心斎橋から南下し、歩いてなんばまで下っていく。途中南小学校の前を通る。
友達と話をしていた。
「昔ここに19というBarがあって、店の高さが19mだったんだ。壁にそって階段と
フロアがあって真ん中は吹き抜けで。1Fでcash on deliveryでお酒を買ったら
グラスをもって上がって飲んだんだよ」
19の残骸の建物はちゃんと残っていた。いまはもうなんにも営業していなくて。
その後フレンチのレストランがあったらしいけど、すぐ横に引っ越していた。
そりゃあフレンチで営業するには、かなりやりづらい構造だったと思う。
写真を撮ろうとしたけど、なんか昔のよさからかけ離れたものを撮って、なお
かつノスタルジックな感じも出そうになかったので、やめてしまった。
そういう種類の残りかたってのがあるのだ。
すっかりきれいになって飛び込めなくなった道頓堀川を通ってひっかけ橋
で心斎橋筋にあがる。そこには大きな看板があって…
生茶のパンダ先生でした。綾瀬はるかは特にいませんでした
見上げる看板はいつも大きくて。
中身は変われど、それは大学生のころのままの看板の大きさでした。
お茶をしたのはさらに南、高島屋の横丁、無印の横をすりぬけて
「外灘紅緑灯」で。かつて二度ここには来たことがある。
ここにきたときの友人はもう東京に行ってずいぶんになる。ちょっとした
ことで、いさかいになって話をしなくなってしまったが、いまはどうしてる
だろうか。謝るひまもなかったことをふと思い出したりする。
こういうことって自分は、もうどうしようもないほど下手なんだなあと
反省する。自分の悪いところはともかく、素直になれないところがよろしく
ないんだろうか。chicagoだったかBilly Joelだったかにそんな歌があった
ような気がする。ときどき思い出す。どれだけ感謝してるか言えないまま
だった。
ところで、現在。
本日は、ぼくは茉莉花茶を。杏里がかつてうたったときはジャスミンティーは
眠気誘う薬だったのだけど、これで眠くなったことが一度もない。
きょうは二杯飲んだけれど、とくにそんなこともなく。
連休開始だからか、中国の大陸のほうは五一は3日間に短縮されたけど
祝日はそれでもちゃんと祝うということでしょうか。赤いかざりがちゃんと
ありました。
店の名前は「紅緑灯」。かつて何度か来たこともあるここは、ぼくにとっても
分岐点な時期であることを思い出させる。
かつては自分の行先に悩んでいた。でも受け入れる場所がなく結局自分が
半分壊れてしまうようなことになってしまった。
あのころはかなり孤独感に苛まれていたし、友人がいなければ完全にだめ
だったと思う。
いまは、悩んでいた仕事も一段落。つぎの仕事はまだ決まらないけれど
もしかしたら新たな場所で新たな仕事をしているかもしれない。
あるいはいまと同じ場所で仕事だけ変わるかもしれない。
それでも仕事で取り巻く人間環境も、変わってくるだろう。
また分岐点にきてるんだ。交差点、紅緑灯。今日一緒にいる友人も分岐点。
みんなそれぞれの時期なのだ。
5年後どこで何をしているだろうか。
少し変わっていくことが怖いと感じる時期かもしれない。
★外灘紅緑灯
〒542-0075
大阪市中央区難波千日前15-3
06-6645-0789
http://www.shanghai-deli.com/