遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『のぼうの城』 和田 竜  小学館文庫

2012-10-31 10:15:32 | レビュー
 この作品、やはり映画化にはぴったりのエンターテインメント性を持つ戦国時代小説だった。
 秀吉が天下統一を推し進めるために関東の北条家に五か条からなる宣戦布告状をつきつけて始まった小田原合戦である。その戦いの一環として北条に加担する支城は次々に攻め立てられていく。武蔵国忍城がただ一つ、小田原城陥落後まで持ちこたえた。
 忍城城主成田氏長は事前に秀吉に内通しており、忍城も当初は秀吉軍の攻めに対し、すみやかに降伏開城する手はずだった。それが頑強に抵抗し戦う方向に転じたのだ。それはなぜだったのか。本書はこの忍城の降伏から開戦への急展開とその攻防戦の顛末を描き出す。

 本書が戦国エンターテインメントとして優れているのは、ストーリー展開のわかりやすさの中に含まれる様々な意外性と、登場人物達のキャラクターの明瞭さだろう。そして個性が強く、全く持ち味の違う人物たちがおもしろい組み合わせになっているところだ。芝居のキャスティングの面白さに繋がる。そして、その登場人物たちがそれぞれ明らかに違った戦い方をする。戦国の戦い方を多面的に描き出している点の面白さだ。これも映像化するのにぴったり。極めつけは忍城そのものの特異性。「浮き城」とも称され、「洪水が多いこの一帯にできた湖と、その中にできた島々を要塞化した城郭」のもつ魅力。その希少性が魅力的である。上杉謙信ですら攻め落とせなかった城だという。つまり、野原での戦とは違った映像要素、描写となる点が加わる。おもしろい描写ができそうな城だ。この3つの特徴が、映画化に適していると感じる。

 忍城の第17代当主・成田氏長は北条家に対する秀吉の宣戦布告の後、秀吉に内通する腹づもりで工作を進め、北条家の要請により小田原城に手勢を従えて詰める。忍城は城代として成田泰季に預けられる。そして、戦う振りを最後までし、秀吉に降伏・開城するように指示する。成田泰季は病床に臥し、その息子・長親(のぼう様)が城代と目される。当初は降伏の手はずをやむなきこととしていた忍城に残留する家老達。だが、秀吉の使者として長束正家が現れ、交渉条件を出してきたその席で、城代の長親がそれを拒絶することから、一転開戦となる。家老達はそれに賛同する。その攻防戦は秀吉軍を指揮する総大将石田三成の思わぬ誤算となる激しいものだった。

 本書は以下の構成・展開内容になっている。
序 秀吉側の当時の状況を簡潔に語る。
 備中高松城の水攻めの経緯。小田原攻めの体制。石田三成に対する武州忍城攻めの下知。
1 忍城側の軍議。その経緯の中で主要人物のキャラクターが描き出されていく。この描き方がなかなか楽しい。当主氏長は最終的に、秀吉への内通、忍城の開城を決する。
2 秀吉の箱根入りの状況と2万の軍で忍城に至る三成の戦構想を描く。そして、三成側軍使・長束正家と忍城側との交渉。正家の出した条件を長親が拒絶する。和睦が一転して決裂、開戦に向かう。
3 武将の各守り口での戦闘プロセス。最後は三成の水攻め戦略の進展状況を描く。
4 水攻めに対して城代長親のとった意外な行動とその波紋。戦の結末・開城。
終 長親と三成の対面。各武将のその後について。
大凡のストーリー展開はこんなところだ。

 面白いのは登場人物のキャラクターとその組み合わせだろう。
<< 忍城側 >>
*成田氏長: 忍城当主。政略戦略に一応の見識を持つが、武将としての哲学には欠ける人物。連歌を何よりも好む。十人並みの器量にしかすぎない。連歌の師を通じて、秀吉への内通の意思を伝える。兵力の半数500騎を自ら率いて小田原城に入城する立場になる。関白に内通していれば、小田原城が落ちても身は無事だという発想である。忍城では戦の用意を怠りなくし、北条家に疑いを抱かせず、秀吉軍の攻めを待って降伏・開城するよう下知して、小田原城に出むく。

*成田長親: 領民からはのぼう様と呼ばれる。農業の場にいることが大好き。百姓仕事を手伝いたがるが、不器用で作業は失敗の連続。百姓は拒めないので閉口する。結果的にお邪魔虫的存在だ。「でくのぼう」とは言えないので「のぼう様」。武士らしからぬ武士。そこが領民には親しまれている。表情が極端に乏しく、泰然としているようにみえる不可解な人物。甲斐姫だけはなぜか長親を認めている。
 「北条家にも関白にもつかず、今と同じように皆暮らすことはできんかな」と余迷言を北条家から来た使者の前でも言い出す人物である。

*正木丹波守利英: 成田家一の家老。上杉謙信を畏敬し、その影響を受け武技を錬磨する。長親の父・泰季が彼に城代を務めよと言うくらいの人物。自分自身理由が解せぬままに、「あの馬鹿が」と罵りながらも、丹波は長親を無視できない。真っ先に長親を気遣う。武功一等を示す皆朱の槍を許されている。
 東南の門・佐間口を70騎の騎馬武者他あわせて430人余りを従え、戦に臨む。坂東武者そのものの戦振りを発揮する。さらに、意外な戦術に出る。三成側は、長束正家の指揮下の長束勢4,600人。

*酒巻靭負(ゆきえ): 三男として生まれたが二人の兄の病死により家督を継いだ。家老になって1年足らずで、この時点で22歳。生まれたときから矮小な体躯の人物。合戦の経験はないが、古今の兵書に通暁する。自らを戦の天才と自負している。
 南の門・下忍口を守る。およそ670人の兵たちは皆老人だ。軍議の席で靭負自らが望んだのだ。直臣の働き盛りの者は皆、他の守り口の与力に貸してやる。そこには靭負の戦略が秘められていたのだ。ここに対して攻めてくるのが三成自身の軍勢だった。

*柴崎和泉守 :家老柴崎家の総領息子で、家老。身体全体を骨格筋の鎧で固めた体躯を持つ巨漢。剛強無双を自負し、自らこそが皆朱の槍を使うべきだと思っている。
 東の門・長野口を守る。総勢350人である。鉄砲組はいらないと丹波の方にまわしてしまう。だが、それは後悔の種になる。しかし、彼は地の利を知り尽くした戦術を駆使する。そして三成側の大谷吉継と攻防戦を繰り広げる。

<< 秀吉側 >>
*石田治部少輔三成: 秀吉は成田家からの内通の旨を知ったうえで、三成に攻撃を命じる。理財に長けるが軍略の才に乏しいと周囲から見られている佐吉(三成)に武功を立てる機会を与えようとした。三成は自らの能力を恃み、嘘と方便をもっとも嫌う男である。秀吉の戦略、備中高松城の水攻めを傍で見て、己の戦でこの水攻めの戦法を使い、采配を振るうことを密かに心に抱いている。
 西洋人のような長頭形の頭、細めの顔の美麗な優男。だがとてつもなく激しい気性の持ち主である。
 館林・忍の攻城軍の総大将として2万の軍勢を持って攻め寄せる。それが和戦を問うこともなく落城した館林城の降兵などを合わせて2万3,000に膨れあがる。三成は丸墓山に本陣を敷く。ここから湖島の要塞・忍城を眼下に見下ろせるのだ。そして、自ら佐間口を攻める。
 長束正家を軍使に任命する。大谷吉継はその人選を誤りと諫めるが、三成には彼自身の思惑があったのだ。
 三成は、自ら下忍口と南西の門・大宮口への寄せ手となる。総勢7,000余人。

*大谷刑部少輔吉継: のちに「兵を進退させること手足の如し」といわれる戦巧者。江戸期には「智勇兼備の武将也」とされた名将である。この当時にはまだほとんど戦の経験がなかった長身の人物。秀吉はその軍才を予期し、成田氏長の内通を吉継に教えた上で、三成にはそのことを洩らさず後見役を果たせと下知する。秀吉は三成に武功を立てさせてやりたいのだ。
 吉継は長野口と北東の門・北谷口を担当し、総勢6,500人で攻める。鉄砲を駆使する隙の無い戦術で臨む。古い手だが着実に効く戦術を活用する。

*長束大蔵大輔正家: 理財に聡い人物。「算勘につきては天下無双」の評判をとる。戦における兵站面でその才能を発揮する。秀吉に追従し、弱き者には居丈高になる人物。
 佐間口への寄せ手となる。総勢4600人。だが、算勘の才は朱槍の手練れには散々にあしらわれる羽目になる。
 
 こういうキャラクターの組み合わせだから、展開が面白くなる。史実を踏まえ、そこからどこまで著者の想像力、構想が羽ばたいたのか定かでないが、戦に至る経緯とそれぞれの守り口での攻防戦を一気に読ませるおもしろさがある。
 一方、この作品の読ませどころは、やはり「のぼう樣」の存在だ。この人物のどこに人を惹きつける力があるのか、どこからくるのか。のぼう樣・長親の一言で始まった籠城戦。そして壮大な水攻めを防ぎ通すプロセスにおけるのぼう樣の存在そのものを著者は描き出したかったのだろう。将器とは何か。著者は三成の説得にあたり、吉継にこう語らせている。
「みろ、兵どもをみろ。敵も味方もあの者に魅せられておる。明らかに将器じゃ。下手に手を出せば、窮地に立たされるのは我らの方じゃぞ」(下巻・p120)と。
また、こうも書く。「結局のところ、三成の頭脳をもってしても、成田長親という男はわからなかった。しかしながら、成田長親の持つ愚者としての一面が、強がりの家臣どもと、利かん気の強い領民どもの好みに見事に合致していることだけは確信できた。」(下巻・p192)
 将器とは何か? のぼう樣という存在は、考える材料として提供されたとも言える。

 三成の軍勢が忍城を包囲したのは、『成田記』によれば、天正18年6月4日という。そして、『成田系図』に従うと、天正18年7月16日に、三成に明け渡されたとのこと。小田原落城から11日後だそうだ。
 忍城の攻城軍は当初、総大将三成の下に総人数2万人、それが館林城の降兵などが加わり23,000人に増大、さらに最終段階では秀吉が援軍として差し向けた軍勢1万余が加わる。これに対して、『忍城戦記』によると、士分百姓ら合わせた忍城の籠城兵の総数は、3,740人。そこには、15歳以下の童と女が1,113人含まれていたという。つまり、直接戦力となる人数は、2,627人である。
 のぼう樣の統率力は結果的にすごかった!

 活字本が魅了した各キャラクターのイメージ・魅力を、映画という媒体・映像がどこまで引き出せるのか、原作を越えられるか。はたまた、イメージ倒れになるか・・・・
 それは、本書を読んでから映画を見て、やっと評価することができる。
 それでなければ、全く独立した同名映画作品としてのみ楽しみ、その範疇で評価することに徹するか。本の発行部数に比し、どれくらいの人々が映画をみるのだろうか。

一つ、気になる点が残った。それはネット検索で得た情報からである。複数のサイトで、この籠城戦では甲斐姫が第一線の戦いに自ら出たということが書かれている。本書で甲斐姫が丹波や和泉を体術で手玉に取る場面が描かれているが、それだけだ。甲斐姫の戦働きは歴史資料に記載がある史実なのだろうか。単なる伝承あるいは創作だろうか。
 著者が甲斐姫という要素を戦う場面で採りあげなかったのは、史実としての資料がなかったからか。あるいは単なるフィクションとしての構想上の選択にしかすぎないのか。興味深い点である。


ご一読、ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

 本書に出てくる語句を検索してみた。その一覧をまとめておきたい。

高松城(備中国) :ウィキペディア
武蔵国 忍城(おしじょう) :「城跡の写真」
武蔵・忍 :「検証・石田三成」
忍城の歴史 :「武州の城」
忍城の遺構1:「武州の城」
忍城の遺構2:「武州の城」

成田長親 :ウィキペディア
成田氏  :ウィキペディア
成田長親のお墓  :「彰義隊 関弥太郎の生涯」
石田三成 :ウィキペディア
石田三成のホームページ
忍城攻め-戦国の中間管理職・三成の悲劇 小村勇太郎氏 :「検証・石田三成」
あの人の人生を知ろう~石田三成 
大谷吉継 :ウィキペディア
大谷吉継 :「敦賀の歴史」
長束正家 :ウィキペディア
長束正家 :「日本史人物列伝」

第5回「忍城攻防戦、甲斐姫の奮戦」
甲斐姫と忍城 :「日本歴史 武将人物伝」

太閤記  :国立国会図書館デジタル化資料

映画『のぼうの城』本予告編  :YouTube


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』 池澤夏樹  小学館

2012-10-29 10:15:26 | レビュー
 最近関心を抱き始めた著者であることと、書名に惹かれて本書を読んだ。
 根底には聖書についての関心がある。欧米の歴史や芸術、ものの見方は聖書を抜きに理解できない部分が多い。信仰者でないので、聖書も表層的な部分読みに終始してきた。そんな門外漢が読んだ感想、印象だが、記録を兼ねてまとめておきたい。

 著者は「まえがき」の冒頭に、「信仰は魂に属するが、宗教は知識である」と記す。そして、文末に、「キリスト教の前にはユダヤ教がある。・・・ユダヤ人のいない西洋史はあり得ない。・・・・すべての源泉は聖書だ。旧約と新約。古い約束と新し約束。神と人の間の契約。こういうことについて一定の知識を得てはじめて、世界の正しき姿が見えるだろう。」と述べる。著者の知的関心をベースにして、ヘブライ語研究、古代イスラエル宗教思想史の研究にたずさわった碩学・秋吉輝雄の門を敲いた結果が本書である。池澤の疑問・質問に、秋吉が答える対話形式の本だ。話言葉であり、読みやすい。
 著者は若い時から宗教に関心を持ち、キリスト教の方に誘われる要素があったが、知識の範囲、知的・哲学的関心の範囲に留まると明記する。その著者の立ち位置からの疑問、質問が次々に発せられる。それに対し、秋吉氏がわかりやすく、簡潔に、ストレートに自らの考えを話す。まず、著者の聖書の読み込みが半端じゃないと感じる。それを受けての回答であるので、簡潔な説明はかなり深い、また巨視的な一方で根源的な部分にも及ぶ。本書の読後感を一言で述べると、常套句だが「目から鱗が落ちる」である。エッ!と思うことも数々あった。そんなことすら知識レベルで知らずに、聖書を部分読みしていたのか・・・・という思いが強い。宗教知識に対し知的好奇心を喚起される本である。
 
 本書は、三部構成になっている。そして、8つのコラム記事が載っている。
 第一部 聖書とは何か?
 第二部 ユダヤ人とは何者か?
 第三部 聖書と現代社会

 私にとって目から鱗の箇所が数多い、第1部から少し拾い出して、ご紹介しよう。その記述に至る二人の対話の思考プロセスを追うことが、本書を読む醍醐味だろう。
「*印」は引用文とそのページ、矢印以降には関連箇所の要約付記あるいは私の印象を記しておきたい。

*聖書は、いまからおよそ2500年前、古代のイスラエル諸部族の間で語りつがれてきた物語やリストを広く集めて編集し、一巻のスクロールに書き写したものを出発点としています。 p20
 →いわゆるモーセ五書:創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記
  ヘブライ語で書かれていて「ミクラー」(原義:朗読されるもの)とも呼ばれる。
  記録する文字はカルデア文字を使用(=当時の中近東の国際文字)
  当時のヘブライ文字には母音を表す文字がない。記録は正しい発音を口伝で伝える。つまり音読、朗誦が義務づけられる。この箇所を読みちょっとびっくりした。

*聖書はさまざまな記事(資料)を寄せ集めて構成されていますから、羅列的な部分や、ストーリーを中断する挿入が多々あります。・・・・個々の記事は独立したものとして拾い読みされるものではなく、物語の大きな文脈に照らして理解されなければならない。また、その集大成がなされたからこそ、古代イスラエルの部族宗教であることを脱し、聖書(律法)の宗教、ユダヤ教への道を拓いたのではないかと思うのです。 p23

*ヘブライ語では動詞の形そのものは変化しない。それが過去の話なのか現在の話なのかは、状況語で判断するしかないのです。動詞の形を見ても過去と未来は区別できない。ヘブライ語には過去形というものがない。  p24
 →ヘレニズム世界の共通語・ギリシャ語に翻訳されることで、ギリシャ語文法に時制があるために、時間軸が導入された。つまり、過去・現在・未来という形で未来志向になった。ヘブライ語はすべて直接話法なので、直線的な未来志向にはならない。天地創造も過去のことではなく、いまだ終わっていない。→これは聖書理解の変容に繋がるのでは? 仏教がシルクロードを経てくる過程で変容してきたように・・・。
 →ヘブライ語の聖書に見るユダヤ人は、歴史を並列的あるいは横軸としてとらえているようである。「すべての時代」が同居している感覚。

*旧約聖書あるいは新約聖書という呼称はキリスト教会の用語であることに注意する必要がある。旧約聖書はユダヤ教によって伝えられた書に基づく書ではあるけれども、旧約聖書=ユダヤ教の聖書ではない。   p26
 →「律法」、「預言書」、「諸書」の三部作が、アレキサンドリアで70人の翻訳者が同時にギリシャ語に訳した。セプトゥアギンタ(70人訳聖書)の段階で、39巻に分割されて構成・配列された。「旧約聖書」はギリシャ語版を踏襲している。
 セプトゥアギンタの名の由来は旧約聖書偽典の一書「アリステアスの手紙」による。
 →ユダヤ教では、神の言葉はやはりヘブライ語でなければだめだという主旨から、紀元90~100年頃、地中海に近いヤムニアでユダヤ教の最高法院の会議を開催し、現在のヘブライ語聖書におさめられた24巻を正典と決める。
 選定基準は①ヘブライ語で書かれていること。②文書の作成年代がギリシャ語時代(前4世紀末)に移る前までのもの。③著者がはっきりしているもの。ただし伝承でもよい。
 こういう基準においても、あの「雅歌」が正典の一部になったのだ!
 著者は「古典文学全集のなかに民謡的な恋愛詩が含まれるのは当然ですよ」と言う。
 →397年にキリスト教会では、カルタゴ教会会議を開催し、現在の新約27書が新約として、アポクリファ(外典)を含む旧約46書と合わせて、聖書として正典化した。
 →今まで、旧約聖書がユダヤ教の聖書と思い込んでいた間違いに気づかされた。

*原罪というのは、キリスト教の用語で、ユダヤ教では原罪とはいわないと思います。強いて言えば、生きるべく造られていたにもかかわらず、死を宿命づけられてしまった、ということですね。これがぼくの原罪の理解なのです。知恵を得て、死を宿命づけられ、エデンを追われた人間。エデンならぬ現世では死ぬ者として生きねばならない。この宿命が原罪だと思います。  p51

*アダムとイヴがエデンの園を追われる話ですが、ギリシャ語訳には「かくも美しき(エデンの園)」(「創世記」3章23節)という一語があります。しかし、ヘブライ語の原典にはこの言葉はない。・・・・しかし、ギリシャ語に倣った伝統的な神学では「美しきエデン」、すなわち楽園という印象がすでに定着し、くつがえしがたい趨勢になってしまっている。 p56
 →やはりキリスト教でも解釈に変容が起こっているのだ。仏教の伝播と同様に・・・
  池澤「それはやはりギリシャ流の楽園の思考が混じり込んでいるということですか。」秋吉「そうだと思います。プラトンのイデアの世界ですね。」 p56

*キリスト教は、「新約聖書」を本来つながらないはずのユダヤ教の聖書につなげて編んだわけです。それが可能だったのは、70人訳ギリシャ語の過去から未来へとつなぐ書物の配列・配置換えがあったからで、そのギリシャ語訳聖書を背景として、イエスの物語も作られている。  p57
 →新約聖書の配列も、過去・現在・未来の3つに区分された時間軸で配列されている。
   過去;教会の起源を語る書  4福音書と使徒言行録
   現在;現実の諸問題を扱う書 ○○の信徒への手紙、△△への手紙、◎◎の手紙
   未来;未来を描く黙示録   ヨハネの黙示録
  池澤「新約の言葉にはそれに対応する部分が旧約の方に見つけてある」p57

*今日多くのキリスト教会では聖餐式にワインを使いますが、最後の晩餐で杯に入っていたものは、アルコール抜きのぶどう液のはずです。  p58
 →なぜ? 本書で理由を確かめてください。なるほど・・・と感じますよ。

*ユダヤ人であれば、14という数は特別な意味を持った数字であることがわかります。この14という数は、ダビデ(DWD)という名、その構成文字を数値に換算した値です。p66
 →新約「マタイの福音書」1章17節に出てくる「14代」の14という数字の解釈
  
第2部、第3部からは、特に印象深い対話部分からの学び、印象をいくつか簡略にまとめておこう。括弧内の数字は部を示す。

・サルトルとエマニュエル・レヴィナスのユダヤ人についての定義をもとに論じられているが、ユダヤ人に間違ったイメージを抱いているということを痛感した。(2)
・「イエスはユダヤ人の救済だけを考えていた」という秋吉氏の解釈は興味深い。(2)
・ユダヤ教は求心的な方向で選民意識が維持され、キリスト教は伝道という遠心的な方向に進展したので、世界宗教になった。またユダヤ教との乖離が加速したということに、なるほど・・・・  (2)
・14代、12使徒、12部族、魚153匹などの数字に、意味が隠されている、ある解釈ができることは驚き。(2)
・言葉の意味を深めることができた。たとえば、ヘブル・イスラエル・ユダヤ・シオンのもつ意味の識別、バビロン捕囚、ディアスポラなど。 (2)
・「安息日」の解釈がおもしろい。また、ユダヤ人が聖書の文言を守るために、現実生活での矛盾を解決するために、如何に知恵を絞り、聖書解釈しているかということ。(例えば、仏教で僧侶達が酒を般若湯と称した類)いずこの宗教にも、解釈での抜け道ができている。 (3)
・ユダヤ人が豚肉を食べてはいけない戒律があるというのを初めて知った。イスラムの人には禁忌だということはしていたが・・・ (3)
・「イザヤ書」のインマヌエル預言の「おとめ」(若い女という意味)が、ギリシャ語で「パルテノス」と訳されたことにより「処女」となった。そして「処女が身ごもる」と変容したという。翻訳するということは難しい。この訳語で、マリアの処女懐胎につながっていく結果になったとか。 (3)
・聖書解釈とその理解から、自然観・宇宙観、科学の役割、利子をとることの是非、臓器移植問題、死の意味、永遠のいのちと来るべきいのち、などが論じられていて、興味が深まる。 (3)
・「ユダの福音書」の発見。これがどう解釈されていくのだろうか・・・・ (3)

 三部全体から気づかされたこと、印象深いことを拾い出すときりがない。全部を引用するわけにはいかないので・・・・。この雑文から知的関心を抱かれたら、本書を手に取ってみてほしい。著者流に言えば、現代世界をより深く知るためにも。

ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

 ネット検索すると、聖書へのアクセスもかなりできる。以下、過去の検索で知ったことも含めて、いくつかリスト化した。

The Hebrew Bible in English
The Hebrew Bible
The Complete Jewish Bible :Chabad.ORG

The Holy Bible  King James Version :「Bartleby.com]

口語旧約聖書  日本聖書協会、1954年  :WIKISOURCE
口語新約聖書  日本聖書協会、1955年  :WIKISOURCE    
Catolic Online

Bible Old Testament
Old Testament Gateway Home Page
The New Testament Gateway Dr. Mark Goodacre

聖書を読んでみよう 初心者のためのやさしい聖書の話  坂井信生氏
旧約聖書メッセージ
聖書の学び 新約聖書シリーズ
聖書の学び ロゴス・クリスチャン・フェローシップ内でのメッセージ

イスラエル旅行記 :「ロゴス・ミニストリー」

聖書翻訳の歴史  :「財団法人 日本聖書協会」

聖書      :ウィキペディア
ヘブライ語聖書 :ウィキペディア
ヘブライ語 :ウィキペディア
アラム語 :ウィキペディア

ディアスポラ :ウィキペディア
バビロン捕囚 :ウィキペディア
イスラエルの失われた10支族 :ウィキペディア
使徒 :ウィキペディア
七十門徒 :ウィキペディア


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


今までに読後印象を掲載した著者の本は次のとおりです。

『雅歌 古代イスラエルの恋愛詩』 秋吉輝雄訳 池澤夏樹編 教文館

『すばらしい新世界』 池澤夏樹

『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』 池澤夏樹 写真・鷲尾和彦 中央公論新社



『「想定外」の罠 大震災と原発』 柳田邦男  文藝春秋

2012-10-25 14:11:37 | レビュー
 著者は「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の委員の一人として原発事故現場に調査のために足を踏み入れた。その著者が、事故からそれほど時日を経ない時期に第1章にまとめられたいくつかの小論を書いている。著者は四十年余にわたって様々な災害・事故に関する小論やドキュメントを書き続けてきた作家である。
 本書は今回の事故が過去における災害・事故に対する連綿とした指摘を、克服することなく繰り返している最たるものであることを、過去の著述からの関連小論の抽出・編集により明らかにしている。第1章の論文を除くと、復刻編集本だと言える。今回の事故の問題点を著者による過去の災害・事故に対する指摘事項と関連づけて、理解していくのに便利で有益な一冊である。本書を読めば、「想定外」という表現は過去の失敗事例から学んでいないことの裏返しにすぎないことが一目瞭然となる。本書はあらためて「想定外の罠」を明確に指摘したといえる。

 「はじめに」において、著者は「問題は、専門家の想像力の欠如にある」と指摘している。そして、重要な点を2つ指摘している。(1)「事故は意表を突くような原因によって引き起こされることが多く、なぜ予想外のことがおきたのか、という本質的なところを読み取らないと、次には再びとんでもないところでシステムにほころびが生じる」、(2)「スリーマイル島原発事故の調査報告書で極めて重視された原発事故の場合の放射能拡散と避難に関する情報の問題について、日本は行政も電力会社も教訓を全く活かさなかった」という点だ。

 第1章で、著者は「想定外」という弁明が思考の枠組みにおける想像力の欠如や線引きによる枠組みの限定化を論じている。そして、「複雑で高度な技術を駆使した機械システムや装置産業では、システムの中心部は安全確保に万全の配慮をした設計にしてあるのだが、システムのいわば縁ともいうべきところで、まさかと思うような人間のミス(ヒューマンエラー)や工事ミスや設計上の手落ちなどが生じやすく、それが引き金になって、システム全体を破局に陥れるような大事故を起こしてしまう」という「システム辺縁事故論」の問題点指摘を、過去の災害・事故事例により例証している。この問題点が、「想定外」という弁明の問題点と密接に関係していること、福島第一原発爆発事故でも繰り返されていたことが、実によく解る。「想定外」という常套句は事故の責任回避にしか過ぎない。経済合理性の現実主義で最大想定値、規制値の思考枠組みを設定した途端に、それを越える事態の発生を考えることについて思考停止し、対策への思考も放棄した実態を明確に指摘する。参議院経済産業委員会での著者の意見陳述の際のレジュメとその解説を本書に収録している。事故論の観点から原発の安全対策の問題点を整理して理解するのに大変役に立つ。記録としての価値もあるように思う。

 第2章以下は、「想定外」という弁明が如何に虚構であったか、専門家の想像力欠如が今回の事故の真因に潜むことを納得する上での例証資料を提供してくれている。そこには様々な観点からの警鐘が既に発せられていたのだということが、これでもかこれでもかという風に重なってくる。「想定外」の罠の恐ろしさが根深いことが解ってくる。
 章立てを記載しておこう。

 第2章 放射能が世界にバラまかれた日-チェルノブイリからの警鐘
 第3章 炉心溶融-スリーマイル島からの警鐘
 第4章 臨界事故-東海村からの警鐘
 第5章 原爆被災の記録-広島からの警鐘
 第6章 防災の思想とは何か-災害王国からの警鐘
 第7章 大災害は必ず「常識」を覆す-阪神・淡路大震災からの警鐘
 第8章 復興へ希望の灯火-新潟県中越地震・スマトラ沖大地震からの警鐘

 著者の解説も踏まえ、私が理解した各章の論点だけ簡略にまとめておこう。本書を読み熟考していただくとよいだろう。
第2章 事故や情報の読み方についての普遍的な問題点の指摘
 ・事故の全貌の公表が必要である。
 ・大規模原発事故が起こると、放射線被爆者を救えない事態が発生する。
 ・フェール・セーフの機構を組み込むことが何としても必要である。
 ・異質と見える事故から教訓を学ぶ真摯さが必要である。
第3章 原発事故における情報のあり方とメディアによる報道のあり方
 ・真実を伝える情報は遅れがちになり、誤報が渦巻く状況が起こる。
 ・自らの過ちを公表しないこと、そこに問題が潜む。
・事故情報の不備こそがパニックをもたらす。
第4章 原子力産業での経済性の追求は高い安全性を損なう関係にある。
 ・落とし穴は辺縁部にある。辺縁部での事故防止に巨額の安全投資は避けられない。
 ・「密室性」を無くすには、情報公開制度及び業種別に立ち入り調査と告発の権限を持つ第三者監視機関を設けることが不可欠である。
 ・核事故による大量放射線被爆者を救う道は現時点では最先端医学にもない。
第5章 災害や事故は人間の知識の不足箇所をねらうかのようにして必ず襲ってくる。
 ・被災者と同じ地平に立ち、現場に立って物事を考えることが重要である。
 ・災害には「忘れた頃」型と「忘れぬうち」型の二種類がある。備える心構え。
 ・「マンハッタン計画」という過誤の全体像、実像をとらえる視点も大事である。
 ・人間中心、患者中心の医の倫理や生命倫理の確立には、不可欠の大前提がある。
    科学研究第一主義および国家権力や権威主義に対して画然と距離を置く。
 ・様々な原爆被災の記録から学ぶことが必要である。
第6章 災害に備えるためには、リスク情報の「水平展開」が重要である。
 ・災害は”意地悪爺さん”だ。バックアップ・システムが必要である。
 ・建物の地震災害の”落とし穴”は、すべて”教科書”に書かれている。
 ・耐震設計の「規準」もさることながらその運用こそ重要なのだ。
 ・自らの力で災害から身を守る道を探ること。身近な実践的なやりかたこそ重要だ。
 ・自分の命は自分で守る意識。実質のある災害対策には体験の有無が決め手になる。
 ・過去の災害事例を我が事として「翻訳」してみて、受けとめる事が重要だ。
 ・知識をからだに覚えこませるための方法を知り、習慣化が大事なポイントになる。
第7章 1・17大震災の教訓を綿密に検証しておく必要がある。3・11大震災から学ぶ為にも。
 ・安易な「常識」ありは通念は必ず覆される。
 ・自衛手段として、最低限1週間は生き延びられる食料を用意しておく。
 ・大都市地震災害ではすべての機能が駄目になることを前提に考えよ。
 ・震災問題は複眼的な見方でフォローしていく必要がある。
   被災者の心身両面の体力低下への支援の取り組み及び
   希望、明るくはげみになる要素に目をむける視点
 ・ボランティア活動に新しい思想と行動が産まれつつある。
第8章 「いのちの危機管理体制」の重要性に気づけ。
 ・災害プロのブレーンを総理官邸に抱えることが必要だ。
 ・過去の大地震から学び、「総合災害学」の構築が必要である。
 ・互助の精神は大事。復興への百年の計とロマンを語れるか。

 著者は常に、「現場に立つ」という行動視点から論じている。最後に、印象深い箇所をいくつか引用メモしておきたい。
*たとえ途上国の災害であっても、現場へいけば、必ずそこに学ぶべき教訓の発見があるはずである。大事なのは、何を読み取るかという調査の視点であろう。  p211
*私は、いわゆる「専門家」には二種類のタイプがあると思っている。一つは、災害の現場に足を運び、本当の災害とは何かという本質を見て議論する「専門家」、いま一つは、行政機構や企業、組織の自己防衛のために、ある種の枠組みの中だけで議論する「専門家」である。われわれは、専門家と称する人物が安全を保証したり、危険を指摘したりするとき、相手がどちらの範疇に属する人なのかをよくよく嗅ぎ分けて聞く必要があるだろう。 p250
*災害は意地悪だ。人間が過去の教訓に学ばず、防災対策の甘さや見落としがあると、必ずそこを狙い撃ちされる。  p310
*原発事故発生時の情報の扱い方については、少なくとも次の四つの要素を満たさなければ有効でない。①速やかであること、②正格であること、③わかりやすいこと、④普段から住民が熟知していること。放射能の基礎知識を身につけ、避難の方法についても熟知していること、避難について実地訓練が行われ、住民がとっさに正しい行動を取れるほど身体全体で覚えていること。  p10
 →この最後の引用の内容は、福島第一原発爆発事故では、まったくこの要素が満たされていないことが歴然としている。逆の行動を意図的に取っていたとしか思えない。なんという国だろうか。

 フクシマを風化させないためにも、「想定外」という常套句のまやかしをきっちりと認識し理解しておくことが出発点だろう。そのためのテキストとして役立つ一冊だ。


ご一読、ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

 本書に掲載の事故について、事実情報や調査報告書を検索してみた。一覧にまとめておきたい。

国会事故調査委員会報告書
ダイジェスト版
報告書内容閲覧の一覧ページ (国会事故調のHP)
同報告書のダウンロード一覧ページ

東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会  
 最終報告(概要)
 最終報告(本文編)
 最終報告(資料編)

東京電力 福島原子力事故調査報告書の公表について  2012.6.20
 公表ページ。ここに報告書各資料へのリンク一覧表が掲載されている。

福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書
 ここは冊子を発刊しているだけで、ネット掲載なし。
 今の時代、概要だけでもネット掲載すべきだと思うが。

原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書について :経済産業省
 ここに報告書各資料へのリンク一覧表が掲載されている。
国際原子力機関に対する日本国政府の追加報告書-東京電力福島原子力発電所の事故について-(第2報) :経済産業省
 ここに報告書各資料へのリンク一覧表が掲載されている。

IAEA調査団暫定的要旨について  :経済産業省
 ここに報告書各資料へのリンク一覧表が掲載されている。

IAEA Fukushima Daiichi Status Reports :IAEAのHP
 福島第一原発事故後の状況レポート一覧表のページ

Chernobyl 25 Years, 25 Stories メイン・ページ
Chernobyl's Legacy: Health, Environmental and Socia-Economic Impacts
 チェルノブイリ・フォーラム 2003-2005のレポート冊子
15 Years After Chernobyl, nuclear power plant safety improved , but strains on health, economy and environment remain
Staff Report
  25 April 2001

Three Mile Island Accident :”World Neuclear Association”
Report of The President's Commission On The Accident at Three Mile island

スリーマイル島、チェルノブイリ原発事故と被害の実態
  「よくわかる原子力 原子力教育を考える会」

東海村JCO臨界事故 :ウィキペディア
東海村臨界事故 :YouTube
東海村JCO 臨界事故 :「よくわかる原子力 原子力教育を考える会」
東海村JCO臨界事故から13年 :「私にとって人間的なもので無縁なものはない」

日本におけるシステム危機 :「科学と技術の諸相」
 この「講義ノート」に、TMI事故、チェルノブイリ原発事故、東海村JCO臨界事故など、有益な情報が記載されています。

日本への原子爆弾投下 :ウィキペディア
広島市への原子爆弾投下 :ウィキペディア
長崎市への原子爆弾投下 :ウィキペディア
忘られぬあの日 私の被曝ノート :長崎新聞のHP サイト
老いを生きる長崎被曝52年 :西日本新聞のHP サイト

地震 :ウィキペディア
2004/10/23 新潟県中越地震の報道(放送中にM6.5の余震) :YouTube
阪神淡路大震災の報道 1 of 4 :YouTube
阪神淡路大震災の報道 2 of 4 :YouTube
阪神淡路大震災の報道 3 of 4 :YouTube
阪神淡路大震災の報道 4 of 4 :YouTube
阪神淡路再震災 NHK あの動画のその後 :YouTube
阪神淡路大震災報道特番 Hanshin earthquake News program :YouTube
地震発生の瞬間1 :YouTube
地震発生の瞬間2 :YouTube

東日本大震災の大津波の被災事例からこれからの津波防災対策 小池信昭氏

関東地方 首都圏直下型大地震 1  :YouTube
関東地方 首都圏直下型大地震 2  :YouTube
関東地方 首都圏直下型大地震 3  :YouTube
関東地方 首都圏直下型大地震 4  :YouTube
関東地方 首都圏直下型大地震 5  :YouTube
関東地方 首都圏直下型大地震 6  :YouTube
関東地方 首都圏直下型大地震 7  :YouTube
関東地方 首都圏直下型大地震 8 :YouTube
関東地方 首都圏直下型大地震 9  :YouTube

ビル倒壊の瞬間 :YouTube

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『私が愛した東京電力』 蓮池 透 
『電力危機』  山田興一・田中加奈子
『全国原発危険地帯マップ』 武田邦彦
『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章
『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ
2011年8月~2012年7月 読書記録索引 -1  原発事故関連書籍



『ナニワ・モンスター』 海堂 尊  新潮社

2012-10-20 21:29:18 | レビュー
 ある意味で興味津々たる作品だ。厚生労働省と検察庁の組織風土及び役人の体質を、アイロニカルな観点から俎上に乗せている。俎に乗せた素材が、日本の中央官僚機構と政治構造である。地方復権、道州制構想を確立しようとする動きに対して、新種インフルエンザというパンデミックをぶつけ、防疫体制という狼煙を上げる、中央官僚の画策という対抗手段を配するという著者ならではの発想による素材の調理ということになる。さらに、そこに著者自身の専門領域である画像診断技術の導入問題を絡ませていく。
 海堂ワールドのなかで、絡み合う事象の一つのエピソードをまとめたという感じであり、この流れもこれから先が続きそうな印象を残す。まさにアメリカ映画のエンディング手法を取り入れた感じを受ける。話は一段落したけれど、完結感はない。よく言えば、早く続編を読みたい・・・という気にさせる。

 話はアフリカ大陸南端に近い内陸部の砂漠にいるラクダと少年から始まる。これはまあ、ラクダ、つまりキャメルを引き出すイントロにすぎない。そして、浪速市天目区の一角に在る浪速診療所の2009年2月4日から事が始まる。この作品、大阪府、大阪市を匂わせる雰囲気だが、当然ながら、架空の設定だ。現院長は事情により大学病院の職を辞し、父の経営してきた診療所を継ぐ。父、菊間徳衛は今は名誉院長で長年町医者として信頼を築いてきた人物だ。徳衛は、新聞で新型インフルエンザ・キャメルの蔓延の兆しありという記事を目にする。
 ちょうどその頃、USファーマという米国の製薬会社製で、日本のサンザシ薬品が代理店販売をする予定の「キャメル・ファインダー」という新型インフルエンザの迅速検出キッとが浪速市他数都市に医師会経由でサンプル配布される。一方、院長菊間祥一は母校の大学医学部の後輩から、医師会での講演会開催企画の根回しを頼まれる。父の協力も得て、その企画は実現する。タイトルは、「新型インフルエンザ・キャメルの脅威とその実態」、講師は浪速大学医学部衛生学教室・本田苗子である。講演は聴講した医師たちに好感を持って受け止められた。だが、徳衛は現場医師の経験からその講演内容に引っかかりを感じるのだ。その後、本田講師は准教授に昇進し、一方講演会や報道番組などで活躍を始める。つまり、新型インフルエンザ・キャメルのパンデミック対処として、空港を中心に防疫ラインの構築、水際作戦の先鋒に立つようになる。徳衛は息子祥一に本田講師の経歴を調べさせる。だが、その経歴は深くはたどれない、素っ気ないものにとどまるのだ。
 そして、あろうことか、水際防疫が敷かれているにも拘わらず、浪速診療所で、熱を出した小学生がこの新型インフルエンザ・キャメルに罹患しているという事実が発見される。厳重な水際防疫が敷かれている一方で、浪速市内の自診療所で患者が出たことにより、菊間親子は医師としてこの防疫問題に巻き込まれて行く。このキャメル・パニックへの対処プロセスに、厚生労働省の行政発想と対応が絡められており、同時に別の思惑が絡んでいくことになる。そこには著者の冷めた目線で、中央官僚の発想と対応の在り方が描き込まれていく。このあたりは本末転倒の馬鹿らしさを感じ実に興味深い。
 この第1部、パンデミックに対する水際防疫という対処が、実は隠された意図があったというところが、ストーリーをおもしろくする。水際防疫発想に対して、レッセフェール・スタイルをぶつけていく点も一つの読みどころかもしれない。

 それに先行して、検察庁では大きな動きがあった。東京地検特捜部のエースと目されていた鎌形雅史、通称カマイタチが、浪速地検特捜部に2008年6月中旬に異動したのである。カマイタチと畏敬される凄腕の検事がすんなり浪速への都落ちを受諾したのだ。
 異動後当初は鳴りを潜めているが、浪速地検の内情を悉に調べ、組織の膿み出しを短時間にやってしまう。このあたりのストーリー展開はおもしろい。そして、浪速地検の組織を掌握すると、浪速府庁の内情を調べ、その問題点を材料に村雨知事と対決することになる。そして、国の大掃除という目的の下に、鎌形と村雨は協力し合う関係に進展していく。
 それから、1月後、鎌形は霞が関の厚生労働省を対象とした補助金不正疑惑問題を電光石火に取り仕切る。霞が関に乗り込むのだ。地検特捜部が東京の特捜部を差し置いてそのお膝元で摘発を行うという痛快さ。この展開が楽しいところである。
 大きな問題事象の沈静化、隠蔽化のために、小さな問題事象を顕在化させ、目くらましを世間に提供するための会議、省庁横断的組織防衛会議が霞が関のある場所で始まる。「不祥事ルーレット」という章の展開など、ほんと省庁間でやっていそうな気にさせる描写である。そこになぜかリアリティを感じる。そこに、警察庁の無声狂犬と揶揄されるあの斑鳩室長が一枚噛んでいるというところがおもしろい。
 本書には検察の正義とは何か、を考えさせるという副産物が潜んでいる。
 この第2部、特捜部という組織活動における地方と中央の関係、そして検察庁が何をするか何ができるか、を描いていて興味深いところだ。

 そして、第3部で、地方政治の問題が前面に出てくる。第1部、第2部が不可分に関わりを持つ中で、地方政治の確立その復権行動を一歩進める展開となる。地検特捜部対検察庁の本庁、浪速府の地方政治三権確立構想対国家行政・政治体制堅持、地方医療の現場発想対中央行政の中央集権医療発想などが複雑に絡み合ってくるのだ。ストーリーは複雑に絡み合っていく。しかし、これは従来から論じられてきている道州制構想や地方対中央の医療問題など、尖端テーマをフィクションの形で、かなりのアイロニーで味付けしながら俎上に乗せて、どんと目の前にこの作品として著者が投げ出してきたとも言える。
 ありそうな中央行政官僚の発想や対応行動、自己保身体質などが鮮やかにここに書き込まれている。二足の草鞋をはく著者の、医療分野専門家としての側面での経験や見聞が冷めた視点で盛り込まれているように感じるが、実際のところどうなのだろうか・・・・
 中央官僚的発想と行動の原点がどこにあるか、それにどう対処すべきなのか、を考えさせられる点も本作品の副産物といえようか。
 
 村雨知事の参謀としてそれまで陰にいた、医療界のスカラムーシュ(大ほら吹き)、彦根新吾が第3部で前面に出てくる。彼の構想と行動力はこの最後の詰めを読み応えのあるものにしている。
 「日本三分の計 2009年5月14日」の章には、こんな記述がある。「実は機上で考えた案があります。坂本龍馬の船中八策に倣い、機上八策と名付けたんですが」(p339)
そして、村雨知事が読み上げたメモが、
 一 医療立国(医療最優先の行政システム構築)
 一 教育立国(子ども主体の援助体制)
 一 治安確立(犯罪撲滅のための基本方針)
 一 健全財政(収支バランスの整合性維持)
 一 情報保護(個人情報の独立性維持)
 一 自由言論(自由闊達な公論の樹立)
 一 中立報道(不当な意見誘導の排除)
 一 笑顔の街(すべてはこの目的のために)
これって、今年の年初に某市長の下に大きなニュースになったことを先取りしていない?(元々の連載発表は2009年~2010年、本書発刊は2011年4月。)なんだかニュースの方がデジャヴィのような・・・・というか、二番煎じ的にみえて、おもしろい限りである。
あるいは、言葉に出せば誰も似たような政策列挙ということになるのか。実質は違っても・・・・。誰かさんはこの本をお読みだったのか?

 本書に出てくる大胆な発言記述がフィクションの中とはいえ印象深い。いくつか引用しておこう。
*流行病の死亡者数に「超過死亡」という概念が使われる。「超過死亡者数」とは「その病の流行によって平年より増加したと推定される死亡者数」のことだ。死亡者数をセンセーショナルに扱いたくない場合に医療行政が使う用語で毎年インフルエンザにより何千人単位で死者が出ているという事実を都合良く隠蔽できる。今回の季節性インフルエンザはいつもよりやや危ないタイプだと予想された時、平年よりこれだけ多く死んだという形で数字を伝える。これが通常の季節性インフルエンザでの報道姿勢だ。冬季に蔓延する季節性インフルエンザでさえ死者数を一定数以上減らすことができないという状況は、厚労省が以前行ったワクチン行政の舵取りの結果なので、彼らはバイアスの掛かりやすい用語を駆使してでも隠蔽したいのだろう。  p95
*法医学者は画像診断でろくすっぽ読影しない。その上Aiを施行しても、その画像診断情報は捜査情報と称し、検討もしなければ学会発表もしない。挙げ句の果てに医療現場や遺族にも情報を伝えない。そんな彼らにまかせたらどうなる?・・・・法医学者主導なら必ず解剖しているという印象を持ってるんだろうけど、あの連中は、解剖するかどうかの判断はせず、解剖が決定した遺体を解剖するだけ。決めるのは法医学者ではなく警官さ。その時はAi画像の診断には誰も責任を取らない。ただの記念撮影になってしまうだろ。 p237
*司法と官僚の過ちを、新聞、テレビといった大メディアは糾弾しない。彼らは現代日本における真の権力者が誰か、よく熟知している。大メディアは権力批判という牙を抜かれた従順な飼い犬だ。刃向かってこない弱者だけ、齲歯だらけの歯で一方的に噛みつき、あたかも正義の雄叫びを上げているようなフリをしている。  p268
*解剖率百パーセント、いや、死因究明率百パーセントになれば、医療事故や医療訴訟がゼロになるんですか。  p299
*検証なき予防医学はただのバカ騒ぎ、ということなんですね。  p301
*病理学会上層部が認定試験の受験資格をどんどん厳しく高度化した。結果、病理専門医試験を受験しようという人材が減少していったんです。  p309
*新しいものを作るなら、古い何かを壊さなければならない。でも、古い何かを壊すには、お祭り騒ぎの中で鎮魂するしかないんじゃないか、とね。  p315


ご一読、ありがとうございます。


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

 本書に出てくる語句や関連事項をネット検索してみた。その一覧をまとめておきたい。
ヘマグルチニン  :ウィキペディア
ウイルス・ノイラミニダーゼ :ウィキペディア
リボ核酸(RNA) :ウィキペディア
メタボリックシンドローム :ウィキペディア
パンデミック  :ウィキペディア
ノロウィルス  :ウィキペディア
公衆衛生    :ウィキペディア
サーモグラフィー  :ウィキペディア
インフルエンザによる死亡者数の推移  :「社会実情データ図録」
インフルエンザ超過死亡「感染研モデル」2002/03シーズン報告 :「IASR」
エボラ出血熱  :ウィキペディア
SARS ← 重症急性呼吸器症候群 :ウィキペディア

検察疔 :ウィキペディア
検察疔 のHP

オートプシー・イメージング :ウィキペディア
監察医 :ウィキペディア
検視と監察医制度  :「コトバンク」
司法解剖  :ウィキペディア
外事情報部 :「警察庁 採用情報サイト」
道州制  :ウィキペディア
道州制 新しい地域づくりのために  :経済広報センター
道州制ビジョン懇談会 :内閣官房
道州制導入のメリットと課題等について 参考資料1
道州制の正体

病理専門医 :ウィキペディア
日本病理学会 のHP

船中八策 :ウィキペディア


序でにちょっとこんな検索も・・・

大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件 :ウィキペディア

Category:検察不祥事  :ウィキペディア

ブログ 公務員の不祥事

橋下維新 これが「維新八策」だ! 骨子全文  :産経新聞

大阪維新の会を応援する  :池田信夫blog
初代内閣安全保障室長・佐々淳行 「維新」の「船中八策」に異議あり
橋下・大阪維新「船中八策」の骨格に現時点でツッコミを入れる。 - 佐藤鴻全
大阪維新「船中八策」の「馬脚」  :「雪斉の随想録」


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


今までに、以下の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『モルフェウスの領域』

『極北ラプソディ』  


『源平六花撰』 奥山景布子  文藝春秋

2012-10-18 12:00:55 | レビュー
 本書は源氏と平家に関わる6人の女性の生き方や思いをテーマにした短編集である。『びいどろの火』を初めて読んだ波紋から、この作品を手に取った。
ここには次の6篇が載っている。作品名と主人公をまず上げておこう。
 常緑樹   常葉 :亡き夫が源義朝。今若、乙若、牛若の母
 啼く声に  千鳥 :鬼界島ではミチと呼ばれていた海女
 平家蟹異聞 松虫・鈴虫:女院に仕えていた姉妹
 二人静   静  :源義経の妻
 冥きより  相模 :熊谷次直実の妻
 後れ子   建礼門院徳子 

 この6篇の内の「平家蟹異聞」によって、2007年に著者が第87回オール讀物新人賞を受賞したということを、ウィキペディアを検索して知った。

 本書所収の各短編作品に描かれた女性は源平時代に生きている。身分や立場が異なる女たちの生きた環境の違いとそこでの営みがやわらかな眼差しで描かれていると感じる。各作品をご紹介し、印象を付記したい。

<常緑樹>
 源義朝が落命した後、常葉は三人の子供と共に平家に囚われる。子供達の命は助けられるが別々の寺に入れられる。子を奪われた囚われの常葉は写経を日課として、ひたすら出家を願いながら生きるが、何時しか清盛の手がつき、子を宿す。ひっそりと女子を産んだ後、大蔵卿藤原長成が常葉を妻に迎えたいとの意向だと清盛から伝えられる。義朝の子、清盛の子を生した身で、清盛から下げ渡される婚儀話を受けなければならぬ境遇となる。
 常葉の三度目の夫となる人について、常葉の忠実な侍女・小奈見は、局たちの噂話として耳にする。「その大蔵卿とは、あのきのながなりさまか」「さようじゃ。まああのようなお方でなければ、いくら容貌良きとて、常葉のような女子を妻にとは申されぬであろう」。
 公家に嫁いだ常葉は、理由を付けて夫長成とは打ち解けず日を過ごすが、長成は己のペースとやり方で常葉の許に顔を見せては、その人となりを少しずつ常葉に伝えていく。植物に関心が深く、どこに行っても木ばかり飽きずに眺めている「きのながなり」と綽名がつけられている人。自ら「阿呆のように気長の長成」と言ってのける。話を聞くうちに、政には自らの意見を有する人だということも分かってくる。
 そして、ある小事件がきっかけで二人は打ち解けていく。そして常葉がやっと、安住の地を見出していく。
 身を転変とした女が、落ち着く先を見出す過程が日常性の関わり合いの姿を通して、温かい眼差しで描かれている。ほっとする気にさせる小品である。

<啼く声に>
 これは千鳥と呼ばれた女の哀しい旅路の物語。ある意味、西の果ての鬼界島で自在に生きていた女が、京の都に伴われて出かけて行き、慣れることのできない異文化体験を経てやはり島に戻ろうと決心する経緯の物語といえる。
 鬼界島の海女ミチは、三人の配流れ人が住み着いて三月ほど経った時期に、婆の指示を聞かずに、配流れ人に近づき、怪我をしている一人を助ける。そして、その三人と親しく行き来するようになる。
 三人とは、鹿ヶ谷での謀議が不首尾となり流罪となった俊寛、康頼、成経である。何かとこの三人の世話をし、支援をするミチだが、名前を明かさないので千鳥と呼ばれることになる。そして、彼らが島の暮らしに慣れた頃、成経が千鳥を此の地での妻とすることになる。千鳥にとっては、三人から頼られる形での新しい生活が始まる。そこには彼女の生きがいも芽生える。
 そして、ある日、御赦免が康頼と成経にもたらされる。千鳥は成経に従って都に上る。成経は恩人でもある千鳥をそれなりに遇しようとするが、全くの異文化である貴族の生活に投げ込まれた千鳥の苦労が始まる。そして、千鳥が帰洛後、出家となった康頼からの依頼で、俊寛の娘に会わざるを得なくなる。そして、千鳥は決意する。
 成経のそばに居たいと望みを抱いた女が、その望みを捨て新たな選択をするプロセスが哀れでもあり、またやはりそれがいい・・・という思いをも抱かせる。
 だが、船の姿が沖に消えた後、どうなるのか。その先を紡いでいくのは読者に委ねて、話は終わる。

<平家蟹異聞>
 本作品の見出しの下に引用されているのは、岡本綺堂作「平家蟹」の脚本の台詞である。明治44年9月に執筆。翌45年4月、浪花座で初演された作品だ。この脚本では、官女・玉虫とその妹・玉琴という登場人物となっている。筆者はこの作品を背景にして、独自の構想で異聞という形の小説仕立てで作品化したといえる。ある種の本歌取りの類か。
 叔母の縁で女院に仕えることになった姉妹が、女院の前で箏を弾じた際に松虫・鈴虫という名前を賜る。屋島の戦の折に、平家は船べりに扇の的を設え、敵に挑むという挙に出る。松虫はその的の挿し手に任ぜられる。源氏方の那須与一宗高がその扇の要を見事に射抜く。これが因となり、平家方の敗色が濃くなる中で、人々に疎まれて平家方を去るように女院の母、二位殿から伝えられる仕儀となる。そして、その姉妹は二位殿始め平家の御魂が沈む浦に近い地に隠れ住む。隠れ住むようになった浜には、間もなく異様な忌み嫌われる蟹が数多く姿を現すようになる。それは誰いうともなく「平家蟹」と呼ばれるようになる。
 隠れ住む二人に浦の遊女を統べる長から人が遣わされる。数日中に、当地を訪れる公吏一行を迎える席に姉妹で侍して欲しいという求めであった。生きていくためには、その求めに応じざるをえない二人。
 長に伴われて出た座には、東国下野のから来たという主客がいた。松虫と鈴虫は、その名を伏せて、松風・村雨と名乗る。その主客は与一と与五郎だった。二人の運命は重大な転機に戸惑うことになる。そして、姉妹の生き様が別れていくことになる。哀しき別れ。与一と与五郎の登場及び平家蟹の関わり方の違いとその結末はまさに岡本綺堂の「平家蟹」とはあきらかに異聞となる。
 哀調の余韻ただよう作品である。
 
<二人静>
 序が「・・・ぎょう・・・・せんぎょう・・・・せんぎょう・・・・」の二行で始まり、結も「・・・ぎょう・・・・せんぎょう・・・・せんぎょう・・・・」の二行で終わる。
 ある寺の門前で気を失い助けられた旅の白拍子。お坊が旅の話を所望したのに対して、己のことを語り始める。鎌倉を発ち、故郷の和泉に参る途次、今日の伏見の近辺まで来たときの話。お寺では寒施行の時季だった。せんぎょうというのは施行のことだろうか。本文中に説明はないが・・・・。
 白拍子は静。静の独白体で、京・鎌倉往復での経緯が語られていく。
 一 京を発ち、鎌倉へ。鎌倉でのお館の御前での詮議
 二 再度の詰問と、御台のお召しによる鶴岡の御社での奉納の舞
 三 舞に対する御館のご不快と御台が示すご関心。そして御台との対面・語らい
 四 寒施行のお情けに対する身の上話
 五 男子を死産した静。それに対するお館と御台の対処の違い
 結 鎌倉を去って故郷に向かう途次の語り

 この短編集の中では、ちょっと毛色の変わった作品でおもしろい。
 破れ鼓、寒施行、故郷和泉の信太、タイトルの二人静・・・これらがキーワードか。

<冥きより>
 勇猛を謳われた坂東武者、熊谷次直実は、平家追討、一ノ谷の合戦にて我が息子小次郎と同年配の平敦盛の首を取る。己のこの行為が、他人は手柄と見なすが、直実の心中では慚愧の因になっていく。悪夢に魘される夫の姿をみつめ続ける妻の相模。
 この作品は、相模の目を通して直実の姿を語り、直実に対する相模の思いを語っていくというもの。直実に対する妻の視点からの苦悩の語りという点が一層哀しい。
 直実の悪夢の源への思い、建春門院に仕えていた時の直実との出会い、武蔵国での生活、女子衆への手ほどきと息子小次郎の嫁選び、苦しい胸中の思いを話してくれない夫への口惜しさと哀しさ・・・・など。相模の一生が語られる。
 
 女子衆に和歌を教えるために相模が選んだ雑の歌、堤中納言藤原兼輔の歌
  人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道に惑ひぬるかな
子ゆえの闇がこの作品の根底にある。そして、作品名の源になる「冥きより冥き道にぞ入りぬべき」という章句がキーフレーズになる。
 「子を悼む心は冥きか。人を恨む心は冥きか。避け難かりき己の罪を悔いるも冥きか」と著者は相模の哀しき思いを重ねていく。「それでも、人はこの世を生きねばならぬ」(p214)と。
 病の果てに死に臨む相模の思いは・・・・「遙かに照らせ 山の端の月」だった。

 相模の目と心を通して描かれた熊谷次直実の姿と思い、その直実に乗り越え、触れることを拒む壁と闇を感じ、思い惑う相模自身の心。「冥きおもい」が幾重にも重ねられていく作品である。「死に顔に菩薩を見た」という末尾文中の言葉に救われる思いがした。

<後れ子>
 壇ノ浦の海に入水して、死ぬことを遮られ生き残った建礼門院。播磨国明石浦での虜の暮らし、京・東山の麓、吉田の僧坊での暮らし、そして山里の大原の住まいへとその身が移ろっていく。
 本作品は、建礼門院に仕える小侍従からみた建礼門院の姿と、建礼門院その人の回想や思いが織り成されていく。
 「私は、何故、今、生きているのでありましょう」
 「では、生き残りし我は何者か」
この建礼門院の自問に対して、自答の思考プロセス、そのための回想が綴られていく。そして、手づから手向けの野の花を摘む行為を通して、生き方が定まっていく。
「亡き人々を、思い出すために、私は後れたのであろう。思い出す人がいなければ、亡き人々は皆、救われぬもの」
父・平清盛が後れ子とよく語りかけたその意味が、これからの生き方に重ねられていく。 年老いた尼が、花籠を携えて、簡素に設えられた庵に戻る場面で結びとなる。ほっとする・・・・この場面がいい。

 本作品には、経文が要所要所に部分引用されている。その典拠は記されていない。巻末の参考文献リストにも載っていない。経典に少し関心を抱いているので調べてみた。宗派によって、同じこの引用経文を唱えるとしても、その経文のまとまりに対する名づけ方が異なるかもしれない。あくまで私の調べたソースでの覚書である。本作品中の引用経文記載ページとその冒頭、調べた結果での名づけ方をまとめてみる。
 P140 光明?照 十方世界 ・・・   摂益文 [A]    行にんべんに扁
 P140 南無至心帰命礼 西方阿弥陀仏 ・・・  三尊礼 [A]
 P245 請仏随縁還本国 普散香華心送仏 ・・・  安樂行道轉經願生淨土法事讃 [B]
 P252 願似此功徳 平等施一切 ・・・ 総回向偈 [A]
 P259 願我身浄如香炉 願我心如智慧火 ・・・ 香偈 [A]
 P266 仏告 阿難及韋提希此想成已 ・・・・  佛説觀無量壽佛經 [B]
この引用経文の典拠調べについては、次のソースを参照した。
  [A] 『お経 浄土宗』 藤井正雄 講談社
  [B] 大正新脩大蔵経テキストデータベース
これは少しマニアックな脇道になるが、ご参考までに。

 「平家蟹異聞」において、著者は「那須与一宗高」と記した。ネット検索で知った岡本綺堂「平家蟹」は「那須与市宗隆」と記している。典拠の違いがあるようだが、実在の人物として、当時はどう表記していたのだろうか。興味深い。

ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

 本書に出てくる語句の背景を知るためにネット検索してみた。その一覧をまとめておきたい。

一条大蔵譚 :「歌舞伎見物のお供」
『鬼一法眼三略巻』 :「人形浄瑠璃 文楽」
常盤御前 :ウィキペディア
一条長成 :ウィキペディア
半蔀 :「茶室を学ぶ」
俊寛 :ウィキペディア
鹿ケ谷の陰謀 :ウィキペディア
俊寛ってどんなドラマ?1 :「歌舞伎」

俊寛 芥川龍之介 :「青空文庫」

ヘイケガニ :ウィキペディア
Huxley, Julian (1952). “Evolution's Copycats”. Life (June 30): 67-76.
平家蟹(へいけがに)と小平家(こべけ):下関市のHP
 下関市のHPには、「源平の部屋」というサイトもある。こういうのは良いですねえ。

平家蟹 岡本綺堂 :「青空文庫」
 末尾の少し手前(7行目)に、「平家蟹異聞」見出し下の引用文が出てくる。

那須与一 :ウィキペディア
二位殿 → 二位尼 → 平時子 :ウィキペディア
建春門院 → 平滋子 :ウィキペディア
建礼門院 → 平徳子 :ウィキペディア
建礼門院徳子  :「紙風船」
義経千本桜 :「文化デジタルライブラリー」
二人静(能
二人静 (ふたりしずか) :「季節の花300」
静御前 :ウィキペディア
長唄「賤の苧環」
長唄 賤の苧環編  藤間信子 :「古典舞踊の会」
放生と寒施行  ~動物愛護の民俗~ :「祀龜洞雑録 」  亀
熊谷陣屋 :「歌舞伎のお供」
一谷嫩軍記 :ウィキペディア
熊谷直実  :ウィキペディア
平敦盛   :ウィキペディア
ニラ    :ウィキペディア
建礼門院陵  :「邪馬台国大研究」
後白河院 ← 後白河天皇  :ウィキペディア
花山院家  :ウィキペディア


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


今までに一冊読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『びいどろの火』


『私が愛した東京電力』 蓮池 透  かもがわ出版

2012-10-16 11:40:59 | レビュー
 本書の副題は、「福島第一原発の保守管理者として」である。2011年9月に出版された。著者は、東京電力に入社し、原子力燃料サイクル部部長(サイクル技術担当)の経歴を最後に、2009年夏に早期定年退職選択制度を利用して退職された。一方、個人としては「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」の元副代表でもある。拉致関係の著書がある。こちらの方で名前を知っている人が大半だろう。私もそうだった。

 東電で原発推進の立場で仕事をしてきた著者が、その体験、内部の視点を踏まえて書いている。「はじめに」では「しかし私は二年前に東電を退職して縁を切りました。第三者的な観点といいますか。客観的に今度の事故を捉えて、自分の考えを発信したいという気持ちでいます」と記す。「東電関連会社には一切行きませんという誓約書を書いて、2009年6月いっぱいで辞めたのです。それが『縁を切る』ことなのです。」(p70)
 著者のような立場からの発言は、福島第一原発爆発事故の背景事実を知るうえで有益だと考える。以前に、内部者の立場から見た本を一冊読んでいる。その本ともまた違う業務体験者の本であり、重ね合わせていくと実態が一層見えてくる気がする。

 本書は三章と対談で構成されている。
 第1章 今回の事故はどういうものだったか
 第2章 東電は変われるか
 第3章 自滅する原発-原発をフェイドアウトするために
 対談 拉致と戦争と原発を結ぶもの  蓮池透・伊勢賢治

 第1章は今回の事故の問題が何だったかを著者の目で概括したまとめである。原発の現場で仕事をした体験からの発言が各所に出てくる。現実の事故の結果を知ったうえでの発言だ。次の発言を考える材料として抽出しておきたい。ところどころ、感想を付記する。その発言文脈を本書で読んでいただくとよいのではないだろうか。
*私が一番感じるのは、なぜ情報を一元化できないのかということです。  p14
*まず大規模な地震の揺れにたいしては、私は、日本の原発は耐えられるし、対処できるという自信があります。  p15
 → 文脈からは原子炉本体だけについての見解だと感じる。それで事故が防げるとは思えないのだが。安全神話から脱却できていないのだろうか。
*私は(付記:東電、政府が)メルトダウン、メルトスルーの可能性があると踏んでいたのではないかと思っています。 p18
*SBOという状況下でAMを実際に行動に移すことになろうとは、夢にも思っていなかったのではないでしょうか。ましてや、海水注入などマニュアルのどこにも書いていないのですから。  p19
*海水注入開始はメルトダウンの後でした。注入を続けたことと、メルトダウンを防げたかどうかということは、実は無関係なのです。  p21
*水素爆発の原因・メカニズム、ベントとの因果関係を一刻も早く明らかにしてもらいたいと思います。  p23
 → 現場を経験する技術者にとっても未だ疑問が解けないということなのだ。つまり、この点すら分からずに、既存原発の再稼働に走るのは国民無視の暴走にすぎないのではないか。
*問題は、溶融した燃料がどういう形状になっているのか把握できないことです。 p27
*津波対策は絶対に必要だったと同僚とも話していましたが、「福島には来ないよね」という調子でした。現に大きな津波が福島に来たことはありませんでした。貞観地震(869年)での津波が最近話題になっていますが、10メートルを超える津波など考えたこともなかったのです。
 → 内部者の感覚がよくわかる。これが東電の風土の一端なのだろう。

 第2章で著者は、東電に入社までの経緯から始め、入社後の社内での経歴の変遷歴を説明しながら、当時の原発事業の実態を綴っている。ここには、原子力事業の東電内部での位置づけや組織体質が内部者だった経験から述べられている。この点は事故の背景を知るうえで、重要な要になると思う。そこでの問題点が改善、解消されないと、同じ事が繰り返されるだけだろう。また、他の電力会社に同類の事象がないか、深く検討すべき観点のような気がする。著者はこんなことを指摘している。

*運転中は仕事で被曝することはあまりないのですが、定期検査ではいろいろな機器等を分解するので、汚染区域が広がるのです。・・・東電社員が最初に線量の高いところに入ってしまって線量オーバーしたら、あとで確認にいけなくなるので、全部の点検作業が終わってから入ります。全部点検をしてオーケーを出すころには、もうアラームがビーッと鳴るのです。  p38-39
*そのころは、原発の作業員がアラームメーターを線量の低いところに置いて作業をするということがありました。  p39
 → 著者の見聞であるとすると、結果的に黙認する風土を容認していたのだろうか。
*会社の作業員の被曝線量がみんな制限の上限に達したら、働き手がいなくなってしまい、会社が成り立たなくなるからです。危ない作業をする人は結局会社のためになるということです。変な論理です。  p39
 → 同じ事が、事故後の最近も継続されている。作業員の犠牲の上での事業など、存続させるべきではない。そう思う。
*発電しない原発は”金食い虫”ですから、稼働率を上げろというのが至上命令です。 p41
*原子炉の設計をしたのは、初期ではGE社で、後に日本の日立、東芝、三菱が担当するようになりますが、東電はそれをオペレーションしているにすぎず、今回の事故処理にも設計側の企業があまり入っていなかったことも、問題だと言われています。  p43
 → これは各電力会社の原発の実態でもあるのではないか。つまり、大事故対処能力に最初から大きな限界が内在するということだろう。自動車とどうように、通常の運転操作ならできる・・・そんな感じか。怖い話だ。
*原発の周囲では、町の中に東電があるのではなく、東電の中に町があるような感じでした。  p45
 → 企業城下町という表現が他業界でも使われるが、同じ体質がどこにでもある。
*原子力をやっている人は、他部門とほとんど交流がありません。他部門から原子力に来る人はいるのですが、原子力から他部門に行く人はほとんどいなかったように思います。・・・華やかに映るだけで、原子力だから憧れの花形だという雰囲気は東電社内ではありませんでした。 p55
 → 東電の中でも、原子力部門がムラとなっていることがよくわかる。原子力ムラ体質が強化されるだけのようだ。
*原発を建設するさいに「揺れ」に耐えられるかどうかの審査は厳しく、・・・・それにたいして、津波の安全基準は非常に簡単なものです。・・・比較的簡易な審査でした。 p58-59
 → つまり、既存原発はそのレベルの審査基準と認可手続きで現存していることになる。津波に対する警鐘がならされても対応が進んでいない。リスクの大きさが推察できる。*(付記:津波についての文脈で)福島第一原発の場合「まったく考えていなかった」のです。これは「想定外」というより、「無想定」と言ってよいと思います。  p60
*「東電社員はみな安全神話を信じていたか?」と問われれば、そうだと答えるしかないのです。   p60
*コストを無視したような”要塞プラント”をつくるかといったら、つくらないと思います。・・・・一民間会社としてはコストとリスク・安全性を綱引きして、「じゃあ、このへんでおさえておきましょう」となるのです。  p64
 → 原子力関連の国の補助金がなくなれば、原発が民間事業で運営できないことを端的に言っていることになる。つまり、原発は独立事業ではない。そんな発電源はなくすべきだろう。あまりにも人類、生物に対するリスクが大きすぎる。
*私は隠蔽体質というより、簡単にいうと独占企業の奢りの体質があるのだと思います。 p65
 → 両方、あるように思えるのだが・・・・
*「事ながれ主義」があるのです。とくに原子力は、小さなことでも、比較的大きなことでも、同列に報道されることが多いのです。どんな小さなことでも、「放射線による周辺環境への影響はありません」などと必ず報道されています。ですから東電の原子力を担当する広報などは、できればあまり多くを語りたくないというのが本音ではないかと思います。  p66-67
 → これは、トラブルについてどの企業、業種の広報でも同様ではないかと感じる。
*バッシングしているのはおもにマスメディアですが、彼らがつねに監視していかなければならないことは、冷却状態など原子炉の状態です。しかし、東電の周辺情報の提供によって、そちらの方に報道がシフトしてしまうことがあるようです。  p79
 → このマスメディアの傾向、ご都合主義はがまんできない。

 第3章では、東電と縁を切った著者が、現時点で原子力という電源について、自らの立場を鮮明にしている。章見出しに明確である。原発から発生する放射性廃棄物処理の最終処分場問題などの現状を踏まえ、「このままいけば原発は自滅するな」という思いだという。この思いは在職中からあったようだ。著者は「本当は恐ろしい核のゴミ問題」という認識をこの章で述べている。そして、著者は原発をフェイドアウトしていくべきだ主張している。
 「子どもの年間許容量20ミリシーベルトには、私は大反対です」と述べ、「未来ある子どもを被曝から守ることが必要だと思っています」の一文でこの章を締め括っている。子どもを被曝から守る、この視点が今の行政にはあいまいなままで「事なかれ主義」に堕していないか。それが気懸かりだ。

 最後の対談は、世界各地での紛争処理、武装解除に携わった経験を持ち、福島第一原発事故の後、現地に赴き活動した伊勢氏と蓮池氏が、それぞれの体験を踏まえて、原発、福島を論じている。戦争、紛争処理や拉致問題をアナロジーとして援用する視点に広がりがあり、そこからいくつかの指摘が導き出されてくる。その指摘までの展開プロセスが対談のおもしろさであろう。
 指摘事項の結論のいくつかを要約させていただくと、
・危険だと言われている場所でも、線量計を持って気をつけていれば、人道援助は可能である。
・福島に残ると決意した市民が自らの保護のために線量計を持つのは現実的だ。
・福島に残る人はすべて高度な放射線で汚染されているみたいな印象を絶対作ってはならない。
・恐怖によって煽られた世論の存在は問題だ。
・被害者意識の負の部分がでないように、早く復旧・復興することが重要である。
・風評被害を制御するには教育しかない。
また、原発のフェイドアウトについての対談は、世界を見つめた視点と話題での論議となっている。「脱原発三原則」という発想まで語られていて参考になる。


ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


本書の語句で、少しネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。

蓮池 透 :ウィキペディア

SBO(ステーションブラックアウト)→原子力事故 →原子力施設の停電 :ウィキペディア
AM(アクシデントマネジメント) :電気連合会
軽水炉におけるシビアアクシデントマネージメントについて  :ATOMICA
シビアアクシデント  :ATOMICA

軽水型原子力発電所におけるアクシデントマネジメントの整備結果について
評価報告書 原子力安全・保安院
 :経済産業省

NRC(原子力規制委員会)のHP
国際原子力事象評価尺度 :ウィキペディア
SSC → 応力腐食割れ :ウィキペディア
沸騰水型原子炉 :ウィキペディア
ABWR → 改良型沸騰水型軽水炉 :ウィキペディア
加圧水型原子炉  :ウィキペディア
高速増殖炉   :ウィキペディア
新生「もんじゅ」のHP :日本原子力研究開発機構 敦賀本部
六ヶ所再処理工場 :ウィキペディア
たねまきJ「六ヶ所村再処理工場 ・恐るべき再処理の実態」小出裕章氏(内容書き出し・参考あり)7/19  :「みんな楽しくHappyがいい」
とめよう!六ヶ所再処理工場 :「原子力資料情報室」
プルサーマル  :ウィキペディア
軽水炉用MOX(プルサーマル)燃料  :ATOMICA
電源三法 :ウィキペディア
楢葉町等における区域見直し後の避難指示区域と警戒区域の概念図  :首相官邸

特定非営利活動法人ピースビルダーズ(PB) のHP
国連高等難民弁務官事務所(UNHCR) のHP
核兵器不拡散条約(NPT)の概要  :外務省
ボパール化学工場事故  :ウィキペディア

伊勢崎賢治  :ウィキペディア
忌野清志郎___サマータイム・ブルース_原発.
斉藤和義 ずっとウソだった


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『電力危機』  山田興一・田中加奈子
『全国原発危険地帯マップ』 武田邦彦
『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章
『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ 

2011年8月~2012年7月 読書記録索引 -1  原発事故関連書籍




『電力危機』 山田興一・田中加奈子  ディスカバー・トゥエンティワン

2012-10-14 20:35:07 | レビュー
 本書の副題は、「乗り切るための提案、この先50年を支えるための提言」だ。そして表紙には、「消費電力ピークを乗りきる合理的な節電努力とは? また、被災地復興と足並みをそろえた、電力不足解消の中・長期ビジョンとは? 電力危機を契機に変化する私たちの暮らしと、日本の再生可能エネルギーの未来を解説する。」という文章が載っている。

 この文言を受けてであろうが、二章構成になっていて、第1章が前半の問題提起の短期対策、第2章が後半の課題である未来に向けた中長期の取り組みとなっている。内容としては、わかりやすい論調でまとめられていて、読みやすいと思う。 
 
 第1章は、家庭の電気ブレーカーが落ちる理由から説き起こし、マクロの電力量の危機をどうとらえるかという説明にうまく結びつけている。結論は簡単だ。消費電力の「ピーク」が電力供給量を超えないようにすること。そのための対策をとること。
 統計データをうまく使いながら、まず、やみくもな「マイナス15%」節電の無意味さを述べている。そして「ピーク」に焦点をあてることに気づかせる。つまり、夏期30日間で、「危険時間帯」は9:00~20:00が問題だと絞り込む。考えれば当然のことながら、家庭での節電のカギはエアコンである。そこで、エアコンの使い方を説明している。それとともに、「家庭で使用する主な電気製品の定格消費電力」(p49)や「節電行動リスト」(p60~62)などをうまく引用してきている。
 オフィスでは、データによると「空調、照明、OA危機で約88%」の電力消費比率だという。具体的対策が記されているが、これらは従来からほぼ実施されてきているものばかりだ。結局、如何に徹底できるかにかかっていると言えようか。
 産業・社会向けの提言として、「ピークカット」はあくまで、電力供給力の危険ラインに対する緊急事態策にすぎず、「ピークシフト」を如何に実現するかだとしている。これもまあ、オーソドックスな原則論の提示にしかすぎない。また、過去幾度か既に企業が実施してきてもいる。
 社会で危機を乗りきる「緊急停電防止システム」の実証実験を行ったという紹介があり、興味深いが、本書の発刊時点ではまだ検証段階まで行っていないようだ。その結果が知りたいところである。
 行き着くところは、人々の精神性や公共性を喚起することでまとめている。
 やはり、原則論的提言になっているというのが読後印象である。

 第1章を読んで、気になるのは、消費電力量、つまり需要量のデータが目につくが、供給電力量についてのデータがわかりづらい点だ。総電力設備能力でみた最大供給力という視点が見えない。いわゆる脱原発論者・研究者が採りあげる観点での供給力については議論の対象になっていない。私はそのようにしか理解できない。その点に触れていくと、「電力危機を乗り越える」という以前の論議に戻ることになるからだろうか。

 第2章は、論理の展開が明瞭である。原子力を「やめるか、やめないか」ではなくて、「いつ再生可能エネルギーにシフトするか」という視点での分析アプローチである。
 原子力関係者が「孤立」してしまったことと意志決定を行う人たちの科学リテラシーの欠如を問題視している。著者は言う。「現在世の中で使われている科学技術について、どういう科学が役立ち、その真髄は何かを理解することが科学リテラシーです」と。
 この章で著者が試みていることは、原子力、火力・水力など、新再生可能エネルギー(太陽光発電、風力、中水力、地熱)という電源に着目し、2020年の日本の発電について、5つのケースを設定して、そのシナリオ分析を行っている。原子力発電所にどれだけ依存するかを軸にした5つのシナリオである。そして、電源構成の変化を推定している。そして、各再生可能エネルギー発電の建設が可能かどうかがポイントだという。こういう分析手法での情報提示自体は、一般読者にとり考える材料として有益だと思う。

 著者の提言の結果は、次のあたりだろうと理解した。
「ここに示した五つのケースは、単純にどれか一つが『正解』と簡単に選び取るためのものではありません。大切なのは、例えば50年後の未来に日本はどのような姿になるべきかというビジョンを描き、そこにいたる途中の道筋として、2020年の姿を選ぶということです。」(p170)「感情的なエネルギー転換論は、国民を迷わせ、疲弊させるばかりです。明確な未来の見通しと、その裏づけとなる科学的根拠が、何よりも大切だと私は考えます」(p170) そして、5つのケースは極端な条件設定をしていると留保条件を付けている。
 シナリオ分析手法による方法論は理解できたが、著者自身の「明確な未来の見通し」を、私はあまり理解できなかった。
 「発電とともにある日本の未来」という節では、太陽光発電に期待がかけられている論調と受け止めた。しかし、太陽光発電の建設の可能性については、あまり言及されていない。コラム記事で多少の一般動向の言及はある。

 第2章の131ページに、「なぜなら地熱発電は熱源が地球内部の放射性物質、核分裂エネルギーで、その熱源からの蒸気を電気に変えるシステムだからです」と記述しているが、そう断定的に言えるのか。ウィキペディアの「地熱」の項を読むと、地熱の発生源を併記しているのだが・・・・。(これも「科学リテラシー」につながることだと思うので、気になる次第。門外漢の感想でしかすぎないが。)

 コラム記事が13掲載されている。これがバラエティに富み、結構面白かった。
 電力危機問題は、中長期的には電力供給体制という構造改革にまで視野に入れていくべき局面があろうかと思う。コラム記事だけでさらりと終わっている。

 読後印象として、ある種の物足りなさが残る。一方で、いろんな意味で、問題意識を喚起するには役立つ本だと思う。
 今夏の電力消費が緊急事態、危機的状態を回避できている結果について、現時点(2012年10月)以降に本書の改訂版を仮に出すとしたら、著者はどういう解説を本書に付け加えるのだろうか。

ご一読、ありがとうございます。


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

 本書の関連事項をネット検索し情報収集してみた。その結果をまとめておきたい。

科学技術振興機構 のHP
 低炭素社会戦略センター  
 停電予防連絡ネットワークとは?
 停電予防連絡ネットワーク 実証実験概要
 昨年並みの節電が定着する関東地方、関西地方で大きく進む節電
 エネルギー・環境に関する選択肢ごとに国民生活への経済影響を分析
 
節電レベル→「停電予防連絡ネットワークによるシステムの効果を実証試験で確認」の注
  これは、本書のp60~62の内容に相当する箇所

家庭の省エネ大事典 2012年版  pdfファイル :資源エネルギー庁
家庭で使用する主な電気製品の定格消費電力 資源エネルギー庁調べ
電化製品の消費電力 :株式会社 成田
省エネルギーセンター パンフレット一覧 工場・ビル
 他に、政策、生活、交通、機器などの一覧もある。

電力調査統計 集計結果又は推計結果 :資源エネルギー疔
「統計表一覧」のページです。
石炭・原油・天然ガス・電力消費量 ←「世界の統計」 :総務省
 世界比較のデータ。日本がどれだけ消費しているか。
電気事業60年の統計  :電気事業連合会
平成24年度 数表でみる東京電力
電力統計「見える化」一覧 :エレクトリカル・ジャパン

電気予報
 北海道電力 
 東北電力  
 東京電力  
 北陸電力  
 中部電力 電力需給状況のお知らせ 
 関西電力 電力需給のお知らせ 
 四国電力 電力需給状況 
 九州電力  

電力使用状況グラフ  :エレクトリカル・ジャパン
関西電力の現在電力使用状況 

なっとく!再生可能エネルギー :資源エネルギー疔
新エネルギーとは :新エネルギー財団
地熱   :ウィキペディア
地熱発電 :ウィキペディア
地熱発電の基礎知識  :JMC Geothermal Engeering Co. Ltd.
太陽電池 :ウィキペディア
太陽電池の原理  太陽光発電工学研究センター :産総研のHP

再生可能エネルギーの固定価格買取制度が始まりました。日本の再生可能エネルギーを社会全体で育てる仕組みに、あなたのご協力が必要です   :政府広報オンライン

スマートグリッド :ウィキペディア
スマートグリッドとは何か?知っておきたい次世代電力ネットワークの基本【2分間Q&A(62)】  :ソフトバンク ビジネス+IT
デマンドコントロールシステムのご紹介 :東京電力
BEMSによるエネルギー利用管理技術  :省エネルギーセンター

原発Nチャンネル14 原発なしでも電力足りてる 小出裕章
原発なしでも電力は足りている :livedoor wiki
電力はなぜ足りたのか?シリーズ2 関電の能力 :武田邦彦


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。



今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『全国原発危険地帯マップ』 武田邦彦

『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章

『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ 

2011年8月~2012年7月 読書記録索引 -1  原発事故関連書籍

『デッドエンド ボディーガード工藤兵悟』  今野 敏  角川春樹事務所

2012-10-11 01:26:18 | レビュー
 私にとっては、今野作品でまた新たなキャラクターを見つけたなという感じである。フランス外人部隊を除隊して日本に帰国し、警備保障会社から仕事を回してもらうボディーガードの工藤兵悟。これが第一作なのかどうか、調べていないので定かではない。私にはこれが工藤兵悟との出会いだ。
 武闘ものエンターテインメントとしては楽しめる作品に仕上がっている。

 大きくとらえると、二部構成の作品。その前半から後半へのつながり方がおもしろい。それをつないでいくのがロシアの組織とテロ組織。前半は日本が舞台で、後半はロシアが舞台という設定である。フランス外人部隊、KGB、FSB、GRU、SVRなど既存の組織をうまく背景に取り込み、フィクションが紡がれていく。こんな設定、ありそうな・・・・という気にさせる。

 工藤の携帯電話が鳴る。マキシム・ミハイロフから聞いたとして工藤にかかってきた電話だ。マキシムは紛争が泥沼化していたチェチェンで工藤が知り合った人物。ロシア軍除隊後は工藤同様バディーガードなどをしていた。マキシムをボディーガードとして雇っていたと称する人物が、日本滞在中は工藤にボディーガードを依頼したいという。命を狙われているのだという。ボディーガード料として一日百万円払うと約束する。マキシムは日本で信頼できるのは工藤だけだと言っていたからだとか。
 依頼人のコンスタンチン・カジンスキーは、ロシアのマフィアに狙われているのだという。そして、ウラジオストクの自宅でボディーガードとして雇っていたマキシムが刺客に殺されたというのだ。それも昼間に。その刺客、暗殺者の名前はわかっている。ヴィクトル・タケオビッチ・オキタ。父親が日本人だったので、日本人に近い顔立ちをしているそうだ。
 カジンスキーの依頼を一旦保留し、傭兵時代の仲間のネットワークで調べた後、工藤はカジンスキーのボディーガードを引き受ける。最大限7日間の日本滞在中のボディーガードが工藤の任務になる。工藤は米軍関係者である知人から拳銃を借用する。そして、ホテルでのカジンスキー24時間警備が始まる。

 本書の前半の読みどころは、工藤がボディーガードとしてどういう警備をするか、その用意周到な行動、細心の注意力と欠かさぬ手順、警備への緻密さを描いていくところだろう。そしてカジンスキーの日本滞在の目的には関知せずの方針をとりながら、徐々にその目的を知っていくプロセスである。
 ボディーガード任務の途中で、工藤はヴィクトルと遭遇する。そのヴィクトルはなぜか工藤に敵意を示さない。逆に、マキシムはボディーガードの任務の後、雇い主のカジンスキーその人に殺されたのだぞ、と工藤に伝える。これは工藤に対するヴィクトルの心理作戦なのか・・・・・。ヴィクトルとの遭遇を境に、工藤の意識も変化していく。雇い主カジンスキーと暗殺者ヴィクトルに対する工藤の心理的対応が複雑になっていく。
 カジンスキーが日本で最後に会うのが、ロシアの駐在武官として日本に滞在するレオニード・シモノフだった。カジンスキーはシモノフのことを、敵じゃなく悪友だという。二人の会食の席で任務につく工藤は店でヴィクトルを再び見出す。二人の眼が合った。店から出るヴィクトルを工藤は追う。
 カジンスキーと工藤のボディーガード契約がどう終結するか、ここがおもしろいところ。

 後半は、シモノフが大きく関わって来る。ヴィクトルが工藤に協力を依頼し、工藤を雇う立場になる。ヴィクトルの相棒の女性エレーナの救出作戦が課題となる。モスクワ近郊の別荘地にあるダーチャに軟禁されているという。それはシモノフのダーチャなのだ。それを警備するのは、ザスローン部隊の隊員なのだとか。
 ヴィクトルはアフガン戦争後、陸軍に入隊。すぐにKGBにスカウトされ、グループ・ヴィンペルに所属していた経歴の持ち主。ザスローン部隊はグループ・ヴィンペルの後継部隊といわれているのだ。
 工藤はまず短時間でロシアの交通事情をマスターすることから始めなければならなかった。
 この後半の結末もちょっと意外性を持っている。こんな結末もあり、なのか。

 KGB、FSB、SVR、グループ・ヴィンペルなどの組織と登場人物との関連づけは浅いものだが、この作品の雰囲気づくりとしては程よく取り込まれているように感じた。副次的に拳銃の手入れとはこういうもので、こんな手順でやるものなのかということがわかり興味深い。著者はこういう部分を、どういう資料、情報、資源を使い文章として描き込んでいくのだろうか・・・・どこかで体験してみるのだろうか。知りたいものだ。


ご一読、ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


 本書に出てくる語句で、気になるものの事実情報を検索してみた。リストにまとめておきたい。

フランス外人部隊 :ウィキペディア
  新たな人生のための新たなチャンス :「外人・求人」
  French Foreign Legion FIGHTING & TRAINING [Eng sub](10-10)
外人部隊入隊マニュアル :「外人部隊へ行こう!」
  フランス外人部隊従軍記 :同上
第2外人落下傘連隊 :ウィキペディア
銃砲刀剣類所持等取締法 (昭和三十三年三月十日法律第六号)
KGB ← ソ連国家保安委員会 :ウィキペディア
FSB ← ロシア連邦保安庁  :ウィキペディア
GRU ← ロシア連邦軍参謀本部情報総局:ウィキペディア
SVR ← ロシア対外情報庁  :ウィキペディア
ヴィンペル部隊 :ウィキペディア
ザスローン部隊 :ウィキペディア
9x19mmパラベラム弾  :ウィキペディア
H&K USP :ウィキペディア
 ヘッケラー・アンド・コック公式サイト
Nシステム ← 自動車ナンバー自動読取装置 :ウィキペディア
ブラックジャック (武器) :ウィキペディア
 Baton (law enforcement) :From Wikipedia, the free encyclopedia
ISS ← 国際宇宙ステーション :ウィキペディア
ソユーズ :ウィキペディア
キリル文字 :ウィキペディア
  キリル文字一覧 :ウィキペディア
サリャンカ ← ソリャンカ:ウィキペディア
  サリャンカのレシピ(ロシアスープ) :「Kanon's Bar」
マカロフ PM    :ウィキペディア
9x18mmマカロフ弾 :ウィキペディア
ワルサーPP :ウィキペディア
アサルトライフル :ウィキペディア
自動小銃     :ウィキペディア
マズルフラッシュ(発火炎) → フラッシュサプレッサー :ウィキペディア
ショットガン → 散弾銃 :ウィキペディア
コンポジション 4 ← C-4 (爆薬) :ウィキペディア
ブッシュミルズ :KIRIN


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


 本書の前に、以下の作品の読後印象も載せています。
 お読みいただければ、うれしいです。

『隠蔽捜査4 転迷』
読書記録索引 -3  フィクション:今野 敏、堂島瞬一
 索引-5 の下の方にこのリストが載っています。


『全国原発危険地帯マップ』 武田邦彦  日本文芸社

2012-10-08 00:57:17 | レビュー
 表紙に書かれた一文が本書の特徴を明瞭に示している。
「全54基、周辺地域の危険度を風向きとともに解析!」2011年10月に発刊された本。
本書の構成はコンパクトでわかりやすいパターンになっているのが特徴だ。各原発毎に見開き2ページの右ページに原発の概要がまとめられている。名称、電力会社、立地場所、炉数などの基本項目と各原子炉の運転開始・出力・発刊時点の運転、停廃止、点検中などの状況一覧。そして、原発から半径30km圏内の自治体総人口、自治体名のまとめ、関連施設が記載される。左ページには、「過去のおもな事故・トラブル」としてどんな事象があったのかを時系列的にまとめてある。全原発、事故やトラブルのなかったところがないという事実が歴然とわかる。原発施設だけに、小さな事故やトラブルもおろそかにできないと言える。さらに、それに続く数ページ以内に、該当の原発地点での風向き図が載っている。風向きのデータは気象庁ホームページより抜粋されたものという。風向きが16方位分割方式により、年間月別の傾向として太矢印で地図上に示されていて、一目瞭然に全体の傾向を知ることができる。この矢印の長さが放射能の拡散距離300kmになっているという。それは「1986年のチェルノブイリ原発事故によって、現在も300km離れた地域が放射線管理区域になっているため」(p15)なのだ。これが本書の利点だろう。
 概要ページの内容は少し時間が経てば変化していく。事故・トラブルは増加するだけだが、原発概要部分はかなり変動するところだ。見開きページのデータはどうしても古くなる。風向きデータのまとめは自然現象であり、まあ短期間で古くなることはないだろう。
 我々にとって、こういう諸情報が公表されていても、それらがインターネットの各サイトに分散された形で掲載されているので、個々のソース入手先を知らないと手軽には全体像が見えないということだ。その点で本書は便利と言える。
 各原発、全54基がどれだけの危険度を持つかということを、大数観察ではないが鳥瞰図的に把握するのには有益である。
 著者は各原子力発電所に対し、数ページから10ページ前後で、著者の見聞や客観データに基づく分析コメントを付している。この部分が著者のオリジナルというところか。
 
 「風の方向と気候によって、放射性物質の拡散の仕方はずいぶん違ってきます」(p21)という観点と300km離れた原発がチェルノブイリ、フクシマ級の事故を発生させたら、どうなるか、ヒトゴトではないという認識を喚起させるところに、本書の重要性があると感じる。日本の政府や電力会社の情報非公開、情報公表の引き延ばしという隠蔽体質が続く限り、全体像を押さえた上で自衛意識が重要だということだ。

 まず、著者の記述から納得できる、あるいは、そうだったんだろうなと感じる点を引用してご紹介しよう。
*過去に嘘ばかりついていた組織が、今回のような大きな事故が起きたからといって、その体質が急に改善されることがあるわけではないと考えるほうが妥当でしょう。 p25
*原子力発電所は耐震に対する設定の甘さから、震度6の地震で壊れる設計になっています。 p31 
 震度6クラスの地震に対して何の対策も練らないまま原発の運転を再開してしまえば、ある日突然、大地震が襲ってきたときに福島第一原発と同様の大事故を招く危険性は限りなく高いのです。
 →著者は次の点を31ページでその例証として挙げている。
  東通、女川、福島第一、福島第二、この後にお話する柏崎刈羽の5つの原発施設で
  震度6の地震で何らかの設備が壊れたという事実が明らかになりました。
*青森県が「反原発」に方向転換できないのは、国から支払われる多額の財源を失ってしまうのが怖いからではないかと考えられるのです。  p52
*「原子炉は重要なのできちんと管理しますが、電源や計測機器などは重要ではないので、注意深く管理する必要はないでしょう」という考え方が、原子力発電所を造っている技術者たちにはこれまであったのです。  p54-55
*「原発施設はこんな簡単に壊れてしまうのに、どうして新幹線は東日本大震災で大きな被害を出さずに済んだのだろう?」と考える人もいるかと思います。・・・・新幹線の場合、震度6の地震が想定されていても、震度8まで耐えられる設計になっているそうです。 p64
*東京電力が震度5程度の揺れにしておきたいなと考えたら、「震度5の設定で大丈夫」と言うであろう地震学者を選び出して、その学者に承諾をもらって計画を立てるのです。  p85
*北陸電力が保有している志賀原発は、・・・・今後は運転を見送ったほうがいいのではないかというのが私の見解です。   p109
*島根原発の誤記載と記載漏れの問題について、私は事故と同程度の扱いをするべきだと思います。というのも、何が危険で何が安全かというのを、点検計画表を見てチェックするわけですから、それ自体が間違っているというのでは、何を基準に原発の管理をすればいいのか分からなくなってしまいます。  p152
*原発が完成した後、国策という名目でお金を負担するときには、「何か裏があるのではないか」と注意深く見守る必要がありますし、組織を腐敗させるという構造も生み出しているのです。  p179
*「原子力は国民のためになっているとは言い切れない」という事実が分かったのです。もし原子力発電を国が支援してなかったら、ビジネスとして成りたたないわけです。 p180
*保安院が本当のことを言わない限り、真実の情報はでてこない。  p184
*従来の耐震基準のままストレステストを行なっても何の意味もありません。私は「ストレステスト」というのは、今までやってきたことを、名前を変えてハードルを上げたように見せかける卑劣な提案だとしか思えません。  p188
*風向きや風速のデータを国民にアナウンスするのは、気象庁の役割ですが、原発事故による放射性物質の拡散情報について、気象庁は肝心なデータを一切出さなかったのです。気象庁はIAEA(国際原子力機関)に対しては、資料作成の要請を受けたので、風向きの情報などを通知しましたが、国内は文部科学省にその役割を任せていました。  p205

 著者のこれら意見、見解の出所文脈は本書でご確認願いたい。

 一方、気になる側面がある。著者の立ち位置を明確にはつかめない点だ。専門家として原発に関しては、解説者、評論家に留まるのだろうか・・・・。以下のような記述を拝見することから、そう感じる次第だ。
*私はどちらの炉型(付記:沸騰水型と加圧型)がよいのかという議論ではなく、「二つの炉型をより安全に稼働させていくにはどうすればよいか」を協議し、双方の技術アップをさせることが大切だと思っています。  p48
 → 技術改良、技術開発すれば、原発稼働は問題ないということ?
*以前、私は原子力安全委員会の任期を終えようとしていたとき、「政治家と建設会社とが裏でつながっているなどという噂が出たら、安全性がおろそかになってしまうこともあるでしょうから、安全審査はしないほうがいいですよ」と正直に申し上げたところ、「武田先生のご意見は承りました。では次の方、ご意見をどうぞ」と聞き流されてしまい、このときの私の発言は議事録に残っただけで終わってしまいました。 p50-51
 → 「本当に安全な場所に原発が建てられない理由」という項目のところで、利権体質の問題点を論じた続きに記されている。著者は委員任期切れ間際までそんな噂や利権体質の存在を知らなかったということか? うすうす知っていてもそれまではその点に触れなかったということか・・・・
*原子力安全委員会の場でこうした事柄を議論しても、みんなどこか他人事なのです。「私の任期中に、大きな事故が起こることはないでしょう」、そう決めつけているフシがあります。こうした根拠なき安心、危機意識の欠如の積み重ねが、福島第一原発の事故を招いてしまったのだと思います。  p74
 → 著者もその委員の一人だったのか? その観察に対してどう対処されたのか?
*「中性子照射脆化」という問題が起こり、その解明を行なうことも重要となってきます。つまり、単に老朽化しているから悪いということではなく、老朽化したときにどのように測定し、交換していくかが一番重要なのです。 p130
 → これは原子炉の脆化についての文脈での記述である。「交換」ということについて著者は原子炉のどいうい箇所を想定しているのか。現在、原子炉そのものの「中性子照射脆化」こそが問題視されているように思うのだが。
*これからも、原発の立地については、もう少し妥当なやり方をしていかないと、さまざまな不満がでてきてしまうでしょう。   p163
 → こういう一文を書くということは、その立ち位置は原発容認ということなのか。
*2001年に原子力安全保安院が設立されて以降、私は原子力安全委員会の専門委員だったわけですが、原発に関するトラブルはたくさんあったのにも関わらず、委員の任期中に保安院から事故についてのデータを見せてもらったことが一度もありません。 p169
 → ええっ!とビックリするような記述だ。原子力安全委員会とは、何を根拠に「安全」だと審議してきたのだろうか。失敗から学ぶことすらしないのか。著者は専門委員として、その開示を要求しなかったのか。要求しても拒否されたら、それで終わりだったのか? なんとも解せない。

 著者は数カ所、委員会で意見を言い続けてきたが意見を取り入れてはもらえなかったという事例を記している。自らの見解表明はされてきたようだ。だが、それどまりだったということなのだろう。それが日本での○○委員会の委員の実態なのかもしれない。

 本書の最終ページに著者は記す。「今回の福島第一原発の事故というのは、長年原子力研究に携わってきた私でさえ、その思想を変えざるを得ないほどの衝撃を受けました」と。
 著者の意味する「思想」が何で、それはどれだけの確固たるものだったのか、その思想をどう変えようとしているのか。この点、私は十分な理解を得られていない。本書を手に取って、読み取っていただくとよいのではないだろうか。そして、教えていただきたい。
 原発全54基の危険性のデータがコンパクトにまとめられているのは確かである。その点有益で役に立つ。危険度という言葉が使われているが、評価基準が設定されていて著者が独自に評価しているわけでもない。危険度合いを明確に理解できるとは言いがたい。著者による個別の原発のもつ危険性の説明と見解は理解できたのだが・・・・。


ご一読ありがとうございます。
人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

 本書記載のデータをネットで収集するとしたら、どうなるか?

1.各発電所の概要データは、各電力会社のHPからアクセスできる。アクセス方法は千差万別である。
  例えば、今問題である関西電力の原発を採りあげてみよう。
 <大飯発電所>の場合 (←大飯原子力発電所とは表記されていない。)
 サイトのトップページ 
 「大飯発電所のご案内」
   各炉の稼働状況はここには記載なし。原子炉格納容器の図解がある。
 「発電所の運転状況(リアルタイム)」 所有原発全体の状況が1ページでわかる。
 
 「プレスリリース」 炉の稼働状況開示の合間に、事故・トラブルの開示が出ている。    尚、1999年3月までしか、開示情報は遡れない。
 

 *周辺関連施設や30km圏内の関連市町村などの具体的表示は勿論ない。

 HPの存在を知らずに、検索中に知ったこと。原子力規制委員会のHPが立ち上がっていた。そこに、「各地の原子力施設情報」というサイトができている。トップページにある。
 例えば、上記の大飯の場合、「大飯」を地図からアクセスできて、開示の内容が閲覧できる。
  
2.原発事故・トラブル関連の公的な情報開示はあるか?
 原発関連の「国内トラブル情報」が開示されている。
 開示窓口は、独立行政法人 原子力安全基盤機構だ。
 ここには1966年度からのトラブル情報が記録されているが、年度単位でまとめられているので、特定の原発だけを抽出してみることはできないようだ。
 マクロで見た、トラブル報告件数推移(対象:原子力発電所(研究開発段階炉を除く))も数値だけのまとめも掲載されている。
 
 また、放射性固体廃棄物(固体廃棄物貯蔵庫)の年度別管理状況の統計も掲載されている。

3.風向きのデータはどうか?
 気象庁のホームページには、
 ホーム > 気象統計情報 > 最新の気象データ > 風の状況 > 日最大風速一覧表
 と辿ることで、ある特定日時の風向を知ることはできる。
 「日最大風速」のデータに風向が記載されている。
 また、地方気象台のサイトを見ると、「気象・地震概況(完全版):pdf形式」で月ごとに年間の風向を知ることができる。
 たとえば、福井県を採りあげると、「福井県の気象・地震概況」というページがある。 

つまり、その気になってデータを探せば見ることはできるが、やはり煩雑な作業になる。
 特定の原発に限定して、関連情報を収集するということならば、何とかインターネット情報で少し時間かければできないことはない。
逆に言えば、この種のコンパクトに情報整理された本は手軽で便利といえる。

 この辺りでネット検索トライアルを終えたい。


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


本書以前に、原発事故関連で以下の読後印象を掲載しています。
お読みいただければうれしいです。

『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章

『裸のフクシマ』 たくきよしみつ 

読書記録索引 -1  原発事故関連書籍

『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章  河出書房新社

2012-10-04 00:27:23 | レビュー
 読後感として、主張の軸がぶれない信念の人、そういう印象を一層強くした。
 本書は昨年5月、福島第1原子力発電所爆発事故の後に出版された復刊本である。この1年余にいくつかの出版物、講演記録、論文、「たね蒔きジャーナル」等を通じて、著者の発言、見解を見聞してきた。そして、遅ればせながら、いまこの時点で本書を読んだ。それ故に、なおさら冒頭の思いを強く抱いている。

 もともと本書は1992年1月に刊行された本である。1986年4月26日、ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で起こった爆発事故、世界を震撼させたあの事故の数年後からの著者の講演や論文がまとめられたものだ。
 たとえば、「Ⅰ チェルノブイリの死の灰はどこに行ったのか」は、大分と国東での講演録が元になっている。1986年5月の新聞報道記事、事故直後から著者が分析してきた測定データ、1989年に著者が有機農法米と化学肥料米について放射能汚染度を測定したデータとその解釈などが講演の材料になっている。その他の章は様々な媒体に発表された論文である。しかし、一般読者をも念頭に置かれているためか、どれも比較的読みやすく書かれていると思う。冒頭の印象の理由の一つにもなるので、章立ての紹介を兼ね、初出年次をまとめておこう。
 序 生命の尊厳と反原発運動           1990/5
 Ⅰ チェルノブイリの死の灰はどこに行ったのか  1990/6
 Ⅱ 弱い人たちを踏み台にした「幸せ」      1989/3
 Ⅲ 放射能汚染の現実を超えて          1987/10
 Ⅳ 放射能汚染の中での反原発          1988/3
 Ⅴ 多様な運動の根源における連帯        1988/11
 Ⅵ 有機農法玄米のセシウム汚染が教えるもの   1989/12
 Ⅶ 原子力開発と地球環境問題          1989/9、1990/1

 この本の内容は時代遅れになっていない。それよりも福島原発事故以降本書の内容は、我が国において一層厳しく現実に国内問題として直面する事態になっていると思う。放射能汚染の影響を受ける立場から、世界に放射能汚染の影響を与える加害者の立場に転換してしまったのだ。その意味で、本書の主張論点が一層重要になってしまったと言える。チェルノブイリという語を福島に、ソ連を日本に置き換えて読めば、その通底する部分を一層深刻に受け止め直す必要がある。そこから出発しなければならないのではないか。そこにこそ、この復刊が価値を持つと感じる次第である。

 本書での著者の論点を引用し、感想を添えてみる。著者の主張の軸がぶれていないことが歴然とおわかりいただける。また、この二十有余年の間、著者の提案に対して、原子力ムラや原子力行政がその対応をなおざりにし続けてきた実態がわかる。福島原発事故後、いまだに大きな前進はない。
 著者の主張の論拠は、じっくり本書をお読み願いたい。

*チェルノブイリの事故がなかったことにしたい。しかし、できないのである。時間を戻せない以上、私たちは汚れた環境の中で汚れた食べ物を食べながら生きる以外にすべがない。放射能は人間の手でなくすことができない。煮ても、焼いてもなくならない。 p13
  →この主張は、昨年来でも繰り返し繰り返し著者が発言している。

*チェルノブイリの事故はすでに過去形で起こってしまいました。そして、そうであるかぎり、食糧が汚染することももう避けられません。従って、いま私たちに許されている選択は、汚染した食糧はいったい誰が食べるべきなのかというたった一つしかないのです。 p87
  →福島原発事故が過去形になった!汚染度は一層高まった。その事実から出発しなければならない。日本におけるさらなる第二の「過去形」が続いてはならない!

*私たちが馬鹿なことをしたおかげで子供たちにつけを負わせるというのは、私はやっぱり我慢できない。原子力の場というのは、どんな意味でもそういうことがたくさんあるんです。・・・他の人たちを踏みつけにすることが実は我慢ならないんです。 p66

*原発が生み出したエネルギーを消費するのが現在の世代であり、廃物管理のためのエネルギー投入をしなければならないのは将来の世代だということに、私たちは充分留意する必要がある。  p188
  →負の遺産をこれ以上、未だ見ぬ将来の世代に負わせてはならない!!

*他の人たちを抑圧しないで、犠牲にしないで生きるような社会が作れるとすれば、その時には必然的に原発もなくなるだろうと私は思っています。  p83
  →原発を大都会近郊でなく過疎地に立地させる。そこには、ここの裏返しの論理が潜んでいるのではないか。

*もっとも重要な教訓の一つは、一度放出された死の灰にとって、人間の手によって引かれた国境などは何も意味を持たないということであり、風に運ばれた死の灰はソ連領内だけでなく全地球に沈着し、汚染をもたらした。  p94
  →福島原発事故が生み出した放射性物質は風と海流に乗って日々全地球への拡散が続いているのだ。その事実の報道はほとんどマスメディアに乗らなくなってきた。なぜ? 資本の論理がそうさせている?

*原子力開発によるデメリットは、誰を措いても原子力を推進している国々こそが連帯して負うべきであって、間違っても原子力を選択していない国々に負わせるべきではない。  p107
  →これは、爆発事故による汚染問題だけでなく、高濃度放射性廃棄物の処分地問題にも通じていくことと思う。

*チェルノブイリ事故が起こる以前から、すべての地球表面は、連綿と続いてきた大気圏内核実験によって、すでに汚染を受けていた。そして、その汚染によって、農作物をふくめ地球上のあらゆる生物はそれぞれ多様な汚染を受けてきた。  p145
 玄米のセシウム汚染に寄与しているのは94%までが過去に行なわれた大気圏内の核実験であり、チェルノブイリ事故によって上乗せされた汚染はわずか6%でしかないことが判明したのである。 p154
  →福島原発事故はさらにどれだけ汚染を増やしたのか?

*もともと科学の世界において、一つの主張を行なうに当たっては、その根拠を明示することが最低限の条件であるといえるが、ICRPの勧告では最も重要な放射線の危険度の見積りについて、何等の根拠も示されていない。根拠を示さない理由は、委員の間に「勧告を出す機関としての権威がなくなる」という反対があるためだが、そんな勧告が国際的な権威として通用することの方がよほどどうかしている。   p116

*放射線の被曝には安全量などないのだということ、そして子供たちは放射線に敏感であるということを私たちは再度確認しておく必要がある。   p117

*現在、日本の国が(付記挿入:放射能汚染食糧の)輸入規制という手段を借りて行っていることの本質は、日本人に汚染の真実を知らせないという作業なのである。国が本当にいやがっていることは、公衆が汚染の事実を知ってしまうことであり、彼らの本当の防衛線は汚染データを公表しないという点にこそあるのである。仮に、規制値が厳しくなり、規制に引っかかる食糧が増えたとしても、それでは、ますます日本の食卓は安全だという幻想を公衆に与えてしまうことになる。大切なことは、放射能汚染の真実を公衆に知らせ、一人ひとりが主体的に汚染と向き合う作業だと私は思う。  p121-122
  →放射能汚染の真実を公衆に知らせないということが、今回も同様である。
   今回の事故に伴い、昨年来引き続き著者が主張しているが実現されていない。

*この社会の現実はまさに矛盾だらけなのであって、その矛盾に初めから蓋をしてしまうような運動よりは、矛盾を次々に掘り起こして行く運動の方がはるかに価値があると、私は思うのである。・・・・新しい矛盾が視えるようになるということは、運動自体の成長であり、次の矛盾を克服する力をも同時に獲得しつつあるだろうからである。 p126-127

*炭酸ガス問題を持ち出すまでもなく、地球環境が著しい危機に直面していることは間違いない。しかし何度も繰り返すが、その危機は、厖大な浪費を再生産してきた社会こそがもたらしてきたのだし、いま現在悪化させているのである。その点の認識を欠いた議論はまったくナンセンスである。いま私たちが問われている選択は、「化石燃料か原子力か」ではなく、「化石燃料も原子力も使って浪費社会を維持するか、それとも化石燃料も原子力も使わずに済む社会に踏み出すか」ということである。いわゆる「先進国」の浪費構造を転換させないかぎり、地球環境が生命体にとって耐え難くなることは確実である。
  p190-191

 最後に、序の中にある次の一節を引用しておきたい。
*決定的に大切なことは、「自分のいのちが大事」であると思うときには、「他者のいのちも大事」であることを心に刻んでおくことである。自らが蒔いた種で自らが滅びるのであれば、繰り返すことになるが、単に自業自得のことにすぎない。問題は、自らに責任のある毒を、その毒に責任のない人々に押しつけながら自分の生命を守ったとしても、そのような生命は生きるに値するかどうかということである。 p15
 また、このことが「力の弱いものを踏み台にしてはならないという点こそが、もっとも大切な原則であろうと思う」(p105)という考え方に展開されているように思う。

 ここに、著者が根底に抱く哲学を表明しているように感じる。それが著者の行動を発現し、主張の軸がぶれていない生き様の背景にあるように思う。


ご一読ありがとうございます。
人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


最近の小出氏の活動記録その他を検索してみた。その一部をリストにまとめておきたい。

7月14日、京都府舞鶴総合文化会館小ホールにて
「未来に生きる子どもたちへ」と題する講演会
 20120714 小出裕章さんが語るがれき問題
 20120714 小出裕章さん質疑 動いてる原発の方が危険
 20120714 小出裕章さん質疑 原発が動かされるわけ
 20120714 小出裕章さん質疑 自然放射線と人工放射線の違い
 
小出裕章氏講演 in 静岡(インタビューの部)

2012・6・3 宮城県栗原文化会館での講演
知っておきたいホントの放射能のことその1
知っておきたいホントの放射能のことその2
知っておきたいホントの放射能のことその3
知っておきたいホントの放射能のことその4
知っておきたいホントの放射能のことその5
知っておきたいホントの放射能のことその6
知っておきたいホントの放射能のことその7
知っておきたいホントの放射能のことその8
知っておきたいホントの放射能のことその9
知っておきたいホントの放射能のことその10
知っておきたいホントの放射能のことその11
知っておきたいホントの放射能のことその12
知っておきたいホントの放射能のことその13

原発はいらない!「原発で温暖化」 京都大学原子炉実験所 小出裕章氏

2012年9月27日 たね蒔きジャーナルへの最後の出演
「次の総選挙でもし自民党が返り咲くようなことになれば、またまた原子力をどんどんやるんだということに、結局なってしまいます」小出裕章(MBS)
2012年9月26日(水)、MBS(毎日放送)ラジオの「たね蒔きジャーナル」
事故翌日 双葉町で1590マイクロシーベルト計測 事故から1年半後に公表 「国の方から見ると住民の被曝よりむしろパニックを恐れるということで事故に対処した」 小出裕章(MBS)

原子力安全研究グループのサイトから:
「終焉に向かう原子力と温暖化問題」小出裕章 2010.1.19 pdf資料
「戦争と核=原子力」 小出裕章 2009.11.29 pdf資料
「原子力の場から視た地球温暖化」 小出裕章 2009.2.10 pdf資料
「なぜ六ヶ所再処理工場の運転を阻止したいのか」 小出裕章 2008.12.13 pdf資料
「原子力とは一体何なのか?」 小出裕章 2007.2.22 pdf資料
 他にも掲載されています。そのリストページからリンクされています。(上記サイト名をクリックしてください)


チェルノブイリについての情報:
International Chernobyl Portal of the ICRIN project のサイトから

Contamination of the territory of Ukraine by cesium-137 (as of May 10, 2006)

Preface: The Chernobyl Accident
Fig1.
Deposition of 137Cs throughout Europe as a result of the Chernobyl accident (De Cort et al. 1998)
  上記ページで右側の地図をクリックすると、拡大で見られます。

Twenty Years After Chernobyl Accident. Future Outlook pdf資料
National Report of Ukraine

Chernobyl's Legacy:
Health, Environmental and Socio-Economic Inpacts and Recommendations to the
Governments of Belarus, the Russian Federation and Ulraine


 以前に、次の読後印象と過去のリストを掲載しています。お読みいただければ幸です。

『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ

読書記録索引 -1  原発事故関連書籍


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。