遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『源氏物語』 全十巻  瀬戸内寂聴訳  講談社文庫

2022-10-04 00:23:57 | レビュー
 今年になって、長年一つの読書目標にしてきた『源氏物語』を瀬戸内寂聴訳で通読することができた。瀬戸内寂聴さんがご健在な間に、長年書棚に眠らせていた文庫本を読了したいと思いつつそれが果たせなかった。だが、何とか一応読了することができた。
 それには契機があったので触れておきたい。フォローしているブログの一つに「透明タペストリー」(u11953さん、以降uさんと略称)がある。uさんがこの4月に、「『源氏物語』を読み始める」と宣言されて、角田光代訳『源氏物語』を読み始められ、各帖毎にブログ記事を載せ始められた。私にはそれが良い刺激になった。途中で挫折するかもしれないが、極力同様のペースで密かに伴走してみようと・・・・。そこで、手許の文庫本を読み進めることに。お陰で10冊全巻を通読することができた。感謝、感謝・・・という次第。

 文庫本は、2007年1月に巻一が刊行され、毎月刊行で同年10月までで全巻が刊行されている。私が入手した文庫は、巻一~巻三は第1刷だが、その後の巻は、第2刷(3)、第3刷(1)、第4刷(2)、第5刷(1)である。巻八が第5刷なのだが、これは8月の刊行で翌2008年7月に第5刷となっている。調べてはいないが、直近の店頭文庫ではたぶん各巻がかなりの刷番号になっていることだろう。

 私事ながら、uさんの宣言記事に動機づけられ密かに伴走し、書架に眠らせていた文庫を読み始めた。だが単なる思いつきではなかった。
 2014年に、「わたしの古典」という形で3巻にまとめて現代語訳された『円地文子の源氏物語』(集英社文庫、1996年1~3月)というエッセンス版は何とか通読していた。
 また、宇治には「源氏物語ミュージアム」があり、ここでは毎年、源氏物語の講座が開講されている。あるときその事を知り、地元という地の利を活かし受講してみた。手許には1915年から1919年の5年間、「入門講座」と「連続講座」をともに継続して聴講してきた。手許にその受講資料がある。コロナ禍でその後の開講の折の参加は見合わしてしまった。少なくとも1915年以降は、『源氏物語』について、各講師の様々なアプローチに学びつつ、部分的に源氏物語を原文で読む機会を持ってきた。この間に日本古典文学全集の『源氏物語』(小学館)5巻も購入して、原文と訳文を部分参照してきていた。
 受講しながら、これまでの期間に標題の全十巻を併行して読めそうなものだが、なかなか取り組めなかった。目標としつつも通読しないままで時が過ぎた。その忸怩たる思いが先にあった。それ故だろう、正直実によい機会となった。

 さて、今回の読後印象を記録を兼ねて、列挙式でご紹介しよう。
1.『源氏物語』は、やはり一筋縄ではいかないな・・・というのが実感。『源氏物語』には平安時代そのものが凝縮されて詰まっているという気がする。それ故に、この内容の読み解き方に様々なアプローチがあり、延々と研究者が輩出しているのだろう。

2.一番太い軸となっているのは、光源氏を筆頭とする主人公たちの女性遍歴物語と言える。まず光源氏の一生の時間軸に沿って、光源氏の女性遍歴が進んで行く。
 全体の構成で面白いのは、主人公に対し、対象とする「女」を競い合う関係になるライバルが存在していて、その人物が絡んでいく点であある。光源氏の場合は左大臣家の頭中将がライバルになる。2人の間で心理的駆け引きが始まるところがおもしろい。そこにその人の思いが色濃く描き込まれていく。
 『源氏物語』では「桐壺」(第1帖、以下番号のみ)から「幻」(41)までの主人公は光源氏であり、ライバルの頭中将との間で「女」の駆け引きが描き込まれる。勿論、駆け引きの対象にはならないが、それぞれにとって重要な女性との関係もストーリーの中で、幹として描かれていく。光源氏では紫の上並びに明石の君との関係が太い幹になる。
 「乙女」(21)で夕霧の元服の儀が書き込まれ、これ以降、光源氏の子・夕霧と頭中将の子・柏木が登場し、夕霧と柏木がライバル関係となる。彼等の女性遍歴物語がパラレルに描かれ始める。光源氏の正妻となった女三の宮と柏木の不義の結果、柏木が死ぬ。「柏木」(36)でその死が描かれる。そこで夕霧・柏木のライバル関係は消滅。光源氏の存命中に夕霧の女性遍歴物語は、ストーリーの背景へと引き下がっていく。
 「幻」(41)と「匂宮」(42)との間には、「雲隠」という表紙だけのページが挿入されている。つまり、光源氏の死を象徴し、何も語られない。それ故、帖としてもカウントされていない。光源氏の最後は、読者の想像に任されている。地獄に堕ちたのか、極楽世界に直行したかは、読者の判断次第・・・・・。

 「匂宮」(42)から、本格的に薫と匂宮がライバル関係として登場し、彼等が主人公となっていく。匂宮は今上帝と明石の中宮の間に生まれた子。薫は形式上は光源氏と女三の宮の間に生まれた子。実は柏木と女三ノ宮との不義の子。光源氏はそれに気づくが己の子として育てる。ここには、光源氏の過去のやむにやまれぬ過ちに対する結果の再来とその受容が関わっている。「因果応報」というテーマを紫式部は取り込んでいるのだろう。

 「匂宮」からは、光源氏の一生物語は終わり、次の物語次元にシフトしていく。
 「宇治十帖」と称されるのは、「橋姫」(45)から「夢浮橋」(44)である。
 つまり、「匂宮」(42)、「紅梅」(43)、竹河(44)という三帖がその前にある。この三帖は宇治十帖での薫と匂宮の協調あるいは競合のライバル関係を描き出すための、間奏曲のような感じがする。つまり、匂宮と薫を主舞台に引き出すための準備ステージとして、場面転換している印象を受ける。

3.源氏関連書を紐解けば、各帖における光源氏の年齢が確定されている。「桐壺」は光源氏の出生から12歳までが語られる。鴻臚館で来日した高麗人の観相家が若宮の将来を予言する。それが源氏姓を賜る契機になるのは有名である。この観相場面が源氏絵として描かれている。
 瀬戸内源氏を通読している時には、登場人物の事細かな年齢はほとんでわからない。原文に年齢が明確に出てくるのは希だから当然である。連綿とした『源氏物語』諸研究の成果が源氏関連書に表記されていることになる。瀬戸内源氏を今後帖単位レベルで再読、精読するときに、具体的な年齢などの情報も重ねていけば、より深く読み込めるのではないかという気がする。
 一方で、現代人の生育プロセスでの年齢と社会的活動時期を思うと、源氏物語時代の登場人物の年齢と社会的活動時期との間には大きなギャップがある気がする。この時代ギャップはどう受けとめて行けばよいのだろう。平均寿命の差だけに帰されるものでもないだろう・・・・。社会体制も大きな影響を及ぼすのだろう。

4.紫式部が『源氏物語』を創作した。紫式部が全くのゼロから全てを創造したことはたぶんあり得ない。創作物語を生み出すヒント、アイデアは既存の知識情報にあり、それらを新たな発想のもとに組み合わせ昇華統合させた結果だが結実したものと思う。それ故に、創作内容を因数分解するように要素に分解し、史実や知識情報の中でのモデル探しが起こるのだろう。
 創作プロセスを研究するという作業が始まる。これだけの長い物語故に、分析研究が多様化することが納得できる。

5.通読していて感じたのは、源氏物語の中に、次の諸要素が必然的に色濃く織り交ぜられている点である。項目1で記した印象をブレークダウンするに過ぎないが、覚書を兼ねて記してみたい。
 a)宮廷における政治体制と官職  b)宮廷における年中行事と生活儀礼 
 c)仏教の浸透のありかたと僧侶が果たす役割 d)宮廷を中心とした服装の実態 
 e)宮廷を中心とした居住空間(建物)の構造と実態
 f)結婚の形態。男と女の関係。男女の価値観と制約。貴族の抱く女性観 
 g)文化的価値観、特に美についての意識
こんな諸観点がそれぞれの人物の行動描写や生活環境に巧みに織り込まれていて、当時の生活状況をリアルに表現している。『源氏物語』がそれぞれの研究視点の材料になって不思議ではない。
 そういう分析的研究の成果がまた、ストーリー理解の深耕に役立つのだろう。

6.5項と関係するが、例えば、「掃木」(2)には、「雨夜の品定め」と称される女君の評価論が描かれている。「薄雲」(19)では、源氏が前斎宮女御(秋好中宮)に春秋論を語りかける。「蛍」(25)で、源氏は玉鬘の姫君や紫の上を相手に物語論を語る。「常夏」(26)で、源氏は玉鬘の姫君に和琴論を語る・・・など、様々な文化論・価値観論などが各所に点描されている。紫式部は意識的に、意図的にこのような論議をストーリーに組み込んでいるように思う。『源氏物語』を単にお話の次元にとどめていないところが興味深い。現代との価値観の異同を考える材料にもなる。

7.物語が絵空事だとしても、そこに描き出されたことに読者が感情移入していける要素、或いは描かれている状況が現実の日常生活あるいは読者が納得できる想像の範囲とリンクすることがなければ読者にとってリアル感は生まれない。読者を惹きつけることはない。逆に言えば、『源氏物語』が現在まで読み継がれてきたのは、読者にとって、その物語の中にリアル感を感じるからだろう。
 この物語は、登場人物の様々な思いに焦点を当ててそこをリアルに描き出している。そのリアリティをますために、5項で列挙した要素が巧みに織り込まれているのだろう。そこに読者を惹きつける要因があるのではないだろうか。

8.通読してみて初めて、かつて諸講座を聴講していた時には話材にもならず気にもしなかった事項が、いろいろ疑問として出てくる。例えば、
 1)光源氏を含め主人公が「泣く」という場面がかなりの頻度で出てくる。
  当時の貴族は「泣く」という行為に対し、どのような価値観を持っていたのだろう。 2)葵の上、紫の上、秋好中宮、明石の中宮、秋好中宮、女三の宮、玉鬘の姫君、大君
  というような主人に相当する女性が顔を人に見せないという当時の価値観はわかる。
  その周りにはその主人に仕える数多の女房たちがいる。外の人々と接触するはず。
  女房たちは外部の人(男女)に対して仕事上直接顔を見せる必要はないのか。
 3)貴族の生活は夜型で描かれている。明かりが油や蝋燭としたら、その消費量は?
  どの程度の明るさの下で、夜間の生活を送っていたのか。
 4)貴族は当時の社会階層、階級の人間を「人」と認識していたのか。

9.『源氏物語』の原文と対比しつつ通読した訳ではないので、あくまで印象だが、瀬戸内源氏は、かなり原文に対し厳密な訳を貫こうとしているような印象を受けた。丁寧な訳なので内容は理解しやすいのだが、少し訳に硬さを感じさらさらと読み進められるという感じにはならなかった。
 各巻末には「源氏のしおり」と題して、源氏物語の各帖について、著者自身が梗概を記し、その帖の読み所を探って論じている。その文章と比較しての感想である。この「源氏のしおり」の文章の方が相対的に活き活きした感じで読みやすいのだ。瀬戸内節という感じすら受ける。訳における原文を意識した文体とこの「源氏のしおり」の文体が違うから硬さと感じるのかもしれない。もう一つは、「源氏のしおり」は著者がその帖に対する自身の所見を述べられる点が大きく影響しているかもしれない。

10.この全十巻には、各巻末にその巻に対応する形で、「源氏物語の系図」がまとめてある。それと併せて、最後に「語句解釈」の参照ページがまとめてある。この資料は高木和子さんが作成されていると明記されている。本資料は読者にとって手軽な参照資料として便利である。
  原文は、その時代の知識が前提になり、登場人物は官職名で表記されている。当然そのままの官職名で訳される。時間の経過とともに昇進があり官職名が変化していく。その変化に対応する形で、読者は同一人物として識別して読み継いで行く必要がある。また、基礎的な知識がない部分は語句解釈で意味を確かめないと、上滑りするだけになることもあり得る。そのため手軽に参照できる資料が付いているのは事典代わりとして有益だ。

 一応第一目標として全帖を現代語訳で通読できた。uさんのブログで、各帖の記事を読み進めるのが、良い刺激になった。
 通読したことで全体のイメージを押さえることができた。たとえば、光源氏が明石から帰還し、宮廷の政界に返り咲いた後、昇進をしていく中で、勢力図を塗り替えていき、己の掌握下に置いたというのも、通読して理解できた経緯である。通読して光源氏自身の多面性もよりわかるようになってきた。
 これを新たなスタートラインにしていきたい。今後は帖単位読みに重点が移るだろうが、諸講座の受講資料の再読や源氏物語関連書、平安時代の研究書との併せ読みで、少しずつ『源氏物語』の深読みをしていたいと思う。
 一方、『源氏物語』には様々な現代語訳が成されている。こちらにも関心が湧き始めてきた。さて、どうしようか・・・・。
 
 ご一読ありがとうございます。


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2 コメント

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茲愉有人様 (U1)
2022-10-04 19:42:30
記事拝読。
読了して本当によくできた物語だと思いました。
読み終えることができたことだけで満足です。
私も今後、関連本を読もうと思います。
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さらに一歩を (茲愉有人)
2022-10-05 00:49:45
U1様

コメントありがとうございます。

少しずつ、理解を深めていきたいと思っています。
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