遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』  松岡圭祐   講談社文庫

2022-03-30 17:57:32 | レビュー
 このタイトルを見た時、コナン・ドイルが創作した架空の名探偵シャーロック・ホームズと実在の伊藤博文を「対」にするってどういうこと? というのが最初の疑問だった。その次は、なんだかおもしろいストーリー展開になりそう・・・・・と期待を抱く。話の筋がどう転ぼうと、フィクションならでは可能な組み合わせである。好奇心をくすぐられる。
 奥書を読むと、本書は講談社文庫のために書下ろされ、2017年6月に刊行されている。

 後付けで調べて見ると、アーサー・コナン・ドイルは、1859年5月22日生まれ、1930年7月7日死去。伊藤博文は1841年10月16日生まれで、1909年10月26日死去。同時代人だった。コナン・ドイルが創作したシャーロック・ホームズは、ウィキペディアによれば、生年の明確な記述は無く、「生年月日は1854年1月6日とする説が有力である」という。『緋色の研究』でホームズがワトソン博士と初めて出会うのが1881年だそうである。

 このストーリーは、落差656フィートもある滝傍の崖の細い道で、崖の頂上に拳銃を持ったセバスチャン・モランを潜ませているジェームズ・モリアーティ教授と37歳のシャーロック・ホームズが対峙する場面から始まる。1891年5月4日である。二人がもみ合った結果、モーリアーティ教授は滝壺に転落した。モーリアーティ教授はロンドンに暗躍する悪党一味の頭領である。シャーロック・ホームズはそのモーリアーティを追い詰めたのだが、転落現場に居合わせた以上、殺人罪に問われることを免れない立場に立つ。
 ホームズの活劇場面。これが原因で、ホームズは兄のマイクロフトの勧めで、日本に伊藤博文を頼って密航することになる。つまり、このストーリーのメインの舞台は、明治初期の日本となる。

 話が日本に飛ぶにはその前提が必要。そこで、伊藤とシャーロックとの出会いの場面が語られる。長州藩主の後押しを得て、伊藤博文ら仲間5人はイギリスに密入国していた。1864(元治元)年3月、22歳の伊藤はロンドンで、当時10歳のシャーロックと彼の兄マイクロフト17歳が悪漢に追われているのを助けるという形で偶然に出会う。伊藤のなじみのレストランに二人を伴い、そこで話をしていて、伊藤はシャーロックの観察眼と分析・推理力に驚嘆する。シャーロックの片鱗が鮮やかに描き込まれて、このサブ・ストーリー自体がおもしろい。この出会いが、伊藤とシャーロックのリンキングとなる。
 次に、伊藤がシャーロックに出会うのは渡欧中の1883年3月。伊藤41歳、シャーロック29歳。伊藤がベーカー街のホームズ宅を訪ねる。だが、シャーロックに英国公使館焼き討ちの件を持ち出されて、素気ない応対をされる結末となる。意外な気がしたのは、この時点で探偵になっているシャーロックがコカインを常用している描写が挿入されていることだった。

 追われる身のシャーロックは兄の援助を得て日本に向かって密航し、辛酸の末に横浜に密入国する。ここからこのストーリーの本編が始まるといえる。
 このストーリーが痛快で、シャーロックがその本領を発揮し、伊藤を手助けする役割を担うことになる。当時の日本の実状に大きな影響を与えた事件を原因にして国際関係への対応が大きな問題となる。当時の史実を織り込みながらこのフィクションが紡ぎ出されていくところが興味深い。
 その事件は、1891年5月11日、現在の滋賀県大津市で起こった。ロシア皇太子ニコライが、警備を担当していた巡査のひとりにサーベルで斬りかかられ、襲撃されたのだ。「大津事件」と称されている。
 「大津事件」という言葉から、あなたが当時の日本の歴史的状況を容易に連想して行くことができるなら、多分かなりの日本史通だろう。
 関西に住む私は、ある史跡探訪の折に、この事件現場とされる場所に立つ石標を見る機会があった。この事件名が出て来たとき、一層このストーリーに惹きつけられて行った。

 ストーリー展開のポイントと私が思うところを押さえておこう。
1. 日本語を理解できないシャーロックが観察力と分析・推理力で的確に状況を把握して判断する様が鮮やかに描かれて行く。なぜそう判断できるかを、シャーロックが伊藤に説明するのだから、読者もまた聞き役であり、おもしろい。

2. シャーロックは密入国したのだから、法的には犯罪者扱いになるはずだ。しかし、伊藤博文を頼ったことで、伊藤は平然とシャーロックをいわば賓客扱いで保護する。伊藤は外国人を見れば敬遠する日本の議員たちを前提にして、シャーロックを外国人の顧問と位置づけ、逆に主要な場所に堂々と引き出す行動をとる。いわば、明治期のお雇い外国人的な位置づけと言えようか。つまり、伊藤が傍にいれば、シャーロックには行動の自由さがあった。状況がわからない部分は、伊藤がサポートした。
 当時の外交関係の実状と、通信手段の能力水準が幸いした。シャーロックが官憲から追われる立場にいる情報は日本にはすぐには届かない。情報の伝達遅延はプラスに作用する。1ヵ月余はシャーロックにとって安全圏となる。伊藤任せで過ごすことができる。こういう状況下での活躍となりおもしろい。

3. 「大津事件」自体は、伊藤がその経緯と謎をシャーロックに説明する形でストーリーに織り込まれていく。これは、読者にとり、明治期の日本史と国際情勢を理解するという副産物にもなる。私自身、学び直す機会になった。
 
4. 著者は「大津事件」の読み解き方として、一つの仮説を打ち出し深読みへと進展させていく。虚実皮膜の迫真力が加味され興味深い。想像の世界、フィクションのおもしろみが発揮されている。

5. 皇帝アレクサンドル三世が統治するロシア帝国の状況がイメージしやすくなる。また日露戦争に至る前の国際状況、当時のロシア帝国と日本の関係が理解できて参考になる。

6. 「大津事件」で被害者となったニコライがお忍びで日本近海に7隻の中型鑑で来航した。ロシア公使館を介して、日本政府にブラフをかけてくる。伊藤は密かな外交交渉のプロセスに関与していく立場になる。シャーロックは持ち前の観察力、分析・推理力を発揮して、伊藤をサポートすることに。このプロセスでの二人の行動がおもしろく、読ませどころとなっていく。
 実は「大津事件」には一つの裏があったという設定がおもしろい。本書を読むお楽しみに・・・・・。

7. ロシアとの外交交渉に、別の要素が加わってくる。農商務大臣の陸奥宗光が『ロシア自然科学大全』を獲得するという目標を持っていたという。当時の日本の自然科学のレベルを高めるには、この書が必須と判断されたのだ。
 勿論、この交渉のプロセスにも、伊藤とシャーロックが関与していくことになる。
 さらに、この『ロシア自然科学大全』が別の問題を引き起こすことに。シャーロックがその問題点に気づくのだから、これまたおもしろい。
 この隠されていた問題点が契機となり、意外なロシア側の動きと全貌が明らかになっていく。
 なお、『ロシア自然科学大全』はフィクションとしてストーリーに織り込まれたようである。

8. 追われる立場のシャーロックはどうなるのか。伊藤がやはり密かに一つの方策をたて、動いていた。この先は、本書でお楽しみいただきたい。

 歴史エンターテインメントとして、一気読みできるおもしろい作品になっている。
 このストーリーをシャーロッキアンはどのように受けとめるのだろうか。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
シャーロック・ホームズ  :ウィキペディア
アーサー・コナン・ドイル :ウィキペディア
伊藤博文  :ウィキペディア
大津事件  :ウィキペディア
大津事件 ~ロシア皇太子遭難をめぐって~  近代日本のこんな歴史
      :「アジア歴史資料センター」
津田三蔵  :ウィキペディア
大津事件・津田三蔵の新資料発見 :「大津市歴史博物館」
ニコライ2世 (ロシア皇帝)  :ウィキペディア
ゲオルギー・アレクサンドロヴィチ :ウィキペディア
日本シャーロック・ホームズ・クラブ  ホームページ

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『クラシックシリーズ6 千里眼 マジシャンの少女 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ5 千里眼の瞳 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ4 千里眼の復讐』  角川文庫
『後催眠 完全版』   角川文庫
『催眠 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ3 千里眼 運命の暗示 完全版』   角川文庫
『クラシックシリーズ2 千里眼 ミドリの猿 完全版』  角川文庫
『クラシックシリーズ1 千里眼 完全版』  角川文庫
『探偵の鑑定』Ⅰ・Ⅱ  講談社文庫
『探偵の探偵』、同 Ⅱ~Ⅳ  講談社文庫
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.2 2021.6.11時点 総計32冊 


『リボルバー』   原田マハ  幻冬舎

2022-03-29 15:02:29 | レビュー
 1890年7月27日、オーヴェール=シュル=オワーズ村の何処かで、フィンセント・ファン・ゴッホはピストルで腹部を撃ち抜いて自殺を図ったと言われている。腹部を撃ち抜いた後、自分の足で下宿の食堂「ラヴー亭」まで戻り、2日後の7月29日に息絶えた。
 ゴッホは本当に自殺したのか。他殺ではないのか。と様々な検証が行われてきているが真相は定かではないようだ。
 一方、1965年に、ゴッホの自殺現場とされている場所付近で、地中に埋まっていたリボルバーが農家により偶然発見された。その口径はゴッホを診断した医師が記録に残していた銃弾と一致した。その銃は、当時、銃の所有者だと考えられていたゴッホの下宿先の食堂の主人に返されたという。後にその銃はアムステルダムにあるファン・ゴッホ美術館で「ゴッホと病」展にも出品された経緯があるそうだ。

 この小説は、ゴッホの死因に関係するリボルバーの謎にまつわるストーリーである。
 パリ8区にある小さなオークション会社、通称CDCに勤める高遠冴の許に、サラと名のる無名の画家が、錆びついたリボルバーをオークションに出品できるかと持ち込んでくる。一旦、ジャン=フィリップがそのリボルバーをコンディション・チェックのために預り、別室に持って行った。サラは、信じてもらえるかどうかわからないが、「あのリボルバーは、フィンセント・ファン・ゴッホを撃ち抜いたものです」と冴に告げた。サラは、ファン・ゴッホ美術館で2016年に開催された「狂気の縁で-ファン・ゴッホと病」という分厚い展覧会カタログをトートバックから取り出して、一丁のピストルが展示されているのを証拠であるかのように示した。

 高遠冴は、物心がついたときから、ゴッホのひまわりの絵を見つめつつ成長した。中学2年、13歳の夏、そこに母が展覧会で購入してきたゴーギャンの複製画が加わる。冴はパリ大学で美術史の修士号を取得した。パリで生きて行くために、CDCに勤めつつ、<後期印象主義における芸術的交流:ファン・ゴッホとゴーギャンを中心に>というテーマで博士論文に挑戦することを目標にしている。そんな冴の許に、ゴッホの自殺に関連するリボルバーが持ち込まれたのだ。CDC代表のギローはこのリボルバーの持ち込みに色めき立つ。もしこのリボルバーが本物ならば、そしてCDCがこれをオークションにかけることができれば、一躍CDCは一流オークション会社に列することができる・・・・。
 
 このリボルバーはオークションに出品が可能か、まずその真贋検証を綿密に行う作業が必要になる。勿論、冴はファン・ゴッホ美術館で展覧会「狂気の縁で-ファン・ゴッホと病」を企画担当したキュレーターにコンタクトし、面会してサラの持ち込んだ銃の画像を確認してもらうステップを踏む。キュレーターは、出展された銃とは違うと判定した。サラの話を信頼するなら、2つのリボルバーがこの時点で存在することになる。
 サラは冴たちに嘘をついているのか。サラのリボルバーの真贋についての探求が始まって行く。ミステリー仕立てのストーリーが進展していく。読者として引きずり込まれていく・・・・・。

 このストーリーの構想と展開には大きな特徴がある。
1. ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは、2019年6月19日、パリでオークションにかけられ、16万ユーロ(約2000万円)で落札されたという事実がある。この事実を踏まえたフィクションである。ミステリー仕立てのストーリー展開となっている。

2. ゴッホが自殺をはかり、息絶えた「ラヴー亭」とオーヴェル=シュル=オワーズ村の現状が鮮やかに描き込まれていく。そこにどこまでフィクションが織り込まれているのか、私にはわからないが、ゴッホの聖地になっている雰囲気は充分に感じ取れる。勿論、行ってみたくなる。

3. ラヴー亭の所有者は変遷し、今はインスティチュート・ファン・ゴッホの所有になっている。1階はビストロとして運営され、2階はミュージアム・ショップ、3階の「ゴッホの部屋」は修復・保存され一般公開されている。この点は事実。
 冴たちは、インスティチュートの代表、リアム・ペータースと面談する。勿論リボルバーのことを尋ねるためだった。ペータースから思わぬ発言を聞くことに・・・・「サラが持っている『ゴーギャンのリボルバー』のこと・・・・でしょうか」
 この発言がトリガーとなり、冴の研究者としての探求が加速していく。
 ここからのミステリーの展開が興味深い。ゴッホとゴーギャンの関係、ゴーギャンの人生に焦点があたっていく。この探求プロセスが一つの読ませどころである。

4. この小説は、「0 プロローグ いちまいの絵」からはじまり、その後は6章構成になっている。これを別の視点で見ると、次のようにとらえることもできるのではないか。
 「起」 <0 プロローグ いちまいの絵> <Ⅰ 二つのリボルバー>  
        ストーリー展開の一部は上記で触れている。
 「承」 <Ⅱ サラの追想> <Ⅲ エレナの告白> <Ⅳ ゴーギャンの告白>
       冴は真贋の探求結果をサラに面会してぶつけていく。
       そこからサラとその家系についての秘密が過去に溯るという展開に。
       この追想⇒告白⇒告白、というストーリーの重ね方がおもしろい。
       「ゴーギャンのリボルバー」という意味が明らかにされていく。
       この「承」の展開プロセスが、2つめの読ませどころといえる。
 「転」 <Ⅴ オルセーの再開>
       なぜ、サラが冴の許にリボルバーを持ち込んだのか。その謎がわかる。
       冴は意外なことを知る立場になる。
       <サラの追想>に出てくる「あの絵」が、<ヴァエホの肖像>として登場。
 「結」 <Ⅵ エピローグ タブローの帰還>
       リボルバーのオークションがあったという史実を冒頭に織り込む。
       そして、<ヴァエホの肖像>の帰還にストーリーが転換していく。
       リボルバーはどうなるのか。その点は本書でお読み願いたい。
       冴の博士論文と<ヴァエホの肖像>に未来が託されるところが興味深い。

 リボルバーの真贋問題という視点では、ミステリー仕立ての小説になっている。それとパラレルに不即不離の関係として、ゴッホとゴーギャンの人間関係と、晩年の画家としてのそれぞれの生き様が描き込まれていく。こちらの側面は、著者の得意とする伝記風アート小説の点描としても読める。

 序でに、この小説に登場するゴッホとゴーギャンの作品名を抽出しておこう。
 ゴッホ: <ひまわり> <ドービニーの庭> <烏の飛ぶ麦畑> <アイリス> <星月夜>
      <耳に包帯を巻いた自画像> <薔薇> <医師ガシェの肖像> 
      <オーヴェール=シュル=オワーズの教会> <夜のカフェテラス>
      <アルルの跳ね橋> <郵便配達人ルーラン> <ローヌ川の星月夜>
      <アルルの女> <アルルの寝室> <アルルのダンスホール>
      <アリスカンの並木道、アルル> 
 ゴーギャン: <レ・ザリスカン、アルル>
      <ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホ>
      <ヴァヒネ・ノ・テ・ヴィ> <マンゴーを持つ女> <タヒチの女たち>
      <テ・ナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)> 
      <マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)>
      <イア・オラナ・マリア(マリア礼讃)> 
      <テ・タマリ・アトゥア(神の子の誕生)>
      <我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?>
これらの絵を思い浮かべたり、知らないのはちょっと調べてみたりする楽しみも付随してくる。

 本書は「小説幻冬」への連載(2020年2月号~2021年2月号)に加筆・修正されて、2021年5月に刊行された。
 
 お読みいただきありがとうございます。

本書に関連して、少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
Van Gogh's 'suicide gun' sells for $180,000 :「CNN style」
フィンセント・ファン・ゴッホ  :ウィキペディア
ポール・ゴーギャン  :ウィキペディア
【アート解説】ゴッホの代表作『ひまわり』全7点解説  :「CASIE MAG」
ゴッホゆかりのラヴー亭  :「FIGARO.jp」
ラヴー亭 (ゴッホの家)   :「4travel.jp」
ゴッホ終焉の地、オーヴェル=シュル=オワーズ :「メゾン・ミュゼ・デュ・モンド」
作品詳細 オーヴェール=シュル=オワーズの教会 :「Images Archives」
第43話:ゴッホ終焉の地、オーヴェール・シュル・オワーズ~麦畑とラヴー亭
        :「ペンギンの足跡Ⅱ」
ゴーギャン 「レザリスカン(アルル)」 西洋美術史年表 :「ヴァーチャル絵画館
「タヒチの女たち」 ポール・ゴーギャン :「ネット美術館『アートまとめん』」
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか:「This is media」
オルセー美術館  :「世界の美術館」
Musee d'Orsay
フランス旅行 パリ 「オルセー美術館」 Musee d'Orsay  YouTube

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こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『<あの絵>のまえで』   幻冬舎
『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  PHP
『美しき愚かものたちのタブロー』  文藝春秋
『常設展示室』  新潮社
『たゆたえども沈まず』  幻冬舎
『アノニム』  角川書店
『サロメ』  文藝春秋
『デトロイト美術館の奇跡 DIA:A Portrait of Life』  新潮社
『暗幕のゲルニカ』   新潮社
『モダン The Modern』   文藝春秋
『太陽の棘 UNDER THE SUN AND STARS』  文藝春秋
『楽園のカンヴァス』  新潮文庫
『翼をください Freedom in the Sky』  毎日新聞社


『奈良で学ぶ寺院建築入門』  海野 聡  集英社新書

2022-03-28 17:42:47 | レビュー
 新聞の出版広告で本書のタイトルを目にした。
   
 この帯のキャッチフレーズにまず惹きつけられた。「唐招提寺、薬師寺、興福寺、東大寺 この四寺で古建築が理解できる!」唐招提寺と薬師寺は幾度か訪れている。興福寺は奈良国立博物館に行く時の通り道。東大寺は奈良博での展示を見た後、散策に立ち寄ることが多い。長らく四寺の仏像群に関心が強く、建造物自体をそれほど深く考えていなかった。近年になって建造物自体に関心が広がってきていた。訪れる頻度が京都についで高い奈良の寺院建築について、古建築の視点で理解を深める一助になると思い、早速読んでみた。
 本書は、2022年2月22日に刊行されている。意識的に2尽くしの発行日が選ばれたのだろうか。出版が何時だったか確認してみて、気づいた。

 「まえがき」の冒頭で、著者は「寺院建築には隠された『デザインコード』や『仕掛け』が多く存在するのです」という。この視点でみれば、日本の寺院建築を深く読み解くカギを得ることになるという。建造物の外観や内部を眺めて、全体の力強さや造形美に感じ入るという感激次元から一歩踏み込み、建造物自体を鑑賞するカギを得ることは、古寺探訪の魅力を倍増することになる。
 読後の感想は、この新書を携えて、まずは、唐招提寺、薬師寺、興福寺、東大寺の四寺を訪れ直し、それぞれの寺院建築の必要箇所でガイドブックとして該当ページを部分読みしてみようかな・・・・である。この四寺を4章構成でそれぞれ解説してくれている。

 「第1章 鑑真の終のすみか 唐招提寺」を事例にご紹介してみよう。章見出しのページには、伽藍配置図が載っている。著者は唐招提寺の建築物を順番にガイドしていく感じで、説明を展開していく。導入として唐招提寺の歴史のアウトラインを説明する。そして言う。「寺院に入る前から、建築に向き合う準備は始まっています」(p47)。つづけて「それぞれの建物が『寺院のどこにあるか』ということも重要なのです」と。最初に伽藍配置図が載せてある意図がつながって来る。
 そして、塔と金堂の位置関係から何がわかるかに注意を向けさせる。ここでは、四天王寺・法隆寺・薬師寺・興福寺の伽藍配置図と対比しつつ解説を加えている。
 「金堂・講堂」をまず説明する。写真と図解が適所に配されているのでわかりやすい。参考にここでの小見出しを列挙しよう。<大きな屋根と軒の出> <中国風と日本風の違いはどこからくるか?> <吹放しの金堂正面> <桁行七間・梁間四間が金堂の基本> <細部からも分かる格式差> <未来につむぐメンテナンス> <講堂の履歴書> <中備の秘密> <移築された講堂> という具合である。これらから金堂と講堂という建物をどのような視点からガイドしているかの一端がイメージできるのではないだろうか。
 あなたが唐招提寺を既に訪れていたなら、こんな視点で建物をご覧になっていただろうか。
 つまり、この小見出しは、読者自身が一歩深く知りたい箇所について、現地に立ち、部分再読し、理解を深めるのに役立つインデックスになるだろう。
 この章では引き続き「鼓楼・礼堂・僧房」のガイドに移っていく。
 まあ、こんな流れで唐招提寺の建築が解説されている。

 本書には「入門」という言葉が付いている。各寺院の建物すべてをガイドしている訳ではない。現存する伽藍の中から取捨選択がなされている。第2章以降でガイドされている建物は以下の範囲である。
第2章 移された白鳳、薬師寺 東塔
第3章 遷都始動、興福寺   北円堂、南円堂、五重塔、三重塔、東金堂
第4章 聖武天皇の夢、東大寺 南大門、中門、転害門、大仏殿、鐘楼、法華堂
              二月堂、大湯屋、東塔跡・講堂跡・食堂跡、正倉院正倉
入門書としてはこれだけでも充分といえよう。

 4章構成の各論に入る前に、「序章 寺々の建築と向き合う」がある。
 ここでは、寺院建築入門者向けに、古建築に向き合うための基礎知識が図解付きで解説されている。日本の寺院建築用語に馴染みのない人でも敷居が高くなくて、すんなり入って行けると思う。
 なぜ、著者は奈良を選んだのか。「奈良には奈良時代以来の各時代の建築が多く残っています。まさに奈良は古建築を知る絶好の地なのです。」(p17)と答えている。
 建築は、常に重力の拘束を受ける。重力との闘いの中で、木造建築の「基本構造」が確立されてきた。技術は発展してきたがその基本構造は同じであり、古代建築は構造がシンプルなので、寺院建築を理解するのに適している。それ故、奈良の古代建築が最良のテキストになってくれると著者は論じる。この後、20ページというボリュームではあるが、図解付きで、木造建築の「基本構造」を理解するための解説が加えられている。この部分を読むだけでも、寺院建築を見るカギを手にすることになるだろう。

 例えば、私が手許で常用する『図説 歴史散歩事典』(監修・井上光貞 山川出版社)にも「建物の部分構造」と題して、構造と用語が図解付きで説明されている。事典なので、用語説明という形の列挙による詳述である。用語を認識し熟知するのに役だっている。
 一方、本書の序章では、基本構造の説明と用語は勿論同じなのだが、基本要素(パーツ)である用語が、基本構造の中でどのように関係して組み込まれているかを順に説明されていく。その点で基本構造の理解がしやすかった。私にとっては、両書の相乗効果が出て来たと思う。
 上記同様、この序章の小見出しも列挙しておこう。基本構造の説明に対するイメージが湧きやすいかもしれない。
<「柱・梁・棟木・垂木」のセットが基本構造> <建築の基本構造と平面の拡大> <屋根形状と柱配置> <組物①手先の出ない組物> <組物②手先の出る組物> <平三斗と三手先の比較> と説明が展開されていく。
 
 序章の末尾を引用する。「部材一つひとつをひも解いていくことで、作り手がどのように考え、工夫を凝らしたかを知ることができます。いわば、古建築を通した過去の技術者との対話で、心が通じ合う瞬間です。そのときには寺院建築を深く理解し、鑑賞の魅力にとりつかれていることでしょう。」(p42)

 寺院建築の基本構造がまず一般読者に分かりやすく説明されていて、それを前提として、4つの寺それぞれの主要な建物を順次巡る形で説明を加えていくガイドスタイルになっている。読みやすい。
 「まえがき」で、著者は「古建築は学ぶより、現地で実見して感じ取るべし」と結論づけている。本書を携えて行けば、実見して感じ取る際に、一歩踏み込むためのガイドブックとして役立つと言える。さて、次の機会には本書を持って出かけて行こう。

 お読みいただきありがとうございます。

本書からの関心の波紋によりネット検索して得た事項を一覧にしておきたい。
唐招提寺  ホームページ
法相宗大本山 薬師寺 公式サイト
法相宗大本山 興福寺 ホームページ
華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ
寺院の内部構造・柱組の名称  :「社寺建築の豆知識」
日本建築史①(寺院建築の起源・伽藍配置)  YouTube
日本建築史② 寺院建築の構造  YouTube
日本建築史③ 平面の表し方、裳階のはなし  YouTube
日本建築史④ 野屋根の話  YouTube
日本建築史⑥ 大仏様建築  YouTube
日本建築画像大系 【宮大工 西岡常一の世界】原作:高村武次  YouTube
寺社建築文化財の探訪 [TIAS]  ホームページ
寺社建築用語集 あ行 [寺社の基礎知識] :「甲信寺社宝鑑」

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『暗殺の年輪』  藤沢周平   文春文庫

2022-03-23 22:19:05 | レビュー
 藤沢周平の作品を思いつくままに読み始めた。どちらかというと、今までのところ著者の作家生活後半の作品を読んでいる。そこで、著者の作家活動の始めに飛んでみることにした。著者は1973(昭和48)年、46歳の時に『暗殺の年輪』で第69回直木賞を受賞した。その前にいくつかの作品を書いているが、この受賞が作家活動への梃子になったようだ。そこで、この作品を読んでみようと思った。
 文庫本を手に取ると、この作品は短編だった。文庫本のタイトルに『暗殺の年輪』が使われているが、合計5編を収録した短編集である。

 目次に並ぶ作品は発表された順番とは異なる。直木賞受賞前の「溟い海」(1971年、オール読物新人賞)、「囮」(1971年)、「黒い縄」(1972年)3編と受賞後の「ただ一撃」(1973年)1編が「暗殺の年輪」とともに収録されている。
 受賞した1973年9月に単行本が文藝春秋から刊行され、1978年2月に文庫化された。

 文庫本に収録された順に、簡略に各短編をご紹介し、読後印象にも触れておきたい。
<黒い縄>
 夫の房吉を嫌いで別れた訳ではないが、おしのは上総屋から居られないような仕打ちを受けて離縁され、三好町の材木商下田屋に戻った。地兵衛は元凄腕の岡っ引きで、引退後に植木職として下田屋に長年出入りしている。母のおさわが地兵衛に休憩のお茶を接待した際、おしのにも来ないかと声をかけた。おしのは母にこないだ珍しい人、宗次郞に出会ったことを何気なく語りかけた。それが発端となる。
 岡っ引き時代に、地兵衛は宗次郞を人殺しの犯人として追っていたのだ。地兵衛の心に何かが再燃する。地兵衛の様子が変わったことが後で気になり、おしのは宗次郞が追われた経緯を地兵衛から聞く。一方、雁六と名乗る男がおしのの前に現れ、宗次郞と会う機会の繋ぎをした。おしのは宗次郞から経緯を聞く。己は無実で真犯人を究明しているのだと聞かされる。宗次郞と地兵衛の間にはさまれ、宗次郞に思いを寄せ始めるおしの。
 その過程でおしのは房吉に再会するが、房吉の態度に己の気持ちの整理を付けていく。
 宗次郞が究明しようとしてきた真犯人は意外な人物だった。
 おしのの心の揺れが行間から溢れていく。最後の一行が象徴的である。「おしのの、短い旅は終わっていた。」

<暗殺の年輪>
 室井道場での稽古を終えた葛西馨之介は、十年以上も同門の貝沼金吾から、内密にて家に立ち寄ってくれと誘われる。金吾と馨之介は室井道場では龍虎と呼ばれていた。だが、いつの間にか馨之介と金吾の関係は疎遠になっていた。馨之介は3歳の時に父が横死したことが原因となり、その背景になっていると感じていた。馨之介は、父が藩内の政争に捲き込まれて、ある重臣を刺殺しようとしたが失敗し、腹を切ったと聞いていた。だが、18年前のその事件は闇の中に凍ったままである。馨之介には真相がわからない。
 馨之介は七万石海坂藩においては、無役の平侍。金吾の貝沼家は父が物頭を勤めている。貝沼家の奥座敷に通された馨之介は、そこで吾の父から家老の水野、組頭の首藤、郡代の野地に引き合わされる。それが藩の政争に巻き込まれて行く契機になる。馨之介は源太夫の息子だということで呼び出されたのだ。相談事と言いつつ、中老で藩の柱石とされる家老嶺岡兵庫を刺す役目を引き受けてもらいたいと言われる。馨之介は、「そういうご相談ならば、今夜はこれで失礼仕る」と座を立った。引き合わされた時に、郡代の野地が「これが、女の臀ひとつで命拾いしたという伜か、よう育った」と太い声で言ったことは、馨之介の脳裡に刻まれた。
 18年の年輪を重ねた上で、再び海坂藩内の政争が噴出する。その渦中で馨之介は過去の記憶に引き戻され、過酷な宿命に翻弄されていくことに・・・・・。
 藩内の政争において上層部の当事者は、人の心を弄び単なる駒として使うことを何とも思わない。知らされることなしに下級武士は一手として命じられ動かされる。下級武士とその家族の悲哀が噴き出してくる。馨之介が突き動かされていく様が鮮やかに描き込まれている。

<ただ一撃>
 酒井藩に仕官を望み、兵法堪能を自負する浪人清家猪十郎は、登用試合としての試技を申し出た。通常試技はひと試合で終わる。それで採否が決められる。だがその時、前触れもなく藩主が試技を見に来たことから、思いがけぬ不運が始まった。若侍が清家に敗れたことに藩主が気分を害し、一試合に留まらず試技を続けることになる。この試技が凄惨な試合になった。四試合目も敗退。藩主の忠勝は「気にいらんな、あの野猿を、一度ぶちのめせ」と叔父の甚三郎に命じた。つまり、日を改めて再度の試合を行わせよということである。
 話はここから始まって行く。甚三郎は、鶴巻弓四郎の名を挙げたが、転封により庄内に移った酒井藩では未だ家臣たちの移転中であり、鶴巻は信州松代に留まっていた。試技には仕えない。甚三郎は刈谷範兵衛を思い出した。今は家督を譲り隠居し60位になるだろうかと、甚三郎は言う。
 家督を譲られた篤之助ですら父が兵法達者とは知らなかった。範兵衛は下命を引き受ける・・・・・おもしろい展開となっていく。だが、篤之助の嫁・三緒が試合当日の朝、自害する。刈谷範兵衛と清家猪十郎の試合は、午の下刻から始まった。
 達人の域の武技と肉体年齢との関係がどういうものなのか私には想像もできない。しかし、武士の荒々しさの気分が未だ残る時代を背景とした興味深い構想の短編だと思う。

<溟(くら)い海>
 葛飾北斎を題材にした短編に出会えるとは思ってもいなかった。
 北斎の極道息子・富之助に対する賭場での貸金だと言い、鎌次郎が二両を北斎の家に取り立てに来る。鎌次郎は何気なく、東海道てえのを書いた広重がえらい評判だが、広重が何者かと北斎に尋ねた。俄然、北斎は広重の東海道を意識する。富獄三十六景は評判となった後、落ち目にある北斎のライバル意識がかき立てられたのだ。翌日、日本橋の書肆、嵩山房を訪れることから始め、弟子からも東海道がどんな絵かの情報を得ようとする。しかし要領を得ぬままに終わる。
 だが、後日、嵩山房の書斎で先客だった広重に会うとともに、広重が先に帰った後で主の新兵衛から東海道の初摺りを北斎は見せられた。北斎の心の中に、軽い狼狽が沸き起こった。著者はその狼狽そのものを分析的に描写し重ねていく。北斎と広重の絵描きとしてのスタンスの違いなどに焦点があてられる。このあたり、一つの読ませどころになっている。
 北斎の絵師としての自負が崩れて行ったと著者は描く。さらに、年が明けて、北斎が永寿堂から出した富獄百景が予想以上に不評だったと重ねて行く。
 広重が木曽海道を描くことを阻止するために、北斎は鎌次郎らに手伝わせようとする。このエピソードはフィクションなのか、あるいはそんなエピソードが残されているのかは不詳。
 この頃の絵師北斎の自負心と一方でゆれ動く心境を鮮やかに切り取っている短編だ。
 著者がここに描き出す視点から、この頃の北斎と広重の絵をあらためて眺めてみるのもおもしろいかもしれない。
 この短編が新人賞を受けたことを、読後印象としてナルホドと感じる。

 ふと、思った。「富獄百景」の評価は今日までどのような変遷を経ているのかと。
 著者は末尾に、北斎が絹布に描いた海鵜の背景を染め始める場面を書き加えている。その背景を染める状況を「それが、明けることのない、溟い海であることを感じながら」と記す。タイトルはここに由来するようだ。さて、この絵は著者のフィクションなのだろうか。その発想を生むソースになるような絵があるのだろうか・・・・・。
 
<囮(おとり)>
 彫師彫宇の工房に勤める職人の甲吉は、版木を彫る仕事をしながら、親方彫宇の承諾を得て、目明かし徳十の許で必要とされる時に下っ引きとして働く仕事をしている。工房の仲間にはうしろめたさから、親方の了解を得て下っ引きのことを秘密にしている。甲吉は病気の妹お澄みの面倒をみるために金がかかるのだ。そんな甲吉の所に、徳十からの呼び出しがかかった。彫宇は適当な理由を付け、仕事を切り上げてすぐに行けと言う。
 甲吉は徳十から下っ引きとして動ける時間帯に、ある女を見張るという役割を与えられる。賭場で人を刺し殺し江戸を逃げた綱蔵が戻ってきているという。甲吉が見張りをする女は綱蔵の情婦だと徳十が言う。おふみの住む家に出入りする者とおふみを、空地と生垣を挟んだ神社の境内から見張るだけでよいという、徳十はおふみは囮なのだと言った。おふみはその家から鳥越の小料理屋の下働きとして通っているのだった。
 半月経っても何事も起こらなかったが、見張る内に、甲吉はおふみの姿にやさしい悲しみのようなものを感じ始める。ある夕方、空地の所で二人の若い男がおふみの前に立ちふさがったのを見ると、思わず甲吉は行動してしまった。そして事態も動き出すことに・・・・。
 甲吉はいわば二重に欺かれていた事実を突きつけられて悲哀を味わう羽目になる。甲吉のやるせなさと色あせた日常に回帰していくしかない思いが余韻となる。
 ところどころに、彫宇の仕事場の状況を描き込む。甲吉の日常がある意味で最後の支えになっている気がする。

ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項を少し検索してみた。一覧にしておきたい。
富嶽三十六景  :ウィキペディア
富嶽三十六景とは?葛飾北斎の代表作は72歳に描かれたものだった【徹底解説】:「warakuweb」
富獄百景. 初編   :「国立国会図書館デジタルコレクション」
富獄百景. 二編 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
富獄百景. 三編 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
東海道五十三次 (浮世絵) :ウィキペディア
木曽海道六十九次    :ウィキペディア

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『三屋清左衛門残日録』  文春文庫
『蝉しぐれ』  文春文庫
『決闘の辻 藤沢周平新剣客伝』  講談社文庫
『隠し剣孤影抄』  文春文庫
『隠し剣秋風抄』  文春文庫
『人間の檻 獄医立花登手控え4』  講談社文庫
『愛憎の檻 獄医立花登手控え3』  講談社文庫
『風雪の檻 獄医立花登手控え2』  講談社文庫
『春秋の檻 獄医立花登手控え1』  講談社文庫


『ヘンな日本美術史』  山口 晃  祥伝社

2022-03-21 21:39:23 | レビュー
 少し前に、藤森照信・山口晃共著『日本建築集中講義』(中公文庫)の読後印象を載せた。この本を読んで私は初めて、山口晃という画家を知った。同書の奥書で、著者が『ヘンな日本美術史』を出版しているということをさらに知った。このタイトルの「ヘンな」という修飾語にちょっと関心を抱くと共に、「日本美術史」という言葉にも関心を持ち、読んでみることにした。
 この本、元は出版より数年前にカルチャーセンターにおいて「私見 にっぽんの古い絵」という題で講義した内容に追加してできたという。多分カルチャーセンターでの受講生は、既に山口晃という画家を知っている人々だったのだろう。
 本書は、平成24年(2012)11月に出版されている。『ヘンな日本美術史』というタイトルは編集人の発案だという。『私見 にっぽんの古い絵』というタイトルそのままで本にするより、やはり惹きつけるというインパクトはある。さすが、本をビジネスとする編集人である。

 「はじめに」において、著者がこの本のタイトルについて説明しているからおもしろい。
 著者は、「日本美術史」というタイトルではなく、「ヘンな」が付いているから、「まあ、これなら一般的な所を勉強しようとしている人は手に取らぬだろうと判断し、そのままゆく事にしました。」(p3)と記す。その後に、「ヘンな日本美術史」というタイトルの読み取り方をp4で自己解説している。引用しておこう。
「中国や西洋から見て、現代人から見て『変わっている』日本美術。何故こんな風に描いたのか、どうやればこんな風に描けたのか『ふしぎ』な日本美術。『へんな日本美術・史』とみた場合はそういうことです。『ヘンな・日本美術史』とみた場合は、古い順に並べただけで『美術史』気取りとは、変わっているなあ、と云った所です。」

 通読してみて、著者の自己解説はその通りだった。私は「ヘンな」の内容を知りたかった点と、日本美術史研究家が語るのではなく、画家が日本美術史をどう語るのかという興味があった。「日本美術史」を通史という観点で捕らえると、通史的には語られていないので、その点画家がどう語るかについては、ちょっと肩すかしをくった感じが残る。著者が関心を寄せて取り上げた絵師たちを古い順に並べているというのはその通りである。逆に私の興味を抱いてきた絵師たちが入っていたので、けっこう楽しめた。
 読後印象はやはり「日本美術史」ではなくて、「日本美術」について、現代画家の視点からの私見開陳というウエイトが高い。画家の視点から、古い時代の日本美術の中に「変わっている」部分、「ふしぎな」部分が数多くあるという解説に、逆に気づかされたと言える。「目から鱗」という点がおもしろかった。

 本書の構成と、そこで解説されている事項について、簡略にご紹介しよう。
<第1章 日本の古い絵-絵と絵師の幸せな関係>
 [鳥獣戯画]、[白描画]、[一遍聖絵(絹本)]、[伊勢物語絵巻]、[伝源頼朝像]を取り上げている。
 「私は『鳥獣戯画』があまり好きではありませんでした」(p12)という発言から語りが始まる。これ自体がヘンな感じでおもしろいではないか。そのすぐ後で「やはり達者な絵と云うのは見ていて気持ちのよいものです」(p13)と言う。画家の目からみた鳥獣戯画の甲乙丙丁の四巻の特徴と構成が指摘されていく。鳥獣戯画展は鑑賞に出かけたが、p22に著者が大雑把なまとめとして語るレベルまでは考えてもいなかったことに気づいた。ナルホド!である。
 画家としての経験を通してここに取り上げられた作品が語られている。この点が絵を見る側の私の様な一般読者には、読ませどころとなっていく。
 例えば、白描画については「黒」の重要性に読者の注意を喚起する。そして、「日本の絵と云うのは基本的に影をつけないこともあって、割と同系色の集りでメリハリがなく感じられる。そこに黒という『色であり、またその埒外であるもの』が入る事によって、微妙な色相対比が、豊かなニュアンスとして引き立つと云う作用が起こるのです」(p39,40)と。そこから、伊藤若冲の鶏冠だけ赤く塗り他は黒で描いた鶏図へ展開して行く。さらに黒絵に金泥をのせる技法に展開する。こんな具合の語りが本書では続いていく。
 日本美術を語るために、その対比として西洋美術が引用されている。例えば、この第1章には、古代ローマ時代のプリニウスの書いた『博物誌』、13~14世紀ごろのジョットの壁画「聖フランチェスコの生涯」、マルセル・デュシャン(1887~1968)、ゲルハルト・リヒター(1932~)、ブリューゲル(1525~1569)、アンチボルド(1527~1593)、ホルバイン(1492~1543)、ブリューゲルの「バベルの塔」、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)、「白貂を抱く貴婦人」、フラ・アンジェリコ(1400頃~1455)が引き合いに出されてくる。
 勿論、[伝源頼朝像]を語るときに、長谷川等伯の描いた肖像画などを引き合いに出している。日本美術の絵師同士の描法や思考についての対比もしていて、それぞれの長短、特徴などを考える材料になっている。こういう見方も私には興味深い。

<第2章 こっけつまろびつの画聖誕生-雪舟の冒険>
 当時の王道である絵を描く技術を持っていながら、[破墨山水図]を描くという邪道に突き進んだ雪舟。こけつまろびつしながら、独自の水墨画の世界を築いた雪舟を、[秋冬山水図]、[慧可断臂図]、[増田兼堯像]、[天橋立図] を題材にして論じていく。
 印象に残る説明を引用してみる。
*大雑把に言ってしまいますが、いわゆる中国的な山水画は、日本人の私から見るとクドい感じがします。 p86
*大もと、すなわち中国における、絵と現実の風景との関係を知らずに、絵の方だけを模写した結果、日本人は、それを予期せぬ方向に変容させてしまったのです。 p87
 ⇒雪舟は中国に渡って画を学んでいます。ほぼ実物として在る様を見た雪舟。 p89
*途中で一息つきながら「よいしょ」という感じで描いているのが、そのまま絵に表されている。その点からも非常に前のめりにこけつまろびつしている精神を感じます。p105
*雪舟の絵には、常に裏切る所があります。最初見た時は予想外に「つまらない」、けれども、よくよく見てゆくとこれまで無いものが不意に見えてくるのです。 p116

<第3章 絵の空間に入り込む-「洛中洛外図」>
 「洛中洛外図」は京都の町を鳥瞰図の一つの形式で描いた風俗画である。それを二隻で一双の屏風として描き出す。ここでは、その代表として、[船木本]、[上杉本]、[高津本]の順で解説している。[船木本]はほぼ岩佐又兵衛の工房による作品と確定される方向にあるそうだ。この三者の屏風絵が対比的に分析されていておもしろい。
 「洛中洛外図」はどこから見たものなのかが論じられていて、興味深い。「様々な縮尺の地図の集合体として、その境目を雲で上手くつなげているのです」(p149)にナルホド!
 狩野永徳の描いた[上杉本] には、「あるような無いような遠近法がついています」(p154)とある。手許にある上杉本の図録の見方が一歩深まる学びになった。

<第4章 日本のヘンな絵-デッサンなんかクソくらえ>
 [松姫物語絵巻]、[彦根屏風]、[岩佐又兵衛]、[円山応挙と伊藤若冲]、[光明本尊と六道絵-信仰のパワーの凄さ] が取り上げられている。
 [松姫物語絵巻] と [光明本尊](正厳寺蔵)は本書で初めて見た気がする。著者はこの光明本尊を「見るからにファンキー」で、「私は鶯谷のグランドキャバレーを思い出します」と卑近な対比をしていておもしろい。仏の光背はイリュージョンであるとし、このイリュージョンについて説明を加えている。仏の像容の描き方には決まりがある。「締め付けられればられるほど、他の所で暴れたくなるのが絵描きの心情です。この光背の突飛な感じは、そのように作られていったのではないでしょうか」(p201)と。そして、この光背にはグラデーションになるような技巧が贅沢に尽くされている点を指摘している。
 著者は現代人からすれば応挙の画論はデタラメに聞こえるが、「応挙作品を見ながらですと、『なる程、この辺りの事を言っているな』といちいち腑に落ちるのです。要は現代人とは異なる絵の作り方をしているのです。」(p197)
応挙の画論を知って彼の作品を見る。そんな視点は今までなかったことにも気づくことになった。

<第5章 やがてかなしき明治画壇-美術史なんかクソくらえ>
 著者自身が大学で油画を学んだ頃の経験から語り始め、明治になり「西欧の真似ができなくても、真似をしてもバカにされる」という側面を語る。そこから「日本美術」はどのように生み出されたかに戻って行く。「美術」という言葉自体が明治に訳された言葉だという。
 ここでは、江戸時代に生まれ、明治前期に活躍した河鍋暁斎、月岡芳年、川村清雄の作品を取り上げて論じている。河鍋暁斎の作品は展覧会で見たことがあり関心を持つている絵師の一人。後の二人はほとんど知らなかった。どこかでその作品と出会ってみたい。
 著者は川村清雄について、「彼は西洋画の最初期の現地習得者であると同時に、日本で最初期の西洋画の破壊者でもあるのです」(p247)と位置づけている。
 岡倉天心について、興味深い記述がある。最後にそれに触れておきたい。岡倉天心は東京美術学校の設立に深く関わるとともに、海外に日本美術を広く紹介した。
 岡倉天心は西洋から「バカにされる」事に対処する姿勢として、洋行の際には「英語が不自由無くできるなら和装で」と述べたとか。天心は「西洋美術の向こうを張った、多分に対外的な『日本美術』を打ち出した」(p216)のだと著者は言う。

 「日本美術史」という言葉に拘らず、各章のテーマ毎に読んでいけば、「ヘンな」というよりも、画家の経験を踏まえてそんな見方ができるのか・・・・と楽しめる本だ。
 表紙の上辺中央に、著者の自画像(略画)が描かれていておもしろい。この自画像、冒頭に記した『日本建築集中講義』にもバリエーションが沢山載っていた。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、ネット検索で得た情報を一部部分だが一覧にしておきたい。
鳥獣戯画 公式ホームページ 高山寺
白描の美-図像・歌仙・物語-  :「大和文華館」
一遍聖絵  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
伊勢物語絵巻 デジタルミュージアム :「和泉市久保惣記念美術館」
伝源頼朝像  :「京都国立博物館」
破墨山水図  :「東京国立博物館」
秋冬山水図  :「東京国立博物館」
慧可断臂図  :「京都国立博物館」
紙本著色益田兼尭像〈雪舟ノ印アリ/〉 :「文化遺産オンライン」
天橋立図   :「京都国立博物館」
洛中洛外図  :「京都国立博物館」
洛中洛外図屏風(船木本)  :「e國寶」
洛中洛外図屏風(上杉本) :「綴 TSUZURI 文化財未来継承プロジェクト」
松姫物語  :「東洋大学」
風俗図(彦根屏風) :「彦根城博物館」
岩佐又兵衛  :「美術手帖」
大乗寺円山派デジタルミュージアム ホームページ
伊藤若冲とは?奇想の絵師の代表作品と人生の解説、展覧会情報まとめ :「warakuweb」
絹本著色光明本尊 :「福山市」
河鍋暁斎  :ウィキペディア
河鍋暁斎記念美術館 home facebook
月岡芳年  :ウィキペディア
川村清雄  :ウィキペディア

 インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『日本建築集中講義』  藤森照信・山口 晃  中公文庫


『電子の標的 警視庁特別捜査官・藤江康央』 濱 嘉之  講談社文庫

2022-03-18 22:27:59 | レビュー
 ウィキペディアの「濱嘉之」を参照すると、2007年に著者が作家としてデビューする作品が警視庁情報官だという。情報捜査官はその後シリーズ化され、2019年の『ノースブリザード』まで続いている。それに対し、本作は2009年9月に新潮社より刊行された。加筆、修正の上、2013年1月に講談社文庫になっている。単発の作品にとどまる。

 特別捜査官・藤江がシリーズ化されていない理由は定かではない。IT機器を駆使するという捜査環境の前提がほぼ共通基盤となることや位置づけとして、警視庁内における組織という視点では重複するという見方も有り得る。情報捜査官とパラレルにシリーズ化するのは、フィクションとはいえ合理性に欠けるからだろうか。あるいは一方に集中しないと有意差のあるテーマ設定が難しくなり、シリーズ化を難しくするのか。主人公である特別捜査官・藤江のキャラクターをセックス面で大らかな人物という設定にしたことで、シリーズ化しづらくしたのかとも邪推した。なにせ、直属の部下となる警察官との性的敷居をさらりと飛び越えていく行動をとれるキャラクター設定の側面がある。この点、フィクションとして楽しませてくれる設定ではあるのだが・・・・。

 あるパーティで藤江康央の直近の履歴が披露される場面から始まって行く。藤江は3年間、在韓日本大使館一等書記官を務め、『平成のシンドラー』と呼ばれるという。在日韓国人の間で評価されている最大の理由は、「北朝鮮による韓国人拉致被害者や脱北者の救出と、北朝鮮のスーパーノートと呼ばれる偽札、さらには北朝鮮からの覚せい剤密輸の摘発を日本人として韓国で積極的に行ってきたからだ」(p10)
 そんな背景を持つ藤江が、在外公務館勤務明けで、一旦異動待機中となる。警察庁警視正として赴任する先が警視庁刑事部捜査第一課に決まるが、そこに新たなポストが生み出される。「捜査第一課特別捜査官」つまり抜擢人事でのスタートとなる

 捜査における縦割りの現状を危惧した警視総監・石川純一郎が新たな組織を設置しようとする。「複合事件捜査」と表現できる、他部門との合同捜査を一本化するような捜査組織をイメージしたのだ。それが捜査第一課「特別捜査室」の設置である。その室長に藤江が異動する。
 新組織づくりの人選から藤江の仕事がはじまる。藤江は警視庁公安部に籍を置く現場の先輩倉田の協力と助言を得る。この新組織はIT情報処理等の最新設備を具えることになる。情報処理においては全員が指導員以上の能力を持つ捜査員というのが大前提とされる。それは一要件だからすごい組織といえる。特別捜査室は総勢73人の規模で発足する。

 特別捜査室の情報分析担当のトップには、国家公務員Ⅱ種採用の女性警部、大谷久美子が抜擢された。組織が発足したまなしから、藤江はこの大谷久美子とさらりと男女の関係に入って行く。藤江のプライベートな側面が、ストーリーにおもしろみを加えている。

 藤江を室長とする特別捜査室の初仕事になる事件がこのストーリーなのだ。
 衣料部門から始まり、プライベートブランドを積極的に導入している日美商会は、新たな事業として化粧品産業の店舗展開をしている。その展開を担っているのが専務取締役の重田孝蔵、37歳。孝蔵は代表取締役社長重田祐介の一人娘・明子と結婚し養子となった。
 会社に居る重田孝蔵に、息子の悠斗を誘拐した。身代金は新券なしで2億円、明日の正午までに用意しろという電話が入る。午後1時ちょうどに着信し30秒間の電話だった。まずは、家族内のパニック描写から始まる。誘拐事件は時間との勝負。4章から第8章には八月○日**:**というタイム表示が小見出し的に出てくる。
 孝蔵は実の兄で医師の憲蔵に相談する。兄嫁の弟・大前哲哉が警察官僚だったからだ。憲蔵から相談を受けた大前は、その場に一緒にいたジャパンテレビ報道局長・加藤の助言で捜査第一課の特殊班の存在を知る。大前は重田孝蔵に警察への連絡方法について助言した。孝蔵が警察に連絡を入れると、その電話は特別捜査室に繋がれる結果となる。特別捜査室の受信が21:22だった。直ちに、誘拐事件の捜査体制が迅速に始動する。
 
 この誘拐事件ストーリーには興味深いところが幾つかある。
1.これは一事例だが、誘拐事件の捜査体制がどのような形で進展するのか。そのイメージが生まれていくこと。次の重要ポイントが会話として書き込まれている。
 「少年の誘拐事件となると、これまでのデータから見て一週間以内で解決しなければ、被害者の生命身体の安全を確保することは困難です。」(p115)
 
2.米沢管理官がまず誘拐事件の身代金要求が、個人宅の電話ではなくて、会社の孝蔵の役員室の電話にかけられた点に疑念を抱く。それを踏まえ、藤江はマクロな視点から誘拐犯人側の背景と動きについてシナリオを想定し、捜査の全体指揮をとっていく。この点が興味津々となる。
 藤江は誘拐犯との電話のやり取りと捜査情報の中から、気づいた点を論理的に突き詰めて行く。誘拐犯の真の目的は何か、犯人の推定シナリオを想定し、その対応策を考えて行く。この藤江の思考プロセスと手の打ち方が一つの読ませどころになっている。
 これは単なる少年誘拐事件ではない。その背後には誘拐をトリガーにした何か大きな狙い、意図が隠されているのではないか。想定シナリオは二転三転していくが、それが事件解決への対応をダイナミックにしていく。
 藤江の読みが事件解決への大きなインパクトになっていくところがおもしろい。

3.捜査体制を支える基盤は新世代の科学捜査である、IT技術や映像技術を含めた最先端科学技術を如何に捜査に組み入れるか。その駆使が描き込まれている。
 本書で描かれる科学捜査の側面に出てくる技術や方法の名称を参考に列挙してみよう。
 空想科学小説ではないので、フィクションがあっても現実に利用可能な科学技術レベルで記されていると推測する。
 警視庁通信指令本部の特殊チャンネル回線、FAX送信、特殊携帯電話、写真データ送信
 監視カメラ画像の分析、テープ録音の音声分析、防犯カメラ画像の分析
 パスモ、スイカなど入退場データの分析、Nシステムの画像データ分析
 捜査支援用画像解析システム、データベースマップ・システム(衛星写真を基本に)  音声が肉声かどうかの分析並びに音声のバックにある雑音の分析、声紋鑑定
 人工衛星から撮った写真情報、捜一の情報管理システム、特定地域の監視衛星の画像
 逆探知、携帯電話に取り付ける音声発信器、超小型GPS発信器、隠しカメラの画像
 通信傍受、広角カメラからの転送画像のデータ化と分析、超小型高感度盗聴用具
大凡、これらのものが科学捜査の手段として登場する。じつに興味深い。

4.フィクションではあるが、この特別捜査室の組織体制そのものと、効率的な科学捜査をベースに「複合事件捜査」を推進するという機動性に特徴がある。記述された諸点を抜き出してみよう。
 *藤江は、警部以下の選考基準に捜査実務の経験、基礎能力、捜査センス、情報処理、
  語学能力の諸点を考慮に入れた。
 *少なくとも、情報分析担当、画像分析担当、事件担当という分掌がある。
 *事件担当者には、特別体制と突発態勢が組み込まれている。
   特別体制は、4人1組で12日に一度の宿直体制に入る
   突発態勢は、週毎に事件担当係長を中心に一個班8人で臨戦態勢を組む。
 *管理官、係長の体制は捜査一課等と同じである。

 このストーリーの魅力は、やはりまず藤江の存在だろう。然るべき部署に必要とする情報を入手可能にする人脈を持つ。自ら画像処理技術を得意分野の一つとする。幅広い視野から思考する力を身につけている。事件の筋読みとその対策思考に優れている。語学力にも秀でているようである。

 最後に、「複合事件捜査」という側面で少しだけ触れておこう。科学捜査による情報の集積から、ヤクザが絡んでいることが見えてくる。つまり、組織犯罪対策部がらみの事件の様相が表れる。捜査一課と組対部という、正に複合事件という方向が見える。藤江はSITやSATの出動要請を事件解決の対策に組む想定もすることに・・・・。
 なぜ、ヤクザが誘拐事件に絡むのか。そこには、意外な構図が潜んでいた。
 読者にとっては、ストーリー展開を楽しめる視点と要素がいくつも盛り込まれいる作品になっていると思う。

 ご一読ありがとうございます。

こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『ヒトイチ 内部告発 警視庁人事一課監察係』  講談社文庫
『ヒトイチ 画像解析 警視庁人事一課監察係』  講談社文庫
『ヒトイチ 警視庁人事一課監察係』   講談社文庫
『警視庁情報官 ノースブリザード』   講談社文庫
『院内刑事 ブラックメディスン』 講談社+α文庫
『院内刑事』   講談社+α文庫

===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2021.9.14現在 1版 21冊


『邂逅 警視庁失踪課・高城賢吾』  堂場瞬一  中公文庫

2022-03-16 12:44:39 | レビュー
 高城賢吾シリーズの第三弾、書き下ろし長編で、2009年8月に文庫本が刊行された。

 藤井碧の妹が、姉の失踪の件で失踪課三方面分室を1週間前に訪ねてきた。藤井碧は2年前にコンサルティング会社から引き抜かれ、港区にある森野女子短大の総務部長となり、年齢は40歳。姉は責任感の強い人で仕事を放り出していなくなるとは考えられないと妹は言った。だが、その藤井碧の遺体が仙台市内の広瀬川の中州で発見された。法月大智がその確認に出張し、戻って来たところからこのストーリーが始まる。法月も現場を見て他殺や事故を疑う余地はないと判断したと報告した。
 藤井碧が引き抜かれ、大学の総務部長になった背景には、今後大学の倒産が少子化を背景に現実問題となり、大学サバイバルの時代にむかっているという趨勢があった。
 そんな矢先に、占部佳奈子が第三方面分室を訪れてきた。息子で40歳になる占部俊光が行方不明になったという。俊光は渋谷区に所在する学校法人港学園の理事長。急逝した父の職を35歳で引き継ぎ理事長に就任していた。占部母子の住所も大学の所在地も第三方面分室の管内である。

 届出を受理した高城は明神愛美を相方として、占部俊光の自宅の捜査から着手した。その後、大学を訪ねると応対に出たのは嶋田総務部長だったが、捜索願が出ていると言っても、何も申し上げることがないと応答を拒否する姿勢を貫いた。そこに常務理事の竹内が介入してきて、警察は大学の内部事情に首を突っ込むなという強硬な姿勢で応対したのだ。高城は一旦引き下がらざるを得なくなる。だが、構内で法学部教授三浦尚志が高城に声を掛けてきた。三浦は思わせぶりな発言をする。そして、占部理事長を「突貫小僧」と評した。
 高城が捜査を始めた矢先に、占部佳奈子が第三方面分室に、これ以上捜査はしなくていいという電話を掛けてきた。電話を受けたのは愛美だった。当然彼女は憤慨した。
 阿比留真弓室長は、高城の報告に対して、即座に捜査のストップを指示した。だが、高城は占部の出身地である仙台に行き捜査を継続することを主張した。真弓室長は、高城が夏休みの取得という形で仙台に出かけるならその捜査行動を黙認すると言う。事件性が確信できる時点で出張に切り替える事後処理をすればすむからと。
 高城が真弓室長との変則的な合意をした直後に、本庁捜査二課の三井と名乗る管理官が分室を訪れ、藤井碧の死の事実確認について傲慢な態度で問いかけて来た。さらに最後に「ここの仕事に何の意味があるか知らんが、俺たちの大事な仕事にも、少しは協力してくれないと困るんだよ。頭と耳を使ってな」と捨てゼリフを高城に言う。二課は表面化していない事件を掘り起こすのが役割である。高城は藤井碧が大きな事件の端緒に絡んでいたのではと逆に推測することになる。

 このストーリーのおもしろいところは、この変則的な形で高城が仙台にでかけたところから、実質的な捜査が始まって行くことにある。
 法月は長い刑事生活での人脈を情報源として独自に動き回っていた。そして、高城にいい情報を仕入れたと告げる。8日前に占部が仙台にいたことがNシステムのデータとある程度一致すること。8日前に仙台市の隣りの名取市内で占部の銀行のキャッシュカードがATMで使われている事実があること。一方、高城は仙台に出かける前に、関係する大学について基礎研究を行い、背景情報を把握する行動に出る。

 仙台を発祥地とする港学園の所在地を現地確認し、名取市のATMが使われた銀行でのビデオ記録の確認と聞き取り捜査から、高城は占部俊光について、背景情報をジグソーパズルのピースの様に、累積していくことになる。いつもの事ながら、高城の地道な聞き取り捜査のプロセスの進展がリアルでおもしろい。現地に行かなければ、人から人への繋がりと聞き取り捜査ができない側面がある。地道だが確実な情報収集。これが読ませどころになっている。
 徐々に占部のプロフィールが形を成していく。さらに占部の人間関係の一端に事件解明の糸口が生まれていく。

 このストーリー展開での特徴を列挙しておこう。
1.宮城県での高城の単独捜査による情報の累積が大きな梃子となっていく。
2.今回法月がなぜかかなり無理をした独自の捜査行動を続ける。そして倒れる。
 そのサブ・ストーリーの展開が今回の読ませどころの一つになる。
 法月はなぜそこまでやるのか? その謎は最後に明らかになる。
3.三浦という大学教授の思わせぶりな発言が何を意味するのか。このひっかかりがおもしろい。
 大学という組織の運営、経営に潜む様々な利害関係が内部の視点でやや揶揄的だが語られる。大学の裏事情の一例として興味深い。いずこも五十歩百歩なのかも・・・・。
4.捜査二課の三井管理官が高城に接触してくるが、彼の発言が逆に高城に失踪事件の筋読みに対するヒントになる。かつ単なる失踪事案にとどまらず、不可解な闇に繋がる大きな事件を予感させるのだ。つまり、高城の刑事魂が爆発するトリガーになる。逆効果を呼ぶところがおもしろい。
 占部俊光の身辺と併せて、高城は藤井碧の身辺を改めて捜査することになる。
5.「邂逅」という言葉は、「[しばらく会わない人に]思いがけない所で(機会に)会うこと」(『新明解国語辞典』三省堂)という意味がある。高校時代から時を隔てて、偶然に出会った時に、同類のビジネスに携わり、同じ悩みを抱えていた。それが始まりとなる。過去の思いと現在の思い。結果的に「空回り」がこの事件のキーワードになる。
 失踪事件の捜査が、殺人未遂事件の立件となるストーリー。なぜ、そうなったのか。
 そこは、このストーリーを読んで楽しんで確かめていただきたい。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『相剋 警視庁失踪課・高城賢吾』   中公文庫
『蝕罪 警視庁失踪課・高城賢吾』   中公文庫
=== 堂場瞬一 作品 読後印象記一覧 === 2021.12.15時点 1版 22册



『企画展がなくても楽しめる すごい美術館』  藤田令伊  ベスト新書

2022-03-11 14:25:56 | レビュー
 『すごい美術館』というタイトルに興味をそそられて読んだ。その修飾句がおもしろい。すごいと言わしめる前提が「企画展がなくても楽しめる」という条件が付いている。
 遅ればせながら著者の名前を本書で初めて知った。著者のプロフィールを読むと、真っ先に「アート鑑賞ナビゲーター」という肩書が紹介されている。この肩書も私は初めて目にするものだった。ヴイジュアル新書として発刊されている。当然だが美術館自体の写真を含めて、当該美術館所蔵のアート写真も数多く掲載されている。本書は2016年8月に刊行された。

 著者によれば日本には1000を越える美術館があるという。この数、気象庁の全国の観測地点数(929ヵ所)を越えているそうだ。そのあまたある美術館の中から、「企画展がなくても楽しめる」という美術館を60、この新書で紹介している。勿論、著者は「はじめに」で、「本書における美術館のセレクトは『公正中立』といったものでは露ないということです。私の主観が如実に反映されています。」「もし美術館の総合力とでもいうようなランキングがあったとしたら、当然、上位にランクインするであろう美術館でもあえてバッサリ切り捨てているところがあります」と前置きをしているので、その点を前提に受けとめる必要がある。それでも、全国の美術館を見て回ったこともないし、地元・京都府下の美術館ですらその全てを訪れて知っているわけでもない。それ故、参考情報として楽しむには有用な書と思った。

 では、著者は企画展がなくても、「すごい美術館」と選択する根拠、つまり著者の主観的価値判断の視点は何なのか。それが本書の章立ての見出しに反映している。各章で選択された美術館には重複がないので、各章の見出しと、選択された美術館の数をリストにしてみよう。
  第1章 一度は見たい名品のある美術館    10
  第2章 ココロとカラダが喜ぶ美術館      8
  第3章 訪れた人の心が揺さぶられる美術館   9
  第4章 建築や庭が見事な美術館       12
  第5章 鑑賞力がアップする美術館       8
  第6章 スペシャルな個性が際立つ美術館   13
この60のうち、私が少なくとも名称を知っている美術館はわずか16。1回でも訪れたことがある美術館は7つに過ぎなかった。そういう意味では手軽な参考情報として役立つ本である。難点はその60が全国に散在しているのだからそう簡単には行けない点である。本書を手に取って、目次を開いて、あなたご自身の現地体験数をカウントしてみてほしい。
 まずは、解説を読み、写真を眺めながら、誌上鑑賞ツアーを楽しむことにした。
 読後にここに取り上げられた60の美術館をネットで検索してみたら、殆どがホームページを開設されている。序でにこのリストも役立つ情報になる。

 第4章に取り上げてある美術館では、私の住む京都府の隣り、滋賀県の山中にあるMIHO MUSEUM を幾度か訪れている。京都府では大山崎山荘美術館が取り上げられている。かなり以前に一度企画展を見に行ったのだが、美術館自体や庭について殆ど記憶がなかった。そこで、先日この本から刺激を受けて、再訪してこの山荘美術館と庭を眺めてきた。勿論そのとき企画展が行われていたので、それも楽しんできた。その記録はもう一つのブログに印象記をまとめている。ご覧いただけるとうれしい。

 少し前に奈良国立博物館の企画展を見に行き、知ったことでネットでも確認したが、第1章の最後に取り上げられている藤田美術館(大阪府)は、この4月にリニューアル・オープンされる予定になっている。本書は2016年の出版だから仕方がないが、p54の美術館外観写真は古いものになる。改訂版が出るとしたら、写真の差し替えが必要だろう。勿論、本書を参考情報として読む分には大して影響はないけれど・・・・。

 アート鑑賞ナビゲーターの解説を、美術館自体とその所蔵品を中心に読んで楽しむ情報源として損はない。1館を2~10ページくらいで写真入り、ビジュアルかつコンパクトなわかりやすい解説でまとめてある。読みやすい。

 本文から、私の気づきにつながった説明を引用しご紹介したい。
*私たちがふだん「美術館」と言い慣わしている施設は法的には「博物館」なのです。博物館法という法律の所管になっています。(ちなみに動物園や水族館も博物館です)。また、諸外国では「ミュージアム」として両者は一緒くたです。 p29
*対話による美術鑑賞は、近年普及しつつある美術の新しい見方で、鑑賞者の主体的な鑑賞が育まれます。  p33
*中国においても曜変天目が重視されていたらしいことが明らかになりつつあります。p53
*(現在の)時代的社会的背景を考えたとき、「ココロとカラダが喜ぶ」という切り口は思った以上に重要だと気づきます。 p57  ⇒美術館≒砂漠のなかのオシス
*評判の高い展覧会には大量の観客が押し寄せるのに、ごくふつうに開かれている常設展は閑古鳥が鳴いていて、その落差は異常です。私たちはじつはただ煽られて展覧会に行っているだけではないのかと疑われてきます。 p61
*ほんとうは何もないところにこそ自分のクリエイティビテエィを発揮する余地があるはずです。 p61
*私の経験では、ほんとうに心が揺さぶられた鑑賞は地方の美術館においてのほうがずっと多いです。 p84
*美術作品には、たいてい注目を集めるポイントがあります。そのため、人はどうしてもそのポイント中心にしか作品を見ないということになりがちです。ディスクリプションをしていけば、作品全体をくまなく見るようになり、注目点だけしか見ないという見方を越えられます。 p117
*美術鑑賞においてもっとも大切なのは「概念変化」だという考え方があります。・・・・知識を下敷きにして、そこから自分なりに何かに気づき、何かを見出していくことがより望ましいと考えられます。  p161
*大原美術館のコレクションは児島虎次郎がヨーロッパで買い付けたものが中核となっています。 p183


 最後に、表紙にモザイクのように貼り込まれた写真が「すごい美術館」のどれに関係するのか、美術館名をご紹介して終わりたい。書名の真上は「モエレ沼公園」、ここから時計回りに列挙する。「国立西洋美術館」「北澤美術館」「東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館」「ホキ美術館」と続く。書名の下は、「北川村『モネの庭』マルモッタン」「宮城県美術館」「足立美術館」。左側の上に向かい「山梨県立美術館」「鹿児島県霧島アートの森」そして最後が、左上隅の「MIHO MUSEUM」である。

 さて、ここから先はまず本書を開き、「すごい美術館」の一端を垣間見ていただきたい。

 ご一読ありがとうございます。


 本書に登場する美術館のうち、2箇所を訪れています。私のもう一つのブログ記事に探訪記をまとめています。(楽天ブログ) こちらもご覧いただけるとうれしいです。
スポット探訪&観照 京都府・大山崎町 アサヒビール大山崎山荘美術館 -1
  3回のシリーズにまとめてご紹介。
探訪&観照 滋賀県・信樂 ミホミュージアムへ久々に。龍光院蔵曜変天目に惹かれて。

『日本の装束解剖図鑑』  八條忠基  X-Knowledge

2022-03-10 21:31:38 | レビュー
 『源氏物語』を代表的な例として、十二単や衣冠、束帯という言葉を知り、雛人形を目にし、また、戦国時代以降の時代物映画を通して、狩衣、裃(かみしも)、肩衣、袴、羽織なども目にしてきた。博物館を訪れれば、染織工芸品として小袖などキモノの展示を部分的にみることができる。
 長い日本の歴史の中で連綿として格式のある衣類が変化・変容、発展しながら引き継がれてきた。格式ある衣類は「装束」と称される。それは「有職故実」の世界に繋がっている。
 「有職故実」は、「(古いことに精通していること)朝廷や武家古来の儀式・礼法・法令などに関する定型、およびそれを研究する学問。公家については藤原実頼(小野宮流)、藤原師輔(九条流)のニ家が祖とされ、武家に関しては伊勢氏・小笠原氏が有職家として成立」(『日本語大辞典』講談社)と説明される。また手許にある石村貞吉著『有職故実』(講談社学術文庫)の下巻に「服装」という見出しで、「我が国の上代の衣服は筒袖の衣と、ずぼんに似た褌とから成り、・・・・・・」という書き出しから始まり、連綿と115ページにわたり文字だけで説明されていく。「有職故実」参照文献の一冊だが、私のような素人には敷居が高い。必要に応じ部分参照する程度にとどまる。
 手許の『源氏物語図典』(小学館)を例にとれば、「衣服」の項で平安時代の装束や衣服について、イラストが適切に挿入され詳しく説明されている。『源氏物語』という時代に特化しているので有用だが、当然ながら服飾史という視点では時代が限定されていることになる。
 
 関連用語を部分的に知り、何となくイメージは持っていても「装束」の全体をきっちりとイメージでき理解している人は少ないのではないか。私自身未だに正確にそれぞれの装束の部位名称も含めて、全体の姿を適切にイメージすることができない。さらに歴史的変遷という視点ではあまり考えたことがなかった。

 冒頭の表紙で装束の実例がわかる。本書では古代から現代までの「装束」の形をイラストでトータルに描き出し、その装束の特色や時代背景を簡略に解説するとともに、その装束の部位名称を明記し、必要に応じ簡潔な解説が付記されている。
 イラストで全体イメージを捉え、時代背景と特色の解説で歴史的な位置づけを知ることができる。それがどのように変化・変容し発展していくかは、イラストを対比的に見比べることで、時代の変遷を容易に理解できる。図解のメリットが存分に発揮されている。

 目次を参考に、本書の構成の大枠をまとめると次のとおりである。
  第1章 古代~平安時代初期の装束  古代~飛鳥時代頃/ 奈良~平安初期
  第2章 平安時代の装束  平安10世紀頃/ 平安11世紀頃/ 平安12世紀頃
  第3章 鎌倉時代の装束  鎌倉時代
  第4章 室町~戦国時代の装束  室町時代/ 戦国時代
  第5章 江戸時代の装束  江戸時代
  第6章 明治時代以降の装束  明治時代以降
  第7章 現代の装束  現代
 なお、第1章に入る前に、「装束の基本1 装束の部位名称」「装束の基本2 装束にまつわるQ&A」という基礎知識が、導入部としてイラスト付きでまとめてある。

 この解剖図鑑をイメージする一助として、表紙右上のイラストについて、ご紹介しておこう。これは、第2章の「平安10世紀頃 女性」として、「唐風から国風十二単の誕生」の見出しの中で最初に登場するイラストである。このイラストそのものの見出しは「古代風の正装 物具装束(もののぐしょうぞく)」。イラストに明記されている部位名称の数は11。列挙してみよう。名称の後の☆は、説明が付記されていることを意味する。宝髻(☆)、唐衣の襟(☆)、領巾(☆)、唐衣(☆)、表着、五衣、単、紅の長袴(☆)、裙帯(☆)、裳(☆)、衵扇(☆)である。読者にはこの部位名称をどのように読むのかから始まるのだが・・・・。本書ではルビが振られている。ご自分で調べていただくか、本書を開いてみてほしい。
 この「物具装束」が、唐風から国風へと変容していき、「女房装束」となる。いわゆる「十二単」。ここは見開きのページで、右に「物具装束」、左に「女房装束」が対比となっている。女房装束のイラストに付記された部位名称は10。そのうち8つに説明がついている。

 また、第7章を除き、各章末尾にはコラムが1~3個載せてある。参考にコラムの見出しをご紹介しておきたい。
  女性天皇の装束/ 天皇の冠/ 冠の変遷/ 平安~室町時代頃の女子の装束
  平安~室町時代の男子の装束/ 衣紋道について/ 文様の基本/ 
 重ね色目の基本/ 江戸時代の子どもの装束と髪型/ 冠のかぶり方/ 
  女性の髪型の変遷/ 戦後の宮中装束

 装束について通史的に図解した解剖図鑑なので、普通の庶民の衣服の歴史は対象外である。それだけで別の一冊の解剖図鑑が成立するのかもしれない。あるいは、装束以上に通史として捉えるのが難しいのかもしれない。あってほしい気はする。
 
 装束の全体を通史としてイメージしやすくなる本であり、わかりやすくて楽しめる。本書は2021年3月に初版が刊行された。
 「装束」への入門書として有用だ。私にとっては、上記『有職故実』の「服飾」への架橋になる本になった。

 ご一読ありがとうございます。

 
本書に関連して、ネット情報で相乗効果を生み出し、手軽にアクセスできるサイトがあるか少し検索してみた。一覧にしておきたい。
綺陽装束研究所  ホームページ  ⇒本書著者の主宰する研究所
  服制の歴史
  装束の種類(衣冠)
日本服飾史  ホームページ (風俗博物館)
平安装束  :ウィキペディア
女房装束とは  :「きもの用語大全」
冠と烏帽子 :「綺陽装束研究所」
日本の冠  :ウィキペディア
有職故実  :ウィキペディア
「有職故実」って何でしょう :「昭和女子大学」
有職故実

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


『仏師から見た日本仏像史 一刀三礼、仏のかたち』 江里康慧 ミネルヴァ書房

2022-03-07 22:39:41 | レビュー
 日本仏像史は、山本勉氏が研究者の立場から書かれた『仏像 日本仏像史講義』が別冊太陽40周年特別号(2013/3)として平凡社から刊行されている。大きなカラー写真で数多くの仏像を掲載していて、実に有益である。以前に読後印象を記している。私にとっては座右の書の一冊になっている。

 新聞広告で本書のタイトルを見たとき、「仏師から見た」というフレーズに惹きつけられた。早速に入手して先日一応読み終えた。今はあくまで通読したにすぎないが。
 奥書を読むと、著者は仏師松久朋琳師・宗林師に入門。独立後、父・宗平とともに仏像制作に専念されたという仏師である。大学の客員教授、嘱託講師なども歴任されているようだ。本書は2021年12月に刊行された。

 本書で著者は6章構成で日本仏像史を論じていく。その捉え方は章立てを見るとわかりやすい。以下の章タイトルで大凡の流れがお解りになるだろう。
 第1章 日本の仏教黎明期 - 飛鳥・白鳳期
 第2章 国家仏教として  - 奈良期
 第3章 仏教文化の絢爛  - 平安期
 第4章 藤原氏の栄華   - 摂関期
 第5章 作善の仏像    - 院政期
 第6章 慶派の隆盛    - 鎌倉期
冒頭に記した山本勉氏と同様に、本書でも論じているのは鎌倉時代までである。
 山本本では、鎌倉時代の後は「南北朝時代」「室町時代」「桃山時代」「江戸時代」と大括りながらそれらの時代の仏像制作について概説を加えてはいる。一方、本書は直接には語らない。江戸時代の円空と木食に言及するに留まる。

 本書は最後に「終 仏師の冬、そして現代へ」という章が付されている。ここで著者が鎌倉時代の後について言及しているのは、仏師の目からみた時代の転換である。それが「冬」という語に集約されている。仏像史を鎌倉でほぼ終え、それ以降をなぜ論じないのか。著者の論点ははっきりしていて、仏師から眺めた理由がなるほどとわかる。
 この点について私の理解として要約してみる。
*為政者を対象とした仏教が、各宗派とも庶民を対象とする方向に転換した。
*大寺院の建築、巨大な仏像のニーズがなくなる。仏像は家庭内の仏間のニーズに移る。その結果、「中世までの仏像に秘められた精神性や生命感といったものが次第に薄れる傾向が生じていくる。」(p190)
*中世までの仏師は僧侶であり、それ以降は仏師が職業化した形跡がみられる。
つまり、それまでの発展として仏像史を論じる時代ではなくなったという視点がそこにあるように受けとめた。
 さらに、著者は明治維新における拝仏棄釈と神仏分離令による打撃及び太平洋戦争前後の仏師の危機を付け加えている。仏師にとっては厳しい冬の時代に直面しているという認識である。

 本書の特色をいくつか挙げることができる。
1.各期のポイントを押さえる上で、仏像の写真が掲載されている。しかし、その掲載数は思っていたほど多くはない。モノクロ写真のみ。本論の中で、仏師としての著者の作品も掲載されている。
 なお、内表紙の次に著者の制作した仏像だけがカラー写真で掲載されている。
2.各期の仏像について、そのの特徴と発展を説明するにあたり、各期で活躍した仏師の意識面、仏像制作における技法の考案などについて仏師の視点から論じている。
 特に、第3章の後半に「一木造から割矧造、そして寄木造へ」の箇所は、木の材質と技法を、仏師の立場から説明されていて、わかりやすい。
3.各章で各期の仏像を論じることと照応する形で、コラムが所々に挿入されている。このコラムの内容が仏像と仏像史の説明とうまくコラボレーションする形になっている。仏像について基礎知識を提供するタイミングがよい。
 コラムの見出しを列挙しておこう。コラムを読むだけでも一読のメリットがある。
  仏天蓋/ 三十二相とは/ 仏像の後背と台座/ 木の材質と道具のこと
  光背/ 台座/ 木を敬う心/ 開眼法要/ 様々な素材の仏像 
  現代の拡大法、かすかな思い出/ 尋常でない短期間での完成-技法の謎
  平安京の規模/ 僧綱とは/ 割矧造や寄木造の接合/ 平等院/ 即成院
  その後の七条仏所/ 長講堂/ 法住寺/ 載金について
4.「あとがき」の後に、特筆すべき仏師を著者の視点で抽出し、仏師のプロフィールを概説している。

著者の視点での記述を第1章~第4章の範囲から参考にいくつか引用しておきたい。
*本尊を秘仏として、厨子の扉を固く閉ざす寺院は多い。本来、不可視であるほとけの存在を、形を通して信知せしめるのが仏像ではあるはずだが、結界が緩むと畏怖する心と敬いの心が薄れることは否めない。あわせて偶像崇拝に陥る危険も孕んでいる。 p9,13
*絵画や彫刻は肉眼で見えない世界に導いてくれるが、肉眼ではなく、「視於無形」こそが大切なのであろう。 p14
*樟は仏像を彫刻する素材である前に香木、霊木、神木と考えられ、重んじられたのではないかと想像できる。  p27
*[白鳳期の仏像について] 全体的に写実が進み、大らかで自由で自然な表現へと変化をみせ、生命感とぬくもりを感じさせるようになっているのがあきらかである。 p34
*[奈良期] 当時は律令制度により組織の下で事業に臨んだことから、仏師は後世のような作家という意識はもっていなかったと思われる。  p43
*仏教においては、毘盧遮那仏の大きさは現実界の寸尺ではなく、無限大を意味しているので、大きくなければならなかった。  p50
*鑑真和上の来朝の影響もあって、それまで主流であった金銅仏、塑像、乾漆像と入れ替わるように木彫像が復活し、日本の仏像はほとんどが木像へと変化を見せていった。p57
*空海と最澄を対比するとき、法相宗の僧、徳一(生没年不詳)を通して見ることで双方の関係が浮かんでくる。  p76
*定朝の作風は円満具足をもって流麗で中庸を保ち、優美さと気品に満ちており、高度な美意識を具えた王朝の貴顕に愛好され、さらに大衆に至るまで万人から尊ばれた。p120
*七条仏所は定朝以来、一族、師弟、子孫が長く住んで仏像が造られた工房で、鎌倉時代には運慶・湛慶・快慶ら慶派の仏師が活躍し、剛健で写実的な多くの名作が生まれたところである。  p128

 著者は本論の末尾を次の一文で締めくくる。
「仏教美術の研究が進んだ恵まれた時代に生きる者として、古典に学び、少しでも近付いていくことを目指したい。」
 ここに著者のスタンスが表明されているように感じる。

 座右の書をまた一冊加わえることになった。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『仏像 日本仏像史講義』  山本勉  平凡社