ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

藤田健次郎さん

2006-09-18 08:51:47 | 人との出会い・本との出会い


2000年7月、別冊山と渓谷「たまには ふたりで山歩き」が発刊されました。
副題に「夫婦登山のすすめ」とあり、夫婦登山の計画の立て方、歩き方から
二人歩きのコースガイドなど豊富な内容の雑誌でした。
そのなかのレポート「それぞれの夫婦の山歩き」 の4組の中に、思いがけず
私たち夫婦が紹介されのです。有名な山岳雑誌の見開き2ページに写真入り
で登場したことは、気恥ずかしいことながら本当に嬉しいことで、一生の想い
出となる出来事でした。



 その記事を書いて下さったのが藤田健次郎(ふじたけんじろう)さん。
毎日新聞社記者から編集委員、支局長などを歴任して退社された方です。
インタビューで断片的にしゃべったことが、こんなに見事に整理されて
臨場感あふれるレポートになったことに驚き、流石ベテランのライター
と舌を巻いたことです。
 それまではメールなどでやりとりしていただけでしたが、この時の
インタビューや発刊後お礼と言われてご馳走になったりして、その後
親しくお付き合いするきっかけになりました。
 特にこれといった山歴のない私が日本山岳会に入会できたのも、手続き
を整えて下さった先輩会員・藤田さんのお陰です。



低山徘徊派が葛城山で鴨鍋オフをしたとき(上の写真)や、JAC関西支部
の一水会(勉強会)に講師としてお願いすると快く引き受けて、時間を
割いて下さいました。
もちろんすべてボランティアの友情出演で、かえって著書の提供を頂い
たりご負担をかけています。



 藤田さんの著書には、上の「中高年、山と出会う」の他、「ひとり歩き
の金剛山」「ふたりの夏山(いずれも山と渓谷社刊)などがありますが、
いずれも「より安全に楽しい山歩き」をすることで「山の持つ奥深さを
じっくり楽しむ」姿勢が貫かれています。



 「アジアの山紀行」は、そんな藤田さんが「国内から海外の名峰へと
エスカレート」した「登山とトレッキングのすすめ」ですが、ここでも
「安全に、しかも楽しみたい」という大衆登山の基本ともいえる考え方
が披瀝されています。
 ともすれば「しゃかりき」になりがちな貧乏性の私には、見習わなけ
ればならない「大人」の風格ある山歩きスタイルといえるでしょう。


  最近作「初めての四〇〇〇メートル-熟年登山者のキナバル山行記」
では、光栄にも表紙カバーと本文の一部に変愚院撮影の写真を採用して
頂きました。

先生…というと嫌がられるので、失礼ながら「健さん」、近いうちにまた
何処かで一杯やりませんか。

来るか台風 (9月17日)

2006-09-17 17:17:28 | 矢田だより
今朝は風もなく、良いお天気で明けました。
しかし、台風は次第に進路を西に変えているという予報です。
6時前から、東明寺~峠池経由で矢田山に登りましたが、
日曜日だけに、山麓ではいつもより沢山の早朝散歩の人に
出会いました。



しかし山道に入ると、よく出会う女性一人に行き交っただけで、
静かな道でした。東明寺の上でギンリョウソウが顔を出して
いました。


露ナシ池から下る途中、昨日アケビが落ちているのを見たところで
上を見ると、まだ青い果実が一つだけ見付かりました。去年に比べ
実りが少ないようです。

矢田大石近くでコジュッケイ、車に乗ってすぐきれいな雄のキジ
が道を横切りましたが、どちらもカメラを向ける暇もありません
でした。

台風接近 (9月16日)

2006-09-16 20:23:31 | 矢田だより
台風が近づいているので、今朝は早めに矢田丘陵を歩き
ました。露ナシ池横の道が、木の段を作るなど補修されて
歩きやすくなっています。



ミズヒキは上から見ると赤い花の色、下から見ると白い色
でこれがお祝いの包みに使う「水引」の由来だそうですが、
写真に撮るには難しい花です。


こちらはキンミズヒキ。どちらも今、たくさん咲いています。

家に帰った直後に少し降りましたが、そのあとはまずまずの
お天気でした。
しかし、トラさんが山本マサにノーヒットノーランを喰らった
お陰で我が家は台風の前の静けさです。

ヒガンバナ (9月15日)

2006-09-15 10:47:52 | 矢田だより
久しぶりに朝の矢田山を歩きました。

めっきり涼しくなってアブの襲来もなく、顔見知りの数人の方に
出会っただけの静かな山中でした。

ヤマウズラは花が終わって枯れたもの、咲き残ったものをあわせ
ても数本を見ただけ。縦走路脇の草刈りが行われたせいか、あるい
は今年は花の少ない年回りだったのかも知れません。



他に花もなく「今日はBLOGの被写体なしか…」とぼやきながら
矢田寺駐車場に帰ると、すぐ目の下の斜面に、登りには気付かなかった
ヒガンバナが咲き始めていました。

「さみどりの直き茎よし曼珠沙華」石田波郷

森澤義信さん・奈良の山

2006-09-14 08:57:42 | 人との出会い・本との出会い


「奈良80山」は奈良の山を歩くには欠かせない本として、今では
私の座右の書となりました。

 80という数は「県内で標高800m以上の山」を基準に選ばれて
います。

 この本では、登山口までの交通手段としてマイカーを使ったガイド
になっているので、バスの回数が少ないために入山が困難だった
地域も、京阪神からの日帰り圏に入っています。

 類書には未だにマイカーでの入山を罪悪視するためか、不親切
あるいは不明瞭な記述が目立ちますので、この本はマイカーを利用
することの多い私にとって、とてもありがたく思いました。
 また、登山口周辺の記述がしっかりしていることも、何度も登山口
を探して長い時間を浪費した経験をもつ私には嬉しいことです。



 著者の森澤義信(もりさわ よしのぶ)さんとは、この本がご縁で
お付き合いが始まりました。日本山岳会に入会されたあとは、何度と
なく山行をご一緒することになります。(写真・右端が森澤さん。
2005年12月、熊野古道・伊勢路にて)

とくに2年前からJAC関西支部設立70周年記念事業として「紀伊山地
の参詣道シリーズ」と銘打った山行を始めてからは、つねに先達として
詳しい説明とともに道案内役を務めて下さいました。



「先達」とは言葉のあやでなく、森澤さんは実際に吉野山の修験本宗
別格本山・桜本坊による奥駈修業を重ね、中先達の資格をお持ちなの
です。



 今年6月、3年間の執筆期間を経て「大峯奥駈道七五靡」が出版
されました。巻頭の本山修験宗宗務総長・宮城泰年師の「平成の大峯
山脈を後世に伝える好著である」という言葉が端的に示すように、
何回もの実地踏査で奥駈道の現況を詳細に記録されているだけでなく、
今日に至る奥駈道と周辺の歴史が豊富な図版、写真で描かれています。

桜本坊蔵の「大峯々中秘密絵巻」などの図を、この本で目にできたのも
嬉しいことでした。巻末記載の参考文献は170近く、ここにも彼の真面目
で几帳面な性格がうかがえます。

 長く厳しい奥駈の道のりではありましたが、美しくも気高い景色、花々、
そして仲間との楽しい想い出が本書を読み進むにつれてよみがえり、
出来ればもう一度訪れてみたいと思いました。

 森澤さんには例会山行の他、個人山行でもなにかとお世話になって
います。
また山での帰りには、お互い嫌いではない方ですので、必ずと言って
いいほど一杯?のお付き合いも欠かしません。
「紀伊山地の参詣道」には、まだまだ訪れたいコースがたくさんあり
ます。


いつも笑顔を絶やさない森澤さん。
これからも先達として「ペンギン夫婦」をよろしくお願いします。 

新居綱男さん・剣山

2006-09-13 09:01:13 | 人との出会い・本との出会い




剣山には4度登りました。そのうち3度、頂上ヒュッテでお世話に
なっています。4年前の8月に訪れたとき、売店に置いてあった
この本を求めました。奥付に「平成14年8月8日発行」とあるので
出来たてのホヤホヤです。(実際は少し前から置いてあったのかも
知れませんが…)

表紙の花は勿論、キレンゲショウマ。裏表紙はツルギハナウドです。
春の花、夏の花、秋の花の他、樹木の説明もあり約120種ほどの、
「目に付きやすい花」の写真中心のハンドブックです。剣山周辺に
は1200種もの植物が自生するそうで、その約10分の1に過ぎません
が四国や剣山にしか見られない花も多く紹介されています。

写真はすべてヒュッテの主人・新居綱男(にい つなお)さん撮影に
よるもので、尾野益大さん(文)との共著です。


夕食の席上、自慢の献立や窓から見える夜景、ツキノワクマ、キレンゲ
ショウマなどの剣山の自然について話す新居綱男さん。

新居綱男さんは頂上ヒュッテの二代目主人。初代は1955(昭和30)年、
物資の不自由な時代に65歳という高齢で、剣山の山頂近く(一等三角
点のあるところから250m)にヒュッテを建設した、綱男さんの父・
新居熊太さんです。(下の本「剣山物語」の裏表紙の写真で右下の人。
なお、写真上は綱男さん、左下は三代目の智次さん)



「剣山物語」はヒュッテ創立50周年を記念して作成されました。
貴重な写真を散りばめたヒュッテの歴史にとどまらず、剣山の歴史、
山名の由来、地形・地質、植生から頂上測候所の話、周辺の道路事情
まで、およそ剣山に関する博物誌的な要素を全て網羅した素晴らしい
書物です。(編集は尾野益大さん)

尾野益大さん・四国の山

2006-09-12 10:27:18 | 人との出会い・本との出会い
 日本山岳会関西支部では毎年秋「図書の虫干しと著者と語る会」を催し
ています。「虫干し」の機会に、会の開催場所として毎年お借りする上六
の今西組社屋書庫で、「風を通す」という名目で置かせて頂いている支部
蔵書の山岳図書を自由に閲覧できます。
 今西組は元日本山岳会会長、元関西支部長でマナスル初登頂者の
今西寿雄氏に繋がるご縁があります。3Fにはネパール領事館があり
ビザ発給でお世話になっています。



 さて4年前の2002年は「四国の山の魅力について」がテーマでこの
とき始めて尾野益大(おの やすひろ)さんにお目にかかりました。
このときは翌日に釈迦ヶ岳で歓迎山行があり、私は残念ながら参加でき
なかったのですが、講演後の懇親会ではJAC同期入会という気安さも
あり、最初から打ち解けてお話しができました。

「四国の山を歩く」は、この年、ナカニシヤから発刊されたものですが、
四国4県を代表する、個性豊かな山50数座が「ガイド紀行」として
紹介されています。あとがきの「僕は山を紹介するとき、山の個性に
精いっぱい光りをあてたい。頂きを往復して帰る途中、何か一つでも
感動があった方がいい。…(中略)…大勢の登山者に山の声に耳を傾け
て欲しいと思う。」という文章には彼の四国の山への想いが溢れています。



2006.08.27 三嶺 にて。
尾野さんは1968年生まれ。高校山岳部から山を始め、明治大学在学中
は中部山岳を歩くと共に南アルプスで小屋番を経験。現在、徳島新聞社
勤務の傍ら四国の山を歩き回っています。
上の写真のときは、鳴門支局で午後11時45分の最終稿締め切りまで勤務。
すぐに剣山・見ノ越へ車を飛ばし、翌日午前2時前に剣山頂ヒュッテに。
午前4時半には、疲れも見せず三嶺への縦走に出発。歩きながら、いろ
いろと四国の山について話してくれました。本当にタフな人です。

著書に「徳島やま歩記」、「四国百名山」(共著)、「花の百名山登山
ガイド」(共著)など。



「徳島の静かな名峰」は1995年刊の尾野さん個人としては初期の本です。
(共著ではそれ以前に「ヤマケイ分県シリーズ」など)
4月末、四国分水嶺踏査の打ち合わせに持って行き、一夜お世話になった
折りにサインして貰いました。ここにも、故郷の山を愛する彼の心が如実
に表れています。

**山の本だけで知っていた人との邂逅、山の人から教わった素晴らしい
山の本。
このシリーズ?では私には数少ない、かけがいのない、そんな人や本との
出会いを綴っていきます。**

近況・富士山のスーパースターたち

2006-09-10 09:34:25 | 四方山話

*實川欣伸さん     2006年9月4日朝、宝永山荘にて。
3日夜とこの日の朝、連続時間登頂記録を更新中に山荘に立ち
寄られた實川さんと、ほんの短い時間でしたがお話しする機会
がありました。
2年前にお目にかかったあと、6大陸最高峰登頂中の海外では
マッキンリーに登ったとお聞きしました。

水を(1リットル強、行動中はあまり飲まないそうです)補給した
あと、とても二日間不眠とは思えない、しっかりした足取りで
連続8度目の山頂目指して登って行かれました。

昨日(9月9日)、山荘に電話して奥さん(渡井弘子さん)に聞いた
ところでは、無事、「50時間で連続8回登頂」の記録を達成された
そうです。おめでとうございます。

*大貫金吾さん
2005 年10月25日、ついに登頂500回を達成されました。
この様子は「富士山に500回登り続けて」で詳しくお話されています。

*佐々木さん
今も毎日のように神奈川から車を走らせてきて、登頂されています。
登頂記録は200回を越えました。
4日朝、山荘の主人・渡井正弘さんと小屋の前で…
「實川さんが今、8回目、登っていったよ。」
「この小屋はへんな人ばかり集まるなあ。歳なんだから、あまり
無理しないようにいっといてよ。」「自分はどうなんだ」「俺は
まだまだ若いよ」こんなやりとりの後、元気に登って行かれました。

富士山のスーパースター

2006-09-09 08:23:07 | 四方山話
富士山の魅力に取り付かれた人は多い。
富士を題材にした文学、絵画、写真、音楽…などで名を残した人
も数え切れない。過去幾多のヒマラヤを目指す登山家が冬の富士
で訓練を重ねたことだろう。

 しかし「富士に登る」という「単純にして純粋な」行為を黙々
と続ける「富士山が本当に好きな」人たちも大勢いるのだ。
今年の富士では偶然にも同じ日にそんな三人に出合って、短時間
だが話を聞かせて貰うことができた。三人とも六合目・宝永山荘の
主人夫妻とは昵懇の仲で、必ず顔を見せて行く。

まず、Sさん。登り始めて1時間ほどの七合目付近で凄いスピード
で追いついてきた人から「宝永山荘の小母さんから聞いたが、ヒマ
ラヤにも行かれる方でしょう」と声をかけられた。
「いやトレッキングですから、そんな大層なものじゃありません」
「富士山には毎年登られているそうですね。私もあなた(変愚院)
と同業でしたが定年後3年間の非常勤も終わり、今年から富士登山
を重ねて30回を越しました」と気さくに話を続けられた。

「どうぞお先に」と別れたが、驚いたことに私たちが九合目近くまで
来た時に、もう下山してくるではないか!「もう剣ヶ峰から…」
「いいえ、昨日と連続ですから今日は富士宮頂上までで…」。絶句!
別れ際に「あなた方、わたしの考えていたイメージより、かなり早い
ペースですよ」これは褒められたのか、冷やかされたのか…。

あっという間に後ろ姿が遠ざかっていった。後で聞くとこの人の所要
時間は登り2時間半、下り1時間ほどだそうだ。このSさんが尊敬して
いる富士登山の先輩二人に、その後で出合うことになる。

元七合目のブル道まで降りて来たとき、高年の山慣れた様子の登山者
と出会った。もう15時近い。「これから登るんですか?」と聞く♀ペン
に「まあ隣の村に遊びに行くようなもんだから…」ぽつんと「今日は
二度目でね。これで462回目になる」。!!。



 昨夜、話に聞いていた大貫さんだ。「この富士宮口から頂上に登り、
須走口を五合目まで下って、またこっちに廻って来た」。♀ペンが
「一緒に写真撮らせてください」とお願いすると快く応じて「また、
会いましょう」と素晴らしい笑顔で登って行かれた。

 大貫金吾さん。74歳。元高校の数学の先生で、岩崎元郎もこの人の
教え子である。第1回からワープロで記録してきた登頂日、ルート、
記録文等を集めた「限りなきオマージュ 富士山 400回までの登頂記録」
という著書が、ごま書房から出版されている。このことも山荘に置いて
あったサイン入りの本で知った。
 
 49歳になってから、高校山岳部の引率者として必要な体力養成の
「究極のトレーニング」として富士登山を続けることになったという。
63歳でフルマラソンを始め、5年間で7回完走したとも。ともかく凄い人だ。
山荘のコタツに入ってそんな話をしていると、三人目の凄い人が現れた。

 沼津市の實川欣伸さん。登山回数は大貫さんに及ばない(それでも
250回を越えている)が、その登山スタイルが凄い。ともかく考えられる
限りの登り方で富士山を「遊び尽くしている」。

 例えば34時間50分で6連続登頂。30時間52分で四登山道連続登頂。
42時間で東京駅から登頂。下田から伊豆半島を縦断して39時間で山頂へ…。
富士山だけでなく、日本縦断で3000m峰29座を29日で踏破。海外では
キリマンジャロ、エルブルースなど四大陸の最高峰に登っている。



この人も気さくな人で、一緒に生ビールを飲みながら色々と話を聞かせて
下さった。「今の夢は、日本百名山を連続して登ること」だそうだ。
「もう帰ろう」と腰を上げて暖かい手で握手。「機会があれば、熊野古道
のような静かな道も歩いてみたい」と言われた。これは酔った私が余計な
ことを口走ったことへの、思いやりだったのかも知れない。優しい人だ。

 この山小屋には野口健や今井通子などの登山家や有名な芸能人なども
訪れている。主人夫妻の人柄にひかれて、山に登らずにここまで遊びに
来る人も多い。訪れるたびに素晴らしい人との出会いがある。
去年は下山後、同宿の映画監督・新城卓氏(勝新太郎そっくり)と
すっかり意気投合して琉球古酒を飲み交わした。(彼はあれほど飲んだ
翌日、ちゃんと山頂を極めたそうだ)。来年はどんな人に出会えるか、
今から楽しみにしている。

<この記事も2003年10月の再録です>
*今年もこの記事のSさん(佐々木さん)、實川さんにお目にかかった。
大貫さんとはすれ違いだったが、もうお一人、富士に取り付かれたような
人(失礼!)と同室だった。詳しくは次回にでも…。