著者の小説はいくつかの分野に広がっている。冒険小説、山岳小説、警察小説などである。さらに山岳小説と警察小説が融合したものもある。
本書はそのタイトルからもわかるように、山岳小説である。さらに「ソロ」シリーズの完結編に位置づけられているようだ。私は本書を読んでから、これが「ソロ」シリーズの一環だったことを遅ればせながら知った。『ソロ ローツェ南壁』『K2 復活のソロ』との三部作になるそうだ。いずれこれらの前作に溯って読んでみたい。
この小説は、ローツェ南壁とK2のソロ登攀に成功した奈良原和志がマカルー西壁に挑むというストーリーである。
マカルーを西陵から目指すイタリア隊、北西稜から目指すスペイン・アルゼンチン隊の登攀中に、和志がマカルー西壁の下見で現地にいる場面から始まる。ビッグウォールを見上げて、率直に広川友梨に対し「恐いんだよ」と和志が語る。
著者はヒマラヤ山脈とその登攀に関する事実をストーリーの文脈に沿って要所要所に巧みに織り込んで行く。読者にヒマラヤ山脈8000m峰登攀の超人的な困難さ、その障壁要因を例示しながら、その中でのマカルー西壁の位置づけをまず明確にしていく。
前2作を読まずにこの完結編を最初に読んでしまった。前2作の登攀事実に触れられているが、この小説だけを独立して読む事に全く支障はない。逆に本書で先の2回のソロ登攀の成功とそこでの障壁が詳述されているプロセスについて作品自体に溯って読みたいと動機づけられている。この小説の中だけでも関連するヒマラヤ山脈の山々とクライマーの登攀記録の事実についてかなり知ることができた。
ヒマラヤ山脈8000m峰が14座あり、その内エベレストを含めて9座がネパールと中国との国境に存在するということを初めて知った。ネパール国内では北端にダウラギリ(8167m)があり、南東方向に8000m峰が連なって南端のカンチェンジュンガ(8586m)に至る。エベレスト(8848m)の南にローツェ(8516m)があり、ローツェ・シャール(8383m)が東に連なる。ローツェから南東方向にかなり離れてマカルー(8463m)が屹立している。
「エベレストの南東19キロに位置するマカルーは標高8463メートル。ヒマラヤのビッグ5の一角を占める世界第5位の高峰だ。西壁は標高差2700メートルに達し、7800メートルの高所から8400メートルまで続く壮絶なヘッドウォール(頂上直下の岩壁)は、垂直というより、その一部が巨人の額のように空中にせり出している。」(p10)とまず描写する。
読者はそんな西壁をソロでどのようなタクティクスのもとに登攀していくのかと惹きつけられていくことになる。
シリーズとして連続していると思うのだがこのストーリーの基本構図は明確である。
奈良原和志はソロのクライマーとしてマカルー西壁の登攀に挑む。
和志はノースリッジという登山用具の開発から販売までを手がける新進気鋭の日本の会社からスポンサーシップの支援を受ける。ノースリッジはドロミテでの転落事故が原因で企業家に転身した山際が艱難辛苦の上に築き上げ、山際の登山に対する情熱が息づく会社である。友梨はノースリッジのマーケティング室長。和志の遠征には常に同行し、サポート役並びに公報の窓口としてその役割を担う。
和志には磯村がいる。登山技術を学んだ師であり、かつ一緒に登攀を目指すチームメンバーでもある。その磯村の体は癌に冒されていて、彼は癌との闘いと登山との折り合いをつけつつ和志にハッパをかけ、和志の山への挑戦を方向づけ、支援する。
和志のマカルー西壁ソロ登攀の遂行と成功は、余命の長くない磯村には己が果たし得ない夢であり、和志に託す希望でもある。
著者は「人は一人では生きられない。ソロは一つの戦術に過ぎない。ローツェ南壁もK2のマジックラインも、あくまで磯村や友梨、山際とのパートナーシップで為し遂げられたものなのだ。」(p245)と和志の思いを記している。
対立する人物-マルク・ブラン-が和志につきまとう。彼は父親が有名なクライマーであり、その七光りによりグループ・ド・オート・モンターニュの会員となった。父親のラルフが会員だったことから、その資格を継承できたのだ。マルクは資産を引き継いでいた。マルクはソロ登攀で実績を積み上げていく和志を意図的に妨害する立場を繰り返し取ってきていた。
一方、ネパール政府はヒマラヤでの単独登山を禁止し、併せて身体障害者の登山も禁止する。加えてパーティーにシェルパの同行を義務づけるという方針を打ち出そうとしていた。ヨーロッパのクライマーたちは、それらの方針はアルピニズムに対する冒涜であると憤る。単独登山禁止の方針を出そうとする背景には、政府高官との交流をもつマルクの裏面工作が噂に上っていた。
この背景の下で、和志のマカルー西壁へのチャレンジは果たしてできるのか。登攀は成功するのか。この基本的な構図となる背景が読者の関心を惹きつける。
西壁の下見で現地にいる和志は、西陵登攀の成功を目前にしたイタリア隊の隊員たちが予期せぬ大規模な岩雪崩に遭遇してしまった状況を目撃する。それが西壁へのチャレンジのしかたに影響を及ぼす始まりともなっていく。ストーリーのあらすじは以下の展開となる。
1. 救出行
和志は救援に名乗り出る。友梨はノースリッジを介してSNSで世界のクライマーに救援を呼びかける。アルピニズム精神と商業登山の現状が描き出されて行く。フランス隊のアラン・デュカス、ジャン・サバティエという新進気鋭の2名のクライマーが救援に参加する。和志、アラン、ジャンが救出に向かう。コンタクトが取れた生存者はミゲロ一人である。救出プロセスが克明に描出されていく。
2. ドロミテでのトレーニング
帰国した和志の西壁登攀への思いは複雑だ。そこに、入院療養中のミゲロから連絡が入る。西壁登攀の準備としてドロミテがトレーニングの格好のゲレンデになると。イタリア隊の隊長だったカルロが和志に協力する形となっていく。和志、磯村、友梨にノースリッジの社員・栗原が加わる。ミゲロとカルロの協力を得たドロミテでのトレーニング状況が描かれる。
読者にとっては、ドロミテと登山技術の知識が副産物となる。知らなかった地名・山名や登山用語が次々と出てくる。たとえば登山用語では、クリーン・クライミング、ミックス・クライミング、ドライツーリング、ヴィア・フェラータなど。
3. 冬季マカルー西陵国際隊の結成、和志の国内でのトレーニング、ライバルの出現
カルロを隊長として、ミゲロ、アラン、ジャンが冬季にマカルー西陵を登攀する計画が浮上する。ネパール政府の方針の裏をかく方策を磯村を初め皆で考える形になる。国際隊に和志もメンバーとして加わり、現地に入山後、西壁ソロ登攀という別行動を取るというアイデアだ。山際はノースリッジがこの国際隊のスポンサーシップをとると決断する。
和志は日本国内でできるトレーニングを重ねていく。
一方で、マカルが今冬、大型遠征隊を率いてマカルー西壁を狙うプランをフランスの著名な山岳雑誌に発表する。和志の西壁登攀計画が未公表であるにもかかわらず、マカルがそれをターゲットに阻止するねらいの手を打ち始める。マカルは和志のソロ登攀に対し、極地法のタクティクスを取るという。
疑心暗鬼の中で情報収集活動が一種脅威感を抱かせつつ始まっていく。読者にとっては今後の展開がおもしろくなる。
4. 南半球のアルゼンチン フィッツ・ロイ登攀という西陵・西壁想定のトレーニング
冬季マカルー西陵国際隊のメンバーは、西陵・西壁を登攀するための想定訓練地として、フィッツ・ロイに集合する。
フィッツ・ロイの登攀は訓練というよりもそれ自体が貴重な登攀経験になる。気象に異変が発生する中で、ミゲロ、アラン、ジャンの登攀と和志のソロ登攀の状況が克明に描き込まれていく。これ自身が一つの登攀ストーリーになっていく。
5. 磯村が症状急変により入院。和志は帰国後に再会。西壁登攀に磯村がどのように関わるか。
磯村が突然に倒れた。癌の症状が悪化していたのだ。妻・咲子の機転で最悪の状況には至らなかった。和志は頼りにしている磯村にどう対応していけばよいのか。
磯村への和志の関わり方、磯村自身の心境と決断などがに焦点が当てられる。山際は磯村に対するサポートを惜しまない。
6. ネパールへ ベースキャンプ入り
アランが総隊長となった大型遠征隊が既に標高5200mのベースキャンプ地を占拠していた。冬至の日の12月22日にベースキャンプ入りした和志たちの国際隊は、さらに50mほど上のモレーンにキャンプ地を設置する羽目になる。
だが、結果的にこれが幸いした。巨大雪崩が発生したのだ。和志たちはキャンプ入り後、ライバル隊のベースキャンプの被災に対し、救援行動をとる事態から始まって行く。
このプロセスはマルクの本質を曝すことになり、ライバル隊の隊員たちから浮き上がった存在になっていく。そして、隊長を引き受けていたアリエフが実質的にこの隊を掌握し、極地法による西壁登攀の実行に着手していくことになる。アリエフはフェアに和志との西壁登攀を競うというスタンスを示す。
7. マカルー西壁登攀
第10章の最後の数ページから「第11章 心のパートナー」「第12章 約束」にかけて和志の西壁登攀行程の描写となる。
日本に居る山岳気象の予報士である柿沼から登攀のゴーサイン連絡が1月14日午後2時すぎに入る。同日午後9時に和志は西壁登攀をスタートする。落石や雪崩のリスクの少ない夜間の時間帯に西壁を登攀するという昼夜逆転の登攀行動が始まっていく。「とことん自分の登攀をする」(p283)それが和志の決意である。
和志の行動を中心に、西陵を登攀するミゲロ、アラン、ジャンの状況が点描される。一方、和志のライバルとなるアリエフらの極地法による西壁登攀状況が要所要所で織り込まれていく。
この西壁登攀の描写と和志の思いの描写が、当然ながら読ませどころとなっていく。
それは想像を絶する登攀のプロセスである。
和志自身の体力と登攀技術がベースにあるものの、登山用の服装と登山用具の強度・軽量化など総合的な技術の進歩が大きく貢献していることを実感させる。フィクションとして描かれているが、技術的な側面は現代の登山技術の実情を反映させていることだろう。
本書から印象深い章句をいくつか引用し、ご紹介しよう。
*登れるかどうかはそのときの判断だ。風を受けての登攀には、技術や体力では乗り越えられない壁がある。 p249
*アルピニストにとって、死はいつも傍らにいる伴走者だ。 p271
*しかし死を覚悟して山に登るわけではない。だから登攀中、絶えず死の危険にさらされてはいても、自らが迎えるべき運命としての死をことさら意識することはない。 p271
*落ちたら死ぬという恐怖も、自分の技量への疑念も消え去る。自信満々でもなく戦々恐々でもない。「いま」と「ここ」という時空の交点で、不思議な充足を感じる自分がいる。 p275
*こと細かに指示を受けるわけではない。アドバイスに逆らうこともしばしばだ。しかしパートナーとはそういうものだ。ただそこにいてくれることが、お互いにとって支えになる。そのとき言葉さえ交わす必要がない。 p285
*ヒマラヤは人間に対して親和的な場所では決してない。・・・・・そのヒマラヤを愛するのは、アルピニストと呼ばれる人々の永遠の片思いにすぎない。山そのものは善でも悪でもない。人間を愛しも憎しみもしない。そんな冷厳な事実を認めることこそが、ヒマラヤを登るクライマーにとって、アルファにしてオメガというべきルールなのだ。 p318
「ソロ」シリーズの完結編となる本書の最後の部分をご紹介して終わりたい。
「友梨の弾んだ声が耳に飛び込んだ。心のなかにこれまで感じたことのない新鮮な感情が湧き起こった。それは和志にとっていま始まろうとしている新しい旅への予感なのかもしれなかった。」
「いま始まろうとしている新しい旅」というフレーズはダブルミーニングであると感じた。
ご一読ありがとうございます。
本書から関心事項の幾つかをネット検索してみた。一覧にしておきたい。
ローツェ :ウィキペディア
厳冬期ローツェ南壁初登攀 田辺治写真展 :「つれづれなるままにFocus」
K2 :ウィキペディア
ドロミーティ :「イタリア政府観光局」
イタリアの自然遺産、ドロミテ街道で幻想的な絶景を巡る旅 :「We ? Expedia」
ドロミテ(イタリア)ハイキング YouTube
-4K-パタゴニアの名峰フィッツロイ/チャルテン-Symbolic Peak of Patagonia, Fitz Roy/Chalten(Argentina/Chile) YouTube
ロス・トレス氷河湖より望むフィッツ・ロイ山系 :「パタアゴニア地方の写真集と旅行記」
セロ・トーレ:理性からの逸脱 ケリー・コーデス :「patagonia the Creanest Line」
リスクの計算 マイキー・シェイファー : 「patagonia the Creanest Line」
パタゴニア旅行ガイド | エクスペディア YouTube
ヴィア・フェラータ基礎知識 :「RedBull」
アルパイン・クライミング :ウィキペディア
[解説] 最もハードな登山スタイル?アルパインクライミングとは :「YAMA HACK」
現在のミックスクライミング最前線の動画 :「雪山大好き娘。+」
ベルグラのミックスクライミング|Climbing Image Movie 霧積ダム周辺の沢 YouTube
ラサウの牙 アルパインクライミング ミックス クライミング 登山 【北海道雪山登山ガイド】 YouTube
ドライツーリング(drytooling)とは? :「drytooling.net」
断崖絶壁で一泊!―重さわずか1.5キロのポータレッジ「G7 POD」:「えん乗り」
クリフキャンピングが教えてくれる5つの発見 :「RedBull」
ダーフィット・ラマ :ウィキペディア
一枚の写真から 山野井泰史 :「MAGIC MOUNTAIN」
<日本一のアルパインクライマーが語る(3)> 山野井泰史 「経験したことと、記録されたもの」 :「NumberWeb」
難攻不落の山ベスト9 :「RedBull」
登山家一覧 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『駐在刑事 尾根を渡る風』 談社文庫
『駐在刑事』 講談社文庫
『漏洩 素行調査官』 光文社文庫
『山岳捜査』 小学館
『公安狼』 徳間書店
『ビッグブラザーを撃て!』 光文社文庫
『時の渚』 文春文庫
『白日夢 素行調査官』 光文社文庫
『素行調査官』 光文社文庫
『越境捜査』 上・下 双葉文庫
『サンズイ』 光文社
『失踪都市 所轄魂』 徳間文庫
『所轄魂』 徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』 幻冬舎
『遺産 The Legacy 』 小学館
本書はそのタイトルからもわかるように、山岳小説である。さらに「ソロ」シリーズの完結編に位置づけられているようだ。私は本書を読んでから、これが「ソロ」シリーズの一環だったことを遅ればせながら知った。『ソロ ローツェ南壁』『K2 復活のソロ』との三部作になるそうだ。いずれこれらの前作に溯って読んでみたい。
この小説は、ローツェ南壁とK2のソロ登攀に成功した奈良原和志がマカルー西壁に挑むというストーリーである。
マカルーを西陵から目指すイタリア隊、北西稜から目指すスペイン・アルゼンチン隊の登攀中に、和志がマカルー西壁の下見で現地にいる場面から始まる。ビッグウォールを見上げて、率直に広川友梨に対し「恐いんだよ」と和志が語る。
著者はヒマラヤ山脈とその登攀に関する事実をストーリーの文脈に沿って要所要所に巧みに織り込んで行く。読者にヒマラヤ山脈8000m峰登攀の超人的な困難さ、その障壁要因を例示しながら、その中でのマカルー西壁の位置づけをまず明確にしていく。
前2作を読まずにこの完結編を最初に読んでしまった。前2作の登攀事実に触れられているが、この小説だけを独立して読む事に全く支障はない。逆に本書で先の2回のソロ登攀の成功とそこでの障壁が詳述されているプロセスについて作品自体に溯って読みたいと動機づけられている。この小説の中だけでも関連するヒマラヤ山脈の山々とクライマーの登攀記録の事実についてかなり知ることができた。
ヒマラヤ山脈8000m峰が14座あり、その内エベレストを含めて9座がネパールと中国との国境に存在するということを初めて知った。ネパール国内では北端にダウラギリ(8167m)があり、南東方向に8000m峰が連なって南端のカンチェンジュンガ(8586m)に至る。エベレスト(8848m)の南にローツェ(8516m)があり、ローツェ・シャール(8383m)が東に連なる。ローツェから南東方向にかなり離れてマカルー(8463m)が屹立している。
「エベレストの南東19キロに位置するマカルーは標高8463メートル。ヒマラヤのビッグ5の一角を占める世界第5位の高峰だ。西壁は標高差2700メートルに達し、7800メートルの高所から8400メートルまで続く壮絶なヘッドウォール(頂上直下の岩壁)は、垂直というより、その一部が巨人の額のように空中にせり出している。」(p10)とまず描写する。
読者はそんな西壁をソロでどのようなタクティクスのもとに登攀していくのかと惹きつけられていくことになる。
シリーズとして連続していると思うのだがこのストーリーの基本構図は明確である。
奈良原和志はソロのクライマーとしてマカルー西壁の登攀に挑む。
和志はノースリッジという登山用具の開発から販売までを手がける新進気鋭の日本の会社からスポンサーシップの支援を受ける。ノースリッジはドロミテでの転落事故が原因で企業家に転身した山際が艱難辛苦の上に築き上げ、山際の登山に対する情熱が息づく会社である。友梨はノースリッジのマーケティング室長。和志の遠征には常に同行し、サポート役並びに公報の窓口としてその役割を担う。
和志には磯村がいる。登山技術を学んだ師であり、かつ一緒に登攀を目指すチームメンバーでもある。その磯村の体は癌に冒されていて、彼は癌との闘いと登山との折り合いをつけつつ和志にハッパをかけ、和志の山への挑戦を方向づけ、支援する。
和志のマカルー西壁ソロ登攀の遂行と成功は、余命の長くない磯村には己が果たし得ない夢であり、和志に託す希望でもある。
著者は「人は一人では生きられない。ソロは一つの戦術に過ぎない。ローツェ南壁もK2のマジックラインも、あくまで磯村や友梨、山際とのパートナーシップで為し遂げられたものなのだ。」(p245)と和志の思いを記している。
対立する人物-マルク・ブラン-が和志につきまとう。彼は父親が有名なクライマーであり、その七光りによりグループ・ド・オート・モンターニュの会員となった。父親のラルフが会員だったことから、その資格を継承できたのだ。マルクは資産を引き継いでいた。マルクはソロ登攀で実績を積み上げていく和志を意図的に妨害する立場を繰り返し取ってきていた。
一方、ネパール政府はヒマラヤでの単独登山を禁止し、併せて身体障害者の登山も禁止する。加えてパーティーにシェルパの同行を義務づけるという方針を打ち出そうとしていた。ヨーロッパのクライマーたちは、それらの方針はアルピニズムに対する冒涜であると憤る。単独登山禁止の方針を出そうとする背景には、政府高官との交流をもつマルクの裏面工作が噂に上っていた。
この背景の下で、和志のマカルー西壁へのチャレンジは果たしてできるのか。登攀は成功するのか。この基本的な構図となる背景が読者の関心を惹きつける。
西壁の下見で現地にいる和志は、西陵登攀の成功を目前にしたイタリア隊の隊員たちが予期せぬ大規模な岩雪崩に遭遇してしまった状況を目撃する。それが西壁へのチャレンジのしかたに影響を及ぼす始まりともなっていく。ストーリーのあらすじは以下の展開となる。
1. 救出行
和志は救援に名乗り出る。友梨はノースリッジを介してSNSで世界のクライマーに救援を呼びかける。アルピニズム精神と商業登山の現状が描き出されて行く。フランス隊のアラン・デュカス、ジャン・サバティエという新進気鋭の2名のクライマーが救援に参加する。和志、アラン、ジャンが救出に向かう。コンタクトが取れた生存者はミゲロ一人である。救出プロセスが克明に描出されていく。
2. ドロミテでのトレーニング
帰国した和志の西壁登攀への思いは複雑だ。そこに、入院療養中のミゲロから連絡が入る。西壁登攀の準備としてドロミテがトレーニングの格好のゲレンデになると。イタリア隊の隊長だったカルロが和志に協力する形となっていく。和志、磯村、友梨にノースリッジの社員・栗原が加わる。ミゲロとカルロの協力を得たドロミテでのトレーニング状況が描かれる。
読者にとっては、ドロミテと登山技術の知識が副産物となる。知らなかった地名・山名や登山用語が次々と出てくる。たとえば登山用語では、クリーン・クライミング、ミックス・クライミング、ドライツーリング、ヴィア・フェラータなど。
3. 冬季マカルー西陵国際隊の結成、和志の国内でのトレーニング、ライバルの出現
カルロを隊長として、ミゲロ、アラン、ジャンが冬季にマカルー西陵を登攀する計画が浮上する。ネパール政府の方針の裏をかく方策を磯村を初め皆で考える形になる。国際隊に和志もメンバーとして加わり、現地に入山後、西壁ソロ登攀という別行動を取るというアイデアだ。山際はノースリッジがこの国際隊のスポンサーシップをとると決断する。
和志は日本国内でできるトレーニングを重ねていく。
一方で、マカルが今冬、大型遠征隊を率いてマカルー西壁を狙うプランをフランスの著名な山岳雑誌に発表する。和志の西壁登攀計画が未公表であるにもかかわらず、マカルがそれをターゲットに阻止するねらいの手を打ち始める。マカルは和志のソロ登攀に対し、極地法のタクティクスを取るという。
疑心暗鬼の中で情報収集活動が一種脅威感を抱かせつつ始まっていく。読者にとっては今後の展開がおもしろくなる。
4. 南半球のアルゼンチン フィッツ・ロイ登攀という西陵・西壁想定のトレーニング
冬季マカルー西陵国際隊のメンバーは、西陵・西壁を登攀するための想定訓練地として、フィッツ・ロイに集合する。
フィッツ・ロイの登攀は訓練というよりもそれ自体が貴重な登攀経験になる。気象に異変が発生する中で、ミゲロ、アラン、ジャンの登攀と和志のソロ登攀の状況が克明に描き込まれていく。これ自身が一つの登攀ストーリーになっていく。
5. 磯村が症状急変により入院。和志は帰国後に再会。西壁登攀に磯村がどのように関わるか。
磯村が突然に倒れた。癌の症状が悪化していたのだ。妻・咲子の機転で最悪の状況には至らなかった。和志は頼りにしている磯村にどう対応していけばよいのか。
磯村への和志の関わり方、磯村自身の心境と決断などがに焦点が当てられる。山際は磯村に対するサポートを惜しまない。
6. ネパールへ ベースキャンプ入り
アランが総隊長となった大型遠征隊が既に標高5200mのベースキャンプ地を占拠していた。冬至の日の12月22日にベースキャンプ入りした和志たちの国際隊は、さらに50mほど上のモレーンにキャンプ地を設置する羽目になる。
だが、結果的にこれが幸いした。巨大雪崩が発生したのだ。和志たちはキャンプ入り後、ライバル隊のベースキャンプの被災に対し、救援行動をとる事態から始まって行く。
このプロセスはマルクの本質を曝すことになり、ライバル隊の隊員たちから浮き上がった存在になっていく。そして、隊長を引き受けていたアリエフが実質的にこの隊を掌握し、極地法による西壁登攀の実行に着手していくことになる。アリエフはフェアに和志との西壁登攀を競うというスタンスを示す。
7. マカルー西壁登攀
第10章の最後の数ページから「第11章 心のパートナー」「第12章 約束」にかけて和志の西壁登攀行程の描写となる。
日本に居る山岳気象の予報士である柿沼から登攀のゴーサイン連絡が1月14日午後2時すぎに入る。同日午後9時に和志は西壁登攀をスタートする。落石や雪崩のリスクの少ない夜間の時間帯に西壁を登攀するという昼夜逆転の登攀行動が始まっていく。「とことん自分の登攀をする」(p283)それが和志の決意である。
和志の行動を中心に、西陵を登攀するミゲロ、アラン、ジャンの状況が点描される。一方、和志のライバルとなるアリエフらの極地法による西壁登攀状況が要所要所で織り込まれていく。
この西壁登攀の描写と和志の思いの描写が、当然ながら読ませどころとなっていく。
それは想像を絶する登攀のプロセスである。
和志自身の体力と登攀技術がベースにあるものの、登山用の服装と登山用具の強度・軽量化など総合的な技術の進歩が大きく貢献していることを実感させる。フィクションとして描かれているが、技術的な側面は現代の登山技術の実情を反映させていることだろう。
本書から印象深い章句をいくつか引用し、ご紹介しよう。
*登れるかどうかはそのときの判断だ。風を受けての登攀には、技術や体力では乗り越えられない壁がある。 p249
*アルピニストにとって、死はいつも傍らにいる伴走者だ。 p271
*しかし死を覚悟して山に登るわけではない。だから登攀中、絶えず死の危険にさらされてはいても、自らが迎えるべき運命としての死をことさら意識することはない。 p271
*落ちたら死ぬという恐怖も、自分の技量への疑念も消え去る。自信満々でもなく戦々恐々でもない。「いま」と「ここ」という時空の交点で、不思議な充足を感じる自分がいる。 p275
*こと細かに指示を受けるわけではない。アドバイスに逆らうこともしばしばだ。しかしパートナーとはそういうものだ。ただそこにいてくれることが、お互いにとって支えになる。そのとき言葉さえ交わす必要がない。 p285
*ヒマラヤは人間に対して親和的な場所では決してない。・・・・・そのヒマラヤを愛するのは、アルピニストと呼ばれる人々の永遠の片思いにすぎない。山そのものは善でも悪でもない。人間を愛しも憎しみもしない。そんな冷厳な事実を認めることこそが、ヒマラヤを登るクライマーにとって、アルファにしてオメガというべきルールなのだ。 p318
「ソロ」シリーズの完結編となる本書の最後の部分をご紹介して終わりたい。
「友梨の弾んだ声が耳に飛び込んだ。心のなかにこれまで感じたことのない新鮮な感情が湧き起こった。それは和志にとっていま始まろうとしている新しい旅への予感なのかもしれなかった。」
「いま始まろうとしている新しい旅」というフレーズはダブルミーニングであると感じた。
ご一読ありがとうございます。
本書から関心事項の幾つかをネット検索してみた。一覧にしておきたい。
ローツェ :ウィキペディア
厳冬期ローツェ南壁初登攀 田辺治写真展 :「つれづれなるままにFocus」
K2 :ウィキペディア
ドロミーティ :「イタリア政府観光局」
イタリアの自然遺産、ドロミテ街道で幻想的な絶景を巡る旅 :「We ? Expedia」
ドロミテ(イタリア)ハイキング YouTube
-4K-パタゴニアの名峰フィッツロイ/チャルテン-Symbolic Peak of Patagonia, Fitz Roy/Chalten(Argentina/Chile) YouTube
ロス・トレス氷河湖より望むフィッツ・ロイ山系 :「パタアゴニア地方の写真集と旅行記」
セロ・トーレ:理性からの逸脱 ケリー・コーデス :「patagonia the Creanest Line」
リスクの計算 マイキー・シェイファー : 「patagonia the Creanest Line」
パタゴニア旅行ガイド | エクスペディア YouTube
ヴィア・フェラータ基礎知識 :「RedBull」
アルパイン・クライミング :ウィキペディア
[解説] 最もハードな登山スタイル?アルパインクライミングとは :「YAMA HACK」
現在のミックスクライミング最前線の動画 :「雪山大好き娘。+」
ベルグラのミックスクライミング|Climbing Image Movie 霧積ダム周辺の沢 YouTube
ラサウの牙 アルパインクライミング ミックス クライミング 登山 【北海道雪山登山ガイド】 YouTube
ドライツーリング(drytooling)とは? :「drytooling.net」
断崖絶壁で一泊!―重さわずか1.5キロのポータレッジ「G7 POD」:「えん乗り」
クリフキャンピングが教えてくれる5つの発見 :「RedBull」
ダーフィット・ラマ :ウィキペディア
一枚の写真から 山野井泰史 :「MAGIC MOUNTAIN」
<日本一のアルパインクライマーが語る(3)> 山野井泰史 「経験したことと、記録されたもの」 :「NumberWeb」
難攻不落の山ベスト9 :「RedBull」
登山家一覧 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『駐在刑事 尾根を渡る風』 談社文庫
『駐在刑事』 講談社文庫
『漏洩 素行調査官』 光文社文庫
『山岳捜査』 小学館
『公安狼』 徳間書店
『ビッグブラザーを撃て!』 光文社文庫
『時の渚』 文春文庫
『白日夢 素行調査官』 光文社文庫
『素行調査官』 光文社文庫
『越境捜査』 上・下 双葉文庫
『サンズイ』 光文社
『失踪都市 所轄魂』 徳間文庫
『所轄魂』 徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』 幻冬舎
『遺産 The Legacy 』 小学館