遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『いつか行ってみたい世界一の絶景を見る』 アフロ 新人物往来社

2013-10-30 10:01:39 | レビュー
 少し前に、『へんななまえの へんないきもの』というタイトルのおもしろい写真・文集をご紹介した。それと同じ著者による同種の本である。しかし、こちらはグローバルな視点から自然景観及び建造物等を抽出したいたってまともな「世界一」紹介本である。最大、最長、最古、最高、世界一など、こんな冠見出しがつくとつい覗いて見たくなるという類の本だ。世界遺産という基準で選ばれている地域と重なる所もあるが、やはり視点の置き方が少し違う。
 ペラペラと写真を眺めていくと、やっぱり「いつか行ってみたい!」という旅行願望の虜になる。これらの写真を見て、そんな感興を持たない人は極少ないだろう。よほど達観している人か、飛行機恐怖症、船恐怖症の人を除いて・・・・。著者が冒頭に記す一文は決して最近はやりの偽証・偽りではない。写真が美しいし、迫力を感じる。勿論、その写真に映像化された範囲について、という限定つきなのだが。なぜなら、その行程や周辺が必ずしも美しいとは限らないし、危険だったり、俗っぽいところもあるかもしれないから。通常の有名な観光地でそういう体験をされたこともあるだろう。私にはある。 
 著者の冒頭の一文をご紹介しておこう。「本書では、世界中から85もの世界一を集めて、写真エージェンシー・アフロが誇る膨大なコレクションの中から、もっとも美しく、もっとも迫力がある写真のみを厳選してご用意いたしました。」
 「紙上世界旅行の旅」、ピンポイント視覚満喫旅行としては十分楽しめる。現実に旅行するとしたら・・・・という具体的な情報の提供はない。行きたいけれども、時間がない、金がない、体力がない、または、特定条件付き・・・・とネガティヴな現実感覚が、ドリームの足を引っ張るからかもしれない。だが「行きたい」願望や目標化から旅は始まるのだろう。

 本書の構成とそのカテゴリーで採り上げられた地域、場所、対象物などの項目数と掲載事例サンプル名称をリストにしておこう。単に趣味的で適当なサンプリングであることをお断りしていく。85の写真がどんな映像を撮っているかは、本書でご確認願いたい。
第1章 世界最大 自然編   25
 イグアスの滝、ウユニ塩原、ブルーラグーン、ホワイトサンズ、トゥルカナ湖、・・・・
第2章 世界最大 建造物編  16
 カッパドキア、コルコヴァードのキリスト、楽山大仏、ケルン大聖堂、The O2、・・・
第3章 世界最長 6
 アンデス山脈、グレート・バリア・リーフ、ドバイ・ファウンテン、・・・・
第4章 世界最古 9
 ナミブ砂漠、カピトリーノ美術館、ウェット・トロピクス、アイアンブリッジ、・・・・
第5章 世界最高  9
 ロライマ、ラパス、上海環球金融中心、ブラバトム仏塔、ミヨー橋、・・・・
第6章 その他の世界一
 死海、バチカン市国、スルツェイ島、ディスコ湾、・・・・・
日本の世界一  この末章というか付録はすべてリスト化しておこう。
 明日、すぐにでも行ける?! 日本が誇る10の世界一
 京都タワー、明石海峡大橋、東京スカイツリー、青函トンネル、沖ノ鳥島、土渕海峡
 新宿駅、蓬莱橋、G1TOWER、牛久大仏
 (日本の世界一も、いつそれを超えるものが世界に出現するかはわからないが・・・)
 なぜ、世界一? わかりますか? その理由は本書の目次を見ていただこう。
 
 私の地元である、京都タワーが世界一の理由が「世界最高の無鉄骨塔」だからだと。
 知らなかった! 見慣れ過ぎるとあたりまえになって思考停止。解説など見ないから。 
本書の写真はご紹介できないので、ネット検索して手軽に見つけた本書掲載の「世界一」をいくつかご紹介しよう。インターネットのヴァーチャル旅行が、本書を手にとってみるトリガーになるなら、幸いだ。入手情報はその地域・場所・対象物などへの導入だけであり、「もっとも美しく、もっとも迫力がある」映像であるかどうかは論外である。写真やビデオを掲載していただいた方の撮影意図や視点は別のところにあるかもしれないから。売り物の写真撮影ではないだろうから、ベストを狙ったわけでもないだろうし・・・・。入手ソースもバラエティに富んでいる。また、上記の適当サンプリングとも一致しない。

第1章
 イグアスの滝 :YouTube
 ウユニ塩湖 :「絶景」(H.I.S)
 フレーザー島 :ウィキペディア
 
第2章
 楽山大仏(中国):「巨大遺跡へ行こう!」
 ボロブドゥール → BOROBUDUR, PRAMBANAN & RATU BOKO HOME PAGE
 W・M・ケック天文台 :ウィキペディア
 The O2 Home Page イギリス

第3章
 万里の長城 :「Wikitravel」
 グレート・バリア・リーフ :「Austraria オーストラリア政府観光局公式サイト」
 ドバイ 世界一高い噴水「ドバイ・ファウンテン」(Dubai Fountain) :YouTube
 
第4章
 イエローストーン国立公園→ Yellowstopne Photo Gallery :「Yellowstone National Park」
 アイアンブリッジ→ アイアンブリッジ峡谷 :ウィキペディア
 カッフェ・フローリアン→ Frorian VENEZIA 1720 Home Page
 
第5章 
 ロライマ→ ベネズエラのロライマ山がラピュタすぎる :「NAVER まとめ」
 ブルジェ・ハリファ :ウィキペディア
 雲海の上に顔を出す、世界で一番高い橋「ミヨー橋」:「Gigazine」
 
第6章
 死海→ 中東のオアシス「死海」が直面する死の危機とは :「Gigazine」
 ムンバイ市:「横浜市」
 ディスコ湾(グリーンランド) :「CNN.co.jp」
 
日本の世界一
 沖ノ鳥島→ 知っていますか?沖ノ鳥島の秘密(前編) :YouTube
 蓬莱橋 :「木の構造物」
 牛久大仏 :ウィキペディア
 


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補遺
ごく最近テレビ番組で見た絶景を付録でご紹介させていただきましょう。(本書には載っていません)
モーリシャス島で見られる景色だそうです。それも高空のある地点から見える景色
すぐにネット検索してみました。
何らかの基準で、世界一になるかもしれないな・・・とおもう絶景です。

海の中に落ちる滝
 OCEAN TRENCH NEAR MARURITIUS WALLPAPER :「KULfoto」
 海のなかに落ちる「巨大な滝」?!信じられない風景に絶賛混乱中 :「DON JAPAN」
  上記のサイトは、この記事からソースを辿ったものです。



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『亀が鳴く国 -日本の風土と詩歌』 中西 進  角川学芸出版

2013-10-26 21:45:46 | レビュー
 「亀が鳴く国」 何これ? そして、風土と詩歌とつづくので、興味を抱いて読んでみた。亀が鳴くなんてこと、ないでしょう・・・・じゃ、なぜ亀が鳴く国なんてタイトルをつけるのだろう。大半の人は素直にそう思うに違いない。だから、惹きつける言葉でもある。
 本書に興味を抱かれた人は、まず最後の数ページ「巻末にそえて」を真っ先に読むことをお勧めする。私は、最後にこの文章を読んで、本書の内容、著者の観点や立場についての要約となり、逆に納得度を深めることの役にたったのだが。
 なぜなら、著者自身が「感謝の心をこめて、中味のあらましを記しておこうと思います」と、実質2ページほどで、本書の構成について語ってくれているからだ。

 私流に言うと、本書は、和歌(短歌)と俳句を採り上げ日本の風土と人間の視点から論じた文学評論と作品事例を基に作者を論じた評論を集約再構成したものである。著者の論点から、様々な見方を吸収できて、おもしろくもあり、読み応えがあった。論調がストレートであり、読みやすい。

 さて、まずは本書タイトルが気になるだろうから、そこから始めよう。著者は「俳句の虚」という一文(p33-36)で「亀が鳴く」ということに触れている。勿論、結論は亀はせいぜいかすかな声を出すだろうが、鳴き声といえるかどうかは疑問であるという解説を引用し、自ら安心するとともに、「鳴かない亀に鳴かせて」おもしろいのだと説いていく。 著者の説明に導かれて、手許の数冊の歳時記をひもとくと、「亀鳴く」が春の季語としてちゃんと載っている。歳時記を辞書の如く、気になったときに必要語句を参考にするくらいなので、私は季語であることすら知らなかった。俳句関連の本を読みはするが、自分で句作をすることまでは踏み込めていないので、真面目に歳時記を通読などしていないから。
 著者は上記の小論で物理的に「鳴く」ことそのものに焦点をあてて書いている。そのため、歳時記をひもとくことで、この言葉の典拠を知ることができた。「『夫木集』にある藤原為家の『川越のをちの田中の夕闇に何ぞときけば亀の鳴くなる』という歌が典拠とされている」という。そして、こう続けている。「馬鹿げたことのようであるが、春の季題としては古く、「亀鳴く」ということを空想するとき、一種浪漫的な興趣を覚えさせられる」と。(『ホトトギス新歳時記』稲畑汀子編・三省堂 p188)
 この後半の説明文が、本書著者の立場に連接していく。「鳴かない亀に鳴かせて、それを実在させた上で、さあ句をよもうというのがおもしろい」と述べ、小論の文末で「俳句には、もっともっと虚があってもよいのではないか。いや、すべて虚だと、身構えることが最高の句界の約束なのかもしれない。」(p35-36)と、一歩踏み込んでいる。
 そして、著者は「ウソという想像力」を重視している。事実の記述という「情報のキー」をうつばかりじゃなくて、「ウソのキーをもっと叩く必要がある」と主張している。情報のキーをうつだけでは、詩歌の喜びはおとずれないからと。

 本書と歳時記を読み、ちょっとネット検索して、結構多くの人が「亀鳴く」で作句していることを知った。本書の第3章で著者が論じている「森澄雄」も、歳時記から作句していることを知った。
   亀鳴くといへるこころをのぞきゐる   という句だ。
手許のどの歳時記にも共通に載っていたのが、高浜虚子の句「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」である。この「村」は本著者のいう「句界」に重なるのかもしれない。

 さて、本書の構成に触れておこう。
冒頭に「日本の風土と文化」という7ページの小論があり、その後で目次が記されている。3章構成になっている。「巻末にそえて」を参考にしながら言うと、
 Ⅰ 詩は心の器        ← 詩歌そのものを論じる。
 Ⅱ 自然は体の揺籃(ゆりかご)← 風土を論じる
 Ⅲ ことばは人間の証明    ← 人間を論じる。人間とは詩歌の作者のこと。
各章は、それぞれ小見出しの付いた小論の集積である。数ページのものから、長くても20数ページまでという感じか。1987年から2009年の期間に書誌に寄稿されたものが編集されて構成されている本である。

 著者の「文化」の捉え方はわかりやすい。今地球を単一におおっているのは現代文明であり、文化ではない。「文化は、風土を離れてはありえない」(p3)。この点で和辻哲郎の主張を援用している。そして、「文化は個々人の心の世界であるところの教養の総体だから、風土に馴致するものでこそあれ、風土を破壊したり克服したりするものではない」(p4)とする。季節の到来は地球での緯度の違いなので文化の見定めにおいて注意を要すると説く。「風土に働きかける国民の意志が重要になる」(p5)とし、島国日本の外来物への受容力と自国化する変容力に着目する。変容させる「『和臭』こそ大事にすべき文化概念である」とする。四季の大きな変化を積極的に評価し、その中で自らの体験を統合して行く意志が日本文化を作り出したのだという。そして、風物の発見を日本文化に展開してきた側面を事例で説明していく。春の桜、中秋の名月、扇と炉で例示説明している。理解しやすい説き方である。

 第Ⅰ章の詩歌そのものの評論から、考え方や見方でなるほどと思う学びが多かった。詳細は本書を読んでいただきたいが、覚書を兼ねて、その論点・見解をいくつか抽出してご紹介しよう。鍵括弧表記は本文の引用であり、ないものは要約したものとご理解いただきたい。
*「われわれのもつ伝統詩は、ほとんどが個別性の解体をしいるものを本質としているように思う。いわく本歌取り。座。季語。」(p21)つまり、既存の言語の表象を取りこむことで、「ひとつの文体が型との黙契によってなり立つ」(p23)のであり、そこにはそれを可能とする単一文化があるとする。和歌や俳句は、それ以前に存在したものを踏まえているという側面を内包するので、それを知らないと真に鑑賞できないところがあると理解した。「他者とにおい合うことをこの上なく求めるのが、伝統詩という機械であった。」(p25)
*「何よりも『場』や型によって規制される肉体の、その表現として伝統詩の文体を捉えることが必要なのではないか。それがじつは日本文化への大きな見通しをもつからである。](p25)
*「日本語が具体的、肉体的な認識を基として成立していることも、大きな特徴のひとつである。」(p27)
 和歌を理解するのに、古代語についてそういう原点を押さえておく必要性を説いていると受け止めた。幸福を意味する「さいわい」(古くは「さきはひ」)を例する。「さき」=花が咲くこと。「はひ」=這うとか延(は)え縄漁法の「はえ」。だから「花が咲きつづけること」が幸福なのだということになる。著者は日本語の視覚的なことを強調している。「いたし」という語についても説明しているが、おもしろい事例説明だ。
*「漢才、洋才は和魂に対するアンチテーゼでえあったが、それが時と処に応じて生じたのではない。つねにあらゆる文学活動において漢才・洋才は和魂とからみ合い、格闘し合い、いずれを主とすることなく他者を活性化しつづけたと思われる。」(p37-38)
*「短歌は『こと』の文学であり、俳句は『もの』の文学だとわたしは思う。短歌は心を叙述するのであり、俳句は物に即して詠むのである。俳句は漢語ばかりでも成り立つが、短歌は序詞の助けを借りなければならない。・・・(俳句は)和歌文脈に対して自立すべき異文脈の根源の話である。」 p38
*「俳句の根幹は和歌の鬼子にあり反逆にあり、もう一つ別の文化文脈の中にある・・・短歌に泥(なず)んでは俳句にならない。」(p40)
 和歌への反逆の成果は正岡子規において出た。芭蕉は未だ連句の延長上にあり、アイデンティティづくりに苦慮している。蕪村は俳諧の背景にある膨大な漢籍の量からみて、反逆の第一であり、俳諧の世界に自適している。と、著者は説く。おもしろい見方だ。
*「世界各地の各国語で俳句を作ることの意義は、日本の俳句と同じように五七五のシラブルの三行詩を作ることにあるのだろうか。違う。・・・シラブルにも字数にも、また行数にもこだわらない超短詩を作ることがいま求められており、その一つが日本の俳句の真似をすることだといいうのが、正しいのである。」(p50)
*「名句とは、たっぷりと心のふるさとへのノスタルジーをもつ句のことだとわたしは主張している。」(p52)
 著者は、「ふるさと」をもちつづける国民詩に目を向ける動きを予測している。それは巨大で空しい現代文明への疑いの所産だと。
*「短歌は、和歌の古巣を見つめ直して、言語の初動性をもう一度大事にすべきではないか。・・・詠むべき感動を大切にすることで、短歌は魅力を取り戻すことができるだろう。」(p56)
*「枕詞とは一種の神話体験だったとさえいえよう。」(p58)
 著者は枕詞に「わたくしも呪言性を強く認めたい」(p58)という。「要するに自由な連想が枕詞自体にも、語と語の関係の中にも働くところに、枕詞という、二語の関係によって初めて成立する言語形態の特質がある、ということである。」(p61)

 第Ⅰ章の末尾には「世界の中の俳句」という小論がある。俳句のもつ短詩型の普遍性を語る一方で、俳句を季節詩として制約する考えや約束事の限界を指摘する。「日本の現代俳句も、すぐれたものは世界的共通性をもつといえる」と論じている。興味深い。

 第Ⅱ章では、日本の詩歌を生み出した風土について論じている。「桜と梅の歴史」「花と人のいのち」「花と心の交響」「万葉びとの四季」の4編が収められている。
 「桜と梅の歴史」は、私には目から鱗であった。日本人の心にとって古来永遠の花は桜だったという点だ。奈良・平安時代以前、花は梅をさすのだと聞いた記憶があった。そんなものかと思い、それ以上深くは考えなかった。著者は、歌集に編纂されて伝わる歌に、梅を詠み込んだものが多い事実を当時の中国文化からの影響であり、それをよしとした知識人に偏するからだという。「まず梅を愛する人はその精神性を忘れるわけにはいかなかった。なにせ中国の文人に愛された梅である。その意味づけをこそ、日本の知識人たちは愛したのであろう」(p92)と。一方、「サクラという花名はもちろん外国渡来のものではなく、日本語として古い花名である。桜は神話にも登場するほどに広く日本人に愛好されている」(p86)「古代の桜は平安時代にまでおよんで山桜であった」。(p89)一方で、当時、「梅は桜と別物として導入された美ではなかった」「彼らには桜と梅の間に今日ほどの差がなかったことと思われる」とも述べている。
 桜と梅の風姿の違いで、小論をしめくくっているのは、なるほどである。

 「花と人のいのち」では、花をよんだ歌や花に関わる文を通覧して、著者はこういう。「古代人は、花を深く愛することによって、今日自然科学的に証明される花の生命を、感覚的に、みごとにとらえていたのである」と。(p101)
 「花と心の交響」では、著者自身が植物のまゆみとなでしこを家の庭で育てた体験をから「万葉集」の歌に遡っていく。そして「万葉びとは植物の生命を貴び、その生命に心を交響させることによって、わが生命を豊かにした」(p105)と推察している。著者自らの体験を絡めていった展開での説明に納得感がある。
 「万葉びとの四季」では、弥生時代から書き始め、万葉集の四季折々の歌を採り上げて、四季の花々を論じている。万葉集の鑑賞法を学べる楽しい一文だ。

 第Ⅲ章は「ことばは人間の証明」。「人間の証明」に「レーゾン・デートル」とルビが振られている。このルビから、ここで採り上げられる俳句・短歌の作者に対する評論に哲学的視点が加わるニュアンスを感じる。著者の視点からみた各作者の代表句を採り上げて、俳句の鑑賞ではなく、俳句を通して、それを作句した必然性、その作者の考えや在り方、作者その人、人間に著者は迫っていく。人物評論と言える。
 ここで著者が採り上げた人々の名前を列挙しておこう。
 種田山頭火、永田耕衣とF・カプラ、石原八束、森澄雄、藤田湘子、大峯あきら、鷹羽狩行、倉橋羊村、父のこと・友のこと、斎藤茂吉と塚本邦雄、孫戸妍、金田弘。
 それぞれの人に対する、代表作を通しての著者の論評は鋭利であるが、その人を見るまなざしに暖かさを感じる。評論対象者の秀でた側面を小文の中で引き出していると思う。ここに採り上げられた人々の著作、作品に一歩踏み込みたくなる気に導くのはさすがである。

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本書に出てきた語句や人名で関心をもつものをネット検索してみた。一覧にしておきたい。

季語刻々:亀鳴くと言うて波長の合ってきし :「毎日jp」
夫木集 → 夫木和歌抄 デジタル大辞泉他の解説 :「コトバンク」
藤原為家 :ウィキペディア
 

国際俳句交流協会 ホームページ
 英語版のホームページ
 世界の「俳句・ハイク」事情 :「HIA]
  中国(三) 俳句事情 
 「俳句・ハイク」名句選 :「HIA」
 
世界俳句協会 ホームページ
 英語版のホームページ
 世界の俳人・Poetry
 
世界俳句連盟のホームページ
 

サクラ :ウィキペディア
ウメ  :ウィキペディア
 

以下は、著者が採り上げた人物の作句・作歌の一部を読めるサイトである。(著者が採り上げている句や歌という意味ではなく・・・・)

漂泊の俳人・種田山頭火
永田耕衣 :「俳句案内」
石原八束 仮幻の詩 :「日本ペンクラブ 電子文藝館」
森澄雄の風景
藤田湘子 てんてん 抄 :「日本ペンクラブ 電子文藝館」
大峯あきら句集『群生海』・鑑賞  :「草深昌子のページ」
大峯あきらの句 :「増殖する俳句歳時記」
鷹羽狩行『十三星』  閑中俳句日記(12):「-俳句空間-豈weekly」
倉橋羊村 有時(うじ) :「日本ペンクラブ 電子文藝館」
斎藤茂吉  赤光 :「短歌案内」
韓日間の愛と平和を祈って…孫戸妍さんの短歌 :「MINDAN 在日本大韓民国民団」
 寄稿 中西 進
塚本邦雄 百首 :「蔦きうい」
塚本邦雄の破調
会津八一     :「短歌案内」
金田弘 (詩人) :ウィキペディア
 


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『世界の教会』 写真・ピーピーエス通信社 パイ インターナショナル

2013-10-21 10:05:33 | レビュー
 本書は2つの意味でコンパクトな本である。
 1つは、本のサイズが15cm×15cmと小さい。
 2つめは、世界各国に所在するキリスト教の教会が国名・教会名称だけを表記した写真の集積としてぎっしり掲載されている。世界各地から160の教会が採り上げられている。ただし、日本の教会は入っていない。
 巻末に、「キリスト教が示す、かたちの生命力」と題する五十嵐太郎氏の4ページの解説文が載るだけである。これもまたコンパクトだが内容は濃い。
 そして、それぞれの写真が多分プロの写真家の目から見て、その教会のベストと判断した景色・風貌を撮っているのだろう。中には教会内部の写真として提示されているものが含まれるが、そのほかは教会が立地する場所の風景全体が撮られている。季節は様々である。その教会を表すのにベストの季節・時刻が選ばれているに違いない。全体として様々な季節感の写真を楽しむことができる。

 この写真集を通覧した感想を箇条書きにしてみたい。
1. なんと固定観念にはまった教会の外観イメージに囚われていたか!
2. 教会って、カラフルな外観もありなんだ!
3. キリスト教もその国、場所の風土と融合して受け入れられていくのだろうな。

 そこで、少し感想の各論を述べてみたい。

 1について
 「キリスト教の教会」という言葉を耳にしたときに自動的に想起するイメージが、如何に固定観念に囚われているものであるかということ。
 私がすぐに思い浮かべてしまうのは、中世ゴシック様式の尖塔が並ぶ教会だ。ミラノのドゥオーモ(イタリア)、ウエストミンスター寺院(イギリス)、パリのノートルダム大聖堂(フランス)など。そして、ロシア正教会のあのネギボウズ形の塔を持つ教会。そう、あのロシアの聖ワシリイ大聖堂。さらに、大きくて荘重なドーム型が目に飛び込んでくる教会。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂およびヴェネチアのサン・マルコ大聖堂である。そして、特異な形として、未だに建築が続いているというサグラダ・ファミリア(スペイン)。あのガウディが構想したという教会。それくらいのパターンにしかすぎない。
 自動的に既成概念の枠組みに囚われてしまう。

 だが実際には、建築の外観は様々なものが世界には存在するということなのだ。所変われば、形が変わる。
 本書に掲載の教会から、私がおもしろいと思い、ネット検索してみて入手できた教会写真を3つ引用してご紹介しよう。ご関心のある向きには、ハイライト文字をクリックしてみてほしい。様々なソースなので、掲載写真以外は筆者に応じてバラエティに富む記事内容になっているけれど。
 Phat Diem Cathedral, Ninh Binh
 Gallarus Oratory ← アイルランドのディングル半島に所在。祈祷堂
 Chapel of the Holy Cross (Sedona, Arizona)
    聖十字架礼拝堂(チャペル・オブ・ホーリークロス)
   
 2について
 世界にあるキリスト教の教会の建物自体が、如何にカラフルな建物として存在しているかということ。
 フランス、ドイツ、イタリアなどで見る石造建築の教会は、荘重で重圧感があるが、一種モノトーンであり、時には陰鬱さに繋がる外観でもある。ロシアのは例外なのだろう・・・という既成概念が吹っ飛んでしまった。

 世界に布教伝道されて各国に根付いていった教会は、その外観の形とともにその色調もその土地土地の人々の感覚に合ったものとして、つまり、その国、場所の風土に適応した形で、形成されていったのだという気づきである。その土地の人々を惹きつける色調が使われているということか。

 同様に、本書掲載の3つをネット検索してみた。
 Church of St. George ギリシャのサントリニ島所在の教会
 Iglesia Curaco de Velez, Isla de Quinchao
 Church of St. Barbara

 3について
 キリスト教そのものが、その内部においてやはり様々にその解釈、信仰が分派して行くとともに、世界各地のそれぞれが布教伝道されていった。そして、その土地土地でさらにその土地の人々に理解され受け入れやすいように、その土地の風土や考え方と融合あるい統合し、変容する側面があるのではなかろうか。一神教といえども、やはり金太郎飴ではありえないのではないか。教会の建物という外観の表象がその一端を表していると、勝手に思ってしまう。仏教がその伝播につれて、様々に変容を加えながら採り入れられて行ったように。

 そんな風土の影響を受けるかもしれないな・・・・と、あくまで写真から感じる教会を3つ引用しよう。
 St. Nicholas' Church, Bratislava チェコ
 Rock-Hewn Churches Lalibela  エチオピア
  Church of Santa Maria Tonantzintla メキシコ

 教会の建物の外観とその風景を見ていると、様々に思いが広がっていく。
 

 最後に、本書巻末の解説文にふれておこう。わずか4ページの小論であるが、キリスト教会建築様式の変遷を本書に掲載の写真事例と絡めて、簡潔に説明している。この4ページを読むだけで、建築様式の変遷とその指向性、思考性の骨格を学べると思う。教会建築史入門編としては、大変便利だと思う。
 教会平面のバシリカ式(長方形プラン)と集中式(円や多角形)のタイプ分類とその目的を加えながら、初期キリスト教時代の様式、ゴシック式様式、ビザンチン様式、ロマネスク建築様式、古典主義様式、バロック様式の変遷を説明し、鉄とコンクリートの出現で、さらにデザインの新たな可能性が追求されてきたことに触れている。

 また「異なる気候や環境において現地の自然素材でつくられる建築は、どうしても地域性を生む。・・・方言として各地の教会は、様式の遺伝子を受け継ぎながら、さまざまな変質を起こし、われわれに形の生命力を感じさせる」と記している。
 小論著者は、プロテスタントの分離と建築の関係を除いて、キリスト教の教義や宗派(?)面のことには言及していない。しかし、この引用した文は、現地の風土、伝統的思考や信仰形態、中核になる教義という遺伝子という言葉に置き換えて読むと、各地での風土を踏まえた信仰の生命力という風に理解しても不自然さを感じないと思う。
 こんなことを考えることそのものが、仏教史的視点を投影していることになるのだろうか。

 形のあるもの、建築物としての形に具象化された教会から、信仰、教義のありかたという形のないものに思いを及ぼすということも興味深い。まずは、教会の既成概念を打ち壊す契機を与えてくれることになった本でもある。

 キリスト教徒であるなしに関わらず、あなたはどのタイプの教会に関心を抱きますか?

ご一読ありがとうございます。

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本書に関連する語句をネット検索してみた。部分的にしている用語や教会についても、再認識できる機会になった。検索結果を一覧にしておきたい。

バシリカ :ウィキペディア
ロマネスク建築 :ウィキペディア
ビザンチン様式 家とインテリアの用語がわかる辞典の解説 :「コトバンク」
ゴシック建築 :ウィキペディア
ルネサンス建築 :ウィキペディア
バロック建築  :ウィキペディア
新古典主義建築 :ウィキペディア

聖ワシリイ大聖堂 :ウィキペディア
St. PAUL's CATHEDRAL ホムページ
 
ギリシャ正教 :ウィキペディア
正教会 :ウィキペディア
カトリック :ウィキペディア
カトリック教会 :ウィキペディア
プロテスタント :ウィキペディア

アントニ・ガウディの作品群 :ウィキペディア
 

序でに、日本にある教会の建築事例を見ておこう。(「まっぷる イチオシ」)本書の内容と関係はないけれど、関心の波紋の広がり・・・。

大浦天主堂  日本最古の木造ゴシック様式教会
カトリック馬込教会 長崎市 白亜のゴシック様式教会
鶴岡カトリック教会天主堂  東北最古のロマネスク様式教会
大江天主堂 天草市 ロマネスク様式、白亜の教会
 長崎県にはロマネスク様式の教会が数多く存在する。一例として。
日本基督教団大阪教会 ヴォーリズ設計、ロマネスク様式の教会
函館ハリストス正教会 ギリシア正教会聖堂
ニコライ堂(日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂教会) ビザンチン様式の聖堂
日本キリスト教団弘前教会  日本最古のプロテスタント教会
カトリック松が峰教会 日本一の大谷石建造物
旧軽井沢礼拝堂 英国国教会の伝統を受け継ぐ教会
頭ヶ島天主堂 長崎県・新上五島  信者の切り出した石による石造り教会
キリシタン洞窟礼拝堂 大分県竹田市 キリシタン弾圧の歴史


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『京都花街 舞妓と芸妓のうちあけ話』 相原恭子  淡交社

2013-10-17 18:48:51 | レビュー
 本書の副題は「芸・美・遊・恋・文学 うちらの奥座敷へようこそ」と長い。しかし、この長さが本書の内容をイメージしやすくしているだろう。また一方で、奥座敷という言葉は、『京都 舞妓と芸妓の奥座敷』(文春新書)を連想させる。新書が出たとき、ちょっとおもしろそう・・・と思いながら、未読なので両書の比較はできない。本書をきっかけに、読んでみようかと思っている。本書を手にしたのは、やはり「うちあけ話」という箇所に興味を抱いたからだ。

 さて、副題のご紹介ついでに本書の構成をまずとりあげよう。
 第1章 芸
 第2章 美・礼儀・作法
 第3章 粋な遊びの世界
 第4章 恋・人生・文学
と、ほぼ副題どおりである。そして、本書は著者による舞妓・芸妓さんたちに対するインタビューのまとめと、元芸妓さん、お茶屋さんの女将さんに対する聞き書きを内容とする。だから「うちあけ話」でもある。

 京都には、多分一番よく知られている祇園を筆頭に、全部で5ヵ所の花街がある。いわゆる五花街だ。祇園には実は祇園甲部、祇園東の2つがある。祇園の南西方向、鴨川東側、京都南座の少し南に位置する宮川町、鴨川を渡った西端の通りに、先斗町(ぽんとちょう)とかなり近い距離に4ヵ所が存在する。そして洛北・北野神社の近くに上七軒がある。祇園甲部と祇園東の違いなんて、知らない、意識しない人が多いかもしれない。八坂神社石段下の西側が祇園というイメージだろうか。
 「全国的に知られている祇園町は、1881年(明治14年)、第三代京都府知事北垣国道により甲部と乙部に分けられ、乙部は昭和24年に東新地と改称し、さらに昭和30年頃から祇園東と呼ばれるようになり現在に至る」(p30)という経緯がある。分かれているのは知っていたが、この経緯は本書で初めて知った次第。比較的、関心を持っていてもこの程度だから、大方の人には祇園は祇園だろう。舞妓さんと都をどりがキーワードくらいかも・・・。

 各花街の芸と美でポピュラーなものとしてちょっと触れれば-勿論、本書で説明が出ている-、京都の東西の通りである四条通の南側、八坂神社の南西側が祇園甲部で4月の「都をどり」つまり、「都をどりは~」「よ~いやさ~」である。四条通の北側、八坂神社の北西側に祇園東があり、秋に「祇園をどり」が開催される。春に、宮川町では「京おどり」、先斗町では「鴨川をどり」、上七軒では「北野をどり」が開催される。序でに、各舞台のことは、次のところにアクセスしていただくとよい。毎年同じ時期だが、今年の開催期間をわかりやすく記しておこう。開催順に並べてみる。
  北野をどり 3月25日~4月7日 
  都をどり  4月1日~30日 
  京おどり  4月6日~21日 
  鴨川をどり 5月1日~24日 
  祇園をどり 11月1日~10日 
これら各花街での舞台とは別に、6月に京都の初夏の風物詩として、「五花街合同公演」というのが、開催されている。 

 多少の縁があって、「都をどり」はここ2年ほど前までは20有余年、お仲間と毎年のように舞台を拝見していた。鴨川をどりの1回を除くと、他の4花街のこれら舞台の拝見体験がないのが残念だ。五花街合同公演も1回だけの鑑賞体験である。

 話が脇道にそれた。本書には、聞き書きとして芸名/実名入りで、それぞれの人の舞妓・芸妓時代の体験談などを含めて、花街事情が載っている。具体的には、祇園甲部2人、上七軒2人、先斗町2人、宮川町1人、祇園東1人と計8人のうちあけ話である。
 それぞれの個人体験の目を通した花街の歴史がたりがおもしろい。戦時中の話もあれば、高度経済成長期の景気のいい話など。舞妓になるために「仕込みさん」として屋方に入り、舞妓として「お店出し」する過程での体験談や、衿替えして芸妓になった後の話、芸を学ぶ過程の厳しさや、舞妓になるための躾のあり方などが縷々うちあけられていて、こういうきらびやかさだけが表に見える舞妓・芸妓さんの生活の側面、つまり背景の話はやはり興味深い。

 女将として現役の人からの聞き書きはあるが、舞妓・芸妓としての第一線を退いた人のうちあけ話は、花街の歴史や舞妓・芸妓さんたちの時代とともに変化してきた意識・行動の側面なども窺える語りである。一方、現役の舞妓・芸妓さんのうちあけ話は、著者のフィルターを通して、その内容だけがうまく章ごとに個人聞き書きと絡めて記述されている。現役の人達の名前は出てこない。だからこそ、率直なうちあけ話ができるのかもしれない。「あとがき」に著者は、「本に書いて、よろしおすか?」と何度も確認したうえで、この本が仕上がっている旨に触れている。
 舞妓・芸妓さんたちの生活面、芸を磨く修行面、客を接待するときの失敗談や成功談、、舞妓・芸妓の社会の人間関係におけるうちあけ話である点で、きっちりとうちあけ話としての一線は画されている。


 聞き書きの中から、きらりと光る語りをご紹介しよう。
*「うちも、芸で知られるような芸妓になろう」と自分に言い聞かせた。 p24
*趣味の会とは違うて、あんたらプロなんや。人さんからお金を出して、舞台を見てくれはります。それに答えよし。   p28
*芸妓ならではのサービスをして、お客さんに満足してもらう遊び方をすることを、忘れてはあかんおどす。  p49
*ぼんやりしていたのでは、美しくなれない。「気をくばれへんと、あかんのどす」。 p56
*叱られ慣れることが大切どす。 p56
*おかあさんに「背中に目を付けて歩きよし」と躾られた。 p64
*人は誰でも裸で生まれてきたということと、健康で暮らせることに感謝する心を忘れてはあかんのどす。若い人たちには、口で諭すのではのうて、自分から先に立って、ええ見本を体で示さないと、覚えてもらえしまへん。  p68
*最初は舞妓になって注目されて嬉しいかもしれへんけども、毎回写真を撮られたり、話しかけられるのは苦痛になるもんや。それでも、そのお人は、舞妓さんに会った記念にと、写真を一生アルバムに貼って置かはるのかもしれへん。たった五秒・十秒の時間どっせ。愛想よくしてあげよし。   p71-72


 本書を読んで、なるほどと参考になったり、おもしろいと感じた事項を箇条書きにしておこう。詳細は本書を手にとって、お楽しみいただきたい。

*都をどりの歴史的変遷と井上流が祇園甲部の唯一の踊りの家元となった経緯がわかったこと。「おどり」でないのは明治5年に「都をどり」と表記したからだそうである。
*五花街、いずれも、芸の修得過程や躾のあり方は似ているものだということ。
*モルガンお雪という名前だけは知ってはいた。しかし、それだけだった。祇園町で世間の注目を集め、その後の波瀾に充ちた人生行路を辿られた事実を知らなかった。本書で初めてその概略を知ったこと。 p77-83
*幾岡屋の店主・酒井さんが経験から語るかつての祇園町の雰囲気が興味深い。p86-97
*テレビの京都特集番組で、お座敷遊びのシーンを何度か見ている。本書に、著者の体験と取材結果のまとめとして、「いろはのいの字」から始まり「都々逸」まで18種のお座敷遊びの概略がきされている。他愛ない遊びだが、けっこうおもしろい。
*幕末の京都花街の歴史を作ったことにつながる奥座敷エピソードが愉しめる
 こんなエピソードが採録されている。知らなかったことばかり。
 ・井上聞多と芸妓”君尾”の鏡。その鏡が後の井上馨の命を救うことになる話
 ・桂小五郎の危機一髪に手助けした”君雄”と”幾松”の話
 ・西郷隆盛が祇園で遊んでも、好んだのは二人の豚姫と呼ばれた仲居だったという話
*近衛文麿と芸妓藤喜久の話を含め、書生の出世払いというおおらかさがあった話
*芸妓磯田多佳と文豪たちとの交流話。白川端にある吉井勇の歌碑や、御池大橋の近く、御池通端にある夏目漱石の句碑などから、「大友」の多佳女に関心を持っていたので、その一端がまた理解できたこと。
*京都の花街の情景が登場する文学作品がけっこうあるということ。
 メモが代わりに列挙しておこう。
 長田幹彦の作品  長田幹彦が「祇園小唄」の作詞者! 作詞者には無関心だった。
  『祇園小唄』所収・「夜櫻」、『祇園夜話』所収・「祇園」「鴨川」「薄雪」
  「舞妓殺し」「野分のあと」「淡雪」「地主櫻」「祇園しぐれ」「祇園小唄」
  「舞扇」
 菊池寛の作品 『藤十郎の恋』
 水上勉の作品 『北野踊り』、『京の川』
 川端康成の作品 『古都』

最後に、本書にも引用されている歌と句をご紹介しておこう。それらの歌碑、句碑がどこにあるか、現地を訪ねてみてほしい。

 吉井勇   かにかくに祇園は恋し寝る時も枕の下を水の流るる
 夏目漱石  春の川を隔てて男女哉
 
 月は朧に東山 かすむ夜毎のかがり火に 夢もいざようふべにざくら
 しのぶ思ひを振袖に 祇園恋ひしやだらりの帯よ 

  祇園小唄も一番は覚えているが、夏、秋、冬の情景が2番から4番に歌い込まれ
  いずれも、祇園恋ひしやだらりの帯よ、の詠嘆的なフレーズで統一されていること
  を再認識した次第。こんなこと、ご存知でしたか?


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本書に関連する語句などを少しネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。

都をどりの歴史 :「都をどり公式ウェブサイト」
先斗町 :「先斗町鴨川をどり」
 先斗町の町並み形成と由来についての説明ページ
上七軒の歴史 :「上七軒歌舞会」
祇園東 :「京都風光」
宮川町 町並み形成の沿革、歴史 
 
祇園甲部歌舞練場 :「都をどり公式ウェブサイト」
先斗町歌舞練場 :「先斗町鴨川をどり」
上七軒歌舞練場 :「オカムラ」
宮川町歌舞練場 :「JRおでかけネット」
祇園会館 :ウィキペディア
 
おおきに財団Website   京都伝統伎芸振興財団
  五花街紹介
お茶屋って何どす? :「祇園・畑中」
祇園と舞妓はん :「家傳京飴 祇園小石」
宮川町 芸妓さん、舞妓さんのページ 
 生きている「廓」を見つめて
 小糸の部屋
京の花街ネットワーカー後援会(新版)
 
京都の花街で「舞子さんとお茶屋遊び」は大好評でした! :「Ryoma21」
あなたも楽々、舞妓さんといい関係! 祇園・お茶屋遊びのABC:「産経ニュース」
 

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『新・帝国主義の時代 左巻 情勢分析編』 佐藤 優  中央公論新社

2013-10-12 23:31:40 | レビュー
 8月5日に、最初に読んだ『新・帝国主義の時代 右巻 日本の針路篇』の読後印象をまとめた。今回読んだ本書・左巻と合わせて、『中央公論』(2009年3月号~2013年4月号)に全48回にわたって連載された「新・帝国主義の時代」を編集したものである。本書には「序章 新・帝国主義の時代」が追加されている。
 
 前回も最初に両巻の目次を紹介しているので、今回も併せてご紹介しておこう。
 右巻目次
  序 章 大震災後の日本の針路
  第1章 震災後の日本
  第2章 日米同盟再論
  第3章 新・帝国主義時代の北方領土問題
  第4章 帝国主義化する中国にどう対峙するか
 左巻目次
  序 章 新・帝国主義の時代
  第1章 新しい帝国主義の潮流 - 「品格ある帝国主義」とは何か
  第2章 恐慌と帝国主義
  第3章 新・帝国主義への反発
  第4章 国家の生存本能と官僚の本質

 そこで本書・左巻の読後印象である。
 序章冒頭に筆者はこう書いている。「国際政治は生き物だ。時代に応じて変化していく。国家も民族も、時代の変化に対応して生き残っていかなくてはならない。」と。本書の元となった連載論文は、2009年3月から2013年4月であり、民主党政権下における政府及び外務省の外交の実態を観察している。そのプロセスで発生した事象に対して筆者の国際外交観と入手情報を基にインテリジェンススキルを駆使し、分析論評したものである。民主党政権から自民党政権に代わった現在、「情勢分析編」としての分析がどこまで現政権下で影響していくのか、それこそが重要になってくる。ざっくりみれば、自民党 → 民主党 → 自民党 という政権主体の時代変化が本書の外交情勢分析の結果として今後どう影響するのかという点である。その点は、本書からは読み取れない。わが国にとっては、一層複雑な要因が累積されたことになるのだろう。外交が政権により、過去を完全にリセットできるものでなく、その都度の外交の結果事実の積み上げの先に、新たな絵を描いていくものだろうから。

 それはさておき、少なくとも現状までの情勢認識を深める上では、過去の外交プロセスの要約と跡づけ整理として有益だった。マスメディアのニュース報道をその都度視聴しているだけでは見えない筋が見えてくる。

 著者の時代認識と国際政治・外交観のベースが本書・左巻で語られている。右巻はその実務対応編といえるかもしれない。
 著者の時代認識と立場が本書で明確に吐露されている。私はその主要点を次のように理解した。本書の読み応えは、この立場・結論を導き出す論法と歴史的背景の論述を読んでいくところにあるように思う。私の読み方に誤解があるかどうかも、本書でご確認いただくとありがたい。
 著者の認識・立場を列挙してみる。
*国家は本質において性悪であり、21世紀は植民地支配という方法は取らず、全面戦争になることは避けながら、強引に自国の権益拡大をはかろうとするものだ。自国の権益拡張の機会を虎視眈々と狙っている。 p6-7
*帝国主義の本質部分に変化はない。植民地の獲得に固執しない故に、新・帝国主義として識別する。現代は新・帝国主義の時代である。  p56
*日本が「食う」か「食われるか」の世界にあって、「食われる」側にならないことを絶対に担保すべきである。それが政治であり、外交である。周辺国に過剰な警戒感を抱かせないためにも、自覚的に新・帝国主義時代に適合する転換が必要である。 p56-57
*日本は、品格のある新・帝国主義国家を目指すべきである。著者が言う「品格ある」とは、「日本が外部を食って生き残る場合にも、外部に与える傷みを極少化し、共存共栄を図れる」レベルを堅持するという意味合いであるようだ。それが具体的にどういうことかについては、著者は論じていない。 p16、p56-57
*朝鮮半島有事などのときには、『非核三原則』の核兵器を『持たず、作らず、持ち込ませず』の最後の『持ち込ませず』を外す『非核二原則』への移行を考えるべきである。p412

 本書の外交の実態を通じての情勢分析で、なるほどと思う解説は、外交が言葉を如何に武器として慎重かつ戦略的に取り扱っているかという点である。そして外交プロセスにおいて、交渉が具体的に始まるかなり以前から、様々な媒体を駆使し、自国の外交を有利に導くためのシグナルのさりげない発信を行い、相手国の反応を見ているという点だ。そのあたりを読み解くのがインテリジェンスだという。
 本書のおもしろいのは、民主党政権下での政府と外務省が行ってきた外交の実例から、問題事象をインテリジェンス視点から読み解いていることだ。外務省の官僚発言の真の意味の読み解き、政治家の発言の読み解きもおもしろい。

 各章毎に、きらりと光ると私の感じる論評記述をいくつかピックアップしてメモ代わりにまとめておきたい。カギ括弧での表記は原文引用であり、ないものは要約である。

 第1章 新しい帝国主義の潮流
*オバマ大統領とイタリアのムッソリーニとの間には思考・行動に類似性がある。p30-34
*「このような品格のある帝国主義国家に日本がなることを追求したのが河上肇であると筆者は理解している。」 p50

 第2章 恐慌と帝国主義
*「この教科書(=高校の日本史Aの意味:付記)一冊でビジネスパーソンの必要とする日本現代史の知識を十分に習得することができる。」 p62
*「主要国は、恐慌が起きると、帝国主義的な対外進出によって問題解決を図る。」p78
*新・帝国主義の内在的論理を理解するには、ドイツ国民主義経済学の創設者フリードリッヒの思想をおさえておく必要がある。国土と時代に適応した、いわば「風土の経済学」の提唱である。  p91-96
*「何の迫力も魅力もない菅演説の中から、現在、日本外交に携わる人々がもっている外交哲学が明確になっている。」 99
*「政治主導という体裁で行われた菅外交演説の内容から透けて見えるのは、政治主導の欠如という逆説なのである。」 p103
*「2002年に外務省で鈴木宗男衆議院議員に近いと目された外務官僚が対露外交から排除された後、ロシア・スクールから地政学論は大幅に後退した。」 p106
 
 第3章 新・帝国主義への反発
*「北朝鮮の歴史認識について、実証史学の観点から批判的に検証しても、インテリジェンス分析においてはまったく意味がない。宗教学や神学においては、神話を近代科学の視座から批判することではなく、古代や中世の世界像の下で当時の人々が神話的表象で何を考えていたかについて解釈することが重要になる。  p166
*「『二元外交』を絶対悪のごとくとらえるのは誤りだ。それは、外務官僚が縄張り意識から、他省庁や政治家が外務省の統制に服さない外交を行うことを嫌い、『二元外交』批判を展開することが多いからだ。政治主導で、外務官僚の限界を乗り越える外交が必要とされる場合がある。」  p194-195
*「鳩山氏のイラン訪問は、野田佳彦総理の意思に反して行われた、『悪い二元外交』の典型的事例だ。」  p195
*「インテリジェンスは当該国家の知的基礎体力を反映する。」 p262

 第4章 国家の生存本能と官僚の本質
*「官僚は、社会の他の人々異なる一つの階級を構成しているというのが、筆者の実感だ。」  p307 (著者が官僚の内在的論理を解説している。この内容がおもしろい。)
*「官僚の内在的論理では、省益を増進することは常に国益の増進につながるという連立方程式がある。」  p335
*「恣意的に内側と外側という線を引き、内側を束ねていくことで、政治を運営しようとするのはファシズムの特徴だ。それが無意識のうちに進んでいることが恐い。生き残りを目的とする政治は、どのようなことでも正当化してしまう。この危険が政治家にも有識者にも見えていない。」 p395-396

 最後の第4章には、大変興味深い問題に触れられている。一つは、日米間の密約に関する村田氏、東郷氏の証言についてである。かなり突っ込んだ説明になっている。アメリカ側は既に密約に関連した情報公開を公式にしているのに、日本が相も変わらずの論法に終始している実態は、ばかげているとしか思えない。当事者だけの内在的論理をさらけ出しているだけということか。著者は、日露間においては密約に関する文書が存在しているということを自らの体験として述べている。現在の外務省は、こちらの関連文書をどうしているのだろうか。著者の妄言として、その存在を否定するのか、既に廃棄処分しているのか。興味深いところだ。もう一つは、小沢氏への”階段”にならなかった石川知祐衆議院議員の起訴顛末についての著者の関わりと見方である。こちらも、検察の立場・実態を考える上で、興味深い説明になっている。

 本書・左巻の最後を鈴木宗男氏自身のブログ記事内容の紹介で締めくくっている点が興味深い。国際外交における「仕掛け」の事例として、盟友鈴木宗男の言動を採り上げている。


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本書の右巻で関連語句をネット検索している。そちらで採り上げたものもご参照いただくと、全体の周辺情報が広がると思う。ここでは重複を避けるために掲載はしない。新たに関心を持つものについて、関連情報として調べてみた。リストにしておきたい。

日米核持ち込み問題 :ウィキペディア
日米間の密約 朝日新聞掲載「キーワード」の解説 :「コトバンク」

いわゆる「密約」問題の調査について :「外務省」
  東郷和彦氏が提出した文書について 平成22年3月19日
  いわゆる「密約」問題に関する外務省調査報告書 (概要)
  外交文書の欠落問題に関する調査委員会調査報告書 平成22年6月4日
  
第三編 日米間の「密約」
日米間の密約について 2010年6月27日 リブ・イン・ピース@カフェ
日米密約再訪Ⅰ 原子力時代の死角 核と日本人 :「47news」
日米密約再訪Ⅱ 原子力時代の死角 核と日本人 :「47news」
 
ベニート・ムッソリーニ :ウィキペディア
河上肇 :ウィキペディア
東郷和彦  :ウィキペディア
谷内正太郎 :ウィキペディア
村田良平  :ウィキペディア
村田良平元外務次官の回顧録 :「天木直人のブログ」
鈴木宗男 :ウィキペディア
石川知裕 :ウィキペディア

不起訴不当 :「ともひろ日記 石川ともひろウェブサイト」
議員辞職した石川知裕氏 「長い間お世話になりました」の名刺に涙
   :「いまにしのりゆき 商売繁盛で笹もってこい!」

地政学  :ウィキペディア
地政学とは何か-地政学再考-   戦史部第1戦史研究室長 庄司潤一郎氏
【奥山真司】リーダーに必要な地政学の見識[桜H24/1/13]  :YouTube

鳩山イラン訪問の大失態 :「中央公論」
  佐藤優の新・帝国主義の時代 ~「中央公論」2012年6月号掲載
鳩山元首相のイラン訪問外交音痴が招いたツケ  金子熊夫氏 :「WEDGE Infinity」
イラン・イスラム共和国訪問にあたって 鳩山由紀夫 2012年04月07日 :「BLOGS」
 

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 『新・帝国主義の時代 右巻 日本の針路篇』
 

『へんななまえの へんないきもの』 アフロ 中経出版

2013-10-09 12:49:31 | レビュー
 B5サイズくらいの小型の写真集である。
 われわれが普段ほとんど直接目にすることがない、あるいはテレビなどの映像、特集番組などですら滅多に見ることもないような「いきもの」が集合している。
 「へんななまえ」「へんないきもの」というのは、それを初めてみた人間さまの感覚にすぎない。それぞれの「いきもの」はそれぞれの生息環境に適応した進化の姿なのだろう。人間の勝手な驚き、あるいは好奇心から、「へんな」と感じた視点から「へんななまえ」をつけたにすぎない。

 だが、である。やはり、この本をひろげると、「へんな」感じというか、えっ!と思うような「いきもの」の姿形におどろきや好奇心を喚起されてしまう。たぶん他の人もそうだろうと思う。たぶん間違いない。
 初めて接する未経験のものとの遭遇とは、そういうものなのかもしれない。やはり、自分の見聞、体験、その時点で持っている知識情報を基準に判断するのだから。
自分にとっての「未知のいきもの」との「遭遇」体験をこの写真集から味わってみるのが、ひとときの楽しみとなる。

 写真に付されているコメントは「へんな」感じを抱くの最小限のものに絞られている。そういう意味で、もしその「へんないきもの」に関心を抱いたら、ご自分で一歩踏み込んで調べて見たら・・・というようなスタンスなのだろうと思う。ある意味で「へんな説明文」「中途半端に敢えてとどめた説明文」と言えるかもしれない。そのあたりも、私が感じる「へんな」ところ。

 それでは、どんないきものが集合しているのか?
 著者の本書構成もまたへんなものかもしれない。章立てとそこに掲載されたいきものの数、そして、その章の冒頭の「へんないきもの」3種の「へんななまえ」をご紹介しておこう。
 すごそうないこもの  16種
   ウルトラマンボヤ、オニダルマオコゼ、アバチャン
 おいしいいきもの   16種
   クロデメニギス、カニハゼ、カワテブクロ
 なんかいいかんじないきもの 15種
   ミナミハコフグ、コンペイトウウミウシ、オニオオハシ
 とほほないきもの   12種
   バットフィッシュ、オジサン、デカイヘビ

 こんなおもしろいネーミングが勝手になされているいきものたちの大集合だ。中には単なる俗称、ニックネームのものがあるのでご用心。

 さて、このリストを見て、どれだけ目に浮かぶだろうか。ほとんど知っている人は、たぶん「へんなひと」だろう。普通人からみれば・・・。

 私が今興味を持っているのは、この本に掲載の「いきもの」たちを、ネット検索でリサーチしてみること。まず簡単に情報入手できるか、どんあ風にネット情報として現れているか、本書に載っていない写真としてどんな採りあげかたをされているか・・・・などなど。 本書を楽しんだ後は、本書は知的好奇心の探求へのインデックスである。
 そんな使い方で、一歩「へんな」部分から、事実認識を深めるとともに、どんな風に「へんな」受け止め方をされていいそうかを確認してみたいと思う次第である。

 上記の各章冒頭3種のいきものにとらわれずに、私個人がまず興味を抱いた「いきもの」の姿形から、ネット検索でどんな情報を得られるか、小手調べをしてみた。
 以下、その例示である。調べていけば切りがないだろう。時折楽しみながらネット検索、リサーチする楽しみができた本である。

 さて、私の主観的好奇心からまず小手調べでヒットした情報源にアクセスしてみて、その「へんななまえ」の「へんないきもの」の一端を感じてもらうとよい。おもしろそうなら、つづきは本書で波紋を広げていただこう。
 写真集としては、ずばりの映像1枚でそれぞれのいきものの姿をとらえているので、やはり、この1枚は見逃さない方が良いだろう。

 以下掲載の好奇心・関心をもった「いきもの」の名前をクリックしていただくと、ネットに公開された様々な情報源からの主観的な抽出事例にアクセスしていただける。そして、掲載者の意図や楽しみを味わっていただけるだろう。

  インターネットウミウシ
  
  ウルトラマンボヤ  
   
  リーフィーシードラゴン
   
  フィリピンメガネザル
  
  ワウワウテナガザル
  
  エッチガニ
  
  ナメダンゴ
  
  ニセゴイシウツボ
  
  シンデレラウミウシ
  
  ツチブタ
  
  ウンコタレ
  
  

 まあ、小手調べはこんなところで、一旦終わりにしよう。
 調べ始めると、はまりそうだから。まずは印象論の掲載を。



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『輝天炎上』 海堂 尊  角川書店

2013-10-05 22:35:08 | レビュー
 富士山にはいくつもの登山ルートがある。どの道をとるかによって、富士の見え方が異なるだろう。コインには裏と表の両面がある。どの角度からコインを見るかによって、その片面しか見えない、あるいは両面のそれぞれ一部が見える形になる。この作品はまさにそんな意図で本書テーマが描き出されたものだ。
 「八の月、東城大とケルベロスの塔を破壊する」という東城大医学部に送られてきた脅迫状。そう、あの『ケルベロスの肖像』のテーマである。桜宮市南端、桜宮岬の近くにあった碧翠院桜宮病院が焼失した後に、東城大学医学部のAiセンターが建設される。桜宮一族の怨念の地に建てられた建物の破壊攻防戦物語と怨念のあぶり出し。本作品はAiセンター、東城大学破壊という目的・頂上を目指す別側面からのストーリー展開なのだ。

 『ケルベロスの肖像』は東城大学医学部付属病院の高階病院長、Aiセンター所長に任命されたあの愚痴外来の田口先生の側面から主に光を当てながら描かれて行った作品である。東城大、ケルベロスの塔破壊宣告を防御する立場からの謎解きストーリー展開だった。いわば、コインの表の面から裏面に迫っていく。
 それに対して、こちらはコインの裏面から迫る。つまり、破壊脅迫文を送った側、東城大、ケルベロスの塔という言葉で象徴されるAiセンターを叩きつぶそうとする側からのストーリー展開である。
 結果的に、この2作品はお互いが相互補完の関係にあり、碧翠院桜宮病院という医療の陰に押し込まれる局面、死を司る医療の地の怨念を一層明らかにしていく形で、テーマを織り上げていく。本来、大長編のケルベロスの塔破壊攻防戦物語に綴ることができたかもしれない作品である。しかし、それをコインの表と裏という形に二分することによるおもしろい試みによって、結果的に読者に両作品のリンクを考えさせる愉しみを与えている。また、二分することから、どちらか一方には光が当たらず、陰に隠れ見えない部分が、他方で陰から光の当たった見える部分に転換して、ストーリーを巧みに展開していくという梃子となっていく要素、側面が生み出されている。意外性という楽しさがうまく織り込まれていく。ああ、そうか・・・・そんな人間関係、そんな経緯が秘められていたのか、と。そして、ある局面ではまた別の作品のある局面にリンクしているのである。
 まさに、海堂ワールドの一つの結び目として、相互関連のつながりが暗示されている。
 さて、本作品はケルベロスの塔、つまりAiセンターを破壊する意図を抱く側からのストーリー展開であるので、愚痴外来、田口先生が中盤から登場するが主人公ではない。本作品は、桜宮一族の怨霊を体した人々、あるいはそれに関わらざるを得なかったあの『螺鈿迷宮』での主人公の一人、天馬大吉がまずはメインとして登場する。そして、破壊実行を目指す人物にバトンタッチされ、大吉はそれを阻止する側として関わりを深めていくことになる。本書のテーマに関しての読ませどころは、やはりAiセンター破壊工作がどのように進行するかと、ケルベロスの塔が輝天炎上し始めてからの塔内でのプロセスが克明に描かれていくその展開にあるだろう。

 ただの破壊工作物語だけにしないところが著者の巧みなところである。
 本作品は4部構成になっている。いわば起承転結構成である。
 「第1部 僕たちの失敗」は公衆衛生の実習研究レポート作成というストーリーである。研究活動をZ班の一員として行うことになる天馬大吉が、班リーダーとして登場する同年次医学生となっている冷泉深雪(れいせんみゆき)と結果的にペアとなって行動する。研究テーマは『日本の死因究明制度の桜宮市における実態調査』である。天馬大吉が『螺鈿迷宮』で潜入取材目的で、ボランティア医学生として入り込み、結果的には入院体験ともなるあの碧翠院桜宮病院の存在意義に関係するテーマであり、それはAiにダイレクトに関係していくテーマでもある。ここでも、著者の本職としてのフィールドに対する様々な社会的認識の存在を多面的に語り出させている。死因究明における解剖とAiの関係性がサブテーマとして描き込まれていき、桜宮一族の怨念に繋がる「起」の働きになっている。この第1部で楽しいのは、学年一で美人の優等生冷泉深雪と大吉の微妙な関係が軽妙な語り口で描き込まれている点だ。
 興味深いのは、この第1部が単行本397ページのうちで、207ページのボリュームで描かれていることになる。作品全体では「起」でありながら、これ自体が小説の形式で描かれた日本の死因究明制度の実態説明篇というテーマととらえてよいと感じるところにある。
 天馬大吉が田口先生にアプローチされ、Ai創設会議のオブザーバーとしての参加要請を引き受けざるをえなくなるところでこの「起」は終わる。その必然性が長々と描き込まれるのだともいえる。

 「第2部 女帝の進軍」はまさに視点を切り替え、ストーリーを実際に発動させるための「承」になっている。医療ジャーナリスト西園寺さやかの登場である。もちろん、西園寺というのは、仮の姿。それは誰かは、手品の種あかしに通じるのでやめておく。舞台が極北市監察医務院から始まるのだから、おもしろい。極北市の闇を司る南雲忠義が西園寺さやかとどういう関係にあるかが明瞭になってくる。一方で、あのマリアクリニック、三枝茉莉亞とのつながりも明らかになる。海堂ワールドにおける人間関係の網の目が一層濃密に理解できていく。まあ、これは他作品へのリンクになるのだが。

 「第3部 透明な声」でまさに話は意外な方向に「転」ずることになる。『ケルベロスの肖像』では、まったく陰に隠れてしまう局面だったと思う。たしかその片鱗さえも登場していた記憶がない(単に精読しきれていないのかも・・・・)。ここで、再び舞台は極北市で、鶴岡美鈴という名前の住民票と保険証を手渡された人物が登場する。手渡した人は鶴岡さんとは、あの極北市民病院に長年勤めた師長の鶴岡さんだ。「生まれてすぐ亡くなったひとり娘でね。しのびなくて、手を尽くして生きていることにしてもらったけれど、私もそろそろお迎えが来るから、あんたにすべて託すのさ」と、住民票、保険証、餞別代わりの赤い携帯電話を手渡されるのだ。そして、社会的実存となった人物が、桜宮市に戻っていく。なぜ、極北市に・・・・。それにはもちろん理由がある。このストーリー展開では重要な要素になっている部分。本書でご確認願おう。

 「第4部 真夏の運命」は、まさに「輝天炎上」へのカウントダウンの始まりであり、炎上での終わりとなる。「結」である。『ケルベロスの肖像』の後半のシーンを点描的に描き込みながら、この作品では陰になった破壊工作の準備のプロセスが明らかにされていく。ケルベロスの塔の炎上に至る最終ラウンドの状況が、両作品を重ねることで一層立体的にリアルなものに化していく。読み応えのある部分であり、炎上に至るプロセスでの意外性がなんといってもおもしろいところである。

 一つのストーリーを、光と影(陰)に切り分けて、独立した作品している。そして、読者の想念の中で一つのストーリーに織り上げなおさせ、統合融合させていくという手法の導入が実におもしろい。一作品としてしまえば、意外性というインパクトが減じざるを得ない形となる、もしくはストーリー展開として描けない局面がある。一方の作品では陰に潜めて光を与えない、表にさらさないことによって、他方の作品で光にさらして、あっという驚きとなるほどと思わせるおもしろい手法が導入されている。そのことによって、読者自身が読みながら、ヴァーチャルに織り上げる一作品の中で奥行きと広がりになっているようだ。
 著者による新機軸の作品でもある。独立作品での楽しみが、二作品を読書の時差により合体させるプロセスを通して相乗効果が生み出されるというたのしみ。著者にとっては、2つの作品が売れるという余録にもなる。たまにこんな作品が組み込まれるのもおもしろい。


 ご一読ありがとうございます。

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今までに、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『螺鈿迷宮』 角川書店

『ケルベロスの肖像』   宝島社

『玉村警部補の災難』   宝島社

『ナニワ・モンスター』 新潮社 

『モルフェウスの領域』 角川書店

『極北ラプソディ』  朝日新聞出版

『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債 下』 幸田真音  角川書店

2013-10-01 09:39:15 | レビュー
 本書の上巻は日銀総裁川田小一郎に声をかけられ、日本銀行本館建設のために「建築事務主任」として採用され、その手腕を認められて、九州全域を管轄するために馬関の「西部支店」初代支店長として赴任するところで終わった。この下巻は、銀行業務を通じて、実業の世界に深く関わっていく後半生が描き出される。

 時代は封建制度から離脱した日本という近代国家の創世・勃興期を背景とする。明治・大正・昭和初期という時代、世界史視点では、帝国主義の時代といえる。富国強兵を国是として掲げ、西欧列強諸国に対し、よちよち歩きを始めた日本がどう立ち向かっていったかというプロセスである。
 著者は、この時代を、国家財政の実情や銀行・金融の実態に立ち向かい、世界の潮流を見据えて、難局打開のために時代の要請に対処して行った高橋是清の後半人生という形で描いていく。彼の思念と行動、その働きが当時の金融財務と渾然一体化していく。高橋是清の活躍がなければ、当時の国家財政、金融が危機一髪だったということがよく分かる。

 明治後半からの時代は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、世界大恐慌、第二次世界大戦へと激動していく。戦争は軍事戦略や戦術、戦闘シーンの展開描写という側面でとりあげられることが多い。戦争の是非論は抜きにして、戦争は人と物資の投入戦であり、そのためには戦費という金が裏打ちされていないとできるものではない。高橋是清の後半生は、新興日本という極東の小国が、その国家財政の仕組みを確立し、維持運営していくために何をしたかを語ることになっている。
 下巻で描かれた高橋是清の人生を一言でいえば、「苦しいときの是清頼み」だと言える。日本の国家、金融財政が苦境に直面するとき、国難のときに高橋是清が引っ張り出される。それに彼がどう対処・行動したか。日本の国家財政、金融史を高橋是清の思念・行動を通して学べたという感じだ。学生時代に高橋是清の自伝あるいは本書を読んでいたとしたら、学問分野としての金融財務史にもっと親しめたかもしれないと思う。

 著者は記す。「是清は、机上で理論を練り上げる学者肌の人間ではない。あくまでも現場の生の声を聞き、その裏にある本質的な問題を炙り出す。そのうえで難局を打開していくためになにが必要かを見出したら、迷うことなく実行する。素早く、そして柔軟な思考回路を持った人間なのである。」(p187-188)と。また、こうも記す。「あれだけの危機対応をやってのけながら、『利己』の片鱗すら持たぬのだから。この人の言うことなら、聞くしかない。そう思わせる『風圧』が是清にはあった。」(p272)
 是清の自説は「国にとっても、経済や金融にとっても、欠くべからざるは、信頼(コンフィデンス)である」だったという。(p272)

 本書を読んで初めて知った事実は数多い。高橋是清の後半人生として知ったことをいくつか上げてみる。
 どんな立場で行動したのか。
・41歳目前で、横浜正金銀行本店支配人となる。日本銀行の西部支店から東京に戻った後の転出である。明治29年3月の株主総会で取締役となる。その翌年、副頭取に就任。
・高橋是清は日本銀行の総裁(第7代)となった。それは明治44年 6月 1日から大正 2年 2月20日。桂太郎が総理大臣兼大蔵大臣だった時期だ。総裁としては1年9ヵ月だが、その前に、明治32年3月以来、横浜正金銀行から戻り、12年3ヵ月の期間、副総裁として活動している。
・山本権兵衛(第16代内閣総理大臣)の内閣組閣において懇請され大蔵大臣になったのを皮切りに、国難の時期には呼び出される。岡田啓介内閣のときに、是清が代わりに大蔵大臣に推挙した藤井真信が任期途中で病没したために、請われて大蔵大臣になる。これが生涯7度目の蔵相引き受けであり、2.26事件で凶弾に倒れるのだ。
・大正7年9月、日本初の本格政党内閣として、立憲政友会総裁の原敬が第19代内閣総理大臣となる。このとき、高橋是清は大蔵大臣を引き受ける。その原敬が東京駅で刺殺された後、総理大臣と総裁を引き受けざるを得なくなっている。

 後半の人生で具体的に実行したことをこの下巻の描写展開の中から、いくつかトピック的に抽出してみよう。
 第6章 列強の男たち
 ・明治32年倫敦市場で1000万ポンドの4分利付英貨公債発行
   これに対する、極秘の事前調査を第3次伊藤内閣の井上馨蔵相の依頼で実施。
 ・明治37年(1904)5月 1000万ポンドの第1回6分利付公債発行
   日露戦争における戦費調達のためが主目的。ロシアも欧州で公債発行している。

 第7章 人として
 ・明治37年11月 第2回倫敦と紐育で合計1200万ポンドの6分利付公債発行
 ・明治38年3月 第3回の公債発行。総額3000万ポンド。表面利率4.5分。
   今後1年の軍費調達が目的。償還期限をそれまでの7年から20年という好条件に。
 ・明治38年7月 第4回英米独で各1000万ポンド引き受けの公債発行。第3回と同条件。
   この年8月、アメリカのポーツマスで日露講和会議、9月日露講和条約調印である。 ・明治38年11月~39年 第5回4分利付公債、総額5000万ポンドの発行。整理公債。
 この二章で、高橋是清の培ってきた欧米での人脈を軸にした外債発行の背景が、当時の日本の財政・富国、軍備・強兵にどのように関係していたかがよくわかり、読み応えがある。ある意味で、まさに日本が綱渡りをしていた状況であることがわかる。一方において、欧米の冷徹な視点や判断が窺えて興味深い。ユダヤ資本の底力を感じさせる。
 
 第8章 国難のとき
 第1次世界大戦の戦争特需は、結果的に日本経済の活況に貢献したが、戦後はその反動で不況になり、さらに世界大恐慌に連なっていく。この経済的国難の中で、高橋是清は大蔵大臣、総理大臣、再び大蔵大臣を引き受けざるを得ない立場に置かれていく。高橋は国家財政の歳入を無視した軍部の国防計画に対峙していく。時代状況がよくわかる。
 高橋是清は、大正時代後半に、緻密な金融理論を次々に発表していったという。学生時代に、経済学をかじりながら、このあたりのことは無知無関心できたことに愕然とする次第だ。
 大正10年11月、原敬亡き後、高橋是清は第20代内閣総理大臣となるが、厳しい財政緊縮政策を執ったことが引き金となり、7ヵ月足らずの短命内閣となる。

 第9章 それども言はむ
 この章は大正12年9月1日の関東大震災の記述から始まっている。再び、日本経済復興という苦境の到来である。大正14年には普通選挙法(有権者は25歳以上の男子に限る)が成立する。震災による未曾有の被害は「震災手形」を生み、鈴木商店の倒産、台湾銀行の存亡の危機に及ぶ。国難は高橋を呼ぶ。再び大蔵大臣を引き受けることになる。
 その経済環境が、昭和7年(1932)、のちに「高橋財政」と呼ばれる「赤字国債」発行に展開していく。アメリカでルーズベルト大統領がニューディール政策を掲げて登場するのは昭和8年である。ニューディール政策の理論的裏付けはケインズの提唱した経済理論だ。いわゆるケインズ経済学。この理論を多少とも学んだのだが、当時、私には高橋是清とのリンクが全くできなかった。高橋是清がケインズの考えを一歩先んじて実際に政策として動き出していたということは、驚きでもある。
 クレオパトラの鼻の喩えではないが、もし高橋是清という人物がいなければ、日本の明治維新後の日本はどうなっていただろうか・・・・・。
 まさに、歴史は人が作り出していく。波瀾万丈の人生を送った人物の存在に改めて、歴史のダイナミズム、また、人のつながり、関係性に思いを馳せている。


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本作品の下巻の時代背景関連のネット検索をしてみた。覚書を兼ね一覧にしておきたい。
日清戦争 :ウィキペディア
蛮勇演説 :ウィキペディア
日清講和条約 ← 下関条約 :ウィキペディア
日清媾和條約 データベース『世界と日本』:「東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室」


二百円紙幣 :ウィキペディア
 二百円紙幣の写真(裏白200円):「YAHOO!知恵袋」
  日本銀行兌換券の項の最初に写真が載っています。
  これが1927(昭和2)年の金融恐慌時に緊急発行されたものだとか。 
  「印刷が間に合わなかったため片面刷りで発行された紙幣」
    :「知らなくても生きていける雑学がならぶブログ」
 二百円紙幣の写真(幻の200円札:実際の流通はなし。大正12年9月):「かんぽう」
 二百円紙幣の写真(藤原鎌足二百円札) 1945(昭和20)年 :「野崎コイン」
 
日本銀行 歴代総裁一覧 :「日本銀行」
  第7代総裁:高橋是清のページ
 
2.26事件 :ウィキペディア
中橋基明 :ウィキペディア
 本書に2.26事件は「兵士」という表記があるだけである。ウィキペディアで知ったので事実理解の一環として載せておきたい。
陸軍大臣 :ウィキペディア

ジョン・メイナード・ケインズ :ウィキペディア
ニュー・ディール政策 :ウィキペディア


  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その点、ご寛恕ください。)



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