Pのlog ( 大阪と上海のChouChou)

通称P。shushu(照れちゃう)ような稚拙きわまりない文面で、上海や大阪のchouchouを綴ります。よしなに。

さよなら、上海

2006年12月30日 | 中国つれづれ。

きょうが最後の日になりました。

 会社のお見送りもあったのに・・・なんと遅刻寸前・・チェックインの
ぎりぎりにようやく浦東空港に着きました。
(お見送りの皆様、本当に失礼いたしました。)

 前の夜の奥さんの荷物整備状況からみて多分にいやな予感は
あったんだけど・・やっちまった・・あの人は病気だから・・・

 へとへとになってたどり着いた空港は浦東でも関空でももちろん
余裕はなく。ビジネスクラスの飛行機だけが記憶の中に・・という
感じです。子供はすごく喜んでました。りん(長女)のほうはライトを
シャワーと勘違いしてて濡れたらどうしようって心配して・・ときどき
すごくかわいい奴です。。

 それでも関空に降りてもう日本だと思い知らされたとき、少し心の
奥のほうからぐっとくるものがありました。2004年5月16日に旅たって
から二年半、僕を育ててくれた上海にもう住んでいないことを改めて
知りました。

 また来ます。それだけの価値のある街です。今までどうもありが
とう。家族はまだお世話になります。よろしくね。


Bistro周(西郊賓館)

2006年12月25日 | 上海chouchou(たべる)

上海でのラストクリスマスはいろいろ考えましたが、去年と
同じ西郊賓館にある「Bistro周」にしました。

この前でかけたサルバトーレ・クオモや外灘12号や18号も考えた
のですが、なにしろ高い!双子まで連れて行ったらもうすんげー
1000元なんて軽く越えちゃう!

Bistro周も安くはないんだけど、おいしい。日本にも店があるという
ことだし、日本風フレンチという感じ。味に失敗はないです。それに
ホテルの雰囲気ともあっていて静かできれい

子供は退屈するとまわりの芝生や中で走っています。でも危険は
ないですね。こんなに都会の中にあるのにすごく自然も多くて。。
オススメ。プーチンやエリザベス女王も来るくらいだからね。

夫婦の会話もひさしぶりにありました。海外で過ごした思い出。
今後のお話。まあ、最後じゃないかもしれないクリスマスだって
思うことにしました。

ごちそうさま。おいしかったです


家探し

2006年12月16日 | 中国つれづれ。
日本に帰る僕が人事の対応に一喜一憂してる頃、奥さん
は家探し。幼稚園で知り合ったときの人脈をフル活用し、今の
家の近くに大家さんのいる(ようは家の持ち主が又貸しする)部屋
を探してきました。

 不動産屋さんもまあまあいい人らしく、過ごしやすい家のよう。
今日僕も見に行きましたが・・まあまあ。
 古北にあるので、それは広いけど。。高い!

 普通現地の人のすむ団地なら2500元くらいなら高いといって
一緒に住む人を探すくらいなんだけど・・その1.5倍近い。確かに
部屋の数も多いけど・・

 うちの奥さんは設計の仕事ができる。それで家賃くらいは稼いで
もらわないと僕の仕送りだけじゃ無理だなあ

 日本に帰らないといけない分、羨ましさは倍増・・とほほ

帰国の発表

2006年12月11日 | 仕事だし。

本日正式に12月末で帰国せよとの内示。いつかこうなると
思っていたけど、いざなると寂しいもんです。二年半積み上げて
きたもの、プライベートも仕事も。どうなっちゃうんだろう?
日本の仕事を離れるときとは全く違う感慨。もちろん土壌も立ち
位置も違ったのだから当然なんだけど。

 日本に戻ってちゃんと仕事できるだろうか。。そんな苦労と
中国でまだいっぱいやり残したことがあるという重さと・・・
現地スタッフは途中で帰る僕をどう思うだろう・・いろいろ思うことが
ありました。

 妻は残る、少なくとも子供の一年生が終わる7月まで上海で
やる。仕事も家賃分くらいは儲ける!と宣言。上海にきたときと
逆の単身生活が始まることに・・・

 驚天動地の変化が始まりました。