遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『原発・放射能 子どもが危ない』 小出裕章・黒部信一  文春新書

2012-05-28 01:02:27 | レビュー
 本書は小出・黒部両氏の共著として出版されている。著者名を表記するときは、さんづけで書かせてもらおう。(その方が、著者との距離感に親しみが増す感じだから・・・)
 「おわりに」を鹿島潤さんが記されており、その下に「(構成)」と書いてある。「おわりに」を読み、小出さん、黒部さんのお二人が様々なところに執筆発表、あるいは講演された記録などから、本書を鹿島さんが構成され、両著者が了解された結果として出版された本のように受け止めた。(間違っているかもしれないが・・・・)

 いずれにしても本書は二人の著者がうまく分担した形で、原発・放射能に対して、なぜ子どもが危ないかを論じた内容になっている。小出さんは、放射線計測・原子力安全という専門の観点から、原発廃止と現下で子どもを守ることの必然性を主張される。一方、黒部さんは、小児科医の観点から、放射能に対する子どもの被害に焦点をあてて基礎知識を説明し、子どもが危ない理由を述べられる。「おわりに」を読むと、黒部さんは病原環境論(適応説)の立場を採られているという。

 なぜ子供たちを守らなければならないのか?
 小出さんは答える。「子どもたちには原子力を許してきた責任がない」からなのだと。(p162)子どもたちは、原発を「選択したのでも、その恩恵にあずかるのでもない人たち」(p163)であり、犠牲をしいられる立場になるからだと述べている。「大人の何倍も放射能に弱く、真っ先に犠牲になる」(p163)存在なのだから。
 小出さんの主張はこの答えに凝縮されているように思う。この主張に賛同する。

 本書で小出さんは、
 第1章 何があっても子供たちを守らなくてはいけない
 第3章 子供たちが置かれた被曝状況
 第6章 弱い人たちを犠牲にする原発というシステム
 第7章 原子力を終わらせるということ
を担当し、その主張を展開されている。私が主要論点と受け止めた箇所を引用しよう。(矢線で付記した箇所は私の感想あるいは付記事項。)詳細は本書を繙いていただきたい。

*大変言いにくいことですが、これから10年後、20年後、福島の子どもたちには、癌が多発する可能性があります。それは、犠牲にならなくてもすんだはずの子どもたちなのです。そして、そのときになって2011年を悔やんでも遅いのです。 p13
 →これこそ、「子どもが危ない」危機感の根っこだと受け止めた。
  「低線量被曝と癌の因果関係を証明することは大変難しい」(p29)という理由も第1章で明確に述べられている。だからこそ、原子力ムラ側が「しきい値」論を表に出してくるのだろう。

*10代半ばくらいまでがもっとも細胞分裂が活発な時期です。つまり、小さい子どもほど、低線量被曝(少ない被曝)での晩発性障害の危険が高いのです。 p24

*今回子どもの尿から検出されたセシウム137には、1kgあたり1Bq以上のサンプルがありました。また、核実験では放出されるはずのないセシウム134が出てきたということは、まさに福島第一原発事故の影響による内部被曝と考えて間違いありません。 p77
 東京の母親の母乳からセシウムが検出されましたが、これはもちろん、東京に住む人でさえ内部被曝しているということです。 p83

*すでに甲状腺に放射性ではないヨウ素が十分にある場合は、身体は「もう足りてるよ」ということで、放射性ヨウ素131が甲状腺に行くことをストップします。だからこそ、事故の直後、放射性ヨウ素131を取り込む前にヨード剤を飲んで、甲状腺にヨウ素を満たしておくことが大切なのです。  p80
 →「原子力発電所のある自治体では、そんなときのために住民用のヨード剤を備蓄していた」(p80)のに、爆発事故直後に使われなかった。ヨード剤を飲むことの意味が、行政の関係者に理解されていたのか、住民にも理解されていたのか。備蓄されていることやその機能、使い方が住民に浸透していたのか。この点が大きな論点にすらなっていないのが現状なのか。

*パニックを避ける唯一の手段は正確な情報を常に公開することだと私は思うのです。 p21
 →これは原発の爆発時点で正確な情報が報道されなかったことに対しての発言である。これが、次の主張にも通底していると思う。

*私がぜひとも行ってほしいと思っているのが、「すべての食べ物の汚染度を正確に表示する」ことなのです。そうすれば、妊婦や授乳期の母親、乳児や子どもにはなるべく汚染されていない食品を食べさせることができるからです。  p84
 
*すべての食品は汚染度を明示して販売すること。生鮮食品はもちろん、加工食品であれば原材料の汚染度、飲食店では食材の汚染度を、消費者が一目でわかるようにする。基準値を上げるのでも下げるのでもなく、汚染度を正確に表示する。これが私の提案です。 p89
 →小出さんは、東京電力こそが、すべての食品の汚染測定をすべきだ(p96)と主張されている。

*放射能は燃やそうが浄化しようが、増えもしないかわりに決して減ることもないのです。燃やせば灰になってゴミの量は減りますが、放射能はそこに、きっちり同じだけ残っているのです。ただ濃度が高くなっただけです。・・・どんなことをしてもなくならないのです。  p74
 →この事実が、子どもに甚大な影響を及ぼすことが、どこまで認識されているのだろうか。

*原子力を推進する政治家や役人、電力会社と巨大企業群の犯罪は許しがたい。なぜならば、原子力、原発というのはあらゆる場において弱い者を犠牲にし、その命、生活、人生すべてを踏みにじるものだからです。  p169

*原発というのは、そこに住む人間の生活や人生、故郷を根こそぎ奪いとってしまうものなのです。 p179

*地域が外から来た「原発頼み」の産業構造になってしまうことにより、第一次産業のような昔からその地域に根ざしてきた産業は廃れ、また、新しい産業も育たなくなることが多いのです。・・・暴力団が人を麻薬漬けにするのと同じように、国や電力会社は貧しい自治体を原発漬けにしてしまうのです。
 → これはまさに、原発再稼働の現下の地元の動きがそれを実証しているのでは!

*都会の人が計画停電で電気の有り難さを知ったというのであれば、そして、もしそのために今後も原発が必要だというのであれば、都会に建てて欲しい。それは嫌だというのはあまりにも身勝手です。 p178
 → これは「弱い人たちを犠牲にする」という価値観の支持者になるのかどうか、2011.3.11以降での明確な判断基準になるように思う。なぜなら、原発の怖さを体験した上での主体的な選択なのだから。そう受け止めた。そこに、「優しさ」はない。

*現在福島第一原発で懸命の作業に当たっている人たちの大半が、東京電力の社員ではなく、協力会社といわれる下請けの労働者たちだということ   p184

*事故後、・・・被曝線量限度が一気に250mSvまで引き上げられてしまいました。250mSvというと、急性放射線障害が出るほど恐ろしい数値です。 p188
 福島第一原発は、作業員の不足という重大な危機にぶちあたっているのです。 p189

*癌や白血病、免疫不全、慢性疲労などが多発・・・「湾岸戦争症候群」などといわれる症状は、劣化ウラン弾の影響だと疑われています。また、湾岸戦争で劣化ウラン弾が集中的に使われたイラク南部の都市、バスラではその後、子どもたちの間に癌が多発しました。 p194~195

*福島の事故が起きてしまった以上は、米国だってヨーロッパだって、世界中放射能を受けるのです。どこにいても完全に被曝を避けることはできないのです。その現実を受け入れた上で、なるべく子供たちには被曝をさせないでほしい、としか私にはいえません。 p196

 小出さんは、「しきい値」論に対し、米国科学アカデミー委員会のレポートや、原発推進の立場であるICRP(国際放射線防護委員会)でさえ認識している見解を踏まえて反論する。子どもが危ない理由を「今や世界の常識」(p28)の観点から語る。
 そして、医学的な観点から、小出さんの子どもを守らなければという主張を補強するのが、黒部さんだ。
 黒部さんは、「子どもと放射能の基礎知識」(第2章)を説明し、「子どもは大人に対して、放射線の影響を10倍もうけやすいとも言われている」と述べる。それを年齢別で図表化したゴフマンの調査結果で説明している(p63-64)。
 第2章を読み、私が理解した要点を抽出し引用してみる。具体的説明はぜひ本書をお読みいただきたい。

*高線量の放射線を浴びると「急性障害といって、すぐに影響が出ます。それに対して低線量被曝の場合は「晩発性」といい、あとになって、つまり何年も経ってから影響が出ます。・・・・これまで、チェルノブイリ事故でも、低線量被曝をした子どもたちが後になって癌や白血病を発症するという例が報告されています。 p39

*2003年、二人の研究者によって低線量被曝での(補記:DNAの)二本切断が証明されました。・・・・すなわち低線量被曝でも癌や白血病などを引き起こす危険性があることの証明です。つまり、放射能はどんなに少なくても安全とは言えないということです。 p49

*確定的影響とは、高放射線によって、・・・・それに対して、確率的影響というのが低線量被曝の場合の考え方です。 p50

*身体の外側から被曝する外部被曝よりも、体内に放射性物質がとどまって放射能を出す内部被曝のほうが、低線量被曝の場合の健康被害はじつはずっと深刻なのです。体外へ排泄されない限り、放射性物質が身体の内部で放射能を出し続けているのですから当然です。  p55-56

*被曝は、すべての臓器の発癌と機能の異常を引き起こしますが、機能の異常は、形態に異常を伴う発癌のように数値化することが困難です。そのため、有害な影響を発癌のリスクとして表現しているのです。・・・・頭痛、めまい、疲れやすい、骨が痛むなどさまざまな症状が物語るのは、病気としてカウントされることはないものの、癌だけでなく、被爆者が全身を蝕まれていることを物語っています。   p58-59

*妊娠時に被曝すると、線量にもよりますが、死産、流産、出産時異常の危険があるほか、健康に産まれたように見えても、出産後1年以内から影響が出る可能性があります。 p63
 
*受胎後8~15週の期間は、中枢神経系も放射線にたいして非常に敏感です。約100mGy(※セシウム137であれば100mSv)を超える胎児線量は、知能指数の低下をもたらす確率がたかくなります。1Gy(※同・1Sv)程度の胎児線量を受けると、重篤な精神遅滞が高い確率で起こります。  p66

*卵子は卵母細胞という卵子のもとになる細胞を、生まれた時にすでに200万持っているわけです。・・・・もし卵巣が被曝し、放射能で傷ついた卵母細胞が成熟して、それが受精してしまえば、被曝から20年後の胎児に影響が出る、ということが起こりえるのです。 p67~68

*放射能の基礎知識として、・・・まず、普通にいわれる半減期とは「物理的半減期」のことです。・・・次に「生物学的半減期」というものがあります。・・・・もう一つの半減期は「実効半減期」。体内の半減期ともいわれています。
 → 半減期という言葉一つとっても、どういう文脈でどの意味で使われているのか識別しないと適切に理解できないことになる。政府・東電・マスメディアなどの報道を読んだときに、ごまかされないようにしようではないか。

 黒部さんも、第2章の末尾を「正しい情報と知識を伝えることは、全ての基本だと私は想っています」という一文で締めくくっている。

 本書第3章で、小出さんは「私にとっては、年間20mSvというのはとてつもない数字なのですが、国にとってそれは『しきい値』以下であり、健康に影響がない範囲なのです。」と国の論法に含まれるからくり、欺瞞を指摘している。本書は、なぜこれが欺瞞なのか、そこに潜む「子どもが危ない」理由をわかりやすく解き明かしている。両著者のコラボレーションは、子を持つ親にとって解りやすく読める必読書の一冊になっていると思う。

 本書第5章は「子どもと放射能Q&A」にあてられ、親の抱く素朴な質問に黒部さん、小出さんが分担して答えるという構成になっている。質問内容だけ列挙してみる。
・子どもの内部被曝を調べる方法はないでしょうか?
・食品による内部被曝を自分で計算する方法はないでしょうか?
・計算も難しいのであれば子どもの食生活は何に気をつけたら良いのでしょうか?
・野菜は洗えば安心でしょうか?
・活性炭で水はきれいになりますか?
・子どもが外遊びをするときに気をつけることはありますか?
・比較的安全といえる場所はありますか?
・被曝を少しでも少なくするために、ほかに親が気をつけるべきことはありますか?
・医療被曝を減らしたほうが良いとはいえ、子どもが頭を打った場合、外見からは中の損傷がわかりません。CTは必要ですか?
・ネットで買った放射能測定器で測ったら、自宅近くの線量が高いのですが・・・
・子どもが鼻血を出すので心配です
・放射能の危険性について、いろいろな意見があってどれが本当だかわからないのですが....
・福島の子どもたちはみんな被曝してしまったのでしょうか?
・放射能が怖いので、東京から引っ越そうと思っているのですが、どこが安全でしょうか?
 これらの質問に簡潔な回答説明がなされている。

 最後に、小出さんが講演会などでよく引用されているレイモンド・チャンドラーの遺作『プレイバック』中の主人公・私立探偵フィリップ・マーロウの言葉を引用しておこう。

「強くなければ生きていけない。優しくなれないなら生きる価値はない」
(If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.)

 小出さんは、この「優しさ」とは、「自分よりも弱い者の尊厳を認めて生きる」、そういう「生き方」ではないかと、思いを重ねている(p168)。この言葉に共感する。

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 本書の主張をより深く理解するために、キーワードとそこからの波紋をネット検索してみた。検索し選択した範囲内の情報の一覧をまとめておきたい。

病原環境論1 2012/3/30 :「黒部信一のブログ」
 ここで、こう記されています。「環境を変えられないから、せめて環境から來るストレス対策をするしかない・・・環境から來るストレスに適応するしかないのです。」
 病原環境論または適応説 2010/0/11
 私の履歴 2011/09/18
 未来の福島こども基金を作りました 2011/07/07
 
原発事故と子どもの健康 1,2,3 2011/05 :「黒部信一のブログ」
 原発事故と子どもの健康 4,5
 
ルネ・デュボス ← Rene Dubos :From Wikipedia, the free encyclopedia

チェルノブイリ子ども基金
未来の福島こども基金
市民放射能測定所 

放射能について正しく学ぼう -Team Coco-
 ここに掲載の中の一項目として
 内部被曝について知っておいて欲しいこと  制作 team Coco
 
内部被曝についての考察 琉球大学 矢ヶ崎克馬氏
矢ヶ崎克馬氏:依然として最大の脅威は内部被曝のリスク :YouTube

被曝 :ウィキペディア
フクシマの真実と内部被曝-20120329くわみず病院 勉強会 :YouTube

年齢別に見た1万人・シーベルト当たり発生する、がん死者数
 ※ ゴフマン博士による評価(死者数は白血病を除く)
ジョン・ゴフマン ← John Gofman :From Wikipedia, the free encyclopedia
 Gofman :Department of Nuclear Engineering University of California, Berkeley
ジョン・ゴフマン博士 :「ジョー爺 世界ほっつき歩き!」
 
連載・低線量放射線の影響をめぐって(その1) :原子力資料情報室(CNIC)
『原子力資料情報室通信』第340号(2002.9.30)より

ECRR(欧州放射線リスク委員会)の2010年勧告(原文)
 この勧告の試訳(ECRR2010翻訳委員会、発行:美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会)
 
ICRP2007勧告の概要(英語)
(インターネット上でこの文書の日本語訳は見つけられなかった。概要版ではなく報告書本体は有料:「哲野イサク地方見聞録」)

国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告(Pub.103)の国内制度等への取り入れに係わる審議状況について -中間報告- 2010年1月 放射線審議会 基本部会

福島原発事故:アメリカの『社会的責任を負う医師団-PSR』声明  2011.4.29
“安全”を考慮するなら福島の子供たちの被曝許容値増大は無茶苦茶(no way)だ
  日本語説明 :「哲野イサク地方見聞録」
   
HEALTH RISKS FROM EXPOSURE TO LOW LEVELS OF IONIZING RADIATION
 BEIR VII PHASE 2
”   : THE NATIONAL ACADEMIES PRESS
 ページ単位のダウンロード可能、印刷可能
 Free Executive Summary (ダウンロード可能)
 Report in brief (ダウンロード可能)

― “最後の被爆医師”が語る人体に与える内部被曝の脅威 ―  :日刊SPA! 
内部被曝の恐怖 「何ミリシーベルト以下なら大丈夫」はウソ  
内部被曝の恐怖【中編】「放射線に対抗する唯一の方法は?」
内部被曝の恐怖【後編】「日本の医学界が被曝の影響を無視してきた理由」

神戸大学・山内知也の文科省への申し入れ書
『実際の被害が福島の子どもたちの間に生じます』 :「哲野イサク地方見聞録」

チェルノブイリ原発事故による放射能汚染と被災者たち 今西哲二氏
 「技術と人間」1992年8月号に掲載   :原子力安全研究グループ  
「低線量放射線被曝とその発ガンリスク」今中哲二氏  
 岩波「科学」2005年9月号に掲載    :原子力安全研究グループ

福島県 小、中学校、都市公園、児童福祉施設等モニタリング
 福島県放射能測定マップ (実施結果の一覧メニューのページ)
 その中の一項目として;
 福島県環境放射線モニタリング小・中学校等実施結果(全調査まとめ)について
 
子どもと被曝 福島とチェルノブイリ :阪南中央病院
  小児科医(病院長) 中田成慶氏

子どもを守ろうSAVECHILD HP

子どもに20ミリシーベルトも浴びせるなんて! -福島県小中学校等の放射能汚染-
   :「どうしたらできる?原発ゼロ・温暖化阻止」

2012/05/07 『原発危機と東大話法』 山下俊一教授 と ジョン・ゴフマン博士
  :中村市ブログ 「風の便り」

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『謙信の軍配者』 富樫倫太郎 中央公論新社

2012-05-20 17:29:42 | レビュー
 本書は、軍配者3部作の第3作目である。足利学校で机を並べた3人-青渓・鷗宿・養玉-が、何時の日か、戦場で相見える日を期して別れた。第1作は最初に信玄に見出され北条氏康の軍配者になった青渓即ち、風摩小太郎の物語だった。その青渓に助けられた鷗宿(四郎左・山本勘助)が信玄の軍配者となって活躍するのが第2作だった。軍配者としての役割を認められず、信玄との戦いに加わり捕虜になった養玉(冬之助)が、信玄の軍配者としてその位置を確立してきていた鷗宿に助けられる。その養玉が足利学校で共に学んだ景岳(直江実綱)の伝手を頼って越後に行き、実質的な軍配者として登場してくるのがこの第3作である。養玉は謙信から宇佐見の姓を与えられ、宇佐見冬之助として、謙信の軍配者となる。

 謙信の戦は信玄を抜きには語れない。したがってこの第3作は、謙信と信玄の両陣営を併行させながら描き出していく構成になっている。そういう点で、前2作とは少し趣が異なる。逆に言えば、謙信・宇佐見冬之助と信玄・山本勘助が諸に戦う状況を著者は切出して見せたといえる。本書は4部構成になっている。
 第1部:越後の虎、第2部:三国同盟、第3部信玄、第4部:川中島、という構成だ。そして、これが川中島の各回の戦模様の叙述にも対応していく。

 第1部の冒頭は晴信(信玄)の武田軍と村上軍の桔梗原の戦いの描写、躑躅ヶ崎館の雪姫に関わる状況など、武田側の状況から始まり、北信濃の三角地帯「川中島」の戦略的重要性が押さえられる。そして、一転して越後・春日山城での景虎(謙信)と重臣との会議場面となる。この冒頭から、著者は景虎の強み・弱みを描き込んでいく。このあたりでまず景虎像の輪郭に引き込まれる。藩運営という政治の側面には優柔不断で、戦には滅法強く、戦における発想と決断に秀でた姿が徐々に描き込まれていく。これが著者の謙信観なのだろう。また、本書を通じて、越後の重臣、直江実綱、本庄実乃、大熊朝秀が登場するが、この三者三様の思考と行動も景虎側の脇役の動きとして面白い。特に景岳(直江実綱)が越後という国の実質的な運営において基軸となっているのは副次的な読みどころである。
 直江実綱は、北信濃での武田・村上の戦の停戦に関わる調停の使者として、越後に亡命中の上杉憲政の名ばかりの管領職親書を携えて、長窪城に出向く。実綱が武田晴信と会った後、勘助は四郎左(鷗宿)として景岳(実綱)と友の語らい次元で面談する。史実があるのかどうかは知らないが、こういう話の展開は楽しい。この対談で、四郎左は宇佐見冬之助が養玉であることを知る。ここで何れ軍配者として両者の対決が迫って来る期待感が読み手に醸成されるのだ。本書の先の展開が楽しみになる。
 そして、天文22年9月の第1回川中島の戦いが第1部で描かれる。読みどころは長尾景虎と武田晴信の戦法について、その発想の違いをクリアにするところだろう。景虎を軸に、冬之助、晴信、勘助の立場で戦のとらえ方が描かれていく側面がおもしろい。景虎と晴信の戦の発想の違いが今後どう展開していくかに期待を持たせる。

 第2部「三国同盟」は、当時の戦国・関東の状況をマクロ的、戦略的に捕らえていく。その結果、なぜ武田、今川、北条の間で三国同盟が結ばれ、それが当時の戦況にどう影響を与えたのか。互いに領土争いをする中で、強国の動きが他国に連鎖的相互的にどのように影響を及ぼすかがよくわかる。
 第2部の冒頭で著者は、第1回「川中島の戦い」は武田軍の完敗だった。晴信に幸運だったのは、越後の国内における事情と上洛を控えていた景虎が1月足らずで撤兵したことにあったと記す。そして、晴信の敗因は、若い景虎の力量、つまり、戦にかけては天才的な武将であることを見誤ったことだと記す。「四郎左は景虎の恐ろしさを肌身で感じた。自分とは異質の天才がこの世に存在することを本能的に感じ取ったのである。晴信も同じことを感じた」。
 この三国同盟締結の利を説くために、まず軍配者の四郎左(勘助)が青渓(小太郎)を小田原に訪ねて行くという設定になっている。ある意味軍配者3人の関わりが現実に生まれてきておもしろいところだ。天文23年(1554)5月、駿河・善徳寺において三国の攻守同盟が締結される。その同盟は、相互の婚姻関係をむすぶことで合意となる。これが当時の同盟のやりかただったようだ。血縁関係が複雑になるはずだ。
 武田側では、伊那郡の完全制覇をめざす動きをとる。そして、諏訪御寮人の病状が悪化、一方、太郎丸を亡くして落胆していた四郎左には妻の千草が身籠もるというエピソードも綴られていく。
 長尾側では、越後国内の北条高広の謀叛が起こる。そして、天文24年(1555)4月からの第2回川中島の戦いが始まる。武田軍と長尾軍の戦い方が興味深い。天才的な戦略眼と戦法で先頭に立って自軍を引っ張っていく景虎に対し、景虎に煮え湯を飲まされた晴信は、景虎の出方を考えながら四郎左とともに着実な戦法を立てようとする。この駆け引きと戦闘の展開が描写される。そこに軍配者の思いが重ねられていく。「わしの手にかかって死ぬことになっても恨むなよ。これが戦国の世の習いというものだからな」と四郎左は思う。
 この第2回戦は、武田軍の優位で展開するが、武田側が今川に斡旋を頼み和睦で終わる。なぜ晴信がこんな行動に出たのか。それがこの第2部のストーリーの一つの要でもある。一方、この和睦の後に、景虎の越後国内での土地争いの訴訟問題を語り、越後国内の事情と景虎の行動を著者は描く。景虎が高野山へ出奔するのだ。領主が国を捨てて出て行く。まさに奇想天外な行動をとる人物。よくこれで越後の国が維持されていたのだと思う。

 第3部「信玄」は、出家を思いとどまり帰国した景虎の下で、重臣大熊朝秀が謀叛を起こしたという驚天動地の一大事から始まっている。大熊の敗退で越後が本当の意味で統一されることになる。この第3部は甲斐の晴信の側から描いていく。まずは、大熊調略の失敗。大熊は甲府に逃れてくる。その年、弘治2年(1556)に晴信は軍事行動を行わない。諏訪御寮人・雪姫が亡くなった年であった。翌年2月、晴信が信濃に出陣する。晴信側から筆を進めながら、第3回の川中島の戦いを描きだしていく。ここで面白いのは、1)冬之助の軍配者としての戦略が表に出てくること、2)四郎左が冬之助の戦略を読み取ろうとするところ、3)鉄砲を前面にだした戦での攻防が展開される場面だと思う。この第3回戦は、晴信が景虎との決戦を徹底的に避けたことで、景虎と晴信が直接戦うことはなかったようだ。
 この戦を描いた後で、著者はこのように言う。「この第3回の川中島の戦いで、晴信は川中島の支配権を固めた。つまり、名を捨てて実利を得たといっていい。一方の景虎は、実利を得ることはできなかったが、名声を得た。目には見えない、この名声という財産が、この後、長尾景虎の運命を大きく変えていくことになる」。
 第3回戦後の両者の和睦にあたり、晴信は将軍義輝から信濃守護職に任命という権威付けを引き出す。これが、千曲川沿いに海津城を築く上での大義名分に利用できるようになるのだ。
 この第3回戦の後、二人を取り巻く政治情勢の変化が戦場で相見えることをしばらく遠ざける。この状況を著者は描く。永禄2年(1559)2月、晴信の出家(以降、法号の「信玄」で呼ばれる)し、同年4月に景虎は上洛のうえ正式に関東管領職となる。永禄3年、今川善元が桶狭間の戦いで信長に敗れる。つまり、三国同盟は事実上破綻し、一方景虎は関東管領職として行動しなければならないことになる。この状況変化が、第4部への伏線にもなっていくのだ。

 第4部「川中島」は、永禄4年(1561)、景虎の関東管領職としての関東での戦行動から書き出される。景虎と北条氏康の戦いという局面である。ここでも、景虎の独特の発想と行動が描かれていて興味深い。
 そして、遂に、第4回の川中島の戦に転じていく。景虎は永禄4年8月14日、川中島に現れ、妻女山に布陣する。普通、「川中島の戦い」と言うとこの第4回戦が想起されるようだ。第4部はこの第4回の戦いを克明に描いている。そこには景虎と晴信の発想と戦法の違いが全面的に露出してくる。そしてそれは二人の軍配者の対決を描くことにもなる。足利学校で机を並べ、戦場で相見えようと語りあった夢が最高潮に達して実現する機会でもある。第3回戦後に武田側が築いた堅城・海津城が、晴信にとって過去の戦いとは異なり、戦略発想に対するアキレス腱のようなものになっていく気がする。この点を含めて、第4部は読み応えのあるものになっている。
 この戦を最後に軍配者から隠居しようと内心考えていた四郎左が討ち死にしてしまう。嗚呼!無念。
 第4回戦は、双方が甚大な被害を受けながら、最終的には引き分けの状態で終結する。景虎の軍配者、宇佐見冬之助つまり養玉は生き残る。このあと、冬之助はどういう行動をとったか? それは、本書で確かめていただきたい。

 本書を通じて興味深く、面白いと思う点をまとめておこう。
1)養玉(冬之助)、鷗宿(四郎左、山本勘助)の軍配者の対決が描かれていること。 
 足利学校での夢、誓いが実現したことになる。両者の思考法と構想が形をなすのだ。
2)景虎という戦の天才の人間像が鮮やかに描かれていること。
3)景虎の晴信観と晴信の景虎観が異質、対極的である。それが様々に影響していくこと。4)養玉、鴎宿、青渓、景岳が敵国同士の関係にありながら、、足利学校という縁の下に、自由に話し合う場を機会をもつ。それがその後の展開の要になっていくこと。
5)「鉄砲」が戦をどのように変えて行くかという萌芽が的確に描かれていること。

 また、本書を読み進めながら心温まる局面は、四郎左と千草の二人の愛の在り方が戦の合間に書き込まれていくことである。そこに四郎左という軍配者の人間像が表出してくる。

 本書では直接触れられていない事柄で、気になる関心事項が二つ残った。
1)景虎が越後国内を一応統一した後は、晴信との断続的な長期戦の継続と関東管領職という立場で関東に進出して戦をした。信濃への進出にはあくまで「義の戦い」を標榜している。領土を確保する戦いではない。景虎の下の武将は景虎の下知で戦に参加するがすべてその費用は自己負担が原則だろう。そうすると、たとえ戦に勝った局面があっても、領土獲得がなければ、報償の分配に預かることもできないはずである。出費ばかりが継続することになる。なぜ、その状態を越後では継続できたのだろうかという点である。
 関東への進出のケースは、武将の出費を抑える理屈を著者は景虎の発想という形で書き込んでいる。だが、やはり出費はあったはずだ。
 景虎の下の武将にとって、「戦う」ことへのモチベーションは何だったのか。
2)景虎は本書では2回上洛し、1回は出家願望で高野山まで行っている。前者の上洛ということの為には、京都まで数多くの武将の領国を通過して行かねばならないはずである。戦国時代に、他国を通過して上洛するということが、容易にできたのだろうか。どういう風にそれが可能になったのだろうか。街道を往来するということができるためのコンセンサスとしてどういう条件があったのだろうか。

 最後にこの第3作で印象深い章句をいくつか引用しておきたい。
*三十を過ぎてからの晴信は、・・・実際に戦場に赴く前に、あらゆる手練手管を尽くして敵軍に調略を施し、その上で、常に敵軍を上回る兵力を戦場に展開することを心懸けた。勝敗の行方を天に任せる真似をせず、どう転んでも自分が勝てる環境を整えてからでなくては出陣しなくなった。それは、晴信が出陣すれば、必ずや武田軍が勝つということであった。 p73

*どれほど多くの土地や財産を子孫に残したところで、何が起こるかわからない戦国の世では大して頼りにならないことが四郎左にはわかっているから、いざというときに身ひとつで生き延びられる術を伝えておきたいと思うのである。  p354

*見栄を張ることばかり考えて、本当に大切なものが何なのか、それを忘れていた。北条の領地に暮らす者たちが平穏に幸せに暮らすことだけが大切なのだ。その暮らしを守るためには北条が滅びることはできぬ。たとえ家名が恥辱にまみれようと、そんなことはどうでもいいことだ。おまえが思い出させてくれた。  p371

*軍配者は理屈で戦を考えます。何よりも兵書を重んじ、古例に学ぼうとします。足利学校で、そういう訓練をされているからです。それ故、軍配者の考え方は、どうしても似たものになりがちで、そこに軍配者の癖を加えて考えれば、相手がどんな策を立てるか、おおよその見当が付くのです。   p424

*兵書を読むのは嫌いではない。しかし、兵書に頼ろうとは思わぬ。何よりも大切なのは神仏の加護を受けることだ。正しき戦をする限り、いつも神仏が守ってくださる。それ故、兵書に頼る必要はない。心に迷いが生じたときは、じっと目を瞑って心静かにすれば、必ずや、神仏が導いて下さるのだ。  p425


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 本書を読みながら、キーワードをネット検索してみた。一覧にまとめてみる。

上杉謙信 :ウィキペディア

善徳寺の会盟 ← 甲相駿三国同盟 :ウィキペディア
善徳寺の会盟 :「朧月庵」 浅川一三氏
善徳寺址 :「武田調略隊がゆく」まめのすけ&足軽A氏

直江実綱 ← 直江景綱 :ウィキペディア
本庄実乃 :ウィキペディア
大熊朝秀 :ウィキペディア
飯富源四郎 ← 山県昌景 :ウィキペディア

赤備え  :ウィキペディア

川中島の戦い :ウィキペディア
川中島の戦い :長野市「信州・風林火山」特設サイト
 第1次~第5次の各戦いの図が掲載されています。第1次から順次アクセス可。
 このサイトなかなかの優れもの。戦のプロセスがわかるように組み込まれています。
 特に第4次・上野原の戦いの進展状況をよく概観できます。
妻女山 :長野市「信州・風林火山」特設サイト
 ここには、次の山城等も掲載されています。
 葛山城跡
 長沼城跡
 海津城跡
 荒砥城跡(=山田城跡)
春日山城 :ウィキペディア
春日山城 :「埋もれた古城」
 このサイトに、次の山城等も掲載されています。
 飯山城 
 旭山城 
 箕輪城
 前橋城(=厩橋城)
横山城  その1(ウィキペディア)、 その2(長野市)
高梨城 :「日本の城探訪日誌」aganohito氏
深志城 ← 松本城 :「Kみむさんのホームページ」
計見城 ← 日向城(計見城・毛見城) :「古城の風景」 馬念氏

小菅山元隆寺 :「がらくた置場」 s_minaga氏

宇佐美定満 :ウィキペディア
 「上杉謙信の軍師「宇佐美定行」の名で知られる」と記されています。
 しかし、本書で宇佐見姓を与えられたと明記された冬之助は作者の創作人物でしょう。このフィクションでは生彩をはなっています。

山本勘助の墓 :長野市「信州・風林火山」特設サイト
 このページの下から2つめの項目です。
こんなサイト記事もあります。

山本勘助は実在したか? :戦と古戦場 「猛将列伝」
「山本勘助」の実在を示す文書、群馬で発見!? :「物語を物語る」 消えた二十二巻氏
市川家文書についての調査報告

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『英和対訳 神道入門』 山口 智  戒光祥出版

2012-05-13 12:52:52 | レビュー
 本書序文の冒頭に、著者は「外国人とりわけ英語圏の人々に日本の神道について全般的な説明を行うことである」とその目的を述べている。日本語では「神道入門」だが、「SHINTO from an INTERNATIONAL PERSPECTIVE」という英文タイトルになっている。国際的な観点という語句を使っている趣旨は、キリスト教その他世界宗教との相違点対比などを盛り込んだ説明を取り入れていることによると理解した。

 なぜ、本書を読む気になったか? それは、外国人を第一ターゲットに書かれているということなので、神道の全体像をまず理解するのに比較的入りやすく、入門として便利ではないかという思いからだった。
 自宅から歩いて行ける距離に地元の神社があり、年始には毎年初詣に行く。長年、京都市内の諸神社を時折訪れていながら、また神前結婚式もしていながら、今まで「神道」というものを総合的に考えたことがほとんどなかった。少し基礎的な事項を学び、風習・慣習的枠組みに留まっている状態から、一歩踏み出して理解を深めたかったからである。
 意外と同類の日本人が多いのではないだろうか、あるいは大半のひとがそうなのかも知れない。そんな方々には、分量的にもお薦めの一冊といえる。英語ではどう表現できるのか・・・・、それは興味・関心次第の附録扱いでもよいだろう。

 日本語文をまずは読んだだけで、英文は部分読みだけである(普段目にしない単語を頻繁に使うということをしていないようなので、比較的読みやすい英文だと思う。日本の宗教文化を説明するテキストとして役立ちそうだ。)従って、この読後印象は日本文での説明を通読した結果で書いている。

 本書の構成をまずご紹介すると、「総合的に」の意味がご理解いただけるだろう。
第1章  神道-日本の正統「宗教」
第2章  神道の歴史的展開
第3章  神道の分類
第4章  神社
第5章  神道の祭り
第6章  皇室の神道祭祀
第7章  神社の制度的側面
第8章  神道の国際的な宗教的位置及び意義
第9章  国際社会と神道
第10章 神道と自然環境
第11章 典型的な祝詞の英訳
 
 第1章の冒頭「1.神道とは何か」および第8章で、著者は神道の「神」概念を宗教比較の形で説明している。結局、神道の「神」概念を明確に定義することはできないということを再確認できる。日本人の風習、生活感覚などと一体化されているからということに落ち着くようだ。この対比的説明により、逆にその違いが具体的に分かりやすいといえる。

 私個人が一番理解を深める上で役立ったのは、第2章、第3章である。「神道の始まり」の末尾に、「この神道の本質は、歴史を通じて今日まで変わっていないが、神道は仏教、道教、儒教と政府の政策の影響を受け、特に神仏習合が進展した」と記されている。神仏習合思想を、「神身離脱説、護法善神説、本地垂迹説」という形で簡潔に整理されている点はわかりやすい。「どのように仏教を理解し、信仰するかという観念的な問題が生じ、主に僧侶たちが神と仏の関係について思索を巡らした。その結果、仏教を神道と調和させる考え方が8世紀頃から生み出され(p25)」たと著者は記す。
 また、神仏分離が維持されていた局面(伊勢神宮と宮中)もあることを再認識した。
 神道思想が整備確立されたのは、仏教伝来に対応するためだったと昔聞いた記憶がある。そんなものかと思う程度にとどまっていた。本書で、「伊勢神道、吉田神道、儒家神道、国学」という形でその歴史的展開が簡潔にまとめられていて、参考になった。吉田神道が「仏教に対する神道の優位性を主張するために、本地垂迹説を裏返したものであった」(p37)というのも興味深い。明治の神仏分離と神道の扱い、そして戦後の神社の民間団体化の変遷の概略を押さえることができ、頭の整理ができた次第である。
 神道を、「神社神道、皇室神道、教派神道、民俗神道」と4分類されている。こういう分類で、いままで神道を考えたことがないので、ある意味、目から鱗というところだ。また、皇室神道を意識していなかったので、第6章(ごく簡単にしか記述されていない)と併せてその基礎知識、知らなかった事実を知る機会を得た。知るということは、おもしろいものだ。
 ネット検索で調べて見ると、個別項目ではかなり詳細に情報提供してくれているサイトがある。そういう情報を読み、理解を深めて行く上でも、本書程度のまとめかたのものを総合的、全体的に読んでおくと、まずは入って行きやすくわかりやすい気がした。(当然ながら、語句の使用法にはバリエーションがいろいろ散見されていくので。)

 多くの人は、参拝した経験・日常感覚で神社を何となく知り、馴染んでいる。しかし、「磐境」「神奈備」「神籬」、本殿の基本様式と機能、鳥居の様式、なぜ狛犬というのか、神社の建物の識別法・・・・などについて、説明できるくらいに、神社をご存じだろうか。第4章はこんな基礎知識を知るために有益である。神職の資格がどうなっているかということも、おもしろく学べた。また、第5章では、祭典と祭礼の区別、祭典における標準的な式次第、主要な祭り(祭祀)の分類整理などについて興味深く読んだ。今までは特定の祭りしか意識していなかったので、神社には年間を通じて祭祀行事が結構数多くあるものだと思った。

 第7章、第9章、第10章は、神社の制度的側面や社会的な側面の状況を整理しておくのに有益である。第2次世界大戦以前と戦後の神社の位置づけの違いがよくわかる。また、神社境内の石碑・案内板に記載の言葉の持つ意味について、理解を深めることにもなる。

 私が興味深く感じているのは、第11章「典型的な祝詞」である。英訳もさることながら、まず祝詞の内容が具体的にどういうものかということを本書で初めて具体的に理解できたのだ。ここには、典型的な祝詞として、「大祓詞、祓詞、例祭祝詞、祈年祭祝詞、新嘗祭祝詞」が掲載されている。漢字だけでそれも古語で書かれた詞全文にふりがなが振られている。ゆっくり読んでいけば、大凡の意味は理解できる。正確な理解をするためには、分析的に精読していかねばならないが・・・・。漢字だけの文だがいわゆる漢文ではなく、古語といえど日本文なので、その点仏教の経典と比較すれば、読みやすい。
 地元の神社の祭礼で、神職が祝詞の文書を捧げて本殿前で奏上されるのに何度か立ち会った経験がある。漢字ばかり並んだ祝詞文が背後から見えていたが、こういう内容なのかということを具体的に知ることができおもしろかった。
 そこで、ネットでも祝詞について情報が得られるかと検索してみた。いくつか見つけることができた。本書と併せて、理解を深める手がかりが、インターネットという手段で身近にあったのだ。ちょっと楽しい・・・・

 最後に、本書の印象深い章句を引用しておきたい。

*自然と祖先を崇敬することが神道の本質となった。 p21

*神道は民族宗教であり、日本人は神道とは何かを直感的に理解し感じることができるため、他の世界宗教のようにその思想や教義を説明する必要があまりないのである。そのため、神道では言葉による論理的な説明が精緻になされず、経典を持っていないのである。 p153
 → そのことが、神道の宗教としての限界にはならないのだろうか・・・

*神道の祈りは、本来は共同体の福利のためであり、個人のための祈りは後から発達したものであって、神道は現在、この二種類の祈りを包含しているということに留意すべきである。  p155
 → 現在、本来の祈りの部分をどれだけの人が意識しているだろうか・・・

*神道は、より楽観的でプラグマティックでり、我々は現世を楽しみ、より良くすべきであると考える。  p165

*日本人は、神は森に鎮まると久しく信じてきた。そのため神社は、通常、森の中や近くにあるか、木々に囲まれている。・・・・このように神道は、自然を尊重し、崇拝する宗教である。  p179

 七五三、初詣、神前結婚式、祭り・・・。風習、慣習、生活感覚で何となく馴染んでいる「神社」、「神道」というものを、少し見つめ直してみることは、自分自身の行動を見つめ直すことにつながるという思いがしている。


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 ネット情報では、どの程度の知識情報が得られるものか? 本書を契機に、記載のキーワードから、さらに広げ、深める材料収集として、ネット検索してみた。

神道 :ウィキペディア
三輪山 ご由緒  :大神神社のHP
山岳信仰 :ウィキペディア
古神道  :ウィキペディア

神仏習合 :ウィキペディア
神身離脱説 ← 「神仏習合」とは何か :7.日本の神々と仏たちの正体 小澤克彦氏
護法善神 :ウィキペディア
本地垂迹、反本地垂迹 :ウィキペディア
「神」と「仏」の日本宗教史~その2 本地垂迹説の成立と平安時代の宗教 :「ジュケンブログ 社会」
第10回 古代・中世の神道・神社研究会「神仏関係論の再検討」
:グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」 國學院大學21世紀COEプログラム

熊野三山 表「社殿・祭神・本地仏」 :ウィキペディア
 熊野本宮大社
 熊野速玉大社
 熊野那智大社
八幡大神ゆかりの伝承 :八幡総本社 宇佐神宮のHP
Re: 鹿島神宮と神宮寺 :「神さまのぶらんこ」 鎌倉とんぼ氏
神宮寺  :ウィキペディア
「八坂神社と御祭神」 祇園神の習合 :八坂神社(京都)のHP

修験道  :ウィキペディア
立山大権現、立山信仰  ご由緒 :雄山神社のHP
  左サイドの項目「ご由緒」を選択してください。
立山の歴史・立山信仰  :「立山リゾート研究会」のサイトから

権現 :ウィキペディア
明神:ウィキペディア
徳川家康公;日光山東照大権現 由緒 :日光東照宮のHP
  徳川家康 墓所・霊廟・神社 :ウィキペディア
明治神宮とは  :明治神宮のHP

御霊信仰 :ウィキペディア
御霊会に関する一考察(御霊信仰の関係において) 伊藤信博氏
御霊信仰の諸相 桂川将成氏
今宮神社と御霊信仰 :「ようこそ博物館へ」 水龍氏
五條市の御霊神社 :「ななかまど」
 このサイトでは、各地の御霊神社ととりあげています。
「北野天満宮天神」由緒 (菅原道真公) :北野天満宮(京都)のHP

宮中祭祀 :ウィキペディア
宮中祭祀主要祭儀一覧 :宮内庁
 
延喜式  :ウィキペディア
延喜式神名帳 :ウィキペディア
延喜式神名帳 :「玄松子の記録」
明神大社 :ウィキペディア
二十二社 :ウィキペディア
近代社格制度 :ウィキペディア
社格 :「玄松子の記録」

延喜式検索システム :皇學館大学

神道の系譜 :「女神占い秘話」
山王神道 :ウィキペディア
両部神道 :ウィキペディア

伊勢神道 :ウィキペディア
伊勢神道思想の発展と継承 -家行・慈遍・親房・兼倶- 高橋美由紀氏
高橋美由紀 『伊勢神道の成立と展開』から :「後深草院二条」
 度会行忠の思想における「礼」と「心」、行忠の神仏観

吉田神道 :ウィキペディア
吉田兼倶 :ウィキペディア
吉川神道 :「宗教いろいろ」
吉川神道 :「難経鉄鑑」のサイト 六妖會氏
吉川惟足 :ウィキペディア
垂加神道(スイカシントウ):「本居宣長記念館」HP
垂加神道 :「難経鉄鑑」のサイト 六妖會氏
『垂加神道の人々と日本書紀』への書評 高橋美由紀氏
山崎 闇斎 :ウィキペディア

神道について (儒家神道、国学の神道思想) :市谷亀岡八幡宮のHP
 花の写真のあるあたりから、具体的な説明が始まります。
 このサイトには、「神道とは何か」「神道の発生」「室町中世へ」等
 そして「現在から未来へ」と歴史的プロセスで説明がなされています。
儒教と神道  「神道講座テキスト」新熊野神社
平成心学塾宗教篇  一条真也氏 :「平成心学塾」
 第一講 神道の世界
 第四講 神道と仏教
 第六講 儒教と神道 
 
国学 :ウィキペディア
復古神道 :ウィキペディア
荷田春満 :ウィキペディア
賀茂真淵 :ウィキペディア
本居宣長 :ウィキペディア
本居宣長記念館のHP
平田篤胤 :ウィキペディア
大国隆正 :ウィキペディア
大国隆正 (別名 野之口隆正) :「福山誠之館同窓会」
「大国隆正の学風について」 中村聡氏

教派神道  :「女神占い秘話」
教派神道  :ウィキペディア
 当項目に記載の「神道十三派」のうち、天理教を除く十二派の教史・教義の簡略な説明は、「教派神道連合会」のHPの「What's 教派神道?」という項目に記されている。

国家神道の基礎知識  大黒学氏
国家神道  :ウィキペディア
比較宗教学 4.神道と天皇制  講義レジュメ 安黒務氏 :ICIのHP
 a.神道とは何か  b.平田神道と国家神道

神仏分離 :ウィキペディア
太政官布告・神祇官事務局達・太政官達など :日本の塔婆
廃仏毀釈 :ウィキペディア
廃仏毀釈              :「東白川村の廃仏毀釈」
廃仏毀釈の背景 復古国学と復古神道 :「東白川村の廃仏毀釈」
神仏分離と神葬改宗 神仏判然令の発布:「東白川村の廃仏毀釈」
廃仏毀釈の断行           :「東白川村の廃仏毀釈」
廃仏毀釈と民衆の動き        :「東白川村の廃仏毀釈」

神道指令 :ウィキペディア
神道指令 :「中野毅ゼミCyber Library」
国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並に弘布の廃止に関する件

神祇官 :ウィキペディア
官職:神祇官  :「官制大観 律令官制下の官職に関わるリファレンス」MinShig氏 
神職  :ウィキペディア
神職と神社 まめ知識 :「有職装束研究 綺陽会」のサイトから
神職養成講習会 :國學院大學のHP

神社本庁のHP 
 現在のほぼ全国の神社の軸、要にあたるところ。
 ここには、「神社のいろは」が簡潔にまとめられています。
  名称、狛犬、境内の小さな神社、氏神と崇敬神社、社殿、神さま
神社本庁 :ウィキペディア
神社疔  :ウィキペディア

伊勢神宮 恒例祭及び式 :伊勢神宮のHP
 日別朝夕大御饌祭、 神宮の行事
 神宮の御料地 
伊勢神宮 :ウィキペディア

「正岡正剛の千夜千冊」のサイトから 
 書評を通じて、正岡氏の神道論への思考の一端が発露されているように感じます。
 第六十五夜 鎌田東二   『神道とは何か』
 第百九夜 海津一朗    『神風と悪党の世紀』
 第四百九夜 高取正男   『神道の成立』
 第六百六十八夜 佐藤弘夫 『アマテラスの変貌』
 第六百九十四夜 大江時雄 『ゑびすの旅』
 第七百七十七夜 黒田俊雄 『王法と仏法』
 第七百九十六夜 山本七平 『現人神の創作者たち』
 第九百十夜 逵日出典   『神仏習合』
 第千八十七夜 山本ひろ子 『異神』
 第千百九十夜 村上重良  国家神道
 第千九十夜 ヘルマン・オームス 『徳川イデオロギー』
 第千百四十七夜 津城寛文 鎮魂行法論
 第千百八十五夜 佐伯恵達 廃仏毀釈百年
 第千二百十五夜 土橋寛  日本語に探る古代信仰
 
神社知識 :「玄松子の記録」
 神社について情報満載の優れものサイトです。
 本殿 このサイトに、本殿様式が詳説されています。
 鳥居 このサイトに、鳥居が詳説されています。
 燈籠 
 祝詞 祓詞(「神社本庁作文」によるもの) 原文と仮名まじり文
  6種類の祝詞が掲載されています。探せば、公開されているのですね。
「祓詞のはなし」 :「~新川の社務所から~」 ごんねぎ氏
 他の項目を検索していて、このサイトでも見つけました。
 さらに、「天津祝詞の太祝詞」考というテーマでも、詳細な論究が載っています。 
狛犬分類学  :「狛犬ネット」元祖「狛犬サイト」 by たくき よしみつ氏
 狛犬に関する蘊蓄を傾けたサイトです。
こまけん 日本参道狛犬研究会 :綾瀬稲荷神社の私設HP 円丈責任編集
 メニューが豊富です。書き方が楽しいですよ。
 円丈式狛犬分類カタログ 
狛犬の歴史  :「狛犬と私」clearwater氏
 狛犬豆知識、狛犬の仲間たち、狛犬アルバムを備忘録として作成されています。
 
「甦る神道 -民衆宗教の原点-」 山折哲雄氏 :「教派神道連合会」HP
  教派神道連合会結成百周年記念講演  左サイドから標題項目の選択が必要です。
 
「万葉集神事語辞典」収録語一覧 :國學院大學デジタル・ミュージアム
図書館デジタルライブラリー 神道文化関係 :國學院大學デジタル・ミュージアム
 延喜式祝詞、延喜式巻八、古語拾遺、沙石集などの古文書画像が閲覧できます。

Shinto :From Wikipedia, the free encyclopedia
Kami :http://en.wikipedia.org/wiki/Kami
List of Japanese deities :From Wikipedia, the free encyclopedia
Japanese mythology :From Wikipedia, the free encyclopedia
Syncretism : From Wikipedia, the free encyclopedia

國學院大學から、海外向けにこんな発信がなされているのを見つけました。
Encyclopedia of Shinto 
 ここには、Movies List として、神道関連の動画も沢山掲載されています。
Basic Terms of Shinto 神道基本用語集 
Images of Shinto: A Beginner's Pictorial Guide(図説による神道入門)
 イラスト図による用語説明からその詳細理解ができるリンクが張られています。

UNIVERSITY OF HAWAI'I AT MANOA LIBRARY
偶然、これらの情報源が、ハワイ大学の図書館で神道のリソースとしてリンクが張られているのを見つけました。(Japanese Studies Collection)

Magatsubi no Kami and Motoori Norinaga's Theology UEDA Kenji :國學院大學

ところで、こんなQ&Aもネットには出ていますね。(YAHOO!JAPAN 知恵袋)
日本国家成立以前にあった固有信仰が、神祇信仰、神道へと変化する時期っていつで...


関心を抱くと、様々な情報が繋がってきます。発信者の方々に感謝!

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『脱原子力社会へ -電力をグリーン化する』 長谷川公一  岩波新書

2012-05-10 00:46:40 | レビュー

 「私たちは、何も信じられない、誰も頼れないという荒波のまっただ中に突然、投げ出された。」と著者は書く。2011年3月11日。その日以降、「まず疑ってみなければならない、という不信の世界に投げ出された」のである。「最悪の事態はいつでも起こりうる。政府への不信、システムへの懐疑を前提に、健全に疑う、健全に用心する、新しい時代の始まりである」という主張には、この1年余の動きを見、事実を知る為に、インターネット検索と他媒体で情報を収集して読み考えてきて、同感できる。

 著者の立場は明確である。「世界全体の脱原子力化、とりわけ東アジアの脱原子力化」(p19)を主張されている。電力のグリーン化を日本が率先してリードすべきだとする。

 本書は4章で構成されている。2011年9月出版の本なので、第1章「なぜ原子力発電は止まらないのか」において、原発事故の経緯は2011年7月までの公開情報に基づいて書かれている。その後、より詳細な事実情報が具体的に徐々に明らかになってきているが、基盤的な経緯の全体像は十分理解できる。その上で、なぜ止まらないかを著者は分析している。ざっくり言えば、原発が推進しやすいように法体系が組み込まれ、動きやすい原子力ムラの組織体制が継続されてきた。一方、社会的監視機能が弱かった。知らされないという反面で、大半の一般庶民の無関心がそれを助長してきた。通読しての私流のこの理解を、論理的に例証し分析記述されているといえる。
 たとえば、電源開発促進税が、どの家庭も毎月受け取る電気料金請求の中に、内税方式で組み込まれている。それは、「年間の電力使用量が3600kWhの平均的な世帯では、年額1350円になる」(p35)という。1974年に制度導入されて以来、国民は「『知らされないままに』電気料金の一部として負担し、原子力発電の立地を促進してきた」(p35)という立場にたたされているのだ。電気料金明細書に、こんな目的の税金を徴収していますなどとは何処にも記されていない。正直なところ、愕然とする。
 著者は明確にこう述べている。「日本における各種の社会的監視機構の力の弱さゆえに、原子力発電所はいわば聖域として、表立った批判はタブー視されてきた。マス・メディアにとっても電力業界は最大のスポンサーの一つであり、電力業界への遠慮があった。原発への社会的監視がいかに実効的に機能しうるかは、当該社会のデモクラシーのバロメーターであり、フクシマ事故以降の日本社会の最大の課題の一つである」と。これは、2011.3.11以降の政府・東電両者の大本営的発表による情報内容が、マス・メディアにずっとそのまま垂れ流されてきた事実により、裏づけられている。
 フクシマ事故の後、3月13日、16日の時点でドイツのメルケル首相がそれまでの路線を放棄して、脱原発宣言を行った。そういう宣言を選択させる背景がドイツの社会には築かれてきていたのだ。第4章「脱原子力社会に向けて」の「2 ドイツはなぜ脱原子力に転換できたのか」を読むと納得できる。「フクシマ事故以降の日本社会の最大の課題の一つ」と著者が指摘する社会的監視機構がドイツ国内の反原発運動のプロセスで築かれ、機能しているという実態があるのだ。管元首相の当時発言が、単に唐突な印象だけを与えたことと比べると、彼我の違いが明らかである。

 第1章から、象徴的な章句をいくつか引用しておこう。
*日本には17ヵ所に原子力発電所があるが、そのうち9ヵ所は郵便番号の上3ケタが9XXである。 p40 →著者は、これが日本独特の「都鄙感覚」だと説明する。

*原子力施設は、事実上、地域格差を前提に、あわせて後進地域の財政的・精神的な中央政府依存を積極的に利用して立地が進められてきた。  p49

*地震列島の日本では、適地がないから地層処分をすべきでないと、石橋氏は明言している。 p63  (付記:石橋克彦氏)

*近藤駿介参与から、「日本では直接処分のコストを計算したことがない。再処理以外の選択肢は検討したことがない」という返事が返ってきて唖然とした。 p68 
  →2003年10月11日の公開討論会時点 (つまり、合理的な政策決定がなされていない進め方)

*(使用済み核燃料の)再処理は、・・・・将来軍事転用可能な、核にかかわる国際的な権益を確保しておきたいという思惑である。  p72
  →これは、小出裕章氏他の専門家・識者も指摘している。

*放射能による環境汚染の危険性は、広域的で超世代的な環境リスクである。 p74

 そして、著者は、読者つまり国民に対して「資源浪費的な受益者からの脱却」を主張する。まずはその自覚を私たち一人一人が認識すべきなのだ。そして、その脱却の方途は「エネルギーの効率利用と、脱原子力による電力のグリーン化という選択肢しかありえないのではないか」と述べる。この意見には賛成だ。

 第2章は、「グリーン化」ということについて、世界の認識状況を具体的に説明してくれている。冒頭でアメリカの原子力離れが1970年代半ばに始まっていたということを具体的に統計データで例証している。こういう事実は、日本のマス・メディアでは大きくとりあげてこなかったと思う。「79年のスリーマイル島事故はそれを決定的に加速したというのが正確な理解である」(p79)と著者は述べている。そして、原発を放棄して、存立の瀬戸際から、カリフォルニア州のサクラメント電力公社がどのように再生したかの経緯と取り組みを説明している。「電力市場が自由化されているアメリカでは、電力会社は建設コストに敏感にならざるをえない。アメリカでは原子力発電所の建設も投資ファンドが資金の出資者である」と記す。日本とアメリカに社会的背景の違いが明瞭である。こういう構造上の違いについても、私たちは再考を迫られているのではないか。
 次に、アジア、ヨーロッパの状況を述べ、「グリーン化」が21世紀の合い言葉であることを強調していく。
 「グリーン電力(green electricity)」は、風力や太陽光など再生可能エネルギーによる電力を指す言葉として世界では使われているようだ。「グリーンは環境保全およびエコロジカルな価値のシンボル・カラーとして国際的に定着している」ので、直観的でイメージ喚起的な使われ方がされているという。
 著者はこの章で、再生可能エネルギーの一般的な社会的特性を18項目にまとめて列挙し、一方その弱点を4項目列挙する。(p114~117)納得できる説明だ。書店でこのページを立ち読みするだけでも、再生可能エネルギーについて、考える基本的な枠組みができるのではないか。
 この説明の後に、グリンーン化の推進が、如何に政策とリンクしているかの解説が続く。原発推進・グリーン化抑制も政策次第だということが理解できる。私たちはそのからくり部分を知ることから始めなければならない。

 第3章「地域からの新しい声」は、2つの側面からグルーン化への地域の動きを著者は説明する。
 一つは、日本初の住民投票により原発立地を阻止した新潟県西蒲原郡巻町(当時)の事例である。住民投票が原発阻止運動の新しいフレームになったこと、その実態の簡潔な説明が冒頭にある。そして著者は「住民投票の結果を受け止めて政策を再考する、政策を変更する責任は政府の側にある。」、「憲法改正以外については、憲法上、国民投票に関する規定がないので、投票結果には法的拘束力はないが、原発の運転の是非などに関する諮問型の国民投票は、日本でも可能である」と記す(p141)。
 もう一つの側面は、グリーン化への取り組み、再生可能エネルギーによる地域おこしとして、風力発電への取り組み事例を紹介する。まず、日本の三大悪風地域の一つといわれている山形県立川町が風力発電売電事業のパイオニアになって成功させてきた「自治体風車」の事例(岩手県葛巻町にも言及)が紹介されている。「地元民主導で地元の資源を重視する内発的な取り組み」(p153)という点に著者は注目している。次に、生活クラブ北海道を母体に始まった「市民風車」の事例が出てくる。「電力をグリーン化しよう」という新しいフレーミングの下に、北海道グリーンファンドの運動として、市民風車事業を先進的なビジネス・モデルとして確立したものだ。それは「持続可能性」「小規模分散」「地方分権」「市民のイニシアチブ」というキーワードが具現化された姿なのだ。この事例から、著者は「<地域性+運動性+事業性>こそは、再生可能エネルギーや環境問題に限らず、現代の社会運動の成功の方程式といえるだろう」(p166)と評価する。
 また、発電用風車についての大規模化という大きな流れ(例えば、大規模洋上風力発電)のもつ両義性を指摘しつつ、いくつかの国での市民風車運動のあり方を見つめて、世界の動きを著者は概観する。北ドイツ、デンマーク、イギリス、アメリカ・ミネソタ州ミネアポリス、カナダのトロントのプロジェクトが採りあげられている。おもしろいと思ったのは、著者は「市民風車」という用語を使用しているが、英語では一般的な表現ではなく、community wind、 local wind farm が使われているとのこと。「地域密着型風車」、地元風車と直訳されている。デンマークでは「農民風車」と呼ばれるとか。
 著者は市民風車運動に、「社会的メッセージとしての投資」という側面、「普通の市民が、どういうエネルギー源や電力を求めているか、市場や政府に対してメッセージを送る」という意義がある点を重視している。脱原発にはまず市民の意識変革が基盤なのだ。
 163ページには、日本の市民風車の立地現状が図示されている。

 第4章は「脱原子力社会に向けて」という見出しである。
 世界を眺めると、一極集中型社会(日本、フランス、韓国、中国など)が原発推進を好み、分権的社会(デンマーク、ドイツ、スウェーデンなど)が再生可能エネルギーを育ててきたと分析している。「どのような電力供給を好むのかは、社会の側の選択の問題である。エネルギー自給率などによって機械的に規定されているのではない」と記す。つまり、私たち自身の意識的な選択が重要な鍵なのだということだろう。いままで、あまりにも政府任せで無関心であり、ただ享受するだけという姿勢が問題だったのだ。
 そして、反原子力運動の世界と日本の実情を簡潔に解説する。ここにも、現在までの彼我の運動のありかたの違いが読み取れる。また、日本において告発・対決型運動という性格から、政策提案型の運動という性格のものへと、新たな取り組みへの広がりがあることを紹介している。
 2011.3.11以降、原発に対する人々の認識が大きく変わり、抗議デモも多様化した。一般市民も意思表示として参加しやすい機会が増えたのは事実だ。だが、著者はここに今後の課題を見出す。「課題は、デモ行進以降の政治的なプログラム、行程表がないことである。デモ行進に終結した人びとのエネルギーをさらに何にむかって、そのように組織化するのか。次の一手をどうするのか。フクシマ事故が収束に向かうにつれて、運動の動員力も低下していく可能性が高い。運動のエネルギーをいかにして高揚させ続けるか、ここに大きな課題がある」。フクシマ事故が本当に収束に向かってるのか、私には未だ疑問である。しかし、2011.3.11を風化させてはならないと思う。

 この第4章のハイライトは、著者自ら4つの原則を提唱し、原子力発電のミニマム化をはかるべき理由を含めて、この原則について明確に述べていることである。理解した要点をまとめておこう。

4つの基本原則
(1)「社会的合意」の原則
 ①安くて(経済性)、②クリーンで(環境への負荷)、③安定的に供給できる(供給の長期的安定性・確実性)エネルギー源によるべきである。
 リスク・コスト計算とオールタナティブの比較考量(「エネルギー・アセスメント」)及び、電力供給とエネルギー供給のベストミックスのあり方の成熟した討論

(2)社会的合意にもとづく「非原子力化」の原則
 温暖化対策と脱原子力政策の実施は矛盾しない事例が世界には既に存在する。
 温暖化容認か、原子力かという二者択一的な日本での論調は不毛で一面的である。
 著者は、「東北電力管内では脱原子力はすぐにも可能」であるという独自試算をまとめている(p221-223)。そして、全国的規模での原発のなくし方についても、3つのオプションを提示している。これからの日本の電力政策を考えて行く上で、一読の価値・意義があると思う。

(3)「ピーク需要のゼロ成長」の原則:真夏のピークカットを最優先する。
 著者は、2011年3月も、「東電が需給調整契約を結んでいるすべての大口需要家に対して受電規制を発動すれば、計画停電を実施せず、一般家庭や交通機関などに影響を与えることなく、需給逼迫を乗り切れた可能性が高い」(p231-232)という。国民は、原発維持が必要というアピールのために東電に躍らされたのだろうか。脱原発を選択するためにこの原則を適用するという社会横断的コンセンサスづくりが重要ではないだろうか。

(4)「再生可能エネルギー最優先」の原則
 法体系を含め、原発推進のしやすい体制・しくみ・からくりが、本書で分析されているように、作り上げられてきたのである。ならば、政府が政策転換を宣言する方向で、再生可能エネルギーを最優先する方向での法体系を含めた体制づくりも可能であろう。体制、しくみを作り変えて行けばよいのだ。再生可能エネルギーを最優先させるために有効な方法であるならば、電力事業も発電・送電の分離体制の仕組みを導入していけばよいのではないか。他情報と本書の内容を重ねてみて、そう思う。
 著者は、「国民的な討議をふまえて、日本政府がすみやかに原子力政策の転換を宣言する」内容まで、具体的に7項目で提案している(p234-235)

 著者は「非原子力化」のために、まず原子力発電を可能な限りミニマム化すべき理由を列挙している。以下、その要点だと理解した。
1)重大事故の危険性。どの原発も活断層の上あるいは近くにある。「原発震災」
2)「発電」という目的のためなら、原発以外にも代替手段はある。
3)放射性廃棄物の処分問題が未解決である。
4)核拡散の危険性がある。原発、原子力技術の移転は、核拡散の危険性の増大になるだけだ。
5)原発は地域間格差を前提とした立地である。社会的弱者への不利益の押し付けだ。
6)原発は情報公開や透明性の確保になじみにくい。テロの危険性につながる。
7)原発の安全性、使用済み核燃料の処理などの技術が停滞し、閉塞状況にあるのではないか。そこに、明るい未来を予測できない。

 実質232ページの新書であるが、中味は濃いと感じている。
 電力のグリーン化の手段として、本書では風力発電だけに焦点が絞られている。著者が他の再生可能エネルギー源について、世界の状況をどうとらえ、どう分析しているかについても知りたい気がした。


ご一読ありがとうございます。

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本書で関心を持ったキーワードからの波及でネット検索してみたものをリストにまとめておきたい。

電源三法 :ウィキペディア
電源開発促進税 :ウィキペディア
電源三法交付金 県のHPから入手した開示情報
 青森県 
 宮城県 
 福井県 同交付実績 
電源三法交付金 地元への懐柔策 :「原子力教育を考える会」

余剰プルトニウムなしの国際公約 :内閣府原子力委員会
増えつづける日本の余剰プルトニウム :グリーンピース・ジャパン
MOX・プルサーマルの基礎知識 :「核情報」
日本の核武装と東アジアの核拡散 原子力資料情報室通信375号(2005/9/1)より
日米安保関連略年表・リンク集 :「核情報」
 秘密指定解除 政策企画室 「わが国の外交政策大綱」
 pdfファイルの[71/107~72/107]にまたがる(9)項参照!(大綱本文p67-68) 
原子力委員会 政策評価部会 ご意見を聴く会
「原子力の平和利用の担保に係る政策の妥当性について」 伴英幸氏
日本の核武装論を検証する  :原水爆禁止日本国民会議
 その1 
 その2 
 その3 
日本の核武装化をめぐる動き
「日本の核政策に関する基礎的研究」  :「JEALOUS GAY」

サクラメントの環境政策~SUMDの取り組み  中村嘉孝氏
ソーラー帝都 カリフォルニア州サクラメント :「風ボタルの眠らない旅」
 このぺーじからサクラメントの事情がシリーズで記載されています。

米国の電気事業 :「海外電力調査会」
ドイツの電気事業 :「海外電力調査会」
フランスの電気事業 :「海外電力調査会」
イギリスの電気事業 :「海外電力調査会」
カナダの電気事業 :「海外電力調査会」
中国の電気事業 :「海外電力調査会」
ロシアの電気事業 :「海外電力調査会」
インドの電気事業 :「海外電力調査会」

「原子力ルネサンス?」 2009年3月9日 白石重明氏 :経済産業研究所
福島原発事故と原子力ルネッサンス 2011.4.18 :富士通総研

スマート・グリッド  :ウィキペディア
Smart Grid :Department of Energy U.S.A.
スマートメーターとは :「電子産業・成長戦略フォーラム」
アーヘンモデル :「Good Energy」
アーヘンモデル概要説明資料 山内浩一氏
アーヘンモデル(FITの原型) :YouTube
「グリーン電力への転換で社会は変わる!」:WWF(世界自然保護基金)ジャパン

住民投票条例 :ウィキペディア
巻町 原発建設の是非を問う住民投票
『デモクラシー・リフレクション-巻町住民投票の社会学』:熊本博之氏
「消えた町 ~ 巻町最後の十年 ~」 山下祐司氏 :「Journalism.jp」

エネルギー白書2011 一次エネルギーの動向(国内)
 一次エネルギーについて、化石エネルギーと非化石エネルギーという区分を継承。
エネルギー白書2010 一次エネルギーの動向(国内)
 ここでは、一次エネルギーについて、化石エネルギーと非化石エネルギーという区分を持ち込んでいる。(2009年版までは、次の2007年版と同様の列挙方式)
エネルギー白書2007 エネルギー動向 新エネルギー等
 一次エネルギーと二次エネルギーという区分でまとめている。
 一次ネネルギー:石油、ガス体エネルギー、石炭、原子力、新エネルギー等、水力・地熱
 二次エネルギー:電力、ガス、熱供給、石油製品

自然エネルギー100%のまちづくり、町ぐるみで節電所ネットワークを構築 :「SLOWSMALL」

北海道グルーンファンドHP
Middlegrunden : From Wikipedia, the free encyclopedia
Wind power in Denmark :From Wikipedia, the free encyclopedia
middelgrunden wind farm の画像検索結果
WINDUSTRYのHP
NRDC(Natural Resources Defence Council:自然資源防衛会議)のHP
 Renewable Energy Map アメリカの再生可能エネルギー地図
UCS(憂慮する科学者同盟)のHP
Friends of Earth (地球の友)のHP
FoE Japan のHP
自然エネルギー推進市民フォーラムのHP
環境エネルギー政策研究所のHP
【映像】第43回 ISEP Ust チャンネル
 (1)固定価格買取制度 (2)自然エネルギー白書2012 2012年5月7日
【映像】総合資源エネルギー調査会 基本問題委員会 第20回 2012年4月26日
【映像】国会エネルギー調査会 準備会 第1回 2012年4月26日
自然エネルギー事業協同組合REXTAのHP
 自然エネルギーとは?
 東日本大震災「つながり・ぬくもりプロジェクト」 太陽光発電システムについて
気候ネットワークのHP

緑の党 :ウィキペディア
同盟90/緑の党  :ウィキペディア
みどりの未来のHP

Forum Vauban
BUND (ドイツ環境自然保護連盟) FRIENDS OF THE ERATH GERMANY
the green institute
森と風の学校 :岩手子ども環境研究所

ドイツ原発跡地が遊園地に! (ワンダーランドカルカー)
ワンダーランド カルカー(wunderland kalkar) :YouTube
フライブルグ 地域環境定期券(レギオカルテ)
 LTRと自転車の街 フライブルグ

ジャスミン革命 :ウィキペディア

「新エネ百選」特設ページ :NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)

平成22年度再生可能エネルギー導入ポテンシャル調査概要
    :平成23年4月21日 環境省地球環境局 地球温暖化対策課
再生可能エネルギー導入ポテンシャルマップ(平成22年度) :環境省
平成22年度 再生可能エネルギー導入ポテンシャル調査報告書 :環境省

「原発事故で痛感させられた社会科学者の社会的責任」 石田雄氏


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『チェルノブイリの祈り 未来の物語』 スベトラーナ・アレクシェービッチ 岩波書店

2012-05-05 22:05:31 | レビュー
 講談師の神田香織さんが「チェルノブイリの祈り」という独演会をされているというのをYouTube(後掲)で知ったのは、先月4月の初旬だった。
そして、つい先日岩波現代文庫で本書が出版されているということを遅まきながら知り、読んでみた。

 1986年4月26日午前1時23分58秒、爆発が起こり、チェルノブイリ原発第4号炉の原子炉と建屋が崩壊した。そして、世界を震撼させ、20世紀最大の惨事となった。
それから10年経って、本書が出版された。本書が岩波書店から翻訳出版されたのは1998年12月(恥ずかしながら、知らなかった・・・・)、現代文庫の一冊として出版されたのが2011年6月である。
 本書は、チェルノブイリ原発事故に遭遇し体験した人々に著者がインタビューした結果をまとめたものである。リュドミーラ・イグナチェンコに対する著者のインタビュー結果をまとめた文章「孤独な人間の声」が冒頭に掲げられている。講談師神田香織の語りにはこの内容がまず採りあげられている。
そして、最後のところに、電柱にのぼり、からっぽの家や通りをまわり、移住させられた村の電気を切ってまわった事故処理作業者の妻、ワレンチナ・チモフェエブナ・パナセビッチの「孤独な人間の声」がまとめられている。このインタビュー内容の最後にこんな文章がある。
 ”私と夫の息子。息子は長いこと病んでいます。大きくなったんだけれど、子どもの目で世の中をながめている。五歳の男の子の目で。・・・ノビンキに精神病院があるから。息子はそこにいるんです。・・・・私は休みのたびに行きます。息子は出迎えてくれる。「ミーシャパパはどこにいるの?いつきてくれるの?」と。ほかにだれが、私にこんなことを聞いてくれます? 私と息子はいっしょに待ちます。私は、自分のチェルノブイリの祈りを小さな声で唱えながら。息子は、世の中を子どもの目でながめながら。”
 本書のタイトルは、この最後の言葉から来ているようだ。

 翻訳者のあとがきによると、著者は子供からお年寄りまで、様々な職業-原発の従業員、科学者、元党官僚、医学者、兵士、移住者、サマショールなど-の人々300人にものぼるインタビュー取材をして本書をまとめたそうだ。
 「見落とされた歴史について」という題で、著者は自分自身へのインタビューを載せている。本書で著者が伝えたかったことは、「チェルノブイリをとりまく世界のこと、私たちが知らなかったこと、ほとんど知らなかったことについて」。つまり、「見落とされた歴史」「この未知なるもの、謎にふれた人々がどんな気持ちでいたか、なにを感じていたかということ」なのだという。「人は、あそこで自分自身の内に何を知り、なにを見抜き、なにを発見したのでしょうか? 自らの世界観に? この本は人々の気持ちを再現したもの」なのだという。
 著者は、こういう答え方もしている。「ベラルーシ人はチェルノブイリ人になった。チェルノブイリは私たちの住かになり、私たち国民の運命になったのです。」「チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも人はこのことを考えたがらない。」「なにかを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません」と。
 本書は、著者が「衝撃を受けた人、自分と事故とを対等に感じた人、じっくり考えている人」をさがして、インタビューした内容である。「一人の人間によって語られるできごとはその人の運命ですが、大勢の人によって語られることはすでに歴史です」という視点に立つ著者は、二つの真実-個人の真実と全体の真実-の両立を本書で模索している。チェルノブイリにより引き起こされたベラルーシ人自身の苦悩の歴史を記録しながら、人々から、「人間の命の意味」「私たちが地上に存在することの意味」をも聞き出そうとした記録である。事故の原因、責任の所在、事故対策の経緯などには触れられていない。人々がどう行動し、その時何を思い、その後そして今、何を考えているかという「見落とされた」側面の歴史的記録を試みているのだ。著者はこの書で人の尊厳について見つめているように感じる。
 自分自身へのインタビューの最後で、「何度もこんな気がしました。私は未来のことを記している・・・」と語る。副題「未来の物語」はここから名づけられたのだろう。

 「未来の物語」は、2011.3.11以降の福島第一原発事故により、未来の物語ではなく、「現在の物語」になった! インタビューの記録に記された内容は、フクシマで再び同じパターンが繰り返されているのだ、チェルノブイリ原発爆発事故時点以降の「未来」とは、フクシマの「現在」だった。それはこの記録を読んで感じるところである。共産主義と民主主義との体制は違うが、ある組織体制の中で人々がどのように行動したのか、情報とは何か、情報の伝播とは何か、無知とは何か、見えない放射能というものへの対処とは何か、人が人をどう受け止めるのか・・・・「見落とされている歴史」の記録を意図した本書の中に、フクシマの現実が重ねあわされてくる。私たちの現在が、現実が。何とよく似ていることか・・・・・

 本書には、チェルノブイリでの原発事故後の対応作業そのものの一部に触れている箇所が散見される。<p87、p90、p146-148、p151-152、p172-175、p186、p209-211>あたりである。現在のフクシマとは、現象面ではもちろんかなり違う。本書に記載された次元の対応作業がないか該当しない部分が大半であろう。しかし、本質的な局面で、そのスタンスと行動において類似の事象がありはしないか。また、測定値についての欺瞞にも、本書にはp178ほかで触れている箇所があった。測定値の記載あるいは公表における欺瞞もしくは作為性のある行為が現実にフクシマでも発生しているようだ。そんなこともネット情報に散見される。

 本書はフクシマからの新たな「未来の物語」の始まりに繋がり、重なってしまった。チェルノブイリ、フクシマ、いや世界の「未来の物語」に。
 この『チェルノブイリの祈り』から、「未来の物語」という視点でフクシマを考え直す必要が切実にあると感じる次第である。

 本書のインタビュー記録の章句には、心に響いてくるものが数多くあった。引用が多すぎるかもしれないが、お許し願いたい。

*夫たちは防水服をきないで行きました。シャツ1枚のまま出動したのです。警告はなかった。ふつうの火事だと呼びだされました。 p2

*私たちが体験したことや、死については、人々は耳を傾けるのをいやがる。恐ろしいことについては。でも・・・、私があなたにお話ししたのは愛について。私がどんなに愛していたか、お話ししたんです。 p28

*ぼくのもっとも恐怖に満ちた体験は子ども時代、戦争です。・・・・忘れてしまいたかった。なにもかも忘れてしまいたい。忘れかけていたんです。ぼくが体験したもっとも恐ろしことはもう過去のこと、戦争なんだと思っていました。
 しかし、ぼくはチェルノブイリの汚染地にでかけた。すでに何回も。そこで、自分が無防備であることを理解したのです。ぼくは崩壊しつつある。過去はもうぼくを守ってはくれない。  p37-38

*すっかり思い出しますよ。村の衆はでていき、イヌやネコが置いていかれた。最初のころ私は歩きまわってみんなに牛乳をやり、イヌにはパンを食べさせた。みんな自分の家のそばで飼い主を待っとりました。長いこと待っとりましたよ。  p42

*ぼくの娘が死んだのは、チェルノブイリが原因なんだと。ところが、ぼくらに望まれているのは、このことを忘れることなんです。  p49

*わしらを恐れているんだよ。汚染されているっていわれているから。 p53

*ぼくはもう死はこわくない。死そのものはね。しかし、ぼくはどんなになって死ぬんだろう。友だちは死ぬとき、むくんで腫れた。樽のように大きく。・・・・
 ぼくらは孤独です。よそ者なんです。埋葬されるのもはなれたところ。みんなと同じようにはしてもらえない。宇宙のどこかからきたエイリアンのように。アフガンで戦死すればよかったよ。正直いって、そんな思いにとらわれるんです。あそこじゃ、死はありふれたことで、理解できることでした。  p91

*私の娘、あの子はほかの子とちがうんです。大きくなったら私にたずねるでしょう。
「どうして私はみんなとちがうの?」 p93

*事故の話でもちきりでした。家、学校、バスのなかで、通りで。ヒロシマと比べていた。でもだれも信じていませんでした。わけのわからないことを信じることはできませんよね? 理解しようとどんなに努力してがんばってみても、結局わからないんですもの。私が覚えているのは、町をはなれるとき、空がまっ青だったこと。 p120

*なにかの実験が進んでいるという気持ちから私は解放されません。もう解放されることはないでしょう。  p122

*だれもなにひとつ理解していなかった。これがいちばん恐ろしいことです。放射線測定員がある数値をいう、新聞に載るのは別の数値だ。ははーん、ゆっくりとなにかがわかりかける。  p124

*放っておいてください、みなさん。私たちはここでくらさなくちゃならないんだ。あなた方はちょっと話して帰っていくが、私たちはここでくらさなくちゃならない。・・・私はこの子らの不幸を売り物にはしたくない。哲学的理屈をこねるのもごめんだ。放っておいてくださいよ。みなさん。私たちはここでくらさなくちゃならんのです。 p132

*ぼくらは科学の研究材料なんですよ。国際的な実験室です。ぼくら1000万人のベラルーシ国民のうち、200万人以上が汚染された土地でくらしている。悪魔の巨大実験室です。データの記録も実験も思いのままですよ。  p140-141

*説明のつかない死が多かった。突然死です。 p161

*平和な原子力に殺されることがあるなんて、私たちにはまだ納得できないことでした。物理の法則の前で人が無力だなんて。 p169

*旧ソ連の各原発の金庫には事故処理プランがおさめられていました。標準的プランで、極秘扱いです。このプランがないと発電所を稼働する許可が得られないのです。事故の何年もまえのこと、プラン作成のモデルとなったが、まさにこのチェルノブイリ発電所だったのです。なにをいかになすべきか、責任者はだれか、どこにいるべきか、と細部にわたっています。そして、とつぜん、このチェルノブイリ発電所で大惨事が起きた。これはどういうことなんだろう。  p181-182

*くり返し聞かされたのは「すべて順調だ。恐ろしいことはなにもない。ただ食事のまえには手を洗うように」。私はすぐにはわからなかった。何年かたってわかったんです。犯罪や、陰謀に手をかしていたのは私たち全員なのだということが。・・・・ひとりひとりが自分を正当化し、なにかしらいいわけを思いつく。私も経験しました。そもそも、私はわかったんです。実生活のなかで、恐ろしいことは静かにさりげなく起きるということが。 p189-190

*少し前に新聞に載っていましたが、1993年にはわがベラルーシだけで、20万人の女性が中絶をしたそうです。第一の理由はチェルノブイリです。ぼくらはいたるところ、この恐怖とともに生きている。
  p191

*すべては起こってしまったのに、情報はいっさいありませんでした。政府は沈黙し、医者はひとことも語ろうとしませんでした。・・・・長い長い鎖。その先端ですべてを決定していたのは数人の人間です。私たちは身を守るすべがなかったのです。 p203

*最近、私の娘がいいました。「ママ、私、もし障害児を生んでもやっぱり愛してやるわ」。考えられます? 娘は10年生ですが、もうこんなことを考えているんです。・・・・知人に男の子が生まれたんです。待望の赤ちゃんでした。はじめての。若い美男美女のカップル。でも、男の子はくちが耳までさけ、耳がなかった。私は彼らのところに行きません。以前のように行くことができないのです。娘はちがう、しょっちゅう寄っています。行きたがるのです。じろじろ見ているんだか、自分のこととして考えているんだか。
 ここをはなれてもよかったんですが、夫といろいろ考えたすえに止めました。こわかったんです。ここでは私たちみんながチェルノブイリの被災者です。・・・・ところが、よそではどこでも私たちはのけ者にされる。<チェルノブイリの人々><チェルノブイリの子どもたち><チェルノブイリの移住者>。もうすっかりおなじみのことばです。   p217

*戦後、私はドイツの強制収容所から戻りました。生きのびたんです。当時は生きのびることだけが必要でした。私は水の代わりに雪を食べた。・・・この子どもたちは雪を食べることができない。どんなにきれいでも、どんなに白くても。  p223

*あなたはお忘れなんですよ。当時、原子力発電所は未来だったのです。われわれの未来だったのですよ。私は昔の人間です。犯罪者ではない。  p229

*ミンスクには700kgのヨウ素剤が用意されていたが、倉庫に眠ったままでした。上の怒りを買うことのほうが、原子力よりもこわかったんです。だれもが電話や命令を待つだけで、自分でなにもやろうとしませんでした。 p243

*これもやはり一種の無知なんです。自分の身に危険を感じないということは。私たちはいつも<われわれ>といい<私>とはいわなかった。<われわれはソビエト的ヒロイズムを示そう>、<われわれはソビエト人の性格を示そう>。全世界に!でも、これは<私>よ!<私>は死にたくない、<私>はこわい、チェルノブイリのあと、私たちは<私>を語ることを学びはじめたのです、自然に。  p253

*私は党員ではありませんでしたが、やはり、ソビエト人なのです。「同士諸君、煽動に躍らされないでください!」とテレビが夜も昼もがなりたてると、疑いは消えていくのです。   p253

*チェルノブイリから帰って、どんなふうに死んでいくか、おたずねになるんですか? 私の愛した人、わが子であっても、これ以上には愛せないというほど愛した人は、みるみるうちに変わっていった。怪物に・・・・。 p276

*チェルノブイリが全地球的問題になるのに1週間もかからなかったのである。p292

*「石棺」と呼ばれる4号炉の鉛と鉄筋コンクリートの内部には、20トンほどの核燃料が残ったままになっている。今日そこでなにが起きているのか、だれも知らない。・・・今日、いくつかのデータによれば隙間と亀裂の総面積は200平方メートル以上になり、そこから放射性アエロゾルが噴き出しつづけている。
 石棺は崩壊するのだろうか? この問いにもだれも答えることができない。いまだにほとんどの接合部分や建物に近づくことができず、あとどれくらいもつのか知ることができない。しかし、石棺が崩壊すれば1986年以上に恐ろしい結果になることはだれの目にも明らかである。  p293


 本書の引用文が、あなたの琴線にふれ、本書を手にとって開いてみるきっかけになれば幸です。

ご一読ありがとうございます。

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 2011年3月の福島第一原発爆発事故以降、その事実を知りたいために、ネット検索をずっと続けてきている。そのプロセスで、チェルノブイリに関する様々な情報を入手してきた。すべてを読みこなし、理解できているわけではない。しかし、事実情報がないと、考えることもできないし、大本営発表的欺瞞に騙されてしまう。情報を取捨選択し、重ね合わせて、自分として考えを深めていくことから始めるしかない。そこから始まるのだ。
 以下は、この1年余にネット検索で入手した情報を少し整理したリストである。
 知らなかったこと、無関心に近かったことに触れ、知り、愕然とした1年余だった。

チェルノブイリの祈り01.mov :YouTube
チェルノブイリの祈り02 :YouTube

チェルノヴイリの祈り(導入部) 演者・神田香織 :YouTube
 立体社会派講談 @天草ポルトにて収録(2010.08.28)

講談 神田香織「チェルノブイリの祈り」から
原発停止・壊憲阻止!国民投票法の撤廃を求める5.18集会
2011年5月18日 池袋、豊島公会堂で

Cloud Of Lies - evolution du nuage radioactif de tchernobyl par le Sergent ( 26 avril 1986 )
 これはチェルノブイリ原発事故の放射能拡散状況のシュミレーション動画

チェルノブイリの真相~ある科学者の告白~
 イギリス BBC放送制作

国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR)
Maps of radionuclide deposition  放射能汚染地図
チェルノブイリ事故についてのウェブサイト(英文)
 ここから、チェルノブイリ事故犠牲者の放射線被曝に関する各種報告書にアクセスできます。
UNSEAR 2008 REPORT 当該委員会の英文報告書 2011年2月に発表されたもの
 2008報告書(附属書D)「チェルノブイリ原発事故による放射線健康影響」

the UNSCEAR 2010 Report: "Summary of low-dose radiation effects on health"

原子力資料情報室(CNIC) 2011.4.22掲載
2011/4/22 CNIC News チェルノブイリ原発事故について(動画)

チェルノブイリ原発事故「何が起きたのか」 今西哲二氏

ダイヤモンドオンライン 【DOL特別レポート】
「政府発表を鵜呑みにせず自分の身は自分で守れ」
 チェルノブイリ事故処理班の生存者が語る
  凄惨な過去と放射能汚染への正しい危機感

ワイアード テクノロジー のサイトから
「チェルノブイリの今 - 死の森か、エデンの園か」その1
 この記事から、その2~その4にリンクして連載を読めます。
 同その2
 同その3
 同その4

チェルノブイリに学ぶ:放射能の遮断は可能か  2011年4月 1日
チェルノブイリ:「100年保つシールド」の建設  2011年4月 4日

チェルノブイリ・子供絵画展
ベラルーシの子供が描いた絵「チェルノブイリの災い」

CNN News 2011.4.21報道 
Chernobyl's 25-year shadow (チェルノブイリの25年・影) Matthew Chance氏 CNN
 13枚の写真を冒頭で見られます。

国際原子力機関(IEAE) 2011.4.21掲載
CHERNOBYL 25 Years, 25 Stories (チェルノブイリ 25年・25の物語) 写真と英文

Greenpeace のウェブサイトから
Chernobyl, 25 years later (チェルノブイリ25年後) 18ページの英文レポート

フランスのIRSNのサイトから(以下の3つ)
Chernobyl 25 years on(「チェルノブイリ以降25年」)実質42ページの冊子 英語版

チェルノブイリ後の仏独共同研究の成果の一つのようです。
Final conclusions on the Franco-German initiative (IFA) for Chernobyl launched in 1996
Study on radioecological consequences  (PDF file, 6.7 Mo)
  英語・仏語・独語・露語の4カ国語で記された資料

Study on health impacts (PDF file, 3.8 Mo)

「哲野イサクの地方見聞録」サイトから
(2012.1.20掲載) <参考資料>
アップル・ペクチンによる“チェルノブイリ”チルドレンの生体内のセシウム137負荷の軽減
(Reducing the 137Cs-load in the organism of “Chernobyl” children with apple-pectin)
2012.1.8 <参考資料> 
ウクライナとベラルーシの人口変動、激増する死亡と激減する出生
人口統計上の大惨事-チェルノブイリ事故の影響、特にセシウム137 
その3ユーリ・バンダシェフスキーら、科学的真理のために弾圧された人々

(2012.1.6掲載) <参考資料> 
ウクライナとベラルーシの人口変動、激増する死亡と激減する出生
人口統計上の大惨事-チェルノブイリ事故の影響、特にセシウム137 その2
(2012.1.2掲載) <参考資料>
ウクライナとベラルーシの人口変動、激増する死亡と激減する出生
人口統計上の大惨事-チェルノブイリ事故の影響、特にセシウム137 その1【追加】

<参考資料> チェルノブイリ事故後25年:未来へ向けての安全 (英語)
  -ウクライナ政府緊急事態省報告-
Twenty-five Years after Chornobyl Accident: Safety for the Future

 上記報告書について、日本文での紹介記事
<参考資料> 放射線生態学上の問題 -ユーリ・バンダジェフスキー 2008年
「この記事は、バンダジェフスキー論文の翻訳を目的としたものではない。この論文の中で彼が主張していることを、私自身(注:哲野氏)が理解するための記事だ」

<参考資料> 子どもたちの臓器におけるセシウム137の慢性的蓄積
  (Chronic Cs-137 incorporation in children’s organs)
  哲野氏によるバンダジェフスキーの論文の引用・解説記事


「チェルノブイリ被害実態レポート翻訳プロジェクト」から
 暫定訳が公開されています。
 ・ 前書き 
 ・はじめに 
 ・序: チェルノブイリについての厄介な真実
 ・第5節 (6) 尿生殖路の疾患と生殖障害
 ・第5節 (7) 骨と筋肉の疾病
 ・第13節 チェルノブイリの放射性核種を除去する

 このサイトで、349ページの原書もダウンロードすることができます。英文の報告書です。
 "Cernobyl 
  Consequences of the Catastrophe for People and the Environment
"
Alexey V. Tablokov, Vassily B. nesterenko, Alexey V. Nesterenko 共著
 
Peace Philosphy Center のウェブサイトから
Thursday, September 29, 2011
チェルノブイリ事故による放射性物質で汚染されたベラルーシの諸地域における非ガン性疾患 Y・バンダシェフスキー教授 Non-cancer illnesses and conditions in areas of Belarus contaminated by radioactivity from the Chernobyl Accident: Prof. Yuri Bandashevsky
 図2.8 ベラルーシの死因構成、2008年[訳注:外部要因とは事故・犯罪死など]
 は講演の中で使用されたグラフです。
 図2.12も同様です。
 ここから、pdfファイルにダウンロードできます。上記ページに記載されていました。

ウクライナ・ナショナル・レポート【抜粋訳・その1】  画面で   pdfファイルで
 「チェルノブイリ」女性ネットワーク/市民科学研究室低線量被曝研究会
  吉田由布子氏
 
国際環境NGOグリーンピースのサイトから
25年を経て繰り返されたレベル7原発事故 チェルノブイリと福島

今西哲二氏の発言

3/18京大原子炉ゼミ4「チェルノブイリ事故と日本の汚染」今中哲二1/2
3/18京大原子炉ゼミ5「チェルノブイリ事故と日本の汚染」今中哲二2/2
2012.1.23  「(1991年5月)IAEA国際チェルノブイリプロジェクト報告に対する反論」技術と人間 1992年9月号 今中哲二・訳
2012.1.14 「福島原発事故とチェルノブイリ原発事故による放射能放出と汚染に関する比較検討」2011年11月 今中哲二
2012.1.14 「チェルノブイリ」を見つめなおす-20年後のメッセージ 今中哲二・原子力資料情報室 2006年
2012.1.8 「“100ミリシーベルト以下は影響ない”は原子力村の新たな神話か?」 今中哲二 岩波「科学」2011年11月号
2012.1.8 「福島原発事故にともなう飯舘村の放射能汚染調査報告」今中哲二・遠藤暁・菅井益郎・小澤祥司 岩波「科学」2011年6月号
2012.1.8 「チェルノブイリ原発事故による『死者の数』と想像力」今中哲二 岩波「科学」2006年5月号
2012.1.8 「低線量放射線被曝とその発ガンリスク」今中哲二 岩波「科学」2005年9月号

早川由起夫の火山ブログから
フクシマとチェルノブイリの比較(改訂版 2011.12.9)放射能汚染地図

『チェルブイリ』50回取材の広河隆一氏の福島原発報告1  2011/05/04 にアップロード
広河隆一氏の語る2-福島とチェルノブイリの比較原発事故論  2011/05/04 にアップロード

チェルノブイリ 福島への教訓は・・・
報道発ドキュメンタリ宣言 2011-07-30, from Japan

国立がん研究センターがウェブサイトから
チェルノブイリ事故の放射線の健康影響について
 1) チェルノブイリ後20年 -放射線防護の立場から-(PDF:161KB)
     原文はこちら(PDF:234KB)
 2) 「国連科学委員会報告2008年チェルノブイリ事故の放射線の健康影響について
   (PDF:421KB)
 
Paul Fusco Chernobyl Lragacy  
チェルノブイリの子供たち もたらされた影響・その事実の写真

YouTube掲載動画から 2007~2011年にアップロードされたものです。

cernobil チェルノブイリ
チェルノブイリ原発 隠されていた事実1
Chernobyl Project
Chernobyl
В память о погибших в Чернобыле
Люди-мутанты в Чернобыльской зоне/
People mutants in Chernobyl zone
cernobil. Дети мутанты. Слабонервным не смотреть !!! часть 2
28 days later chernobyl
Chernobyl 14/03/2011

チェルノブイリ・ハート :ウィキペディア

「阿修羅」のサイトから
チェルノブイリハート:福島なら翌年から、東京なら4-5年後から、脊柱側弯症・多指症・兎唇などの奇形児と堕胎の増加

Chernobyl Children's Project International:From Wikipedia

Adi Roche's Chernobyl children international


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