遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ヴォーリズの西洋館 日本近代住宅の先駆』  山形政昭  淡交社

2021-09-29 16:10:36 | レビュー
 かなり以前に滋賀県近江八幡市でのウォーキングに参加したとき、市内にヴォーリズゆかりの地があり、ヴォーりズの建築物があるということを知った。また、京都の定期観光バスツアーで、ヴォーリズの建築例である駒井家住宅を訪れたことがあった。それ以来、ヴオーリズからは遠ざかっていた。だが、最近、友人のブログに大阪市内のヴォーリズ建築の数例の写真が掲載されたのを読み、改めて関心を抱くことになった。
 市の図書館蔵書を検索してみて見つけたのが本書である。

 プロローグは、「京都北白川の疎水縁の道に沿って、小門を開く西洋館がある。京都大学理学部の創設期に活躍した駒井卓博士の遺邸で、桟瓦ぶき切妻屋根のおとなしい構えの二階建住宅である。」という文から始まる。冒頭に訪れたことのある建物の名前が出てきて、一層興味を惹かれる滑り出しとなった。奥書を読むと、著者は建築歴史、建築計画を専攻した研究者・大学教授で、近代建築の調査研究としてヴォーリズの建築についても研究され幾冊か出版されている。本書もその一冊。2002年7月に出版された。

 本書は、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの人生と活動の全容を概略でコンパクトに伝えてくれる。本書では主に、生活に密着した近代住宅分野でのヴォーリズの活動がまとめられている。「日本近代住宅の先駆」として大きな足跡を残した経緯が実例により語られる。学生時代には知らなかったのだが、母校にもヴォーリズの建築があったことを本書で知り、遅ればせながら認識を新たにした。
 
 本書は二部構成になっている。まず、第Ⅰ部では「ヴォーリズの建築遺産」の実例が抽出され、建築の経緯やゆかり、建物内部の構成、エピソードなどが事例ごとに説明されていく。「一 原風景としての住宅」「二 洋和融合の住宅」「三 再生された住宅の現在」に分類して論述される。見出し数で言えば、8例、7例、9例をそれぞれ取り上げていく。実例は関西を中心にしながら、北海道の北見、長野県の軽井沢、東京都大田区・港区、静岡市内、因島、鹿児島市内に及んでいる。巻末には、「ヴォーリズの建築作品一覧」として、「主要住宅作品」には写真を付け、1911年~1940年の期間で86例が掲載されている。さらに、「その他の主要現存作品」として、1909~1939年の期間で53例が掲載されている。お読みいただいた方は、身近にヴォーリス建築があることに気づかれるかもしれない。

 第Ⅱ部は<住宅建築の先駆者、ヴォーリズの軌跡>と題し、ヴォーリスの人生とその活動の全容を概説している。
 <はじめに>では、ヴォーリズの自叙伝をはじめ、彼の活動に関連した様々な著作物がまとめて紹介される。その後3つのセクションに分けて概説される。
 <一 ヴォーリズの来日と近江ミッション>
 巻末に、「ウィリアム・メレル・ヴォーリズの年譜」が付いている。この最初のセクションでは、ヴォーリズの生誕から来日前までを略記したあと、来日(1905年/明治38年)後のヴォーリスの活動を太平洋戦争中の1943(昭和18)年まで概説していく。
 以下、要点をご紹介しておこう。
*ヴォーリズは建築家志望だったがそれを断念し、コロラド大学では哲学士の学位を取得し卒業した。建築への関心は持ち続け、個人的に研究をつづけたという。在学中は、海外伝道学生奉仕団に属し活動した。
*卒業後、YMCAに勤務。日本へは滋賀県立商業学校英語科教師として来日。結果的に近江八幡市がヴオーリズの活動拠点になる。
*「課業以外の時間には、もし生徒が希望するならば、自由に聖書を教えてよい」(p189)という条件があった。だが、ヴォーリズの「バイブル・クラス」は奇跡的な成果をあげ、広がって行った。それが結果的に1907(明治40)年3月での教職解雇につながる。
*1910(明治43)年12月、ヴォーリスはコーネル大学建築科の卒業生のチェービンを迎えて、ヴォーリス合名会社を設立。建築設計事務所が組織づけられ活動を始める。
*ヴォーリズは自立して、1911(明治44)年に近江ミッション(近江基督教伝道団)を設立。この近江ミッションの中に、建築部(ヴォーリズ建築事務所)の活動を位置づけた。さらに、建築資材・雑貨など商品輸入販売部門を業務とする近江セールズ株式会社も設立する。昭和に入り、メンソレータムを扱うことで業容が発展する。建築部と近江セールズの収益は、近江ミッションの自立とその活動の礎になっていく。近江ミッションに近江療養院の活動が加わる。1934(昭和9)年2月、近江ミッションは近江兄弟社と改称される。
*1919(大正8)年、ヴォーリズは、一柳末松子爵の三女、満喜子と結婚する。満喜子はアメリカの大学に留学、留学を含め8年間の滞米経験があった。満喜子との結婚がヴォーリズの活動をさらに広げることにもなる。1941(昭和16)年に、帰国か帰化かの選択を迫られ、ヴォーリズは帰化する。一柳米来留(めれる)と改名した。

 <二 建築部の構成と設計活動>
 「建築部の構成」「建築部員」「本社と支所」「建築の記録」「建築作品の分布」「周辺地域での建築活動」という見出しで、ヴォーリズ建築事務所の活動が詳述されていく。 本書を読みすすめての私の印象は、「ヴォーリズの建築」という言葉は、いわば、江戸時代の俵屋宗達の宗達工房、狩野永徳を中心とした狩野派に類似するのではないか。俵屋宗達の屏風絵、狩野永徳の屏風絵というけれど、そこには工房や一派に属する補助者がいて、宗達・永徳の名のもとに仕事をしている。ヴォーリズの場合、彼自身は建築の資格を持つ建築専門家ではない。だが建築に造詣が深く、住宅建築がどういうものであるべきかの理念・考えを持ち、意匠を具現化し図面を描く力もあった。「会議のときにも、車中にあっても、わずかな紙片を見つけては鉛筆で建築のスケッチを始め、プランニングがまとまると『バンザイ!デキマシタ』と大声を発し」(p17)というヴォーリズのエピソードを著者は記している。
 組織的にはプロデューザー的な立場だったのではないだろうか。そんな印象を持った。ヴオーリズの理念・考えをヴォーリズ建築事務所が日本近代住宅の先駆として具現化してきたということなのだろう。
 
 <三 住宅建築について>
 「近江ミッション住宅」「主要作品の分布と特色」「米国コロニアル・スタイルの住宅」「スパニッシュ・スタイルの住宅」「再び『吾家の設計』と『吾家の設備』」という見出しが並ぶ。ここでは、ヴォーリズ建築事務所が建てた住宅のスタイルが時代の変化とともに変化して行く側面を概説していく。

 <あとがき>で著者はヴォーリズ建築の特色を次のようにまとめている。
「独創的にして新奇な建築を試みようとしたものではなく、歴史に培われ世間の嗜好に添う伝統的建築様式を基にして、近代的生活機能を備える改善を加える建築手法によって、施主の要望に叶う建築を提供し、建築によって広く社会の需(もと)めに応える奉仕者となることを目的としていたといえる。」(p283)と。また、
「キリスト教主義に基づく『使命』としての建築こそが氏の建築の特色」(p283)とも記す。「プロローグ」で「ただそ(=ヴォーリズ)の常識は、日常のなかに高い理想を目指したものであり」(p17)とも説明している。

 ヴォーリズその人とその作品を知るガイダンスとして役立つ書である。

 ご一読ありがとうございます。

『隠し剣孤影抄』  藤沢周平   文春文庫

2021-09-28 23:33:04 | レビュー
 9月初旬に『隠し剣秋風抄』の読後印象をご紹介した。著者の年譜を見ると、出版されたのが1981(昭和26)年2月である。その前月(1月)に連作短編集『隠し剣孤影抄』が出版されている。読む順序が逆になったが、一連の連作短編集といえる。本書が文庫化されたのは、1983年11月。文庫化は半年の隔たりをおいて『秋風抄』が翌年5月である。

 先に読んだ『隠し剣秋風抄』で触れているが、連作短編の各タイトルが「××剣」「剣○○」というパターンとなっている。「××」がいわばその短編において隠し剣を使わざるをえない状況を導く因となる。そこに短編創作のモチーフが示されている。それが因となり秘剣を使う瞬間に立ち至り、「○○」と名付けられる隠し剣が使われることになる。そうならざるを得ない状況がごく自然にストーリーとして進展して行く。読者にとっては、異色な剣客が次々に登場してくるというのが読む楽しみとなる。
 
 本書に収録された8編のタイトルをまず列挙しよう。「邪剣竜尾返し」「臆病剣松風」「暗殺剣虎ノ眼」「必死剣鳥刺し」「隠し剣鬼ノ爪」「女人剣さざ波」「悲運剣芦刈り」「宿命剣鬼走り」である。
 各短編について読後印象と併せて簡略にご紹介していこう。

<邪剣竜尾返し>
 母が足を痛めたことをきっかけに、檜山絃之助は城下から南に一里半、赤倉山の谷を分け入ったところにある赤倉不動に代参するようになる。秋の本尊御開帳の夜、本堂での夜籠りに加わる。そこでふとした契機で24,5歳と思える鉄槳(かね)をつけた武家方の女と甘美な一刻を過ごす結果となる。それが後に思わぬ因となることに・・・・。
 7年前に城下に来て、一刀流指南所の看板を掲げている赤沢弥伝次が、組頭の坂部を通じて檜山絃之助との試合を執拗に申し入れていた。三ノ丸内にある藩道場で、絃之助は坂部の稽古の相手をした後、「雲弘流には、竜尾返しという秘伝があるそうだな」と坂部に問いかけられた。坂部は「その竜尾返しという剣を、一度見たいものじゃな」とさりげなく語る。
 絃之助の帰路を待ち伏せしていた赤沢が、絃之助に言う。「俺の女房だ。あの女は」「尋常の試合で片をつける」と。
 組頭坂部から中老の戸田の意向が藩主に伝えられ、試合の許しが出ていた。絃之助は赤沢との試合を受けざるを得ない立場に追い込まれる。絃之助は半月の猶予を乞う。
 問題は、3年前に中風で倒れて床についたままの父から絃之助は秘剣竜尾返しを伝承していないことだった。5年前に檜山道場で父・弥一右エ門が大兵肥満な浪人者に試合を申し込まれた時、その試合を里村が目撃していた。師匠弥一右エ門から秘剣が遣われたこととその秘伝のあることをも口止めされたと里村は絃之助に語った。
 罠に嵌められ、公の試合に持ち込まれた真剣勝負に絃之助がどう立ち向かうのかが読ませどころとなる。絃之助を誘惑する立場に立たされた女もまた哀しい。そこに余情が残る。

<臆病剣松風>
 瓜生新兵衛・満江夫妻の物語。満江は5年前に、縁談の仲人から新兵衛が剣の達人で、鑑極流の秘伝を伝えていると聞かされ、大きく気持ちを動かされて嫁いだ。普請組に勤める100石取り。だが、はじめて会った時に、その容貌に気落ちし、嫁入りしてから少しずつ新兵衛の臆病さに気づく。5年の歳月が満江に僅かだが夫を軽んじる気持ちを生む。満江はそのことに気づいていた。そんな心が隙を生む、ある時従兄で遊び人の道之助と桜の名所で出会うことに・・・・。
 世子若殿和泉守に使える舌役(毒見役)が倒れるという事件が起こる。命は取りとめたが、家老柘植の命を受け医師が調べたところ毒が現れた。江戸在住の藩主右京太夫の叔父吉富兵庫が暗躍している気配がある。藩は世子擁護派と兵庫派に二分し、陰湿な争いが続いている。柘植家老は世子擁護派。柳田中老は兵庫派という状況にある。
 その最中に、宮嶋と相談した柘植家老は瓜生新兵衛に若殿の身辺警護の役を命じた。
 半月後、新兵衛は秘剣松風を使うことになる。
 臆病者の新兵衛が守りの秘剣を遣う窮地に立つまでのプロセスと妻満江の気持ちに僅かな揺れ動きが生まれるプロセスをパラレルに描き込んでいく。臆病に関わる視点の相対化が興味深い。満江が夫の真価に気づいたところでエンディングとなるところがよい。

<暗殺剣虎ノ眼>
 牧志野は3カ月前に婚約がととのい、清宮太四郎が許嫁である。兄の達之助は清宮は遊び人だと苦々しげに言う。志野は彼が浅羽道場の免許取りと聞かされていた。志野はその清宮と料亭朝川での逢い引きを重ねていた。
 志野が口実を設け密かに清宮と逢っていて帰宅が遅くなった日、連日海坂藩の執政会議に参加している父の牧与市右エ門が帰路途中、濃密な闇夜の中で斬殺された。与市右エ門は意識がとぎれる寸前に、斬りかけてきた相手が上意と呟いた言葉を聞き取った。連日の執政会議で藩農政の政策について、与市右エ門は藩主批判をしたのだった。
 家督を継いだ達之助は、父と意見がもっとも鋭く対立していたと聞く戸田中老から手紙で邸への呼び出しを受ける。そして執政会議の経緯を聞かされ、下手人不明のままで取り調べ中止とする旨を言い渡される。父の非業の死はお闇討ちだと聞かされる。お闇討ちの刺客は虎ノ眼という秘剣を遣うという。与市右エ門は闇夜の中で存分な傷の深さの正確な袈裟斬りで斬殺されていた。斬り手は闇の中で眼が見えたとしか思えぬという。
 達之助は父を斬った相手は清宮ではないかと疑い始める。当夜の彼の行動を洗うという。志野には清宮と逢っていた時刻、場所と彼の行動に疑念が及ぶ。志野の婚約が破棄されるなど事態が進展していく。
 上意討ちなら藩士としては抗えない諦念と犯人究明の私憤。その狭間で事態が進展する。さらに志野を疑惑の渦中に投げ込む結末という意外性が読ませどころと言える。その瞬間の志野の内奥の思いを真に想像することは私には難しい・・・・。
 
<必死剣鳥刺し>
 3年前、物頭だった兼見三左エ門は、己の信念に基づき、城中で藩主の側妾連子を刺殺した。連子は政治好きで、その考えが連子に溺れる藩主右京太夫の意見や裁断に影響を及ぼすようになった。藩政に歪みがあらわれてきた時期だった。極刑を覚悟していた三左エ門は、1年間の閉門と禄高の半減、役を召し上げられるという軽い処分を受けるに留まった。それは三左エ門自身にどこか腑に落ちない気分が残る処分だった。だが閉門期間が終わっても三左衛門は逼塞を続けた。わずかふた月前に、その三左エ門がなぜか禄高を旧にもどされ近習頭取に命じられたのである。中老の津田民部がそれを直に三左エ門に伝えた。
 近習頭取の役に就いた後、藩主は三左エ門に向かって、顔を見たくない。多少のことは襖越しに申せばよい。頭取としての仕事ぶりに不満はない。職がえはまかりならん。という。三左エ門は近習頭取として奇妙な立場に置かれる。
 ある日、津田中老が三左エ門に話があるという。近習頭取は兼見でないと勤まらん。そういう事情がある、というところから、津田は藩内状況を語り始めた。
 津田の説明はいわばコインの一面だけを語るものだった。そこに隠された裏面が徐々に明らかになるストーリー。上の命令には従順に従うという武士の規律を悪用され、翻弄された三左エ門がいたわしい。
 併せてサブ・ストーリーが語られて行く。三左エ門が閉門となっても、変わらず家に留まり世話をしてくれる姪の里尾の行く末を三左エ門は慮る。里尾は26歳になっていた。それで三左エ門は、里尾の縁談話を進めていく。だが、それが三左エ門と里尾の関係を変化させる因となる。里尾の生き様に哀しみを感じる。
 
<隠し剣鬼ノ爪>
 江戸屋敷で傷害事件を起こした狭間弥市郎は国元に戻され郷入り処分を受ける。屏風嶽の奥、とちヶ沢と呼ばれる僻村で座敷牢生活を強いられる。だが狭間は破牢した上で逃げようとせず、討手として片桐宗蔵を送れと大目付尾形久万喜に伝えさせた。宗蔵は討手を命じられる。
 狭間と片桐は無外流小野道場の同門であり、藩の剣術試合での因縁があった。宗蔵は無外流の免許をうけたとき、道場主小野治兵衛から一人相伝の鬼ノ爪と称する秘剣を授けられた。それが狭間に誤解を与えたと宗蔵は思っている。
 狭間の破牢を知った妻は夫の助命のために、己の体を供する捨て身の行動に出る。
 藩命により宗蔵はとちヶ沢に討手として赴き、狭間と対決する。
 宗蔵が一人相伝した秘剣について、狭間は誤解をし秘剣を破る工夫に命を掛けた。このストーリーは狭間と宗蔵の因縁を描く。
 秘剣鬼ノ爪がどのように遣われるかがこのストーリーの落とし所となっていく。
 ここにも、サブ・ストーリーがある。片桐家に行儀見習のために奉公していた女中きえと宗蔵の関係がエピソードとして織り込まれて行く。その結末がほほえましい。
 
<女人剣さざ波>
 美人として評判の姉が嫁入りし、その妹との縁談がきた時に、浅見俊之助は飛びついた。妹も姉同様の美人と思い込んでしまっていた。あてが外れた俊之助は染川町あたりの茶屋通いでうさ晴らしをすることに。その俊之助が筆頭家老筒井兵左衛門から呼び出される。
 勘定組蟇目七左衞門の不審死と、藩庫から2000両が消えた不祥事、さらにその2000両がそっくり藩庫に戻されていたという事態を聞かされる。筒井家老はその背後に先年まで筆頭家老だった本堂修理が居ると目星をつける。本堂一派が染川町あたりにしきりに集まっているという噂を聞くという。染川町の茶屋通いを装い、様子を探り証拠をつかめという。費用は藩費で賄ってよいという。命令を拒めないと判断した俊之助は探索の役目につく。
 証拠を掴むまでの経緯がおもしろい。だが、それが因となり、近習組の遠山左門から茶屋の玄関先の路地で果たし合いを申し込まれる羽目になる。派閥争いのとばっちりを直に被る。蹌踉とした足取り、真っ青な顔色で家に戻った俊之助は果たし合いを申し込まれたことを妻の邦江に告げる。
 剣が不得手の俊之助は、遠山左門のことを何も知らない。だが、俊之助に疎まれている邦江は知っていた。遠山は江戸で梶派一刀流を修行した剣客であり、邦江は芳賀道場で遠山が道場の高弟と試合をした折りの鮮やかな剣技を見ていた。一方、邦江はかつて西野鉄心を師とし、西野道場の女剣士だった。さざ波という秘剣を伝授されていた。
 邦江は熟慮のすえ、一計を案じる。これがこのストーリーの後半の山場となる。
 俊之助はどうするか・・・・・。
 このストーリー。その終わり方に暖かい情感の余韻が残る。

<悲運剣芦刈り>
 曾根家の当主新之丞が妻の卯女22歳と2歳の女児を残して病死したことから、家督を継ぐ弟炫次郎21歳の人生が狂い出す。その時、炫次郎にはすでにさだまる許嫁・石栗奈津がいた。だが、兄の死後、兄嫁卯女と炫次郎の間に男女の関係が生まれる。曾根家の話し合いで、卯女は亡父の一周忌が済めば曾根家を去り実家にもどること。女児は曾根家に残し炫次郎の養子とすることが決められた。そして、炫次郎と奈津の祝言を行うということに。炫次郎はそれに従う立場になる。
 炫次郎は四天流の市子典左エ門の高弟で、藩中で五指に数えられる剣客だった。師から芦刈りと名付けられた秘剣の伝授をうけていた。
 一周忌が過ぎても卯女は実家に戻る気配がない。藩内であらぬ噂が立ち始める。
 炫次郎は、奈津の兄石栗麻之助をやむなく斬り捨てざるを得ない窮地に追いこまれる。その結果、出奔し追われる身になる。炫次郎と市子道場で同門であり、部屋住みの石丸兵馬は討手のリーダーを命じられ、四人の討手を付けられる。同門相討つかたちが生み出されて行くことに・・・・。
 炫次郎の悲運は避け得たものなのか・・・・。武士の掟の非情さが虚しい。

<宿命剣鬼走り>
 2年前に大目付の職をひき、家督を惣領の鶴之丞に譲って致仕し隠居していた。
 小関鶴之丞は伊部伝十郎と果たし合いをし、帰宅はしたがおびただしい傷により直後に死んだ。その報せを十太夫は隠居部屋で受けた。十太夫が理由をたずねたとき、鶴之丞は微笑して、武士の意気地でございますと言っただけだった。
 十太夫が数年前大目付の職にあったころ、市中に町家の女るいを妾に囲ったことが因となり、妻の浅尾との間には亀裂が生まれ、夫婦の仲は冷え切っていた。互いの話が通じない状態になっていた。
 十太夫は家督を千満太に継がせる措置をとる。その千満太が、伝七郎は生きていて、取り巻きの二人の葬儀が急死と称して、昨日、今日にそれぞれ行われているという不審な事実を十太夫にもたらした。千満太は岸本道場で同門の戸来次之進から聞いたという。十太夫は大目付の時に、目をかけていた杉戸という心利いた探索ができる男に調べてもらう手はずを取った。
 伊部伝十郎の父、伊部帯刀に十太夫が直接挨拶に出向く行動を手始めに取る。そこから、ストーリーが進展して行く。十太夫と伊部帯刀は、年来のライバルという宿命の間柄だった。ライバル意識の中には、今は香信尼として尼寺に住む女性の存在もあった。一方、小関家は200石、伊部家は1000石という身分格差が厳然と存在した。
 二度あることは三度ある、といわれる。小関家に凶事の連鎖が続く。時を置く連鎖の中で、十太夫が何をなすか。それがこのストーリーの後半を織りなして行く。
 クライマックスで十太夫は秘剣の鬼走りを遣うことに・・・・・・。 
 結局、小関・伊部両家は廃絶になるのだろう。人は宿命を断ち切れないのか。
 何がこうさせるのか。人が有する感情・情念という因が縁となり凶事を生み、事態が転がり出すようだ。これもまた虚しさの余韻が尾をひく一篇である。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『隠し剣秋風抄』  文春文庫
『人間の檻 獄医立花登手控え4』  講談社文庫
『愛憎の檻 獄医立花登手控え3』  講談社文庫
『風雪の檻 獄医立花登手控え2』  講談社文庫
『春秋の檻 獄医立花登手控え1』  講談社文庫

『茶道太閤記』 海音寺潮五郎 文春文庫

2021-09-21 22:44:46 | レビュー
 以前に『千利休の功罪』(pen books)の読後印象をご紹介した。この本で本書を知った。海音寺潮五郎の戦前の代表作といわれている。「東京日日新聞」(昭和15年7月12日から12月28日)に連載された小説である。”『茶道太閤記』で描かれた利休と秀吉の対立関係の構図が、野上弥生子の『秀吉と利休』や井上靖の『本覚坊遺文』といった、その後の利休モノでも踏襲されることになる。”(上掲書、p116)と記されていたので関心を抱いた。近年の利休モノを数冊読み継ぎ、やっと利休モノ小説の魁けになるような本書に溯ってみたくなった。1990年2月に文庫本になっている。入手した手許の本は1996年1月の第2刷。

 海音寺潮五郎は、中編『天正女合戦』という小説で第3回直木賞を受賞した。この小説を原型として新聞連載の長編小説に仕上げたのが本書という。このストーリーの骨格はスッキリとわかりやすい。つまり、そこには重層的に「対立」する構造が絡まり合う姿が展開するが、それが明瞭に描かれている。政治に私情が混淆され、そこに茶の湯が介在していく。その状況が変転する。そこがおもしろい。
 どういう対立構造が存在し、重層的に絡まりながら描かれるか。
1. 豊臣秀吉と千利休の確執
 秀吉は武家政治という俗世間の頂点に君臨する。千利休は茶の湯という文化の頂点に君臨する自負を持つ。文化はいわば美を求める聖の世界である。政治の世界とは別次元である。
 俗世間の覇者は、あらゆるものが己の支配下にあり自由にできると思う性がある。対立はそこから必然的に発生する。次元の異なる世界でのそれぞれの覇者が対立する関係となる。タイトルの語句を茶道=千利休、太閤=豊臣秀吉と解すれば、利休秀吉記であり、二人を象徴することで、その対立を示していることになる。茶道を上に持ってくるところにも一つの意味が込められているかもしれない。
2. 西の丸様(お茶々=淀君)派と北の政所様(お寧々=秀吉の正妻)派の確執
 お茶々は織田信長の血筋であることに矜持を持つ。秀吉に両親を殺され、秀吉が織田家を踏みにじる結果となった現状について、腹の底では憎悪をたぎらしている。一方でお茶々は秀吉との関係が深まるにつれ愛憎の狭間に入って行く。また、秀吉の大奥においては己が秀吉の寵愛を受ける頂点に立って当然という強烈な思いがある。
 西の丸様には京極殿。政所様には三の丸殿や加賀殿。それぞれが連なる。
 西の丸様には、石田三成、小西行長を始め若手官僚派(文吏派)。政所様には秀吉子飼いの武将連(武人派)がそれぞれ連なり、両者に対立反目意識が醸成されていく。
3.キリシタン禁止政策推進側とキリシタン信仰容認推進側の対立
 石田三成は秀吉が禁止令を出した政治的背景を当然のことと擁護する。一方、キリシタン信仰堅持は高山右近がその象徴として描かれる。利休の高弟の一人である高山右近がストーリーの周辺で一端の関わりを担っていく。
 これらの対立がその濃淡をみせながらも絡み合い、ストーリーがおもしろく織上げられていく。

 このストーリーの興味深いのは、秀吉と利休の対立そのものを中心にストーリーがストレートに描き込まれるのではないところにある。宗易(利休)の娘・お吟が関わる様々な状況の経緯がストーリーの表ではクローズアップされていく。
 秀吉が九州征伐を終え、大坂城に戻った直後の時点からこのストーリーが始まる。
 宗易は70歳、娘のお吟は24歳。お吟は18歳の時、父の茶道の弟子である堺の豪商万代屋宗安の許に嫁いだが、満2年にもならずに夫と死別した。宗易が娘を引き取った。お吟はいわば出戻りである。そのお吟は、この頃大坂城の大奥で茶の湯を指導する役割を担っていた。
 北の政所様がお茶々様を主客に三の丸殿、加賀殿とともに招く茶会を持とうとする。事前にお吟を呼び寄せ、お吟が驚くほどの希少な花を活けさせ、手許にお吟を引き留めるという行動に出る。それがその後の様々な事象や騒動との関わりの発端となる。その花は、佐々陸奥守成政が政所様に手土産として持参した希少な黒百合の花だった。佐々成政は秀吉から武功を認められ、九州肥後の国に転封することになる。その前の御礼訪問として政所に秘花黒百合を持参したのだ。
 政所様はこの花を茶会の席に飾り、お茶々様を驚かせようと意図していた。その思いつきが、争いを重ねる端緒として転がり始める。様々な解釈や思惑が加わり、悲劇を将来するうねりとなっていく。
 政所様に呼ばれたお吟のことを知るお茶々は、西の丸にお吟呼び寄せ、政所様の茶会の仕掛けを事前に知ろうとする。お茶々は茶会の席で政所様の鼻を明かしたいのだった。
 一方、秀吉は政所様を訪れ、ある場所で茶会の膳の献立を工夫しているお吟を偶然目に止め、いつもの好色な思いを秀吉流のふざけ心で行動に移した。だれも拒否しないという天下人の自負がある。だが失敗する。秀吉の魔手を逃れたお吟は西の丸に足を踏み入れる羽目になる。
 お吟に逃げられた秀吉の複雑な思いは心中深くに一旦は沈潜する。だが、徐々に高まりをみせ、いつしか己の側妾にするという欲望になっていく。

 政治という俗世間の覇者である秀吉が、茶の湯という文化、美(聖)の世界の覇者を自負する利休の領域をも俗の権力で侵犯してはばからない姿勢を示すことになる。その接点としてお吟が絡んでくるという進展を見せていく。

 この明瞭な骨格に重層的に対立する構造が、様々な形でリンクして、絡み合っていくという展開がおもしろい。

 例えば、政所様が設定した茶会は、政所様派と西の丸様派の対立が形を変えてぶつかる場になる訳だが、お吟は両派の争いの間で苦境に陥る。その原因が黒百合の花。佐々成政はその花が秘境に咲く花として手土産にした。だが、秀吉が大奥で花供養を大仕掛けにした花活けの腕くらべを期日を設定して命じた。その腕くらべの当日、京極殿の住まいの前に置かれた大きな瓶におびただし黒百合が無造作に投げ込まれている形で現れる。秀吉はそれに驚嘆し、一方政所様は茫然となる。政所様の思いは成政への不信に振れていく。茶室の黒百合が因となり、お茶々様の反撃がここに出た。その黒百合は石田三成が裏でその入手手配を画策していた。その黒百合を入手した後に大坂への運搬途中でトラブル起こる。そのトラブルは別の因にもなっていく。因果の巡りが方々に連鎖していくのである。そして再びお吟との関わりを生み出すことにもなる。
 読者を惹きつける負の連鎖というべきものが禍福を伴いつつ進展していく。

 このストーリー、最後は利休の切腹というクライマックスでエンディングを迎える。
 だが、この小説では利休が秀吉の命を受け、切腹して果てるのは堺の千家屋敷においてという形で描かれている。私はこの設定の小説を初めて読むことになった。
 本書は、利休切腹の大きな要因にお吟の関わりを描き込んでいる。当事者お吟はどうなったのか。このストーリーが読者を惹きつけ読了させる大き要素はそこにある。お楽しみいただきたい。
 
 ご一読ありがとうございます。

これまでに、茶の世界に関連した本を断続的に読み継いできています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。

=== 小説 ===
『利休とその妻たち』 上巻・下巻   三浦綾子   新潮文庫
『利休の闇』 加藤 廣  文藝春秋
『利休にたずねよ』 山本兼一 PHP文芸文庫
『天下人の茶』  伊東 潤  文藝春秋
『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編』 澤田ふじ子  徳間書店
『古田織部』 土岐信吉 河出書房新社 
『幻にて候 古田織部』 黒部 享  講談社
『小堀遠州』 中尾實信  鳥影社
『孤蓬のひと』  葉室 麟  角川書店
『山月庵茶会記』  葉室 麟  講談社
『橘花抄』 葉室 麟  新潮社

=== エッセイなど ===
『裏千家今日庵歴代 第二巻 少庵宗淳』  千 宗室 監修  淡交社
『利休とその一族』  村井康彦  平凡社ライブラリー
『利休 破調の悲劇』  杉本苑子  講談社文庫
『茶人たちの日本文化史』  谷 晃   講談社現代新書
『利休の功罪』 木村宗慎[監修] ペン編集部[編] pen BOOKS 阪急コミュニケーションズ
『千利休101の謎』  川口素生  PHP文庫
『千利休 無言の前衛』  赤瀬川原平  岩波新書
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社
『利休の風景』  山本兼一  淡交社
『いちばんおいしい日本茶のいれかた』  柳本あかね  朝日新聞出版
『名碗を観る』 林屋晴三 小堀宗実 千宗屋  世界文化社
『売茶翁の生涯 The Life of Baisao』 ノーマン・ワデル 思文閣出版


『クラシックシリーズ3 千里眼 運命の暗示 完全版』 松岡圭祐 角川文庫

2021-09-20 16:13:18 | レビュー
 完全版では、『ミドリの猿』から引き続くストーリーとして始まる。この『運命の暗示』という形での後半は、『ミドリの猿』を読んでいなければやはりその繋がりがわからない。
 『ミドリの猿』の前半にこの後半への重要な伏線(前提)がストーリーとして語られているからである。その一つが、ジフタニア共和国での岬美由紀の単独行動が日本脅威論に結びつき、中国が日本に対して全面戦争の準備を推し進めているという事態が起こっていて、中国はCSS2ミサイルに燃料注入を開始したという段階に至っていると報道が出ていることである。もう一つは、1カ月の自宅待機を指示された美由紀が独自行動に出て、今の自分にできることとして恒星天球教団の調査結果を知るために公安調査庁を訪れたことに起因する。公安調査庁首席調査官黛邦雄という仮面を被って潜入している鍛冶光治に美由紀は捕らえられる。鍛冶はメフィスト・コンサルティング・グループ傘下のペンデュラム日本支社特殊事業部、常務取締役として、実質的に極東地域を統括する顔を持つ。彼等は歴史に痕跡を残すことなく世界をコントロールするという裏の世界で暗躍している。中国を対日全面戦争に駆り立てるのもメフィスト・コンサルティングの動きの結果であり、彼等ののシナリオがそこに組み込まれているという。美由紀は鍛冶の許で、脳電気刺激による洗脳という拷問を受ける窮地に陥る。所在の知れなくなった美由紀を探すために、警視庁捜査一課の蒲生誠と臨床心理士嵯峨敏也が協力し、美由紀の行方を追跡し始める。
 絞り込むとこの2点が伏線となる。これが『運命の暗示』に繋がっていく。
 本書完全版は、平成20年(2008)1月に文庫本が出版された。

 このストーリー、鍛冶に捕らえられ数時間にわたる脳電気刺激の拷問を受けた岬美由紀が天井から下がる2本の鎖につながる太い鉄枷を手首にはめられた状況がまず描写される。一方、蒲生と嵯峨は開業医芦屋の家に行き、龍の形をしたガラス彫刻品を発見する。彫刻の底に彫り込まれた住所というヒントを得る。赤羽を詰問して、中華街にある昇天という麻雀店名だけを吐かせた。それらをヒントに美由紀の探索を開始する。これがストーリーの起点になる。ストーリーをあらすじとして捕らえてみよう。
 蒲生と嵯峨は探索の糸口から東京湾唯一の無人島猿島に美由紀が拉致されている可能性を知る。猿島で日蓮洞窟と呼ばれる海蝕洞窟に行き着き、そこに秘密の出入口を発見する。秘密の通路の先を進むと、切り立った岸壁。その先の海に、桟橋と人工島を発見する。迷彩の機体に海上自衛隊と記されたヘリ、CH47Jが駐機していた。蒲生と嵯峨は密かにそのヘリのキャビンに潜り込む。その結果、キャビンの奥で鉄枷のままで仰向けに転がっている美由紀を見つけた!
 このヘリは、メフィスト・コンサルティングがコントロール下においていた。そして、このヘリは中国のある地域の一村上空で投棄される。中国の全面戦争を準備させる原因に仕立て上げられた岬美由紀を生贄とするシナリオだった。だが、なんとかここから3人が脱出する。そこから先は、なぜ全面戦争の準備に駆り立てる状況が生み出されたのか。原因は何か。それを仕掛けたのはだれか。どうすれば、それを証明することができるか。3人は未訪地の中国大陸で、虚偽を暴き出し全面戦争を回避させるための行動を開始する。それは一種のアクション・リサーチ。一つの行動を取った結果が、次の行動への糸口を見つける契機になる。その糸口から起こしたアクションが、更に連鎖していく。そんな展開が始まる。読者はどんどん変化する局面を興味津々で追いかけ、引きこまれていく事になる。
 彼等は時には離ればなれになったりする。どの地域を経巡ったかを示しておこう。そこでどのような行動をし、どんな糸口を得て次の行動を重ねたのかは、本書をお読みいただけばよい。
 大型ヘリの落下地点(吉林省内X村)⇒ 吉林省図們市のはずれ(北朝鮮との国境近く)⇒ 図們大橋⇒ 河北省の潘家口水下長城の終着点あたり⇒ 天津濱海国際空港(ここで美由紀・嵯峨は蒲生と分かれる事態に)⇒ 安徽省の合肥駱崗空港⇒ 南京國際戦争監獄⇒ 南京長江大橋の近く⇒ 揚州・痩西湖畔の遊園地(偽ディズニーランド)⇒ 中国製ヘリを奪取し、気功集団・光陰会の黄龍本部(チベット山脈内の山岳地)⇒ 河南省嵩山の市街地(美由紀と嵯峨はここまで逃亡してきていた蒲生と合流)

 この嵩山の市街地まで、美由紀と嵯峨の行動遍歴は事態解明の情報収集のためだった。入手した情報の分析から美由紀はメフィスト・コンサルティング傘下のペンデュラムが仕掛けたカラクリを解明する。中国が日本に対し全面戦争の宣告をするタイムリミットまでの残された時間はわずか。戦争突入を回避させるため美由紀は秘策の行動に躍り出る。秘策行動の最後の場は嵩山に位置する少林寺。そこで「運命の暗示」というべき劇的なクライマックスが現出される。
 美由紀は、少林寺白衣殿の前で、中国公安局のヘリからのメッセージを聞く。「・・・・身の安全を保障する。党本部へご同行願いたい」(p444)と。

 最終ステージは日本が舞台となる。ここではエピソード風にいくつかの場面が書き連ねられる。
*ペンデュラム日本支社の自信家だった鍛冶がどうなったか?
*鍛冶がペットにしていたミドリの猿、ジャムサの正体が明らかになる。
*都内のある場所に、鬼芭阿諛子と彼女の母であり恒星天球教教祖阿吽拿である友理がある場所に唐突だが出現してくる。『千里眼』において東京湾上空での空中戦から生き延びていたのだ。これは将来の対立への伏線なのだろう。
*『ミドリの猿』に登場した知美の精神状態が回復する。そして、最後の決着がつくことに・・・・・。
*そして、末尾に岬美由紀について語られる。

 このストーリーの興味深いところがいくつかある。
*気功集団の松陰会が暗示にかかりやすい体質の支援者を選び出していく方法のからくりを美由紀と嵯峨が解明する点
*中国の民衆13億人が日本を敵視する暗示をかけられたからくりが解明される点
*催眠とはなにか。その理論と限界がモチーフとして中核に取り入れられている点
*戦争の勃発するときトランス・オブ・ウォーの状態に陥っていることに触れている点
*美由紀と嵯峨の二人が中国国内を縦横に遍歴し、行く先々での行動が全く異なる冒険譚の積み重ねになっていき、読者を飽きさせない点

 完全版『ミドリの猿』と『運命の暗示』が一つの大きなストーリーとして完結する。ただし、メフィスト・コンサルティングと恒星天球教はこれからも暗躍する勢力として残る。有名なシリーズ映画のエンディングの手法と同種な要素が含まれていておもしろい。
 このシリーズはどのように展開していくのか。読者に期待を抱かせる。

 ご一読ありがとうございます。

 本書と関連して、関心事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。
主要装備 CH-47J :「航空自衛隊」
無人島・猿島  :「TRYANGLE WEB」
脱北者    :「コトバンク」
脱北者    :ウィキペディア
温かい食事が欲しかった…… 4度目の挑戦で韓国への亡命を果たした、ある脱北者の実体験  :「BUSINESS INSIDER」
軍事心理学  :ウィキペディア
心理戦争   :「コトバンク」
催眠     :「コトバンク」
集団心理   :ウィキペディア
チベット高原 :ウィキペディア
嵩山少林寺  :ウィキペディア
【中国】世界遺産の少林寺風景区!深山幽谷にたたずむ少林寺を訪ねよう:「tripnote」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『クラシックシリーズ2 千里眼 ミドリの猿 完全版』  角川文庫
『クラシックシリーズ1 千里眼 完全版』  角川文庫
『探偵の鑑定』Ⅰ・Ⅱ  講談社文庫
『探偵の探偵』、同 Ⅱ~Ⅳ  講談社文庫
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.2 2021.6.11時点 総計32冊 


『裏千家今日庵歴代 第二巻 少庵宗淳』  千 宗室 監修  淡交社

2021-09-17 12:32:46 | レビュー
 これまでは千利休その人に関心があった。その関心は今も変わらない。しかし、以前に川口素生著『千利休101の謎』(PHP文庫)を読み、その後村井康彦著『利休とその一族』(平凡社ライブラリー)を読む事で、利休切腹後の千家の系譜にも関心を持つようになってきた。
 まずは、千利休の長男・紹安(のちの道安)と千利休の後妻となった宗恩の連れ子である少庵である。紹安と少庵は天文15年(1546)の同年の生まれという。紹安(道安)が「動」に対し少庵は「静」とそのスタンスは対照的だったという風に様々なところに記されている。茶の湯・千家を継承し今に伝える基となったのは、長男の道安ではなく、利休の娘・亀と結婚した少庵である。当時の常識で言えば、道安が茶の湯・千家を継承するところだろう。数書を読み重ねると、現存する茶会記類には、道安と少庵が共に茶会に名を連ねた記録がないという。こんなところから、この二人に興味を抱いた。千利休を論じた本は研究書から小説まで、その数は数多ある。だが、一般読者向けの本について少し調べてみると、千道安、千小庵を論じたものをほとんど見かけなかった。茶の湯・千家を再興した少庵について目に止まったのが本書である。
 本書の帯にも、「利休の茶を忠実に継承した『静』の人 二代少庵」というキャッチフレーズが記されている。

 茶道は門外漢でありながら千利休に関心をもつ立場から茶の湯関連の書を読んでいる。美術工芸品としての茶碗をはじめ茶道具や茶室を眺めるのは好き。そういう前提(限界)での読後印象記とご了解いただきたい。

 この「裏千家今日庵歴代」シリーズは、歴代の茶人を多面的にとらえるという企画のようである。冒頭に少庵とその時代について、「桃山文化と武家茶湯の成立」(二木謙一:以下敬称略)が解説される。利休が大成した茶の湯は広く武家社会に浸透するが、武家の教養となるにつれ、時代に合わせて古田織部、小堀遠州などの大名茶人が主流になっていく時代でもあった。その中で、「少庵は京都に住み、しかも利休の轍を踏まずに、政権・権力とは一定の距離を置き、侘び茶人として淡々といきた」(二木p8)とし、著者はそれを賢明だったという。茶の湯文化の領域に留まらない立場に踏み入ってしまえば、政争に巻き込まれるのが不可避。利休の轍を歩むことはたぶん必然だろう。大枠でみれば、古田織部は利休の轍を歩んだといえるではないか。

 その続きに、40ページにわたり「少庵の遺芳」(茶道資料館)というタイトルで、少庵画像、少庵筆消息類、少庵作の竹花入・茶杓、少庵在判あるいは所持の茶道具類の写真と解説文が収録されている。最後に茶室不審庵・麟閣・湘南亭の外観と内部が紹介されている。少庵がどういう感性の人だったかをイメージするのに役立つページである。
 2つの論文をはさみ、「少庵の好みもの」と題し、6ページにわたり香合・釜・棗が収録されている。そして、これらの2つの写真セクションに呼応する形で、「少庵の茶道具-利休の茶の継承-」(谷端昭夫)、「少庵の茶会-茶会記にみる少庵の茶の湯」(谷昇)、「少庵お茶室」(中村利則)、「会津と少庵」(野口信一)、「少庵の消息-書状からみた少庵の人柄と茶の湯-」(矢部誠一郎)という関連論文が載っている。文書、茶道具、茶室等に反映された少庵の美意識とスタンスを知る参考になる。
 「少庵居士をしのぶ」(鈴木宗幹)という見開きページには、「少庵筆 道閑老宛 青梅の文」と「圓能斎筆 少庵居士画像」並びに解説文が載る。「少庵遺芳」の最初に収録の「少庵画像」とこちらの画像を対比的にみると、描かれた時代の隔たりはあるが興味深い。

 「少庵は意識的に利休正統の茶の湯を主張していたかとも考えられ」(谷p95)るとする。少庵が武家でなく京の町衆を弟子にする方向に重心を置き、茶室についても「異端の美学をもった利休を継承しつつも、それを一般化してさらに止揚していた実像が窺われ、次代を切り拓く基盤を盤石にした」(中村p103)という側面を見出している。また、残された消息類の筆致に言及し、滑らかで優しい筆致のもの以外に力強い筆致のものも残されていて、「この内容が、上洛の歓びと優しい花のことなので、意識して優しく書いたのかと考えたくなるほどであるが、いずれにしろ少庵は柔剛両面の豊かな心を持っていたと考えるほうが自然であろう」(矢部p117)、「一般にいう少庵の『柔・剛』に、許されるならば『優』の印象を付け加えておきたい」(矢部p117)という。少庵を知る上で役立つ。少庵に関わる消息類、茶道具、茶室は、茶湯を習い茶人を志す人には基礎知識、その道での教養にあたることかもしれない。
 264mm×188mmというサイズ。129ページのボリュームなので、画像が見やすく、また多面的な解説という点ではコンパクトにまとめられている。

 さて、私の直接の関心事という点では、次の論文が有益だった。
 2つの写真セクションの間に収録された「少庵の生涯-千家再興の軌跡-」(筒井紘一)と「織田有楽と少庵」(中村修也)及び、最後部に収録の「四座役者目録の少庵-能と茶の湯の邂逅-」(戸田勝久)、「千少庵、田中宗慶、吉左衛門・常慶 再興の時代」(樂吉左衛門)である。
 これらの論文から冒頭二書に加えて、さらにソースや解釈視点での知識情報を得ることができる。覚書を兼ね、大凡の要点をご紹介しよう。
*少庵の「静」、道安の「動」。少庵は天性穏やかで隠忍型、道安は剛直で一本気という性格の人間、とされる。『江芩夏書』に「蓋置」に絡めた記述例がある。(筒井p49)
*本書もまた上掲村井書と同様に、天正12年ごろには道安が秀吉の茶頭に名を連ねていたと推論している。 (筒井p50)
*利休が切腹を命じられた後の少庵と道安の対応のしかたが興味深い。上掲川口書には、道安が飛騨高山城の「金森長近のもとへ身をよせ」、「前田利家や徳川家康の袖に縋り、どうにか連座を免れることに成功」(p60)一方、少庵は会津若松城主「蒲生氏郷のもとへ預けられ」(p61)という風に記す。なぜ書き方に差があるのか。
 『利休由緒書』に、道安は「金森中務法印ヲ頼、」、少庵は「蒲生氏郷ヘ御あずけ、奥州ヘ流罪ニて候」と記されていると本書はいう。(筒井p59)
 これを解釈すれば、道安は自ら動き金森長近の許にまず逃げて、それから父利休との連座を避ける仲介を頼むという行動を取った。一方、少庵は待ちの姿勢であり、蒲生氏郷が秀吉に願い出て少庵を預かるという行動を起こした結果会津に身を寄せたということだろう。そう解釈するとここにも二人の性格の違いが端的に出ているように思う。
*上掲村井書では、少庵が宗桂(お亀)と別居していた時期がある点を論じている。
 本書では「その理由はただ一つ、長男の宗旦を大徳寺へ入れたことが原因であったに違いない。」(筒井p57)と述べる。
 その背景には、その時点での茶道千家の継承問題が絡んでいるようだ。
*利休は死を覚悟したとき、堺で紹安(道安)宛遺産分配の書状を書いている。そこには少庵の名前も、京都の家屋敷・土地・茶器類にも触れていないという。著者は「利休は道安に対して、これ以外の分については一切関与してはならないと言いたかったのではないか。」(筒井p58)と記す。興味深い解釈だと思う。たぶん、道安はそう解釈したのではないか。そんな気がする。
*「少庵召出状」にまつわる経緯と京千家の確立が具体的にわかる。(筒井p59-62、樂p123-125)
*会津から帰洛した少庵の活動は徐々に広がり、天正18年には、公家の勧修寺晴豊との交流が頻繁になり、公家たちとの茶湯を媒介した交流が広がる。(筒井,p56)
 少なくとも慶長12年(1607)頃から、少庵は織田有楽と交流があり、慶長16年に茶会での交流がピークになっている。 (中村p72)
*少庵を父・宮王三郎を介して、能の世界の系譜を辿ると、金春禅竹を介して世阿弥から観阿弥まで辿れるということを本書で知った。(戸田p112)

 上掲二書で少庵を論及した箇所と本書を関連付けて読めば、更にいろいろ興味深い点が出てくるかもしれない。とりあえずのご紹介はこれくらいにしておきたい。

 本書を読む前、なぜ少庵が茶道千家の二代目なのか、という疑問を単純に抱いていた。
 利休がそういう家督継承の決定を切腹前にしていたのか。秀吉が少庵を召出状にて帰洛を許した後にそこに関わったのか。などと・・・・。
 だが、本書を読み、読後印象記を纏めながら気がついた。茶道千家の二代目少庵と考えるのは、現代から見た結果論に過ぎないと。当時の状況に立ってみれば、少庵は単にそれまでの京千家を継承しただけ。武家社会との関わりをできるだけ避け、利休の侘びの茶湯を継承する決断をした。道安も許され秀吉の茶頭に復帰し、堺を拠点とする堺千家を継承した。利休の後で二千家に分流したそれぞれが二代目という状況にしかすぎない。道安には継承者がいずに茶の湯・堺千家としては道安の死により堺千家が廃絶しただけと言える。勿論、そこには道安の決断があったのだろう。その結果残ったのは京千家。それが、宗旦の後に三千家の分流し現代まで継承されている。つまり、利休を継ぐ二代目は結果的に少庵ということになる。疑問の持ち方が無駄だったといえるのだろう。

 最後に、私が一番おもしろいと思ったエピソードをご紹介しておこう。
 ”またどの座敷のことであったかは知られないが、ある座敷において「少庵小座敷ニつき上げ窓を二ツ明」(『茶道四祖伝書』利休居士伝書)けたところ、利休は燕の羽を広げたようだといって否定したことがあった。しかしそれは利休が自らの小座敷に突上窓を二つ明けるためであったことも伝えられ”(中村p99)ているという。千利休の一面を垣間見る思いがする。これがおもしろい。
 いずれにしても、二代目少庵も興味深い人だということが少しわかってきた。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、少しネット検索した。一覧にしておきたい。
千少庵  :「コトバンク」
千小庵 少庵の逸話(その1 利休と少庵) :「茶の湯 こころと美」
  このページから「その2 少庵の上京」、「その3 右近と少庵」
  「少庵から宗旦へ」と解説記事がつづきます。
千小庵 召出状 :「茶の湯 こころと美」
少庵画像 蘭叔宗秀讃  :「表千家北山会館」
特別展 少庵四百年忌記念「千 少庵」 平成25年 :「茶道総合資料館」(裏千家今日庵」
蓋置ってこんなの  :「茶道具 翔雲堂」
竹茶杓 千少庵作 共筒 如心斎替筒  :「茶の湯とは・・・・」
少庵灰匙  :「ColBase」
苔寺(西方寺)茶室と露地 :「造詣礼讃」
茶室 麟閣 :「会津若松観光ビューロー」
茶室 麟閣 :「福島県」
千道安   :ウィキペディア
千道安 「茶の湯道歌」より  :「茶の湯 こころと美」
千道安 堺市史第七巻 :「ADEAC デジタルアーカイブシステム」

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これまでに、茶の世界に関連した本を断続的に読み継いできています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
=== 小説 ===
『利休とその妻たち』 上巻・下巻   三浦綾子   新潮文庫
『利休の闇』 加藤 廣  文藝春秋
『利休にたずねよ』 山本兼一 PHP文芸文庫
『天下人の茶』  伊東 潤  文藝春秋
『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編』 澤田ふじ子  徳間書店
『古田織部』 土岐信吉 河出書房新社 
『幻にて候 古田織部』 黒部 享  講談社
『小堀遠州』 中尾實信  鳥影社
『孤蓬のひと』  葉室 麟  角川書店
『山月庵茶会記』  葉室 麟  講談社
『橘花抄』 葉室 麟  新潮社
=== エッセイなど ===
『利休とその一族』  村井康彦  平凡社ライブラリー
『利休 破調の悲劇』  杉本苑子  講談社文庫
『茶人たちの日本文化史』  谷 晃   講談社現代新書
『利休の功罪』 木村宗慎[監修] ペン編集部[編] pen BOOKS 阪急コミュニケーションズ
『千利休101の謎』  川口素生  PHP文庫
『千利休 無言の前衛』  赤瀬川原平  岩波新書
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社
『利休の風景』  山本兼一  淡交社
『いちばんおいしい日本茶のいれかた』  柳本あかね  朝日新聞出版
『名碗を観る』 林屋晴三 小堀宗実 千宗屋  世界文化社
『売茶翁の生涯 The Life of Baisao』 ノーマン・ワデル 思文閣出版

『院内刑事』 濱 嘉之  講談社+α文庫

2021-09-14 13:58:04 | レビュー
 文庫書き下ろし、新シリーズの始まりである。2017年2月に出版された。
 「院内刑事」というネーミングは読者を「おや?」と思わせ引きつけるためのインパクトをねらったものだろう。病院内で刑事が活動することなどまあありえない。何を意味するのか?
 主人公は廣瀬知剛。「廣瀬知剛は45歳。早稲田大学法学部を卒業して警視庁入庁後、主に警備公安畑を歩んできた。警部補時代には内閣情報調査室で3年間勤務し、その後公安総務課で情報担当として警部に居座り昇進して管理職試験に合格した年に辞職していた」(p31)彼は、警視庁を去った後、リスクマネジメントの世界に入り、今は医療法人社団敬徳会の住吉理事長に請われて、羽田空港に近い川崎市川崎区所在の川崎殿町病院を拠点に病院のリスクマネジメントを担う顧問となっている。将来を見据え羽田空港近くに立地する優秀な医師群を揃えた大規模医療機関の設置を提言したのは廣瀬だった。

 ここに患者の生命を守り、病院内の平和を維持するためのリスクマネジメント視点から活躍する新たなヒーローが創造されたことになる。患者の命を守るのは病院の医師だけではない。患者の生命を脅かす外部要因があるならばそれを摘出し、病院から外の世界に向かう形で原因を根絶しなければ、医療行為だけで患者の生命を真に守れないケースがある。この新たに創作されたシリーズは、廣瀬が病院内のリスクマネジメントとともに、患者の生命を守るために、外の世界に向かって行動して行くという設定になるようだ。大病院に勤める元公安警察OBという意味が「院内刑事」という語句になっている。彼は病院を舞台にしながらも、病院内からさらに外部に向かって、築き上げた人脈と情報のギブ・アンド・テイクを巧みに駆使し、協力関係を維持しつつ問題事象の解明、解決に取り組んでいく。
 やり手だった警察官が自らの意志で警察組織を飛び出し一民間人となる。その元公安警察OBが諸悪とどう戦っていくのか。おもしろい立ち位置の主人公を設定したものである。

 さて、この第1作。全日本航空(NAL)秘書室から川崎殿町病院の医事課長に連絡が入るところから始まる。福岡から羽田に向かうNAL204便に搭乗の浅野財務相に健康異変が起こる。脳梗塞の疑い。病院は大臣に対し緊急チーム体制を組み、緊急入院を受け入れる。手際の良い手術・医療処置で浅野財務相は後遺症を残すこともなく回復に向かう。だが、病理診断結果に奇妙な結果が出ていると、病理検査室の武本医師から廣瀬は連絡を受けた。浅野財務相は何らかの経路でジギタリスという血圧が上がる昇圧剤を摂取していたという。高血圧の既往症を持つ人が服用するはずがない薬剤である。廣瀬は武本医師に口外禁止を伝えた上で、吉國官房副長官に即連絡を取る。浅野財務相の政治生命を脅かす動きがあると想定されるからだ。誰がジギタリスを摂取するように仕向けたのか。その背後に何が潜むのか。
 吉國官房副長官は警視庁公安部に探らせようかと言う。廣瀬は人材面で懸念を告げる。そして、廣瀬は汚名を着せられ西多摩署地域課に異動となり、所轄の閑職で管理職警部8年を経る秋本課長を復帰させ担当させることを提言した。廣瀬は陰で秋本をサポートするつもりだった。
 浅野財務相にジギタリスを服用させた犯人とその背景を捜査するストーリーが始まっていく。直接その捜査に携わるのは青天の霹靂の如くに公安部に復帰した秋本管理官である。秋本は福岡に乗り込んで単独で捜査を始める。捜査がどのように進むか。そのプロセスが一つの読ませどころとなる。事件には様々な側面が複雑に絡んでいた。

 一方で、主人公の廣瀬は何をするのか。川崎殿町病院でのリスクマネジメント担当としての活躍が、ここでは、短編連作風にエピソードして語られて行く。どんなエピソードか。
1.交通事故被害者という形で暴力団員らしき男が救急搬送されてきて入院3日目になる。
 病院には「応召義務」がある。一方、院内暴力が振るわれれば病院の評判は落ちる。
 県警OB2人が院内暴力対策要員として雇用されている。だが、廣瀬は2人の能力を見切っていた。まずはこの入院患者に廣瀬が合法的手段を組み合わせ直接自ら対処していくというエピソード。
2.病院内でセクハラ問題が発生する。住吉理事長が病院業界の柵で預かっている医師がその当事者だった。アメリカ留学帰りで秋に採用になった泌尿器科の寺本医師。整形外科の大倉医師と対立関係にある。この二人が病院内の委託レストランの外で院内暴力沙汰を引き起こす。そこからセクハラ問題の詳細が明らかになり、事態は大事になっていく。被害者の一女性看護師から告げられた情報を契機に、廣瀬が取る対応策が興味深い。古巣の人脈に協力を依頼する。廣瀬は徹底した措置を執る。
3.結果的に上掲2項の一環になるエピソードがつづく。病院の受付で理事長を出せと叫ぶ男が現れる。明らかに反社会的勢力と思われる三人組。院内交番で外来担当の警察OB細田が駆けつけるが対処できない。廣瀬がその場に出て行き、一件落着させる。
4.原因不明の発熱で内科病棟に入院している福岡在住の有名人についての話。発熱の原因がなかなか究明できない。患者はコピーライター、ラジオパーソナリティであるとともにウクレレの世界でも有名な岡部四郎。マスコミ関係の見舞客も多く、原因不明の熱病と噂が広まれば病院の評価にも影響が出る。廣瀬は医事課長からマスコミ対策の相談を受ける。
 廣瀬はマスコミ対策の相談を受けただけで終わるが、岡部が全快した時点で、廣瀬が岡部の病室を訪れる。その際中州のクラブ『ロマネスク』について、廣瀬は裏情報の一端を入手する。廣瀬の得た情報は、然るべきルートから秋本の捜査活動にリンクされていく。

 この第1作は廣瀬知剛というニューヒーローの存在感を堅固にし、その活躍の広がりの可能性を示唆する。わりとおもしろい構成になっている。このニューヒーローがどのような活躍を見せていくか、楽しみが増えた。

 ご一読ありがとうございます。

こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2021.9.14現在 1版 21冊

===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2021.9.14現在 1版 21冊

2021-09-14 13:53:47 | レビュー
これまでに読み継いできたものを一度、独立したリストとして掲示します。
こちらのリストの読後印象記をお読みいただけるとうれしいです。

『オメガ 対中工作』          講談社文庫
『オメガ 警察庁諜報課』        講談社文庫
『警視庁情報官 ゴーストマネー』    講談社文庫
『警視庁情報官 サイバージハード』   講談社文庫
『警視庁情報官 ブラックドナー』    講談社文庫
『警視庁情報官 トリックスター』    講談社文庫
『警視庁情報官 ハニートラップ』    講談社文庫
『警視庁情報官 シークレット・オフィサー』   講談社文庫
『電光石火 内閣官房長官・小山内和博』  文春文庫
『警視庁公安部・青山望 最恐組織』     文春文庫
『警視庁公安部・青山望 爆裂通貨』    文春文庫
『一網打尽 警視庁公安部・青山望』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 国家簒奪』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 聖域侵犯』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 頂上決戦』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 巨悪利権』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 濁流資金』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 報復連鎖』    文春文庫
『政界汚染 警視庁公安部・青山望』    文春文庫
『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』    文春文庫

『クラシックシリーズ2 千里眼 ミドリの猿 完全版』  松岡圭祐  角川文庫

2021-09-13 21:36:52 | レビュー
 当初の『千里眼 ミドリの猿』を未読なので、どのように改稿されたのかはわからない。当初これ一冊で完結と思って読み始めたのだが、後半からストーリーの展開のペースとページ数の関係をアンバランスに感じ始めた。最後まで読むと、『千里眼 運命の暗示 完全版』につづくとなっている。ナルホド・・・・奇妙に感じたはずだ。
 この完全版には「著者あとがき」が付いている。それを読み、違和感の原因が明らかになった。本書に興味を抱かれた方は、この「著者あとがき」を読んでから読まれることをお薦めする。旧作と映画化された内容との関係が絡み、複雑な裏事情が出来したようだ。その結果、「本作以降、角川『千里眼』クラシックシリーズは、旧・小学館版シリーズとはまったく別の作品になります」(p356)と説明されている。
 逆に言えば、読者としては、何がどのように変えられたのかに関心を抱くなら、旧小学館版を対比的に読むとおもしろいかも知れない。私は、取りあえずそこまで踏み込まずに、この改稿完全版シリーズを読み継いでみたい。全面改稿に近いならば、『ミドリの猿』と『運命の暗示』というタイトルをそのまま残したのはなぜなのか。一タイトルに改題して、上・下版の方が、読者としてはスッキリするのだが。
 いずれにしても、旧作は未読なので本作の範囲で読後印象等をご紹介したい。

 この『ミドリの猿』は、スケールとして大きな構想で組み立て直されたようである。本書ではストーリーの一部として「ミドリの猿」に絞り込まれる側面がまずあきらかになる。そして、岬美由紀に関わる別の問題が投げかけられることで『運命の暗示』にストーリーが引き継がれる。ストーリーの主体部分が『運命の暗示』に移行する。それ故、ちょっと宙ぶらりんな感触でこの一冊を読了した。それが第一印象だ。一方で、『運命の暗示』の後半の展開がどうなるのか・・・・関心がかき立てられて終わる。それもまた、一つの手法かもしれない。上巻・下巻表示ならそういう意識は薄れるだろうが、別タイトルの先入観(?)故に歯切れの悪さが残る。これを記しておけば、これから読む人には気にならなくなるだろう。

 さて、このストーリー展開のおもしろさは、状況が極端に異なるな2つのストーリーが進行して行くところにある。冒頭は、高校3年生の須田知美が赤羽精神科に通院し受診後ビルを出る時点から始まる。不安定な心理状態に陥り恐怖心を抱き苦しむ姿が描写される。知美はビルの谷間の薄暗い路地に入り込む。知美の前に嵯峨敏也が現れ「さっき赤羽精神科から出てきただろう?きみも、緑色の猿をみたのかい?」と尋ねる。「緑色の猿って?」と知美。なぜか、嵯峨は知美に近くのマンションについて教え、204号室の鍵を預けて、「精神的に辛いときには、いつでも休憩所がわりに使うといい」と言う。その後知美は鞄を紛失したことに気づき、近くの派出所に届け出に行く。警察官に嵯峨の名前を告げたことを契機に状況が思わぬ方向に動き出す。知美はその渦中に投げ込まれ、窮地に陥っていく。

 もう一つのストーリーに岬美由紀が登場する。何と美由紀は南アフリカのジフタニア国内の視察に加わっている場面から始まる。東京湾観音事件を解決した美由紀は、政府に国家公務員として特別雇用されていた。内閣官房直属の首席精神衛生官に就いていた。就任後与党閣僚の不祥事を臨床心理士資格を持つカウンセラーの立場で暴き続けている。その美由紀は政府開発援助(ODA)のための事前視察に加わり、野口克治内閣官房長官・酒井経済産業大臣たちに同行していた。視察行程を主導するのはジフタニアの国務大臣クォーレ。クォーレはジフタニアでの内戦は終わったと説明し、ジフタニアの良い側面を次々に視察案内する。だが美由紀は視察行程の不自然さに気づいていく。
 その結果、その不自然さを暴くことを契機に、ジフタニアの内戦状況は未だ進行していていることが暴露される。その内戦の渦中に美由紀は衝動的主体的に巻き込まれていく。美由紀は現地で出会っていた子供たちを救いたいという彼女の一途な信念に発したとんでもない行動に躍り出たのだ。その戦闘描写がまず読者を引きつける。

 ジフタニアは希少金属資源を埋蔵している。それを狙って世界の諸強国が背後で関わり、様々に画策している国である。美由紀の取った個人行動が、外交問題に発展しかねない状況へと進展する様相を見せる。この事象がどう取り扱われるのか・・・・・。話の次元が異なる様相が色濃くなっていく。外交交渉の一面を垣間見るおもしろさが副産物である。

 この極端な二つのストーリーが始まる。ストーリーはどのように展開していくのかは予測もつかない。そういうおもしろさがある。
 
 視察の一行は日本に帰国する。美由紀は政治外交問題の次元については、一国家公務員として、蚊帳の外に置かれ、1ヵ月の自宅待機を野口内閣官房長官から通達される羽目になる。ジフタニアでの内戦戦闘事態を因にして、諸強国との外交調整が喫緊の課題となる。その中で、美由紀の行動を遠因と思わせる形をとり、中国が日本との全面戦争を準備するという状況が刻々と進んで行く。

 外部からの情報を遮断され、待機指示を受けた美由紀は、自ら行動することで己がなし得る最善の対応を試みる。美由紀が取った行動は秘匿されたビルにある公安の前哨基地、公安調査庁首都圏特別調査部に出向くことだった。恒星天球教の極秘調査活動に協力することを目的としていた。美由紀に対応したのは、子供ほどの大きさのミドリの猿をペットとして抱いていて、公安調査庁主席調査官黛邦雄と名乗る男だった。黛は岬美由紀について熟知していた。そして、彼は美由紀の証言を疑ってもいた。
 美由紀が黛に出会うことから、事態が思わぬ方向に捻れ意外な展開へと進展していく。
1.須田知美との交点が生まれる。その結果、美由紀には須田知美を介して嵯峨敏也との協働関係が生まれていく。知美抱えるの問題を解明していくことは、嵯峨が知美に質問したことへの解を見出すことにつながっていく。
2.黛はいくつもの顔を持つ男だった。もう一つは、鍛冶光次と名乗る顔である。メフィスト・コンサルティング・グループ、ペンデュラム日本支社の特殊事業部、常務取締役で実質的に極東地域を統括する立場にいる。
 美由紀はこのメフィスト・コンサルティング・グループに立ち向かっていくことになる。
3.美由紀は鍛冶の罠に陥り窮地に・・・・・。それが『運命の暗示』に繋がっていく。

 つまり、この第1項がこの『ミドリの猿』のプロセスでの山場になっている。第2項と第3項は、後半への序章が提示された段階と言える。メフィスト・コンサルティング・グループの不気味さが見えて来るところまでで本書は終わる。いわば、読者に気を持たせて、『運命の暗示』へと。後半が楽しみである。
 中国の対日全面戦争準備はどうなるのか。メフィスト・コンサルティング・グループはどこまでの力を有する組織なのか。そして、この事態にどういう関わり、位置づけで活動しているのか。美由紀は如何にして窮地を脱することができるか。嵯峨敏也はこのストーリーでどのような役割を担っていくのか。
 また、美由紀が自宅待機を指示された日、美由紀のマンションの前で高遠由愛香が美由紀の帰宅を待ち受けていた。美由紀の高校時代の先輩である。彼女の出現は本書のストーリー展開では将来への伏線なのか。単なるストーリー上の攪乱要素なのか・・・・。ちょっと頭の隅に引っかかる。

 ストーリー展開の外形をなぞっただけだが、この辺りで終えよう。

 ご一読ありがとうございます。

 本書に関連して、関心事項を少しネット検索した。一覧にしておきたい。
AHアパッチ・ロングボウ  :ウィキペディア
カワサキGPZ1000RX  :「Bike Bros.」
サバンナモンキー  :「コトバンク」
サバンナモンキー  :「日本モンキーセンター」
神の使い「ハヌマンラングール」その生態や習性について解説!:「おさるランド」 
緑色に光るサル誕生 遺伝子改変、滋賀医大  :「産経フォト」
東風(ミサイル) :ウィキペディア
インディペンデンス (CV-62)    :ウィキペディア
タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦  :ウィキペディア
世界の産業を支える鉱物資源について知ろう :「経済産業省 資源エネルギー庁」
アフリカの豊富な資源と紛争には深い関わりがある!?:「A good thing, Start here.」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『クラシックシリーズ1 千里眼 完全版』  角川文庫
『探偵の鑑定』Ⅰ・Ⅱ  講談社文庫
『探偵の探偵』、同 Ⅱ~Ⅳ  講談社文庫
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.2 2021.6.11時点

『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎』  千野境子  国土社

2021-09-10 17:34:49 | レビュー
 「葛飾北斎」というタイトルにまず目がとまった。好きな絵師の一人。さらに「江戸のジャーナリスト」というフレーズに一層興味を抱き、読んでみた。葛飾北斎を様々な観点から論じた伝記風評論書に位置づけられるのだろう。2021年5月に出版された。

 本書の特徴と感じた点をまず取り上げておこう。
1.ジャーナリストを職業としてきた著者の目から見た葛飾北斎論である。
 著者は新聞者に入社。海外駐在の記者活動や論説委員経験を有するジャーナリスト。
2.葛飾北斎という人物とその絵を論じながら、葛飾北斎に所縁の場所・資料ならびに絵など、関連写真が一枚も掲載されていない。美術関連書としてはめずらしい。
 「あとがき」に「本文で取り上げた北斎の作品は、ほぼすべてネット鑑賞することができます」と記す。それ故に、意識的・意図的に画像資料類は一切掲載しなかったのだろう。小さなサイズのモノクロ写真を掲載しなくても、ネットを主体的に併用すればカラーでもっと北斎にアプローチできますよ、という趣旨かもしれない。
3.大凡の漢字にルビが振られている。幅広い年代の人々に葛飾北斎に親しんでほしいという意図があるのだろう。一般的に評論書は特に難しい漢字以外はルビをそれほど多用していない。
 たとえば「はじめに」だけを事例にとりあげても、次の漢字・語句にルビが振られている。「江戸・浮世絵師・葛飾北斎・経ち・神出鬼没・査証欄・生誕・富嶽・景・刷り・神奈川県沖浪裏・傑作・審査官・中風・推測・超・長寿・亡くなる・生涯現役・膨大・行方・大政奉還・明治維新・激動・鎖国・渡航・本望・LIFE・偉大・肝心・偉業・謎・探り・魅力・解き」ここに著者のスタンスが出ているのではないか。
4.研究者の伝記、評論などと比べると、です・ます調の文体で記述され、文章が読みやすくてわかりやすい。やはり、ジャーナリストの筆致が反映しているようだ。
5.北斎の生い立ちから最晩年まで、北斎の生涯について、北斎の好奇心を主軸にして、その折々の作品実例に触れながら論じている。伝記風評論書と記した由縁である。

 ニュース報道では意識していず、本書の「はじめ」を読み再認識したことが3点ある。
 あなたはご存知でしたか?
1.2020年に、日本の新規パスポート査証欄のページに北斎の絵が刷り込まれた。
 北斎の『富嶽三十六景』から10年用は二十四作品、5年用は十六作品を使用。
2.2024年からの新発行千円札に『神奈川沖浪裏』が使用される。

 著者はジャーナリストを次のように定義している。
「日々起きる新しい出来事(ニュース)にアンテナを張り、追いかけ、その内容を明らかにしてゆく。しかもだれよりも先に。それが基本的にジャーナリストという職業です。一つのことや場所に安住せず、好奇心いっぱいで、新しい分野に向かっていく。」(p20)
 そして、その続きに、「北斎もまた過去の人気や評判、栄光にひたるよりも、新たに登場してくる事象や現象の方に関心をかき立てられていった。そのような絵師に思えます。しかも、新たな挑戦に選んだ分野が鳥瞰図だったところに、ジャーナリストとしての目を感じてしまうのです。」(p20)
 また、北斎の描いた「日本橋本石町長崎屋」の絵を例に「北斎の、つねにニュース(新しいこと)を探しもとめ、それを描かずにはいられないジャーナリスト魂を感じます。」(p79)
 「ネタ本の存在をきちんとおさえ、使節来訪というタイミングに合わせてシリーズを出すとは、北斎はニュース感覚だけでなく、情報を商売に結びつけるビジネスセンスもなかなかのものです。」(p93)
 また、著者は「ジャーナリズムの世界で、よく使われる表現に『鳥の目と虫の目』があります。ある現象をとらえるのに、全体の姿をつかむために空高く飛ぶ鳥のような目と、細部の把握のために、地をはう小さな虫のような目が必要で、両方の視点が大切であるというたとえです。」(p21)と語る。そして、北斎の描いた壮大な鳥瞰図『東海道名所一覧』に鳥の目の視点、一方、『北斎漫画』に虫の目の視点が見られるという。
 こんなところから、著者は本書に「江戸のジャーナリスト」というフレーズを冠したのだろう。

 伝記風評論書という表現を使ったが、本書の構成と覚書をまとめてみる。
<1章 北斎を探る旅>
 長野県小布施町に建つ「北斎館」を著者が訪ねる。その鑑賞体験記から始まる。
 『「七小町」の八曲一隻屏風』『東海道名所一覧』を論じる。

<2章 生い立ち・浮世絵師への道>
 1760年9月23日、下総国本所割下水(現墨田区亀沢1丁目~4丁目あたり)での生誕から浮世絵師・勝川春朗時代を経て葛飾北斎を名乗った時代まで。
 飯島虚心著『葛飾北斎傳』(岩波文庫)を典拠にしながら、要点を押さえていく。
 勝川春朗時代に浮世絵師としてあらゆる分野に挑戦。浮絵にも取り組んだという。破門された理由に言及する。俵屋宗理の二代目を継ぐ。その名を門人に譲り、雅号を北斎辰政に。そして、1806年に葛飾北斎と名乗る。
 江戸の地本問屋蔦屋重三郎の許で狂歌絵本の挿絵を描く。滝沢馬琴の読本『椿説弓張月』の挿絵を担当する。これが大ヒットし、葛飾北斎の名が有名になる。
 北斎が手掛けた挿絵(読本)に言及し、文化年間に出版の『北斎漫画』に言及する。

<3章 家族とその暮らしぶり>
 小見出しがキーワードになっている。列挙してみよう。「結婚二回、子供は二男四女」「父ゆずりの三女お栄」「引越し魔」「ゴミ屋敷」「きわめて弊衣粗食」「なぜ貧乏だったかのか」
 三女のお栄は、北斎最後の日まで寝食を共にし世話した。雅号を応為という絵師でもある。
 あれほど有名になった北斎がなぜいつも貧乏だったのか。著者は「せんじつめれば、『根っからの江戸っ子』だった。つまり北斎は、江戸っ子の代表的な気質にあげられる『宵越しの金を持たない』暮らしぶりを、身上としていたのではないか。」(p63)と論じている。

<4章 海外情報への好奇心>
 北斎は日本の外の世界にも関心を向けていた人で、「国際人」「国際派」の資格がある絵師だと論じる。馬琴の読本での共作は、北斎が中国古典にも精通していたこと。オランダ商館長(カピタン)が江戸参府の折に出会っている可能性が高いこと、カピタンから絵の注文を受け、日本人男女の一生を絵巻物に描いたこと。その時のエピソードなどを書き込んでいる。『北斎漫画』が欧州に伝えられた契機になったという。
 「北斎はシーボルトと会っていたか?」という疑問を提起し、著者はジャーナリストの視点から調べ、ここで結論を述べている。
 著者は『東海道五十三次 十四 原』に北斎が朝鮮通信使を描き込み込んでいる事例を挙げ、外交使節、朝鮮通信使への北斎の関心も論じている。尚、ネット検索していて、この絵に描かれている人々については、異論もあることを知った。今の私には判断できないが・・・・。
 また、歌川広重の『東海道五十三次』出版され大ヒットした年の翌年に北斎が『富獄百景』を発表しているというタイミングだったことを本書で初めて知った。
 北斎は広重をライバル視する意識があったのだろうか・・・・・。著者は「つねにトップランナーたるべく新境地を開くことを真骨頂としてきただけに、広重の人気と評価に北斎の心には、おだやかならざるものがあったのではないかと推察されます。」(p88)と述べる。
 著者は、北斎が琉球使節、琉球八景並びに西洋画の透視図(画)法(遠近法)にも関心を抱いていたことに触れている。最後に、北斎の絵との関連でベロ藍(プルシアン・ブルー)の重要性を論じている。

<5章 世界を魅了した『北斎漫画』>
 『北斎漫画』がどういう経緯で生み出され、どういう影響を国内外に与えて行ったのか。北斎が関西への旅に向かう中で生まれ、それが出版されると大ヒットなり、次々に続編が描き継がれていったそうだ。北斎55歳のときに初編が出版され、何と最後の第15編は明治11年(1878)だと言う。知らなかった!
 上記したが、この『北斎漫画』に、北斎の「虫の目」が反映していると著者は論じる。その説明に、ネットで得た『北斎漫画』の絵を見て、ナルホド!
 『北斎漫画』がシーボルトに大きな影響を与え、さらに19世紀後半のフランスにおいて、印象派やポスト印象派の画家たちに与えた北斎の影響に触れていく。

<6章 生涯通しての現役絵師>
 1834(天保5)年、北斎75歳のとき、雅号を為一から画狂老人卍に改めた。その後の15年は、画狂老人卍が最後の雅号として使われる。著者はこの期間、北斎が現役絵師として活動を続けた姿を綴っていく。
 『富獄百景』を発表した1834年が一つの転機となったようだ。だがその時、世の中は「天保の大飢饉」のさなかだった。この頃、北斎は三浦屋八右衛門と変名して浦賀に半ば雲隠れしている状況だったという。これは本書で初めて知ったこと。その理由が諸説紹介されていて興味深い。北斎も私生活ではいろいろ苦労があったようだ。
 この章では、北斎が肉筆画の世界に大きく踏み込んで行ったことが論じられている。
 冒頭で触れた小布施は晩年の北斎と大きな関わりが生まれる逗留地となった。北斎は4度小布施に旅しているという。この章を読むと、小布施に北斎館ができた理由がよくわかる。小布施行は、北斎より30歳ほど若い豪商農の高井鴻山との親交が根底にあるそうだ。鴻山が北斎に住まいとアトリエ「碧漪軒(へきいけん)」を提供し、活動を支えるスポンサーとなった。小布施での北斎の姿が具体的にわかる章になっている。

<7章 最晩年の日々>
 88歳から90歳で亡くなるまでの3年間も、北斎の創作意欲は衰えなかったという。
 絵手本『画本彩色通』、錦絵『地方測量之図』に触れた後、肉筆画『虎図(雨中の虎)』と『雲龍図』が一緒に展示される機会が生まれたことで、対の作品であることが発見されたエピソードが語られる。
 そして、北斎が自らを龍に託した『富士越龍図』(北斎館蔵)を論じる。これが北斎の絶筆にもっとも近い一枚と考えられている肉筆画だという。
 最後に、北斎を支え続けた三女のお栄(雅号応為)に触れている。

<8章 北斎を復活させたロシア人>
 パリの印象派、ポスト印象派の画家たちが北斎画の魅力やその芸術的価値を見出し、ジャポニスムを生み出したことは、彼等の絵を鑑賞する中で知ったことである。だが、ロシアに北斎の価値を認め、北斎に復活させることに貢献した人々がいたことを本書で初めて知った。
 一人は、帝政ロシア時代の海軍士官セルゲイ・キターエフ(1864~1927)。彼は太平洋航路に勤務中北斎に魅せられ日本美術のコレクションを始めたという。ロシアで最も早く浮世絵の芸術的価値を評価したコレクターであり研究家だそうだ。彼は自分のコレクションをもとに最初の日本美術の展覧会をペテルブルグやモスクワで開催した。ロマノフ王朝が倒れた際、彼は膨大なコレクションをロシアに残したまま日本に亡命し、日本で亡くなった。
 ロシアに残されたこのコレクションは、革命後、ソ連に引き継がれ、倉庫に埋もれていた。このコレクションに出会い研究に取り組んだのが、プーシキン美術館の女性学芸員、ベアタ・ヴォロノワ(1926~2017)。彼女の研究が原動力となり、プーシキン美術館においてソ連初の葛飾北斎展(日ソ共催)が実現することになったという。
 この最後の章で、キターエフ、彼のコレクション、ヴォロノアの研究について詳しく語られている。

 葛飾北斎を知りたい人には、その全貌を知るガイドブックとして有益な本である。北斎の人生のプロセスと関連付けて彼の作品群の変遷をとらえ、北斎画の全体イメージをまず形成するのに役立にたつと思う。
 
 ご一読ありがとうございます。


 本書に関連する北斎画と関連事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
北斎について  :「すみだ北斎美術館」
世界が認めた天才! 浮世絵師・葛飾北斎ってどんな人? :「北斎今昔」
葛飾北斎とは?浮世絵「富嶽三十六景」など有名作品と人物像を徹底解説!:「warakuweb」
富嶽三十六景  :ウィキペディア
2020年旅券  :「外務省」
日本が新紙幣発表、千円札に北斎の浮世絵  :「CNN style」
東海道名所一覧  :「文化遺産オンライン」
東海道名所一覧  :「石本コレクション 東京大学総合図書館蔵」
葛飾北斎 日本橋本石町長崎屋 :「古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館)
146.葛飾北斎と朝鮮通信使 :「蒼天求白雲」
[フリー絵画] 葛飾北斎 「東海道五十三次 絵本駅路鈴 原」
      :「パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集」
『東海道五十三次』 =葛飾北斎筆=   :「みんなの知識 ちょっと便利帳」
来朝の不二...『富岳百景』三編  :「matta」
北斎ー富士を描く展 @日本橋三越 :「Art & Bell by Tora」
『琉球八景』 =葛飾北斎=  :「みんなの知識 ちょっと便利帳」
朝鮮通信使来朝図  羽川藤永 :「文化遺産オンライン」
北斎の浮絵  :「ArtWiki」
葛飾北斎  新版浮絵 浦島竜宮入之図 (名品揃物浮世絵9 北斎IIより)
   :「600dpi パブリックドメイン美術館」
新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図  :「すみだ北斎美術館」
「新版浮絵化物屋鋪(=舗)百物語の図」 葛飾北斎 :「Image Archives」
北斎漫画  :ウィキペディア
北斎漫画  :「太田記念美術館」
北斎漫画. 1編  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
  2編~15編まですべて見ることができます。
北斎漫画早指南  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
『富獄百景』=葛飾北斎= <写真の不二> :「みんなの知識 ちょっと便利帳」
《北斎漫画》《冨嶽三十六景》《富嶽百景》の全頁(ページ)・全点・全図を展示。「北斎づくし」が六本木で開催へ  2021.3.25 :「美術手帖」
男浪図・女浪図 :「信州小布施 北斎館」
鮮やかな八方睨み鳳凰図の天井絵が美しい・岩松院
         :「北信濃・妙高エリア観光情報 ふるさとを旅する」
画本彩色通初編  :「富山市立図書館」
学芸員のつぶやき 「富士越龍図」  :「信州小布施 北斎館」
北斎が描いたのは朝鮮通信使ではなく琉球使節 :「朝鮮通信使報道研究所」

信州小布施 北斎館 ホームページ
すみだ北斎美術館  ホームページ
太田記念美術館  ホームページ
北斎今昔  ホームページ
  浮世絵が見られる美術館・博物館まとめ(日本編)

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『隠し剣秋風抄』  藤沢周平   文春文庫

2021-09-09 21:37:10 | レビュー
 秋風。秋に吹く風は肌寒い。「秋風が吹く」「秋風が立つ」という語句には、「a.男女の間の愛情がさめる。b.何かの流行が下火になる。」(『新明解国語辞典』三省堂)という意味で使われる位である。つまり、秋風はネガティヴなニュアンスを感じさせる。ここにはそんな人生のネガティヴな局面に立ち至る武士の状況をどちらかといえば淡々と描き出す9つの短編が収録されている。己の剣技を磨き、流派の極意とされる隠し剣(秘剣)を修得した武士たち。だが、大半は禄も少なくしがない身分の武士たち。そこに悲哀もにじみ出る。やむにやまれぬ状況に投げ込まれていく彼等は己の磨き上げた剣技をクライマックス場面で使うことになる。己を生かすために・・・・。

 9編のタイトルをまず列挙しよう。「酒乱剣石割り」「汚名剣双燕」「女難剣雷切り」「陽狂剣かげろう」「偏屈剣蟇ノ舌」「好色剣流水」「暗黒剣千鳥」「孤立剣残月」「盲目剣谺返し」
 このタイトルのネーミングがおもしろい。「××剣」「剣○○」というパターンである。「××」がいわばその短編において隠し剣を使わざるをえない状況を導く因となる。そこに短編創作のモチーフがある。それを因にして秘剣を使う瞬間に立ち至り、「○○」と名付けられる隠し剣を使う。そうならざるを得ない状況がごく自然に語られていく。異色な剣客が次々に登場してくるのが読者としては楽しみとなる。
 「オール讀物」(昭和53年7月~昭和55年7月)に順次短編が掲載され、昭和56年2月に『隠し剣秋風抄』と題して出版された。1984(昭和59)年5月に文庫化されている。藤沢周平最晩年の作品の一つである。

 各編について簡単にご紹介していこう。
<酒乱剣石割り>
 雨貝道場で技量伯仲の門弟が竹刀を構えて対峙する。師範代の中根藤三郎に対するのは弓削甚六。道場主雨貝新五左エ門と次席家老会沢志摩が無言でその試合を眺める。
 試合は中根の勝。だが雨貝は絶対絶命の試合にのぞめば弓削が勝つ。弓削の剣には計り知れない何かがあるのだという。弓削は秘剣石割りの最後の気息まで掴み取っているという。弓削の難点は酒乱であること。
 次席家老会沢は、弓削を起用する。弓削に与えられた使命は、側用人松宮久内を糾問する日、命により時刻をずらせて出頭する伜の松宮左十郎を城内の百間廊下で成敗することである。左十郎は江戸で忠也派一刀流の免許をうけていて、藩内では五指に数えられる剣士なのだ。
 弓削の酒乱にまつわるエピソードと、会沢に飲酒禁止を厳命された上で百間廊下において左十郎を斬るという使命に臨む弓削を描く。極限状況で弓削のとる行動がおもしろい。

<汚名剣双燕>
 3年前に拭いがたい汚名を着た八田康之助の物語。不伝流宗方道場で、八田康之助は関光弥、香西伝八郎とともに三羽烏と呼ばれ、康之助が二人をやや抜いているとみなされていた。だが、3年前に同じ近習組に勤める香西が同僚を斬り、城下を出奔しようとした際、進路を遮ることになった康之助は、香西の刃の一閃が閃くとそれを躱して刀も抜かず逃げる行動を取ったのだ。閃きの一瞬に見た香西の妻由利の姿がその原因だった。康之助はこの事件で禄の一部を削られ、勤め変えの憂き目に会う。その後の康之助の日常では、由利並びに関光弥との関わりが密かに波紋を広げていく。また関光弥との間に、宗方道場の後継者問題が絡んでくる。
 さらに2年後、宿命の糸に結ばれていた如くに、康之助は関光弥と真剣を交える場に投げ込まれる。藩主に逆らう関家への討手の一人に康之助が加えられたのだ。
 各場面において康之助の心理が描き込まれて行く好編である。

<女難剣雷切り>
 江戸で剣の修行をした佐治惣六は城中で目立たない36歳の武士。彼はぱっとしない御旗組に勤めて10年になる。10年ほど前に、城下での押し込み強盗殺害事件で剣技を活かしめざましい働きをしたことがあった。だがそんなことはもはや忘れ去られていた。惣六は女房運が悪い男だった。そして、女中おさととの一件で、面目を失する羽目になる。
 御弓組物頭の服部九郎兵衛の仲立ちで、惣六はあらためて御弓組の陣内庄助の娘を四度目の妻として娶ることになる。だが、そこには隠された側面があった。その事実を知らされるに及んで、惣六は恥辱を拭う立場に立たされる。不遇な惣六が己の意地を見せる。
 その意地の見せ方が惣六らしくて、後味がいい。「気をつけろ、と惣六は自分をいましめた。」という末尾の一文がこれまた、惣六らしくて微笑ましいかぎりだ。

<陽狂剣かげろう>
 佐藤半之丞は制剛流を指南する三宅十左エ門の次女乙江と秋に祝言をあげる約束になっていた。そこに青天の霹靂のごとき話が飛び出してくる。数年前から家督相続がささやかれている若殿三五郎重章の側妾として乙江を差し出せという。江戸で生まれそこで育った若殿は色好みの噂がある。馬廻り組100石取りの藩士である半之丞は断念せざるを得ない。半之丞は気が触れたと装うことにし、乙江にも半之丞をあきらめさせようとする。陽狂の振りを半之丞は重ねて行く。
 一方で、なぜ急に誰が乙江を若殿の側妾にという話を持ち出したのか。半之丞は疑念を抱き密かに調べ始める。
 半之丞は遂にその人間に思い至る。そして決着をつけるのだが、その後に、もう一つの悲劇が訪れる。陽狂の真似事が真の陽狂に転換する悲劇が・・・・・。
 半之丞と乙江の人生が急激に暗転する悲哀のストーリー。悲しみが残る。

<偏屈剣蟇ノ舌>
 馬飼庄蔵は70石で御旗組に勤める武士。不伝流の名手で蟇ノ舌という秘剣を習得していた。藩草創の時から間崎家と山内家は藩政の主導権をめぐり今日まで抗争を続けてきた。今は家老間崎新左エ門が勢力を得ているが、ジワジワと山内家が力を盛り返しつつあった。山内は江戸から植村弥吉郎を大目付として領国に送り込んできた。植村は無外流の奥義をきわめているという。
 間崎派に属する番頭の遠藤久米次が、庄蔵に会う。間崎派の現状を説明した上で、植村が大目付であることの問題を語る。それを前段として、遠藤は剣士としての植村の側面を物語る。政争に関知する気のない庄蔵に対し、植村の剣技を吹聴し、偏屈な庄蔵の闘志をかき立てる。遠藤はあわよくば庄蔵に私闘をさせ植村の暗殺に導こうとする。
 庄蔵は植村から「間崎の刺客か」とおだやかに言われたことから、逆に生来の偏屈が禍し「では、お言葉どおり刺客ということにしていただこうか」と答える。勿論死闘となる。
 だが、庄蔵にとっては、それが新たな始まりだった。
 人の性格、性質を操ろうとする行為の愚かさが描かれていく。
 末尾で庄蔵が妻の素世に語ったひとことに万金の重みがある。このひとことがいい。

<好色剣流水>
 好色で評判の三谷助十郎は井唖流の遣い手で知られはや35歳である。二度妻を娶り、二度とも離婚。他に浮名を流す出来事も起こしている。彼は謡の稽古を受けるために、志賀家の隠居平右エ門の隠居部屋に通っている。それは服部弥惣右エ門の妻女迪(みち)と出会いたいためである。迪に近づくきっかけを作りたかった。
 この出会いは助十郎の片思いで終わるのだが、最後に迪と語り合う場を時々顔を合わす程度の同僚に見られ、声を掛けられた。それが事態を展開させていく。
 助十郎の秘剣流水は相討ちの剣だった。師の三左エ門は「この剣を究めれば、弱者が強者に勝つ剣に到達する」と言ったのだ。
 最後に助十郎の意志がこもる。著者はこの助十郎のこの意志を描きたかったのだろう。
 
<暗黒剣千鳥>
 三崎修介は高100石の三崎家の四男。長男の吉郎右エ門が14年前に家督を継ぎ、松乃を妻とした。兄嫁の松乃は次男・三男の義弟を首尾良く婿入りさせる。23歳の修介が残っていた。修介の婿入り口を松乃は模索し始める。
 修介は兄たち同様に藩校三省館に通うが、学問よりも三徳流の曾我道場に通い、剣術修行に傾いていく。あるとき、次席家老・牧治部左エ門が、修介を含む曾我道場と増村道場から選んだ計5名を屋敷に呼ぶ。藩主の寵愛はなはだしい側用人の明石嘉門は藩政を破滅に導く奸物と論じ、闇に葬れと命じる。修介たちは、牧に命じられるままに数日後討手として嘉門を暗殺した。5人はすべて部屋住みの若者だったので探索の追及を免れた。修介たちにとり、これは勿論暗黒の秘事となる。
 何事もなく3年が過ぎた。だが、ここから思わぬ事態に変転する。討手となった5人が次々に不審な死-斬殺-を遂げていく。修介は自分たちが危地に遭遇していると知る。暗黒の秘事を誰にも語れない。助力を求めることができない。
 敵は誰なのか。かつて討手となった5人を暗黒の闇に葬り去ろうとしているのは誰なのか。仲間の不審死の状況、太刀筋を踏まえて修介は敵について調べ始める。そして意外な可能性を見つける。修介は最後の一人に残るところまで追い詰められる。千鳥は敵の秘剣なのだ。
 一方で、修介の婿入り口の話が進展していく。修介はどのように対処するのか・・・・。
 推理という点で、読ませどころのあるストーリーである。
 命令に従うという武士の生き様に潜む根本的問題を見つめる視点が根底にあると思う。

<孤立剣残月>
 小鹿七兵衛は15年前、上意討ちの命をうけて補佐3人と、東海道金谷宿のはずれで鵜飼佐平治を討ち取った。佐平治を仕とめたのは七兵衛だった。佐平治には半十郎と称する弟がいた。家老三井弥五右衛門の政敵、矢野と黒沢が執政の地位にのぼっている。その線からの画策で、殿の思し召しにより鵜飼家が再興され半十郎が跡を継いだ。半十郎は殿の帰国に従って戻って来る。半十郎は帰国したら七兵衛に果たし合いを申し込むつもりだという噂が七兵衛に伝えられる。半十郎は梶派一刀流の名手だという。
 七兵衛にとってははた迷惑なこと。勢力が衰えつつある家老三井は用心しろと告げるだけではや人ごとのそぶりである。勿論、家中の私闘は禁じられている。
 七兵衛は家中で五指に数えられた無明流の剣士だったが、道場から遠ざかり10年近く経ち、肉体の衰えも身に沁みる。今立ち合えば、まずひとたまりもあるまいと自己評価する。妻の高江には家老から聞いたことを言いそびれる。
 七兵衛は、己に咎のないことを様々な伝手を頼り訴えて行くが、どんどん孤立化していく。まさに、窮地に陥っていく羽目に・・・・。
 七兵衛は究極の選択肢の覚悟を決める。果たし合いを申し込まれれば、受けてたち、せめて恥ずかしくない立ち合いをしようと。鵜飼佐平太の討手に決まったとき、師から一夜餞に伝授を受けていた。だが使うことなく過ごして来た秘剣残月を思い出そうと鍛錬に専念していく。
 帰国した半十郎はやはり果し状を送ってきた。
 このストーリー、命令を実行しただけで、咎のない七兵衛が孤立無援になっていく懊悩のプロセスの描写、人の心の変転-人は身勝手-描写が読ませどころといえる。
 
<盲目剣谺返し>
 三村新之丞は近習組の一人として、藩主の昼食の毒味役をしたときに食材の毒に当たり眼に光りを失うことになる。妻の加世は月に一度、城下から一里先の村にある林松寺の眼病に効くといわれる不動尊に祈願に行く。去年の秋、眼医者は新之丞の失明にもはや手当は無駄と診断していた。
 いつごろか、新之丞は、加世の寺通いに、男の影を感じ取り始める。
 従姉妹の以寧が、夫の目撃として加世が男と一緒のところを見かけたという話を告げにきた。加世が不倫をしている疑いを抱いているのだ。新之丞の不審が一歩深まる。
 木部道場の麒麟児と言われた新之丞は、庭に出て木剣を振る稽古を再開する。そして、己の聴覚を研ぎ澄まし、己が今できる新たな剣技を切り開いて行く。
 加世の寺参りの折、新之丞は老僕の徳平に後をつけさせる。そして男の家が分かることに。その結果、加世の不倫の背景が明らかになっていく。そこには、男の巧妙なカラクリが潜んでいた。新之丞は同僚の山崎兵太にあることを調べてほしいと依頼する。その結果を確認した後、新之丞はある決意を実行する。
 この短編、エンディングの場面が実に好い。読んで味わっていただきたいと思う。
 
 藤沢周平の独自の世界に、少しずつ惹かれていく気がする。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『人間の檻 獄医立花登手控え4』  講談社文庫
『愛憎の檻 獄医立花登手控え3』  講談社文庫
『風雪の檻 獄医立花登手控え2』   講談社文庫
『春秋の檻 獄医立花登手控え1』  講談社文庫