遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『人間の檻 獄医立花登手控え4』  藤沢周平  講談社文庫

2021-07-29 21:13:01 | レビュー
 獄医立花登シリーズの第4弾でありこれをもって完結となる。「小説現代」(昭和57年4月号~昭和58年2月号)に各短編が順次掲載された後、1985(昭和60)年11月に文庫化されている。
 小伝馬町牢獄の獄医を務める立花登が、日々囚人の治療に当たる中で囚人から見聞したこと、また囚人に差し入れに来る人々とのひとときの対話などからふと感じたことが、登の心にひっかかり、そこから事件のとらえ直しが始まって行く。このシリーズでおもしろいのは、登が住む町に近いところに住む人々に事件との関わりができたり、また囚人になって小伝馬町牢獄に入ってきたりすることである。登は囚人を介して、関わりをもった事件の真相解明を行うとともに、江戸庶民・世間の人間模様を掘り起こしていく。一方、登と叔父玄庵一家との関わり方が深まりっていく姿を底流に織り込んでいくところが興味深い。

 この第4弾には短編6つが収録されている。それぞれの短編は一つの事件・事案を扱っているが、その底流には一貫して登と叔父一家との関わりの深まりが描き込まれていく。各編を簡単にご紹介しよう。

<戻って来た罪>
 登は叔父玄庵から天王町に住む下駄職人彦蔵の代診を頼まれる。腫物ができていて、玄庵の調合する薬を飲むしか手がない病人である。瀕死の病人彦蔵を診た登は、彦蔵から思わぬ告白を聞く。30年ほど前に2人の子供をさらう片棒をかつぎ、二人の子供を殺したという。直接手を下したのは相棒の磯六だったと。
 登は磯六を野放しにはできないと考え、岡っ引の藤吉に彦蔵の告白のウラをとってもらうことから始める。藤吉は過去の人さらい事件の洗い出しから始めて行く。
 心の重荷を告白したからだろうか、彦蔵は亡くなってしまった。だが、彦蔵の告白は活かされる。一つの情報が、どのように過去を手繰り寄せていき、現在につながるかというストーリーになっている。
 底流のストーリー:おちえはお針に身をいれるようになり、ちえの友達みきに嫁入り話が決まる。

<見張り>
 癰(よう)を病む若い囚人の作次が登に告げた。つい先に牢を出た二人が押し込みの相談をしているのを聞いたと。浅草三間町の真綿問屋三好屋を狙っているという。その二人はとりぞうという男に誘いをかけることも話していたと。しかし、牢を出た二人の名は牢仲間の仁義だと明かさなかった。とりぞうの住む場所は元鳥越町のどこかと言っていたという。この話を真に受けとめられるのか。登はそこから考え始める。
 登には、元鳥越町のとりぞう、と作次が語ったところから、元鳥越町の裏店に住む傘張り職人酉蔵、叔父玄庵の患者の一人を思い浮かべた。平塚同心に確かめ、牢を出た二人の素性はすぐわかった。登は酉蔵が働く傘屋に出向き、酉蔵が二人の名前を知っているかと尋ねる。蔵吉の方を知っているという。登は藤吉に相談をもちかける。
 作次の話から、事件の計画の信憑性の判断、酉蔵が巻き込まれるのを未然に防止することを含めてその対処が始まって行く。岡っ引の藤吉は動かぬ証拠を押さえたい。事件性の探索、事件当夜の逮捕への準備という展開が読ませどころである。

<待ち伏せ>
 ここ二月ほど牢から放免された連中ばかりがなぜか待ち伏せされ狙われる。3人が殺されかけたのだ。だが、その3人の間には調べても何のつながりも見出せない。登はその3人中、三吉については背中の腫物の治療をしてやっていた。奉行所から島津忠治郎という同心が牢屋に調べに来たという。島津は、岡っ引藤吉が手札をもらっている同心でもあった。
 次にご赦免になるのは馬六だと平塚同心は言う。隣町茅町に住む馬六は叔父の患者でもあり、登は顔見知りだった。平塚から登は馬六の治療をする際に牢内の様子を探ってほしいと頼まれる。
 馬六が出牢して5日は無事に過ぎたが、浅い手傷を負う羽目になる。用心のために付いていた直蔵が少し油断した隙だった。馬六が登と一緒の折に再度狙われる事態が起こる。
 それで逆に、登には筋が読めてきた。
 キーワードはカモフラージュ。ちょっとトリッキーな筋立てでおもしろい。馬六が出てくることで、身近な話に引き寄せられていく。
 底流のストーリー:叔父玄庵が急に倒れるという事態が起きる。

<影の男>
 若い囚人の白い肌の湿疹を登は治療をしてやった。喜八と称するこの男は、登に甚助は無実だと告げた。障りがあるので理由は言えないが確かだという。甚助は奉公先の太物屋から大金を盗んだ罪で入牢していた。甚助の治療をした後、登は無実かと問う。その時の甚助の反応を見て、登は逆に甚助の事件に関心を向け始めた。藤吉が手掛けた事件でもあった。
 登は藤吉の協力を得て調べ始める。甚助は巧みに仕組まれた罠に陥っていた可能性が高くなり始める。そして意外な事実が明らかになって行く。
 「策士、策に溺れる」という。このストーリーの発想はそこにある。「影の男」というタイトルが活きてくる。                        
 底流のストーリー:おちえは登に昨夜両親が話し合っていたことを告げる。牢屋勤めをやめさせて蘭方の医学修業に出そうかという話だったという。

<女の部屋>
 蔵前の森田町にある畳表問屋大黒屋の女房おむらは30を過ぎたばかりで女盛りを迎えている。亭主吉兵衛は十以上も齢が離れている。3年前に腎を患い寝たきりで、叔父玄庵がかかりつけ医者になっている。女心の内奥は計り知れない・・・・・そんなストーリー。
 夏の終わりごろの暑い夜に、大黒屋の手代新助が、商用で来ていた同業の槌屋彦三郎の首を絞めて殺した。新助はおむらにつきそわれて自身番に自首し、裁きを受けた。新助の申し立ては、おむらの証言で裏書きされた。小伝馬町の牢獄に入牢中であり、八丈島送りが決まっている。
 おむらが入牢中の新助に自ら届け物を持ってきて、門から外に出て来たところで登は出会った。少しの立ち話の際に、登は「槌屋彦三郎という男だが・・・・以前からおかみに怪しいそぶりをみせていたのかね?」と何気なく聞いた。おむらは、登の方がおどろいたほどびっくりした顔をした。この時の印象が登の思考の起点になっていく。
 その後、登は叔父の代りに、大黒屋の娘が風邪を引いたということで往診に行く。娘おみよの診察をした後、主人吉兵衛の診察に部屋に向かうが、部屋の前で夫婦の思わぬ会話を聞いてしまう。そして、それは登に疑問を抱かせることに。
 なかなか興味深い筋立て。人それぞれの虚実を交えた心情と行動が織り上げられていく。
 底流のストーリー:玄庵は登に大坂にいる蘭方医都築良斎の許に2年修業に行けと言う。

<別れ行く季節>
 2月も半ばを過ぎた頃、登は腹が痛いという囚人兼吉の診察をしていた。齢は27,8の優男。彼は登の顔を見るために仮病を言い立てたのだ。なぜか? 明日牢を出る。その後は登を狙う。併せて伊勢蔵の情婦だったおあきも生かしちゃおかない。自分は黒雲の銀次の縁に繋がる者だと、登に宣戦布告したのだ。
 登自身もさることながら、おあきもターゲットになっている点をまず何とかしなければと登は思う。平塚同心からまず兼吉の素性を確認する。藤吉の協力を求めることになる。だが、藤吉に伝える前に早くも登は狙われる。
 大坂への医学修業が決まったという時期に、危機的事態が現出した。登はおあきを助ける一方、己を守り、かつ兼吉をどう取り押さえられるのか・・・・。
 最後の最後に、おもしろい展開となる。一件落着のプロセスを楽しめる。
 底流のストーリー:明後日に上方に出立という状況を描く。終わり方がいい。お楽しみに。

 獄医という立場に身を置きつつ、囚人たちが引き起こした様々な事件の見直しに関わって行く。立花登の青春譚と言える。真実と人の心を大事にする登のスタンスが反映し、どの短編も人情のほのぼのとした余韻が残るエンディングである。そこに著者の視座があるのだろう。
 このシリーズは著者の最晩年に執筆・刊行された。2年間の医学修業を終えて、蘭方医となった立花登の活躍するストーリーを読みたいところだが・・・・・・。著者はそんな続編を構想として抱いていたのだろうか。

 ご一読ありがとうございます。
 
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『愛憎の檻 獄医立花登手控え3』 講談社文庫
『風雪の檻 獄医立花登手控え2』  講談社文庫
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