遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『京都発・庭の歴史』  今江秀史   世界思想社

2020-09-30 22:21:35 | レビュー
 数ヶ月前に、新聞記事で本書を知った。「京都発」という表現と、「庭園の歴史」ではなく「庭の歴史」というタイトル付けに興味を抱いたことによる。
 著者は京都市役所の文化財保護課に属し、寺社等の庭「名勝」を担当する専門技師として文化財保護の観点で実務に携わっている。一方で大学院にて学び人間科学博士号を取得、「『現象学』という哲学にのっとった庭の学術研究」を行う研究者だという。 

 手許で愛用する『図説歴史散歩事典』(井上光貞監修・山川出版社)を見ると、「庭園と茶室」という見出しのもとに、「庭園の鑑賞」という視点から庭を簡略に説明した上で、「浄土庭園」「禅宗庭園」「大名庭園」という庭園の類型説明を加えている。庭園を鑑賞するには便利であり、役立っている。今まで「庭=庭園」ととらえて、それ以上のことはあまり考えなかった。
 また、数年前に小野健吉著『日本庭園の歴史と文化』を読み、日本庭園の歴史と文化についての研究成果を読み、日本庭園の理解をさらに深めることに繋がった。
 こういう背景があるので、「庭の歴史」というタイトルに関心をいだいたわけである。

 著者は「はじめに」の冒頭で、「本来『庭』とは、『見る』ためのものではなく、『使う』ためのものです」と述べている。つまり、「使う」という視点、「使われ方」という視点から「庭」の歴史を説明していくという本である。今までにはなかったアプローチといえる。
 著者は、「庭」は「日常の生々しい現象」の中にあるものととらえることから始める。平安時代から現代まで、住まいの「庭」には4つの基本的な区分があるという。史料により呼び方がさまざまだそうで、著者は「大庭(おおば)」「坪」「屋戸(やど)」「島」という区分用語を使って、「庭の歴史」を論じて行く。そして、「島」が一般的にいう「庭園」に相当する位置づけだという。
 私は、本書を読み、庭を理解する上での用語として、大庭、屋戸という言葉を初めて知った。

 この4区分により、平安時代の寝殿造住宅の敷地と現在の小学校の敷地とが庭の使われ方という次元、つまり同じ土俵で対比的にとらえられている。そこには使われ方の連続性が成立している。序章でのこの説明をまずおもしろい発想・観点だと受けとめた。

 著者は、「はじめに」において、「『庭園』とは、本書で挙げる四区分の庭のなかから一部の学問のルールにとって都合のよい事柄だけを抜き出して合成した『偶像』だから」と述べ、「庭」と「庭園」は別のものと認識している。「まさに『庭園』の本で語られてきたのは『庭のキメラ』なのです」と論じている。
 つまり、読者にとっても「庭」と「庭園」を考える上で、チャレンジングな書になる。発想の転換を迫られているのだから。そういう意味でもおもしろい本である。

 著者自身が本書の構成・展開を「はじめに」で要約している。次のように。
「まず序章では、平安時代から続く庭の基本的な四区分と言葉の整理をします。第1章から第4章にかけては、平安時代から近代までの庭の使われ方をたどると同時に、各時代の人々が庭に求めた意味をひも解いていきます。そして第5章では、まさに現代の庭仕事の実情を描きます。終章では、本書の考え方の原点である、十九世紀のドイツで生まれた哲学『現象学』を通して、庭の本性を浮き彫りにします。」
 序でに各章のタイトルを記しておこう。
  序 章 時を超えてつながる小学校と平安貴族の住宅
  第1章 使わなければ庭ではない   平安時代
  第2章 見映え重視のはじまり    平安後期~安土・桃山時代
  第3章 百「庭」繚乱        江戸時代
  第4章 庭づくりのデモクラシー   近代
  第5章 伝統継承の最前線に立つ人々 現代
  終 章 庭の歴史と現象学

 著者の論点を要約あるいは引用(鍵括弧つきの個所)によりご紹介し、本書への誘いとしたい。
*庭は使い手や作り手の交じりあった志向が共同作業として現れた痕跡の集りである。
 「作庭家一人の意図を取り上げるだけでは『庭』を語るのに十分とはいえません。」p24
*庭はつねに動きをともない、「無常」である庭を静物とみなすこと自体が大きな誤解である。様式化による定式化には適さない。 p25
*「現代の私たちにとって、庭は人工的で固定された場所と感じられますが、古くは仕事など何らかの『事』を行うための土地や水面と考えられていました。」 p26
*「本書では、日常の住まいにおける『家屋の前後の土地』の使い方に着目していくことにします。」 p27
*4つの区分  p30-45
 大庭:多様な行事に対応するための常設物のない、何の変哲もない平坦地
 坪 :催事の支障とならない程度に建築や渡廊の周りで植栽や前栽をした場所
    「住まいに光と風を取り入れる」「建築と坪は、行き来できることが前提だった」
 屋戸:住まいの中の余地。「動」の行事のために使われた場所。
    事例:蹴鞠をすることができる場所(庭)。敷地内にある馬場。
 島 :「園地に中嶋を浮かべ、周囲に築山を施した」場所 (=庭園)
    平安時代は大庭を補助する役割を担った場所。
*平安時代の貴族にとり、庭は季節・節目ごとの催事の受け皿となる場所。平安中期まで庭の主役は大庭で、島は脇役的存在だった。  p59
*平安時代後期から安土桃山時代にかけては、生活の効率化と書院造住宅の誕生、そして武士の台頭が庭の体裁を変革して行った。大庭が弱小化し、石庭が誕生する。 p62-70
*儀式での実用性が薄れ、見映えとつくりを求め、庭を楽しむ方向に転換。大庭ではなく島に関心が移行する。「島づくりによる文化力の誇示」並びに「島づくりによる権力の誇示」の方向へ向かう。p70-98
*江戸時代の庭は武家から公家への挑戦となる。「島」の意味合いが拡大し、エンタテインメント性が強調される。360度から眺められる庭へ。一方、公家文化は庭に総合アミューズメントの視点を加えていき、「林泉」へと展開していく。
 参勤交代が庭づくりの全国展開を促し、本山の庭が宗派の力の象徴となっていく。
 一方で、庭が社会階層ごとに個別化する。 p100-136
*明治維新から大正時代にかけては政治家や実業家が庭づくりの主導権を握っていく。
 京都に所在の山県による無隣庵の例のように素人による庭づくりも始まる。また、公園という形での庭づくりも始まる。
 近代は4区分の庭の伝統がほぼ忘れ去られる時代となる。  p138-154

 これらの論点が、さまざまな具体的事例で説明を積み重ね、平安時代以降の「庭の歴史」として語られていく。
 
 第5章は、庭を維持するという視点から、庭という伝統継承の最前線で働く人々の経験や思いをインタビューしヒアリングした内容がまとめられている。著者が関わった仕事に関連した現場の人々の声である。円山公園の修理現場と壬生寺の庭が事例となっている。

 終章で、著者は本書を「現象学」の立場から論じらているということを説明している。「庭が『間主観』『相互触発』によって成り立っている」(p191)という事例説明なのだという。著者はこの終章で現象学という哲学の考え方を庭との関わりで少しだけ説明している。
 この終章で著者は、「私たちにとって庭は、季節や気候の変化、時間の移り変わりを見届けるのにふさわしいものとして持続し、継承されてきた」(p199)という考えのもとで「先人が庭に関わってきた歴史のなかで裏付けられてきた『理(ことわり)』を浮き彫りにしょう」(p199)とした試みだと述べている。

 「庭の歴史」という形で庭の変遷を知ることで、「庭園」との関わり及び「庭園」の類型化の位置づけをとらえ直す機会となる。「庭」と「庭園」の理解を広げ、深めるきっかけとなる書であると思う。チャレンジングな書である。

 後は、本書を繙いていただき、この庭の通史をお楽しみいただきたい。
 
本書に関連して関心の波紋を広げてみた。ネット検索で入手した事項を一覧にしておきたい。
大庭  :「コトバンク」
 デジタル大辞泉(小学館) :「goo辞書」
坪庭とは?由来やデザインのポイント、小さな庭や狭い庭の実例も :「庭 新美園」
坪庭とは日常に潤いをくれるもの!良い点と気になる点を知ろう  :「LIXIL」
や-ど 【宿・屋戸】 学研全訳古語辞典  :「weblio古語辞典」
庭に関する主な用語一覧  :「京都市文化観光資源保護財団」
庭園用語集  :「日本庭園の美」
現象学  :ウィキペディア
モーリス・メルロー=ポンティ  :ウィキペディア

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『日本庭園の歴史と文化』 小野健吉 吉川弘文館


『フェルメールの憂鬱 大絵画展』  望月諒子  光文社

2020-09-23 14:06:55 | レビュー
 先般『哄う北斎』を読んだことが契機となり、著者のアートミステリー小説を溯って読んでみたくなった。そこでフェルメールという言葉が目に止まりこの小説を読むことに。単行本の末尾を見ると、書き下ろし作品と記されていて、2016年6月の刊行である。

 副題に「大絵画展」と記されている。この小説のタイトルを見た時にはフェルメールの絵画展と絡んでいるのかと思ったが、直接の関係はなかった。奥書を改めて読み気づいたことは、著者は2010年に「ゴッホの絵画を巡る『大絵画展』で第14回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞」とある。つまり、『大絵画展』というアートミステリー小説に続く作品というイメージを連想しやすくするために、「大絵画展」という副題が付けられたようだ。

 この小説の主な登場人物は『哄う北斎』と共通している。ということは、『大絵画展』に繋がっていて、登場人物はまさにシリーズになっているのかもしれない。『大絵画展』を溯って読んでみる楽しみが出て来た。

 この小説の主な登場人物をまず取り上げておこう。
 イアン・ノースウィグ 貴族の称号を持つ。元フィリアス・フォッグという絵画泥棒。
 マリアン イアンの強力な相棒。
 城田 美術品競売会社ルービーズのキュレイター。状況に応じイアンに協力する。
 日野智則 銀座に店を構える日野画廊店主。状況に応じ彼もイアンに協力する。
 マクベイン アメリカ中央情報局(CIA)に所属。イアンの過去を知る男。
       CIAのめざす目的により、イアンを脅し彼の能力を利用しようとする。
 斎藤真央 日野画廊に手弁当でやってくるアルバイトの大学院生。絵画美術専攻。
斎藤を除くと、『哄う北斎』と共通する登場人物である。

 さて、大本の事件は、ベルギーの西フランドル州ワトウにある古い教会の牧師になって8年というトマス・キャンベルがイアンにかけてきた電話である。キャンベルはイアンがフィリアス・フォッグという絵画泥棒だと知っている。キャンベルもまた、かつては泥棒だった。イアンに、教会から1m×1.6mという古い板絵が盗まれたと告げた。キャンベルはイアンにその絵を無傷で取り戻して欲しいという。前任のルクー牧師はキャンベルにその絵がブリューゲルの絵だと伝えていた。住民たちのだれもその作者のことは気づいていないという。イアンがその板絵の奪還を引き受けないなら、イアンの過去をどこかに暴露すると脅す。イアンは結局その板絵の取り戻しを引き受ける羽目になる。この事件がそもそもの始まり。

 数日後、スイスに移り住んだ帝政ロシア時代の家系であるゲオルク・アレキサンダー・ツー・メクレンブルグという投資家の屋敷の屋根裏からヨハネス・フェルメールの新たな真作が発見されたというニュースが話題となる。その2週間後にその屋敷の屋根裏から2点の絵が盗まれたというニュースが報じられた。メクレンブルグは盗まれた2点の絵を買い戻したいと述べたという。こちらの事件が徐々にクローズアップされていく。
 読者としては何気なくこのニュースの流れを読み進めてしまう。だが、それはいわば撒き餌として一つの伏線になっていく。

 一方、ニューヨークにあるメトロポリタン美術館が襲われ、フェルメールの「少女」という作品が盗まれる。実はイアンが周到な計画をたてて堂々と証拠を残すことなく盗み出すのである。なぜ、フェルメールの「少女」を盗み出さねばならないのか。そこにはマクベインの影が潜む。
 このフェルメール作品の強奪プロセスが一つの読ませどころになる。どれだけ金をかけた盗みだろうかとつい思ってしまう。

 このフェルメールの「少女」が、どういうルートを通じてかは不明のまま、日本の隆明会という宗教団体の会長、大岩竹子が創設したTAKE美術館に購入されたという噂が美術業界で密かに流布していく。城田はこれが事実かどうかを確かめる旨の指示を受けて、日本に赴く。一方、イアンは、今度はこの「少女」を大岩竹子の手から取り戻す必要に迫られていく。その周到な詐取実行プロセスがこの小説のメイン・ストーリーとして進展していく。

 このストーリーには興味深く、おもしろい点がいくつかある。
1.キャンベルが教会から盗まれた板絵を取り戻すことと、フェルメールの「少女」を大岩竹子の手許から取り戻すこととが、どうかかわるのか、その筋が見えてこない中で、パラレルにストーリーが展開していく点。その種あかしをお楽しみに・・・・という流れになっている。

2.隆明会の信者に対するマインド・コントロールの仕組みが描き込まれていく点。いわば人間の心理の弱みにくい込む新興宗教のありようのカリカチュアともいえる。

3.TAKE美術館がどのように機能しているか。宗教団体とそこが運営する美術館との関係が裏話的に描き込まれていく。現実にそういう側面があるのかどうか・・・・興味がつのる。単なるフィクションか。事実は小説よりも奇なりというフレーズもある。この点どうなのだろう。

4.イアンが「少女」の奪還を周到に行うことに、日野智則が協力する。日野は向井章太郎という青年にアプローチし、彼をイアンに自然に協力させるための役割を果たす。なぜ向井章太郎なのか。読者は徐々にその意味がわかっていく。

5.イアンによるフェルメールの絵画批評という形を取っているが、かなり辛口の批評が9ページ(p109~117)に渡って書き込まれていく。一つの見方としておもしろい。
 また、ブリューゲル、ピーテル・デ・ホーホ、レンブラントの作品なども点描的に各所で論じられていく。中世絵画の美術ファンにとってはおもしろいことだろう。

6.一番興味深いのは、絵画の真贋の判別が如何に難しいかという点を描きこんでいく点にある。そこに美術評論家の評価や美術品の競売がどのように絡んでいるか。美術業界の魑魅魍魎性に触れていく。この点もおもしろい。

 序でながら、単行本のカバー(表紙・裏表紙)にも着目していただくとよい。「装幀 川上成夫 装画 民野宏之」と中表紙の裏に記されている。このカバーには、この小説に登場するメトロポリタン美術館所蔵、フェルメール作「少女」が描かれている。一見、同じ絵が表紙に2点、裏表紙に1点、位置や角度をずらせて描かれているように見える。最初はなんとなくそれで本書のストーリーに入っていった。読み終えてから、再度カバーを見つめ直した。額縁が違う。少女の衣服の陰影や色調が微妙に違うのだ。少女の顔自体の陰影の付け方も微妙に違うところが見つかる。このカバー自体も楽しめる。

 大岩竹子とその一派が、イアンとその協力者たちに手玉に取られていくストーリー展開がやはり痛快といえる。
 斎藤真央がなぜ登場しているのか。一つのオチとしてお楽しみに読み進めていただくとよい。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、事実レベルの事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
ヨハネス・フェルメール :ウィキペディア
メトロポリタン美術館 フェルメール5点展示場所変更に! :「Petite New York」
フェルメールの作品  :ウィキペディア
ピーテル・ブリューゲル  :ウィキペディア
ピーテル・ブリューゲルの生涯と代表作・作品解説  :「美術ファン」
ピーテル・ブリューゲルの作品一覧  :「Wikiwand」
レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン :ウィキペディア
レンブラント ヴァーチャル絵画展  :「Earl Art Gallery」
ピーテル・デ・ホーホ  :ウィキペディア
ピーテル・デ・ホーホ  :「Google Arts & Culture」
作品 《豪奢な部屋でトランプ遊びをする人々》 :「LOUVRE」
アクリルと油彩、どっちを選ぶ?  :「Hoga Art Studio」
アクリル絵の具の使い方 種類と特徴を徹底解説  :「This is Mwdia」

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こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『哄う北斎』  光文社

『黙示 Apocalypse』 今野 敏  双葉社

2020-09-19 18:23:31 | レビュー
 表紙を見ると、タイトルの「黙示」に Apocalypse という単語が併記されている。
英語の辞書を引くと、the Apocalypse と記せば、新約聖書の最後の書『ヨハネの黙示録』のことだそうである。まず第一羲は the apocalypse として「この世の終わりの日」を意味し、第二義に[単数形で]「大惨事、大事件」を意味するとある。
 この小説のストーリーを読むと、直接的には「大事件」という意味が一番近いと思う。しかし、この窃盗事件解明のストーリーの背景に、古代史、超古代史の世界が広がっているので、旧約聖書を含めて語り継がれた話とこの世の終わりということもダブル・ミーニングとして使われていると言える。それ故、タイトルが「黙示」となっているのだろう。
 本書は「小説推理」(2019年3月号~2020年2月号)に連載された後、2020年6月に単行本として刊行されている。

 渋谷署管内の超一等地、松濤の戸建て住宅で窃盗事件が起きた。警視庁刑事部捜査第三課に連絡が入り、係長の指示で窃盗を捜査する第五係の萩尾秀一警部補はペアを組む武田秋穂と現場に赴く。渋谷署盗犯係の林崎係長とその部下たちに協力しながら、萩尾・秋穂のペアによる捜査がストーリーの中心になる。萩尾は刑事になって以来、盗犯担当一筋というベテランである。秋穂とペアを組むようになり、戸惑いを感じつつも、徐々に秋穂の持つ感性、女性の観察眼の鋭さに注目するようにもなってきていた。そんな一組の刑事の捜査活動が描かれて行く。

 被害に遭ったのは、現在は社名を「タテワキ」と改称した会社の経営者であり、資産家の家柄の館脇友久60歳。盗まれたのは「ソロモンの指輪」だけ。しかし、その指輪は国宝級のもので、なんと4億円で入手したと言う。館脇はその指輪を所蔵していることを世間に知られたくないと言う。
 館脇はその指輪のことを多くは語りたがらなかった。その内容を語ると、己の身に危険が迫る恐れがあり、命が危ないのだと訴える。だが、萩野は捜査の必要性から少しずつ指輪についての情報を聞き出していく。

 館脇は松濤の自宅の書斎、ドアの両脇の書棚の先の左右の壁と正面の壁にそれぞれ2つずつ合計6つ、ガラスがはめ込まれた陳列棚を設置している。部屋には窓がない。それぞれの棚は5段。そこに歴史的な考古学の出土品といえる品々が並んでいる。例えば、シュメールの楔形文字が刻まれた粘土板、それを入手するのに3億ほどかかっているという。館脇は古代史の研究や出土品の収集をするマニアなのだ。

 館脇は自宅全体とこれらの陳列棚について、大手の警備保障会社・トーケイとセキュリティ契約をしている。
 館脇は言う。未明の1時頃に陳列棚に指輪があった。そして午前8時に指輪がなくなっているのに気づいたと。その後、警察に連絡をしたのだ。

 萩尾が事件現場に居るとき、30代半ばの男が現れる。館脇は萩尾にその男を紹介した。石神達彦と称する私立探偵で元警察官。館脇は、警察とは別に、石神に事件の調査と併せて己の身辺警護を依頼していたのだ。
 
 館脇は結婚していない。両親の死後は一人暮らしの自宅である。松濤の家の鍵と防犯装置専用キーを持ち、陳列棚を開ける認識番号を知る人間は館脇本人以外に、次の二人が居ることがわかる。
 横山春江 55歳。家政婦。先代の頃から30年、この家に通いで働いている。
 雨森夕子 47歳。会社の秘書。館脇が自宅で仕事をすることが多いため。
 また館脇は、事件発生後に雇った石神に自宅の鍵と防犯装置専用キーを預ける機会があった。

 館脇がソロモンの指輪を所有することを知っているのは、その結果、家政婦の横山、秘書の雨森、この事件を契機に雇った石神、そして世田谷の美術館のキュレーターである音川理一だという。考古学的な展示で貸し出す折に音川と知り合い情報交換する持ちつ持たれつの関係にあるという。

 事件現場の書斎を検分後、萩尾は秋穂とともに、住居の周囲を見て回った。渋谷署の捜査員も同様にチェックしている。だが、だれも、窃盗犯が侵入できそうな個所、あるいは侵入したと思われる箇所を見出すことはできなかった。
 つまり、玄関か裏口のいずれかから鍵を使って入ったとしか思えないのだった。

 事件翌日、再び事件が発生する。松濤の館脇宅のリビングルームが荒らされたのである。現場を見た萩尾と秋穂はなぜか、その荒らされた状況に違和感を感じた。

 このストーリーのおもしろいところがいくつかある。
1.密室殺人事件と同様に、この事件は密室窃盗事件という状況にある。その捜査と謎解きが進んで行くことになる。
2.「ソロモンの指輪」の理解のために古代史に話が及んでいくこと。つまり、旧約聖書に記されたイスラエル王国の三代目の王、ソロモンという実在の王の指輪だという。鉄と真鍮でできた指輪。だが本物なら価値は計り知れない。
 館脇が言った音川への聞き込みから萩尾は古代史の背景を聞かされることになる。つまり、読者もまた、古代史に誘われる。それはさらに、超古代史であるアトランティスの話にまで及んでいく。古代史ロマンの香りが濃厚に折り込まれて行く。
3.館脇が指輪のことを公表すると命の危険を感じるというのは、古代史にリンクしている。音川が伝説化されていると言いつつ、イスラム教の分派のさらに分派である二ザール派の存在を語る。「山の老人」とか「山の長老」と称される暗殺教団が居るという。それが関わってくる可能性を示唆する。萩尾は音川の話の信憑性にとまどう。
4.館脇が命が危険に曝されていると主張するので、萩尾は係長にその旨報告する。その結果、捜査一課の刑事二人がこの窃盗事件に端を発して関わってくることになり、彼らが思わぬ方向に走り出すことになる。それは萩尾の目には冤罪事件を引き起こしかねない暴走に見える。そこでその対応を迫られる羽目になる。
5.「ソロモンの指輪」というキーワードが実に巧妙に使われている。このストーリーのモチーフはここにあるようだ。意外な事実展開へと進展する。
6.「窃盗」という犯罪事件の成立要件は何か。改めて、原点を考えさせるところが興味深い。

 読み初めて「ソロモンの指輪」という名称が出て来た時、最初に連想したのは、動物学者コンラート・ローレンツが書いた『ソロモンの指輪』という本のタイトルだった。この本のことはこのストーリーの中でもその名前が出てくる。
 ネット検索で調べてみると、「ソロモンの指輪」がトルコで発見されたというニュースが、2017年10月に報道があったようである。ひょっとしたら、これがこのフィクションの創作への一つのヒントになったのかも・・・・と後で思った。単行本のカバーの使われている指輪がそれに相当するものと思われる。

 このストーリー、密室窃盗事件という点と指輪の由来に関連する古代史語りの側面に引きこまれ、一気読みをしてしまった。エンターテインメント作品として面白い。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連し、関心事項を少しネット検索した。一覧にしておきたい。
ソロモンの指輪  :ウィキペディア
Magical Seal of Solomon May Have Been Found in Turkish Raid 
   Paul Seaburn   October 6, 2017  :「UNIVERSE」
伝説の「ソロモンの指輪」を遂にトルコで発見か! 悪魔を操り動物の声を聞く“神秘の指輪”を警察が押収、大騒ぎに!【歴史的偉業】 :「知的好奇心の扉 トカナ」
ギルガメッシュ  :ウィキペディア
ギルガメシュ叙事詩 :ウィキペディア
アトランティス  :ウィキペディア
ブラウン気体 :「オーバーツの謎 古代文明研究」
酸水素ガス  :ウィキペディア
「ソロモンの指環」とは何なのか :「VIEW NHKテキスト」
  コンラート・ローレンツの同名の本の解説の中で、「ソロモンの指輪」を語る。

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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『焦眉 警視庁強行犯係・樋口顕』  幻冬舎
『スクエア 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店
『機捜235』  光文社
『エムエス 継続捜査ゼミ2』  講談社
『プロフェッション』  講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』  角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18


『哄う北斎』  望月諒子  光文社

2020-09-17 17:04:49 | レビュー
 本書は書き下ろしの作品で、2020年7月に単行本として刊行された。
 クリムトの「婦人の肖像」という作品と葛飾北斎の肉筆浮世絵を絡めたアートミステリー小説である。上掲の本書表紙には、葛飾北斎の『富嶽三十六景』の中の「神奈川沖浪裏」をひとひねりして一層ダイナミックに転換した絵に仕立てられている。内表紙の裏面には「装幀 泉沢光雄 装画 影山 徹」と記されている。

 19世紀末、オーストリア帝国末期時代の画家、グスタフ・クリムトの「婦人の肖像」は実在する。北イタリア北部、内陸部のピアチェンツァに所在し、イタリア近代絵画コレクションを中心に展示するリッチ・オッディ近代美術館の所蔵作品である。この作品が1997年2月22日の夜間に盗難に遭った。だが、その作品が2019年12月に、なんと当美術館の外壁表面を覆うツタを庭師が除去したとき、金属製の小さなドアが発見され、その中から黒いビニール製のごみ袋に入れられたこの作品が無傷の状態で見つかったと言う。鑑定の結果真作であると判明したそうだ。史実である。
 レンブラント作「ガラリヤの海の嵐」が1990年にアメリカにあるガードナー美術館から盗まれたというのも事実だ。23年後にFBIは容疑者を特定したと発表しているが、未だ取り戻されてはいないようだ。
 一方、明治時代初期のお雇い外国人の一人にフェノロサが居る。岡倉天心とともに法隆寺の夢殿を訪れ、それまで秘仏であった救世観音菩薩像をその封印から解き放ち、世に開示させたことで有名だ。フェノロサは在日中に日本美術を大量に購入し、そのコレクションをアメリカに持ち帰った。帰国後、一時期ボストン美術館東洋部の主管となっている。彼のコレクションは後に売却され、ボストン美術館等に分散所蔵された。これもまた史実である。
 つい先日、原田マハ著『たゆたえども沈まず』を読み、明治時代に林忠正がパリに住み、日本美術商として活躍していた事実を知った。彼は勿論、浮世絵も手広く扱ったそうである。また、当時、同様に日本美術品を扱う山中商会がこの業界では大手として海外活動をしていたという。

 クリムトの「婦人の肖像」、北斎の肉筆浮世絵、フェノロサ・コレクション、林忠正、山中商会等のキーワードと史実が、この小説としてフィクションを織り交ぜ巧妙なアートミステリーに仕立て上げられている。美術ファンにとっては特に楽しめる作品の一つと言える。なぜなら、古美術関連の業界裏話や浮世絵知識などがふんだんに盛り込まれているからである。真作贋作問題がとりあげられていく。キーワードレベルであるが、著者はその中で「春峯庵事件」にも言及している。この事件のことを私は本書を介して、調べてみて遅ればせながら初めて知った。

 東京の古物商吉崎為一郎が、22年前の1997年に行方不明となっていたクリムト作「婦人の肖像」を発見したと報じた。それに本物という鑑定書が付いていると発表した。ところが、イアン・ノースウィッグがマリアとともに、若い頃にリッチ・オッディ近代美術館から直接自分たちで盗み出し、本物を手許にそのまま所蔵していた。22年間という歳月は、贋作を真作と称し、世に出すには良い時期でもある。イアンは自分の目で吉崎の手許の作品を確かめに行く。だが、この行動がイアンが日本で実行する仕事に影響を与えて行く羽目にもなる。

 「婦人の肖像」発見報道より、7ヵ月前に、一人の青年が銀座通りにある骨董店九龍堂に北斎版画「瀑布図」の初摺・井伏鱒二の肉筆原稿・尾形光琳の硯箱の3点を紙袋に入れて売りにきた。店主は30万円で買うという。その青年はそれをさらりと受け入れて立ち去った。読者はさりげない形で九龍堂とこの青年を記憶に残す。なぜ話が、ここに飛ぶのか。実はこれがこのストーリーの重要な伏線になっていた。読み進めて気づいたことだが・・・・。

 さて、このストーリーの軸となる部分に触れておこう。
 このストーリーの本筋である。イアンが吉崎の所有する「婦人の肖像」を自分の目で確認した後、アメリカに帰国する。空港でCIAのマクベインに待ち伏せされる。マクベインはイアンに仕事を依頼する。マクベインはイアンが本物の「婦人の肖像」を被匿していることを知っている。それを匂わせ、絵画盗難事件は彼の関心外であるとして、イアンに仕事を押し付ける。絵画盗難事件そのものは、アメリカではFBIの所管なのだ。
 マクベインの説明がおもしろい。あるギャングが、レンブラント作「ガラリヤの海の嵐」を持っていて、それを人道に対する罪で国際刑事裁判所から逮捕状が出ている人物-ある国の大統領-に売ろうとした。だが、その人物は日本画コレクションを欲しいという。北斎の肉筆浮世絵である。まさに希少価値のあるものだ。実在するかどうかも不詳。そこで、ギャングはレンブラントの盗難絵画を日本画と交換し、要人と取引をすることを考えたという。CIAはその要人を取引のためにアメリカに引き寄せ、取引現場でその要人を逮捕したいのである。そのためにイアンにはそれに該当する日本画を入手して欲しいという。盗難絵画事件はFBIが担当し、取引現場での要人逮捕をCIAが担当するという分担なのだ。CIAは金の用意ならできるが、自分たちでは日本画コレクションには関与できない。
 マクベインは北斎の浮世絵を入手できれば、要人逮捕後に交換にレンブラントの絵をイアンに引き渡すという。勿論、ガードナー美術館に一旦収納され、美術館とイアンの間での売買契約をCIAが成立させる形でである。
 CIAは、北斎の肉筆浮世絵が本物でも贋作でも関与しない。要人側の依頼を受けた鑑定人がそれらの作品を本物と鑑定して納得すればそれで良いということなのだ。
 イアンは「婦人の肖像」についての問題も解決する必要があり、日本の古美術には知識はないがこの仕事を引き受ける。
 マクベインはCIAの下部組織で働く有馬陸人をイアンのもとに協力者として送り込む。かれは葛飾北斎に関しては折り紙付きの博識なのだ。ここで、イアン、マリア、陸人がまずチームを組む。

 この本筋に対して、関連するする流れが複数織り交ぜられていく。
1.吉崎は発見したクリムトの作品をオークションの場に出す意志はない。相対取引で売るつもりなのだ。実業家の清水谷貴美が「婦人の肖像」を30億円で購入すると宣言する。彼は話題性を狙っていた。一方で、この作品が贋作ではないかという噂が流れ始める。
 そこで、清水谷は購入側として、別のエージェントに真贋鑑定をさせたいという購入条件をつけた。ここから、吉崎の思考と行動に揺らぎが出始める。
 その経緯の中で、イアンが密かに策動を始めて行く。
 このサブ・ストーリーは、吉崎と清水谷の関係の進展につれて、他のサブストーリーにも関連していく。

2.吉崎の手許にある「婦人の肖像」についての真作贋作問題は、ボストン美術館に飛び火していく。それは吉崎が「朱鷺の会」という日本の古美術に特化した集団の一員であることを看板にしてきたことと関連する。ボストン美術館はルービーズのアーサー・グリムウェードに協力を依頼する。ルービーズは城田伸次を日本に情報収集のために派遣する。
 城田は上司の指示でイアンとコンタクトをとる。イアンは東京で城田から日本古画の現在の流通状況を含め、この業界の裏話を知る。フィクションと現実を織り交ぜた狭間で話が展開していくところが興味深い。日本の古美術品業界の実情が垣間見えてくる。
 それは、真贋鑑定問題の難しさに関係していくことでもある。

3. イアンは北斎の肉筆浮世絵を求めて、城田の同伴で日本の古美術商を一週間かけて訪ね歩く。本物を入手できそうにない。そのプロセスで、城田からの情報を含め朱鷺の会の歴史と現状を知り始める。そして、既に訪れていた古美術商中の有力な一店とのコンタクトに絞り込んでいく。そこは今は朱鷺の会から抜けていた。それがマクベインから引き受けた仕事を成功に導く契機にもなる。
 勿論、この流れはイアンの仕事の本筋に直結するものである。さらに、イアンは清水谷に浮世絵へ目を向けさせることにより、清水谷・吉崎を巻き込み彼らを自滅させ手玉に取る作戦を組み込んで行く。相互に騙し合いが繰り返されるというおもしろい展開に引きこまれていく。

 サブ・ストーリーがほぼパラレルに進展しながら、それがこのストーリーの本筋、つまりメイン・ストリームの方向に収斂していく。そのプロセスで真実味を帯びていくのが、日本人に買い戻されて日本に送られたのではないかというフェノロサコレクションのうわさである。なぜその可能性があるのか・・・・そこがまさに虚実皮膜のところ、フィクションの醍醐味、おもしろみといえる。美術ファンにはロマンを感じさせる設定になっている。 事実は小説より奇なり、ということが現実にあればワクワクするのだが・・・・。

 著者がこのストーリーの中に記しているいくつかの文にふれておこう。
*日本の古画には無数の偽物がある。明治の初めに日本に来ていた欧米人が古画をはじめとする日本古美術を当時の欧米人に紹介し、バカみたいに売れた。・・・・腕のある絵師に、海外に売るための絵を描かせる美術商がいても不思議ではない。狩野派の絵の鑑定士が四人しかいなかったというから、誰も絵を鑑定できなかったということである。
 骨董の世界は、「大枚を払う余裕のある者は真物を買い、金のない蒐集家にはそれなりの、甲羅に合ったものがある」という。  p30-31
*版画は、初摺にしか本当の価値はないんです。初摺は二百枚と言われています。p112
*今となれば、もっとも価値の確実な日本の古画は、日本という国に封がされたまま、内部に倦むほどの絵画があり、かつ誰もその価値に意識を向けようとしなかった1880年代に、莫大な金を持って日本中を回ってほしいままに集めたビゲロー、モース、フェノロサのコレクションにあるものではないだろうか。  p157
*海外に渡った美術品は名だたる美術館に大切に保管され、その価値を認められて丁重に扱われている--などと考えてはならない。多くは死蔵されている。母国日本人にその価値がわからないものを、どうして外国のキュレーターに理解できるだろうか。  p157

 このストーリー、現時点での既知の事実結果と整合性した形でエンディングとなる。ている。
 この小説の副産物は、江戸時代の浮世絵、浮世絵版画について、無意識のうちにその幅広い知識の一端が読者にインプットされていくことにある。浮世絵に親しみを感じることになると思う。特に北斎については一歩深く知る機会にもなることだろう。

 些末なことかもしれないが、一個所気になる点がある。
 有馬陸人がイアンに北斎の生涯についてレクチャーする文脈での記述にある。
 「師匠の意に背いて勝川を破門になると、後の四、五年は俵屋宗達を名乗り、狂歌絵本などを手がけた。・・・・・・八十九歳で亡くなるまでに、宗理、可候、辰政、戴斗、北斎、為一、画狂人、卍老人と目まぐるしく名前を変えている。」(p108)の個所にある。
「後の四、五年は俵屋宗達を名乗り」は「宗理」の誤植ではなかろうか。勿論、陸人が説明する中での陸人のミスとして笑っておくこともできる。だが、事実データのレクチャーという設定場面であるので、基本的にそんな説明をするはずはないだろう。なぜなら、陸人は北斎に関して、折り紙つきの博識という設定なのだから。
 俵屋宗達自身も謎多き絵師だが、その名が有名なだけにこの個所を読み、アレッと気になった。

 いずれにしても、虚々実々の騙し合いが登場人物たちのそれぞれの側で繰り広げられていくというおもしろいストーリー展開である。

 序でに触れておきたい。単行本の表紙・裏表紙を見ていて気がついた。北斎の絵を回転させて巧みに組み合わせ浪に翻弄される舟の数を増やしてデフォルメし、いわば本歌取り的な趣きになっている。波浪と数多の舟が円として回転運動を続ける意匠なのだ。波浪が裏表でつながり、二つの円運動が生み出されている。そこで富士山が4つある。これもおもしろい。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
すみだ北斎美術館 ホームページ
  北斎について 
信州小布施 北斎館 ホームページ
  小布施と北斎
葛飾北斎  :ウィキペディア
神奈川沖浪裏 :ウィキペディア
婦人の肖像 (クリムト) :ウィキペディア
【第2話】法隆寺夢殿・救世観音像 発見物語 :「近代『仏像発見物語』をたどって」
アーネスト・フェノロサ  :ウィキペディア
フェノロサ :「コトバンク」
山中商会  :ウィキペディア
春峯庵事件 :ウィキペディア
春峯庵事件(1)浮世絵贋作事件のあらまし  :「ARTISTIAN」
春峯庵事件(2)浮世絵贋作事件関係者のその後 :「ARTISTIAN」
ボストン美術館を楽しむ7つの秘密  アートナビイゲーター ナカムラムニオ
  第1話 ボストンの三銃士 モース、フェノロサ、ビゲロー 1-2
絵画盗難事件一覧  :「Art & Bell by Tora」
米史上最大の美術品盗難事件の謎  :「Bloomberg」
米史上最大の美術品盗難事件から23年、FBIが容疑者特定 2013.3.19 :「REUTERS」
「キュレーター」の意味とは?美術界やネットでの仕事内容も紹介  :「TRANS.BIZ」
キュレーター  :ウィキペディア

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『焦眉 警視庁強行犯係・樋口顕』  今野 敏  幻冬舎

2020-09-15 11:29:52 | レビュー
 冒頭は2歳下の警部氏家譲から樋口が久しぶりに連絡を受ける場面から始まる。樋口は捜査一課殺人犯捜査第三係である。氏家は捜査二課の選挙係に本部内異動となったという。樋口は殺人事件の特別捜査本部がたったとき、ニ課への異動間なしの氏家とともに、一緒に捜査をすることになっていく。

 世田谷区代沢五丁目にある高級マンションの駐車場で中年男性の刺殺体が発見された。樋口班が出動する。そして北沢署に捜査本部ができることになり、樋口はそのまま北沢署に詰めることになった。安田検視官の見立ては、最初に腹部を刺され、うつぶせに倒れたところを、背面からさらに刺されたというものである。被害者は相沢和史、45歳。樋口班の小椋警部補と樋口はそれぞれ遺体を見て、ともに執拗な攻撃とそこに怨恨を感じた。
 北沢署に殺人事件として特別捜査本部が立つ。初動捜査で、被害者相沢は「株式会社四つ葉ファイナンス」という会社の代表取締役と判明し、実家が横須賀市であることがわかる。樋口は実家の両親に被害者のことと遺体の身元確認に警察署まで来て貰いたい旨を告げるという難しい役割を担うことになる。相沢の両親から、樋口は両親が相沢のために、2年前に100万、去年の6月に200万の金の都合をつけたという事実を聞かされる。

 翌日9時から捜査会議が始まり、天童管理官が報告をしたときに、異変が起こった。出入口から4人の男が入ってきたのだ。刑事部長が彼らを紹介した。捜査二課長の柴原警視正と、東京地検特捜部の検事2人、そして氏家である。樋口は事件が発生する前に、氏家の部署に立ち寄ったとき、偶然にも東京地検特捜部の2人の顔を見ていた。
 キャリアの柴原二課長が捜査本部に関与するという。選挙係の新任係長氏家を連絡係として捜査本部に常駐させるという。そして、捜査会議には柴原二課長と東京地検特捜部の二人も出席することになる。
 なぜ、殺人事件の捜査本部に、二課の選挙係と東京地検特捜部が関係するのか。田端課長を筆頭にして、天童、樋口もその意図が分からなかった。

 このストーリーのおもしろみは、警視庁の殺人事件の捜査本部における捜査の考え方並びに事件捜査の進め方の定石と、東京地検特捜部の捜査感覚との間に、大きな隔たりがあり、違う点を描き出して行くところにある。
 捜査本部は地道に証拠を積み重ね、犯人を絞り込んでいく演繹的なアプローチである。それに対し、東京地検特捜部は大きな事件の予兆をつかみ、事件のシナリオを描いて帰納法的アプローチで証拠を見つけ、事件を解決していくやり方に近いと天童や樋口は捕らえていた。

 この捜査本部が取り組む事件において、被害者が相沢和史であること。彼が秋葉康一と大学時代の同期で当時から今まで友人関係にあったこと。相沢は秋葉の選挙事務所に繰り返し寄付行為をしてきていたこと。この点が東京地検特捜本部の2人の検事、灰谷と荒木には重要なことだったのだ。市民運動家上りの秋葉康一は衆議院議員選に立候補し、その選挙区で与党現役議員を破り、衆議院議員に当選したのだった。
 柴原二課長は灰谷と荒木両検事が彼のもとを訪れた後、秋葉康一の選挙事務所に対し、選挙違反の捜査ということでガサ入れをしていた。それは相沢が殺される前である。
 そして、この相沢が殺されるという事件が発生したのだ。

 樋口たち捜査一課のメンバーは、灰谷・荒木のやり方に胡散くささを抱き始める。さらに、彼らの介入が東京地検特捜部のトップを含めた組織ぐるみでの事案なのか、誰か特定の者との関わり指示のもとでのこの二人の行動なのか、灰谷・荒木という二人の次元での飛び跳ねた捜査なのか・・・・その意図がつかめない。
 更に、刑事部長がどういう考えで捜査本部の会議への彼らの参加を認めたのか。また柴原二課長がどいう意図を持っているのか。彼が灰谷・荒木をどう見ているのか。樋口たちには皆目分からないのだ。
 そのような状況の中で、灰谷・荒木が防犯カメラの映像にキャッチされていたとして、秋元の秘書・亀田至を任意同行で捜査本部に連れて来るという独断行動を取ったのだ。それも、捜査本部の許可なしに、防犯カメラの映像を取り上げてしまっていたのだ。

 田端課長を筆頭にした捜査本部の実働部隊と灰谷・荒木という東京地検特捜本部との間で事件捜査について対立関係が発生して行く。
 
 樋口は、任意同行の亀田に対する灰谷・荒木の取り調べに対し、捜査本部として立ち合うことになる。捜査本部をいわば隠れ蓑にした形で、彼らのシナリオをもとにした取り調べや冤罪に繋がるようなやり方を防ぎたいと思った。
 この取り調べに立ち合ったことが、秋葉康一衆議院議員から抗議の電話が掛かり、それに対応せざるを得ない状況になったときに、樋口がその窓口として、状況説明をする役割を担わせられることに連なっていく。

 対立関係が続く中で、捜査本部はフル回転しながら、地道な犯罪証拠発見と犯人特定への捜査活動を継続していく。

 現実問題として、大阪地検特捜本部によりデータ改竄を行ってまで事件にした事例がある。このストーリーは、警視庁の殺人事件の特捜本部と東京地検特捜本部が事件捜査の進め方において、対立していく構造の中で捜査が進展していくプロセスを活写していく。
 
 青天の霹靂の如く、捜査本部とは無関係に、東京地検特捜部の灰谷と荒木が、亀田に対する逮捕状の許可を裁判所から得るという事態となる。
 捜査本部はどうなるのか。逮捕状が出れば、捜査本部存続の必要性はないのだが・・・・。亀田が犯人でないと確信する樋口たちには、真犯人を突き止めること、そして逮捕することが、焦眉の課題となっていく。

 やはり、このストーリーのおもしろみは、警視庁の特別捜査本部と東京地検特捜部との対立構造を設定した構想にあると思う。そして、その一方に存在する警察官と検事との関係、警視庁と東京地方検察局との関係、警察官・検事と裁判所の関係、さらにはキャリアとノンキャリアとの関係など、常につきまとう相互関係性である。また、国会で問題となった「忖度」という心理もこのストーリーに取り込まれていて、敏感に時代を反映させている点も興味深い。
 
 現職の警察官、検事がこの小説を読んだらどういう印象を持つのか。その本音を聞きたい気がする。

 ご一読ありがとうございます。

本書を読み、そこからの関心事項の波紋としてネット検索をした事項を一覧にしておきたい。
特捜部検事  :「法務省」
特捜とは|特捜を元特別捜査部所属の弁護士が解説  :「刑事弁護コラム」
三匹のおっさん記者、東京地検特捜部を語る 第1回 なぜ、検察は猪瀬直樹を逮捕できないのか 2014.6.1  :「現代ビジネス 講談社」 
障害者郵便制度悪用事件  :ウィキペディア 
忖度  :ウィキペディア
Category:日本の冤罪事件  :ウィキペディア
冤罪事件及び冤罪と疑われている主な事件  :「FANDOM」
冤罪事件に巻き込まれてしまったら  :「刑事弁護コラム」
【必見!】防犯カメラの設置に関する法律とは :「防犯カメラ設置会社ランキング」
街頭防犯カメラと法規制  前田 敬 氏 
No.1154?政治献金と寄附金 :「国税庁」
政治資金規正法  :ウィキペディア

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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『スクエア 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店
『機捜235』  光文社
『エムエス 継続捜査ゼミ2』  講談社
『プロフェッション』  講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』  角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18




『たゆたえども沈まず』  原田マハ  幻冬舎

2020-09-12 12:02:16 | レビュー
 1962年7月29日、オーヴエール=シュル=オワーズにあるラヴー食堂の入口で、店の主人らしき男と初老の日本人でゴッホの研究者がもめている場面に、2年前に70歳で機械技師を隠退したフィンセントと名乗る男が偶然に立ち合うことになる。この場面からストーリーが始まる。フィンセントが明かさなかったので、日本人研究者は知らずに別れたのだが、そのフィンセントと名乗る男は、フィンセント・ファン・ゴッホの弟・テオドロス(以下、テオと略す)の息子だった。
 このフィンセントが川の傍で青いインクでフランス語の文字が綴られた一通の古い手紙を繰り返し読む。それは、「親愛なるテオドロス」へ「ハヤシ タダマサ」が送った手紙だった。そこにジュウキチという名が記されている。ふいの突風が吹き付けフィンセントはその手紙を奪われ、手紙は川の真ん中にひらりと落ち、たゆたいながら流れ去った。
 この古い手紙の短い文面が、この後のストーリーの人間関係へとすごく自然にかつ巧みに読者を導いていく。一方、後で振り返ると、風に奪われてこの手紙が流れ去り後世に残らなかったということが、このフィクション創作にとって巧みな設定になっていることに気づいた。

 そこから時間は、1886年1月10日に溯る。その日、フランスに着いた加納重吉がパリのオートヴィル通りにある「若井・林商会」を訪れる。日本美術品をパリで売る当商会社長・林忠正にフランスに来いと呼ばれたのだ。このストーリーは、その時点から1891年5月中旬までの期間を描く。そこではフランスの19世紀後半の美術市場の状況が全体の背景となる。時代はジャン=レオン・ジェロームを筆頭とするフランスのアカデミーの画家たちの全盛の時代から、印象派とけなされた画家たちが逆に印象派という語句を逆手にとり、新興の画家一派として自らの存在を主張し認められ始めていく時代への過渡期である。かつヨーロッパに「ジャポニスム」が浸透し印象派の画家たちに大きな影響を与えて行く時代でもある。日本美術を讃美する「ジャポニザン」を自称することが、パリの文化人やブルジョワジーたちにとりちょっとした流行になった。その渦中での、様々な画商たちと画家たち、並びに画商と画家の関係、美術業界での駆け引きなどが、史実にフィクションを織り交ぜた創作として描かれて行く。

 特に焦点が当たっていくのがゴッホ兄弟である。兄のフィンセント・ファン・ゴッホは現代では印象派に続く世代の確固たる画家の一人として世に知られている。だが、フィンセントは オーヴエール=シュル=オワーズで自殺を試み、下宿の一室で弟のテオに看取られながら死んだ。その生涯に数多くの絵を描き、画商である弟に送り続けた。ファン・ゴッホとして知られる画家の絵で、彼が生きている間に売れたのは一作だとされる。また数枚という説もあるようだ。つまり、フィンセントの生涯という期間でみると、彼は美術界において無名の画家に留まったのだ。無名の画家である兄の絵の価値を信じ、兄フィンセントを資金的に支え続けたのはグーピル商会に務める画商で弟のテオだった。
 
 このストーリーは。日本美術品をパリで販売する美術商・林忠正と日本から呼び寄せられてこの商会に務めることになった加納重吉が眺めたフランスとパリ。叱責されながらも指導され、美術商として成長していく重吉の姿と重吉の思いが描かれる。パリに在住し美術業界で仕事をする日本人の立場・境遇と視点があきらかになる。
 このストーリーの中核は、テオと重吉が出会い、二人が交流を深めて行くプロセスを描くことにあると思う。そこに、テオの立場から見た敬愛する兄フィンセントの姿、並びに画家として己の絵を描こうと苦闘する兄の絵の真価を信じ、弟のテオが資金的に支援するという関係での経緯や悩みが描き込まれていく。重吉はテオを介して画家フィンセントと彼の絵を知ることになる。そしてテオの立場も。また、林忠正は重吉を介して、テオを知り、フィンセントの絵を知り、さらに独自にフィンセントの絵の価値について、己の感性で評価をしていく。また、日本美術品を手段としてその支援も行う。

 グーピル商会のパリ店に務める画商のテオは、フランス芸術アカデミーの巨匠とアカデミーの画家たちの絵を専ら売るという仕事をしてきた。だが、印象派の絵と接し、兄の絵を見て、彼は新しい美術の世界に目を向け、その美に引きこまれて行く。だが、現実の画商としてはアカデミー派の絵を褒め、それを売りさばき、自分が真に売りたいと思う絵を扱えないという実態に苦悩するという側面も描き込まれていく。兄への仕送りをし、オランダの母たち家族に仕送りをするには、アカデミー画家の絵を売り続けねばならないのだった。最後には、新興の画家たちの絵も扱えるように、時代は変化していくのだが・・・・。
 このストーリー、主にテオと重吉の視点からフィンセント・ファン・ゴッホの半生を知ることができる。また、フィンセントを支えた弟テオ自身の生き方を知ることができる。勿論、史実にフィクションが加わっているという前提があるが・・・・・。

 さて、読後に少しインターネットで調べて見た。勿論ゴッホ兄弟は実在した人物。林忠正もまた「若井・林商会」を運営し、パリにて日本美術品を商った実在人物である。ジャン=レオン・ジェロームやジュリアン・タンギーもまた実在した人々。
 加納重吉は著者が創作しフィクションとして加えた人物のようである。さらに、ゴッホ兄弟が生きていた時期に、林忠正がゴッホ兄弟との接点を持っていた痕跡は残ってはいないようである。

 本書のタイトル「たゆたえども沈まず」はパリのことだと言う。著者は林忠正が重吉に「そう。・・・・たゆたえども、パリは沈まず」と語って聞かせるシーンを描き込む。また、忠正に助言され、フィンセントが己の「日本」を探し求めてアルルに移住する。そして、フィンセントが己の耳を切るという自傷行為を起こした。テオを重吉と共にアルルの病室を訪れる。そして、兄がラテン語で言ったうわごとが「たゆたえども沈まず」というフレーズだったと描写する。

 本書には記述がないが、テオが亡くなった後、テオの墓は兄の墓の隣りに再埋葬された。ファン・ゴッホ・ミュージアム美術館のホームページには
A year later, Theo also passes away. His wife Jo knows the strength of their brotherly love, and therefore arranges for Theo to be reburied next to Vincent.
と、記されゴッホ兄弟の墓が並ぶ写真が紹介されている。

 私にとっては、兄ゴッホを金銭的に支援した画商の弟というだけの一行の知識を、フィクションを交えてとはいえ、パリにて画商として生き、必死に兄を支援したまるで一心同体のような弟の人生についてイメージを広げる機会になった。また、全く知らなかった林忠正という美術商についても知る機会となった。タンギー爺さんの絵は知っていたが、ジュリアン・タンギーという人を知る契機にもなった。

 本書は、「パピルス」(2014年12月号~2016年8月号)、「小説幻冬」(2016年11月号~2017年9月号)に連載された後、加筆修正し、2017年10月に単行本化された。2020年4月に幻冬舎文庫本の一冊となている。
 
 ゴッホ・ファンには、お薦めの一冊である。ゴッホについて関心のなかった人にとっても、ゴッホの絵への誘いとなる小説と言える。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する史実部分の事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
グーピル商会 :ウィキペディア
起立工商会社  :ウィキペディア
林忠正  :ウィキペディア
サミュエル・ビング  :ウィキペディア
エドモン・ド・ゴンクール  :ウィキペディア
ジャン=レオン・ジェローム  :ウィキペディア
3分でわかるジャン=レオン・ジェローム 印象派大嫌い、でも、弟子はカサット。新古典派の巨匠ジェロームの生涯と作品  :「ノラの絵画の時間」
フィンセント・ファン・ゴッホ  :ウィキペディア
テオドルス・ファン・ゴッホ   :ウィキペディア
ゴッホの考察サイト ホームページ
有名な「13歳のゴッホの写真」、実際は「弟のテオ」だったと判明 :「HUFFPOST」
ファン・ゴッホ・ミュージアム Van Gogh Museum  英語版ホームページ
   美術館に行こう  日本語のページ
ゴッホ美術館 :ウィキペディア
タンギー爺さん  :ウィキペディア
タンギー爺さん フィンセント・ファン・ゴッホ  :「This is Media」

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こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。

『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  PHP
『アノニム』  角川書店




『暴虎の牙』  柚月裕子  角川書店

2020-09-11 16:59:44 | レビュー
 プロローグは、野球帽、龍(ジャンパーの背に龍)、青シャツという単語で表記された3人の少年が瀕死の男をリヤカーに積み、雨のふる山道を引き上げて山中に入る場面から始まる。野球帽が拳銃でその男にとどめをさし、三人で穴に埋める。龍に拳銃のことを尋ねられて、野球帽は「たったいま、親父の形見になったのう」と答える。このストーリー、衝撃的な状景描写から始まる。初っ端から読者はグッと引きこまれるのではないか。

 本編のストーリーは昭和57年6月、沖虎彦・三島孝康・重田元の3人が、広島博徒の草分けで老舗組織の綿船組が仕切る賭場を襲撃し、賭場の金を強奪する行動に出る場面から始まる。

 この小説、広い視点からは警察小説の範疇に入るのだろう。なぜなら、ストーリーの前半には広島北署捜査ニ課暴力団係の大上章吾がいわば芝居の脇役的な形で登場するからだ。ストーリーの中心は、沖・三島・重田という三人組であり、彼らが繰り広げる暴力的行動の展開が描かれて行く。3人は幼馴染みで、沖虎彦をリーダーにしてつるんでいる。常に3人が一緒になり行動を共にしてきた。そして、彼らの行動に共鳴して仲間が集まり、沖虎彦のもとに呉寅会という集団が形成されていく。だが、沖は上下関係の規律は持ち込まず仲間という意識を紐帯とした組織を創っていく。愚連隊である。

 沖たちは呉原市に生まれ育った。沖の父・沖勝三は呉原市を拠点とする五十子会に属する組員だった。シャブに溺れ、家族から金を巻き上げ、暴力を振るってきた。その結末がプロローグである。その父の姿を見てきた沖はその経験から「ヤクザは臆病者だ。自分が弱いから、さらに弱い者を痛めつける。バッジを外せば、ただの腰抜けだ」(p19)と冷徹にとらえている。だから恐れることなくヤクザに立ち向かって行く。
 沖は五十子会という暴力団組織を敵視し、五十子会を壊滅させることを目論んでいた。愚連隊集団を形成しているが、彼の信条は一般市民(堅気)には手を出さない。あくまで、薄汚い極道、暴力団をターゲットにして行動することだ。暴力団から自分たちの行動資金を獲得するというものである。五十子会関連下部組織の麻薬取引現場を襲い強奪するなどの行動を重ねていく。呉原市を拠点にしづらくなり、呉寅会の中核である三人組は広島市内に拠点を移し潜伏する。
 そして、広島市内の暴力団組織・綿船組とその関連下部組織を資金獲得のターゲットにする。
 沖は、広島で天下を取るという野望を抱くようになっていく。

 喫茶店「ブルー」で、沖ら三人組は、連れと一緒に来た森岡と会い、頼まれた債権回収の交渉をする。たまたま居合わせた大上が仲裁に入ることから、沖たちと大上の関係が生まれていく。森岡の連れは綿貫組の組員であり、その喫茶店は綿船組のシマにあった。
 大上はかつて沖勝三を覚せい剤所持の容疑で引っ張ったことがあり、喫茶店で虎彦を見ていて、勝三の若い頃の顔を連想した。後ほど大上は、表沙汰にはなっていないが暴力団関連で発生してきた諸事件と沖ら三人組の動きを時系列的に結びつけ推理を進めていく。
 ここで興味深いのは、大上が沖ら三人組と呉寅会の行動を見守るというスタンスを取っていくことにある。「わしの仕事はのう。堅気に迷惑をかける外道を潰すことじゃ。そういうことよ」(p224)と。

 このストーリー、沖ら三人組と呉寅会が暴力団組織との間で起こす事件を次々に連鎖させていく。その先には当然の帰結として、呉寅会と綿貫組との全面戦争への方向に進むが、警察の介入、つまり大上により阻止される。

 そして、ストーリーは平成16年にタイムスリップしていく。その時点では既に大上は亡くなっていた。そして大上の思いは、呉原東署捜査二課暴力団係・日高が引き継いでいた。さらに、暴力団の組織も変化していた。
 ある決意を秘めた沖虎彦の行動がこの時点から再開されていく。

 このストーリーのおもしろさはいくつかある。
1) なぜ沖虎彦という暴虎の如く牙をむく男が生まれたか、その忿怒の原点を虎彦の回想の形で描き込んでいること。
2) 沖虎彦・三島孝康・重田元の三人組の形成と破綻が描かれていくこと。
3) 愚連隊が暴力団を襲うという事件の連鎖。表沙汰にならない暴力的な事件であるために、警察には直接的に知られないし、介入できない事件が次々に連鎖して行く。そこに沖虎彦の襲撃構想が反映されていく展開となる。いわば、長編の中にショート・ストーリーが織込まれて行く感じでもある。
4) 大上刑事が堅気には迷惑を及ばせないという立場で黒子的な役割の行動をとる点。
 そして、大上刑事のアクの強さがおもしろい。
5)ストーリーを昭和57年6月から平成16年にタイムスリップさせて展開するという構想のおもしろさ。

 一番興味深いのは、警察小説のジャンルに入る小説でありながら、いわゆる警察がほとんど表に出てくることなしに暴力行為の連鎖を扱うストーリーであることだ。私が著者の作品群を読んで来た範囲の記憶では、こんなスタイルで展開する作品はなかったと思う。

 大上刑事のスタンスのもう一つは、ある時点で大上が沖に向かって放った言葉にあるように思う。
 「ええか。わしが言うたこと、忘れんなや。ちいと大人しゅうしとれ。極道はのう、一遍、殺ると決めたら、なにがあっても殺りにくるんで。特にこんなみとうなんは、ただでは殺してくれん。散々いたぶって、なぶり殺しにされるんど」(p315)

 エピローグは、意外な結末を描き出していく。
 どういう展開になっていくのかと、このストーリーを一気に読んでしまった。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『検事の信義』  角川書店
『盤上の向日葵』  中央公論新社
『凶犬の眼』  角川書店
『合理的にあり得ない 上水流涼子の解明』  講談社
『蟻の菜園 -アント・ガーデン-』 宝島社
『朽ちないサクラ』  徳間書店
『孤狼の血』  角川書店
『あしたの君へ』 文藝春秋
『パレートの誤算』 祥伝社
『慈雨』 集英社
『ウツボカズラの甘い息』 幻冬舎
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社

『アノニム』  原田マハ  角川書店

2020-09-09 23:26:43 | レビュー
 本書のタイトル「アノニム」は、謎のアート窃盗団<anonyme アノニム>を意味する。コンテンポラリー・アートの画家であるジャクソン・ポロックの初期の大作「ナンバー・ゼロ」をキーワードにした痛快でスリリングなストーリーである。
 ジャックソン・ポロックは実在した画家。表紙の背景に使われているのはポロック作「Number 1A」で1948年の作品。ニューヨーク近代美術館所蔵だという。
 この小説はフィクションである。「小説 野性時代」の2015年5月号~2016年7月号、2016年9月号~2016年11月号に連載され、2017年6月に単行本として刊行された。

 ストーリーの舞台は香港。冒頭は、張英才という17歳の高校三年生の少年が、古ぼけた高層アパートの一室の床いっぱいに新聞紙を広げてそこに己の「作品」を描くというシーンから始まる。彼は難読症(デキスレクシア)という症状を抱えている。脳が文字を判別できないが、言葉として理解はできる。文字が「絵」に見え、その「絵」をつなげイメージにして画像で理解する。文字が連なり「文章」となり意味を理解するということができない。アインシュタイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ステーヴン・スピルバーグらもこの症状を抱えていたという。そのことを知り、英才は己を不世出の天才アーティストだと確信している。そんな英才の日常生活と行動をひとつのストーリーとして描き出していく。
 一方で、謎のアート窃盗団<アノニム>の直近の活躍事例がトピックとして登場する。<アノニム>は「盗まれた名画を盗み返す」謎の窃盗団である。イタリアのフィレンツェ近郊の修道院所属の小さな美術館「ピッコリ・フィオーレ」の名画、フラ・アンジェリコ作「受胎告知」が盗まれてしまったが、それを<アノニム>がいずこかから盗み返し、この美術館に元通りに戻したのだ。冒頭の本書の表紙中央に書かれたマークのステッカーを名画の裏に貼って。名画は隅々までクリーニングし修復されて、詳細なレポートと真作である鑑定結果を添付すると念を入れて・・・・。まず、このエピソードがアート好きの読者を惹きつけるだろう。

 張英才の日常生活ストーリーと並行してもう一つのストーリーが進行する。サザビーズ香港がコンベンション・センターでアートフェアを開催した後、三日間の日程でオークションを開催する。このサザビーズのオークションのプロセスが描き出されていく。
 そのオークションに70代のアメリカ人女性、ロレンダ・ボシュロムが所蔵していたジャクソン・ポロックの「ナンバー・ゼロ」を出品した。この作品がサザビーズ香港のメイン・セールの超目玉作品となる。この作品は研究者の間でその存在が囁かれながらどこにあるかが不明だったのだ。
 ロレンダは父親からの相続財産の中にこの絵が含まれていることを知り、世界を代表するアートコレクターの一人、台湾人の蒋恩堂(通称<ジェット>)にその作品の真偽を確かめるために連絡をした。ジェットは「創大集団」というIT企業を成功させて財を築いた富豪である。ジェットは未発見のジャクソン・ポロックの絵と判断したが、その確認のためにジェットは、ロンドン在住の世界的な鑑定士にしてフリーランスで活躍し神の手を持つ美術品修復家サラ・グッドマン(通称<ネバネス>)にその絵の鑑定を依頼する。一方、サザビーズニューヨークのオークショニア、パトリック・ダンドラン(通称<ネゴ>)とも連絡を取る。この絵はジャクソン・ポロックの真作と鑑定される。ロレンダはこの作品をオークションに出品し、その売上げで「ロレンダ・ボシュロム芸術財団」を設立し、アジアで活動する若手アーティストの支援をすることになる。
 オークションに至るまでのプロセス及びネゴが取り仕切っていくオークションの仕組みとそのオークション会場での競り合いの描写が読ませどころとなっていく。
 ネゴはロレンダに言う。「1億USドル+1ドル・・・・以上で落札させてみせます。」(p68)と。「ナンバーゼロ」のオークションは1000万ドルからスタートする。
 そこに、<アノニム>が絡んでいく。この絡み方がこの小説の一捻りしたおもしろさ、痛快さとなって行く。張英才のストーリーの進行とサザビース香港のオークション開催が、<アノニム>と張英才との接点を生む。

 モナコ公国のモンテカルロには、<ゼウス>と通称される男が居館を構えている。正体不明の大富豪であり、己が「ほしい」と思った美術品は問答無用で奪い取り、必ず我がものにするという人物。彼の哲学は、超一流の美術品を所有することである。ゼウスは「ナンバー・ゼロ」を我が物にすることを目指す。居館内の一つの部屋を改装して「ナンバー・ゼロ」を部屋に飾る準備も既にしていた。ゼウスの配下であり、ケイマン島でマネー・ロンダリングにもかかわる通称<ヘロデ>がゼウスの代理人となり、ビッダー「X」としてオークションに参加する。落札できなければ、ヘロデは自分自身の命が危うくなるものとお恐れている。

 <アノニム>がサザビーズのオークションにどう絡むのか?
 黒幕ゼウスの代理であるビッダー「X」に、正当なオークション取引を経て史上最高値で「ナンバー・ゼロ」を落札させる。落札後、作品は直ちに買い手のもとに搬出される予定になっている。飛行場で即時通関手続きが完了する前、その搬送プロセスの途中でその原作を贋作とすり替える。一方、アノニムの名前で張英才に「ナンバー・ゼロ」の画像を送り、そのコピーを描かせる。英才の描いた絵を真作とすり替える贋作とする。獲得した真作を然るべき場所にて人々が鑑賞できるようにする。
 これが<アノニム>にとり、今回のミッションとなる。つまり、ゼウスを手玉に取り、悪銭を社会に役立つ原資にするために一役買うということなのだ。
 つまり「ナンバー・ゼロ」がこの小説の裏の主人公になっている。

 そこで、謎の窃盗団<アノニム>のメンバーを、本書の目次の次に載るイラスト入り登場人物の紹介を一部利用し、最後にご紹介しておこう。
 アノニムのボスは上記のジェットであり、もちろんネバネスとネゴはジェットの信念・信条に共鳴し賛同したメンバーである。さらに、同様に賛同し行動を共にするメンバーは次の人々だ。
 エポック ゼキ・ハヤル。イスタンブールでトルコ絨毯店を営む経営者。
      別名で美術史家としても活躍。
 ミリ   真矢美里。香港の巨大美術館のコンペに競り勝ち、メイン・アーキテクト
      として派遣された建築家。
 ヤミー  ダリダ・フィオレンティーナ。ブルックリンでギャラリーを経営する美女。
 オブリージュ ジャック=フランソワ=フロマンタン=エリ=ド・ブルゴー=
      ドリュクレー。ラグジャリーブランドのオーナーでありファイン・アート
      のコレクター
 オーサム ラヤ・シン。天才エンジニアであり、アノニムメンバーでは最年少。

 最新のIT技術がフィクション部分も含めストーリーの中で駆使される。また、香港社会のある時期の学生運動の様相も部分的に活写されていく。

 本書の表紙に描かれた文字は<アノニム>がステッカーに使うマークだが、著者はネバネスに「美の女神アフロディーテの頭文字ですわね。」(p179)と語らせている。

 最後に、このストーリーの中で、印象深い文をいくつか引用しておきたい。
*このおれがいるかぎり ここがせかいのまんなかだ   p16
*The world is your oyster. Good luck!
なんだってできるはずだ。幸運を!
*始めるまえからあきらめてしまったら、何も起こらず、何も変わらない。世界を変えることができるかもしれない、って、ひとりひとりが思うことが、ほんとうに世界を変えていく力に変わっていくんだ。 p285-286
*おれたちには何もない、だからこそ、おれたちにはすべてがある。おれたちは可能性のかたまりなんだ。
 いまこそ、叫ぼう。叫んでみよう。一緒に進もう。そして生き抜こう。
 きっと、おれたちの目の前で、世界へのドアが開くはずだ!     p287

ご一読ありがとうございます。

本書に関係する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
ジャクソン・ポロック  :ウィキペディア
【美術解説】ジャクソン・ポロック「アクションペインティング」
                :「Artpedia/近現代美術の百科事典」
Jackson Pollock  From Wikipedia, the free encyclopedia
ジャクソン・ポロック 基本情報 作品一覧 :「MUSEY」
Sotheby's  ホームページ
   サザビーズ ジャパン    
世界の名作が集まる「サザビーズ」オークションの知られざる裏側:「DIAMONDE online」
世界中の至宝が取引されるサザビーズオークションへ参加する方法 :「ZUU online」
サザビーズ :ウィキペディア
フラ・アンジェリコ :ウィキペディア
作品解説 「受胎告知」フラ・アンジェリコ作 :「西洋絵画美術館」
抽象表現主義  :ウィキペディア
抽象表現主義  :「artscape アートスケープ」
「抽象表現主義」とは?代表的な画家と作品を解説 :「This is Media」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  PHP



『巨鯨の海』  伊東 潤   光文社文庫

2020-09-05 17:16:01 | レビュー
 和歌山県東牟婁郡に太地町がある。太地町のホームページを検索すると、トップページに、「古式捕鯨発祥の地」という言葉が冠されている。
 本書は、江戸時代から明治時代の初期にかけて、紀伊半島の漁村・太地において黒潮にのり近海を通過する鯨を「組織捕鯨」という漁法で捕獲する人々の姿をフィクションとして描いた短編連作集である。ここに描き出された漁法が古式捕鯨と称されるものである。

 太地町のホームページを見ると、「太地町ってこんな町」というページに、
 「太地は日本における捕鯨発祥の地だと言われています。日本人が何千年も前から鯨類を利用していたのは多くの考古学的事実からわかっていますが、組織的な産業活動として成功させたのは、史実によって確認できる限り、太地の和田頼元(わだよりもと)が最初だと考えられています。
 武士の出であった頼元は、兵法の観点から捕鯨に取り組みました。船乗りを組織し、山見と呼ばれる探鯨台を設置し、旗や狼煙(のろし)による通信網を整備するなどの戦いの技術を駆使して、鯨を捕獲したのです。」と説明されている。太地町には「くじらの博物館」がある。

 本書では、本方と呼ばれる鯨組棟梁の太地角右衛門頼盛とその後継者のもとに、組織捕鯨が行われていた状況を様々な角度から切り取り、6編の短編連作として描いている。江戸時代末期から明治12年までの漁村・太地の共同体社会の構造、分業体制、組織捕鯨の実態、太地で生活する人々の姿などが活写されている。併せて太地における捕鯨の沿革にも触れている。古式捕鯨がどういう風に行われていたのかについてイメージしやすくなる小説である。
 「小説宝石」の2012年1月号から2013年2月号までの期間に各短編が掲載され、2013年4月に単行本として刊行された後、加筆、修正して2015年9月に文庫本化されている。

 本書を読むと、古式捕鯨としての組織捕鯨は次のような組織になっていたことが理解できる。
 本方 鯨組棟梁・太地角右衛門頼盛 組織の頂点に居て捕鯨の運営を行う元締め。
         頼盛の後継者は太地覚悟(旧名は角右衛門頼成)
 組織捕鯨の体制 
  沖合衆(鯨船の乗組員) 総勢200~300人
   勢子船 刃刺(銛を打ち込む頭)、刺水主(刃刺の補助役)、水主(漕ぎ手)
       艫押(ともおし:舵取り)、取付(雑用係の少年)、炊夫(炊事係)
       長さ6間(約11m)幅1間(約1.8m)。計16艘。一艘あたり13~16人
       1番船~5番船は船の側面が極彩色の絵模様で彩られている。
   持双船 捕獲した鯨を曳航する船。計4艘。
   樽 船 鯨漁で使われる綱・網・浮樽などを回収する船。計5艘
   道具船(だんぺい) 補助の道具や食料を運ぶ母船
   網 船 鯨を捕らえる網代を張る役割。勢子船がまずこの網代に鯨を追い込む。
  燈明崎の山見番所 山旦那(責任者)
   鯨の発見と識別、勢子采(出漁の合図旗)を振る判断を行う
   吹き流しの区別により、鯨の種類や位置を伝達する役割
  納屋衆(浜辺での鯨の解体から売買までを引き受け、裏方の仕事をする人々)
   隠退した水主や太地の人間で体力に劣る者が従事する。

 江戸中期の太地は空前の豊漁期にあり、地生えの者だけでは水主の手が足りず、東国から水主を募り、旅水主が集まってきていたという。いわば臨時契約の季節労働者である。上記の通り、網取り漁法には大勢の人手が必要なので、太地では積極的に外部から人材を招き入れた。旅水主用の水主納屋を地元民家とは離れた向島に設けていたという。
 太地角右衛門家は破格の分限者である。財政の行き詰まっている新宮藩水野家は、和歌山藩から2000両にも及ぶ多額の借金をしていて、太地角右衛門がこの保証人になっていた。そこで、太地内での事件は太地の共同体社会内の独自判断で処理する一種治外法権が認められていたと著者は描いている。
 この小説で初めて知ったのだが、江戸末期までは太地鯨組と競合関係になる新宮藩経営の三輪崎鯨組が存在したという。明治維新後に太地覚悟(旧名は角右衛門頼成)に三輪崎鯨組が払い下げられたと著者は描いている。

 各短編について、簡略にご紹介しておきたい。
 <旅刃刺の仁吉>
 刃刺の家に生まれた音松と仁吉との出会いの経緯と鯨組での関わりを描く。仁吉は旅刃刺として4番船を任され、将来刃刺になりたいという夢を抱く音吉も4番船に乗ることになり、仁吉のもとで刃刺への道を歩み出す。
 太地の組織捕鯨の仕組み及び日本での捕鯨の沿革を背景として描いた上で、捕鯨のダイナミックなプロセスが描かれる。なぜ、仁吉が旅刃刺になったかの過去が音松に語られる。一方、太地鯨組が再度の沖立をし、その捕鯨の状況が描かれて行くが。その過程で5番船の石太夫の独自行動が問題を引き起こす。鯨が引き起こした波浪の影響を受け4番船に乗る音松は海に放り出されてしまう。さて、どうなるかが読ませどころ。

 <恨み鯨>
 抹香鯨の捕鯨プロセスが描かれる。二頭目の鯨が現れるという状況での捕獲となる。結果的に若い方の鯨を捕獲できる。だが、抹香鯨の腸内から採れる龍涎香が抜き取られるという問題が発生する。その盗人は沖合衆の誰かだという。下手人探しが始まる。
 最後の鯨を逃してから一週間が経ち、やっと出漁のチャンスが巡ってくる。抹香のはぐれ鯨が対象となったが、それは既に傷を負っている恨み鯨だった。恨み鯨を獲らないのが太地の仕来りだった。だがこの鯨の捕獲について意見が割れ、結果的に捕獲行動を取る。そして鯨との壮絶な闘いになっていく。この捕鯨のチャンスには、沖合である祥太夫の下手人に対する謎掛けが伏線にあった。

 <物言わぬ海>
 湾に追い込まれた全長約9mの槌鯨の捕獲を浜辺で見た五人の少年たちが、その後沖合での組織捕鯨の実際を間近に見たいと思う。密かに小舟に乗り、捕鯨現場にできるだけ近く、だが大人たちには見つからない距離まで近づいて行く。喘息持ちの与一、耳が聞こえず細工物が得意な喜兵次、母親の連れ子で義父からいつも辛く当たられる次郎吉、太地の商い方の子の音吉、そして与一たちより一つ年長で泳ぎが上手で刃刺の父を持つ孫太郎の5人。孫太郎はこの冒険のリーダー格である。
 捕鯨は逃げようとする鯨との闘いであり、場所が移動していく。それに併せて少年たちも小舟を移動させるのだが、潮と風に翻弄されるようになる。小舟の漂流と少年たちの変化の経緯が描かれる。少年たちが絶望しかけた矢先に大人たちに救助される。だが、この経験がその後の太地でのそれぞれの人生の岐路となっていく。
 思わぬ事態が、人の人生を変えていく契機になる。そのことを考えさせられる短編である。人生、何がきっかけでどう変転するかわからぬもの・・・・・・。

 <比丘尼殺し>
 新宮城下で熊野比丘尼が殺された。熊野比丘尼は、熊野信仰を全国に伝え、近隣を旅し護符や絵草紙を売り歩く。時には食べていくために若い比丘尼は春をひさぐこともする。
 比丘尼や辻君の殺しは4人目だった。手口は同じ。殺された比丘尼を見つけた老人は三輪崎で鯨取りをしていた経験から、手形包丁を使った熟練した鯨取りの仕業だと言う。
 口問い(岡引)の晋吉は同心から太地に潜り込んで下手人を見つけ、証拠をつかめと指示をうける。支度金2両、うまくいけば10両の褒美を約束される。晋吉は三輪崎で水主の修業をした上で、旅水主として太地に乗り込んで行く。
 太地は一種の治外法権を暗黙に認められた地域。口問いとばれれば、己の命はないものと覚悟しなければならない。旅水主として太地に雇われた晋吉の密かな探索が始まる。
 この短編、最後に哀しいオチがつく。人間の心理の禍の一局面を著者は捕らえている。

 <訣別の時>
 世間は「御一新」と呼ばれる内戦の最中にある。その時期の太地に生きる太蔵の人生の岐路を描く。そこには兄二人の人生も関わってくる。14歳の太蔵はまわりから”へこい者”(変わり者)とみられている。太地で生き、太地で死んで行くという生き方に疑問を感じていて、いつか広い世界に出てみたいと思っている。体が弱く、血を見るのが嫌いであり、鯨漁を憎んですらいる。
 太蔵の父は腕のいい水主だった。己の夢を三人の息子に託す。長男の吉藏は七番船の刃刺に、次男の才蔵もまた働きが認められれば刃刺になれる可能性を秘めていた。二人はごく自然に鯨取りの道を進んでいる。
 太蔵は、坊主になるか、丁稚に行くかと迫られ、どちらも嫌だと言う。その結果、嫌々ながら鯨取りの場を体験する羽目になる。満太夫を刃刺とする九番船の炊夫として鯨漁に加わることになる。この船には兄の才蔵も乗っている。子持ちの雌の背美鯨の捕鯨となるがそれが失敗する顛末が描き出されていく。この鯨漁のプロセスで才蔵は刃刺の満太夫を殴るという行動に出てしまう。一方、吉藏は大怪我をし、命を取り留めたが動けぬ人になる。兄二人のこの状況の中で、太蔵は己の生き方を迫られていく。
 この短編もまた、人生の岐路に立たされた男の生き様を描いている。太地という共同体社会で生きる上での生活の保障とその見返りとしての服従、という暗黙の掟の側面も描き出されていく。少年から大人への訣別の時が来たのだ。そこには二重三重の意味合いが加わっている。そこが読ませどころになっている。

 <弥惣平の鐘>
 小型の鰯鯨の捕獲で、持双船の水主・弥惣平が鯨に上がった刺水主に留綱を渡す役割を果たす場面から始まって行く。その時アクシデントが起こる。
 明治11年(1878)頃の太地の環境変化を背景に描く。米国の捕鯨船が近海に出没するようになり、太地では不漁が続く。旅水主も30人余に減り、刃刺株制度も廃止され、鯨組の存続も危惧される状態に来ている。
 本方の決断で、雨模様の寒空の下で沖待ちするやり方で鯨漁が始まる。この鯨漁は200名以上の船子たちが遭難する事態になっていく。その経緯がここに活写されていく。生還できたのは70名ほど、未帰還者は135名に及び、その中には幼水主(すなり)の少年たち全員が含まれていたという。「大背美流れ」と呼ばれる国内でも未曽有の海難事故となった。
 この海難事故の経緯が、弥惣平と旅水主の常吉を軸に、描き出されて行く。なぜ常吉が旅水主になったかの理由も明らかになっていく。
 弥惣平は翌年の正月を漂着した神津島で過ごした後、遭難から約1ヵ月後に太地に帰郷する。弥惣平は常吉が旅水主になった背景に抱えていた問題を代わりに解決する行動に出た。その顛末と、なぜ「弥惣平の鐘」なのかが最後に描かれる。
 この海難事故のプロセスがこの短編の読ませどころと言える。

 この太地という漁村で行われていた古式捕鯨の歴史的事実とその変遷を踏まえた上でフィクションとして描き出された。鯨を「戎様」と呼び、敬いつつも巨鯨と闘い捕獲することで生活してきた人々の存在を活写している。それは鯨を無闇に捕獲するということとは程遠い。この小説から鯨と共に生きた太地という共同体社会の人々の生き様の明暗両面を感じることができる。

 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
古式捕鯨発祥の地 太地町  ホームページ
古式捕鯨の開祖・和田忠兵衛頼元  :「太地町観光協会」
燈明崎  :「み熊野ねっと」
燈明崎  :「太地町観光協会」
大背美流れ(おおせみながれ) 太地とくじら  :「太地町観光協会」
太地角右衛門と熊野捕鯨 ホームページ
  御挨拶  太地 亮
  明治11年(1878年)鯨船漂流事故  
古式捕鯨ゆかりの史跡が数多く残る「くじらの町」太地町 :「わかやま歴史物語100」
現代も息づく、三輪崎の鯨方の史跡と文化  :「わかやま歴史物語100」
太地町立 くじらの博物館 ホームページ
   太地の「六鯨」
   捕鯨絵図

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
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こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『茶聖』   幻冬舎
『天下人の茶』  文藝春秋
『国を蹴った男』  講談社 

『決戦! 本能寺』 伊東・矢野・天野・宮本・木下・葉室・冲方  講談社
『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社
『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社
   伊東 潤 の短編作品「人を致して」が収録されています。

『天使も怪物も眠る夜』  吉田篤弘  中央公論新社

2020-09-02 16:52:47 | レビュー
 2019年「螺旋プロジェクト」の一環作品ということで読んでみた。この作品は、このプロジェクトにおいては、「未来」を扱う作品となっている。近未来の先にある未来である。『小説BOC』の創刊号~10号(2016年4月~2018年7月)に連載されたものに加筆・修正され2019年7月に単行本化されている。

 2095年の東京は慢性的な「不眠の都」になっている。その東京の都心部を東西に分断し厚さおよそ1m、高さ約6mの<壁>ができている。<壁>が建てられたのは2071年、今や四半世紀を数える。<壁>は大昔に巨大な団地群があったエリアを二分化していた。当初は<壁>の存在が暴徒たちの戦場ともなった時期がある。そして、<壁>には数多くの地下道が作られた。今では廃墟となり、「手つかずのまま名前もわからない植物がはびこり、野性の匂いを放つジャングルに化けて」(p21)「バラ線地帯」と称されるエリアができている。なぜ<壁>が建設されたのかは曖昧なままにとどまるという。そんな社会的背景の中でこの物語がはじまる。

 人々は不眠に陥り、「面白くない小説」が睡眠導入アイテムとして重宝されている。そして、「面白い小説」はただちに睡眠妨害とみなされ発売禁止になる、焚書の対象にすらなっている。マユズミは「面白くない小説」を書く作家としてもてはやされ、ひと月に12冊もの新作を書く売れっ子作家となっていた。そのマユズミのもとに一冊の本が送られてくる。その本の著者は黛犀二郎(マユズミサイジロウ)著『眠り姫の寝台』で、版元はホノルル書房、2057年5月2日の刊行となっている。マユズミはその本に覚えがなかった。その刊行日はマユズミの生まれた日でもあった。その版元は21世紀を代表する出版社であり、データベースにはその本は登録されていず、調べてみて黛犀二郎という作家はマユズミ自身以外には存在しないことも分かった。送付されてきた封筒の裏には住所と差出人の名前が記されている。マユズミはこれを手がかりに、この本についての謎を探ろうとする。マユズミはその住所に訪ねて行く。

 記されていた住所と氏名は実在した。差出人はフタミナツメで、ルーフォックス・オルメス探偵事務所に属する探偵だった。不眠症の彼女は、この本のことを<クモリゾラ>という添い寝屋のドゥーブルの美冬から知った。そしてシモキタザワの行きつけの古書店に探してもらい現物を入手した。その本を読んだとき、現実に起こっている事象らしきものがそこには記されていた。まるで預言書のように。この本の謎を知りたくて、ナツメはマユズミにその本を送付した。
 ドゥーブルと言う名称は、まさに未来小説だからこその設定である。「ドゥーブルは男にして女、女性にして男性の体に改造された人為的な両性具有者」(p63)という。
 ナツメは、美冬から、<クモリゾラ>がまだ、<ダーク・ルーム>と称し、従業員がドゥーブルに統一される以前の時期に、その本に記されているのと同様に、美衣(ミイ)と言い<姫>と呼ばれていた少女がいなくなったということも聞かされていた。
 ナツメとマユズミが会うことから、一つの動きが生まれていく。

 ナツメにはシュウという名前の弟がいる。人々が不眠に悩む時代を反映する睡眠ビジネスの会社<ドリーム8>に務めている。シュウは上司の山岸から特命を受ける。不眠の時代の次には、いずれ睡眠の時代がやってくると予測し、安眠ではなく覚醒を促すタブレットの開発を命じられる。<壁>の東には、通称<タワー>と呼ばれる社屋を構えた巨大睡眠コンサルタント会社<ニモ>が存在する。そちらも覚醒藥開発を手がけている筈だから、シュウに極秘で開発せよと言う。シュウは社屋と離れた別館を拠点にし、<バブルガム課>所属という形で、覚醒タブレットのアイディア開発を期待された、そのコードネームを「王子」と称するように指示された。
 別館の近くに<ドリーム8>の社員だけが利用できる第三資料館がある。館長の谷口京子が資料探索についてシュウに全面協力をしていく。彼女の支援が大きな意味を持つようになる。彼女は、シュウにグリム兄弟が書いた童話『いばら姫』が<王子>と関係すると示唆する。『いばら姫』の別の呼び方が『眠れる森の美女』、又の名を『眠り姫』と言う。
 ある時点で、ナツメはシュウに連絡を取る。ナツメからの情報がシュウの行動の後押しとなり、連携プレイとなっていき、彼の行動に弾みが付いていく。
 
 上記3人とは別に、パラレルに様々な人物の行動が描かれて行く。それらが、一つの流れに集約されていくことになる。簡単にこれらの人々に触れておこう。
 トオル: 元は腹話術師。相棒の人形に逃げられ、<壁>に貼られたポスターのハンティングをしている。一度見た「眠り姫の寝台」というポスターを追い求めている。

 サル : コーヒー・バー<北北西に進路をとれ>の店主。モンキー・レンチ1本を腰にぶら下げバラ線地帯を探検する「冒険王」と呼ばれる。バラ線の「ほつれ」を熟知する。
 ホシナ: 音楽家。スキンヘッド・オーケストラのバンドマスターで作曲家。モビー・ディック(白鯨)と称されるピアノを購入。一方、長年探していた楽譜-100ページほどの古びた歌曲集-を入手する。肝心の見たい楽譜ページが開かない。それは8年ほど前に依頼を受け後に中断してしまった大きな仕事に関係していた。今はそれを地下鉄オペラの曲づくりに使おうとする。さらに、作曲の着想のために<ゴールデン・スランバー>という幻の酒を探す。
 <ゴールデン・スランバー>はこの小説でのキーワードにもなっていく。

 早瀬順平: 「眠り姫の寝台」というポスターの制作者。その経緯をトオルに語る。
 
 コドモ博士: 児玉博士と言い生物学者。「魂」と「剥製」の研究者でもある。<渋谷サード>にある幽霊ビルの一つに研究室をもつ。自分で開発した<虫の眼>という超小型滞空レンズを使用し、広大なバラ線地帯全域を観察している。動物失踪事件での動物がこの地帯に逃げ込んでいるという。動物たちの魂が白い霞のように立ちのぼっていると言う。

 五夜(ゴヤ): 特別調査機関<ガーデン>の二等調査員。バラ線地帯の警備を担当する。コドモ博士にも情報収集として接触していく。トオルやサルも調査の対象になる。

 タドコロ: 田所修。未来予測システム(SSS、略してS)の研究者。もと映画製作に関わっていた。今は<ニモ>で「もみ消し屋」をしている。『眠り姫の寝台』に関わりをもつ。

 他にも様々な人々が登場する。小説の冒頭は、2095年3月15日、午前2時15分に、日本のはるか東の沖合へ去った大型ハリケーンが、8万5000冊の本を積んだ輸送船を転覆させたとラジオが続報を伝える場面から始まる。「面白い本」を満載して日本に向かう輸送船だった。この8万5000冊の本がこのストーリーの最後の段階で、意外な形で日本に出現してくる。その奇抜な発想がおもしろい。ちょっと大げさすぎる展開のようにも思えるが・・・・・。

 この小説、グリムの『いばら姫』をモチーフに、それを換骨奪胎して一捻りし、未来の次元でストーリーを展開している。かつて存在した「ベルリンの壁」を連想させる「バラ線地帯」と『いばら姫』とを組み合わせた中から創作された感じである。『いばら姫』に現れる諸要素が、このストーリーの中の各所に様々な形に変換されてさりげなく伏線として織り込まれて行く。
 最初はばらばらな事象のそれぞれの描写から始まり、著者は何を描きたいのかとつい思うが、それが徐々に収斂、集約されていく。ある時点で相互関係が明瞭になっていくところが面白い。だが、この手法は途中で本書を投げ出させるリスクにもなりそうに感じる。その鬩ぎ合いがまたおもしろいのかもしれない。

 もう一つ、未来小説として様々な機器(?)等が描き込まれている。それが未来社会の雰囲気づくりにもなっている。その名称を列挙しておこう。どんな使われ方で描かれているかは本書を読み、楽しんでいただければよい。
 ミラー。エアー・トラック。フライング・レンズ。サーチ・カメラ。フローティング・プリント。3Dポインター。超高速<ブレイン・システム>。ID板の空中投影とフロート。スピード・ボイス。超小型滞空レンズ。半ボーグ。アンドロイド。ボイス・キャッチャー。バリアー・スーツ。スローダウン・ブラインド。タイム・マシーン・アクセス。スコーピオン。位相ID。網膜変成薬。未来売り。時間重量計。四次元ベルト。ブレイントーク。ネクスト。ニュース・カーテン。ボイス・アナウンサー。などである。

 最後に、田所が五夜に語る会話の一部を引用しておこう。
 「私はね、こう思っています。いまこの都には、得体のしれない怪物と、清らかな心を持った一人の天使が眠っていると。目覚めるのは一体どちらか。いや、われわれが目覚めさせるのは、はたしてどちらなのか。怪物が目を覚ませば天使は永遠の眠りにつき、天使が目覚めれば、怪物はきっと息絶える。さて、どちらか。そのすべては、われわれの手にかかっています。」(p327)

 さて、シュウが最後にとる行動はどのようなものか。そして、その結果は・・・・・。
 「螺旋プロジェクト」の結末が、このストーリーの最後に記されている。
 お楽しみに。

 ご一読ありがとうございます。

「螺旋」プロジェクトに関連する次の小説の読後印象をまとめています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ウナノハテノガタ』  大森兄弟  中央公論新社 
『月人壮士 つきひとおとこ』  澤田瞳子  中央公論新社
『もののふの国』  天野純希  中央公論新社
『蒼色の大地』  薬丸 岳   中央公論新社
『コイコワレ』  乾ルカ    中央公論新社