遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『春秋の檻 獄医立花登手控え1』 藤沢周平 講談社文庫

2021-05-22 12:34:34 | レビュー
 土曜日に老母の夕食時の介護をしている時、たまたまNHKを見ると、時代ドラマをやっていた。「立花登 青春手控え3」のシリーズ。立花登? どこかで目にした名前・・・・。藤沢周平の作品を思い出した。かなり以前に高校時代からの友人との会話で藤沢周平の小説に嵌まっているということを聞いた。それまでに読んだことがなかったので興味をもち文庫本を買いだした。購入した本で未だ書棚に眠ったままの中にあった。このシリーズ名と一致する。NHKドラマを見たのがきっかけで、書棚で長い眠りにあった文庫本を引っ張り出した。この土曜時代ドラマも見るようになった(笑)
 勿論、読み始めるのなら、文庫で4冊シリーズになっている「獄医立花登手控え」の第1冊から順番に読む事に。この第1弾は「春秋の檻」というタイトルである。メインタイトルは、この後「風雪の檻」「愛憎の檻」「人間の檻」と名付けられていく。

 このシリーズ、短編連作集である。主人公は立花登。江戸・小伝馬町の青年獄医である。立花登の生活環境設定がおもしろい。立花登は羽後亀田藩の上池館(医学所)で医学を修めた。和蘭医学も多少は囓っている。登は微禄の下士の家の次男。それで3年前に江戸で開業する叔父、小牧玄庵を頼って、江戸での医学に希望をふくらませて上京した。それ以来小牧家の居候である。だが、下男同然の待遇なのだ。
 叔父は俊才の名をほしいままにして、24歳の時に江戸に出ていた。江戸で開業し繁昌していると登は想像していたのだが、叔父は実ははやらない医者だった。その叔父が家計と酒代をおぎなうために、小伝馬町の牢医者をかけ持ちしていた。登はその小伝馬町の獄医という仕事を体良く叔父から振られてしまった。その収入は直接登に入るのではなく小牧家に入る。叔父の代診をすることもあれば、普段は叔母からこき使われる境遇になる。うちは居候をおくゆとりはありませんよと釘をさされてもいた。
 登は、子どもの頃から修業を絶やさなかった柔術を江戸でも続け、起倒流の鴨井道場でも磨きをかけ免許取りにまで進み高弟の一人になっている。叔母は泥棒防ぎの稽古事と呼び、道場通いで帰りが遅くなるのを好まなかった。だが、登にとって道場での稽古は居候境遇の鬱屈を晴らす機会でもあった。この連作の中で登の柔術の力量が大きく役立つことになるという次第。

 小伝馬町の牢には本道(内科)二人、外科一人の医者が詰める。登は本道の一人として勤めている。毎日朝夕に見回り、昼の間はいずれか一人が詰め切りになり、一緒に泊まる。朝の見回りの後に交代で詰め切る形であり、登は昼間に小伝馬町から出て行動することができる。
 こんな登が小伝馬町の獄医として囚人と関わる。囚人について疑問を感じたこと、あるいは密かに囚人から頼まれたことなどから、問題事象に首を突っ込みその解決に取り組むというストーリーが綴られていく。そのストーリーに登が居候となっている小牧家での日常雑話、友人や世間との交流などが織り込まれていく。それは江戸の社会や町人事情を描き込むことにもなっている。
 この短編連作集はいわば立花登の視点から語られていく事件記録、手控えである。
 
 それではこの第1弾に収められた手控えの内容を少しご紹介しよう。

<雨上がり>
 牢屋同心の平塚から夜に東の大牢で病人が出たと伝えられる。腹痛でうめいている囚人勝蔵は実は仮病で、登に頼み事をした。南本所の石原町にある弥左衛門店に住む伊四郞に会い10両を受け取り、深川の瓢箪堀近くの裏店に住むおみつに渡してほしいという。登は引き受けてやった。平塚に尋ねると勝蔵はやくざ者を刺し殺したので島流しで船待ちだと言う。
 伊四郞は3日後の夜に登に10両を渡すという。登は勝蔵を捕らえた岡っ引きの藤吉から当時の事情を聞く。当夜伊四郞の罠を脱した登は10両をおみつに届ける。その結果登は全ての裏事情を知ることになる。
 この短編、男女の仲の不可解な側面を鮮やかに切り取っている。

<善人長屋>
 はめられたと無実を訴える囚人の吉兵衛。吉兵衛は長屋を調べてもらえばわかると言う。平塚に事情を聞き、登はこの事件に首を突っ込むことに。吉兵衛を捕らえた岡っ引きの清吉にまず話を聞くことから始める。通称、善人長屋に住む吉兵衛の娘おみよに登は会いに行く。おみよは眼が見えないのだった。善人長屋を出た後、登は男に襲われる。それが逆に糸口となっていく。登に岡っ引きの藤吉が協力してくれる。そこから大捕物に展開することに。藤吉の調べで意外な事実が明らかになる。
 見かけの姿では何もわからない。巧妙に隠蔽されてきた悪行を暴くストーリー。

<女牢>
 登は叔父玄庵の代診で猿屋町の裏店に住む時次郎の治療をした。足の挫傷は骨が外れていることが原因で元来が本道(内科)の任ではない。登は柔術の経験を生かして治療し4,5回の往診をしてやった。登は朝の見回りのおり、女牢の新入りをちらっと見て、後でその女囚が時次郎の女房おしのだったと思い出した。それとなく平塚に尋ねると出刃で亭主を殺した罪で入牢してきたと言う。おしのがなぜ亭主殺しをすることになったのかを登は調べ始める。
 登の治療の世話になっている牢名主のおたつが登を呼び止めて、登にとんでもないことを依頼する。おしのを一度抱いてやってほしいと・・・・・。
 この短編の副産物は、斬首という処刑の手続きプロセスが描き込まれている点である。登は遠くから切り場と呼ばれる処刑場に入るおしのを遠くから見送る立場となる。
 その後に登が取る行動はやはり止むにやまれぬ思いのなせるわざだったのだろう。著者は「澄明なかなしみ」というフレーズで登の心境を表現し擱筆している。

<返り花>
 登は本道の相役、矢作幸伯老人から思わぬ相談ごとを聞かされる。揚り屋に入牢している御家人小沼庄五郎のことである。小沼が昨夜腹痛で七転八倒し苦しんだという。小沼を診た幸伯は届け物の餅菓子に毒が入っていたと見極めたのだ。幸伯は誰にも伝えていないという。登が後を引き受けることに。そして、岡っ引きの藤吉に真相究明のために、下っ引きの直蔵を貸してほしいと頼み込む。一方、道場仲間の新谷弥助が小沼家の事情を調べてくれた。
 小沼の入牢は勘定所の不正問題に絡んでいたのだが、そこに、小沼の妻・登和の不可解な女ごころが絡んでいくことになる。登に協力する新谷が道化的個人行動をとるところが微笑ましい。

<風の道>
 三十半ばの傘張り職人鶴吉は、3年前に南本所で30両ほど強奪する押し込みを行って牢に入っている。入られた雪駄問屋によれば2人組だった。鶴吉は相棒の名前を詰問され穿鑿所で牢問にかけられる。石抱きと呼ばれる責め苦を受けるのだが吐こうとしない。二度目の牢問に登は立ち合った。そして、鶴吉から「あっしの女房に会って、いまの家を出て身を隠せって、言ってやってくれませんか」と頼まれる。鶴吉の女房はそれと知らずに、押し込みを働いた相棒を一度だけ見ているのだと。だが、相棒の方はそうとは思っていないかもしれないという。それがはじまりとなる。
 牢問に耐えていたその鶴吉が牢内で殺された。東の大牢の隅の隠居におさまっている為蔵が登に偶然目撃していたと告げ、鶴吉を殺した男の名前を教えた。
 事実を伝える登と鶴吉の女房との会話。女のひとことが哀しい。

<落葉降る>
 登と同じ福井町裏に住む鋳かけ屋の平助は手癖の悪さから小伝馬町の牢を出たり入ったりという繰り返しをしている、それがもとで女房に見切りを付けられ出て行かれた。その平助がまたも入牢した。平助は登に罠にかけられた気がすると語った。娘のおしんはけなげに働いている。だが、そのおしんが入牢してくるという事態が起こる。登は岡っ引きの藤吉に依頼し、直蔵の助けを得てその真相をさぐる行動に出る。そこには汚い仕掛けが裏に潜んでいた。
 ある男の我欲に翻弄されるという切ない話。だが世間によくありそうな話でもある。

<牢破り>
 叔母は従妹のおちえが遊び歩いている相手は芳次郎と思っている。だがそうではない。登は一度おちえが別の男と歩いているのを見かけていた。登が芳次郎に会い尋ねると、おちえの相手は浅草の観音裏の矢場で知り合った櫛職人の新助だという。おあきなら新助の住まいを知っているだろうと。おちえが人質にとられる形で、登が巻き込まれるていく事件に関わってくる。
 牢獄に近い夜道で登は待ち伏せに遭う。相手は登が牢医者であると承知していた。東の大牢に入っている金蔵に手のひらに入るほどの小さな鋸を渡して欲しい。明日の晩に金蔵が腹痛を起こすので、外鞘に出して渡せ。渡さないとおちえの命がないと言う。さらに、金蔵に鋸を渡したかどうかはすぐにわかる仕掛けになっていると念を押す。
 登はまず金蔵が腹痛を訴えてきた晩にどういう男かの確認にとどめ、時間稼ぎをすることから始める。だが翌早朝、調合所で登が薬研を引き寄せたとき、警告文が記された白い紙がはさまれているのを見つけた。登は窮地に立たされることに。
 さて、登はこの窮地を切り抜けられるのか。読者の気をそそる展開になっていく。
 巧みなストーリー構成である。一気読みしてしまうことに。
 
 この連作の興味深いところが一つある。立花登と小牧玄庵一家との関係が点描風にそれぞれの短編の中に織り込まれている。その点描がサブストーリーとして連作の底流として累積されていくところにある。連作を読み継いでいくと、登対玄庵、登対叔母、登対従妹おちかのそれぞれの人間関係が徐々に変化していく様相が見られておもしろい。

 手元にある第2弾『風雪の檻』を早速読み継ごう。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋として、関心事をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
「立花登青春手控え3」 ドラマトピックス :「NHK」
伝馬町牢屋敷   :ウィキペディア
日本橋北神田浜町絵図 小伝馬町一丁目:「人文学オープンデータ共同利用センター」
小伝馬町牢屋敷展示館  :「中央区まちかど展示館」
牢問 ⇒ 拷問 :コトバンク
徳川刑事図譜「拷問の図 石抱責」 江戸捕物の世界 写真特集 :「JIJI.COM」
石抱  :ウィキペディア
吉益東洞 [電脳資料庫]  :「東亜医学協会」
吉益東洞宅蹟  :「フィールドミュージアム・京都」
中神琴渓  :「コトバンク」

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