遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『氷獄』 海堂 尊  角川書店

2019-12-24 17:29:08 | レビュー
 2015年から2019年にかけて「小説 野性時代」に発表された作品のタイトルを改題し、改稿を加え単行本化されたものである。「双生」「星宿」「黎明」という短編3作と「氷獄」という中編で構成されている。これらの作品は、桜宮ワールドに関わる連作集になっている。4作品の共通項は、もうおなじみの愚痴外来を担当する田口先生である。どちらかといえば脇役的に登場をするけれど、キーパーソンという存在感をもって描かれている。私は田口先生のこの役回りが好きである。久しぶりに桜宮ワールドに触れて楽しみながら読了した。当然ながら、高階病院長、藤原看護師、白鳥技官、彦根医師、斑鳩警視正、別宮記者なども登場して、それぞれが個性を発揮していておもしろい。

 作品毎にそのストーリーへの導入と読後印象をご紹介する。

< 双生 1994年 春 >
 24ページの短編。場所は東城大医学部の大学病院内にある愚痴外来が中心。初めて桜宮ワールドに関連する小説を読む人には、この名称ではではわからない。正式には、不定愁訴外来という。
 桜宮病院に勤める双子の女性医師が半年ほど東城大学医学部で研修するにあたり、山室教授から面倒をみるようにと田口先生が押し付けられたのだ。もの静かで優等生の小百合と威勢がよくてちょっと跳ね返りのすみれという双子の医師。田口先生の許を訪れる患者をどちらが担当するかについて、患者の希望を聞くというやり方をとる。患者は小百合を指名する。患者の一人、片平清美も同様に、小百合を指名した。この患者の診断中に、付き添いで来ていた夫の方に、すみれは独自の診断をしていた。そこから、治療に関して、山室教授の研究に絡む医学的見地のステージで議論が交わされる羽目になる。
 大学病院における医学の研究分野の体質が鮮やかに切り取られて描かれている。
 田口先生が、すみれのことを内心で「彼女は自分で気づいていないけれど、こぼれ落ちそうになる病人の想いを柄杓のように汲み上げる、天空の北斗七星のような医師になるかもしれない」と評価した。それはなぜか? そこが読ませどころにもなる。

< 星宿 2007年 冬 >
40ページの短編。場所は東城大学医学部附属病院の別棟、オレンジ新棟。小児病棟入院患児で一番年長の村本亮は天文マニアの中学生で、髄膜腫に罹っている。クリスマスのもみの木にぶらさげる短冊に、「南十字星を見たい」という願いごとを書いた。それを看護師如月翔子主任が叶えてやりたいと奮闘努力する。彼女がこのストーリーの中核となる。便利屋のお試し無料一回券を如月にあげた便利屋城崎が協力をする羽目になる。彼の部下牧村がある情報を持っていた。そして、東城大の生き字引である猫田師長が大きく関わっていくことになる。だが、亮の願いを叶えるには大きな障害があった。そこで如月は田口先生に相談を投げかけることになる。
 亮の願いを叶えてやりたいという如月翔子の一途な思いと行動が人々を巻き込んでいき、実現させるというサクセスストーリーは、読んでいて楽しくなる。
 それまで手術を拒否していた亮が、一度、手術について話を聞いてみようという気になったのだ。その動機は、1年前にはここの病棟に居たという牧村だった。亮の意識転換の経緯がもう一つの読ませどころと言える。

< 黎明 2012年 春>
 53ページの短編である。ホスピス棟が舞台となる。田口先生は、高階院長の命で、ホスピス棟の入所時受け入れ外来の担当を任される。そこに、膵臓癌の末期症状患者・工藤千草が入所する。日本のホスピスの草分けである黎明病院に勤めていた黒沼師長がこちらに移り、ホスピス棟を取り仕切っている。黒沼師長の方針は、患者をお客様と呼び、ここは静かに死を迎える覚悟を作らせる場所であり、希望を持たせないことという。千草が入所する時点で、このホスピス棟には、山岡という老婦人一人だけが入所していた。
 千草の夫、章雄は妻の末期癌に対して、延命のためにできることは何でもやってみたいという熱意をもつ。ホスピス棟の若月看護師は黒沼師長の方針に反しても章雄の思いに協力するという。そして、一つの治療法を提案する。ホスピス棟を巡るその運営に絡んだ確執がテーマとなっている。田口先生には高階院長から現状の運営に対して、ある密命が下っていたのだった。
 死を迎えるためのステージの有り様という重いテーマが取り上げられている。高齢化社会では必然的にウエイトが高まっていく視点だと思う。著者は最後に高階院長に重い内容を語らせている。「末期癌患者の希望を断ち切るのはホスピスの世界では正しい。でもそれは時間を掛けて患者、家族に納得してもらってから始めるべきです。だがそれは途方もない時間と労力が必要になり、現実的ではないのです。」(p126)高階院長がこの続きにさらに語ることがある。それは、本書を開いてみてほしい。たしか、この桜宮ワールドの他の作品にリンクする内容を背景にした発言と思う。

< 氷獄 2019年 春 >
 156ページの中編である。2019年4月、都内某所の弁護士事務所で、代表の日高正義(ひだかせいぎ)が机のそばに置かれた2つの案件の関係資料を眺めつつ回想する場面から始まる。日高が弁護士になる経緯にまず触れた後、弁護士として歩み出す契機になったこの2つの案件が2008年春に溯って、回想されていく形でストーリーが始まって行く。
 日高にとり、最初の仕事が国選弁護人として通り組む案件だった。それがこのストーリーの主軸として展開されていく。場所は主に接見する東京拘置所となる。その案件とは、桜宮市に所在の東城大学医学部の附属病院で発生したバチスタ事件、つまり氷室医師が患者を殺したという事件である。国選弁護士を拒否しつづけてきた氷室が日高を指名するに至ったことから、ストーリーが展開していく。
 日高は鹿野法律事務所に所属した関係で、『冤罪被害者を救う会』が取り扱っている「青葉川芋煮会集団中毒事件」の弁護団の一員にも並行する案件として加わることになる。こちらの事件の弁護に対しては、拘置所に収監されている氷室医師が、ブレークスルーとなるような手段を日高に示唆するという関連が生まれていく。
 日高が氷室医師を接見したときに、「ここは氷の牢獄です。何をしても凍えるだけなんですよ」とふと本音をもらす。中編のタイトルは、この氷の牢獄発言に由来する。
 日高は、氷室の国選弁護人となった後、田口医師に面談に行く。バチスタ事件で氷室が田口に直接語ったという内容も入手する。そのとき、氷室が語った氷の牢獄という言葉を田口が聞くと、彼は日高に「些細なことですが、彼はかつてこの世界は氷の棺だと言っていました。それが牢獄に変わったのかと、思ったもので」と語る。
 日高は勿論、白鳥技官にも面談する。白鳥との面談の結果、日高は次々と面談相手を紹介されるという展開になっていくところがおもしろい。恐るべし、白鳥である。
 このストーリーの興味深いところは、氷室のバチスタ事件と青葉川芋煮会集団中毒事件が、弁護という立場で連関していく重要な接点を持つ形で進行する点にある。
 また、検事側の裁判に臨む姿勢と裁判手続き手法の側面が鮮やかに切り取られている。さらに、弁護士が東京拘置所で接見するという場面の描写から、接見という行為の具体的なイメージを浮かべやすくなる。
 この中編作品は、検事側の法廷戦略に対する批判的視点を、検挙率の実態や冤罪を起こす体質の指摘などを通じて描き出されていくという副産物を提示している。読者に裁判の有り様を考えさせる材料を提供しているといえる。
 最終的に、氷室は死刑判決を受ける。2010年に仙台拘置所に移送される。ところが2011年3月の大震災の折に、氷室は拘置所から脱走できたという結末を迎える。フィクションだから書けたことか。(その種の事例があのとき発生していたのだろうか・・・・・)
 このエンディングは、いつか氷室を再登場させる作品が生まれることを期待させる。
 
 桜宮ワールドの中で、この連作集がこれまでのいくつかの小説と個々にリンクしていくというところが、実におもしろい。それぞれが独立した作品でありながら、桜宮ワールドの中で、ネットワークのように繋がりが形成されて行き、そこに奥行が生まれていく。それぞれの作品がリンクしていくことで、相互の連関する作品に新たな視点が付加されていく。桜宮ワールドがますます濃密になっていくようである。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する語句をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
不定愁訴  :ウィキペディア
「医学的に説明できない症状」って?  :「日本心身医学会」
春本番と不定愁訴  :「IHM」
ホスピス・緩和ケアとはなんですか  :「ホスピス財団」
ホスピス  :ウィキペディア
緩和ケア病棟のある施設一覧(協会会員) :「日本ホスピス緩和ケア協会」
冤罪 :ウィキペディア
日本の冤罪事件一覧 :「Enpedia」
冤罪事件 :「朝日新聞DIGITAL」
死刑が執行された後に冤罪と判明する、なんてことが…~「飯塚事件」の現在地:「マガジン9」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『ポーラースター ゲバラ覚醒』  文藝春秋
『スカラムーシュ・ムーン』  新潮社
『アクアマリンの神殿』  角川書店
『ガンコロリン』    新潮社
『カレイドスコープの箱庭』  宝島社
『スリジェセンター 1991』  講談社
『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』   宝島社
『玉村警部補の災難』   宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社  
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』  朝日新聞出版


『名残の花』  澤田瞳子  新潮社

2019-12-23 14:27:51 | レビュー
 2015年から2018年にかけて「小説新潮」に断続的に発表された6つの短編連作に加筆修正を行い、単行本化された作品集である。
 「名残の花」はこの連作の第一作の題名であり、それが単行本のタイトルとなっている。そして、第一作「名残の花」の中では、「誘う花とつれて、散るや心なるらん」という謡曲「田村」の一節が主人公の脳裡に甦る背景となりつつ、この短編の末文中の言葉として出てくる。「それをまるで自分が眺め損ねた名残の花であるかのように感じながら、胖庵は豊太郎の腕を支えに、黒焦げた丸太を大股にまたぎ越した」と。

 「名残」という言葉を『新明解国語辞典』(第5版、三省堂)で引くと、「(1)その事が終わったあとに、まだそれを思わせる物が残っていること。(2)別れようとして、そのまま別れるに忍びない気持。(3)別れたあとも、その人の残した強い印象が忘れられないこと。(4)連歌の懐紙で、最後の折の称。第四折。」と記されている。
 この連作集は、「名残」の持つ(1)~(3)の語義をモチーフにして、様々なテーマ設定の個々の作品において、名残という観点で、そこに漂う哀感を描き出そうとしているように感じた。
 江戸幕府が崩壊し、明治という新たな時代が到来。激変していく世の中にスムーズに対応あるいは適応できずに取り残されそうになる人々の側に光を当てる。時代の変わり目に遭遇した名も無い人々の生活の変転を浮かび上がらせるという作品になっている。時代背景はかつての武士が佩刀して未だに街中を歩けた頃の時期に絞られている。
 新たな時代を築き上げるという名目のもとに、斬り捨て御免という形で世の中を大きく変えようと新政府が躍動する渦中で、そのあおりを受け放り出される人々の側、いわば個々の小さな私的事象に目を向けることで、この連作は明治初期という時代の一面を浮彫にする役割を果たしている。時代の転換点が生み出す問題事象・功罪を見つめる作品集になっている。

 この連作の主な主人公は二人。鳥居胖庵と豊太郎である。
鳥居胖庵とは江戸時代末期に南町奉行として、天保の奢侈禁令や人返し令のもとで、信念を持ち苛烈な取締りを実行したという鳥居甲斐守忠輝である。老中・水野忠邦の造反により家禄没収改易の上に、人吉藩お預け処分となる。さらに秋田藩から丸亀藩へと預け替えられ、幕末・明治維新の動乱期は牢獄暮らし。28年ぶりに江戸(東京)に戻って隠居暮らしに入っている。胖庵と名乗り、齢77歳である。実在の武士がこの連作の主人公のモデルとなっている。
 豊太郎とは本八丁堀長沢町に住む滝井豊太郎のことで、金春座の地謡方、中村平蔵の門弟として修行している16歳の若者。明治維新になり、兄は時代の変化に併せ、能の世界を見限り、転職してしまった。豊太郎が家業を継ぎ、西洋文明の導入で激変する世の中で、これからどうなるかわからない能の世界で、一途に修行を積んでいる。
 
 この連作は、主に江戸から明治に変わった世の中に投げ込まれた能の世界の状況を背景にしながら、時代に翻弄される人々の哀感が、短編の連作として描き出されていく。また、時代の急転回の渦中において、歴史の表に出てくることのない庶民の生活感覚が描き出されている。実在人物をモデルにしつつ、歴史の影の部分に光を当てたフィクションである。連作の各短編について、少し内容・読後印象をご紹介しておこう。

<名残の花>
 日課である散策の足を東叡山寛永寺、桜の名所・上野の山へと足を向けた鳥居胖庵が、豊太郎と出会うエピソードが中心となる。豊太郎は金春座の太鼓方・川井彦兵衛の子息、五十雄の伴で上野に桜見物にきたが、五十雄を見失い探し回っている途中で、酔っ払いに絡まれる。その場に胖庵が出くわす。これが二人の関係の始まりとなる。そこに、五十雄を連れた大年増の女が現れる。五十雄と会えた豊太郎はホッとするが、その女は曲者だった。
 この短編で、胖庵の過去が明らかにされ、胖庵が江戸末期の庶民からどう見られていた存在かが明らかになる。一方で、江戸時代から明治初期への時代の転換期に、能の世界の人々の地位や生活がどのように激変したかの一端も明らかになる。
 後日、豊太郎は師匠の中村平蔵を介して、五十雄を連れてきた女と再会することになり、それが金春屋敷のエピソードに展開していく。
 ここでは、和田倉門内からの出火で灰燼に帰した金春屋敷の公孫樹の樹上に留まっていた雨だれがぽつりと足元を叩いたことを、胖庵は「眺めそこねた名残の花」に感じたのである。

<鳥は古巣に>
 明治維新により演能の機会は激減した。そんな最中、観世流の梅若六郎が、青山下野守屋敷の能舞台を浅倉御蔵前の自邸に引き取った。そして10日間勧進能を開くという。この勧進能に胖庵は孫娘楚乃により無理やり連れてこられる。胖庵は長年の幽閉を解かれて、今は明治政府に出仕する嫡男の屋敷に寄寓の身であるが、嫡男は胖庵に複雑な思いを抱いている。胖庵の居心地は良くない。楚乃は寄寓する祖父の心情を察している。
 この勧進能を豊太郎も修行の一環として観能しようと出かけてきたが、席料のことで濡れ衣を着せられ騒動となるエピソードである。だがそこには演能の囃子方の一つ、小皷方の家の内情話が絡んでいた。
 能の世界での流派間の関係事情や世襲制の抱える問題などが織り込まれて行く。伝統芸能の世界の内情が垣間見える。さらに、明治維新期の演能状況がうかがえて興味深い。

<しゃが父に似ず>
 冒頭に胖庵の曾孫、五歳の伊沢敏之丞は怪我が元で左足が不具合になり病弱である話を描く。そこに長年の蟄居生活で漢方の調薬の腕を医師並みにあげた胖庵の見立てが語られる。一作ごとに、胖庵の背景事情が広がり深まっていくことで、人物をより深く知るという関心が引き起こされる。この冒頭の場面描写は、後の短編への伏線になっている。
 この短編では、30年前に江戸三座を浅草はずれの猿若町に強引に移転させて奢侈紊乱を封じようとした時の胖庵の思いと、現在の猿若町の賑わい、喧騒を対比させるという形をとる。時代の対比、江戸庶民のしたたかさをテーマとして、そこに胖庵の名残の心が重なっていく。東京となったこの梅若町の芝居小屋の状況と新政府による狂言綺語の禁止問題が描かれる。胖庵は出かけて行った梅若町で偶然にも南町奉行所時代の元部下であった庄右衛門に再会する。その再会から胖庵はこの問題への対応という核心に一歩踏み込む立場に己の身を置くことになる。
 勿論、この禁止は衰微している能の世界にも適用される問題であり、平蔵は大荒れして、豊太郎をいっとき困らせたのだった。題名の「しゃが父に似ず」は謡曲「歌占」の一節「鶯の卵の中の時鳥、己(しゃ)が父に似て、己が父に似ず・・・」に由来する。胖庵は平蔵からこの謡本について知らされる。それが、胖庵にある考えを結実させる。
 江戸の名残を、胖庵は今の猿若町に見たのだ。「あの町には自分がとうの昔に失ってしまった江戸が、まだ息づいている」(p140)と。
 
<清経の妻>
 中村平蔵の家で、東京在住の金春座役者が寄り集まり、稽古能が開催されることになる。豊太郎は五番立て中、二番目物「清経」のツレとして、清経の妻役を任せられるという大抜擢を受けた。その稽古に勤しむべき時期に、能を捨てて、富岡八幡宮裏の書肆で働く兄の栄之進と会わざるを得なくなる。兄の話は四谷坂町の亡くなった叔父の家の整理を兄が行ったことに関連していた。その折り、叔母から夫の形見だと言って受け取ったのが大名物「千鳥の香炉」だという。目利きである平蔵にその香炉の箱書きを豊太郎を介して頼みたいという魂胆だった。豊太郎は目利きを胖庵にしてもらおうと考える。
 この短編は、この「千鳥の香炉」の真贋に胖庵が関わることから、豊太郎の叔父叔母の思いと行為が明らかになっていく経緯を語るストーリーである。一種の推理仕立てとなっていて、興味深い。
 豊太郎が胖庵に会い、目利きをしてもらっている間に、戻って来た鳥好きの敏之丞が目ざとく香炉の鳥を見て感想を語った。そのとき、豊太郎の脳裡に、「清経」の一節、「--形見こそ なかなか憂けれ これなくは 忘るる事もありなんと思ふ」がよぎったのだ。
 このエンディングでは、豊太郎と胖庵の推理が異なる。二つの仮説が並立するところが読ませどころとなる。そして、最後は豊太郎が能稽古の開始に遅刻するオチで終わる。

<うつろ舟>
 新政府が寺院の寺地について上地令を執行したということは、京都のいくつかの寺院の実例で知っていた。東京では、旗本屋敷返納を命じる上地令が執行されていたということをこの小説を読んではじめて知った。
 この短編では、胖庵の孫である伊沢劼之助一家がその上地令の適用を二度受けるというところから始まる。もちろん、そのたびに住まいがどんどん狭くなって行くという次第。ここでは、家移りのために、敏之丞が大好きな鳥たちを手放さざるを得なくなる代償に、楚乃が上野の花鳥茶屋に連れて行くと約束したことの実行に絡むストーリーである。
 楚乃の約束に対して、二人で花鳥茶屋に行かせる訳には行かぬと、胖庵が同行する事になる。ところが当日、そこに大蔵省会計係で給仕をしてきた少年が加わることになる。過去形で書いたのはその職を解雇されたからだが、それを否として譲らないので、劼之助が自宅に連れ帰ってきたのだ。当時の新政府の方針がこの背景にうかがえて興味深い。 
 多崎弥十郎という少年も花鳥茶屋に一緒に行くことになる。花鳥茶屋から見えた能舞台が切っ掛けとなり、多崎弥十郎のことに、フォーカスが当たっていく。それは哀しいストーリーに繋がって行く。後半では、中村平蔵の屋敷での謡曲「鵺(ぬえ)」の稽古場面が描かれる。そして、胖庵は一計を実行するのだが、やるせない哀しい結末となる。
 こういう事態に近いことが、たぶん当時発生していたのだろう。時代の転換点で庶民層は苦しむ。時間の経過とともに消されていく小さな事実の累積。歴史書や学校のテキストはそれを形に残さない。捨象してしまう。そういう消されてしまう局面に小説という手法が目を向けさせる手段となっている。

<当世実感>
 浅草南元町に暮らす観世座能役者・梅若六郎の隠居祝いに招かれた平蔵が、相当に呑んでいる上に、激怒した状態で屋敷に戻ってきて、豊太郎を困らせる場面からストーリーが始まる。そして、追いかけるようにして五十三代梅若六郎を継いだ源次郎が現れる。源次郎は、かれこれ十日程前に、質屋滝沢屋が将来見込みのある若者を探していて、その支援をしたいという話があり、豊太郎を推挙したいと考えていることを、平蔵に伝えていたと言う。源次郎は有徳者の力を借りるのも悪くはないと勧める。
 豊太郎は、師の平蔵の許しを得て、滝沢屋の主人・喜十郎に会いに行く。一旦、世話になろうと心を決めるのだが、思わぬ場面を目撃したことが切っ掛けで、亮輔という人物と出会う事になる。そこから喜十郎の裏の心が見え始めていく。
 人間関係の繋がりは不可思議なもの。亮輔の師が胖庵の知人であり、また滝沢屋喜十郎には、廻り廻ってその人物の背景を知る細い糸の繋がりを胖庵が見つけていくという巡りあわせとなる。胖庵がひと働きするという次第。
 時代がどのように変わろうと、その渦中に存在する人の生き様、価値観の意味をまず問うという短編である。

 胖庵と能の世界に生きる人々を主に扱いながら、時代が激変する過渡期の渦中での庶民側の哀感と時代相を見つめた連作集である。明治維新の捉え方を広げる視点を含んでいる。
 
 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『落花』   中央公論新社
『龍華記』  KADOKAWA
『火定』  PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』  集英社文庫
『腐れ梅』  集英社
『若冲』  文藝春秋
『弧鷹の天』  徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』  徳間書店

『自画像のゆくえ』  森村泰昌  光文社新書

2019-12-12 16:03:16 | レビュー
 この本の表紙は、著者・森村泰昌の《自画像の美術史(ゴッホ/青)》という作品である。内表紙までに著者の作品が口絵として9点カラー写真で載っている。著者は、”なにものかに扮した自分自身を写真撮影する”というセルフポートレイト(自画像)手法の作品を長年制作してきた美術家である。
 その著者が自画像論を書きませんか、と編集者から問いかけられてから20年近い歳月を経て完結したのが本書だと、「あとがき」に記している。
 なぜ、タイトルが自画像の「ゆくえ」なのか? 
 著者は現代が「わたしがたり」にあふれかえった時代だと分析する。そのルーツはシャープが2000年11月1日に発売したカメラ付ケータイ電話だという。「持ち歩くプリクラ機能」を組み込むという発想から生まれた画期的な商品だった。「写メール」というキーワードが生み出された。ここを源流として、短期間にすさまじい技術の進化を経て、今や「自撮り」があたりまえの世に中に変貌したという事実をまず押さえている。私は気づかなかったのだが、2013年に「自撮り」の英語表記として「セルフィー」という語が英オックスフォード辞典に載せられたという。
 著者は「わたしがたり」の時代を生んだ「自撮り/セルフィー」の概念は未だ曖昧だが、「自画像/セルフポートレイト」と対比させたとき、この二者は同じなのかちがうのか、という問題提起を「はじめに」で投げかけている。そこで、「自画像」が描き続けられてきた過去、およそ600年ばかりの絵画史を著者は振り返るという作業を延々と続けていく。新書版で600ページ余のボリュームになっている。
 諸先人の著書に表明されたそれぞれの見解を引用しながら、賛否の意見を述べつつ、美術家としての独自の感性で自説を論じている。一方的に自説を語るのではなく、その時代の趨勢的な見方、考え方や各所見を引用しつつ、フェアーに論じているところが読ませどころであり有益である。

 600ページと大部であるが、著者は己の結論として、「終章 最後の自画像」の後半でそれまでの9つの章で分析し語ってきたエッセンスをまとめている。各章に登場する自画像の作者(画家)について要約している。そして、これらの先人が保持していたポジショニングは「過去形未来」だと要約する。著者の造語なのだろう。「軸足を過去に置きながら、もう片方の足は未来にふみだすという、AかBかの選択を越えた、”もうひとつの選択肢”を生きている」(p593)と言う。そして、「自画像というものは、『西洋の精神』の典型的なあらわれというよりも、ほんとうはもっと多種多様なのだという点である。ここから西洋精神なるものの本質を発見していくというような、原理主義的な発想は、画家たちの表現行為からはまったく見いだせない」(p595)と言う。著者が本書で考察した自画像は「いわば、西洋美術史を”踏みはずす”試みであった」(p596)と結論づける。
 この最終章後半部分を通読してから、各章を読むと逆に読みやすさが加わるかもしれない。なぜなら、まず著者が各章での分析・考察の結果一つの収斂した結論を述べると思いがちになるからである。だが、ここに登場する画家たちの描いた自画像についての著者がたりにより、様々な方向に導かれていくことになる。そこがおもしろいとも言える。
 一方、「わたしがたりの時代」「自撮り/セルフィー」との対比において、著者は「自画像の時代は確実におわろうとしている」(p597)と結論づける。さらに、「これから時代はもっとかわっていく。それもおそろしいスピードで。」(p597)と述べる。終章の「最後の自画像」の見出しのところで、この結論についての理由が記されている。本書を開いて、お読みいただきたい。セルフポートレート作品を制作しつづけてきた著者はどいうい立場をとるのか。この点も著者は述べている。

 それでは、著者が自画像の歴史をどのように分析し考察しているか、各章の構成を列挙し、印象深いあるいは興味深い箇所について私見あるいは引用を付記してみる。

第1章 自画像のはじまり ---鏡の国の画家
 著者は最初に東京藝大には膨大な自画像コレクションがあるという話を紹介している。私は知らなかった。その簡単な考察が導入になっている。
 1433年に描かれたファン・エイクの《赤いターバンの男》が「自画像のはじまり」とする説を紹介する。この絵、著者がセルフポートレート作品にしている。口絵1に載せてあるので、p43に掲載の作品と対比してみるとおもしろい。
 ここでは、ファン・エイクの続きに、アルブレヒト・デユーラーとレオナルド・ダ・ヴィンチの自画像が論じられている。勿論この二人の自画像も著者はセルフポートレート作品にしている。レオナルド・ダ・ヴィンチといえば思い描かれる公式ポートレイトと、実際の姿とのギャップとその経緯が考察されていて、おもしろい。

第2章 カラヴァッジョ---ナイフが絵筆に変わるとき
 カラヴァッジョが様々な作品の作中人物に自分の顔を巧みに描き込んでいる経緯を考察していて興味深い。そして、著者は言う。

*カラヴァッジョにとって絵筆とは、殺傷能力を持つナイフと同義であったといっていい。 p129
*カラヴァッジョは、はしにも棒にもかからない人生の落伍者であったが、その反面、真正面から絵画世界とむきあった、思いのほか正直な画家であったといえる。 p130

第3章 ベラスケス ---画家はなぜ絵のなかに登場したのか
 ベラスケスの晩年の作《ラス・メニーナス》(日本語で《侍女たち》)、高さ3mを越えるという大作の画像をご覧になった方が多いと思う。この絵にベラスケスが自分自身を描き込んでいる。著者はこの絵を中心に据えながら考察を進める。この絵の分析の仕方が興味深い。著者はこの絵がリバーシブルの絵画であり、超絶技巧、手のこんだトリックが仕組まれているとその一端を考察している。絵の読み解きとして学ぶところが大きい。

*ベラスケスは、汚れたものを描く”リュパログラフォスの画家”として出発した。汚れている(と思われている)領域にこそもっとも美しいものはあると確信し、人間社会において周辺的とみなされてきた者たちを”本当の主人公”として描きつづけてきた画家であった。 p180
*ベラスケスは、滅びゆく”悲しい世界”に生きた画家だった。 p180

第4章 レンブラント ---すべての「わたし」は演技である
 レンブラントは誰もが認める自画像の画家だという。1628年の20歳をを過ぎた頃から、1669年、63歳で亡くなるまで生涯にわたり自画像を描き続けた。それ故、様々な人がレンブラントを語っているという。代表的な見解と小林英雄のレンブラント論を紹介している。「観察者としてのレンブラント」と「夢想家としてのレンブラント」という「二人のレンブラント」論を著者なりに考察していくところがおもしろい。
 ここでは、《夜警》という作品の考察に重点が置かれていく。様々な見解がわかって、鑑賞の奥行が広がる。

*レンブラントが17世紀に、はやばやと映画感覚を絵画に持ち込み、出演者がいて脚本があるのはあたりまえだという感覚で、絵画制作のプロセスを想定していたのだとしたらどうだろう。 p210  ← 著者による仮説の投げかけである。

第5章 フェルメール ---自画像を描かなかった画家について
 著者は《デルフトの眺望》と《牛乳を注ぐ女》の2点を主にしながら、自画像を描かなかった画家の自画像を考察していく。このアプローチそのものがそれまでの章とは異質であり、興味深いと言える。そして、著者は「もしフェルメールが描いたおおくの女性像が、フェルメールの自画像であるとすれば」という仮説を投げかけてくる。なんと著者はこの仮説を、2018年に自ら映画化していると言う。「フェルメールは、うしろ姿のままが一番美しい」という一文でこの章を締めくくる。

第6章 ゴッホ ---ひとつの「わたし」をふたつの命が生きるとき
 ゴッホはレンブラントに次ぎ40枚の自画像を描いたという。著者はゴッホの自画像を時系列で考察していき、正気と狂気という「内なる、ふたりのわたし」をゴッホの内面に見つめていき、その絵を考察する。そして、フィンセント・ファン・ゴッホの弟テオ・ファン・ゴッホとの兄弟関係を考察する必要性を重ねていく。「お互いがお互いを映しあっているかのような関係、ゴッホというひとつの人格を共有し、ともに生きてきたかのようなふたりの人生」という側面の意味を掘り下げている。このような視点を初めて知った。私にとっては、新鮮な考察である。
 さらに興味深いのは、ゴッホと宮沢賢治の類似性に言及している点である。

第7章 フリーダ・カーロ ---つながった眉毛のほんとうの意味
 メキシコの画家だという。私はまったく知らない画家だ。47年の短い一生で約200点の絵を残し、その半分以上が自画像だそうである。1990年に日本でフリーダ・カーロ展が開催されているという。太い眉毛がつながり、強調されている自画像の写真が掲載されている。著者は彼女の自画像、日記などを手がかりに、そこに何が見えて来るかを考究していく。20世紀に入り次々に女性芸術家が登場してくるという変化のきざしを背景にした上で、フリーダ・カーロを論じている。

*フリーダ・カーロとは、”華麗なる苦悩”のことであった。華麗なフリーダと苦悩するフリーダ。「ふたりのフリーダ」の声が同時に聞こえる。 p450

第8章 アンディ・ウォーホル ---「シンドレラ」と呼ばれた芸術家
 ウォーホルには、自分のポートレイト写真を活用した作品が多く見られるという。アメリカン・ポップアートの代表的な芸術家でもあるとか。私はこの芸術家を知らない。「シンドレラ」というあだ名は、「シンデレラ」と「ドラキュラ」を組み合わせた造語だそうだ。「映画制作者、ロックミュージックのプロデューサー、雑誌編集者、ニューヨークのアンダーグラウンド・カルチャーやゲイ・カルチャーにおける重要人物、と活動範囲がひろく、そのぶん影響力もおおきかった。容易に本性を見せず、ミステリアスで、それゆえひとをひきつけてやまなかった」(p460)とか。
 著者は、ウォーハルの代表作の幾つかを取り上げるとともに、彼の生い立ちにもふれ、アンディー・ウォーホルの中にふたつの「わたし」を見出していく。
 この章でおもしろいのは、最後に、ウォーホル語録を11とりあげ、それに対して著者がウォーホル風に答えてみるという試みをするという遊びをしている点である。

第9章 さまよえるニッポンの自画像 ---「わたし」の時代が青春であったとき
 著者は、まず明治以前のニッポンの自画像として、雪舟、岩佐又兵衛、葛飾北斎を考察する。「日本美術史では、おもしろい自画像が散見できても、持続的な歴史を形成するまでにはいたらない」といい、明治以前の日本美術は環境芸術か宗教芸術のいずれかとあえて論じている。戦後については、著者自身の「わたしがたり」と絡ませつつ、日本が青春時代であったころのニッポンにおける「青春の自画像」を概観していく。登場するのは、青木繁・萬鉄五郎・関根正二・村山槐多・松本竣介である。そして、松本竣介の求めた「普遍妥当性」について論じている。

*しかし芸術の価値のありかは、かならずしも完成させることにあるとはかぎらない。青木繁から松本竣介にいたる、私の好きな画家たちがそれを教えてくれる。 p565

終章 最後の自画像
 現代は”自画像”よりも”自撮り”の方が、「だれもが日常的につかう、よりなじみにある言葉になっている」(p568)と一旦とらえたうえで、その二つの言葉の意味する違いを明らかにする。現代という時代の「わたし」を考察している。

*自画像の世界には、どこまでも大上段にふりかぶって物申すというようなところがある。それにくらべ、自撮りの世界は、手軽でカジュアルな楽しみとして、世の中の常識となりつつあるようである。 p581

 様々な美術展で展示された自画像を鑑賞してきたが、自画像という領域の歴史という観点や画家が自画像を描く意識、意図という観点を考えたことがなかった。そういう意味で、自画像から画家を考えるという試みを興味深く読めた。
 自画像と自撮りを対比的に捉えるという見方もおもしろい。写真を撮ることは好きだが自撮りをする趣味はないので、この2つを並べて考えたことがなかった。時代が変化しつつあることへのインパクトになる書でもある。自画像の世界と自撮りの世界。セルフポートレイト(自画像)手法の作品を長年制作してきた著者が出した己の立ち位置としての結論もまたおもしろい。本書を開いて、楽しんでいただくとよいだろう。

 ご一読ありがとうございます。

本書に登場する画家たちの情報を少し検索してみた。一覧にしておきたい。
「森村泰昌」芸術研究所 ホームページ
   作品紹介  
morimura@museum
森村泰昌  :ウィキペディア
ヤン・ファン・エイクの生涯と代表作品(1) :「新・ノラの絵画の時間」
ヤン・ファン・エイク :ウィキペディア
アルブレヒト・デューラーの生涯と代表作・作品解説 :「美術ファン」
レオナルド・ダ・ヴィンチ :ウィキペディア
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ :ウィキペディア
「カラヴァッジョ」の生涯とその作品とは?表現技法や絵画も紹介 :「TRANS.Biz」
ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス :ウィキペディア
ディエゴ・ベラスケス  :「Salvastyle.com」
ディエゴ・ベラスケスの生涯と代表作・全作品一覧  :「美術ファン」
作品解説「ラス・メニーナス(女官たち)」 :「西洋絵画美術館」
レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン  :ウィキペディア
レンブラント 自画像 :「西洋絵画美術館」
レンブラント・ファン・レイン  :「MUSEY」
レンブラントが見られる日本の美術館3選!  :「和楽」
ヨハネス・フェルメール  :ウィキペディア
ヨハネス・フェルメールの生涯と代表作・全作品一覧 :「美術ファン」
圧巻っ!フェルメールの現存全35作品を見比べてみた :「和楽」
フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ  :ウィキペディア
Meet Vincent Van Gogh and Millet : Van Gogh Museum
フィンセント・ファン・ゴッホ   :「Salvastyle.com」
フリーダ・カーロ  :ウィキペディア
フリーダ・カーロ  :「世界現代美術作家情報」
「フリーダ・カーロ」の生涯と作品とは?名言や自画像も解説 :「TRANS.Biz」
フリーダ・カーロ 苦悶と恍惚  :「BAZAAR」
アンディ・ウォーホル :ウィキペディア
アンディ・ウォーホル  :「Artpedia アートペディア/近現代美術の百科事典」
アンディ・ウォーホル  :「西洋美術史年表」
雪舟 :ウィキペディア
岩佐又兵衛 :ウィキペディア
葛飾北斎  :ウィキペディア
青木繁   :ウィキペディア
青木繁 絵画作品と所蔵美術館  :「気になるアート.com」
萬鉄五郎  :ウィキペディア
萬鉄五郎  :「日本近代美術史サイト」
関根正二  :ウィキペディア
関根正二の人間像  :「日本美術作家史情報」
村山槐多  :ウィキペディア
「没後100年 村山槐多企画展-驚きの新発見作品を一挙公開-」オープニングセレモニー・内覧会  :YouTube
松本竣介  :ウィキペディア
松本竣介のアトリエへ 【きよみのつぶやき】第5回 「松本竣介展 Vol.1 アトリエの時間」  :「美術展ナビ」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

『検事の信義』  柚月裕子  角川書店

2019-12-01 17:29:46 | レビュー
 4つの短編集が収録されている。「裁きを望む」「恨みを刻む」「正義を質す」の3作は50ページ前後、最後の「信義を守る」は101ページの短編である。本書のタイトルに直結する「信義」が題に使われているのは最後の短編だが、この4作はすべて、米崎地検の公判部所属である佐方貞人検事自身が裁判に臨む際の「信義」をストレートに扱っている。
 「信義」を辞書で引くと、「約束を守り務めを果たすこと。信を守り義を行うこと。あざむかぬこと」(『広辞苑』初版・岩波書店)、「約束を守り、義務を果たすこと」(『日本語大辞典』講談社)とある。ここでは検事としての信(約束)を守り、裁判において義務を果たすことを意味する。
 第3作「正義を質す」の中に、直接この信義に関わる場面がある。それは厳島神社のある宮島の旅館で、司法修習生時代の同期・木浦亨と交じわす会話である。
 「なあ、木浦。お前の正義ってなんだ」
 「俺の正義・・・・?」・・・「秋霜烈日だ。それ以外になにがある」
 「模範解答だな」
 「じゃあ、お前の正義はなんだ」
 「俺の正義か。俺の正義は---」・・・「罪を、まっとうに裁かせることだ」
佐方にとり、検事として正義を守るという努めは、「罪を、まっとうに裁かせることだ」に尽きる。そのためには、上司がどう思おうと、検察の面目がどうであろうと、まず己の使命であり、信義は「罪を、まっとうに裁かせることだ」として、真摯に一途に進んでいく。勿論、検察組織の一員として、佐方は踏むべき手順・手続きはきっちりと踏まえて、まっしぐらに突き進む。このスタンスこそ、佐方貞人検事シリーズが読者を惹きつける魅力だと思う。

 この短編集、取り上げられた題材はそれぞれに「重たい」。様々な観点での人間関係の根底に関わる側面を含んでいる。そこに肉迫していく佐方の眼差しと思考が読ませどころとなっている。

裁きを望む
 平成10年12月19日、住居侵入および窃盗の容疑で逮捕された芳賀渉32歳に対する論告求刑を担当検事となった佐方が行う場面から始まる。佐方は、証拠を勘案し被告は「無罪と考えます」と無罪論告を行ったのだ。無罪論告は皆無ではないそうだが、極めてめずらしい。起訴証拠を揃えて刑事部が公判部に送った事件である。その証拠記録を読んだ佐方がなぜそういう結論に達したのか? そのプロセスがストーリーとして展開されていく。
 この事件には、不可思議な点が多いとして、佐方は補充捜査を行いたい旨を上申し、この事件を洗い直す。無罪と論告しなければならない証拠を佐方はつかむ。
 米崎地検の本橋次席検事は、問題判決がでることを極端に嫌うことで有名だった。だが、佐方は本橋の主義に背く論告を行うことを上司の筒井副部長に報告した。本橋への報告は筒井がしたのだが、本橋はそれをなぜかすんなりと受け入れた。
 判決が降りた後も、佐方は芳賀が起訴されることを望んでいたという印象を腑に落ちないと思っていた。そんな矢先に、芳賀を送検した米崎東署の南場署長から佐方に電話が入る。思わぬ事実を告げられる。また、芳賀が住居侵入及び窃盗をした邸の故・郷古勝一郎の遺言書の件に関し、井原弁護士が佐方のところに訪れてくる。無罪となった芳賀に関わり、意外な事実が明らかとなってくる。そして、芳賀の真の望みが明らかになっていく。
 無罪論告の結果となった事件の背後には、人間関係の複雑な絡み合いが潜んでいた。
 筒井のスタンスが、佐方に「俺はまだまだです」とつぶやかせるエンディングが良い。

恨みを刻む
 旅館従業員、室田公彦、34歳の覚せい剤取締法違反(所持、使用)事件が扱われる。被疑者は覚せい剤所持で二度の逮捕歴があった。スナック経営者・武宮美貴からの通報で、米崎西署の生活安全課主任・鴻城巡査部長が逮捕した事件である。美貴は室田の幼馴染みであり、室田を心配しての通報だという。佐方は、美貴の証言内容で「5月24日、月曜日に車中で室田がクスリを使用していることろを目撃した」となっている箇所が気になると増田事務官に言う。佐方の住む官舎の近くの小学校では、美貴が目撃したという日の前日、23日の日曜日には運動会が行われていたことから、美貴の証言が気になったと言う。
 佐方は筒井副部長に報告し、武宮美貴の証人テストの実施を決断する。報告に行った佐方は、「お前がこの部屋に来るのが1分遅かったら、俺の方から呼んでいた」と言われ、何も書かれていない地検の定型茶封筒の中身を見る。それは、午前中に地検に届いたもののコピーだ。筒井はその内容から警察組織内の内部告発の可能性を考慮していたという。
 佐方は証言の裏を取る行動を順次広げて行く。そこには関係者相互の人間関係に思わぬカラクリが潜んでいた。このストーリー、佐方の探究プロセスが読ませどころである。結果的に、この事件は問題判決となる。佐方にとって処世術的には好ましくないことだが、「罪を、まっとうに裁かせる」というその信条にゆるぎはない。
 一方、警察組織内も揺れ動くことに。内部告発に二重の意味合いが含まれていたという落とし所も絶妙である。

正義を質す
 今年も後三日という時に、佐方が宮島行きのフェリーに乗船している場面から始まる。佐方は司法修習生時代の同期、木浦亨から電話連絡を受け、宮島の旅館に赴くことに同意した。木浦はつい先日婚約を解消したのだが、その前に宮島で婚約者と過ごすために有名な高級旅館の予約をしていたという。キャンセル料をとられるより、佐方が帰省する前にその旅館で久しぶりに会うことにしたいという誘いだった。佐方は応諾した。
 旅館の一室で佐方が木浦と酒を酌み交わしているところに、木浦の客が現れる。広島高検の上杉義徳次席だと木浦はいう。木浦は婚姻を決めたとき、仲人を頼んでいた人と説明した。上杉は、佐方の父親の件をさりげなく話題に出し、少し雑談をして席を立って行った。
 佐方はこの出会いに違和感を感じる。その前に二人の間で話題になっていたのは、スキャンダル雑誌「噂の真実」に載った検察の裏金問題についての告発記事のことだった。米崎地検でも、広報課の人間はクレームが凄くて仕事にならないと愚痴が出ていた。佐方は現時点では静観する立場をとっていた。木浦は告発記事の震源地が近いので、大揺れだという。
 木浦は佐方が今担当している事件を話題にする。広島県最大の暴力団、仁正会の溝口が米崎県警に恐喝の容疑で逮捕された事件である。公判にかかっている案件で佐方が担当だった。木浦が佐方を宮島に誘った意図が徐々に佐方には読めてきた。
 そして、冒頭に記した会話が交わされるような展開に進展していく。
 佐方の担当する案件は、公判中での溝口の保釈問題が懸案事項になっていた。溝口の保釈問題は、底流において広島県内での仁正会の分裂問題と抗争の可能性及び検察組織内部の裏金問題とも繋がっていたのである。それらのリンキングの中に上杉と木浦が居た。
 担当する事件の公判プロセスとは一歩距離を置く側面において、様々な要因が同時存在しその影響が多次元に及ぶという状況が生まれていた。担当する案件において、己の信義を守る上での伶俐な判断と決断を佐方にせまるストーリーとなっている。一歩距離を置く側面での決断という点に焦点を絞り込んでいるところが興味深い。おもしろい設定である。

信義を守る
 補佐役の事務官である増田からみて、これといって疑問がなかった案件に対し、「ちょっと、気になるのですが」と佐方が言った。
 事件は米崎市内の西に位置する大里町にある山林で発生した殺人並びに死体遺棄事件である。被害者は道塚須恵、85歳、重度の認知症者。遺体発見場所は住居から徒歩10分のところ。被疑者は道塚昌平、55歳。死因は絞殺である。ジョギングをしていた男性が遺体を発見し警察に通報した。遺体発見から2時間後の8時半に、大里町から5キロ離れた江南町の路上をふらふら歩いている昌平がパトロール中の警察官に職務質問され、その場で殺害を自白したのだ。須恵は5年前から認知症を患っていた。
 被疑者は現場から離れた理由を逃亡のためと自供していた。だが、佐方は2時間という時間と5キロ離れた地点での逮捕という点の関係が気になったという。逃亡する気なら、もっと遠くまで逃げられたのではないのか、という疑問だった。
 この案件は、刑事部のシニア検事である矢口史郎から送られてきた案件だった。高知地検から米崎地検に配属となり、個別で事件を担当する検事としては年次が一番上。キャリアが長く、気難しいと評判の人物だった。矢口は、昌平の公判引継書に求刑懲役10年と記していた。
 佐方が、異議を唱えると確実にひと悶着起きるのは必至だと増田は恐れた。
 佐方は例によって、副部長に報告に行くという行動を選択する。佐方は、再調査を始める。聞き込み調査を広げても、昌平という人物を悪く言う人はいなかった。起訴による調書に記された内容から浮かぶ昌平像と聞き込み調査での昌平像には大きなギャップが生まれていた。この再調査プロセスが読ませどころである。
 事実の背後に隠された真実の追求。佐方の行き着いた真実は、佐方に異例の論告・求刑を行わせる結末になる。伏線の張り方が巧妙な短編小説になっている。
 閉廷後に、裁判を傍聴していた矢口と佐方が対峙する。この時の二人のやりとりと、傍でハラハラしつつ立っていた増田による佐方の思いの解釈が、もうひとつの結末になっている。
 
 「罪を、まっとうに裁かせることだ」と考え、些細に見える疑問にも全力で挑んでいく佐方のスタンスと行動は、読後感として爽やかである。佐方のような検事が実際に居るのだろうか。実在して欲しいと思う。
 それとは逆の事実、事件が時折報道沙汰になる現実は悲しいことである。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『盤上の向日葵』  中央公論新社
『凶犬の眼』  角川書店
『合理的にあり得ない 上水流涼子の解明』  講談社
『蟻の菜園 -アント・ガーデン-』 宝島社
『朽ちないサクラ』  徳間書店
『孤狼の血』  角川書店
『あしたの君へ』 文藝春秋
『パレートの誤算』 祥伝社
『慈雨』 集英社
『ウツボカズラの甘い息』 幻冬舎
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社