを飲むのは日本ではほとんどない。
        大陸が乾燥しているせいか、普通に飲みたくなるのだ。


                     

         そういう意味では、ぼくの当分最後のコーラってことになる


     

            注文したのはカレーライスはすぐ来たけれど、コーラはなかなか来なかった

            まあ店員が忘れてはいなかったよと示す、ほぼぎりぎりのタイミングでやってきた。


         

   それを飲みながら、帰国したあとのことを少し想像した。
   休暇は2週間。実はまだあと5日ほど残している。きっと帰国直後の虚脱感が襲ってくるような
   気がして、あけておいたのだ。

   さて、どんな日々を過ごすことになるだろうか。

   日本での2011年が始まることになった。
   感傷に耽る間もなく、隣に座ったカップル+女性という変なグループ3人が強烈に
   中国語でやりとりをけたたましく始めたので、ぼくはもういいやと席をたった。
   やれやれと腰をあげて、搭乗口に向かうとそこは「急きょ変更しました」の貼り紙1枚だけ貼って
   あって、ぼくは焦って走ることになった。

   2011年がこんな走り続ける年じゃありませんように。   


ecoの旨味について

2011年01月08日 | 中国つれづれ。
 いままでエコなんて言葉と無縁で、大量消費・粗製乱造なんて感じだった中国でも

    こんな広告が目につくようになった。


   香港企業によるエコ関連の技術展覧会があるらしい。KYOKOさん曰く、中国でもある
   上限の高さを越えたビルは壁や屋根に太陽電池の設置が義務付けられるなど、エコ
   に関する法的縛りをかけながら、意識を高めていくようにしているらしい。

   エコが気になってきたのは、それで食えると判断したからだろう。



   日本では、中国は冷凍餃子や段ボール肉まんに代表されるイメージを払しょくできず
   市場としての中国をまたみすみす見逃して行くような気がする。

   もったいない話だ 



              

   きょうは4人で晩ごはんを外で食べることにしていた。
   水城駅の改札で待っている間、そんな広告を見ながらRinNonと待っていた。 

sweet little lies

2011年01月05日 | 中国つれづれ。

  家に帰って、少し休憩してからまた資料作成をしていた。

   RinNonが帰ってくると、きょうは家庭教師の来る日だった。

   少し家にいてじっとする時間の長かったぼくは、気分転換で(またじっとして 
   DVDをみていた。



     



映画『スイートリトルライズ』予告編


      江國香織の好きなぼくはこの小説が好きで、ずっとこの映画を見たいと思っていた。
      そしてこの主人公(映画では大森南朋が演じている)は、ぼくの名前と職種と、
      そして過ごし方がとてもよく似ている。

              にていないのはもてないことと、スキューバが趣味ということで… 

             ちなみにぼくがあとで絶賛していると、ちょうど先日このDVDが面白くなくて古本やに
             売ってしまったというKYOKOさんが酷評していました。

                  まあ、個性とか感覚というのは人それぞれなのだから… 



    こんなのも見てました。機動戦士ガンダムUC。ついにフル・フロンタル登場。
              池田秀一さんの声を通すと、こんなにもすごい興奮するのは…やっぱり
              ガンダムはfirst の系列ものが最高だからだろう。

          


タクシーの中。

2010年12月30日 | 中国つれづれ。
 上海は曇り。


   2時間少しのフライトは、かなり揺れて初めて酔いを感じた

   イミグレの通過は予想よりも行列は長かったけれど、その分てきぱきと過ぎていった。


   タクシーに乗って…走る走る

           

   上中路というトンネルを通って虹許路に出て…地上に出て名都城のほうから古北に入る。
   そんな道を通ったのは初めてで目新しかった。

   夕方の道路はよく混んでいて、とくに呉中路と虹許路の交差点あたりはひどかった。
   それでも、そのマナーの悪さとクラクションのパンパンいう音で上海に帰ってきた気分になった。


       ただいま。よろしくお願いします。
       
   今度は2週間。すこしだらだらした感じの休暇をきょうからはじめることになった。
   少なくとも、きょうはゆっくり。RinNonが帰宅するのを待っているとしよう。

  

日本鬼子 【ささやかでかつ的確なこと】

2010年11月26日 | 中国つれづれ。

 中国に駐在しているときに、北京にいる先任の方から言われたことがある。
    それは小泉さんの靖国参拝後にサッカーA代表の日中戦があったとき
    だった。

  なにかあったときの中国人の反応には注意すること。
  いまでもすぐに、「日本鬼子」と言われるのだから。
  
  たしかにその試合(確か鄭州あたりでの試合だったと思う)を越えたあと
  ニュースでは北京でデモする人たちがこの言葉を連呼していたと告げていた。

     

  そのときぼくは上海で残業していて、夜遅くぐったりしてタクシーの中にいた。
  運転手はたまたま日中戦の実況をしているらしく、運転手に何気なく

     試合どっち勝ったの
    
  と聞いてしまってからしまったと思いなおした。
  けれど、ぼくより少し下か同じかくらいの年齢の運転手は静かに

     いま終わったよ。日本が勝ったみたい。

  と言ってくれた。彼によると、騒ぐのは北京人だけで、経済優先の上海人は
  迷惑するらしい。上海人にとっては日本人だろうが韓国人だろうがタクシー
  に乗ってくれるのが「よい客」なのだから、あんなふうになって日本人に警戒
  されるのは迷惑な話なのだ、と。

  北京の熱さと、上海の感覚を示すできごとだと言える。

      

  日本鬼子(りーぺんくいず)。

  辞書サイトを見たりすると、Fuckin' Jap!やら鬼畜米英みたいな蔑視の言葉と
  言われる。

  あるとき、上海の近くの出身の女の子に、日本鬼子って言うの?って聞いた
  ときに、彼女は吹きだしながらこう言った。

      どんな状況でそんな言葉いうのか想像つかないなあ。
        戦争のころに使ってた言葉でしょ?

  通常の若者はそんなものなのだろう。
  日中双方のマスコミはいつも偏ったニュースソースをchoiceしているとも言える。

  そんないまの事態を軽く乗り越えて、ウィットに富んだ反応をしたのが
  2ちゃんねるで発生したこのキャラ、日本鬼子(ひのもとおにこ)だ。

    「もし日本鬼子という萌えキャラが実在したら、
      あのデモはみんな鬼子大好きというヲタクの
           行列にみえるわけではないか」

  そんな前提で作り始めたキャラクターにはどんどん性格づけされていったと
  いう。そしてそれに呼応した中国人も、萌え的な反応ってこんなの?
  と面白い返し方をしている。

  こんな反応をするのは、あくまで日中双方の知識階級の軽やかな感覚の
  ひとたちなのかもしれないけれど、それでも負の遺産を笑い飛ばして現実を
  みて、現在の日中の立ち位置をちゃんとみようとする人たちは若者の中に
  ちゃんと存在するというのは、すてきなことなんだとおもう。

    

    まあ…そんな話です。でもホッとした  


しあわせな高俊。

2010年08月31日 | 中国つれづれ。
 本日は朝から郊外の倉庫にヒアリングに出かけた。

  そこから帰って来たのが昼前。

  途中で、同行してくれた現地スタッフの電話にshort message
  
     きょうは出勤してますよ

  高俊。昨年末にこのビルlunchを食べたのだ。そのころ彼女にはunhappy
  ことがあって、それでもちゃんと元気に過ごしていた。

  それが…今回行く前に、ゆんず(姿)さんに聞いてみると

     ああ、彼女もう結婚して妊娠もしたんですよ
     え  はやっ

  どこの街でも、どこの国でも、美人にはすぐhappyとluckyが舞い降りる。

    ってことなのだろうか…

  妊娠の関係で、体調がすぐれないためにこの2日ほど休んでいたという
  高俊は、ぼくが来ていることを知って、フロアに寄ってくれと  をくれたのだ。


    出張から帰ってきてすぐ4Fに向かう。ちょうどエレベータを降りた
    ところで偶然であった高俊さんは、すでにもうおなかがおっきくなっていた。


  もうすっかりお母さんなのだ。
  姿さんは、少しショックを受けているぼくに追い打ちをかけるように、
  現地の美人な女の子がどんどん結婚したり妊娠したりしてるのよと報告して
  高俊もうなずいている。
  なんか流行なんですか  あ。お年頃なんだっけ


     高俊さんはGW明けに入籍したんだとうれしそうに言う。
     今度はお幸せにね。

     その笑顔なら大丈夫だよ 
  

古北路×天山路 【あのときと変わらない夜に。】

2010年04月30日 | 中国つれづれ。

 食べおわったぼくたち3人は、もう一度天山路を古北路のほうに戻り
   タクシーに乗ろうかどうしようかとか言いながら、歩いていた。

 夜の古北路は食べ終わった人たちが、まだこれからはじまる夜のためにだろうか
 仕事おわりにはまだ遠く、にぎやかに過ごしている。

   

   ここは完全に下町で、ぼくの好きなエリアのひとつだ。
   バイクなのか、電動自転車なのか子どもを前に乗せたおじさんが通り過ぎ

                             

サザンオールスターズ せつない胸に風が吹いてた




   花やお菓子を積んだリヤカーがゆっくりあるいて呼び込みをするでもなく
   とぼとぼ歩く車道と歩道の間を

           

   ぼくはたのしそうに、カメラを  かまえて写真を撮る。
   上海にきたばかりのRinNonは少し警戒するみたいに歩いていて
   何年かたったころは、めんどっちいとか思いながら早く帰りたいなあと
   少し早歩きをしていたりするものだったけれど
   もうすぐ11歳になろうかという年頃は、もうすっかりこんな夜も受け入れて
   2人で屋台とリヤカーの間をぬって、はしってじゃれあい 笑い声をあげ
   ながらついてくる。
 
           

   彼女たちはもう6年目になる。上海に住む時間のほうが日本より長くなった。
   そういう気分はどんなのだろう?

       そのことはこのまえもママが言ってたけど…

   どう思うって言われても、とくに感想はないし住めば都だから両親が思うほど
   感慨はないし、日本の一部が思うほど大変だと思われる意味がわからないし
   現地のヒトが思うほど上海が最高  一番だと思うわけでもなく、彼女たち
   にとって今一番住んでて普通に面白いのが上海なのだろう。

 

     携帯のSIMカードやら、長距離電話カードを売るじさんはハーモニカを
     吹き、その横に二胡を弾くおじさんとあわせて、なんだか西方の音楽を
     練習するのか楽しむのか、楽しそうに演奏している。

     おかねを稼ぐために弾いているのか、商売あがったりなので休憩して
     いるのかわからないけれど、本当に自然に弾いていて、21時に近い
     夜の上海を盛り上げる。

                   

    麺と、それにトッピングするものをリヤカーにのせて、路上にお湯や
    座る即席簡易テーブルをおいて商売しているおじさんたち。

    麺にのせる野菜と香辛料関係のぷんとする生活感あふれる匂いのそばを
    越えていくと、ああここが下町なんだと思い出す。この匂いが真夜中も続き
    夜のネコと呼ばれる上海の人たちは、昼寝をしていたせいか元気よく
    遊んでみたり、しゃべりつづけていく。

       

    そこを過ぎると、茅台路がみえてこのあたりにしてはおしゃれできれいな
    佰威大酒店がみえる。

       

      パパは写真撮れて満足したし、どうしよう?タクシー  で帰ろうか?
      どっちでもいいよー

    ぼくらはめんのリヤカーの向こうから流してきたタクシーの1台に
    手をあげて乗り込むと、おとなしくおうちに帰った。

      


花はどこへいった 【Where have all the flowers gone?】

2010年04月30日 | 中国つれづれ。
 帰りのタクシーの車内からぼーっと景色をみている。

  延安高架路をおりて、ぐるっと世貿ビルをこえ古北路にはいる交差点。
  お年寄りたちが大量に花を植えかえている。

  そう。。。中国でよくみられる光景。春から夏秋冬、四季おりおりに花が咲き
  乱れている光景はたしかにステキだけれど、それを季節ごとに植え替えて
  いるのだは、いかがなものかとも思う。

  花が根付かないし、土も荒れるように思うのだ。
 

  いろんな社説で批判がでるのだろう。でも今日も、そう万博を控えて
  むしろ今日こそ最後のふんばりで、花はきょうも上海に彩りを与えるために
  植え替えられる。

  せわしない光景だ    



花はどこへ行った ベッツィ&クリス





   古北路を通って延安路をどうにか直進できたタクシーは…
   (そう、また道を知らない運転手にあたってしまったのだ 

   無事指示どおりに右折して栄華東道をあるき、水城南路でクルマを降りた。

    
   RinNonと、今回初のDUNKIN' DONUTS。 

   

  まだ晩ごはんまでは少し間があります。