*このBLOGは今日から10月10日まで更新がありません*
今から50年前の1956年…。「神武以来」といわれた好景気の年。
日本とソ連の間に国交が回復し、巷にはエルビス・プレスビーの甘い歌声
「ラブミー・テンダー」が流れていました。
石原慎太郎の「太陽の季節」が大ベストセラーとなり、間もなく日活で
映画化。弟の裕次郎(私と同じ年)がデビュー。(もっとも、この映画での
彼は端役で、主演は長門浩之でした。)

「1997年、ポカラから見たマナスル」
そんなある日、「マナスルに立つ」というドキュメンタリー映画を見た私は、
今までにない衝動を受けてスクリーンから目が離せませんでした。
森繁久弥の絶妙のナレーションで繰り広げられる自然と人間のドラマ。寝床に
入ってからも、あの白銀の山々の姿が目に焼き付いているようでした。
もちろん、5月9日の今西隊員とシェルパの初登頂以来、「日本人初の8000m」
の快挙は繰り返し様々なメディアで報じられていましたので、少なからず関心
はありました。しかし、山といえば故郷の(河内)飯盛山か生駒山しか知ら
なかった私が、その後50年間も様々な山に登るようになった端緒は、この映画
で受けた感動でした。
「いつかはあんな美しい景色を自分の目で見たい」と願って始めた山歩きが、
生涯変わらぬ趣味となり、一生のザイルパートナーとも知り合いました。
あれから半世紀。JAC関西支部の先輩や山仲間、♀ペンと一緒にあの山を
見ながら歩いてきます。
日程はこちらに…日本山岳会関西支部マナスル三山展望トレッキング
今から50年前の1956年…。「神武以来」といわれた好景気の年。
日本とソ連の間に国交が回復し、巷にはエルビス・プレスビーの甘い歌声
「ラブミー・テンダー」が流れていました。
石原慎太郎の「太陽の季節」が大ベストセラーとなり、間もなく日活で
映画化。弟の裕次郎(私と同じ年)がデビュー。(もっとも、この映画での
彼は端役で、主演は長門浩之でした。)

「1997年、ポカラから見たマナスル」
そんなある日、「マナスルに立つ」というドキュメンタリー映画を見た私は、
今までにない衝動を受けてスクリーンから目が離せませんでした。
森繁久弥の絶妙のナレーションで繰り広げられる自然と人間のドラマ。寝床に
入ってからも、あの白銀の山々の姿が目に焼き付いているようでした。
もちろん、5月9日の今西隊員とシェルパの初登頂以来、「日本人初の8000m」
の快挙は繰り返し様々なメディアで報じられていましたので、少なからず関心
はありました。しかし、山といえば故郷の(河内)飯盛山か生駒山しか知ら
なかった私が、その後50年間も様々な山に登るようになった端緒は、この映画
で受けた感動でした。
「いつかはあんな美しい景色を自分の目で見たい」と願って始めた山歩きが、
生涯変わらぬ趣味となり、一生のザイルパートナーとも知り合いました。
あれから半世紀。JAC関西支部の先輩や山仲間、♀ペンと一緒にあの山を
見ながら歩いてきます。
日程はこちらに…日本山岳会関西支部マナスル三山展望トレッキング