ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

イタリアの旅 (6.ヴェネツィア その3)

2011-12-22 20:35:26 | 旅日記

工房の前が運河で、ため息橋を反対側から見ることになります。大勢の人が立っているのが先ほど私たちもいた新牢獄横のバリア橋です。

少し離れた乗り場からゴンドラに乗りました。船体は黒い色に統一されています。17世紀の法律で決められたものが、いまでも伝統になっているとか。

スタートするときに写真屋さんが撮った写真です。昼食の時には出来上がっていました。

一台のゴンドラに5~6人づつ分乗。私たちの舟が先頭でした。

ゴンドラの船頭さん・ゴンドリエーレ。下に着ている赤いストライプ模様のシャツと黒い上着は彼らの制服です。カンツォーネを聞かせてくれるようですが、私たちのゴンドリエーレさんは、鼻歌混じりでした。

私たちの乗った船は舳先に赤い造花を付けています。たくさんのゴンドラが往来する狭い水路を竹竿一本で見事に船を操っていきます。

頭を打ちそうな橋の下を通ります。別の橋は通れなかったのでUターンしてこちらへ来ました。ゴンドラのコースはその時の水面の高さによっても変わるので一定していません。

時には家の壁すれすれに通り抜けたりしました。

途中から雨が降り出し、ゴンドリエーレも傘をさしている船もありました。
大運河に出ました。

ドゥカーロ宮殿前を通過して…

 

大運河の対岸に建つサンタ・マリア・デッラ・サルータ教会。
バロック様式の八角形のクーポラが特徴的です。

サン・マルコ広場が近づきました。

もうすぐ終点。再び狭い水路に入り元の船着き場へ帰ります。乗船時間は約30分足らずでした。
ムーア人の時計台が正午を告げるのを聞きながらサン・マルコ広場に帰りました。

ここで自由解散になりました。雨が激しくなったので、グッチなどの免税品店に行く人たちと分かれて、新行政館1階にあるカフェ・フローリアンに入りました。変愚院の他は若いお嬢さん二人を含めて…いやすべてお若い女性ばかり7人がご一緒です。

創業1720年、イタリアいやヨーロッパで一番古い歴史を誇る老舗のカフェです。かの詩人・バイロンを始め、ディケンズ、プルーストなど多くの著名人も訪れています。ナプキンやシュガーにも店のエンブレムが…。

カプチーノ。10€。お値段は少し高めですが食器類も洗練されていて…

外装も内装も全てが美術品のようで凄かったです。映画「旅情」の主人公、キャサリン・ヘブバーンになったつもりで飲めばムードも最高です。それなら変愚院もロッサナ・ブロッツイのつもりで付き合うか…古いなあ。 


イタリアの旅 (5.ヴェネツィア その2)

2011-12-21 09:10:05 | 旅日記

サン・マルコ広場
正面に見えるサン・マルコ寺院へ歩きます。
 18世紀、この地を占領したナポレオンは、この広場を「屋根のない宮殿」「世界で最も美しい広場」と讃えたといいます。左の茶色い方形の建物は大鐘楼の下部部分。右はドゥカーレ宮殿です。

ドゥカーレ宮殿
ヴェネツィアが共和国だった時代の総督公邸。典型的な後期ゴシック建築です。中央の窓上部には「翼のある獅子」が見えます。

サン・マルコ寺院の前には長い行列ができています。手前に置いてあるのは机ではなく、浸水の時の通路です。ヴェネツィアは地盤沈下が進み、これから地球温暖化が拍車をかければ街全体が水没してしまう恐れもあるということです。この日も高潮の時間がせまり心配でしたが、幸い大したことはありませんでした。

サン・マルコ寺院
828年、聖マルコの遺体を祀るために現在、寺院に隣接するドゥカーレ宮殿の場所に建築された大聖堂です。
遺体はエジプトのアレキサンドリアから運ばれ(といえば格好いいが実際は盗まれた)ので、東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルにあった聖使徒大聖堂に模して造られたと言われています。そのため当初ビザンチン様式の建築でしたが、何度も改築された時代のゴシックやルネサンス、ロマネスク様式が加わって現在の形になりました。

予定にはなかったのですが、幸い団体入口からあまり並ばずに内部に入れることになりました。金色に彩られた祭壇の衝立を始め天井画なども素晴らしいものでしたが、時間に追われ駆け足で通り抜けたのであまり印象に残っていません。



寺院を出て北側にある レオーニ小広場にきました。
ライオンの彫像があるので、この名があります。ライオンは赤褐色大理石で、左側のもう一頭と狛犬のように対になっています。左のには子供がまたがって記念写真を撮って貰っていました。後ろのクリスマスの飾り物は馬小屋のマリア様とキリストでしょうか。

ムーア人の時計塔
15世紀終期の建築で、屋上に二人のムーア人のブロンズ像(自動人形)が立っていて正午になるとときを告げる鐘を鳴らします。後でゴンドラを下りて再びサン・マルコ広場に入った時に、この鐘の音を聞くことができました。時計は24時間制ですが黄道十二宮を表す12の星座が内側を飾っています。塔の上部には、ここにも「翼のある獅子」が見えます。

*ゴンドラに乗る前にヴェネツィアン・グラス工房で製造方法を見学します*

ヴィデオと合わせてご覧ください。

見学の後はパックツァー定番のショッピング・タイム。ヴェネツィアングラスは30数年前(1ドル=280円の時代)に結構いいものを買っていましたので、今回はパス。工芸品など見て回りました。

可愛い夫婦ペンギンもいました。さあ、いよいよゴンドラに乗船です。


イタリアの旅 (4.ヴェネツィア その1)

2011-12-20 17:10:24 | 旅日記

CIAO VENEZIA!

2011年12月9日 曇り時々雨 
ヴェネツィアは私たち古い人間にはべニスと言った方がなじみの深い町です。
 シェイクスピア「ベニスの商人」、トーマス・マン「ベニスに死す」の文学作品、映画ではキャサリン・ヘップバーンの「旅情」、そのテーマ曲「ベニスの夏の日」は今も耳に残っています。他にも「007」や「インディ・ジョーンズ」シリーズも一部ベニスが舞台でした。最近ではヴェニス映画祭でその名を耳にすることが多くなりました。
 もともと海洋都市国家、14~15世紀に貿易で栄えた「水の都」、今は街とそれを取り巻く潟全体が世界遺産になっています。

今日は♀ペンも私も一番楽しみにしていた、そのヴェネツィア観光の日です。
昨夜のメストレのホテルもモダンな外装で、部屋も広々としてサブのベッドまであり快適でした。

明るいロビーに立っているX'mas Tree

朝食はどこも同じようなヨーロピアンスタイルのビュッフェで、品数は少なめです。
そそくさと食べ終えて、バスで50km離れたヴェネツィア本島のトロンケットへ向かいます。

船着き場からヴァポレット(水上バス)に乗り込む頃は、雲は多いもののまだ青空も覗いていました。

船は航跡を曳きながらジュデッガ運河を本島中心部へ向かいます。

少し寒かったのですが、風の当たらない艫(とも)に出て移りゆく景色を楽しみました。

本島の中心部に向かう頃から、次第に雲行きが怪しくなってきました。

大運河の入口・税関岬に立つサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会
***教会などの建築物は、のちほど改めてご紹介しようと思います***

サン・マルコ教会が近づいてきました。

サン・ザッカーリア港に着きました。

運河沿いの道をサン・マルコ広場へ歩きます。右奥に見えるのはドゥカーレ宮殿です。
 この銅像はイタリアを統一したエマヌエーレ2世のようですが、ここヴェネツィアではあまり人気がないようで、ガイドに聞いても「イタリアの王様」と一言で片づけてしまいました。

奥に見えるドゥカーレ宮殿とサンズリアン運河を挟んで建つ新牢獄。(宮殿の一部分)

ため息橋
 白大理石製で覆いがあり、格子窓が付いています。ここから牢獄に曳かれる囚人たちがシャバの見納めと溜息をついたといわれます。新牢獄横のバリア橋からみた写真です。

ピンクの街灯と青いゴンドラの色が美しい。運河対岸に見えるのはサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会

サン・マルコ広場の入口に立つ円柱。
上にヴェネツィアの守護聖人・聖マルコ」の象徴「翼のある獅子像」があります。さらにその上にカモメが留っていました。左の建物は旧行政館、写真右奥はほぼ100mの高さのある大鐘楼です。

広場に入ってから後方の海側を振り返ったところです。
 入口に立つ二本の円柱の左が「翼のある獅子像」。ここから見るとライオンの形がよく分かります。右の円柱に立つのは聖マルコ以前の街の守護聖人・聖テオドロス像です。

サン・マルコ広場
正面にサン・マルコ寺院がある世界一美しいといわれる広場です。
まずサン・マルコ寺院を見学します。


イタリアの旅(3.ベローナ)

2011-12-18 10:17:48 | 旅日記

CIAO! ヴェローナ

ナポリから離れること約160km、バスで約2時間半走ってワインの酔いも醒めた15時過ぎ、ヴェローナに着きました。この辺りから渋滞が始まりました。

ヴェローナは古く12世紀から都市国家として発展したところで、シェークスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」の舞台になった町。今は「高貴なる都市」と呼ばれ、中世の香りを残す町として世界遺産に登録されています。

カステル・ヴェッキオ Castelvecchio
14世紀の中頃、デッラ・スカーラ家の住居兼要塞として20年かけて建築されました。バスは右折してカヴゥール大通りに入ったところに駐車しました。

 

城壁の横を、このような門を見ながら「ジュリエッタの家」に歩きます。

途中、こんな所を通りました。2000年前の古代ローマ時代の遺跡です。

これは当時の水道施設、共同洗濯場でしょうか?

ジュリエットの家

物凄い人波を縫って「ジュリエットの家」に来ました。通りからの入口は暗い煉瓦作りのアーチになっていて、モザイク状に埋め込またタイルには凄い数の落書きが残っています。後ろの女性が耳にあてているのはテレホンガイドです。

中庭に入って少しはましになりましたが、それでもスリが喜びそうな人混みです。みんなが見上げているのはこのバルコニー。

シェークスピアの戯曲第二幕の「バルコニーのシーン」でのジュリエットのTwitt、「おおロミオ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの」はあまりにも有名です。

中庭の最奥にある金色のジュリエットの像。乳房に触れると「素晴らしい恋」が成就するとか?

 

雑踏を縫って、別の道をバスに帰ります。

エルベ広場
 エルべはイタリア語の「野菜」で、もとは野菜中心の市場でした。今は土産物、日用雑貨品など色んな露店がぎっしり並んで賑わっています。
 左手奥に見えるのは高さ84mの「ランベルティの塔」、正面奥のバロック様式の建物は17世紀に建てられたマッフェイ宮殿です。



アレーナ・ディ・ヴェローナArena di Verona
ローマのコロッセオに似た円形の屋外闘技場です。満月に近いまん丸いお月様が登りました。

クリスマスシーズンで美しいイルミネーションが設けられています。しばらく歩いて17時過ぎにバスに帰りました。今夜の宿のあるヴェネツィア近郊のメストレまではヴェローナから約115キロ。2時間足らずで到着します。

夕食はホテルのレストランで。イタリアン・ビールは昼のワインより1€高かった。

この旅行では昼食、夕食に必ずと言っていいほどパスタ料理を食べました。
パスタの種類は300種近くあるそうですが、これはリガトーニ Rigatoni ?~太くて中空でショートカット。

白身魚のソテー風。

 ドルチェはストロベリー味のヨーグルトでした。 

*お料理の名前は、あらかじめ添乗員さんから聞いていたのですが、控えなかったのでうろ覚えです。間違っていることも多いと思いますので、お料理に詳しい方お教えください。*


イタリアの旅(2.ミラノ・続き)

2011-12-17 08:17:54 | 旅日記

ミラノ(続き) 

集合場所がドゥオモの階段の上なので、先にスフォルツェスコ城へ歩きました。
両側に商店の並ぶダンテ通りを約15分。トラムの線路を渡ると騎乗のスフォルツァ公の銅像があり、

その先の円形噴水の向こうに、中央に巨大な塔を持つスフォルツェスコ城の堅固な城壁が連なっています。
 この城は1450年、ミラノ公フランチェスコオ・スフォルツァが、かつてのヴィスコンティ家の城跡を改築して現在の姿の居城としたものです。建築にはレオナルド・ダ・ヴィンチも関わったといわれ、塔の入口をくぐると内部はミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」始め、数々の美術品が展示された市立美術館になっています。また城の背後には美しい大庭園があり、公園となっていますが残念ながら時間がなく、ここから引き返しました。

ドゥオーモの前に帰ってきました。

ドゥオーモ
1386年から500年の歳月をかけて建設が続けられた世界最大のゴシック式建築です。

空に向かって突き上げるように聳える尖塔の数は135本。その一つひとつの上に聖人の像が立っています。
なかでも中央にある塔の高さは108.5m。黄金のマリア像が燦然ときらめいています。

入口には5枚の大きな扉があり、それぞれにミラノの歴史など異なった彫刻が見られます。
長い行列に並んで入場しました。

美しいステンドグラスを通して柔らかい光が降り注いでいます。静寂の中に敬虔なカトリック教徒の人たちがミサを捧げていました。

 

ここからは内陣。両側の通路を含めて、この先は教区の信者以外は立ち入ることができません。
数々の貴重な遺物や美術品があるのですが、異教徒の私たちにはその有難味がよく分からず「猫に小判」でした。

神聖な空間、重い雰囲気から解放されて外の空気を吸うとほっとします。陽が高くなるにつれて参詣者が増え、広場に集まる鳩も多くなったようです。

午後の観光前に昼食。今日はサフランで色を付けたリゾットと…

ミラノ風仔牛肉のカツレツ。かなりのボリュームです。

グラスワインを二つ注文するとこんな大きなデキャンタが二つ出てきやんた。
安い値段(4€X2)の割には風味もよいハウスワインでした。一人分を二人で分けても十分な量、をしっかり飲み干しました。

食事の締めはドルチェ(デザート)です。これは生クリームを固めたパンナコッタ。
昼間から飲んだワインでいい気分になってバスに帰り、午後はベローナへ向かいます。 


イタリアの旅(1. ミラノ )

2011-12-16 08:55:04 | 旅日記

Buon giorno!

2011年12月8日 ミラノ
冬のイタリアの旅はミラノから始まりました。
昨夜は時差ボケでよく眠れず、早くから目覚めました。思ったより暖かい朝です。この時期には珍しく真っ青な空がホテル外壁に写っています。
イタリアで泊まったホテルはどこも、建物の外観を始め部屋内部の設備、器具一つひとつのデザインも洗練されていて、さすがに長い芸術の歴史を持つ国だと感じました。

今回のH社のパッケージツアー「イタリアへ行こう8日間」の参加者は24人。
8時過ぎ、専用バスでミラノ市内観光に向かいます。古い芸術品のような美しい建築物の横をトラムが走っています。

北イタリア最大の都市・ミラノは商業・金融の中心ですが、ミラノ・コレクションで知られるようにファッション関連産業でも有名です。
ここはラルゴ・カイローリと呼ばれる広場で、後ろに見えるのはスフォルツェスコ城。この騎馬像はスフォルツァ公爵、この城を築いた人です。

スカラ広場の前でバスを下りました。左の建物は今は市庁舎として使われているマリーノ宮。
銅像の人物はレオナルド・ダ・ヴィンチで、4人の弟子を従えて「最後の晩餐」を製作中の姿とか…。
右手の凱旋門のような形をした門をくぐると、「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリーナ」、
写真を撮る私の背後にはスカラ座があります。



スカラ座 かってサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会があった場所に、1778年建てられたオペラの殿堂です。 
2004年、大改築されてミラノの代表的な劇場になっています。スカラ広場の名前もこのスカラ座から来ています。そういえば、昔、大阪ナンバ千日前にも同じ名前の映画館があり、♀ペンと行ったことを思い出しました。

「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリーナ」の入口
スカラ広場とドゥーモ広場を結ぶ巨大なショッピング・アーケードです。ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世はイタリア統一戦争を終結させて初代国王の座に着いた人で、その名に因んでつけられました。

ガラスと鉄骨のアーケードの下は、グッチなど高級ブランド品店を始め書店からオートクチュール店まで、お洒落な4階建ての店が軒を連ねています。

美しい幾何学模様の天井を見上げたところです。壁面上部には四大陸を表すフレスコ画が描かれています。

ここがガッレリーナの中心。左右のアーケードが十字形に交わっています。

左側はプラダの本店、右手はルイ・ヴィトン。

足元の美しいモザイクはつい最近に修復が終わったばかり。

この楯の形をした牡牛のモザイク(隣りの州都トリノの紋章)も、この間まで股間の辺りに穴が開いていました。

もともと、牡牛の急所のところは少しくぼんでいて

ここに靴の踵をあてて一回転する(3回転の説もあります)と幸福がもたらされるといわれ、大勢の人がクルクル回ったために、すり減って穴が開いてしまったのです。

ガッレリーナを反対側に通り抜けたところはドゥオモ広場です。
まだ朝陽の影が長いのですが、今日12月8日は「聖母マリア処女懐妊の祝日」。これから増える人出を見越した警備のため、パトカーが停まりパトロールする警官の姿も見えました。

現地在住の日本人女性ガイドから、ドゥオモの説明と雑踏で暗躍するスリなどの注意を聞いたあと、自由行動の時間になりました。(ミラノの項・続く…次はスフォルツェスコ城近くまで往復した後、ドゥオモに入ります) 


イタリアから帰りました

2011-12-14 23:03:34 | 旅の想い出

8日間のイタリア旅行から帰ってきました。
旅行中も予約投稿の古い写真を見て頂いてありがとうございました。
これはとりあえずスーツケースから取り出したお土産の一部です。
カレンダーにも、ガイドブックにもCDやDVDがついています。
ポンペイの石は現地ガイドが「二度目にきた記念に…」と私にくれました。

手前の八角形のようなのは、フィレンツェの中央市場で買ったパンフォルテという硬いケーキ。
フィレンツェのあるトスカーナ州シエナの特産品です。
中央の長~~いスパゲッティはナポリの名物で、長さ55センチあります。
ワインのボトルと比べてみてください。詳しくはまた旅行記と一緒に後ほどお伝えします。