ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

八の山-八経ヶ岳

2008-08-30 11:09:21 | 四方山話
八経ヶ岳(1915m)
大峰山脈はもとより近畿の最高峰。日本百名山では大峰山を代表する山として紹介されています。
 開山の祖・役行者が法華経八巻を納めたと伝える霊山で、周辺のシラビ、トウヒの原生林やオオヤマレンゲなど貴重な植生が残されています。

1994年7月10日 天女の花・オオヤマレンゲを見たいと二人で登った。
前日、河合の弥仙館に泊まる。部屋の前にあるバンドリ(ムササビ)の巣が珍しい。
7時前に行者還トンネル西口から登り始め、50分の急登で奥駈道の通る稜線に出る。石休ノ宿跡からゆるく下ったところにショウキランが咲いていた。
聖宝ノ宿跡(8:45)からの登りは結構厳しかったが、何度かの立ち休みだけで頑張った。



 9時55分、弥山小屋着。新しい棟を建築中で、皇太子が泊まられたと聞く古い小屋は気の毒な程、お粗末だった。弥山の天川神社奥の院に詣で、八経ヶ岳へ。



途中、群生地でオオヤマレンゲをカメラに納めながら、案外簡単に山頂に立った(10時50分)。
弥山小屋に帰り、650円の缶ビールを買って前のベンチで昼食。14時半、トンネル西口に帰った。

2004年10月17日 
 吉野山桜本坊中先達でもあるMさんから頂仙岳のお誘いを受け、JAC関西支部の3人と5人で10年ぶりでトンネル西口から登った。
「紀伊山地の参詣道」が世界遺産指定を受けたためか、奥駈道の要所には立派な標識が立っていた。聖宝八丁の急登も幅広い木の階段がずっと設けられて、前より登りやすくなっている。



途中で鉄製の梯子を挟んで更にひと登りで、思ったより楽に弥山小屋に着いて一泊する。
 弥山から直接八経ヶ岳へ登る道は明治19年になってから開かれたもので、それまで山伏は「弥山駆出」といって早朝に弥山を出て狼平に下り、頂仙岳に登って明星ヶ岳に出たという。私たちもこのコースを歩いた。
 頂仙岳を往復後、高崎横手から明星ヶ岳への道に入る。
古くから土地の人が利用していた道だが、弥山小屋管理人西岡さんらの尽力立派な歩きやすい登山道となった。今春、公開さかれたばかりの、 緑のコケに覆われた林床に立ち並ぶトウヒやシラビの中の道を歩いて明星ヶ岳経由で八経ヶ岳に登る。
秋晴れの空の下、展望は申し分なく雄大そのもの。五人で貸し切りの頂上で、のんびりと小屋で用意してもらった弁当の昼食をとり奥駈道を帰った。

2005年9月30日
 JAC関西支部の奥駈山行第5回目。 行者還トンネル東口から登り、一ノ垰(タワ)から奥駆道を南下、弥山小屋で一泊。
八経ヶ岳から、激しい起伏の連続する大峰山脈の稜線を釈迦ヶ岳へ。そしてかっての修験集落・前鬼に下る。歩行距離27キロ、二日目の所要時間は12時間に及んだ。



 早朝の出発で、八経ヶ岳には予定よりも少し早い5時半に到着した。しかし霧の中で、期待したご来光は望むべくもなかった。三角点で記念写真を撮り先を急いだ。

2008年7月2日
 JAC関西支部自然保護委員会主催の「オオヤマレンゲ観察会」にふたりで参加。
この日は弥山周辺の保護状況を見学して弥山小屋に泊まり、翌日は観察を続けながら八経ヶ岳に登り、明星ヶ岳を経て2004年のコースを高崎横手に下り、頂仙岳を捲いて天川坪ノ内に下山した。