ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

今井町並みウォーキング

2009-11-18 17:32:46 | 旅日記
冷たい雨の降りしきる中、今井町の街並みを見て歩きました。



東西約600m、南北310mの環濠集落の中は伝統的な街並みが保存され、まるで
江戸時代にタイムスリップしたような感じです。
現在8軒の民家が重要文化財に指定されています。



この町は戦国時代天文年間に一向衆の門徒・今井兵部豊寿がこの地に御坊を
開いて、外濠を巡らせた自衛都市としたことに始まります。
町の中心となったその御坊・称念寺。明治10年、天皇が畝傍御陵に行幸の折
には行在所になりました。



天正3年、今井氏は織田信長に降伏、その後は大坂、堺との交流を深めて
「大和の金は今井に七分」「金の虫干し玄関まで」といわれるほどの商業都市
として栄えました。
 各家の外壁にはその家の家紋が掲げられています。
この豊田家は藩の蔵元で大名貸しなども行う豪商でしたが、もとは「西の木屋」
と呼ばれる材木商だったので「丸に木の字」が彫りこまれています。



荷を運んできた牛馬を店先につなぐための「駒つなぎ」。
牛用と馬用で高さが違います。町なかには最近のものらしい「犬つなぎ」も
見ました。



今井町で一番古い今西家。八ツ棟造りという民家というよりも城郭のような風格
の建築です。
今西家は十市氏(竜王山城主)の一族で代々、今井町の総年寄(司法権、警察権
をもつ)を勤めました。



今井まちや館。
明治以降は空き家で老朽化していましたが、18世紀初期の建築で貴重なもので
あることが判り、現在は資料館として公開されています。



まちや館内部。一階の「しもみせ」。
「帳台構え」は「おうえ(なかのま)」・「なんど」の境にあり、周りの敷居が
高くなっている場所をいいます。「敷居が高い」の語源になっています。



旧米谷家住宅。18世紀中期建築で「米忠」という屋号の金具商でした。
屋根の上の「煙出し」は、屋内での煮炊きの煙りを外に出すためのものです。
今の換気扇ですね。



そのカマドです。



そのお隣の音村家住宅。17世紀後期建築(右の旗が立っているところが旧米谷家)
煙出し口の向きにご注目ください。このように道路の方を向いている様式の方が
古いそうです。



軒下に杉玉を吊っていることからわかるように河合家は屋号を「上品寺屋」と
いう造り酒屋さんです。
屋根はこの東側が入母屋造りですが、西側は切妻という珍しい形式です。



一階の太い格子窓と、二階の防火用の白漆喰の塗籠(ぬりごめ)が特徴です。
「むしこ窓」は明りとりと通気窓の役割をします。これまでの写真でも色んな
形の「むしこ窓」がありましたが、河合家のものは家紋で看板を兼ねています。

今井町の重文の民家は、旧米谷家の他は全て現在も日常生活をされています。
楽しみにしていた今西家住宅が、この日は公開されていなかったのは残念でした。