遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『駐在刑事 尾根を渡る風』  笹本稜平  講談社文庫

2021-01-31 12:21:21 | レビュー
 このシリーズの第2弾。現時点で単行本あるいは文庫本となっているのはこの第2弾までと思う。単行本は2013年11月に出版され、文庫本化は2016年10月である。
 「駐在刑事」のタイトルの由来は最初の『駐在刑事』の読後印象記で述べているので再掲しない。本書も短編連作集であり、5編の短編が収録されている。
 この第2弾も奥多摩の水根駐在所所長として駐在する江波敦史を中軸にした物語。奥多摩で発生する事件は主に地区外に原因があるものが多い。駐在所警察官としての役割と行動範囲の限界をわきまえながら、本庁から青梅署刑事課強行犯係係長に異動してきた南村陽平警部とうまく連携していく。彼等が事件の捜査と解決を目指す姿が描かれて行く。
 このストーリーは、奥多摩の自然環境を背景に山岳小説の要素が加わっていて、山好きには楽しめる内容となっている。池原旅館の息子・池原孝夫が江波の山岳捜索に協力していく行動が清々しい。私は関西に住んでいるので、奥多摩の山々やその自然環境は知らないが、本書での描写から奥多摩の山々や自然をイメージし、楽しみながら読んだ。ほぼ一気読みだった。

 この第2弾にはさらにいくつかのおもしろさ、興味深さが加わる。
1) 第1作で名誉巡査部長の称号を授与され、見かけはほとんどラプラドール・レトリ-バーで「プール」と名付けられた雌犬が、江波の相棒然として常時登場すること。プールがどんな活躍をするかを楽しめる。称号授与の経緯は第1作のストーリーに出てくる。
2) 妻に先立たれ、老人性鬱病を患い、ある殺人事件に巻き込まれた内田省吾。この事件は第1作に収録されている。その父の世話を兼ね、バツイチで実家に戻っている娘の遼子は、町立図書館に司書として勤めている。彼女もまた山好きである。江波もバツイチ。
 省吾が巻き込まれた事件を契機に、江波と遼子の間に、心の通いあう部分が出来始めた。これがどのように進展していくか。池原孝夫は江波に対し遼子のことを話題に出し始める。江波と遼子の心情が時折ストーリーに織り込まれていく。興味津々・・・だがそこは緩やかな遅々たる進展・・・・で読者に一層関心を抱かせる。
3) 孝夫がある事件をきっかけにして寺井純香と交際を始めていく。孝夫と純香の関係がどのように進展して行くか。それがどのようにストーリーに織り込まれていくか。江波はこの二人の関係を暖かく見守りながら、時には孝夫の反応を楽しむ会話ネタにしていく。孝夫の反応描写が楽しみになる。
4) 本庁では旺盛な出世欲を抱き事件捜査を掻き回すだけの管理官の下で振り回されていた南村が管理官の軛を離れた。先輩刑事だった江波とどのように連携プレイしていくかという楽しみが加わる。
 *本庁捜査一課時代、江波は南村より先輩。警察官の階級も江波が1つ上だった。
 *水根駐在所は青梅警察署地域課の組織下にある。駐在所の管轄エリアは限定される。
  南村は同署の刑事課強行犯係長。青梅署の所管地域全体が管轄エリアになる。
 *江波は本庁時代と同じ警部補。南村は昇進し警部補に。二人の階級は同格になった。
 二人の関係は以前と比べて変化した。この点がどう影響していくかである。事件捜査のうえで影響が出るか。影響は出ないか。
 読者としては楽しめる要素が増えたと言える。

 さて、収録された短編のそれぞれについて、内容への導入と簡単な読後印象を記しておこう。
<花曇りの朝>
 この短編の最初に「駐在刑事」の由縁について触れられている。この第2弾から読み初めてもタイトルのネーミング経緯がわかるようになっている。
 孝夫が江波にチャムと呼ばれる犬探しの依頼をする。池原旅館に宿泊した50代半ばの寺井という女性客が御前山に連れて行った犬を見失ったのだという。翌日は駐在所勤務の休日であり江波はプールと共に、孝夫に協力して私人の立場で御前山に登る。プールが何かを見つけた。孝夫が確かめると、それは違法となっているトラバサミという罠だった。チャムの首輪も見つかる。だがチャムの消息は掴めなかった。
 孝夫は、自然公園管理センターへの問い合わせをした時に、あちこちの避難小屋におかしな男が出没し嫌がらせ的な行動をしているという話を聞いたということを、犬の捜索中に、江波に情報として伝えた。
 月曜日、午前中のパトロールから江波が戻った頃に、南村が駐在所に訪れる。山梨で起きた会社社長殺人事件の容疑者を甲府市内のホームセンターで目撃したという証言がもたらされ、その買物内容から容疑者が山に逃亡している可能性が高まり、広域捜査の事案になっているという。
 そんな矢先に、純香の母が犬探しに山に登ったと言う連絡が孝夫に入る。
 行方不明の犬の捜索にその飼い主の捜索が加わり、さらに殺人事件容疑者の広域捜査が重なるというけんのんな状況が生み出される。
 トラバサミの発見から事態はおもしろい方向に展開し、意外な結末になっていく。

<仙人の消息>
 最近の江波と遼子の間柄の描写から始まる。だがこれは地元で仙人と呼ばれるようになった田村幸助についてのストーリーである。奥多摩に現れた時は普通の登山者。そのうち、ほとんど毎日山のどこかで見かけられるようになる。2年目に入ってから、登山スタイルが急変した。鈴をつけた金剛杖、木製の背負子、キャンバス製の頭陀袋、地下足袋と脚絆に。そこで仙人のニックネームがつく。その仙人をここ半月のあいだ、誰も見かけていないという。勿論、遭難届が出ている訳でもない。池原旅館の主が江波に相談を持ちかけた。
 江波は一度連絡をとってみると約束した。江波は3年前に水根駐在所に出されていた登山届の緊急連絡先に記されている女性のところに電話してみた。電話口に出たのは男だった。男は凄みを利かせた口ぶりで江波に応対した。だが、半月前に自動車事故に遭い、全治3ヵ月の診断にかかわらず、1週間前に勝手に退院したという情報を江波は得た。江波が男の応対に違和感を持ったことから、江波は南村に話をしてみる。南村が少し動いてみると言う。
 一方、図書館司書の遼子は図書館でアクセスできるデータベースから田村幸助がアメリカの有名な化学賞の金メダルを受賞していたという情報を得て、江波に知らせる。
 田村幸助とその家族のことが、少しずつ明らかになっていく。このプロセスが読ませどころである。このストーリーのキーワードは「身内の不祥事」。ここではダブルミーニングとして使われている。そこが興味深い。

<冬の序章>
 駐在所の定休日、江波は雪の切れ間から覗く青空を見て、水根を起点・終点として鷹ノ巣山へのコースを登ろうと決める。孝夫が同行すると言う。水根ストアの一人娘真紀がプールに声をかけたことが切っ掛けで、江波たちは真紀から一つの懸念を聞くことになる。男と女の二人連れが普通のスニーカーにジーンズ、セーターという軽装で榛ノ木尾根の登山口に行くのを見た、危ないと感じたというのだ。
 トオノクボの広場で江波たちは一休みしようとした。その時プールが何かを見つけた。急峻なガレ場の下方に頸を骨折していて冷え切った遺体を発見。その男の顔を見た孝夫は高校の先輩で、バイク泥棒の濡衣を着せられその後本当にグレた木村和志だと言う。真紀が語った二人連れだとすると、このあたりには女の姿はなかった。状況を考え、江波は南村の携帯に連絡をとった。
 立ち入り禁止のロープが断ち切られていた。だが事件性の判断の有無は難しい事案だった。翌朝の捜索でヘリも飛んだが女性は発見できなかった。司法解剖の結果、死因は低体温症と判断された。課長判断で捜査は打ち切りになる。
 だが、そこから南村と江波はやはり女の行方を追うという行動を取る。境駐在所所長から南村に一つの情報の連絡が入った。
 12月に入ってしまう。江波は登山道のパトロールという口実で許可を得て、孝夫と再度遺体発見現場を調べてみる行動をとった。プールがまたもや何かを見つけた。
 一旦閉じられた事件ファイルをこじあけるという行動が思わぬ事実を掘り当てるというストーリーの構想と展開がおもしろい。

<尾根を渡る風>
 この短編のタイトルが本書のタイトルに使われている。この連作集の中では、やはりこの短編が一押しである。読者に感動を呼び起こすストーリーと言える。
 江波がトレイルランニング(山岳マラソン、山岳耐久レース)の練習を奥多摩湖を望む山道で行っている場面から始まる。これを始めたのも孝夫に誘われたことが契機だった。このストーリーはこのトレランとの関わりが深まっていく。読者はトレランというスポーツを知る機会にもなる。
 朝のパトロールに出ようとしたとき、遼子から携帯に連絡が入った。ここ2週間くらいほとんど毎日、通勤の行き帰りに、いつも同じ車があとを尾けてくると言う訴えだった。いつも途中から現れて、途中で姿を消すという。単なる偶然とは思い難い。まだ被害を受けていないとのことだが、ストーカー行為を懸念した江波は遼子に車のナンバーを控えているか尋ねた。そのナンバーを聞き、パトカーの端末からその所有者を検索した。所有者は河野利之。彼の年齢と遼子が言う運転する男の年齢とは相違する。親の名義の車を息子が使っていることも考えられる。後に、遼子は図書館の貸出登録に河野弘樹という人が居るということに気づく。車の所有者の住所と一致し、年齢は25歳。
 孝夫は河野弘樹という名前を聞き、去年のトレランの本大会で五位に入賞した男を思い出す。大会主催者のホームページから孝夫は完走者のリストと河野弘樹が写っている写真を印刷してきた。勤務帰りに駐在所に立ち寄った遼子はその写真の人物から図書館で奥多摩や奥秩父の登山の歴史本について質問を受けたことを思い出したという。
 遼子が図書館の駐車場に駐めていた前輪タイヤ2本がナイフのようなもので切り裂かれてパンクしていたという事件が起こる。
 河野がトレーニングとして奥多摩を走っているなら、江波はさりげなく河野と接触する機会を作れると考える。孝夫もそのトレランのトレーニングに付き合うと言う。
 河野弘樹の生育環境と心理に深く関わって行くストーリーである。
 この短編のタイトルは、末尾の段落に記述されたフレーズに由来する。爽やかさを感じさせほっとするエンディングになっている。

<十年後のメール>
 江波に孝夫から連絡が入った。宮原和樹の父親からの電話で、10年前に、当時22歳の和樹は雲取山を目指していたが途中で消息を絶ったという。雲取山周辺の捜索活動では本人はおろか遭難の痕跡すら見つからず、捜索は打ち切りになり、単なる失踪者として記録されるに終わった。その父親のパソコンに10年前に発信されたメールが1週間前に届いたというのだ。電子メールでは起こり得ることだという。写真が1点添付され、文章は「助けて」の一言だけのもの。その写真のアングルが、池原旅館のホームページに孝夫が撮って載せている写真の背景と同じなのだという。それが縁での問い合わせだった。
 10年前の捜索では、和樹の登山計画との関係から奥多摩側は捜索対象範囲に入っていなかった。これでは警察が動かない事案になる。江波は個人的な伝手で情報を収集する行動をまず始めた。
 和樹の父親は鷹ノ巣山のその写真の撮られた場所に登ってみたいと孝夫に言ったという。孝夫は純香のアドバイスを得て、尋ね人のポスターを作成するという気合いの入れようだ。江波は私的にこの山行に同行し、また父親から詳しく話を聞く。和樹と父親の関係がわかってくる。それはまた江波が父親自身を知る機会にもなる。
 その後、遼子が駐在所にやってきて、図書館の新聞データベースで10年前の遭難事故の記事を探してみた結果を江波に示した。遼子が宮原という姓でうっかり検索した結果入手した記事も含まれていた。それは和樹の遭難日と同日に奥多摩町内の青梅街道で起きた追突事故の報道記事だった。江波はその報道記事に着目する。
 そして、和樹に関わる事実が明らかになっていく。
 父と息子の人生観の違いが生み出す悲劇。10年の歳月の経過が父の歩む方向を定めていく。興味深い構想の短編になっている。

 そろそろこのシリーズの第3弾が出ないだろうか。それを期待したい。
 ご一読ありがとうございます。
 
この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『駐在刑事』  講談社文庫
『漏洩 素行調査官』  光文社文庫
『山岳捜査』  小学館
『公安狼』   徳間書店
『ビッグブラザーを撃て!』  光文社文庫
『時の渚』  文春文庫
『白日夢 素行調査官』  光文社文庫
『素行調査官』  光文社文庫
『越境捜査』 上・下  双葉文庫
『サンズイ』  光文社
『失踪都市 所轄魂』  徳間文庫
『所轄魂』  徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
『遺産 The Legacy 』  小学館

『茶の世界史』 ビアトリス・ホーネガー 平田紀之訳 白水社

2021-01-28 21:56:19 | レビュー
 翻訳書には副題が付いている。表紙・背表紙に「中国の霊薬から世界の飲み物へ」と記されている。奥書を見ると、「新装版」として2020年4月に出版された。本書の訳者「あとがき」に記された日付を読み、インターネットで検索してみて、2010年に出版されていた翻訳本だということがわかった。
 本書の原題もまた表紙に小さな文字で併記されている。「LIQUID JADE」と。「訳者あとがき」の冒頭で、訳者自身が「液体の翡翠」あるいは「流れる翡翠」とその訳を記し、「古代中国で健康と長命に益する霊魂物質を含む鉱物と考えられていた緑色に輝く翡翠に、霊薬といっていいほどの効能を持つ茶を重ねあわせた表現である」(p281)と解説している。原題は「The Story of Tea from East to West」と副題が続く。
 この原題と読後印象で言えば、お茶にまつわり洋の東西に広がった茶の歴史物語という内容である。そういう意味で、私はこの本を「茶」の「世界史」というよりも、「茶の世界」史というニュアンスでタイトルを受けとめた。いずれにしても、翻訳書のタイトルは茶に関心をいだく人の目を止めさせるものになっていると思う。

 本書は4部構成である。「第一部 東から」「第二部 西へ」「第三部 珍しい物、不明な事、まちがった呼称と事実」「第四部 茶の現在-人々と地球-」。
 「第一部 東から」は実質37ページ。「日本の読者には情報があふれている茶道についての解説など数章を割愛した」と「訳者あとがき」で触れられているのでなるほどと理解した。まあ、賢明なところかも知れない。日本人にとっては、茶とそれに付随する文化が西洋世界にどのように受け入れられていったかの方に関心があるだろうから。
 第一部は、中国文明の祖の一人で、神話上の皇帝である神農が茶を発見した物語と神農の著とされる『神農本草経』から語り始められる。「茶の始まりは医療用だったが、古代中国の薬草家や治療師による霊魂物資の探究には道教の萌芽があって、それが茶を単純な薬から、まさに聖なる飲み物にして不死の霊薬に祭り上げた」(p18)という。翻訳の副題にある「中国の霊薬」である。
 著者は、茶の聖人と言われる陸羽の生涯と彼の著『茶経』の内容に触れ、一方で岡倉覚三(=岡倉天心)著『茶の本』にも言及し、また、廬仝の『七椀茶歌』と称される詩も紹介している。この詩は私には初めて知ったことの一つだ。
 東洋における茶の文化として、唐初期以来の煉瓦状固形茶(磚茶)の生産が陸羽の時代には一般的だった。そして、現在でも中央アジアでは葉茶ではなく固形茶が一般的に飲用されているという。茶の広がりが文人たちの間で飲茶競技を生み出したこと、それが日本では鎌倉時代に「闘茶」として発展したことにも触れている。
 「日本の禅と茶の宗匠」の章では、臨済宗の開祖となった栄西が茶の種と粉末茶の製法を中国から持ち帰り『喫茶養生記』を著していること、村田珠光・武野紹鴎から千利休へと茶道が発展して行く経緯を簡潔に物語って行く。その茶道について具体的に触れた説明が割愛されているということで、それはたぶん日本人には良く知られている内容だからということだろう。
 この章の冒頭に、千利休が切腹して果てる前に書いたという辞世の偈が漢文の形でルビつきにして引用されている。本書原文はどういう形で記述されているのだろうかと逆に興味が湧いた。横文字の文中に漢文の偈がそのまま記述されているということはたぶんないだろうな・・・・。翻訳した説明文が記されているだけなのではないか、と。
 一方、この章の末尾には「秀吉の最も深い侘の精神は、彼自身が歌で示した茶の湯の定義に表れている」(p49)と記した後、次の歌を載せている。
  底ひなき心の内を汲みてこそ お茶の湯なりとはしられたりけり
私は豊臣秀吉が詠んだというこの歌を初めて本書で知った。そのソースは何だろうか。
また、なぜこれを原著者は章末にしたのか。

 秀吉の詠んだ歌を引用するブログ記事はいくつかあった。だが、どういう場面で詠まれたのか、この歌の出典は記されていない。鈴木大拙がどこかでこの歌を引用しているらしい。また、孫引きになるが、斉藤孝著『声に出した読みたい日本語』には、千利休の「四規七則」が取り上げられていて、「秀吉の『底ひなき心の内を汲みてこそお茶の湯成りとはしられたりけり』という歌に、利休は『茶の湯とは只湯をわかして茶をたてて呑むばかりなるものと知るべし』と教える」と書いているという。未確認なので読後から課題が残った。


 「第二部 西へ」
 ここは、欧米に伝搬された茶がどういう世界をそこに形成して行ったかを様々な局面から物語っていく。当然ながら茶を介して東西両世界の関係性の変転が説明されていくことになる。歴史知識として一歩踏み込んで初めて知ることも多く、興味深い。
 私流に要約すると以下のような話が具体的かつちょっと踏み込んだ形で説明されていく。
*1494年、教皇アレクサンデル6世が大西洋にトルデシャス線を制定した。それで、ポルトガル人が東へ旅し、略奪等の行為と併せ中国との交易から巨万の富を得る。海路を使い茶が西欧に搬入される契機となる。それを見たイギリスとオランダが、東インド会社を設立して後に続く。勿論、茶はそれ以前にシルクロードを経由して西欧に伝来しいる。
*1660年代、イギリスの名物茶商人トマス・ガーウェイが茶の効能を広告したという。これを読むと、まさに万能薬といわんばかりの宣伝文。おもしろい。
*イギリスではお茶が国民的飲み物になっていく。だが、最初にお茶を提供したのは喫茶店ではなく。コーヒーハウスだった。「最初のコーヒーハウスがオックスフォードに開店したのは1650年」(p73)その2年後、ロンドン初のコーヒーハウス”パスクア・ロゼス・ヘッド”が開店し、コーヒー・茶・ココアという当時目新しい飲み物を提供したという。*18世紀イギリスの中産階級の興隆とともに、ロンドンでプレジャーガーデン(社交庭園)が流行し、女性を常連客に取り込んで行く。たのしみには茶がつきもののため、ティー・ガーデンとも呼ばれるようになる。
*イギリスで茶は統制品で課税対象だった。その税率が上がると密輸と偽装茶が増大。
*イギリスに茶を伝えたのは貴族。砂糖入りの茶の消費という習慣に変えたのは労働者階級。砂糖はカロリーの供給源で、パンに添えた甘い茶が一日の主な食事となることも多かったという。砂糖の消費は、イギリス植民地での砂糖生産を促し、それが奴隷売買の増大に繋がって行く。
*もとはアラブ商人が陸路で中国磁器を西欧に伝えた。茶の人気が海路でヨーロッパに中国磁器を輸入することを促進した。磁器の重みは船底のバラストとして完璧。茶という積荷の防水用の台としても機能した。中国は磁器の材料・製法を極秘にしたが、1708年に、ドイツのエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスが磁器の秘密を解明した。
*アメリカのニューヨークはそれ以前ニューアムステルダムと称し、オランダからの入植者が茶の楽しみを知っていた。1664年にイギリス人がニューヨークに改称した。アメリカでの茶への熱狂に対し、1773年イギリスは「茶税法」を制定した。それが結果的に「ボストン茶会事件」を引き起こしていく。
*イギリスにおける茶の消費量の増大が、中国との間での慢性的な貿易の不均衡をもたらす。その解消に阿片の中国への輸出増大を図る。中国の拒否が、阿片戦争へと発展して行った。こじ開けられた中国に、他の欧米諸国が追随する。
*植物学者ロバート・フォーチュンは、イギリスの東インド会社に頼まれて、イギリス帝国のために茶発見の任務を帯び、茶のスパイとして行動し成功した。この経緯がおもしろい。
*北部アッサムがアッサム茶の一大産地になる背景に、スコットランド人のチャールズ・アレキサンダー・ブルースが居た。彼はこの地で東インド会社の茶栽培の監督官になった。茶栽培事業を商業化したのはアッサム・カンパニーである。
*コーヒー農園として栄えたセイロン島がコーヒー銹(さび)とも呼ばれるヘミレイア・ヴァスタリクスという破壊的なカビ病菌で壊滅する。その後、スコットランド人のジェームズ・テイラーが茶の栽培を試みる。その最初の商業向け農園が、1867年にテイラーが開拓した”No.7の畑”だという。セイロン茶の商業的達成に貢献したのはトマス・リプトンである。「農園からティーポットへ直送」をうたい文句とする販売戦略で成功物語を作り上げた。のちにリプトンとセイロンが同義化されるまでになる。
*東インド会社はほぼ200年にわたり、イースト・インディアマンと呼ばれた巨大商船を使い往復航海に1年あるいはそれ以上をかける茶貿易をしてきた。19世紀前半はクリッパー(快速帆船)の時代で片道3ヵ月ほどの航海期間に短縮。それがティー・クリッパーの時代と呼ばれるようになる。だが、スエズ運河開通と蒸気船によりクリッパーの半分の時間で往復する時代に移る。東インド会社の終焉となる。

 茶が西へ伝わり流行する経緯を、様々な視点から歴史を踏まえて物語って行く読み物になっている。

 「第三部」は茶に関わる雑学がおもしろく楽しめる。話材を取り上げておこう。
*茶を示す言葉のルーツを辿る話。ティー、テイ、チャ、チャイなど。
*茶を作る植物は椿の一種で、カメリア・シネンシスというものだけ。変種が存在。
*ハイ・ティーとロー・ティーという言葉の使い方を詳しく説明。
*MIF(ミルクが先)とTIF(茶が先)の論争紛糾を面白おかしく語る。
*ティーバッグは、トマス・サリヴァンが茶の試供品送付のコスト削減発想から発明。
*西欧で black tea と呼ぶ茶を中国では紅茶と。アールグレイ、オレンジ・ペコーの色の由来は?
*茶の名前の隣に記された頭字語(FOP,FTGFOP,SFTGFOP,CTCなど)は何のこと?
*茶鑑定人(ティー・テイスター)とはどんな人かを解説。
*茶葉と正しい淹れ時間、そして正しい水が軌跡を起こす。正しい水についての蘊蓄話。
*各種の茶に含まれるカフェインについて語る。原則的な情報を提示する。
*『茶経』『喫茶養生記』は茶の効能を説く。明恵上人は茶の十徳を言う。効能談義。

知らなかったことが多い! 茶の世界にまつわる話材ネタを仕入れるのには便利。第三部だけ読むのも・・・・おもしろいかも。

 「第四部 茶の現在ー人々と地球」で「現在」というのは、本書の出版・2006年当時の状況になる。現時点では少しデータとして古くなっているかもしれない。世界の茶の半分は中国とインドで生産され、一方大輸出国はケニアとスリランカだと著者は言う。ケニアが大輸出国ということは知らなかった。2004年の茶の総生産量は320万トンだったそうだ。インターネットで検索してみると、2018年は589万トンとなり、生産量過去最高を更新したという。著者は2004~2005年頃の茶農園労働者の実情をデータベースで論じている。そこには多くの問題が内在していると。当時から現在までにどれだけの状況変化があるのだろうか。気になるところだが不詳。翻訳書(新装版)にも触れてはいない。
 そして、「フエア・トレードの茶」と「有機農業茶」について論じている。最後に、アッサム茶に関わるジュンポー族の茶にあらためて目を向けていく。
 第四部は読者に考える材料を提示する形で本書を終えている。
 
 様々な視点に立ち、「茶の世界」について歴史を踏まえて現在を考えさせる一書である。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書を読み関心事項を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
茶経  :ウィキペディア
茶経 お茶の雑学  :「アサヒ飲料」
陸羽  :ウィキペディア
廬仝  :ウィキペディア
  本書で引用されている「筆を走らせて孟諌講が新茶を寄せたるを謝す」という詩が
ここに収録されている。(『七椀茶歌』「走筆、謝孟諌講寄新茶」)
茶の本 岡倉覚三 村岡博訳 :「青空文庫」
阿片戦争  :ウィキペディア
ボストン茶会事件  :ウィキペディア
ボストン・ティーパーティー事件  :「O-CHANET」(世界緑茶協会)
アッサム  :「お茶百科」(伊藤園)
アッサム州 :ウィキペディア
ダージリン :「お茶百科」(伊藤園)
ダージリン :ウィキペディア
西ベンガル州  :ウィキペディア
セイロン島  :ウィキペディア
紅茶見聞録 トップ・ページ :「日本紅茶協会」
  懐かしのセイロン紅茶
Type of Tea :「Mighty Leaf 」
BLACK TEA - 紅茶 :「Mighty Leaf 」
Tea/Black tea/Red tea どれが紅茶を指すでしょうか?:「Linguage 英会話はリンゲージ」
ロバート・フォーチュン  :ウィキペディア
フェア・トレードとは? :「FAIRTRADE JAPAN」(フェアトレードジャパン)
フェアトレードとは   :「シャプラニール=市民による海外協力の会」
有機栽培茶(オーガニック) :「ちきりや」
有機農業とは  :「北村茶園・茶の間」
激しい対照をなす侘びの数寄者   :「Wein, Weib, und Gesang」
#2734 イメージの力(4):言葉のイメージ化トレーニング July 16, 2014 [54. イメージ化能力と学力について] :「ニムオロ塾」
世界の茶生産量が過去最高を更新 中国人の飲用増加とインド・中東の人口増が拡大に直結、2018年は589万t  :「食品産業新聞社ニュースWEB」

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

『土に贖う』  河﨑秋子   集英社

2021-01-20 22:18:48 | レビュー
 この小説の読後第一印象をまず記そう。北海道の大地が自然を育む。その大地及び大地に向かう人々の営みの歴史をフィクションという形式を媒体にして記録に刻む。それを積み上げていく。そのことをテーマとした作品だなと私は受けとめた。明治以降の北海道の大地で生きた様々な人々の生き方。その生き様に関わる時代の変転。そこには人々を翻弄する時代の大きな動きがあった。大地と人々の営みがフィクションという形式で結晶化されている。それは事実の記録ではない。事実を踏まえて、フィクションを介することによる真実の記録といえるのではないか。大地に向かってささやかな生きるための営みを続けてきた人々の姿、公に語り残され、記録されることのない平凡な庶民が生きてきた営みの真実に迫ろうとしていると思う。
楽しい小説ではない。だが、人間の営みとその姿を感じる、北海道という大地を感じる上では有益な小説である。そこには庶民を翻弄した政治経済の動きに対する冷めた眼差しも内包されているように思う。

 本書は短編連作集である。7つの短編が収録されている。このタイトルは6番目に収録された短編のタイトルでもある。奥書を読むと、「小説すばる」の2016年11月号~2019年1月号に断続的に各短編が発表されている。収録されている最後の2つの短編は「温む者」と題して発表されたものが、「土に贖う」「温む骨」の2編に分けられたという。2019年9月に加筆・修正されて、単行本化された。2020年4月14日、第39回新田次郎文学賞受賞している。
 本書のカバーにも着目しておこう。目次の裏ページに「挿画 久野志乃『新種の森の博物誌』」と記されている。ネット検索で調べてみると、札幌市在住の画家の作品が装丁に使われている。北海道に生まれ、北海道を拠点に北海道と向き合いながら活動するという共通性があるようだ。

 さて、収録された短編の内容と読後印象を少しご紹介しておこう。

<蛹(さなぎ)の家>
 明治の開国以降、生糸は輸出品の主力製品として脚光を浴びた。ストーリーは明治30年を越した時点の物語。12歳の娘ヒトエが父・善之助の来歴を回顧する側面を織り込みつつ、自分たちの日常を語っていくことで、養蚕業の一面が浮彫にされていく。善之助は北海道開拓使のもとで札幌に績誠館という蚕種所を作り、新天地での養蚕技術研究に努め、養蚕を広めることに苦労しつつも一旦は成功していく。だが恐慌のあおりを受けるとともに、生糸が投機の対象になる局面の影響を受ける。さらに蚕を育てるための桑を確保する方策に失敗などで没落していく。ヒトエはその有り様を見つめる。
 北海道の大地と養蚕業、それに携わった人々の営みが描かれている。

<頸(くび)、冷える>
 冬、小さなボストンバッグだけを持ち見た目で影の暗い感じという男がタクシーの運転手に、野付半島入口に近い茨散(ばらさん)地域に行きたいと告げる。運転手は験の悪そうな客と胡散臭さを感じる。男はそこに随分昔に住んでいたと告げる。
 ストーリーは、昭和の時代にその地域でミンクを養殖しそれを兼田ミンク製作所に売ることを生業としていた男(孝文)の物語とともにミンク産業の盛衰状況を描いて行く。
 製作所の職人・辰老人が試しに作ったミンクのキーホルダーを孝文が貰う。それを近所の子供たち(姉・弟)にプレゼントする。だがそれを契機に思わぬ事態に展開していく。
 茨散沼近くで降りた男(修平)は、その地に謝罪に来たのだった。口に出せない、子供の頃に行った行為に対して・・・・。
 そこには子供にはわからない背景、修平の祖母の思いが関わっている。神国日本の兵士が北方の戦線で戦う為に毛皮が必要だったという背景に絡んだ思いが潜んでいたのだ。
 哀しいストーリー。

<翠(みどり)に蔓延(はび)る>
 北見地方でのハッカ草栽培とハッカ産業の盛衰を背景にした物語。ストーリーは昭和9年から始まり、ホクレンの精製工場閉鎖と共に事実上の大規模生産が終了するまでの期間を背景とする。
 リツ子はハッカ草の栽培にほぼ生涯関わった。リツ子の青春時代から結婚、出産、夫の戦死、子育て、息子夫妻との同居という一生が描かれる。農村の慣習。夫の不義への許せない思い。生活を支える柱となったハッカとの関わり。時代環境の変化が描き込まれていく。リツ子の世代と息子の嫁・早苗の世代との対比が興味深い。

<南北海鳥異聞>
 東北の山奥の寒村で育った弥平の物語。彼は子供の頃の怪我が原因で右脚が左より拳ひとつぶん短い。生来のきかん気で喧嘩を重ね村一番力の強い男子となる。寺近くの川で川海老を必要以上に獲りすぎるという行動を重ねる。見かねた住職に地獄絵図を見せられて説教されても怖がることもない。
 そんな弥平は東京に出た後、南の島”鳥島”でアホウドリの羽を採取する仕事に携わる。彼の仕事は鳥を撲殺することである。アホウドリを撲殺することに快感とやり甲斐すら感じる。その仕事でかなりの報酬を得るケースと騙され辛酸をなめるケースを経験する。
 この仕事の需要がなくなると、鳥を撲殺できる仕事を求めて北海道に渡ることに。北海道で鳥を獲るという話を聞く。鉄砲で白鳥を撃って羽を集めるという。それに加えてもらうが、鉄砲撃ちの邪魔をする結果になり、相手にされなくなる。弥平は単独で白鳥の撲殺をして金を稼ごうと行動する。それが彼の運命を決めることになる。
 著者は明治43年に羽毛貿易が禁止されたと最後に記す。羽毛獲得のために海鳥が殺され続けた時代の一側面を弥平の人生を通して描く。
 商品需給の経済活動の結果が保護鳥という制度に帰着した。

<うまねむる>
 土砂運搬のダンプカー運転手として札幌市内を走る鈴木雄一は渋滞の中に居る。対向車線に同型のダンプが見える。その前の馬一頭が引く廃品回収業者の荷車に気づく。それが契機となり、雄一は昭和35年江別市の木造の家『鈴木装蹄所』に居る自分と父の仕事を回想する。その回想は小学校時代の哀しい思い出に繋がっていく。学校が校庭の片隅に所有する畑を耕す時期になり、近くの大きな農家から馬を借りてプラウを扱い耕す作業を教師がすることになる。だがその作業の途中で馬に悲劇が起こる。
 北海道では、馬が運搬手段、農業の生産手段として、日常生活の中で人と馬の関係が深かった時代があったのだ。父が馬に蹄鉄を装着させる仕事の状景を回顧していく。さらに馬の死に向き合いその葬儀を行った人々の思いの濃淡が描き込まれていく。
 かつて日常生活として人馬共生の時代があったという記憶の一ページ。

<土に贖う>
 現在は江別市だが、昭和26年には江別町だったそうだ。レンガ工場があり、人々はレンガ場と呼んだという。野幌地区にある太田煉瓦工場が舞台となる。レンガを使う建築物の需要に沸き、多くの人々が雇われて目一杯働く状況が佐川吉正の視点を介して描かれて行く。佐川は下方の作業員としてレンガ製造工程を一通り経験した上で、頭目という名の現場責任者に任命された。10名いる頭目のうちで最年少。40人の下方を束ね佐川組としてレンガ干しと白地背負い工程を担当する。生産計画通りに作業が進行するよう監視するのが日常の仕事である。
 佐川の監視作業を中心にしながら、レンガ製造の原料採取から製品積み出しまで、当時のレンガ場の状況が日常生活も含めて克明に描き込まれていく。人間の手工業労働を主体にした重労働を伴う作業環境である。需要の増加は下方として働く人々の負荷として跳ね返る。
 ある日、佐川組の下方の一人が、残業時間が終わった後で突然死する。工場の医務室の医者は心不全と診断結果だけ語る。葬儀に臨む佐川とその顛末が描き込まれていく。
 「贖(あがな)う」について、辞書を引くと「①金品で罪をつぐなう。②うめあわせをする」(日本語大辞典・講談社)と説明されている。この短編としてのタイトルは、その2通りの意味で使われているように感じた。
 
<温(ぬく)む骨>
 佐川吉正には2人の息子がいた。吉正は己の子供に夢を託した。勉強をさせてやり、レンガ場の手を汚す仕事ではない綺麗な仕事に就くことを。父の期待通り息子たちは大学を出た。長男は運輸省に入り、次男の光義は道内で最大手の銀行に就職した。だが銀行は光義が45歳の時に倒産し、その後陶芸家の道に進んだ。光義は今や依頼されたものならば易々と喜ばれる品を作り上げられるようになっている。
 その光義は父がレンガ場でレンガ製造に使っていた野幌粘土に挑んでいく。野幌粘土9割、信樂土1割の土から始めて自分の思い通りのものを形成しようとする。だが、土を使いこなせないという状況に陥いる。その状況の中で光義は過去を振り返る。一方、妻の芳美との日々の会話が織り込まれていく。
 光義が「俺には芯がない」という自分の裡からの声に陶芸家としてのジレンマを抱く姿が描き込まれて行く。光義は試行錯誤の果てに、粗い土に誘われるようにオブジェを造形していく。初めて作ったオブジェに対し光義がどう感じ、どう扱うか。そこに光義の思いが込められている。また、そこには著者自身の思いが重ねられているように思う。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
企画展「NITTAN ART FILE インスピレーション」2015/12/12-2016/1/31 :「苫小牧市美術博物館」
  本書挿画の作家のプロフィール並びに絵が載っています。
第2回アドベントカレンダー(19日目)「養蚕事業の夢」
           :「道南ブロック博物館施設等連絡協議会ブログ」
ミンク :「HOKKAIDO BLUE LIST 2010 北海道外来種データベース」
北見ハッカ記念館・薄荷蒸留館  ホームページ
きたみの薄荷  北見ハッカ通商公式サイト
アホウドリ  :「日本の鳥百科」(SUNTORY)
アホウドリ 復活への展望  :「公益財団法人 山階鳥類研究所」
オオハクチョウ  :ウィキペディア
オオハクチョウ :「日本の鳥百科」(SUNTORY)
オオハクチョウの親子 Cygnus cygnus  YouTube
管内の国指定鳥獣保護区 :「北海道地方環境事務所」
ばん馬とどさんこ(北海道和種)のちがい :「Pacalla(パカラ)」
北海道の馬文化  :「北海道遺産」
牧場で馬が雪上走る恒例の「追い運動」北海道 音更町  :「NHK」
野幌  :ウィキペディア
赤れんが庁舎(北海道庁旧本庁舎)の紹介ページ  :「北海道」
北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎) :「ようこそSAPP?RO」

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

『グッドバイ』  朝井まかて   朝日新聞出版

2021-01-18 18:56:39 | レビュー
 嘉永6年(1853)6月末日、阿蘭陀(オランダ)の商船が長崎に入港する場面から始まり、明治17年(1884)4月、お慶が中庭の彼方の空を見上げ、遠くで海の音が鳴るのを聴いている場面で終わる。お慶というのは、長崎の油屋町で菜種油を商う大浦屋を継いだ女主である。この小説は幕末から明治初期という時代の転換期に長崎商人として進取の気性を発揮してその時代を駆け続けた女商人の一代記。併せて大浦屋お慶の生き様がこの時代の転換期に活躍した人々と深く関わりを持つ場面を描いて行く。そのプロセスを通じて、幕末から明治初期の社会情勢を鮮やかに切り取っている。勤王・佐幕の両極の立場で時代の転換に関わった人々の視点から描かれたものとは違う側面・視点を介して、読者にはこの時代と人間群像の姿が見えてくる。
 明確な事実情報のない空隙は、著者の想像力で紡ぎ出された創作が入っていることだろうが、大浦屋お慶とあの時代をとらえるにはフィクションの方がヴィヴィッドなところがある。一気に読み通してしまった。

 お慶は最初「お希以」と称したようだ。慶応2年(1866)が明けた時点で、元号にちなんで名を「慶」と一字で記すことにしたという。慶応2年は徳川慶喜が将軍職を継いだ年である。

 お希以は大浦屋の惣領娘として祖父に育てられた。祖父がお希以に先祖のこと、商いについて伝えた。祖父は油商の年寄り連中から出来物と讃えられた人だった。お希以の父は入り婿。母はお希以が4歳のときに死亡した。姉のお多恵は嫁いでいた。天保10年、お希以12歳の時に祖父が亡くなる。その4年後、隣町からの出火で大火事になり、土蔵一つを残し大浦屋も焼尽した。お希以の父はこの時、後妻とその間に生まれた子を連れて、逃げ出してしまった。大浦屋の家屋敷を建て直し、町内の町役の肝煎りで縁談がまとまるが、7日も立たぬところで、お希以から離縁を決めたという。そして、離縁して2年後の弘化3年、お希以は大浦屋の跡目を継ぎ、女主となる。
 大浦屋の商いを支えていたのは、祖父の代から勤める番頭弥右衛門だった。ご公儀から専売の許可を得て菜種油を上方から仕入れて売る商いは、地回りの菜種油が出回り始めると、商いが伸びなくなる。お希以は油種を増やすなどの提案をするが、弥右衛門は拒絶する。古いしきたりや決まりを楯にとる。
 こんな状況からお希以の商人としての生き様が始まって行く。祖父に連れられ、阿蘭陀商船の長崎・出島への入港を見続けてきた。お希以の夢は阿蘭陀商船との交易を己の手でしてみたいという事だった。勿論、そこには番頭弥右衛門をはじめ、様々な商慣習や制度上の障壁、さらにはお希以が女であるという障壁があった。
 このお慶一代記は、この時代背景から始まっていく。お慶の進取の気性と彼女の商人道における信義が鮮やかに描き込まれていく。お希以が己の道を歩み始めるに伴って、長崎という土地柄・風土と彼女の気性が、様々な人々との交流を広げ深めて行く。そこがおもしろい。

 この小説の読みどころを列挙してみよう。
1. ご公儀認可の油商という仲間組織の商慣習、実態とその渦中に居るお希以の立場の描写。お希以の反発心と行動がおもしろい。阿蘭陀商館との交易の仕組みも油商たちの寄合での話材として描かれる。

2. 円山・月花楼での寄合の後お希以は懇意にしている女将・お政の部屋を訪れる。先客が居た。お政から、彼は品川藤十郎という通詞で、コンプラ商人の扱う脇荷に絡む仲介をしているということを聞く。そして、お希以はお政から阿蘭陀への土産物リストの品々の調達を任される。コンプラ商人が許可を得ておこなっている脇荷といういわば副業の存在をお政から知る。そして、土産物リストの品々を調達するという当面の頼まれ事への取り組みが、お希以の商人の勘を開眼させる。
 つまり、交易とは、阿蘭陀商人から外来品を購入し売るということだけでなく、日本の品々を阿蘭陀商人に売るという反面があること。脇荷という手段が交易の手がかりにならないかという発想である。
 このプロセスがお希以とってエポックメーキングとなっていく。

3. 土産物リストに「茶葉」という一項があった。茶葉といっても種類が色々ある。そこから、お希以は「茶葉」を交易できないかという商いに焦点を絞り込んでいく。その手だてを思案し、通詞品川を介して発注主のテキストルを知る。彼は船乗りだったが、茶葉の見本を預り、商人に仲介することをお希以に約束した。この約束が長い時間を経た後に芽吹いていく。3年後、通詞見習の西田圭介が、ヲルトと称する英吉利(イギリス)商人を伴い大浦屋を訪ねてくる。それがお希以にとって独自に「茶葉」交易の道を歩み始める契機になる。
 弥右衛門は頑として反対の立場を取る。菜種油の商いに専心して大浦屋を守る。一方、弥右衛門の指示を受けた友助、それにお希以の身の回りを世話してきたおよしがお希以の手足となって行く。
 お希以が茶葉商人として成功するまでの紆余曲折のプロセスが最大の読ませどころである。
 明治12年6月、亜米利加(アメリカ)の前大統領、グラント将軍が世界旅行の一環で長崎に寄港したとき、お慶は艦上での夕食会に招待された。日本人で初めて茶葉交易を開始した功績を認めての事だという。著者はその場面を描き込んでいる。

4. お希以の茶葉の商いの拡大は、一方で長崎と出島における時代の変化を背景とする。外国人商人たちの活動の広がりはもちろん江戸幕府が諸外国に迫られた通商条約などの政情の動きの反映である。著者はこの状況を、長崎に住むお希以という商人の視点から点描していく。出島が自由に出入りできるようになる。また外国人居住地が拡大する。その典型例はガラバア邸である。外国人の長崎での行動範囲がまず広がって行く。
 お希以がガラバア邸に招かれた交際の場面などが点描される。
 お希以は義兄から借りた『蛮語箋』を手がかりに阿蘭陀語の独学を始めていた。
 本書でガラバアやヲルトと表記されているのは、たぶんお希以の視点からオランダ語としての当時の発音表記を使っているのだろうと思う。ガラバア邸はグラバー邸のことである。
 お希以を介して外国人商人との交流風景が点描されているところは、当時の雰囲気や時代環境を感じる助けとなる。

5. お希以の茶葉交易の活動が軌道に乗り始める一方で、お希以は長崎に滞留する勤王派の人々との交流を深めていく。著者はその様子をストーリーの中で点描していく。
 大浦屋の敷地に、お希以は茶葉を加工するファクトリ(製茶場)を設け、季節雇いでなく年中奉公する女衆のために棟割長屋も普請したそうだ。製茶場の二階は茶葉置き場である。だが、その一画の部屋を亀山社中の連中などの寝泊まりに提供していた様子が点描されていておもしろい。才谷梅次郎(=坂本龍馬)、長次郎(=上杉宗次郞)、大隈八太郎(=大隈重信)などの名前が飛び出してくる。また、かなりの額の資金面での助力も行っているようだ。その事例が描き込まれている。読者としては興味深い。
 後に、お慶には女志士という評判ができていたと著者は書き込んでいる。女傑である。

6. 大浦屋お慶の人生は順風満帆だった訳ではない。慶応期以降にマイナス面も現れてくる。この側面もまた、お慶という人物を知る上で重要なものとなっていく。
 一つは、軌道に乗っているお慶の茶葉交易の大浦屋に、齢70あたりになった父がさも当然の如く亥之二と称する息子を伴って舞い戻ってくるのだ。亥之二はお慶にとり初めて会う腹違いの弟になる。
 もう一つは、明治に入り、横浜経由で静岡茶の交易が拡大するにつれ、お慶の営む大浦屋の茶葉交易の出荷量が阿落ちて行くという状況が起こる。そんな状況の中で、かつてお希以が世話になった品川藤十郎と熊本藩士で長崎藩邸詰めだったという遠山一也が訪ねてくる。それは煙草葉交易の商談にからみ、契約の成立には長崎の商人の請判がいるという。いわゆる保証人を引き受けてほしいという類いである。これが実は詐欺行為だった。諸状況から引き受けたお慶は、その結果、お慶と大浦屋は辛苦をなめる逆境に立たされていく。この事態のプロセスでのお慶の商人としての対処が読ませどころといえる。商人道としての信義を尽くす姿が克明に描かれて行く。

7. お慶の人生の最終ステージで新たな事業への関与が生まれてくる。それらは苦労があるが成功あるいは成果につながる。この顛末もまたお慶という人物を知る上で興味深い。
 一つは、茶葉交易の最初の段階でお希以が関係を深めた井手茂作与四郎が、旧幕時代海軍伝習所で学んだという杉山徳三郎を同道し訪ねてくる。杉山は政府が払い下げる予定の横浜製造所の購入に応募し、船のボイラア製造を始めたいという。技術面は杉山が担い、経営面をお慶に担って欲しいという要望なのだ。お慶の名は岩崎弥太郎が出してきたという。この払い下げの件は、主管として大隈重信が関与していた。畑違いの事業にお慶がどのように対処していったかがおもしろい。
 この時期に、横浜に移住し貿易商となっていたテキストルとの交流が深まるというエピソードも出てくる。
 もう一つは、佐野商会の佐野弥平が「高雄丸」という鉄製蒸気船の払い下げ購入への共同出資の打診に大浦屋を訪れるという話である。これがお希以の幼き頃の夢を想起させることになる。

 波乱万丈の大浦屋お慶の人生が、幕末から明治初期という時代背景と大きく絡みながら大きなうねりとして描き出されていく。そこには忍耐と飛躍、順境と逆境、人の絆の絡み合いなどが織り交ぜられていく。激動の時代が大浦屋お慶を創り出したとも言えそうである。読者を引きこむ読ませどころが各所に盛り込まれている。
 このストーリー、映画化されたら、あの時代を感性で受けとめる局面を下敷きにして、一人の女商人の生き様が見どころとなる興味深い作品になるのではないだろうか。こんな女性があの時代に居たのか!と。

 ご一読ありがとうございます。
   
本書からの関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
直木賞作家が書く 幕末の日本経済を支えた女商人とは :「BOOKウォッチ」
 出版界の最重要人物にフォーカスする「ベストセラーズインタビュー」。
朝井まかてさん「グッドバイ」インタビュー 風月同天、いつもお慶の心に:「好書好日」

長崎の女傑 大浦慶  発見!長崎の歩き方 :「長崎Webマガジン ナガシン」
大浦慶の写真  :「幕末ガイド」
出島 公式サイト
  出島の歴史
出島の商館 江戸時代の日蘭交流 :「国立国会図書館」
オランダ語の学習 江戸時代の日蘭交流 :「国立国会図書館」   
    『蛮語箋』の写真と説明が載っています。
九州のお茶  :「茶幸庵」
日本の近代化に貢献したグラバー  :「あっ!と ながさき」
龍馬とグラバー交遊録       :「あっ!と ながさき」
グラバー園 ホームページ
  ウィリアム・オルトについても解説あり 
史跡 花月 長崎県の文化財  :「長崎県」
製鉄局関係大浦慶・杉山徳三郎間契約書 :「古典籍データベース」(早稲田大学図書館)
杉山徳三郎出品の蒸気機関  :「博覧会 近代技術の展示場」
杉山徳三郎、平野富二の朋友 :「平野富二」
高雄丸(日本海軍) :ウィキペディア

大浦お慶プロジェクト ホームページ(男女参画・女性活躍推進室)

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『落花狼藉』  双葉社
『悪玉伝』  角川書店
『阿蘭陀西鶴』  講談社文庫
『恋歌 れんか』  講談社
『眩 くらら』  新潮社

『駐在刑事』  笹本稜平  講談社文庫

2021-01-17 22:07:09 | レビュー
 まずタイトルがおもしろい。駐在といえば駐在所、刑事は刑事、なぜその2つが繋がるのか? そこから始まるストーリーである。
 駐在所は東京都の北西端、奥多摩の山里。青梅警察署水根駐在所をさす。刑事とは、警視庁捜査一課第四強行犯殺人犯罪捜査第七係に所属していた刑事をさす。桜田門の花形刑事。十数年の刑事人生を過ごしてきた江波敦史である。その江波が水根駐在所の所長に転身する羽目になった。左遷である。バツイチになっていたので、奥多摩への単身赴任だ。
 なぜ、左遷? 警察庁から出向してきたばかりで、野心満々、いち早くマスコミに顔を売りたい思惑を持つ加倉井管理官が、動機だけが決め手の見込み捜査、状況証拠だけの状況で突っ走ろうとした。江波は被疑者の取調べを買って出た。それは、被疑者の女がシロと直感していたので、冤罪に陥れる可能性を排除したいがためだった。だが、取り調べでのちょっとした休憩中にその女が所持していたキャメルのパッケージを口にあて何かを呑み込んだ。青酸カリによる服毒自殺だった。内部調査で江波に過失がないことが立証されたが、江波はトカゲの尻尾に遭う立場だった。江波を譴責処分にした上で所轄の刑事課へ異動の内示が出された。江波は刑事という職に魅力を無くし、他部署への異動を訊いた結果、水根駐在所に異動するという経緯となったのだ。

 本書は短編連作集となっていて、6つの短編が収録されている。駐在所長江波が奥多摩で発生する事件について、駐在所警察官の職務を果たしながら、刑事の視点と感性を活かして事件の解決に取り組むという内容である。一方で、山里での人々とのふれあいのある暮らしに馴染んで行く。刑事ではなく、生身の人間として生きるという意味を見出していく。

 この連作を読み終えて、本書にはいくつかの特徴があると感じた。箇条書きにしてみる。
1. 東京都における奥多摩が対比的に位置づけられ描かれる。都会に欠落した人間関係の側面も含めて、奥多摩の景色・風土がストーリーの背景に色濃く織り込まれていく。
2. 刑事人生から駐在所の警察官に転身した江波の警察官人生での価値観の変容を描き込む。奥多摩の自然、人間関係が江波の癒やしに繋がる局面を含めて、生身の人間としての江波の側面をも描き込む。
3. 奥多摩という土地柄、事件に山岳場面が関わる形になる。事件の捜査プロセスに山岳での行動描写が色濃く反映していく。都会での事件とは一味異なる捜査プロセスの描写となる。山岳小説の局面が加わり、プロセス描写が警察小説と山岳小説の合わせ技となっていき、結構楽しめておもしろい。
4. 江波が、事件に対しては駐在所警察官の立場・役割を果たすという行動に加えて、刑事の目線と感性を働かせていく結果となる。刑事の立場で事件に関われない江波が、事件にどのように対処していくかが描き出されて興味深い。
5. 捜査本部が立つ事件には、当然警視庁の管理官や刑事が関わってくることになる。このとき、因縁のある加倉井管理官や江波のかつての同僚である南村刑事が関与してくるという設定になっていておもしろさを加える。加倉井は常に攪乱要因となる。

 さて、収録された各短編を簡略にご紹介しておこう。

<終わりのない悲鳴>
 駐在所勤務の非番・休日に、江波が石尾根の中央部へ突き上げる水根沢谷の左岸の水根沢林道を登って行く場面描写から始まる。その途中で人の悲鳴に似た鋭く甲高い音が谷のどこかから響く。江波が駐在所に転身した経緯をそれが思い出させることに。これは上記に繋がる背景描写となる。一方、この連作ストーリーを自然な経緯として読ませる導入部となる。
 駐在所の向かいにある池原旅館の主人・池原健市から携帯電話に連絡が入る。竹田千恵子という宿泊客が鷹ノ巣山登山に出たまま戻って来ないのだという。健市は息子の孝夫とともに、後を追い捜索に加わるという。
 江波は休日登山を返上し、遭難の可能性を踏まえた捜索に切り替える。
 江波ら3人は水根沢谷の沢床まで下り、滝の落口の岩棚で竹田千恵子の赤いザックを発見。滝壺に降りて頭にひどい怪我をしている死体を発見する。自殺か他殺かあるいは事故死か? 明朝、行政解剖が行われる予定で捜査活動が始まって行く。
 加倉井管理官の思惑捜査で、殺しの匂いがするからと南村巡査部長が乗り込んでくる。尚、江波は南村と捜査一課時代には同じ班に所属していたので、人間関係は良好であり南村とは連携プレイがうまくいく間柄だった。南村との連係プレイが活きる。
 江波の駐在所長としての環境が良く分かる設定になっているので、導入ストーリーとして巧みな位置づけになっている。

<血痕とタブロー>
 小学校5年生で、水根ストアの一人娘の真紀が江波に相談事を訴えてくる。島本のおじいちゃんが変だという。普段の応対と違い、気になるのだという。島本は有名な画家で集落のはずれの古民家を購入し一人暮らしを始めた人物。頑固で偏屈な性格なのか、地元の大人たちとは付き合いがない。子供たちとは付き合っているという。
 江波は真紀をパトカーに便乗させて島本の屋敷を訪ねた。屋敷内には誰も居ず、奥の間の八畳ほどの和室の畳に直径2mほどの血痕が残されていた。
 真紀は春休みに入った日に島本の家を訪ねたがそのとき初めて見る外人が訪れていた。その日、島本は真紀にすぐ帰れと言い、普段とは違ったという。真紀は江波にその外人の特徴を説明した。
 特異家出人の扱いでまず現地対策本部ができ、捜査が始まる。奥多摩湖畔公園付近で血のついた庖丁が発見される。さらに、その後三頭山近くで道に迷い下山中の登山者が、疲労凍死と思われる遺体を発見したという連絡が入る。その遺体は真紀が語った外人の特徴を備えていた。所持品からバーナード・ナカノと判明。バーナードは島本画伯が彼の父の画風を模倣し有名になったと主張していたのだ。事件の捜査は思わぬ展開を見せていく。 タブローという用語を知らなかった。辞書を引くと「①[板・カンバスにかかれた]絵 ②仕上がった絵画作品」(新明解国語辞典・三省堂)という意味だった。

<風光る>
 7月の最初の日曜日、石尾根縦走路を登山する江波が、登山道に小型の手帳が落ちていることに気づく。見返しに矢島遼子という氏名と連絡先が記されていた。登山道の先で眺望の開けた路肩に立つ女性登山者を江波が見かけた。その女が手帳の落とし主だった。だが、後日その矢島遼子とはある事件で縁ができることに。
 2日後、駐在所の前が騒がしくなる。水根沢谷に山菜採りに行った池原健市が、ワサビ田の近くで内田省吾が倒れているのを見つけたという。パジャマ姿で足は裸足。泥と埃にまみれた素足に擦り傷や切り傷があった。池原が内田を病院に運ぶという。この時、内田の娘が矢島遼子だったことがわかる。
 翌日、再び省吾が行方不明という連絡を江波は遼子から受けた。江波は遼子と一緒に省吾の捜索を始める。林道を登る途中で、江波は向こうから下りてくる男に出会う。地元で悪評のある熊井政男だった。
 ワサビ田の傍の作業小屋で遼子の父・省吾は「知床旅情」を歌っていた。その近くにスコップがあり、それには血糊がついていた。ワサビ田には20歳そこそこの青年が頭蓋骨を割られた状態で死んでいた。
 スコップに残された指紋から省吾が被疑者とみなされる。青梅署に特別捜査本部が立つ。江波は遺体発見時の状況説明に呼び出されることになる。南村が再び加倉井管理官の指示で乗り込んで来ていた。
 老人性鬱病が疑われ、徘徊癖のある内田省吾が被疑者だが、本当に殺人犯なのか?
 江波は南村とともにこの状況打開に挑んでいく。江波は刑事の視点で状況と証拠並びに情報を分析し始める。そして、南村から得た情報を踏まえてある考えがひらめいた。
 事件解決の決め手に一捻りの背景が加えられていておもしろい短編になっている。

<秋のトリコロール>
 この短編もタイトルで私はつまずいた。トリコロールって? 辞書を引くと、「(三色の、の意)三色旗。特にフランスの国旗」(日本語大辞典・講談社)とある。フランス語である。この短編では、「山肌を覆う紅葉の錦、頂稜を飾る新雪の白、その上の空の青の組み合わせ」(p209)の三段染めを象徴した言葉として使われている。
 この短編、大学山岳部のOBである池原孝夫の指導で江波が北鎌尾根を縦走し槍ヶ岳を登攀するという行程を描くプロセスに比重がかかった山岳小説の趣がある。この短編連作集の中で、私が一番感動した短編がこれ!
 この短編が一味違うのは、池原と江波の山行に、途中からもう一人少年が加わる展開になることだ。千丈沢と天上沢の合流する千天出合の近く、右岸への渡渉ポイントの中ほどの岩にずぶ濡れでしゃがんでいる登山者を孝夫が発見した。一人で来た中学生で北鎌尾根にいくつもりだという。その少年の装備を見て、孝夫は下山するように説得する。だが、下山するふりをして、少年は後から孝夫と江波のキャンプする地点まで登ってくる。
 少年に気づいた江波は孝夫の同意を得て自分たちのテントに受け入れることになる。ここから3人の山行が始まる。少年には北鎌尾根に向かう切実な理由があったのだ。それは一種の事件とも言えるものに起因していた。少年は山行のプロセスで、少しずつ心の内を明らかにしていく。また、孝夫は少年の名前を聞き、少年の登山行動を観察していてある事実に気づいていく。一方、江波は警察官魂を発揮していく。
 少年の念願は達成される。江波の推理が成果をあげた。
 勿論、江波の目標である槍ヶ岳登攀も達成された。ぜひ、読んでほしい短編だ。

<茶色い放物線>
 ラプラドールレトリーバーの雑種とみられる若い成犬の雌がいわば主人公になる短編である。真紀たちが小学校に紛れ込んだ犬を発見する。その犬を彼女たちは「プール」と名付けた。そのプールを江波は駐在所で預かる羽目になり、犬と同居する結果に。
 この犬、介助犬としての訓練を受けていた。なぜ奥多摩に紛れ込んだのか・・・・。
 ある日、プールをパトカーの助手席に載せて江波は朝のパトロールに出かけ、青梅街道を西に向かう。室沢トンネル近くで路肩に駐車する黒塗りの古いセドリックと黒ずくめの服装の男に出くわす。江波の問いかけに対し、男は職務質問へと展開するのを嫌う感じだった。江波は胡散臭さを感じるが、車のナンバーを記憶しただけでその場を去る。パトカーに戻ると、プールの様子が変だった。黒づくめの男に怯えているような感じだったのだ。
 そのプールが誘拐されてしまう。江波はセドリックの自動車ナンバーの調査をしてある糸口を得る。一方、図書館司書として勤務する遼子は、図書館で調べた介助犬関係の有力な情報を入手してくる。少しずつ、プールの周辺で起こってきた数々の事件の状況が明らかになっていく。
 真紀が行方不明になるという事態が発生する。勿論江波は真紀の捜索と救助に邁進していく。
 このストーリーのエンディングがおもしろい。プールが名誉巡査部長の徽章を授与され、警視庁公認の駐在所勤務になる。めでたしめでたし・・・・・。

<春風が去って>
 この短編からプールは江波の相棒としてパトカーに乗るようになる。
 パトロール中に、坂本トンネルの近くで事故車両という無線の連絡が入る。江波は指示を受け現場に向かう。事故を発見し通報したのは、池原孝夫だった。その車は青梅市在住の田所の車と判明する。さらに、警察に届け出が出ていて、近隣のホームセンター駐車場で盗まれたようで、7歳の息子も行方不明だという。車に血痕は見つからなかった。
 車の窃盗と子供が誘拐された可能性を踏まえ、青梅署に捜査本部が立つ。南村が青梅警察署刑事課強行犯係長として異動してきていた。警部補に昇進し異動してきたのだ。これが着任早々の事件だという。加倉井管理官の息がかからない所轄に逃れてきたという南村の甲斐無く、この事件にまたもや加倉井管理官が乗り込んでくる。このところは、読者を楽しませる設定になっている。
 目撃証言は得られない。加倉井は大規模な山狩りを発案し、その計画作成を江波に指示する。情報がない状況で捜査活動が不穏な方向に傾き出す。
 一方、鑑識の報告では事故車の中から犯人につながる痕跡は一切得られなかった。
 江波と南村は被害者田所の家族構成についての報告を聞き、すっきりしないものを感じた。山狩りの指示は田所が言い出したことに加倉井が乗った様子である。
 江波が朝のパトロールに出ようとしたとき、遼子から近隣の心配事の連絡が入る。そのことが捜査状況を大きく動かすことになっていく。江波は己の行動を選択する必要性に迫られる。
 意外な事実が明らかになる。一つの家庭内で起こっていることは、外見からは見える部分と見えない部分がある。そんなよくある原因を核に、意外な構想のストーリーとして展開していく。

 文庫本の奥書を読むと、『小説現代』に2004年~2006年にかけて断続的に発表された短編が、2006年7月に単行本として刊行され、2009年9月に文庫本化されている。
 
 「あとがき」にこの小説を書き始めた意図を著者自ら記している。
 「厳しさよりも優しさ、傷みよりも癒やし---。人と自然が対峙するのではなく共生するような、そんな穏やかで小さな世界での人々の心のふれあいを縦糸に、それでもなお人が絡めとられてしまう犯罪という不条理を横糸に、山里の駐在所に赴任した元刑事の魂の再生を描く---。」(p406-407)
 著者の目論見は成功していると思う。

 ご一読ありがとうございます。

この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『漏洩 素行調査官』  光文社文庫
『山岳捜査』  小学館
『公安狼』   徳間書店
『ビッグブラザーを撃て!』  光文社文庫
『時の渚』  文春文庫
『白日夢 素行調査官』  光文社文庫
『素行調査官』  光文社文庫
『越境捜査』 上・下  双葉文庫
『サンズイ』  光文社
『失踪都市 所轄魂』  徳間文庫
『所轄魂』  徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
『遺産 The Legacy 』  小学館

『大江戸火龍改』 夢枕 獏  講談社

2021-01-16 22:53:14 | レビュー
 「火盗改」とも呼ばれる「火附盗賊改」という役職は知っていたが、「火龍改」という名称は見聞したことがない。本書のタイトルを見て、まずこの名称が目にとまった。そして表紙のイラスト。イラストが目を引きつける。暗黒を背景に、相貌は青年、髪は白く、頭の後ろで無造作に赤い紐で縛り、その長い髪を風に靡かせている。紫の縁取りのある道服の様なものを着流し、右手には赤い杖を軽く握る。杖頭には赤龍が巻き付いている。腰にたぶん短刀を帯び、背に絃楽器を担っている。この楽器、本文を読むと、二胡という名称が出てくる。小刀も二胡もおなじ赤色。前面に奇妙な動物の体躯の一部が描かれている。これも赤い。たぶん手に取りたくなるカバー絵である。

 冒頭に「火龍改(かりゅうあらため)の語(こと)」という見開き2ページの小文がある。ここに、著者は「火龍改」は通称で、正式には「化物龍類改(けぶつりゅうるいあらため」」というと記す。その上で、「江戸幕府が定めた組織や役職にはこの名がない」「このことは『徳川実紀』にも記されていない」と説明する。つまり、江戸時代を舞台に、著者が創作した役職であり、創作した正式名称を自ら解説する形で、この小説が、いわば空想怪奇小説の類いであると位置づけているものと受けとめた。著者による晴明シリーズは未読だが、まあそちらに近いジャンルにあると思われる。楽しみながら気楽に読める奇想天外含みのエンターテインメント・ストーリーである。

 短編3、中編1の4つの連作集になっていて、末尾に「あとがき」と題し、直近の著者の心境を語る一文が載っている。皮肉を込めた社会批評絡も少し含めた語り口がおもしろい。著者の心境から憶測すると、これからますますおもしろい作品が上梓されそうである。
 それでは簡単に収録作品の読後印象等をご紹介してみたい。

<遊斎の語(こと)>
 表紙カバーに描かれたのが、このストーリーの主人公・遊斎(ゆうさい)である。
 この短編、まずは遊斎のプロフィールを語る。せいぜい30代後半、大江戸の人形町の鯰(なまず)長屋に住む。狭い部屋には、所狭しと様々な奇怪なものが転がっている。遊斎は近くの子供たちには慕われている。
 長吉・松吉・次郎助が遊んでいて、長吉・次郎助が相撲を取っているときに、長吉持参の焼いた唐芋を松吉が喰ったのだろうという嫌疑がかけられる。この短編は、遊斎がその嫌疑を解いてやるというエピソードである。なんと真犯人は「土鯉(どごい)」だと遊斎が子供達に示してやる。このプロセスがおもしろい。さらに、大工・治平が身体がむずがゆくて弱りはて、遊斎に助けてくれという。遊斎はその正体を呑蟲(どんちゅう)だと見極め対処してやるという話がつづく。こちらもその診断分析と対処プロセスがおもしろい。怪奇な物を登場させ、遊斎を読者に印象づける。

<手鬼眼童(しゅきがんわらわ)>
 日本橋で呉服を商う古い大店・岡田屋の主人、五十代半ばの幸兵衛が鯰長屋の遊斎を訪ねくる。怪(あやかし)を鎮めてほしいと心配事の相談に来たのである。岡田屋に奉公に来て、今年10歳になる千代松に物の怪が憑くことから話が始まる。岡田屋幸兵衛の話を聞き、遊斎は岡田屋の奥座敷に出向き、怪奇現象の謎解きをする。そこには幸兵衛の妻・峰と番頭の伊之助が関係していた。遊斎は「手鬼眼」は灸のつぼの名前だという。千代松には生き霊が取り憑いていたのだ。
 遊斎は幸兵衛に『千金翼方』という書の記述を引用して説明をする。調べてみると、この書は実在するようだ。

<首無し幽霊>
 この短編では、連作中の主な登場人物に与力の間宮林太郎が加わる。彼は火附盗賊改の領域を扱う。怪奇現象が事件に絡むと遊斎を引き出すという関係にある。ここでは遊斎の住まいに顔を出した程度だが。
 長門屋六右衛門が遊斎の注文品である特別誂えの懐中振出し竿を鯰長屋に届けに来る。二人の間で釣り竿談義が始まる。釣りに絡む蘊蓄が語られるのが興味深い。ここでも実在する釣り関連古書2冊が登場する。話材として古書の著者解明が行われている。釣り好きファンには興味が深まるところかもしれない。
 このストーリーの本筋は、実はこの古書の上梓に絡んでいくというもの。『漁人道知邊(ぎょじんみちしるべ)』の著者玄嶺の実名が六右衛門により明かされて、その人物の悩み事を遊斎が解決する。吉良上野介義央が関係してくるという意外な展開に進むところがおもしろい。
 釣りを趣味とする著者はこの短編を楽しみながら書いたのではないかと思う。
 この短編を読み、未読の『大江戸釣客伝』を読んでみたくなった。小説のジャンルはたぶん全く違うだろうけれど、釣り談義がどのように展開しているのだろうか・・・・と。

<桜怪談>
 ページ全体を使うイラスト挿画が6ページあるので、実質178ページの中編と言えるだろう。このタイトルで示される通り、怪談話が展開していく。
 桜が満開の品川の御殿山で、大店「ありた屋」の一行が桜見を兼ね、桜の古木の下で茶会をしている。そこで怪奇現象が起こる。ありた屋の内儀・お妙が突然、桜の花の中に引き揚げられ何物かに噛み殺され、花の中で喰べられてしまう。毛氈の上に首だけが落ちてくるという事件である。

 この御殿山には、江戸で人気の飴売りの土平が来ていた。土平がこの連作の主な登場人物の一人に加わる。土平は遊斎にとっては巷の情報収集係の役割を果たす立場になる。彼は傀儡師。操り人形を駆使して情報収集をする能力を持つ飴売りである。
 土平が動き回って情報を収集し、遊斎がそれら情報を土台に情報を整理分析し、推論し仮説を立てる。求めに応じて現場に赴き、さらに情報を収集した上で、己の仮説の検証をして、怪奇事象の解明・解決をしていくというストーリー展開になる。
 与力間宮林太郎に加えて、浪人で剣に熟達した如月右近が遊斎に助力を頼まれて加わることになる。そのため、如月という人物を浮彫にする場面も織り込まれていく。この挿話部分自体もいわば短いサイドストーリーとして読者を楽しませる。

 この中編のストーリー展開プロセスに古典の知識情報が様々に織り込まれてきて想像世界の奥行を広げて行くところが興味深い。古典関連としては、次のものが遊斎の知識背景として語られていく。能の『蝉丸』-逆髪が出てくる能-、市川團十郎の演じる『雷不動北山桜』の”毛抜”、ヨハネス・ヨンストン著『鳥獸虫魚図譜』-龍の項ー、などである。一方、怪奇事象に著者は「犬神法」という呪法を織り込んでいく。
 もう一つ、主人公の遊斎が蘭学者で博学の平賀源内と懇意な間柄にあるという設定となっている。途中からスポット的に登場する平賀源内がこのストーリーの中でどのような役回りとなるのかという関心を読者に与える。
 ありた屋内部の複雑な人間関係を題材に仕立て上げられた怪奇小説である。
 
 副産物としては、所々に奇っ怪な動物がイラスト図で挿入されていておもしろい。

 奥書を読むと、3つの短編は『小説現代』に断続的に発表され、中編は「WEB小説現代」に連載されたもの(2018年4月号~10月号)。2020年7月に単行本として出版された。

 この火龍改のシリーズがこれから続くことを期待したい。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書を読み関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
重刻孫真人千金翼方 30巻序目 :「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
何羨録(かせんろく)  :「釣り文化資料館蔵出しブログ」
『日本釣漁技術史小考』解題 / 山口和雄 :「渋沢敬三アーカイブ」
釣魚秘伝集 大橋青湖 編 :「国立国会図書館サーチ」
ヨハネス・ヨンストン  :ウィキペディア
ヨハン・ヨンストン 「鳥獣虫魚図譜」  :「アリア」
経絡図とツボ  :「翁鍼灸院」
平賀源内  :ウィキペディア
平賀源内の世界 :「平賀源内記念館」
演目事典 蟬丸 :「the 能.com」
蟬丸 :「能絵をみる」
毛抜 :「歌舞伎演目案内」
大阪松竹座『雷神不動北山櫻』市川海老蔵 :「歌舞伎美人」
犬神  :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』  角川書店

2021-01-12 14:19:48 | レビュー
 「ブラタモリ」はNHKの定番番組になっている。数年前にあるところで雑談していてこの番組のことを聞き、それ以来興味を持ち、土曜日の放映を見始めた。その番組の内容が本にまとめられている。本の出版について知ったのは遅ればせながらつい先日だ。手に取った最初の本がこれ。シリーズの第10弾である。標題の一行が長くなるので省略したが、本書はNHK「ブラタモリ」制作班の監修による出版である。
 インターネットで調べてみると、現時点(2021.1)で第18弾まで出版されていて、一番最初が2016年7月、本書が2017年9月。最新の第18弾は2019年3月の発行のようだ。

 番組放送の内容を視聴すると、探訪先の現場レポートが臨場感に溢れているし、現地の風景に見とれたり、画面の特定の対象に目が行ったりして、その場面での説明を聞き逃したり、即座に理解できなかったりすることがしばしばある。番組放送は流れていくので、後戻りできない。
 勿論、その気なら自分で録画もできる。インターネットで調べると、ブラタモリの動画を有料のオンデマンドでも見られるシステムがある。後で動画を見ることもできるようになっているので、その気であれば動画次元での再確認の手段はある。

 だけど、である。音声と画面に表示される文字だけで視聴するのと、本として活字化され、写真やイラストなどが掲載されたものとの違いがやはりある。本では番組放送視聴の臨場感には欠けるが、その内容をじっくりと理解するのには便利である。なにせ番組意図の要点、エッセンスが編集されて簡潔な文章で説明されているので、理解が促進される。本の利点は一部文字入り・音声付き映像と違って、時間に沿って流れないことにある。ページの説明文の途中で立ち止まり考えたり、関連個所に後戻りしたりすることが手軽にできる。マイペースで読み進めることができる。読み過ごしてもすぐに立ち戻ってすばやく確認できる。
 この本で言えば、5つの番組分のエッセンスが135ページの中にコンパクトに収録されている。人名や専門用語とそれらの補足説明などが確実に読める点、並びに掲載された地図をじっくりマイペースで見ることができる点が長所である。
 本に所収の説明入り地図と、インターネットで地図を検索して、詳細地図と対比しながら現場付近の情報を読み進めるとおもしろさが加わる。

 さて、この第10弾では、富士山周辺と大阪と知床がまとめられている。ブラタモリ番組を本として読み、再確認・再認識した大凡の要点を箇条書きでご紹介しておきたい。後は、本を開いてご理解を深めていただくか、改めて動画をご覧いただければ、番組内容を二度楽しめることだろう。
 以下のまとめは、私自身のための覚書でもある。

<富士の樹海>
*富士北西麓には緑の森が広がるが、「青木ヶ原樹海」はその内の一部でしかない。
*青木ヶ原樹海は富士山の北西麓、大室山に近い面積にして30㎢のエリア部分をさす。
*樹海でも方位磁石は有効。磁石が狂うのは磁鉄鉱を含む強い磁気を帯びた石のそばだけ。
*溶岩でできた樹海は高低差がほとんどなく傾斜がわからないのが方角を見失う原因。
*青木ヶ原樹海は「貞観」の大噴火(1100年前)で流出した溶岩上にできた針葉樹林域。
*赤色立体地図が貞観噴火の実像を解明した。溶岩量は史上最大。地図の発明者は千葉達朗氏。

*風穴は溶岩流がつくった天然の保冷施設。富士風穴約200mは蚕卵の貯蔵施設に利用。

<富士山麓>
*山梨県富士吉田市の「吉田ルート」を富士登山者の6割が利用。原点は江戸時代の「富士講」
*金鳥居が入口の上吉田は御師が暮らし、富士講の登山者に対応。食事・宿の提供と神事。
*上吉田は雪代対策として、古吉田の町割をそのまま大胆に90度、町を回転させて移転。
*上吉田は吉田大沢から雪代でできた2本の谷がのびるその間に元亀3年(1572)に移転。
*上吉田は忍野村との境、桂川から溶岩の下を堀り用水路を築くことで町が繁栄した。
*江戸時代の富士講は、戦国時代の修験者・角行⇒月行⇒身録の系譜により推奨された。
*身録の説いた江戸時代の富士講は四民平等と男女平等を説いた庶民のための教えだった。

<大阪>
*上町台地が大阪発展の基盤。その北端寄りに大坂城が位置した。信長がその立地を見抜く。
*古代、台地の周囲は一面の海。土砂が堆積し湿地が出来る。大阪の拡大は埋立開発が主体。
*秀吉は地形に沿い直線的な町割りで両側町を形成。東から西への太閤下水を整備した。
*豊臣政権の公共事業・町づくりはかつての西横堀川まで。その以西の町づくりは民間事業。
*大川にある中之島を中心に、江戸時代には全国各地の130藩余の蔵屋敷が存在。物資が集積。
*船は主要な交通手段だった。大阪は水運の要衝地。渡辺津、難波津、八軒家浜。

<大坂城>
*今の大坂城の城郭は徳川家康の城。秀吉の大坂城はその土の下に埋もれている。
*秀吉時代の大坂城は地形を巧みに利用した難攻不落の惣構の城だった。三方水堀。南は空堀。
*天守前の本丸広場に深さ7mの空井戸が存在。その底に焼け焦げた秀吉の城の石垣が実在。
*真田丸こそが秀吉の城の南の防御のカナメだった。心眼寺坂付近に空堀の痕跡がわずかに残る。
*徳川幕府の大名たちですら家康の再興大坂城を秀吉の城だと誤解して伝えた記録が残る。

<知床>
*知床半島は世界自然遺産に登録された。この自然環境が残るのは火山活動の賜物である。
*港町ウトロの語源はアイヌ語「ウトゥルチクシ」(間を通るところ)といわれる。
*生物多様性が維持され、海と陸の生物が密接につながる食物連鎖の生態系が維持されている。
*知床半島の断崖絶壁は火山から流れた分厚い溶岩による。海面付近に柱状節理が見られる。
*知床は、海底の地層が押し上げられ海底火山により生まれた火山の半島。
*知床半島の地形が南下する流氷を堰き止め、流氷の含む豊かな栄養素が知床の生態系に寄与。
*半島東側の急峻な水深2000m以上となる海底地形が多種多様な魚を育む。羅臼は魚の城下町。
*世界遺産の内側と外側では地質が違う。幌別橋が世界遺産の区域に架かる橋。
 内側は陸上火山のマグマによる台地。外側は海底火山の活動でできた水冷破砕岩が土壌化した。

 注釈の記された地図がやはり、ブラリと現地を探訪する気になれば大いに役立つことと思う。観光にも役立つ情報が各地域の末尾に簡単に紹介されている。富士の樹海なら「青木ヶ原ネイチャーガイドツアー」、富士山麓なら見どころ個所の紹介。大阪はハルカス300とやはり大阪の食べ物。大坂城は現在の大阪城の見どころ個所。最後の知床は、見どころ個所と2つのクルーズ(知床半島クルーズ、野性動物クルーズ)。
 これらは、本という別媒体により「ブラタモリ」の二度目を楽しむという主旨だからできることだろう。

 ご一読ありがとうございます。

『禁断の魔術』  東野圭吾  文春文庫

2021-01-11 20:23:33 | レビュー
 文庫本の奥書を読み、ネット検索でウィキペディアの情報を得て、出版の流れが理解できた。2012年10月に『禁断の魔術』が書き下ろしの連作推理小説集として刊行された。そして、その「第一章・透視す(みとおす)」「第二章・曲球る(まがる)」「第三章・念波る(おくる)」は、文庫本化される際、『虚像の道化師』の短編連作集の中に編集構成して加えられた。こちらは先般文庫本を読んだあと、その印象記をご紹介している。
 そして、単行本には「第四章・猛射つ(うつ)」として収録されていた短編が、大幅に加筆・改稿されてこの『禁断の魔術』と題する推理小説になり、2015年6月に発行されたという経緯になる。

 ストーリーは、午後11時過ぎに、東京のシティホテルのスィートルームでの1泊を予約していた山本春子と称する女性がチェックインする場面から始まる。その時フロントオフィスを担当していた吉岡は以前に対応したことがあり、宿泊カードに記された名前が偽名だと気づいた。翌朝、チェックアウト時刻をはるかに過ぎているのを不審に思い、フロントがベルボーイに確認に行かせると、ベッドカバーが真っ赤に染まり、夥しい血が女性の下半身を中心に広がっていた。発見者のベルボーイは動顛していてフロントに客が殺されていると連絡を取った。

 シーンは一転する。脈絡が不明な事象場面が次々に描き込まれていく。
 1つめは、帝都大学理学部の湯川凖教授の研究室に古芝伸吾が挨拶に訪れるシーンである。古芝は帝都大学の工学部機械工学科に合格し、湯川に挨拶に来た。古芝は高校で物理研究会に属していたがそのサークルの存続が危機的状況になっていた。母校であり研究会のOBである湯川は古芝が新入生を勧誘するプレゼンに使う実験道具の制作に協力するという形で、一年前に古芝の指導を行っていたのだった。
 2つめは、政治家・大賀の秘書鵜飼和郎が光原町でのある会合に出席する場面である。大賀の出身地である光原町では、スーパー・テクノポリス計画が進行していた。大賀の主導で建設が始まっていたが、環境保護の立場から反対運動が活発化していた。鵜飼が出たのは推進派の会合だった。
 3つめは、従業員20名規模のクラサカ工機という金属部品製造会社での場面になる。この中小企業の社長の娘・倉坂由里奈が5月末に5月に入った高卒の男子従業員に気づいた。そこから由里奈は伸吾と称する従業員に数学を教えてもらう関係ができる。社長の倉坂達夫は、伸吾の優秀さを評価していた。伸吾が勤務後に工場に残り、機械操作や金属加工の練習をしたいというのを認めていた。由里奈が父親から古芝伸吾と会っているそうだなと確認された数日後一人で事務所の電話番をしている時に、背が高く、眼鏡をかけた男が古芝を訪ねてきた。由里奈は伸吾がユカワ先生と呼んでいるのを耳にした。
 4つめは、ある職場の新年会が隅田川を進む屋形船で行われていた。突然に屋形船の操舵室で何かが激しく破裂するような音がして、煙に包まれるという事態が発生した。
 5つめは、向島の古いマンションで絞殺死体が発見された。2日前から連絡がなかったので、交際していた女性がマンションを訪ねて行き、合鍵で部屋に入り発見したという。特捜本部が向島署に開設され、草薙と内海の所属する係がこの特捜本部に加わることになった。初動捜査が進むにつれ被害者の周辺事実が明らかになっていく。被害者は長岡修でフリーライター。スーパー・テクノポリス計画を調べていたが、その後反対運動の立場に加わり、中心的に活動する一人であった。一方で、長岡は大賀代議士個人をも追っていた、つまり私生活を探っていたことがわかってくる。また、被害者の部屋(殺人現場)にはパソコンの横にメモリーカードが置かれていた。鑑識がその中身を確認したところ、2月21日午前1時すぎ、突然、画面の中心が白くなり、煙が舞った後、建物の壁に穴が開いていた。そんな現象の動画が記録されていた。
 
 初動捜査から引きつづき、被害者長岡に関わる周辺捜査が進展していく。交際していた女性からの更に聞き取り捜査を行うことは勿論、スーパー・テクノポリス計画反対運動をする主要メンバーからの聞き取り捜査や大賀代議士事務所への聞き取り捜査なども行われる。
 そんな最中に、荒川沿いにある工場の敷地内に止めてあったバイクが突然炎上するという不可解な事件が発生していた。ガソリンタンクに直経3cmほどの穴が開いていたが弾丸は見つからず、また銃器で撃たれたようには思えないという。
 被害者が加入していた携帯電話会社に捜査協力を依頼したところ、クラサカ工機の電話番号があることから、聞き込みをすると、1週間前から古芝伸吾が姿を消しているという事実が出て来た。古芝伸吾の卒業した高校名を聞き、草薙は心に何かがひかかかった。
 さらに、古芝の姉が「明星新聞」に勤務し、政治部で大賀代議士の担当だったことがわかってくる。

 このストーリー、バラバラで繋がりが無さそうな個別事象が、徐々に水面下で複雑に連関しているという形に転じて行き、真実が明らかになっていく。何と何がどのように繋がっているのか・・・・。読み解かれていくプロセスそのものが興味深い。
 そして、ガリレオ先生、湯川自身が今までの諸事件の解決に第三者的に協力者として関わっていくという立場ではなくなる。結果的に、間接的ながら事件に巻き込まれていく形になり、事件解決へのクライマックスに湯川自身が関与していくことになる。
 「科学を制する者は世界を制す」 このフレーズが重要なキーとなっていく。

 トリッキーな設定と構想が実に巧みに織り込まれている。
 ガリレオ先生のシリーズでは、一味違った作品となっていておもしろい。
 
 ご一読ありがとうございます。


本書に関連して、いくつか関心事項を検索してみた。一覧にしておいたい。
武器等製造法  :「e-GOV法令検索」
銃に関する規制 :「静岡県警察」
フレミング左手の法則~使い方、実験、問題の解き方~  :「TryIT」
フレミングの左手の法則  なぜ? なに? サイエンス  :「関西電力」
レールガン  :ウィキペディア
「レールガン」とは一体どのような兵器なのか  :「東洋経済 ONLINE」
米海軍の新世代兵器「レールガン」の驚異 :「THE WALL STREET JOURNAL」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『虚像の道化師』  文春文庫
『真夏の方程式』  文春文庫
『聖女の救済』  文春文庫
『ガリレオの苦悩』  文春文庫
『容疑者Xの献身』  文春文庫
『予知夢』  文春文庫
『探偵ガリレオ』  文春文庫
『マスカレード・イブ』  集英社文庫
『夢幻花』  PHP文芸文庫
『祈りの幕が下りる時』  講談社文庫
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社


『新選組写真全集』 釣 洋一  新人物往来社

2021-01-10 17:25:46 | レビュー
 京都の寺社仏閣等の史蹟を探訪することが趣味の一つである。京都は都として長い歴史が積層されているが、近い所では江戸時代の幕末動乱期に関わる史蹟が数多い。
 探訪を続けていて関心を抱いた一つの視点が新選組と勤王派の両極に関わる寺社仏閣等である。特に新選組の視点からみれば、新選組発祥地跡(壬生屯所:八木邸・前川邸)、壬生寺、西本願寺太鼓櫓、不動堂明王院、島原の輪違屋、高台寺党屯所の月真院、本光寺門前(伊東甲子太郎外数名殉難之跡)、光縁寺(新選組墓所)などがあり、一方新選組がその対象とした勤王の志士たちに絡んでは古高俊太郎邸址、新選組池田屋騒動之址、寺田屋、酢屋(坂本龍馬寓居跡)などがある。他にも藩邸跡碑が各所にある。京都霊山護国神社境内には、坂本龍馬と中岡慎太郎の墓が並んでいる。さらに蛤御門、伏見奉行跡、鳥羽伏見戦跡などの戦跡も。探訪の記憶から思いつくだけでもこれ位は出てくる。

 本書はたまたま目にとまった。上記の関心からまずは通読してみた。1997年3月に発行された古い本である。しかし、新選組とそれにからむ勤王の志士の一部について、彼等が実際に足跡を残した場所-現存する建物と跡地-及び彼等が葬られている寺社や墓石・墓碑などが克明に写真に記録され収録されている。
 新選組の発祥からその滅びまでの経緯に関する写真とともに簡略な説明が添えられている。新選組の活動の軌跡が大凡理解できるようにもなっている。巻末には詳細な「新選組年表」が付いている。

 著者並びに協力者が発見し判明している新選組の隊士であり個人単位での墓石・墓碑・位牌なども記録写真として掲載されている。それ故、南は九州から北は北海道まで全国に著者の足跡は及んでいる。
 新選組発祥の母胎となったのは、腹中に別の意図を蔵していた清河八郎とその他の主導者が提唱し浪士組の上洛を企画し参集した場所、小石川の伝通院である。文久三年二月。近藤を筆頭とする、土方、沖田ら天然理心流の一党はまずこの浪士隊に加わり、京都に旅だったのだから。伝通院の写真だけでなく、早川文太郎が文久3年3月に書き記した「尽忠報国勇士姓名録」は、後に新選組に結集した人々の姓名部分は原文書の写真を挿みながら全姓名が出身地とともに6ページにわたり掲載されている。
 近藤勇の真影写真は当然のことながら、彼の妻ツネの写真や実家のあった当時の牛込御門近辺の地図も載っている。例えば土方歳三の生家の写真も。新選組をキーワードにかなり幅広く探索され、記録写真が掲載されている。

 著者は「あとがき」に以下の一文を記す。
「『新選組再堀記』以来二十五年、彼ら新選組の足跡を追った記録写真は、三万枚を超える。その一枚一枚は、新選組の真実を追究するための事実の証と確信する」と。(p248) つまり、本書はそれら記録写真から抽出された写真で構成されている。

 新選組についてのアウトラインを写真を媒介として全体像として把握し、イメージを培うには便利な一書と言える。
 新選組を題材とした小説や評伝を読む上でも、本書の出版年次の古さとは関係なしに、イメージを広げる上で大いに役立つ写真集だと思う。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する事項・史跡からハイライト的な場所を幾つか検索してみた。ほんの一部だが、関心を広げる契機としてご紹介を兼ね一覧にしておきたい。
文京小石川 傳通院 ホームページ
八木家 ホームページ
壬生寺 ホームページ
お西さん(西本願寺) ホームページ
京都 酢屋 ホームページ
京都霊山護國神社 ホームページ
京都御苑 ホームページ
「京都島原」現役のお茶屋”輪違屋”の特別公開と幕末志士の面影 :「SMILE LOG」
特別史跡 五稜郭跡 :「Good Day 北海道」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


『罪の轍』  奥田英朗  新潮社

2021-01-03 11:57:57 | レビュー
 新聞の広告を読み関心を抱き、この作家の作品で初めて手にしたのがこれ。
 「霧の向こう」という題で「小説新潮」(2016年10月号~2019年3月号)に連載された後、2019年8月に単行本化されている。

 北海道の礼文島で昆布漁に携わる漁師見習いの宇野寬治は、ある時点で記憶が甦らず脳に障害を抱えそれが身体症状に現れる時がある。一方、己の感情を遮断する術をいつしか会得もした。東京に行きたいという願望を抱く。そのための金がほしい。罪という意識が乏しいままに罪を重ね、その連鎖から罪で描く轍を残して行く。なぜ寬治のような罪人が生まれたのか。根源はそこにある。このストーリーはそれらのプロセスが描かれていく。

 場面は礼文島から始まる。学校を卒業し、稚内の工場に勤めたがうすのろと蔑まれる寬治は窃盗を重ね、少年刑務所にも入る。その後礼文島に戻るがここでも数件窃盗を犯す。さらに網元の一人、酒井寅吉の屋敷に入り窃盗することを漁師の赤井に唆され、金を得て寬治は東京に行きたい思いから実行した。島から漁船で脱出する手助けを赤井から得るが、騙されたことに気づく羽目になる。だが、生き延びることだけはできるという顛末が導入部となる。ここに寬治の生育環境の大凡が描かれている。

 そして、ストーリーの舞台は東京に移る。時代は昭和38年8月。東京オリンピックを控えて、新幹線の建設や都内の道路建設その他、建設ラッシュに湧き上がっている時代である。その当時の時代状況が背景描写としてリアルに織り込まれていく。
 ストーリーの表舞台の主な登場人物の一人は落合昌夫。警視庁刑事部捜査一課の刑事で五係に所属する。係長は宮下警部。先輩刑事の一人が仁井薫、通称”ニール”で通っている。落合の後輩で、一番若手が岩村という27歳の新米刑事である。
 南千住署管内で殺人事件が発生する。「荒川区元時計商殺人事件」捜査本部が立つ。昌夫の所属する五係がこの捜査本部に入ることになる。その前日、足立区の千住署管内で空き巣被害が2件立て続けに起こっていた。
 昌夫は南千住署の大場茂吉という古株の刑事と組み地取り捜査を始める。昌夫は、主婦から林野庁と書いた腕章を腕に巻いた男が路地をキョロキョロしながら歩いていたという目撃情報を得る。昌夫には林野庁という名称その場違いさにひっかかかりを覚える。それが後に寬治と結びついていく。昌夫は寬治の過去の事実捜査を任される事になっていく。

 このストーリー、東京オリンピック前の山谷(さんや)が一つの舞台となっていく。日本国籍を取得し帰化した朝鮮人親子が山谷で旅館(簡易宿泊所)と食堂を営業している。この界隈のヤクザの組長だった父は10年前に病死。母は警察に殺されたと主張し、警察を敵のように扱っている。その旅館は娘の町井ミキ子が実質的に運営しているに近い。だが、併せて彼女は税理士資格を取る勉強をしている。弟の明男は最近、浅草を根城とする東山会の盃をもらったやくざの下っ端である。その明男がたまたま寬治との間に友達関係ができたのだ。明男は寬治が莫迦で空き巣をしているという事実を知っていた。寬治を一度だけ、母親の旅館に泊まらせたことがあり、その折り姉ミキ子が寬治を知る機会ができた。大場刑事は山谷を熟知していて、ミキ子たちのこともよく知っていた。
 ミキ子の視点から、当時の山谷が客観的に見つめられる。当時の警察の対応状況も冷静に見つめていく。一方、寬治や弟明男に関しては、警察と彼等の間では黒子的な立場で対応していく。ミキ子の対警察対応感覚が興味深くかつおもしろい。
 明男は寬治から空き巣の経緯を聞いていた。寬治がこの時点でどこに居るかも知って居た。「荒川区元時計商殺人事件」について、寬治の話から明男は寬治が殺人容疑者として嵌められいることを危惧していた。

 10月6日の日曜日に午前7時頃に上野署管内で空き巣未遂事件が発生する。
 さらに、浅草署管内で児童誘拐事件が発生した。台東区浅草猿若町二丁目で家族経営の個人商店を営む豆腐屋「鈴木商店」の小学1年生で吉夫という子が誘拐されたのだ。自宅宛に50万円を要求する電話が阿掛かってきたと言う。
 また、日曜日の午後、浅草の駄菓子屋で、子供たちと一緒にいる宇野寬治の目撃情報があった。

 寬治が容疑者として浮上する事件が次々に現れてくる。誘拐事件に寬治がどのように関係しているのか、あるいは関係していないのか。事件捜査中の警察の失敗行動も重なり、事態が混迷していく。
 黒電話がまだ珍しく、無線機器の普及は未だであり、テープレコーダーも初期段階、事件捜査に自動車を使うのも希という時代背景の中での、電話を使った誘拐事件の状況が描き出されていく。捜査行動における時代差を感じる。

 少しネット検索で調べてみると、昭和30年代前半を中心に二輪車が普及し、乗用車は35年頃から全国的な普及が始まり40年代に発展していくという初期である。黒電話(600形自動式卓上電話機)の提供が開始されたのは1963(昭和38)年だという。日本で最初のテープレコーダー「G型」の完成したのが1950年1月、ソニーの前身である「日本通信工業」においてであり、オープンリール方式の大型機器である。初のカセットテープレコーダー「TC-100」が誕生したのは1966年という。

 この警察小説の時代設定がその捜査活動との絡みから考えて、興味深く実におもしろい。

 宇野寬治が「荒川区元時計商殺人事件」における強盗並びに殺人犯なのか。
 浅草署管内での児童誘拐事件に宇野寬治がどういう役割で関与しているのか。子供は生存しているのか。
 この事件の解明がストーリーの主流になり展開して行く。しかし、その中で宇野寬治の生育環境が明らかになり、また寬治が脳にある障害を持っようになった状況が明らかになるプロセスがサブストーリーとして、罪の連鎖の背景に絡んでいく。寬治が己の記憶障害を克服できた瞬をが転機とし、寬治は新たな決意と行動をとる。この最後のプロセスが追跡劇の読み応えに繋がっていく。

 宇野寬治という犯罪者を生み出した根源を考えさせるストーリーである。彼の犯罪をおぞましいと憎めども、寬治という存在に一抹のやるせない哀しみが残る。

 ご一読ありがありがとうございます。


本書を読み、時代背景に改めて関心を抱きいくつかの事項をネット検索してみた。上記のために参照したソースもある。一覧にしておきたい。
礼文島観光情報 ホームページ
礼文島  :ウィキペディア
ニシン漁の歴史  :「留萌水産物加工協同組合」
利尻昆布はどう作られる?漁師と利尻島民の夏の1日を追いかけてきました :「ポケマル」
ミツイシコンブ:こんぶ漁業(ミツイシコンブ) :「マリンネット北海道」
山谷(東京都) :ウィキペディア
山谷のドヤ街を考える~日本三大ドヤ街  :「知の冒険」
日韓基本条約  :「日本政治・国際関係データベース」
第1項 高度成長とモータリゼーション  :「トヨタ自動車75年史」
第二次世界大戦後の自動車産業(1945~1960年) :「GAZOO 自動車歴史館」
日本で電話が生まれて150年 黒電話や公衆電話など『電話の歴史』を振り返る:「TIME & APACE」
電話の普及 その背景にある技術とは  :「NTT東日本」
第2章 これだよ、我々のやるものは<日本初のテープレコーダー>  :「SONY」
第5章 コンパクトカセットの世界普及 :「SONY」
警察無線  :ウィキペディア
JZ Callsigns ;「History of Citizens Band Radio」
無線機歴史博物館 ホームページ

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)