遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『風雪の檻 獄医立花登手控え2』 藤沢周平 講談社文庫

2021-05-31 22:48:20 | レビュー
 立花登シリーズ第2弾。短編5本の連作集になっている。各短編は読み切りであるが、この5編の連なりには通底していく流れが引きつづき2つある。1つは勿論、町医小牧玄庵家の玄関わきの部屋に居候する立花登と叔父玄庵、叔母、娘のおちえとの人間関係である。もう1つは登にとって柔術の友、新谷弥助が第1作の短編連作途中から不可解な行動を取り始めたことに関連する。弥助は道場に行くと言って家を出た後、道場に出ることもなく深川の地回りたちと行動を共にするようになったのだ。この2つの流れが所々に織り込まれながら、個々の短編のストーリーが進んで行く。
 この第2弾には、「老賊」「幻の女」「押し込み」「化粧する女」「処刑の日」が収められている。1980(昭和55)年に「小説現代」に連載され、1983年11月に文庫化されている。

 登と小牧家との人間関係は、「化粧する女」に登の思いとして次のように描き込まれるようになる。「叔父夫妻は、とっくの昔におちえの婿に据えて、老後は左うちわと決めてしまったらしく、近ごろは言葉のはしばしに平気でそういうことを匂わせる」(p174)。「あれだけ叔母の尻にしかれている叔父が、ずいぶん反対もされたろうに、よくも自分を江戸に呼んでくれたものだと思う気持。たしかに口やかましいが、いやな顔ひとつせずに汚れ物を洗い、縫い物をしてくれる叔母、そういえばこの間は月の小遣いを一分ふやしてくれたしなどと思ったり、おちえも以前とくらべれば、少しは行状も改まったようではないかと見直したり、要するにそういう日常の感慨の底に、少しずつあきらめの気持がたまって来て、ある日は不意に、叔父の家の婿におさまったからといって、学問が出来ないわけでもあるまいと思ったりする。」(p174-175)そして、登が家に戻り、井戸端で行水を始めると、「登兄さん、背中流しましょうか?」とおちえが行動する場面が織り込まれていく。さらに、「処刑の日」の末尾には、「『ほうびはこれだぞ』登はおおちえの身体をすっぽり抱えると軽く口を吸った。きゃっと叫んで逃げるかと思ったら、おちえは動かなかった。眼を閉じてじっとしている。・・・・」(p255) という展開になっていく。
 そして、この後、第3弾に続いていくことになる。
 
 さて、各短編について、簡単にご紹介しておきたい。
<老賊>
 ストーリーは鴨井道場で登がおとうと弟子に稽古をつける場面からさりげなく始まる。登と師範代の奥野との間で、新谷弥助の家を登が二度訪れたが留守だったこと。道場に姿を表さないこと。奥野が知り合いを訪ねた帰りに深川の櫓下、遊郭の近くで地回りのならず者と弥助がいたのを見かけたこと。その折、奥野を見ると弥助が顔をそむけ知らぬふりをしたことなどが語られる。その結果、登は奥野から弥助の様子をさぐってくれと依頼をうける。これがこの第2弾の底流の一つになっていく。
 さて、この短編は東の二間牢の60を過ぎた捨蔵と名乗る囚人の話である。無宿者で盗みの罪はすらすらと白状したが、それ以外は口を閉ざしているという。登は彼の症状を考慮し、溜に行くかと捨蔵に尋ねる。捨蔵は助からない命なら、死ぬ前に娘と孫の顔を見たい。探してほしいと登に頼み込んだ。
 浅草・阿部川町の弥五平長屋を皮切りに登は捨蔵の娘おちかを探し始める。弥五平長屋に住む女たちから、半年ほど前に40ぐらいの男がおちかの行方をさがしてここに来ていたという事を登は知る。一方、牢名主の長右衛門から、登は捨蔵が無宿牢への入牢の時、5両のツル(金)をぽんと出した。つまり、ただ者ではない。その後、新入りで牢をすぐに出て行っ男が捨蔵と話し込んでいた事実。長右衛門はその男が守宮の助だと思い出したということを聞く。登はおちか探しのために岡っ引きの藤助に協力を頼むことに・・・・・。おちかに会い話を聞いた登は、その後あることに気づく。危機一髪でのどんでん返し、そこにおもしろい視点が潜んでいる。著者は登に「捨て身の隅返し」と言わせている。

<幻の女>
 <老賊>の末尾で、新谷弥助に関わることが少し語られ、この短編の冒頭も登が弥助の家を訪れる場面から始まる。弥助に関わる通底ストーリーがまず進展していく。
 腕のいい蒔絵師巳之吉が口論の末に男二人を刺し、その足で自首して出た。争いの因は賭場でのもつれという。巳之吉は遠島の刑を言い渡されていて、あとひと月ほどで流人船が来る予定だった。巳之吉の病状を診た折、登は巳之吉から一度はさがし、所帯をもとうと思ったというおこまという娘の話を聞いた。登は巳之吉がおこまの最後の消息を聞いたという長屋を訪ねてみる。そこから話が始まって行く。そして、登は意外な事実にたどり着いていく。流人船に乗るために裏門から出て行く巳之吉に登は知り得た事実を告げなかった。巳之吉は己の胸中に「幻の女」を抱いたまま島送りとなる。
 事実を知るより幸せか・・・・。告げない選択に、登の人情観が込められている。

<押し込み>
 末を約束した男の裏切りに傷つきその男を刺したおしんは、特別の吟味の後牢を出されて、今は両国橋南河岸にある水茶屋しのぶで再び元気に働いている。道場からの帰りにおしんの様子を見がてら立ち寄った登は、店の中で三人組に目をとめた。その三人組-源次・金平・保次郎-は押し込みの計画を相談していたのだ。源次が奉公していた三吉屋という大きな足袋屋の娘、おしづの境遇に対する同情心を発端とした三者三様の思惑がらみで押し込み計画を彼等は練っていたのである。
 朝の見回りのとき、大牢の牢格子から手を振り声を掛けてきた囚人金平に登は頼まれる。源次と保次郎に「じゃまが入った、やめろ」と伝えてほしいと。登は勿論、拒否する。だが、金平は「人の命がかかっている」という。さらに、夜の見回りの折に、金平は登に同じ店をむささびの七の一味が狙っているのだと一歩踏み込んで頼み込んだ。
 瓢箪から駒のストーリー展開になっていく。馬鹿な男たちを助けるために、登が起ち上がる。2ヵ月ぶりに道場に現れた新谷弥助に手伝わせて・・・・。
 表には出すことができない登と弥助の武勇伝にもなる。

<化粧する女>
 房五郎は押し借りの罪で吟味を受け、敲きの上江戸払いと決まり、仕置きを待つ身である。その房五郎を奉行所吟味方与力高瀬甚左衛門が定法を逸した牢問にかけている。お奉行はしばらく高瀬のやることを黙認せよと裁断しているという。奉行の黙認を取り付けられるだけの何かがあるのだ。高瀬は房五郎がケチな押し借りではなく、百両の大金が絡んだ悪事に荷担しているとみて執拗に白状させようとしていた。
 当初房五郎に不審を感じていた登は高瀬のやりすぎの牢問に憤りを感じる。そして房五郎をつかまえた岡っ引きが百助と知り、百助の話を聞きに出かけたことから、房五郎の女房おつぎに会ってみようという気になった。それは登が真相に近づいていくはじまりとなる。
 色と欲のなせる業の一典型が描き出されて行く。登にはおぞましい記憶が残ることに・・・・。

<処刑の日>
 登の住む福井町の隣町平右衛門町で筆墨と紙を商う大津屋の主人助右衛門が入牢していた。梅雨の頃に、妾のおつまを刺し殺したという罪である。助右衛門は吟味の席では終始無罪を言い立てた。しまいには、手当ての金のもつれで妾を殺したと白状し、口書きに爪印をとられていた。助右衛門が血のしたたる庖丁を持って立ち尽くす姿を何人もが目撃していたのだった。今、助右衛門は死罪の言い渡しを待つ囚人である。養女のおゆきは16歳で、既に婿が決まっている大津屋の跡取りだった。だが、助右衛門が死罪になれば、大津屋がどうなるかはわからない。
 助右衛門を知る登は、彼が殺したとは到底信じられない。登は独自に調べ始める。
 一方、併行して、登は新谷弥助の行状を直蔵に協力してもらい探っていた。弥助の兄多一郎や師匠の鴨井左仲に事情を知られる前に、弥助を深川の悪所から引き離す必要があった。どうも市之助というあくどい金貸しがからんでいるようだった。
 二つのストーリーがパラレルに進行していく。
 おちえが思わぬ場面を目撃していた。三日前におちえが仲よしのみきと一緒に東両国の軽業を見に出かけた帰路、柳橋の川口のところにある船宿三吉屋から大津屋のおかみと手代の新七が前後して出てくるのを見たという。登に告げておちえは気持がすっきりしたと言う。登は、このことを誰にも言うなと口止めする。登は助右衛門のこととの関係で調べる一つの突破口を得ることができた。登は叔父から大津屋の事情を聞き出すことから初めていく。新七は大津屋の子飼いではなかったが、商いの腕が確かなところが見込まれて、おゆきの婿に決められていたことがわかる。
 登の疑念を解明するための行動に対して、死罪の言い渡しが何時あるか・・・・・切迫するタイムリミットとの競走が始まる。
 併せて、深川の悪所から弥助を引き離すために、登は師範代の奥野の協力を得て一計を案じる。
 異質の二つの話が進展していくことが、この短編に奥行を持たせている。また、上記の「ごほうび」の理由がこれでおわかりになるだろう。
 
 立花登の事件解明ストーリーとそのプロセスでの人情味の発露にますます惹かれていく第2弾である。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『春秋の檻 獄医立花登手控え1』  講談社文庫

『「新選組」土方歳三を歩く』 蔵田敏明著 芦澤武仁写真 山と渓谷社

2021-05-26 18:03:00 | レビュー
 京都には壬生屯所・壬生寺をはじめ新選組にゆかりのある史跡が数多く点在する。京都の史跡探訪を続けていて、あるとき新選組にも関心を抱き始めた。関連史跡を探訪する方が優先となり、新選組関連の本は手軽な文庫本を中心に目につけばコレクション(笑)している。残念ながらもっぱら眠っているものの方が多い。
 新選組そのもの、そして人物として近藤勇他何人かに特に関心をもっている。そのうちの一人が土方歳三。京極夏彦著『ヒトごろし』(新潮社)を2018年に読んだ。その頃に本書をみつけていたのだが、読むのが今になった。2003年12月の出版である。
 「歩く旅シリーズ[歴史・文学]」の一冊として出版されている。

 本書は、土方歳三の生誕地から始まり、歳三が明治2年(1869)5月に壮絶な死を選ぶまでの彼の足跡、歩いた道筋を著者が辿って歩く。歳三がどこでどういう人々と関わり、どう考えどう行動したかその経緯を語る。そして彼が居た/関わった場所、彼に関連する資料、彼も見た景色、あるいはその足跡地の現状風景などの写真がほぼ各ページに併載されていく。土方歳三という人物の人生を大筋でつかみ、関心を深めるには、読みやすい手頃なガイドブックと言える。

 本書は「新選組前夜」「新選組の京都」「転戦の日々」という三部構成になっている。主題が「土方歳三を歩く」なので、京都以外は地域名にブレークダウンされていく。目次の次に「土方歳三の足跡」として、歳三の行動した行路地図がまず掲載されている。
 本書の内容のイメージがわかるように、各部の章立てをご紹介しよう。これが歳三の行路記録にもなる。
「新選組前夜」 日野、調布、江戸、中山道
「新選組の京都」 ここは京都での主要なイベントごとに語られていく。
  新選組結成、池田屋騒動、新選組全盛、新選組秘話、油小路の変、鳥羽伏見の戦い
「転戦の日々」 江戸、勝沼、流山、宇都宮、会津、函館

 この一連の項目名を読み、歳三のイメージが浮かぶ読者には本書はレビュー程度になるかもしれない。
 本書のおもしろい特徴の一つは、本文解説でのアプローチにある。土方歳三に関わる事実・史実について、著者が「歳三を歩く」行程で解説するのは勿論だが、史実データに留まらず、その地、その場面での歳三の考え・思い・行動が、新選組関連で定番となっている小説や映画でどのように描かれているかの場面を織り交ぜて語り継ぐところにある。史実とフィクションの次元が、語りの中で融合していく。それが本文を読みやすくしているのかもしれない。
 一方で、現時点ではかつての時代劇映画に無関心の人には逆反応になる可能性もある。天知茂、市川雷蔵、片岡知恵蔵、市川右太衞門、黒川弥太郎、若山富三郎、三船敏郎、鶴田浩二などの俳優名、かつての名優たちの役どころが書き込まれている。土方歳三を当たり役にした栗塚旭が特に頻出する。私にはそんな映画もあったのか・・・・というレベルであり、直接映画は見てはいないが諸俳優にはスクリーンでのなじみがあり、著者の熱っぽさを楽しんだ方である。一方では、ソンナノシラナイ!・・・・おしまいかも。
 小説の方では司馬遼太郎の『燃えよ剣』『新選組血風録』の場面や実録の『島田魁日記』、永倉新八郎の手記『浪士文久報国記事』、勝海舟の日記などの資料が織り交ぜて引用され、歳三を描き出している。

 もう一つの特徴は、「歩く旅」がテーマであるので、歳三の足跡を基本としながら、「日野を歩く」から始まり、各地域での史跡等観光コースを地図付きで解説する。これらのページがもう一つの柱になっている。最初に「コースタイム」が明示されている。本書は本文を従にして、この「○○を歩く」というセクションを主に、身近に行けるところから読み進め現地を歩く参考にするのも一つの方法といえる。
 私の地元で言えば「新選組の京都」の部である。ここには、10のコースに区域分けして歩くコースの紹介が行われる。次のとおりである。
 「新選組入京」を歩く。壬生界隈を歩く。「池田屋騒動」を歩く。木屋町を歩く。
 「油小路の変」を歩く。「維新の密議所」を歩く。「蛤御門の変」を歩く。
 二条城周辺を歩く。伏見を歩く。鳥羽街道を歩く。
京都に関しての各コースの内容を読み、大凡は探訪しているが、所々に見落とし、未訪地があることを発見した。今後の探訪課題ができた。

 本書の末尾には、「テレビ・映画の中の土方歳三」(蔵田敏明)、インタビュー記事「『土方歳三』を演じて」(栗塚旭)、「土方歳三をめぐる人々」(一坂太郎)、「土方歳三年譜」が併載されている。「土方歳三をめぐる人々」は人物プロフィールをまず簡略に知るのに便利と言える。

 土方歳三自身のプロフィールの大凡を著者の説明から要約してみよう。
*天保6年(1835)5月5日 武州多摩郡石田村(現・東京都日野市石田)にて生誕
 農家の6人の子(男4、女2)の末っ子四男として生まれた。
*11歳、17歳の折りに江戸にて奉公するがいずれも失敗。薬の行商に従事。
*武士になる志を抱き、剣術修行をする。姉の嫁ぎ先である佐藤宅の佐藤道場(天然理心流)に出入りする。出稽古に来る近藤勇と知り合う。17歳のとき正式に入門。
*試衛館時代に剣術修行のかたわら、書を医者の本田覚庵に習っていた。
*歳三の座右の銘は「誠一筋」で「近藤さんを旗本にする」という信念が歳三の原動力
*新選組が結成されたとき、隊の掟『局中法度』は近藤と土方が発案したと著者は言う。*新選組当初の副長は山南敬助と土方歳三。新選組の結成時は14人。最大規模時は200人
*歳三は沖田、藤堂、原田らと芹沢鴨を暗殺。古高俊太郎の拷問を実行。池田屋に突入。
 壬生から西本願寺、さらには不動堂村への屯所の移転は歳三が采配していたという。
 油小路の変で、歳三は藤堂平助を斬る。
*鳥羽伏見の戦いで破れた歳三は、その後の転戦の日々の中で真骨頂を発揮し出す。
  ⇒ 京都から函館への転戦プロセスでの歳三が読ませどころの一つとなる。
*函館の五稜郭で旧幕軍が榎本武揚を総裁に独自の国家(共和政府)を造ろうとした。
 その時、歳三は陸軍奉行並となる。
*明治2年(1869)5月11日函館において、一本木関門に出撃し馬上で被弾し戦死した。

 本書の本文を読み土方歳三という人物理解に迫っていただきたいと思う。

 土方歳三を考えるための情報として、

この『新選組事典』(鈴木享編、中公文庫)も紹介しておこう。
p374-381に「土方歳三」(橋本三喜男記)という項で歳三のプロフィールが説明されている。
 たとえば、本書では「17歳の時に江戸大伝馬町の呉服商に奉公するが、今度は女中と男女問題になり辞めている。」(p9)と記すが、こちらは「17歳のとき、今度は江戸伝馬町の呉服屋に奉公に出された。田舎者とはいえ、色白の美少年だったから、結構、女にはもてた。同じ店の奉公人の女性と恋仲になり、妊娠させてしまい、始末に困った土方はまたまた日野に逃げ帰ってしまったという」(p375)とストレートに記述している。上記の榎本を総裁とした独自の国家(共和政府)をこちらでは「蝦夷共和国が誕生した」(p380)と表記している。歳三の最後を本書では末尾の「土方歳三年譜」で「馬上で指揮中被弾して戦死」(p158)、本文では「死でもって責任を果たしたのは、陸軍奉行並の土方歳三ただひとりであった」(p127)と記すにとどめている。こちらは、『島田魁日記』で歳三の最後の場面が記述された箇所を4行にわたって引用している。
 こちらはプロフィールに絞り込んだ簡略な記述であるが、本書と併読すれば理解を深める補完関係が生まれると思う。

 ご一読ありがとうございます。

本書から関心事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
歳三の生家 土方歳三資料館   ホームページ
土方歳三  近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」
土方歳三   :ウィキペディア
高幡不動尊金剛寺  ホームページ
壬生屯所旧跡 八木家 ホームページ
  新選組壬生屯所旧跡  
壬生寺 ホームページ
  壬生寺と新選組について  
鳥羽・伏見の戦い  :ウィキペディア
戊辰戦争、白虎隊、新選組・・・会津の歴史を知る  :「会津若松観光ナビ」
戊辰戦争(会津戦争)古戦場(福島県福島市:会津若松城[鶴ヶ城]):「刀剣ワールド」
五稜郭     :ウィキペディア
五稜郭の歴史  :「五稜郭タワー」
HBCテレビ『土方歳三、箱館に死す!』2020年9月27日(日)放送  YouTube
【新撰組・土方歳三の刀】鬼の副長が愛用した「和泉守兼定」の秘密に迫る!:「歴史プラス」

   インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ヒトごろし』  京極夏彦   新潮社

また、もうひとつの拙ブログ『遊心六中記』で探訪記録をまとめています。
こちらもご覧いただけるとうれしいかぎりです。

探訪 [再録] 京の幕末動乱ゆかりの地 -1 西本願寺太鼓楼・新選組不動堂村屯所跡 (中屋敷跡)・不動堂・[道祖神社]
   8回のシリーズでご紹介しています。
スポット探訪 京都・左京 金戒光明寺細見 -6 西雲院(会津墓地・紫雲石・王鞬南の墓・会津小鉄墓・池玉瀾墓)ほか
スポット探訪 [再録] 東福寺とその周辺 -3 正覚庵(筆の寺)・月輪南陵・九条陵と防長藩士之墓所

『春秋の檻 獄医立花登手控え1』 藤沢周平 講談社文庫

2021-05-22 12:34:34 | レビュー
 土曜日に老母の夕食時の介護をしている時、たまたまNHKを見ると、時代ドラマをやっていた。「立花登 青春手控え3」のシリーズ。立花登? どこかで目にした名前・・・・。藤沢周平の作品を思い出した。かなり以前に高校時代からの友人との会話で藤沢周平の小説に嵌まっているということを聞いた。それまでに読んだことがなかったので興味をもち文庫本を買いだした。購入した本で未だ書棚に眠ったままの中にあった。このシリーズ名と一致する。NHKドラマを見たのがきっかけで、書棚で長い眠りにあった文庫本を引っ張り出した。この土曜時代ドラマも見るようになった(笑)
 勿論、読み始めるのなら、文庫で4冊シリーズになっている「獄医立花登手控え」の第1冊から順番に読む事に。この第1弾は「春秋の檻」というタイトルである。メインタイトルは、この後「風雪の檻」「愛憎の檻」「人間の檻」と名付けられていく。

 このシリーズ、短編連作集である。主人公は立花登。江戸・小伝馬町の青年獄医である。立花登の生活環境設定がおもしろい。立花登は羽後亀田藩の上池館(医学所)で医学を修めた。和蘭医学も多少は囓っている。登は微禄の下士の家の次男。それで3年前に江戸で開業する叔父、小牧玄庵を頼って、江戸での医学に希望をふくらませて上京した。それ以来小牧家の居候である。だが、下男同然の待遇なのだ。
 叔父は俊才の名をほしいままにして、24歳の時に江戸に出ていた。江戸で開業し繁昌していると登は想像していたのだが、叔父は実ははやらない医者だった。その叔父が家計と酒代をおぎなうために、小伝馬町の牢医者をかけ持ちしていた。登はその小伝馬町の獄医という仕事を体良く叔父から振られてしまった。その収入は直接登に入るのではなく小牧家に入る。叔父の代診をすることもあれば、普段は叔母からこき使われる境遇になる。うちは居候をおくゆとりはありませんよと釘をさされてもいた。
 登は、子どもの頃から修業を絶やさなかった柔術を江戸でも続け、起倒流の鴨井道場でも磨きをかけ免許取りにまで進み高弟の一人になっている。叔母は泥棒防ぎの稽古事と呼び、道場通いで帰りが遅くなるのを好まなかった。だが、登にとって道場での稽古は居候境遇の鬱屈を晴らす機会でもあった。この連作の中で登の柔術の力量が大きく役立つことになるという次第。

 小伝馬町の牢には本道(内科)二人、外科一人の医者が詰める。登は本道の一人として勤めている。毎日朝夕に見回り、昼の間はいずれか一人が詰め切りになり、一緒に泊まる。朝の見回りの後に交代で詰め切る形であり、登は昼間に小伝馬町から出て行動することができる。
 こんな登が小伝馬町の獄医として囚人と関わる。囚人について疑問を感じたこと、あるいは密かに囚人から頼まれたことなどから、問題事象に首を突っ込みその解決に取り組むというストーリーが綴られていく。そのストーリーに登が居候となっている小牧家での日常雑話、友人や世間との交流などが織り込まれていく。それは江戸の社会や町人事情を描き込むことにもなっている。
 この短編連作集はいわば立花登の視点から語られていく事件記録、手控えである。
 
 それではこの第1弾に収められた手控えの内容を少しご紹介しよう。

<雨上がり>
 牢屋同心の平塚から夜に東の大牢で病人が出たと伝えられる。腹痛でうめいている囚人勝蔵は実は仮病で、登に頼み事をした。南本所の石原町にある弥左衛門店に住む伊四郞に会い10両を受け取り、深川の瓢箪堀近くの裏店に住むおみつに渡してほしいという。登は引き受けてやった。平塚に尋ねると勝蔵はやくざ者を刺し殺したので島流しで船待ちだと言う。
 伊四郞は3日後の夜に登に10両を渡すという。登は勝蔵を捕らえた岡っ引きの藤吉から当時の事情を聞く。当夜伊四郞の罠を脱した登は10両をおみつに届ける。その結果登は全ての裏事情を知ることになる。
 この短編、男女の仲の不可解な側面を鮮やかに切り取っている。

<善人長屋>
 はめられたと無実を訴える囚人の吉兵衛。吉兵衛は長屋を調べてもらえばわかると言う。平塚に事情を聞き、登はこの事件に首を突っ込むことに。吉兵衛を捕らえた岡っ引きの清吉にまず話を聞くことから始める。通称、善人長屋に住む吉兵衛の娘おみよに登は会いに行く。おみよは眼が見えないのだった。善人長屋を出た後、登は男に襲われる。それが逆に糸口となっていく。登に岡っ引きの藤吉が協力してくれる。そこから大捕物に展開することに。藤吉の調べで意外な事実が明らかになる。
 見かけの姿では何もわからない。巧妙に隠蔽されてきた悪行を暴くストーリー。

<女牢>
 登は叔父玄庵の代診で猿屋町の裏店に住む時次郎の治療をした。足の挫傷は骨が外れていることが原因で元来が本道(内科)の任ではない。登は柔術の経験を生かして治療し4,5回の往診をしてやった。登は朝の見回りのおり、女牢の新入りをちらっと見て、後でその女囚が時次郎の女房おしのだったと思い出した。それとなく平塚に尋ねると出刃で亭主を殺した罪で入牢してきたと言う。おしのがなぜ亭主殺しをすることになったのかを登は調べ始める。
 登の治療の世話になっている牢名主のおたつが登を呼び止めて、登にとんでもないことを依頼する。おしのを一度抱いてやってほしいと・・・・・。
 この短編の副産物は、斬首という処刑の手続きプロセスが描き込まれている点である。登は遠くから切り場と呼ばれる処刑場に入るおしのを遠くから見送る立場となる。
 その後に登が取る行動はやはり止むにやまれぬ思いのなせるわざだったのだろう。著者は「澄明なかなしみ」というフレーズで登の心境を表現し擱筆している。

<返り花>
 登は本道の相役、矢作幸伯老人から思わぬ相談ごとを聞かされる。揚り屋に入牢している御家人小沼庄五郎のことである。小沼が昨夜腹痛で七転八倒し苦しんだという。小沼を診た幸伯は届け物の餅菓子に毒が入っていたと見極めたのだ。幸伯は誰にも伝えていないという。登が後を引き受けることに。そして、岡っ引きの藤吉に真相究明のために、下っ引きの直蔵を貸してほしいと頼み込む。一方、道場仲間の新谷弥助が小沼家の事情を調べてくれた。
 小沼の入牢は勘定所の不正問題に絡んでいたのだが、そこに、小沼の妻・登和の不可解な女ごころが絡んでいくことになる。登に協力する新谷が道化的個人行動をとるところが微笑ましい。

<風の道>
 三十半ばの傘張り職人鶴吉は、3年前に南本所で30両ほど強奪する押し込みを行って牢に入っている。入られた雪駄問屋によれば2人組だった。鶴吉は相棒の名前を詰問され穿鑿所で牢問にかけられる。石抱きと呼ばれる責め苦を受けるのだが吐こうとしない。二度目の牢問に登は立ち合った。そして、鶴吉から「あっしの女房に会って、いまの家を出て身を隠せって、言ってやってくれませんか」と頼まれる。鶴吉の女房はそれと知らずに、押し込みを働いた相棒を一度だけ見ているのだと。だが、相棒の方はそうとは思っていないかもしれないという。それがはじまりとなる。
 牢問に耐えていたその鶴吉が牢内で殺された。東の大牢の隅の隠居におさまっている為蔵が登に偶然目撃していたと告げ、鶴吉を殺した男の名前を教えた。
 事実を伝える登と鶴吉の女房との会話。女のひとことが哀しい。

<落葉降る>
 登と同じ福井町裏に住む鋳かけ屋の平助は手癖の悪さから小伝馬町の牢を出たり入ったりという繰り返しをしている、それがもとで女房に見切りを付けられ出て行かれた。その平助がまたも入牢した。平助は登に罠にかけられた気がすると語った。娘のおしんはけなげに働いている。だが、そのおしんが入牢してくるという事態が起こる。登は岡っ引きの藤吉に依頼し、直蔵の助けを得てその真相をさぐる行動に出る。そこには汚い仕掛けが裏に潜んでいた。
 ある男の我欲に翻弄されるという切ない話。だが世間によくありそうな話でもある。

<牢破り>
 叔母は従妹のおちえが遊び歩いている相手は芳次郎と思っている。だがそうではない。登は一度おちえが別の男と歩いているのを見かけていた。登が芳次郎に会い尋ねると、おちえの相手は浅草の観音裏の矢場で知り合った櫛職人の新助だという。おあきなら新助の住まいを知っているだろうと。おちえが人質にとられる形で、登が巻き込まれるていく事件に関わってくる。
 牢獄に近い夜道で登は待ち伏せに遭う。相手は登が牢医者であると承知していた。東の大牢に入っている金蔵に手のひらに入るほどの小さな鋸を渡して欲しい。明日の晩に金蔵が腹痛を起こすので、外鞘に出して渡せ。渡さないとおちえの命がないと言う。さらに、金蔵に鋸を渡したかどうかはすぐにわかる仕掛けになっていると念を押す。
 登はまず金蔵が腹痛を訴えてきた晩にどういう男かの確認にとどめ、時間稼ぎをすることから始める。だが翌早朝、調合所で登が薬研を引き寄せたとき、警告文が記された白い紙がはさまれているのを見つけた。登は窮地に立たされることに。
 さて、登はこの窮地を切り抜けられるのか。読者の気をそそる展開になっていく。
 巧みなストーリー構成である。一気読みしてしまうことに。
 
 この連作の興味深いところが一つある。立花登と小牧玄庵一家との関係が点描風にそれぞれの短編の中に織り込まれている。その点描がサブストーリーとして連作の底流として累積されていくところにある。連作を読み継いでいくと、登対玄庵、登対叔母、登対従妹おちかのそれぞれの人間関係が徐々に変化していく様相が見られておもしろい。

 手元にある第2弾『風雪の檻』を早速読み継ごう。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋として、関心事をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
「立花登青春手控え3」 ドラマトピックス :「NHK」
伝馬町牢屋敷   :ウィキペディア
日本橋北神田浜町絵図 小伝馬町一丁目:「人文学オープンデータ共同利用センター」
小伝馬町牢屋敷展示館  :「中央区まちかど展示館」
牢問 ⇒ 拷問 :コトバンク
徳川刑事図譜「拷問の図 石抱責」 江戸捕物の世界 写真特集 :「JIJI.COM」
石抱  :ウィキペディア
吉益東洞 [電脳資料庫]  :「東亜医学協会」
吉益東洞宅蹟  :「フィールドミュージアム・京都」
中神琴渓  :「コトバンク」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


『白銀ジャック』  東野圭吾  実業之日本社文庫

2021-05-20 11:29:44 | レビュー
 「ハイジャック」と言えば、航空機などを乗っ取ることである。jack という英単語が「・・・を盗む」という意味と英和辞典に出ている。「白銀」と言えば「雪」。雪を盗むとはどういうこと? このストーリーでは、「白銀」が新月高原スキー場を象徴している。スキー場を盗む、つまり乗っ取るってどのように? 広大なスキー場をどのようにして乗っ取るのか? 「白銀ジャック」は、このスキー場が運営するホームページに電子メールが着信したことから事態が急展開していく。
 ホームページの更新管理を担当する辰已が索道事業本部長の許にその電子メール文をあわてて持参して来た。その場には倉田も居た。倉田は広瀬観光からその100%子会社である新月高原ホテルアンドリゾートに出向し、リフトやゴンドラの運行を行う索道事業本部マネージャーである。40歳を超えているが独身。松宮はメールの文面を読み、みるみる顔を強ばらせた。メールは、地球温暖化と環境破壊という問題にスキー場が悪の一役を担っていると論じ、慰謝料を請求すると脅迫してきたのだ。三日以内に3000万円を用意しろと言う。今、積雪量たっぷりになっているゲレンデの下に、タイマー付きの爆発物を仕掛けてあるという。降雪のなかった時期に密かにセットしたのだと。遠隔操作でタイマーを作動させることができると記す。それが降雪前からの周到な準備であると記す。ある地点に埋めたメッセージをみれば、我々の実行力がわかると特定の場所を提示していた。自分たちのことを「埋葬者」と名乗っている。
 つまり、広大なスキー場のどこかで爆発が引き起こされれば、雪崩が発生しゲレンデでスキーを楽しむ人々が大勢巻き込まれるという惨劇に繋がって行く。まさに、スキー場が埋め込まれたタイマー付き爆発物という手段で乗っ取られている状態が突然に現出した。
 年明け前に積雪が2m近くになっていて良いシーズンが迎えられると喜んでいた倉田はリフトやゴンドラを担当しスキー場の運営に関わるマネージャーとして苦境に立たされていく。スキー場は、スキーヤーやスノーボーダーたちで賑わい始めているのだ。
 スキー場に来場したスキーヤーやスノーボーダーの行動並びに客たちにスキー場側がどのように対応するか、一方で脅迫メールに会社としてどう対処していくか、その二つの側面がパラレルに進行していく。スキー場の実質的な責任者として、倉田は苦境のただ中に投げ込まれていく。
 「埋葬者」名で送信されてきた脅迫メールにどう対応していくか。
 会社側はトップ層を集めて会議を開いた。倉田は現場のマネジャーとして、客たちを退避させゲレンデの閉鎖と警察への通報を即座に行うのがリスク管理として必要だと考えた。だが、会社の社長以下経営層は脅迫者の要求に応じる決断をした。倉田の意見は通らなかった。3000万円を「埋葬者」と名乗る者に用意して指示通りに手渡し、爆発物の埋設地を知らされてそれに対処することですませたいのだ。このシーズンをスキー場の賑わいで運営できれば、安いものだと判断した。新月高原スキー場の来場者数は、ここ数年、ずっと右肩下がりの状況が続いているのだった。
 埋葬者が降雪前から周到な準備をした証拠と記すものの確認を倉田がまず行うことになる。倉田は上司の許可をとりパトロール隊の根津昇平と藤崎絵留に確認の協力をさせた。倉田は根津に電子メールの文面を読ませた。根津はそれを絵留にパトロール隊の詰め所で伝えることになったのだが、偶然パトロール隊の新人、桐林が聞いてしまう。そのため、根津・絵留・桐林の三人が倉田の実働要員として行動していくことになる。翌日早朝、根津と絵留は、埋葬者の指定地点で証拠を掘り出した。つまり彼等の脅迫が悪ふざけでなく周到な計画だとわかる。
 その結果、3000万円の準備と受け渡し行動へと会社側の対応が進展していくことに・・・・・。その結果、この脅迫はさらに徐々にエスカレートしていく。読者は、次はどう展開するのか・・・・と一気読みを促されていく結果になる。

 一方、新月高原スキー場に訪れた客たちの中で3つのグループに焦点が当たっていく。最初に登場するのは倉田にゴンドラの近くで声をかけた老夫婦らしい二人連れ。彼等は倉田に「北月エリア」がどこにあるか尋ねた。倉田は今シーズンは通れるようになっていない、安全上の理由で整備が遅れていると答えた。男の客は残念そうだった。その老夫婦がテレマークスキー用のスキーを担いでいることに倉田は気づいた。後で分かるのだが、その老夫婦はホテルのスィートルームに滞在していた。スキー場にとっては上客なのだ。繰り返し、北月エリアで滑れないかの質問を投げかけてくる。
 その次に登場するのは、入江親子である。父親が息子の達樹をスキー場に連れて来ることにしたのだ。実は、前年に入江家族は北月エリアで滑っていて、母親が飛び出してきたスノーボーダーと接触し、ゲレンデで亡くなったのである。母親の死を息子の達樹は間近で目にしていた。それが原因で達樹は心理的ダメージを受けていた。この事故にはスキー場の管理面で問題点はなく、入江もそのことは認めていた。これを原因として北月エリアはこのシーズン、クローズされていた。入江父子の来場連絡に会社側は丁重な受け入れをすることにしていた。松宮部長は余計に、北月エリアはクローズのままで良いと判断した。だが、入江は息子を再度北月エリアで滑らせて、母親の死のことに心理的な区切りをつけさせ、スキーの楽しさを取り戻させたいと考えていたのだ。勿論、入江は倉田に北月エリアでのスキーを希望する行動に出る。
 その後に登場するのは、若手の三人組スノーボーダー。彼等はスキー場でのルール違反を犯す行動をとり、パトロール隊の根津と絵留に追跡される。そこから接点が生まれて行く。瀬利千晶は新月町の居酒屋でアルバイトをしつつ山籠もりをしようとしているスノーボーダーでこのゲレンデでの大会に出るつもりでいる女性。あとの二人は千晶の従兄弟で、東京から来た大学生。快人と幸太という。快人はつかまり注意を受けたパトロール隊の絵留に、一目ぼれしていく。絵留はかなり年上なのだが、快人は気にしないという。根津を注視していた千晶は根津の不可思議な行動に関心を抱き、脅迫メール事件に自ら巻き込まれていくことになる。

 このストーリーのおもしろいところは、脅迫メールが度重なることで、緊迫感が高まっていくのだが、そのプロセスで不可解な状況もまた現れてくる。倉田は経営者側から警察への通報を禁じられ、来場者たちの客にも一切知らせないという方針に従わざるを得ない己に忸怩たるものを感じつつも、脅迫メールが作り出す状況への対応に追われていく。その一方で、入江父子や上客である老夫妻への対応にも迫られていく。
 ある段階から、根津は千晶と行動を共にして、脅迫メール事件に取り組んで行くことになる。

 入江達樹の母の死を引き起こした北月エリア、そして北月エリアを含む新月高原スキー場の経営問題に関わる意外な事実が明らかになる。併せてそこにはこの緊急事態に対して複雑に絡み合った人間関係と事件当事者たちの思惑が潜んでいた。
 すべての事件が解決する。だが、事件そのものは一事項を除いてなかったものとして内密に対処されることになる。それはなぜか。そこに至る当事者たちの動機とプロセスがこのストーリーの読ませどころといえる。脅迫メールの一捻りが読者をうならせることに・・・・・。そこは読んでのお楽しみに。フィクションとしてのおもしろさが詰まっている。
 倉田が最初からやきもきしていたクロス大会は当初の計画通り、アタックコースで造られ、予定通りに開催の運びとなる。その場面描写がエンディング。ここに一つの兆しが描き込まれていて楽しい終わり方になっている。

 ご一読ありがとうございます。

 本書からの関心の波紋でいくつか基礎的なことをネット検索してみた。一覧にしておきたい。
テレマークスキー  :ウィキペディア
「テレマークスキー」やってみよう! :「日本プロスキー教師協会」
Telemarkski テレマークスキー イメージワークス  YouTube
スノーボード  :ウィキペディア
スノーボードの全スタイルをギュッとまとめました。あなたの目指す滑りが必ず見つかる!【ダイジェスト】  YouTube
第39回JSBA全日本スノーボード選手権大会 スノーボードクロス YouTube
2020-2021 シーズン公式結果  :「JSBA」(日本スノーボード協会」
ウィンタースポーツのイベント一覧  :「SPORTS ENTRY」
初心者には難しいグラブトリック?トゥイーク。 スノーボードハウツー竜王シルブプレ
オーウェンのハウツーですよ YouTube
プレス4方向解説! YouTube
【グラトリハウツー】BSノーズプレス YouTube
【グラトリハウツー】FSテールプレス YouTube
BS(バックサイド)180 プロライダーが教えるスノーボードHOW TO【キッカー】 YouTube
BS(バックサイド)540 プロライダーが教えるスノーボードHOW TO【キッカー】 YouTube
【スノーボード】カナダのスノーボードクロスの大会へ出てみた YouTube
ソチ五輪・男子スキークロスで実況解説大興奮のゴール YouTube

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』  角川文庫
『禁断の魔術』  文春文庫
『虚像の道化師』  文春文庫
『真夏の方程式』  文春文庫
『聖女の救済』  文春文庫
『ガリレオの苦悩』  文春文庫
『容疑者Xの献身』  文春文庫
『予知夢』  文春文庫
『探偵ガリレオ』  文春文庫
『マスカレード・イブ』  集英社文庫
『夢幻花』  PHP文芸文庫
『祈りの幕が下りる時』  講談社文庫
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社

『ブラタモリ 14 箱根 箱根関所 鹿児島 弘前 十和田湖・奥入瀬』 角川書店

2021-05-19 10:40:49 | レビュー
 鹿児島県内は毎年数回仕事で出張した時代があった。その頃、仙厳園や桜島を一度訪ねた記憶がなつかしい。鹿児島の番組は当日放送を見ていたので、今回良い復習にもなった。やはり本の良さは、行きつ戻りつしながら、マイペースで緩急自在に読めることである。今回も知らない土地について興味深く読み進めることができた。
 「箱根」は2017年4月22日放送のもの。「箱根関所」は2017年5月13日放送。「鹿児島」は2017年3月10・17日と2週にわたる放送。「弘前」は2017年7月8日放送。「十和田湖・奥入瀬」は2017年9月2日放送である。1冊に載るテーマの本数としてはいつもと同じだが、放送された期間でみるとほぼ半年分をカバーしている。
 本書の監修はNHK「ブラタモリ」制作班で、2018年9月に出版された。

 本書の基本構成コンセプトは繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
  *ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
  *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
  *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
  *同行アナウンサーの番組裏話 本書は近江友里恵さんのトーク
である。

 例によって、本書から私が学んだ要点を覚書としてまとめてみたい。それが本書を開いてみようという誘いになれば幸いである。

<箱根> テーマ 箱根の地獄が極楽を生んだ!?
*箱根という山はない。冠ヶ岳・台ヶ岳・金時山など複数の山の集合体が「箱根火山」
 複合カルデラ(少なくとも4つ)として形成された外輪山。東西約11kn、南北約11km。
 カルデラは岩などの礫で埋まり。地下水が溜まりやすく、貯水タンクの役割を果たす
*宮ノ下は箱根火山の噴火でできたカルデラのへりにあり、高温湯量1日約1000t、食塩泉
*長尾峠は山体崩壊(=恐ろしい災害をもたらす地獄)で誕生した扇形の地形
 一方、山体崩壊が早川をせきとめ、広大な芦ノ湖を形成。箱根観光の人気スポット(極楽)に
*芦ノ湖で外輪山の地滑りが起こり巨木が湖底に滑落。湖底に約2100年前の木の存在。
 芦ノ湖に棲む毒龍が暴れたという伝説の因。万巻上人が九頭龍大神として神社に祀る。
 神社本殿の猪目懸魚の形がハートマークに見えることから縁結びの神様として人気(極楽)
*湖底から掘り出された巨大な木「神代木」の天然の濃い黒色が寄木細工に使われた。
 ⇒名産品の誕生
*強羅の白濁湯は仙石原の湧き水を高低差約350mの大涌谷に汲み上げた蒸気井温泉
 ⇒噴気が上がる場所に温泉造成塔を立て、湧き水を吹きかけることで噴気が混合する
  箱根の地獄(大湧谷)は温泉(極楽)を創り出す現場!
*箱根温泉郷は自然湧出と造成温泉が共存し発展。江戸時代「箱根七湯」、今「箱根二十湯」
 湧出する源泉数は350前後、箱根全体での湧出量は1分間で約2万リットルという。

<箱根関所> テーマ 鉄壁!箱根の関所はなぜ破れない!?
*箱根八里の中間で、芦ノ湖畔に建つ。江戸時代前期、元和5(1619)年頃に設置された
 250年間機能し史料によれば関所破りは5件だけ。平成19(2007)年にほぼ完全に復元
 関所の山側には、山頂までの211間、約400mすべて柵を設置。湖側にも柵が延びていた
*箱根関所は箱根町断層に位置する。伊豆半島を走る丹那断層の北側延長線上にある。
 丹那断層と平行に走る平山断層があり2つの横ずれ断層が動いて崖が生じた箇所になる
 ⇒プルアパート構造と呼ばれる現象。箱根の芦ノ湖は落ちくぼんだ穴にあたる地形
*幕府の高札には江戸からの出女の厳しい改めが表記された。謀反予防策だったという
 ⇒大名の妻子は人質として江戸住まい。人質が無断で国元に帰らない爲の取り締り
*箱根の山越えの休憩所として元湿地帯に箱根宿(5町)を整備。地名等に痕跡が残る
*箱根越えの東海道は意図的に谷道の難所が選ばれた。尾根道を敵に使わせない爲に。
 旧街道の石畳には排水をよくする工夫と排水溝の役割を果たす部分も設けられた
 ⇒”箱根の関所=難所”というイメージの形成と心理的効果をねらう
*街道沿いの村には、「関所守り村」として不審者監視の役割を担わせた。4村設置
 箱根全体に裏関所を5ヵ所設置。周辺の山には立入禁止の「要害山」が決められた。

<鹿児島> テーマ なぜ鹿児島は明治維新の主役となれた?
*鹿児島県の50%以上がシラス台地。2万9000年前の姶良火山の噴火で姶良カルデラを形成
 その時の火砕流堆積物でできた地層。厚さ100mを超えるところもある。
 これが天然の要害となり、薩摩藩は独自の防衛ネットワーク「外城制」を築く。
 ⇒鶴丸城は天守を持たない屋形造りの城。ほぼ無防備。背後の城山の曲輪が天守代わり  
城山のシラス層の下は「城山層」(泥岩層)で湧水地が背後にあり、城づくりに最適
*薩摩藩は海岸を埋め立て城下町を拡大し、海運業・貿易に携わる商人等の居住地に。
 ⇒いづろ通交差点の石灯籠は南林寺(現松原神社)の参道に。以前は灯台の役割を担う
 ⇒琉球を通じた中国との交易(中継貿易)で多大の利益を得るのが島津藩の成長戦略
*天文館界隈は甲突川が付け替えられ、中・下級武士の居住地に。そこに「鍛冶屋町」
 薩摩藩独特の「郷中教育」:強い精神力と団結力を形成 ⇒幕末に逸材を輩出した
 下鍛冶屋町:西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎、篠原国幹、村田新八、吉井友実
*仙厳園(磯公園)にある鶴灯籠(石灯籠)で、1857年島津斉彬はガス灯実験をした。
*溶結凝灰岩は20種類。薩摩では用途に応じて使い分ける石の文化があった。
 ・加工しやすい「たんたど石」(約54万年前の吉野火砕流でできた溶結凝灰岩)
  ⇒列強からの脅威への防備のため「新波止」のお台場の石垣に利用
   大砲を製造する「反射炉」の基礎部分にたんたど石を利用。炉の耐火レンガを支持
 ・「尚古集成館」はもとは幕末に築かれた機械工場。この外壁に「小野石」を利用
  ⇒小野石は加久藤カルデラから生まれた溶結凝灰岩。断熱性に優れた石。
 ・「山川石」は温度変化の影響が少なく風化しにくいので、墓石には最高の石材
*仙厳園の裏山は吉野台地のへり部分。裏山に水路を張り巡らせ近代化事業に水力を利用
 ⇒稲荷川の上流に設けられた「関吉の疎水溝」(灌漑用水路)を工業用水に転用
  ここだけが溶結凝灰岩に囲まれた場所だった。地形・地質を熟知活用の伝統が存在
*薩摩の気風の根底にある逆境を生き抜く力。薩摩の武士の人口比率は25%相当と異常
 ⇒約1割は城下に。9割は「外城制」で外域に分散居住し半農半士の生活(一日兵児)
  シラス台地の特徴を生かしサツマイモ(唐芋)の栽培が奨励された。飢饉対策にも。
<弘前> テーマ サムライが作った弘前の宝とは!?
*弘前城は「現存天守」12のうちの1つ。正面は天守の風格。裏面は経費節約で櫓風。
 ⇒津軽人の特徴『えふりこぎ』の現れ? あと2つの特徴は「もっけ」「じょっぱり」
*弘前城には江戸時代の城の全形が残る。平山城で本丸の北側は台地の突端。
*弘前城の南西約1kmのところに戦国期享禄元(1528)年創建の曹洞宗長勝寺が所在
 長勝寺の門前に、杉並木(かつては桜並木)が500m延びる。ここは禅林街(33の禅寺)
 その先に枡形がある。禅林街は弘前城の出城機能を担った。すべてが曹洞宗の寺。
*弘前にはサムライが作った町名がそのまま40以上。町には城下町の風情が残る。
 ⇒代官町・徒町・百石町・親方町・白銀町・馬喰町・在府町・五十石町・鷹匠町・駒越町
*江戸時代から継承される刀鍛冶の伝統:鍛冶屋が作る剪定バサミが有名
*弘前のリンゴ 出荷量は市町村別で全国1位。収穫量は約6億個。「芯止め」法の利用
 弘前藩士菊池楯衛(1846~1918)が「リンゴの開祖」。1875年に苗木を継ぎ木で増やす方法を確立した。リンゴの栽培を弘前一円に広めた。当時は士族の失業対策にもなった。
*弘前城の桜 明治15年(1882)に菊地楯衛が私財をはたき1000本の桜の木を植樹。
*弘前城には樹齢135年以上の桜がある。樹齢100年を超える桜が400本以上存在。
 ⇒桜の木に芯止を施しリンゴの剪定技術を参考に管理。弘前公園に約2600本の桜の木。  毎年5月下旬に桜の木に行う「お礼肥(れいごえ)」。リンゴの栽培からのヒント。

<十和田湖・奥入瀬> テーマ 十和田湖はなぜ”神秘の湖”に!?
*十和田湖は青森県と秋田県の県境に存在。湖水は奥入瀬渓流から銚子大滝を経て流出
 紫明亭展望台が十和田湖の神秘さを感じる絶好ビューポイントである。
*十和田湖は日本唯一の二重カルデラ湖。湖底に堆積する白い軽石が火山噴火の証拠。
 十和田湖の最後の噴火は915年。約1100年前。
*中湖は十和田湖の原形ができたあとに新しい火山活動で生まれたカルデラ。
 2つの半島の中湖側はほぼ垂直の崖。御倉半島の五色岩が特に目を引く。
 中山半島と御倉半島に囲まれた中湖の深度は326.8m。”十和田ブルー”と呼ばれる。
 山上カルデラ湖なので流入する川がなく、湖水の透明度が高い。
*御倉半島の突端の小山は溶岩ドームの典型的な形である。
*明治17年(1884)和井内貞行が十和田湖で養殖事業に着手。明治36年(1903)最後にヒメマスで成功。ヒメマスが孵化場にはじめて回帰したのが明治38年(1905)だという。
 ⇒深い水深により、ヒメマスにとって最適な水温の場所を年間確保できる環境
  貧栄養湖ゆえに、湖底まで酸素が届く環境があった。二重カルデラの地形も貢献。
*多くの滝-段差がある地形-があることが奥入瀬の特徴。別名「瀑布街道」という。
*十和田湖の原形ができ、カルデラに水が溜まりつづけた後、巨大洪水が発生し、U次形の谷が形成された。縦方向の割れ目が目立つ柱状節理が垂直の崖に目立つ。
 十和田市内に広がる台地は巨大洪水が削り取った堆積物により形成された。
*奥入瀬渓流には300種以上のコケが生育する。コケ-保水力と抗菌性-が森を育んだ。
*十和田湖は古くから修験道の霊場として信仰されてきた。

 学んだ知識の大凡はこんなところ。この情報・知識が現地においてわかりやすく解説されていくプロセスが読ませどころである。写真やイラスト図があるかないかで大きな違いがあることは、本書を開けていただくと一目瞭然である。わかりやすい、読みやすいがこのシリーズの特徴である。

 ご一読ありがとうございます。

 本書に関連し、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
東海道五拾三次之内 箱根 湖水図  歌川広重  :「東京富士美術館」
大涌谷の魅力  :「箱根ロープウエイ」
箱根の宿    :「ゆこゆこ」
箱根関所  ホームページ
芦ノ湖・芦之湯エリア   :「箱根全山」
芦ノ湖   :ウィキペディア
箱根代表伝統工芸の里 寄木細工発祥の地 畑宿 :「箱根湯本観光協会」
伝統の寄木細工  :「畑宿ネット」
現代の「寄木細工」に魅せられる!若手職人集団「雑木囃子」のつくる箱根・小田原の木工細工  :「花ぐるたび」
旧街道石畳 箱根の見どころ  :「箱根全山」
鶴丸城(鹿児島城)  :「JAPAN WEB MAGAZINE」
鹿児島(鶴丸)城跡  :「鹿児島県」
仙厳園  ホームページ
  尚古集成館
関吉の疎水溝   :「九州の世界遺産」
薩州鹿児島見取絵図  :「文化遺産オンライン」
弘前公園  ホームページ
禅林街   :「ANA」
青森リンゴの先駆者/菊地楯衛  :「JA青森中央会」
弘前ねぷたまつり :「弘前観光コンベンション協会」
十和田湖国立公園協会 ホームページ
和井内貞行  :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 1 長崎 金沢 鎌倉』 角川書店
『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 角川書店
『ブラタモリ 4 松江 出雲 軽井沢 博多・福岡』 角川書店
『ブラタモリ 6 松山・道後温泉 沖縄 熊本』 角川書店
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 8 横浜 横須賀 会津 会津磐梯山 高尾山』  角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』  角川書店
『ブラタモリ 11 成田山 目黒 浦安 水戸 香川(さぬきうどん・こんぴらさん)』 角川書店
『ブラタモリ 13 京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』  角川書店
『ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根』  角川書店
『ブラタモリ 16 富士山・三保松原 高野山 宝塚 有馬温泉』  角川書店


『帝都争乱 サーベル警視庁2』  今野敏  角川春樹事務所

2021-05-17 09:29:06 | レビュー
 サーベル警視庁シリーズの第2弾。日本海海戦で連合艦隊がヨーロッパから回航してきたロシアのバルチック艦隊をほとんど全滅させた。その後の日露戦争の終結に向けた日露講和会議の結果、1905年9月、日本側首席全権小村寿太郎外相がロシア側首席全権ヴィッテとの間で、アメリカのポーツマスにて日露講和条約の調印を行った。通称ポーツマス条約である。8月30日(水)に日露講和成立を告げる号外が報道され、この夜は号外合戦が繰り広げられ、翌朝『大阪毎日』がポーツマス条約の全文をすっぱ抜いた。その1月余前に、「講和問題同志連合会」が結成されていて、この連合会が9月1日に日比谷公園で講和条約国民大会という条約反対の抗議集会を開催した。その大会に群集が集まってくる。大量の警察官が配備される。条約内容に不満を抱く群集と警察官との間のいさかいが、日比谷焼き打ち事件へと拡大していく。警察官では鎮圧できない事態に拡大し、軍隊の出動、戒厳令が敷かれるという展開になる。本書のタイトル「帝都争乱」はこの状況をふまえたものと言える。

 高校までの学生時代に日本史を学んだが、授業の中では明治以降の歴史を詳しく習った記憶は無い。せいぜい重要事項を年表事実として受験勉強レベルで記憶するに留まっていたように思う。良くも悪しくも歴史学習はそんな程度の実情だった。
 さて、ここでこの小説の背景をもう少し触れておこう。手許にある『詳説日本史研究』(山川出版社,1988年)という学習参考書を参照する。これ自体がもう古書の部類か・・・。「ロシアとの対立がしだいに深まるなかで、桂内閣はロシアに対抗するため軍備拡張を進め、その財源を確保するため地租増徴継続をはかった。」(p363)一方、当時の日銀副総裁だった高橋是清はアメリカやイギリスで外国債募集の活動を展開した。そんな状況下で、1904(明治37)年2月、日露戦争開戦となる。そして、1905年1月に旅順をおとしいれ、3月の奉天会戦で勝利、同年5月の日本海海戦での勝利となる。一方ロシアの国内では、1月に「血の日曜日事件」が起こり、各地でストライキが頻発する険悪な状況だったという。だが、「日本も軍事的勝利は得たが、兵器・弾薬・兵員の補充が困難となり、戦費調達もおぼつかなくなって、戦争継続能力はほとんどなくなりかけていた。」(p365)そんな瀬戸際の状況だったらしい。
 上掲学習参考書から少し長くなるがもう少し引用しておこう。
 「日本は110万の兵力を動員し、死傷者20万人を超すという大きな損害を出しながら、ようやく日露戦争に勝利を収めた。しかし、増税に耐えて戦争を支えてきた多くの国民は、日本の戦争継続能力について真相を知らされないままに、賠償金が得られないなどポーツマス条約の内容が期待以下だったので、激しい不満を抱いた。東京では河野広中ら反政府政治家や有力新聞の呼びかけもあって、講和条約調印の当日、『屈辱的講和反対・戦争継続』を叫ぶ群衆が、政府高官邸・警察署交番や講和を支持した政府系新聞社・キリスト教会などを襲撃したり、放火したりした。いわゆる日比谷焼打ち事件である。政府は戒厳令を発し、軍隊を出動させてこの暴動を鎮圧し、講和条約批准にもち込んだが、その後、こうした都市の民衆暴動がしばしばおこり、社会を動揺させた。」(p366)

 こんな当時の情勢と史実をふまえて、このフィクションが創作されている。
 月刊「ランティエ」(2019年6月号~2020年5月号)の掲載分に加筆・修正され、2020年9月に単行本が出版された。

 この小説には、いくつかのテーマが設定されていると思う。
1.日露戦争のいくつかの局面で勝利し、講和に持ち込みポーツマス条約を締結するに至った明治時代後半の日本の状況をビジュアルに描き出すこと。つまり、帝都が争乱状況になった時代をビビッドに描くこと。それは、読者にとっては、歴史を見つめ直す素材にもなる。
2.明治時代の警視庁という警察組織の実情、雰囲気、警察官の意識を描き出すこと。
3.史実をふまえた中に、フィクション次元の事件を織り込み、自然なストーリーを構築すること。
 少なくとも、こんなテーマがうまく融合してこの「帝都争乱」に結実したものと思う。

 ストーリーは、明治38年(1905)7月6日(木)から始まる。日比谷公園で上記の国民大会が開催される前の動きがまず警察官の会話として描かれて行く。そこに玄洋社や黒龍会、さらに黒龍会の内田良平の名が出てくる。桂首相のお声がかりで、岡崎巡査の同僚が桂首相の愛妾・お鯉の屋敷周辺の警護に出向いた話、藤田五郎(=斎藤一)がこの戦が負け戦だと述べたことなど。読者はここでストーリーの背景状況に導かれる。
 そして9月1日、鳥居部長が葦名警部に、赤坂の榎坂にある桂首相の愛妾宅での警護を命じたのだ。葦名は巡査4名を連れていくことになる。岡崎、岩井、久坂と角袖(=私服姿)の荒木である。彼等は泊まり込みで警護の任につくことに。後に、警視庁に情報提供し私立探偵を自称する西小路が加わってくる。彼の場合は、事態に対する己の興味関心からなのだが。
 日比谷公園で国民大会が開催され、その後日比谷焼打ち事件が発生し、各所での騒動に拡大していく。そんなさ中で桂首相の愛妾宅における巡査たちの警護の状況が描かれて行く。当初、彼等は騒動の圏外におかれ、情報遮断されたような状況が続く。そして、群集が榎坂にも集まってくることになる。
 遂に、暴徒が一時的に榎坂の屋敷内に侵入してくる事態になっていく。群集を見守っていた藤田が葦名たちに助力する形で加わってくる。面白いのは、要所要所で藤田が適切な行動を取っていくことである。歴戦の強者の経験が生かされいく。
 一時的に暴徒が屋敷内に侵入してきた時、思わぬ事件が屋敷内で発生していた。
 それは、西小路が死体を発見したことから始まる。見知らぬ男が、鳩尾を一突きにされていたのだ。刃先が心臓に達したことで即死だとわかる。ここから葦名らによりこの騒擾のさ中での殺人事件の解明捜査が始まっていくことになる。警護を続けながらの謎解きである。
 翌朝、城戸伯爵令嬢の喜子が近くの井上子爵家のお手伝いさんたちの助力を得て、炊き出しを搬入してきて、葦名たち警察官、藤田、西小路の中に加わってくることになる。
 帝都の争乱と殺人事件の背景に、政治の世界での確執が関わっている局面が徐々に見え始めていく。この点が実に興味深い観点となってストーリーが進展することになる。そこには大きなからくりが仕組まれていたのだった。
 なかなかおもしろい目のつけどころである。藤田五郎の登場のさせかたが特に興味深い。
 もう一人が、黒龍会の内田良平である。彼がどのように関係してくるのか、本書を開くお楽しみに。
 
 この『帝都争乱』どこからどこまで、どこにフィクションを組み込んでいるのか。世に公開されていない資料もあるはずである。それ故、私にはそこに別次元での関心が残る。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。主なものを一覧にしておきたい。
日露戦争  :ウィキペディア
桂太郎   近代日本人の肖像  :「国立国会図書館」
桂太郎   :ウィキペディア
山縣有朋  近代日本人の肖像  :「国立国会図書館」
原敬    近代日本人の肖像  :「国立国会図書館」
小村寿太郎 近代日本人の肖像  :「国立国会図書館」
頭山満  近代日本人の肖像  :「国立国会図書館」
頭山満  :ウィキペディア
内田良平 :「歴史が眠る多摩霊園」
斎藤 一  :ウィキペディア
斎藤一の鮮明な写真見つかる「これが死線くぐった目だ」【新撰組幹部】:「HUFFPOST」
ポーツマス条約  :「コトバンク」
萬朝報  :ウィキペディア
講和問題同志連合会    :「コトバンク」
講和条約反対国民大会   :「コトバンク」
日比谷焼き打ち事件  :ウィキペディア
戦時画報臨時増刊 東京騒擾画報 :「MIT Visualizing Cultures」
玄洋社 :ウィキペディア
黒龍会 :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『清明 隠蔽捜査8』  新潮社
『オフマイク』  集英社
『黙示 Apocalypse』 双葉社
『焦眉 警視庁強行犯係・樋口顕』  幻冬舎
『スクエア 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店
『機捜235』  光文社
『エムエス 継続捜査ゼミ2』  講談社
『プロフェッション』  講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』  角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18


『ブラタモリ 11 成田山 目黒 浦安 水戸 香川(さぬきうどん・こんぴらさん)』角川書店

2021-05-15 15:26:27 | レビュー
 はるか昔に一度金比羅宮を訪れた。なぜか石段の方が記憶に残る。東京ディズニーランドも一度だけ。リピーターにはならなかった・・・・。ちょっと覗いた箇所が出てくるのでこのシリーズ第11弾を読み継いでみた。
 成田山は「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯」というコラボ実現というお正月スペシャルとして2017年1月2日放送のもの。目黒は2016年12月17日放送。浦安は2017年1月7日放送。水戸は2017年1月28日放送。香川の2つは、番組としてはそれぞれ独立した放送だったようである。さぬきうどんは2017年1月14日放送で、こんぴらさんは2017年1月21日放送。それぞれ単発番組として、テーマがぐっと絞り込まれている読後印象をもった。
 1月の放送内容が中心だが、本書は2017年12月の初版発行。監修はNHK「ブラタモリ」班である。映像番組を本の形式に構成し直すには、やはりそれなりに時間が必要なのだろう。

 本書の基本構成コンセプトは繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
  *ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
  *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
  *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
  *同行アナウンサーの番組裏話 本書は近江友里恵さんのトーク
である。
 
 番組放送でのナレーション口調を感じさせる本文の流れ、タモリさんの番組での会話を感じさせる会話文の挿入などが、本書の読みやすさにつながっている。
 今回この第11弾から私が学んだことの大凡を覚書を兼ねてまとめてみた。ご紹介しよう。これらの内容が、写真やイラスト、地図を多用し、タモリさんの疑問を引き出しつつどのようなアプローチと展開で、ナットク!というエンディングに繋がるかが、やはり読ませどころといえる。

<成田山> テーマ なぜ成田山新勝寺は初詣客日本一の寺?
*成田山新勝寺は平安時代に平将門の乱を鎮めるための祈願を行ったことが起源。
 天慶3(940)年開山と伝わる。護摩祈祷はそれ以来1000年以上毎日続く行事という。
*新勝寺のかつての本堂は今は境内のお堂に。光明堂(1701年建立時点の本堂)、釈迦堂(1858年建立時点の本堂)。光明堂落成時の借金返済目的で江戸に「出開帳」。初代市川團十郎が出開帳に合わせて、お不動様を演じた歌舞伎を披露し新勝寺のご利益を宣伝。新勝寺で市川團十郎が跡継ぎ誕生を祈願し、成就した御礼。「出開帳」は大成功。
 最初の出開帳は元禄16(1703)年。深川永代寺境内にて。最後の出開帳は明治31(1898)年。現在、本尊の御開帳は10年に一度。直近は平成30(2018)年だった。
*新勝寺の参道は、台地が一旦谷に下り、先の台地の高い場所に位置する。「下がって上がる」そこに心理的効果が生まれる。
*明治時代に新勝寺が鉄道誘致の戦略をとり、2本の鉄道が開通した。初詣客数日本一に。
 成田鉄道が路線延伸、1898年に開通⇒1920年国有化、現JR。1926年に京成電鉄開通。
 かつては、成宗電車という路面電車が運行されていた。

<目黒> テーマ 目黒は江戸のリゾート!?
*江戸時代、目黒は江戸の範囲外だったが、中目黒村・下目黒村は例外的に町奉行所の管轄範囲だった。目黒不動尊の存在。目黒は目黒不動尊の門前町だった。3代将軍家光からのち徳川将軍家も深く信仰した。
*目黒不動尊の正式名称は瀧泉寺。大同3(808)年の開基。諸願成就の寺として人気あり
*江戸から日帰りで参拝できる観光名所、つまりリゾート地だった。
 江戸と同様の町並みが参道沿いに続いていた。
*目黒川に石橋の太鼓橋が架けられ、参道と行人坂を結んでいた。目黒川の東岸(行人坂)は目黒不動尊のある西岸の高台より約10m高く、行人坂上からの眺望が魅力的だった。
 目黒川東岸の傾斜地は、有力大名の別荘地が建ち並ぶリゾート地。富士山の眺望地。
 ⇒目黒雅叙園(現・ホテル雅叙園東京)の敷地は、熊本藩主細川氏の別荘地を継承。
*寬文4年(1664)に三田用水が整備された。生活用水であり、大名家別荘の庭園の水に利用された。庭園の滝やせせらぎの演出。
 ⇒目黒の高台に建つ防衛装備庁艦艇装備研究所内の実験用大水槽の水として三田用水の水の痕跡が残る。水道橋の一部遺構も残存する。この敷地は、幕府の火薬製造所の跡地。
*目黒は将軍の鷹狩りの狩場でもあった。当時、目黒界隈は「不動の森」と呼ばれていた
<浦安> テーマ なぜ浦安は”夢と魔法の町”になった?
*浦安は千葉県北西部、旧江戸川の河口に位置する漁師町だった。魚介類の産地。
 江戸時代、旧江戸川から運河の新川、小名木川をたどり日本橋の魚河岸と繋がっていた
 豊富な貝類の貝漁が浦安を富ませた。明治40(1907)年頃から貝の養殖がスタートした
  ⇒10万坪に及ぶ貝の養殖場、明治末年以降、空前の貝漁で賑わう
 明治19(1886)年に深川・越中島先で大塚亮平と田中徳治郎が海苔養殖をスタートさせ
 明治31(1898)年には、浦安地先の海での養殖許可を取得。海苔も浦安の名産品に。
*製紙工場からの排水「黒い水」事件で漁業は壊滅。昭和46(1971)年に漁業権放棄。
  ⇒遠浅の海(干潟)が2回に渡って埋め立てられ、多くは住宅地として開発。
   東京への通勤、マイホームブームに対応して発展。「浦安富士」は一つのシンボル
  ⇒旧江戸川河口の三角州に東京ディズニーリゾートが造られた。
   園内から外が見えないという環境が造れるエリア:夢と魔法の王国の形成が可能

<水戸> テーマ 水戸黄門はなぜ人気があるのか?
*水戸藩の「節約」精神 ⇒水戸藩は大赤字藩。水戸城は石垣がなく、土塁と堀の城。
 あるものを最大限活用する精神
  ⇒佐竹氏時代の水戸城をそのまま継承。谷の地形を活用し西側に2つの掘を掘削。
*城の東側の低湿地の埋め立てで城下町を拡大。光圀は笠原水道を1年半で完成させた。
 城下町から南へ3km、台地のキワに笠原水源。約10kmの暗渠、石の水道管でつなぐ。
 笠原水道は昭和7(1932)年まで、約270年間水戸城下を潤し続けた。
*光圀は『大日本史』編纂に着手。約250年後に完成。全402巻。全国の藩校の教材に。
*9代藩主斉昭が光圀の遺志を継ぎ藩校「弘道館」を造る。
 偕楽園も造った。もとは弘道館で学ぶ藩士のための教育施設。竹林(陰)と梅林(陽)
  ⇒偕楽園の竹林と梅林で陰陽の世界観を順序立てて体感。「一張一弛緩」の教育方針
*光圀は日本で最初に発掘調査(栃木県大田原市の侍塚古墳)をした。遺物は埋め戻す。
<香川> 
テーマ1 なぜ”さぬきうどん”は名物になった。
*コシ⇒表面の口当たりはやさしく、噛むと歯に吸い付くような弾力と粘性のある感じ
 丸亀市を含む讃岐の”中讃”はコシが売りの有名店が集中。地形と地質に理由あり。
*花崗岩質の四国山地と中央構造線の断層活動でできた讃岐山脈が香川を少雨の県に。
 土器川が作った扇状地は、米栽培には不適だが、上質の小麦が育つ地域として有名に
 讃岐の塩田の存在。塩は弾力性のあるタンパク質「グルテン」の形成を助ける。
  ⇒さぬきうどんでは小麦粉の量に対して3%以上の塩を使用。茹でるときに塩は溶出
*かつて宇多津は入浜式塩田で日本一の塩の町。塩田の石垣が製塩の痕跡として残る。
*さぬきうどんの発祥地は綾川町の滝宮地区。平安時代は讃岐の中心地。国府は滝宮の北に。
  ⇒綾川は水量が多く、製粉用の水路が川に造られた。平安時代前期には水車が存在
   滝宮の地形は綾川の渓谷の入り口。河床が花崗岩の地質で水が浸透しない。
*滝宮天満宮の横にはかつて寺・龍頭院があり、初代住職は智泉。空海の甥。唐から戻った空海が智泉に小麦粉を練って茹でた食べ物の作り方を教えたという伝承がある。
*滝宮は金比羅参詣の最後の宿場で門前町で交通の要衝地。江戸時代末期には宿屋6軒に対しうどん屋11軒があったという。さぬきうどんがみやげ話として全国に伝わる。

テーマ2 人はなぜ”こんぴらさん”を目指す?
*金比羅宮は象頭山(琴平山)中腹に本宮が建つ。表参道から本宮までの高低差約150m。
 海上安全交通の守り神。五人百姓のみが売ってよい扇形の「加美代飴」で有名。
 象頭山は不完全なメサ地形(花崗岩の上に安山岩が重なる)で、本宮は2種類の地質の境目の中腹に位置する。それより上は地面が硬く崖も急で大きな建物は建てられない。
*こんぴらさんが特に賑わったのは江戸時代から。瀬戸内海の船乗りが信仰を広めた。
 江戸時代、多いときで年間500万人の参拝者。現在は年間300万人の観光客。
 全国からの奉納品(玉垣)で直線だった参道をクランク状の参道に変えさせる事態に。
 船から海にながされた奉納の酒樽「流し樽」。かつては「こんぴら狗」の代参も。
*門前町に「俗」の楽しみ:芝居小屋「金丸座」の歌舞伎とここでの月2回の富くじ。
*かつて琴平には4本の鉄道ルートがあった。今は2つ(JRと琴電)に。

 全く知らなかったことがたくさんあり、興味深く読めた。知識ゼロだった事項の例を列挙してみよう。光明堂・釈迦堂の建物のこと、行人坂、三田用水、黒い水事件、段差道路、水戸城、笠原水道、さぬきうどんの発祥地、「浜飼い」作業、流し樽、こんぴら狗、・・・・・あげて行けばきりがない。今回も楽しく学べた。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋で、関心事項を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
本山成田山新勝寺  ホームページ  
  成田山のお不動さまとは
  市川團十郎と成田山のお不動さま
泰叡山護國院 瀧泉寺(通称:目黒不動尊) :「天台宗東京教区」
目黒不動堂 <3巻7冊59>   :「江戸名所図会を読む」
太鼓橋   <3巻7冊52>   :「江戸名所図会を読む」
徳川十三代将軍御鷹野之図  :「板橋区立郷土資料館」
江戸自慢三十六興(目黒行人坂富士) :「国立国会図書館デジタルコレクション」
三田用水  :ウィキペディア
ブラタモリ 浦安ロケ地マップ :「浦安サンポ」
本州製紙工場事件  :「浦安市」
本州製紙江戸川工場汚水放流事件 浦安の歴史 :「浦安サンポ」
浦安富士 浦安遺産  :「浦安サンポ」
偕楽園 ホームページ
水戸城跡  :「水戸観光コンベンション協会」
笠原水道  :ウィキペディア
笠原水道  :「まいぷれ Mito」
侍塚古墳(さむらいづかこふん) 国指定史跡 :「大田原市」
滝宮天満宮  ホームページ
龍燈院跡  :「グルコミ」
エブリバディ、コンピラサン。  讃岐金比羅宮ウエブサイト
旧金毘羅大芝居「金丸座」  :「琴平町観光協会」
こんぴらさん~流し樽  みちしる  :「NHK」
JMTES練習船日本丸で「金比羅宮流し樽奉納式」を挙行! 2017.10.27:「海技教育機構」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 1 長崎 金沢 鎌倉』 角川書店
『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 角川書店
『ブラタモリ 4 松江 出雲 軽井沢 博多・福岡』 角川書店
『ブラタモリ 6 松山・道後温泉 沖縄 熊本』 角川書店
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 8 横浜 横須賀 会津 会津磐梯山 高尾山』  角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』  角川書店
『ブラタモリ 13 京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』  角川書店
『ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根』  角川書店
『ブラタモリ 16 富士山・三保松原 高野山 宝塚 有馬温泉』  角川書店


『道祖神散歩』 道祖神を歩く会 野中昭夫  新潮社

2021-05-14 13:10:13 | レビュー
 京都の寺々の探訪を続けていると境内に石仏が集合している箇所をよく見かける。石仏一体ごとに涎掛けがかけてあるので、お地蔵さまとして石像が集められ信仰されているということがわかる。その石仏群を見ていると、時折双体の石仏をみかける。これはお地蔵さま? という思いをある時抱いた。また、荒神口通にある護淨院の境内とJR京都駅に近い南不動堂町にある道祖神社の2箇所を個別に探訪した折、それぞれの境内で男女双体の石像に出会った。「双体道祖神」と称される石像である。そんな経験がきっかけで「道祖神」にも関心を抱くようになった。

 上掲本は新潮社の「とんぼの本」シリーズの一冊である。私が一番直近で読んだ本である。表紙の景色に一例が出ている。男神・女神の二体が浮き彫りにされた道祖神像、つまり双体道祖神。本書は各地にある双体道祖神を巡り歩くという視点から、散歩する地域のイラスト地図とその道祖神巡りで出会う道祖神等の写真を数多くカラー写真とモノクロ写真を併用して紹介している本である。その地域で特に押さえ所となる道祖神がどのページにも1体から数体紹介されている。そして、その道祖神巡りの行程にそって出会える道祖神像を具体的に描写し説明する紀行文が本文である。つまり本文はある地域の道祖神巡りの行程ガイドブックになっている。
 紀行文を分担執筆しているのが、「道祖神を歩く会」のメンバーである。このとんぼの本に載る道祖神や風景写真を撮った写真家が共著者・野中昭夫氏である。
 本書の利点はイラスト地図と掲載写真を眺めるだけで、道祖神散歩を誌上でまず楽しめることにある。アットランダムにあちらこちらを開いて道祖神を楽しむことも勿論できる。そして、本文を読み進めると、行程にそってヴァーチャルな世界を歩きながら道祖神の写真を眺め、各所で道祖神の違いの具体的な観察の記述をそれぞれ味わっていくことができる。道祖神巡りの案内としてかなり具体的に本文が記述されている。本文を読むことで一歩深く道祖神に接することができる。
 
 本書の構成をご紹介しよう。冒頭に「道祖神とは」と題して、道祖神についての概説がまとめられている。道祖神信仰の歴史的背景と本書の中心になる双体道祖神に至る経緯、基礎知識を読者はまず得ることができる。その後は大きく地域が分類されていて、その地域内での道祖神散歩のコース別の案内となる。各コースはイラスト地図、案内文、そのコースでの代表的な道祖神等の写真がセットになっている。以下がその地域構成である。
 ●安曇野あたり  穂高町、梓川村、山形村、朝日村と古曾部の里、池田町、入山辺
 ●伊那の谷へ   高遠あたり、辰野町
 ●八ヶ岳周辺   望月町、富士見町
 ●榛名山麓    倉渕村、榛名町
 ●湘南の村と町と 茅ヶ崎あたり、曾我の里、中井町
 ●富士川のほとり 下部町

 127ページと比較的厚みのない本だが、その内容は東日本の双体道祖神が点在するエリアの大凡を押さえているといえるようだ。勿論本書に未掲載の地域がある。
 道祖神巡りをしたいと思う地域を案内する数ページ分をコピーし携えていくと、それがガイド役となる便利な本である。関西に住んでいる私には手軽に行く事自体ができない。誌上散歩をまずは、楽しんだ次第。

 本書は道祖神を撮った写真を数多く載せている。特に特徴的のある道祖神の載るページを私見としてピックアップしておこう。p5,p6,p19,p22,p23,p30,p36,p48,p55,p64,p68,p71,p73,p77,p92,p98,p101,p106,p110,p121,p122 というところ。

 さて、読後に奥書で、冒頭の「道祖神とは」の担当が山崎省三氏と知った。

こちらが、著者の本である。表紙は著者名だけなのだが、その「あとがき」に「道祖神を歩く会」に触れられている。『道祖神は招く』は平成7年(1995)1月に新潮社から出版された。上掲のとんぼの本は1996年5月の出版である。『道祖神散歩』を読み終え奥書を見るまでこの二冊が「道祖神を歩く会」でリンクしていることには気づいていなかった。頭をガツン!である。
 『道祖神は招く』を先に読んでいたのだが、その時は著者名だけが記憶に残ったのだ。こちらは著者が、それぞれに違った仕事を持つ「道祖神を歩く会」のメンバーと一緒に休日に計画を立てて20年余にわたり道祖神探訪をした経験をふまえて論述した書である。無数の道祖神巡りの経験と先人たちの研究をふまえ深められた考察がまとめられている。その焦点が「道祖神とはなにか」に当たっている。その考察の一環として各地域、各所で目に止まった道祖神が数多くモノクロ写真として併載されている。重点は「道祖神とは」にある。つまり、冒頭書での「道祖神とは」の一文を読み、さらに一歩踏み込んで道祖神について知りたいと感じる読者は、本書を開かれるとよいと思う。
 『道祖神は招く』は、道祖神の起源と歴史に関してさらに一歩踏み込んだ形で考察を加えている。その後で道祖神と関わる周辺の祭事・事象も考察している。構成は以下のとおりである。
 「一 石への信仰」「二 男女が寄りそう道祖神」「三 男女像が魔を遮る」「四 玉石も道祖神」「五 柱をめぐって」「六 疫神と怨霊払いの祭事」「七 文字碑のこと」「八 道祖神の祭り」「九 小正月といわれる日」「十 道祖神散歩」

 こちらの「十 道祖神散歩」は簡略なイラスト図と概説文で、倉渕村・高遠あたり・望月町・入山辺の4箇所が紹介されるにとどまる。これが冒頭書の刊行にリンクしていったものと思われる。「あとがき」を再読してあらためて気づいたのは、こちらの書に掲載のモノクロ写真の撮影に、冒頭書の野中昭夫氏が行を共にして撮影した写真が載っていると付記されていた。この点でも二書はリンクしていた。


 さらに溯り、この書もご紹介しておきたい。五重来著『石の宗教』(講談社学術文庫)である。2007年3月に文庫本化されている。そのルーツは奥書に付記されている。「本書は1988年、角川書店から刊行された『石の宗教』を底本とし、著作権継承者の諒解を得て、図版を全面的に入れ替え再編集したものです」と。手軽に文庫本で読めることは有意義である。
 私はたまたま本書の文庫本を知り、まず最初にこちらを読んでいた。本書はそのタイトルが示す通り、著者は「石」に関係するさまざまな信仰形態のありかた、その歴史的経緯を論述している。著者は仮説をふまえて石と宗教の関係を幅広く概説している。各章がそれぞれ一冊の研究書のテーマになるものである。専門家ではない我々一般読者としては、幅広く石と信仰の関わりを解説している本書は導入書として有益といえる。
 冒頭に「飛鳥の謎石」をとりあげることから、「謎の石-序にかえて」が始まる。飛鳥の謎石はやはり読者を惹きつけることだろう。そして、各章が始まる。前二書と直接関係するのは本書の第五章である。
 本書の構成は以下のとおり。
 「第一章 石の崇拝」「第二章 行道岩」「第三章 積石信仰」「第四章 列石信仰」「第五章 道祖神信仰」「第六章 庚申塔と青面金剛」「第七章 馬頭観音石塔と庶民信仰」「第八章 石造如意輪観音と女人講」「第九章 地蔵石仏の諸信仰」「第十章 磨崖仏と修験道」

 前二書においても、道祖神との関係で、庚申塔・青面金剛・地蔵石仏に言及されている。『石の宗教』の第六章、第九章は間接的に道祖神信仰とリンクしていくので、関心のある方はこれら各章も参照されることをお薦めする。
 私は、この第九章中の「三 道祖神と石地蔵」の冒頭を読み、冒頭に記した私的疑問へのヒントを得たと思った。このセクションの冒頭は以下の一文からはじまる。
 「地蔵石仏の祖型が石の道祖神であることは、その形態からばかりでなく、その宗教的機能からも知ることができる」本著者はこの一文から、道祖神と石地蔵のつながりを論じて行く。
 浅いレベルでしか本書の論点を理解できていない気がする段階なのだが、私にとっては地蔵石仏と道祖神の繋がりを理解する上で役立っている。その「道祖神」をキーワードにして、前二書の「双体道祖神」に導かれたことになる。
 おもしろいのは、この『石の宗教』には「双体道祖神」という用語は出て来ない。双体道祖神像の写真も掲載されていない。第五章の「三 道祖神の抱擁石像」というセクションで、「近世に造立された道祖神石像には男女神二体の抱擁像、または並立握手像とでもいうべきものが多い。これはとくに信州から甲州に多く見出されて、写真家や石造美術愛好家の興味の対象になっている。」(p152)云々の記述が出てくる程度である。その続きに、15年ぶりに安曇野の村中をめぐって、「あの有名な道祖神像は一体も見出すことができなかった。」(p152)と昭和57年頃の経験を記している。最初読んだ時は気にならなかったのだが、前二書を読み継いできて、この記述箇所が逆に私には謎となった。
 双体道祖神という用語も含めて、そこには研究史という点で時代の隔たりが介在しているのだろうか。逆に興味深さが増したとも言える。

 いずれにしても、いつか双体道祖神が祀られている地域を自分の足で巡ってみたいと思う。

 ご一読ありがとうございます。

道祖神については、インターネットの検索からだけでも様々な情報を入手できてありがたい。私が検索した範囲から、その一端としていくつかご紹介しよう。
道祖神 :ウィキペディア 
道祖神  :「Flying Deity Tobifudo」
道祖神めぐり  :「安曇野市」
      道祖神マップがダウンロードできる。
安曇野の道祖神  :「安曇野建設事務所」
信州山形村 道祖神めぐり  :「山形村観光協会」 
コース14 道祖神のみち  :「群馬県」
茅ヶ崎の道祖神って何体あるんだろう?  :「Maruhaku TV」(茅ヶ崎市)
道祖神  :「湘南二宮町」
道祖神塔とさいと焼き  :「横浜市泉区」
ふるさとの道祖神巡り ホームページ

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『愛の神々 小坂泰子写真集』  筑摩書房

『挑発 越境捜査』  笹本稜平  双葉文庫

2021-05-11 22:11:11 | レビュー
 越境捜査シリーズの第2弾。中心人物は鷺沼友哉である。警視庁捜査一課所属、とは言え、継続捜査担当の特別捜査一係である。一課の華である殺人班の遊軍というのが実態。しかし、鷺沼は警察組織内に巣くう悪、利権の闇などに立ち向かい、警察組織の正常化、あるべき姿を実現したいという信念を抱いている。そんな刑事が行動するストーリーである。

 鷺沼が六本木ヒルズ森タワーにある飛田不二雄の会社、トピー興産の本社オフィスを訪ねる場面から始まる。飛田はパチンコ・パチスロ業界のドン。パチンコ・パチスロ機製造会社の会長である。パチンコ・パチスロ業界は警察とは浅からぬ関係にある業界でもある。
 鷺沼が飛田を訪ねたのは、2週間ほど前に、三好からある事件の継続捜査を命じられたことに端を発する。それは7年前に発生した事件で被疑者は川端久敏だった。川端は飛田の従弟だったことによる聞き取り捜査である。
 川端は晩年ホームレスとして二子玉川駅近くの多摩川の河川敷の段ボール小屋暮らしをしていた。川端の小屋から死後1週間ほどの腐乱した遺体が見つかった。被害者は鹿沼行夫。横浜市瀬谷区にある電子部品会社のオーナーで主に大手メーカーの下請けとして家電製品や電子玩具用の基板の組立に携わっていた。近隣住民の通報で事件がわかり、捜査員が現場に張り込んでいるところにその小屋の住人が戻って来た。その男は逮捕された後、完全黙秘を続けた。殺人容疑で勾留中に、玉川警察署の屋上から飛び降りて死んだ。その被疑者が川端久敏だった。鷺沼の上司である三好は、この事件の折、玉川署刑事課主任で、捜査本部に外回りの担当者として加わっていたのだ。

 鷺沼は、従弟の川端とは30年以上音信不通だったと語る飛田から、思い出話として川端のことを聞き出すということから始めた。川端は日本で五指に入るといわれる国立大学で電子工学を専攻した秀才だったという。
 1ヵ月ほど前に、飛田の叔母の川端珠代が急性の心不全で死んでいるのが発見された。その珠代の部屋に一枚の写真が残されていて、そこに珠代の息子が写っていたのだ。それが川端久敏であり。その写真に焼き込まれた日時と写真の背景とから調べた結果、川端久敏の7年前のアリバイが確定されることになった。堅固なアリバイがあったにも関わらず、久敏は拘留中に飛び降りて死んだ。それはなぜなのか・・・・。
 鷺沼は、飛田への初めての聞き取り捜査において、隠し球には触れなかった。それは被害者の鹿沼行夫の経営する会社マグナ技研は事件の数年前からトピー興産とのあいだに取引関係があったという事実が明らかになっていたことだ。その事実は、玉川署刑事課が7年前の事件の捜査の洗い直しに着手してわかったのだった。さらに、再捜査の過程で、退職した元工場長から、マグナ技研が請け負っていた仕事は裏ROMの製造ではなかったかという発言が出て来た。
 事件の再捜査は、思わぬ方向に進展し始める。だが、刑事課長はこの継続捜査には慎重になった。

 ここで、神奈川県警の宮野巡査部長が絡んでくることに。なぜか。宮野は1ヵ月前に山手警察署捜査一係から瀬谷署に異動になっていた。そして、7年前の事件の再捜査を命じられたのだという。被害者鹿沼行夫の自宅と工場は横浜市内にあったが、遺体は東京都側の河川敷で発見された。鹿沼行夫が行方不明になったときの届出は瀬谷署が受けつけていたのだ。捜査の主導権は桜田門にあるから、だれも再捜査をやりたがらない。宮野は新参としてその再捜査を命じられた。宮野は川端の戸籍を追跡したことから、従兄弟関係の飛田のことを知ったという。そして、宮野のもまた独自捜査から裏ROM製造の噂をつかんでいた。そして、宮野の嗅覚が動き出す。背後に大きな闇があるのではないかと。つまり宮野にとっては大金につながる闇・・・・。
 再び、鷺沼と宮野の連携が始まって行く。必然的に鷺沼の上司三好、相棒の井上がチームとなって、継続捜査の究明に邁進していくことになる。

 このストーリーの展開で興味深くかつおもしろい点がいくつかある。列挙してみよう。もちろん、あくまでフィクションのストーリーという前提での話である。だが、ストーリーにリアルさがなければ読者には受けないだろう。そこには現実の実態をふまえた側面が背景に反映していると思う。
1.パチンコ・パチスロ業界と警察組織、公安委員会の関係が背景として書き込まれていること。
2.パチンコ・パチスロに関わる世界の中で生きるゴト師と裏ROM問題の側面が書き込まれていること。
 このストーリーでは、蛇の道はへび、宮野にゴト師のダチがいるという形で一つの切り口が捜査の上で大きな要素になっていく。
3.鷺沼が聞き取り捜査で飛田を訪ねたことが契機となり、トピー興産会長秘書の深見亜津子が、鷺沼の携帯電話にコンタクトを取ってくる。それも自分の携帯電話に折り返し連絡をほしいという形で。飛田の秘書からの私的コンタクト、これは飛田を背景とする仕掛けなのか、それとも飛田に関わる情報リーク行為なのか。その真のねらいは?
 深見亜津子は、継続捜査の解決にあたりキーパーソン的存在として徐々に重みを増していく。
 「だったら、してやられたよ。あの女、やっぱりしたたかな女狐だった」これは福富の最後の最後の呻き。宮野は最後に言う。「騙されたおれたちが間抜けなわけよ。しかし人に騙されて、これだけ気持ちがいいのって初めてだね」と。
 深見亜津子がおもしろい存在になっている。そこが一つの読ませどころになる。
4.宮野の生まれ故郷が絡んでくる。そこで、彼の幼馴染みの友人二人が登場する。彼等はそれぞれ葬儀屋と僧侶を生業としていて、彼等が関わりを持ったある事実が鷺沼の捜査に関連していたのだ。今回は結構宮野の人脈が役だっていておもしろい。
 勿論、例によってあのヤクザの福富が一枚加わってくるという展開にもなる。福富はそれなりに捜査をサポートする。更に、福富のダチが思い出した過去のある情報が事件に関わる人間関係において見えなかった重要なつながりを鷺沼と宮野にもたらすことになる。福富の協力は勿論大金という余禄を得られることを狙っているわけなのだが。
5.捜査のやりかた・手順としての描写で興味深いことが2つある。一つは、開設された銀行口座から人物を探り出していくために必要な手続きとその捜査プロセス。もう一つは、井上がパソコンを駆使して各種情報データベースを使って検索するアプローチの仕方である。具体的に描写されていくところがおもしろい。併せて、ハード機器の扱い方が出てくる。このあたりIT世代の人々が興味を惹かれる箇所かもしれない。
 
 ここに挙げたおもしろい諸点が絡み合って焦点が絞られていく。
 一方で、警察組織内では、人事異動という手段での切り崩しが始まる。これも警察組織内の闇の圧力と受けとめれば、興味深い側面である。三好が協力を持ちかけた捜査二課の係長が異動させられる事態が起こる。その後に三好自身が総務の留置管理課への異動となる事態に。捜査の詰めの段階で思わぬ状況が進展していく。
 そんな最中に飛田が警視庁の鷺沼に電話を掛けてくる。三好がその電話を受けたのだが、飛田が鷺沼に会って話がしたいという。鷺沼、三好、井上は六本木ヒルズのレジデンス棟に住む飛田の自宅を訪れる。
 この約束の面談の中で、鷺沼が飛田にさりげない調子で言う。「しかし警察庁上層部と御社の属する業界が、特殊な利害で結ばれているという噂はよく耳にします」と。この続きに著者は地の文でつづける。”半ば世間の常識と化している話で、あえて挑発というには当たらない。飛田もそれは承知だというように鷹揚に笑った。”と。そこから鷺沼は具体的に挑発的な話ぶりで切り込んでいく。このストーリーのタイトルはこの場面に由来するようである。
 飛田が動き出したことで、鷺沼たちの捜査は、最後の大詰めへと突き進んで行く。

 このストーリーの展開を楽しんでいただくとよい。

 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関連して、関心事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
パチンコ業界 M&A業界動向  :「経営ナレッジ」
風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律 :「eーGOV」
風俗営業  :「警視庁」
国家公安委員会 ホームページ
  都道府県公安委員会
公安委員会  :ウィキペディア
パチンコに関わる「業界団体」どれくらいあるのか?(後編) :「パチンコキャリア」
業界団体一覧 :「遊技通信web」
ゴト    :ウィキペディア
ゴト師   :「ピクシブ百科事典」
パチンコ店で悪評が広がる裏ロムってやつを徹底解説! :「ジャグラー天国!」
iPod :ウィキペディア

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『希望の峰 マカルー西壁』  祥伝社
『山岳捜査』  小学館
『サンズイ』  光文社
『公安狼』   徳間書店
『ビッグブラザーを撃て!』  光文社文庫
『時の渚』  文春文庫
『駐在刑事 尾根を渡る風』   談社文庫
『駐在刑事』  講談社文庫
『漏洩 素行調査官』  光文社文庫
『白日夢 素行調査官』  光文社文庫
『素行調査官』  光文社文庫
『破断 越境捜査』  双葉文庫
『越境捜査』 上・下  双葉文庫
『失踪都市 所轄魂』  徳間文庫
『所轄魂』  徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
『遺産 The Legacy 』  小学館


『暗幕のゲルニカ』 原田マハ  新潮社

2021-05-09 11:48:57 | レビュー
 著者のアート関連小説に関心があり、読み継いできている。本書はまずそのタイトルに惹かれた。「ゲルニカ」といえば、ピカソの絵。なぜ「暗幕の」という修飾語が冠されるのか。表紙には、「GUERUNICA UNDERCOVER」と併記されている。読後印象としては、この併記自体もそこにあるニュアンスの違いが興味深くおもしろい。人により、その感じ方は異なることだろうが・・・・。この点はお読みいただいて感じていただくのがよいと思う。本書は「小説新潮」(2013年7月号~2015年8月号)に連載された後、2016年3月に単行本として出版された。2018年6月に文庫本になっている。上掲の単行本の表紙と少し装幀は異なるが、「ゲルニカ」が表紙の装画になっているのは同じである。

 扉の裏面にパブロ・ピカソの言葉が引用されている。
  「芸術は、飾りではない。敵に立ち向かうための武器なのだ。」
この言葉がこの小説のまさにテーマとなっている。

 この小説では、具体的な敵は2つの時空間でそれぞれに現れ、ストーリーが並行しつつ進行していく。「ゲルニカ」が共有項となること、この作品に込められた意図において全体が一つのストーリーに統合される。戦争そのものへの抗議である。
 冒頭にこのストーリーの主人公、八神瑤子の原体験が3ページで描かれる。銀行員だった父の赴任に伴いニューヨークに移り住んだ10歳の瑤子が、家族揃って初めてニューヨーク近代美術館(MoMA)を訪れた。そして、瑤子は「ゲルニカ」に出会い衝撃的な体験をする。

 2つの時空間とは何か? 序章の見出しは「空爆」。
 まず20世紀でのストーリーから始まる。1937年4月29日のパリ。こちらのストーリーは芸術家でありピカソの愛人でもあるドラ・マールの視点から描かれて行く。ピカソがグランゾーギュスタンの館へ引っ越す3ヶ月前に3人の人物がピカソの許を訪れてきた。パリ万博のスペイン館、パビリオンの中にピカソの大きな絵をまるで壁画のように壁に掛ける形で展示したいので引き受けて欲しいという依頼。グランゾーギュスタンの館のアトリエには縦・約350cm、横・約780cmの巨大なカンヴァスがスペイン大使館より届けられた。そのカンヴァスが運び込まれて3週間後、巨大なカンヴァスに暗幕が掛けられていた。ドラが「どうかしたの、これ?」と尋ねたのに対し、ピカソは「別に。まぶしかっただけだよ」と答えて、暗幕を引き剥がした。カンヴァスは真っ白のままだった。ドラはそこにピカソの苦悩が思いのほか深いと感じ取る。ドラの回想として、この日の朝の場面に書き込まれる。
 ピカソの秘書を務めているハイネ・サバルテスが到着すると、彼は青ざめた顔で大変なことになったと、ピカソに新聞を差し出した。新聞は特大の見出しで報じていた。スペイン内戦が始まって以来、もっとも悲惨な爆撃がゲルニカを襲った。ヒトラーとムッソリーニの空軍が数千発の焼夷弾をバスク地方最古の町、ゲルニカに投下したと。
 これが起点となり、ピカソの怒りが「ゲルニカ」という作品を創造していく。そのプロセスと、その作品「ゲルニカ」が数奇な運命を経て行く経緯が描き出されて行く。この20世紀のストーリーは史実に基づいてフィクション化されている。スペイン内戦からパリに亡命しているイグナシオ家の嫡男バルド・イグナシオが架空の人物として登場する。彼はドラを介してピカソと面識を持つことにより、ピカソの芸術の理解者、支援者として主体的に関わりを深めていく。つまり、「ゲルニカ」という作品の運命に大きく関与する人物となっていく。このバルトがこの小説では重要な登場人物の一人となっていく。
 ここでは、ゲルニカへの空爆という事実がピカソの怒りを引き出す。それが「ゲルニカ」という作品を生み出していくプロセス。パリ万博のスペイン館に「ゲルニカ」が展示された時、その前でピカソが見に来たドイツ軍将校たちと行うやり取り。スペイン内戦から第二次世界大戦への進展下におけるピカソ、ドラたちの姿。作品「ゲルニカ」の所在地の変転とMoMAへの「ゲルニカ」の疎開とそのときピカソが付けた条件。その後の経緯がが描かれて行く。
 ピカソにとっての直接の敵はスペインのフランコ政権とヒトラーなどのファシストたちだった。1937年から1945年のヨーロッパの情勢と戦争の拡大状況、そしてピカソ、ドラたちの状況が描き出されて行く。

 もう一つは21世紀のストーリーである。2001年9月11日のニューヨークから始まる。
21世紀のストーリーは当時の史実をふまえた上で、登場人物はすべてフィクションとして描かれて行く。
 世界中に顧客を持つイーサン・ベネットと結婚した八神瑤子が浅い眠りから覚めたところから始まる。瑤子はMoMAのキュレーター。瑤子はピカソという芸術の巨人を追いかけ、寄り添っていこうと、己の人生の方向を決め、ピカソ研究者となり、35歳の時にMoMAの絵画・彫刻部門にキュレーターとして転職を果たしていた。そして、この日、瑤子は企画展「マティスとピカソ」のプレゼンテーションをする予定だった。
 だが、9月11日。そう、ワールド・トレードセンターがテロにより破壊された。イーサンはそれに巻き込まれて亡くなったのだ。そして、ストーリーは2年後へと飛ぶ。その間に、瑤子の企画案は「マティスとピカソ」から「ピカソの戦争:ゲルニカによる抗議と抵抗」に転換していた。MoMAからスペインに引き渡された「ゲルニカ」を、再びMoMAに展示するために借り出すことができる可能性はゼロに近かった。だが、瑤子はキャリアを賭けて交渉することに挑戦したかった。理事長のルース・ロックフェラーは瑤子の企画を後押ししてくれた。ルースも重要な登場人物の一人として描かれて行く。
 この21世紀のストーリーは、「ゲルニカ」の借り出し交渉に関わるそのプロセスとして進展していく。そこには重大な背景がある。2001年の9.11テロ行為で多大な犠牲者がニュウヨークで発生した事実。そして、2月5日、夜7時のニュースで、国連安全保障理事会がイラクへの武力行使はやむなしと決議したという状況の推移。
 問題は、アメリカ合衆国国務長官、コーネリアス・パワーが国連安保理議場のロビーの演説台で決議結果を語り始めたとき、その背後の<ゲルニカ>のタペストリーが暗幕で覆い隠されていたのだった。「ゲルニカ」はピカソが戦争への抗議として描き上げた作品。
 暗幕を掛ける指示は何処から出され、誰が暗幕を掛けたのか? なぜ暗幕が掛けられたのか?「暗幕のゲルニカ」事件が大きな波紋を起こしていく。

 アメリカが9.11のテロ行為を受けた形で、イラク戦争に踏み込んで行くという情勢の最中で、瑤子は理事長ルース・ロックフェラーの支援を得、一旦拒否された「ゲルニカ」を借り出すという交渉に再びチャレンジしていく。「ゲルニカ」が、ピカソの戦争への抗議を表出する作品であり、それは即、9.11の惨劇とイラクへの軍事行為の進展への抗議に繋がっているからだ。
 著者はルース・ロックフェラーに語らせている。
「国連も、ホワイトハウスも、いかなる国家権力も、芸術を暗幕の下に沈めることはできないと証明するのよ」(p124)と。

 瑤子の「ゲルニカ」借り出し交渉へのチャレンジは紆余曲折を経ながら進展して行く。最後の段階で、瑤子自身がテロ行為に巻き込まれ窮地に陥ることに!

 遂に、瑤子のチャレンジは「ピカソの戦争」展開催前日の内覧会へと結実するに至る。
 「『ピカソの戦争』展。戦争とテロが生み出した憎しみの連鎖に陥ってしまったこの世界で、平和について語り合うきっかけを作りたいと願い、私はこの展覧会を企画しました」(p354)という瑤子のプレゼンテーションへとつながって行く。

 この小説の読ませどころはいくつかの視点があると思う。
*ピカソの「ゲルニカ」の創造プロセスでの心理描写と芸術家としての戦争への姿勢
*ドラ・マーロという女性、芸術家でありピカソの愛人の心理の変遷とその描写
*「ゲルニカ」という作品の数奇な変転、運命の史実を知ることができること
 そこに、フィクションレベルで、バルド・イグナシオの「ゲルニカ」並びにピカソとの関わり方が織り込まれる。史実に整合しリンクする形で描き出されていくストーリーがおもしろい。
*キュレーターでありピカソ研究者、八神瑤子が企画展実現に向けてチャレンジするプロセスの描写。

 また、「暗幕のゲルニカ」つまり、暗幕が関係してくる場面がさらに2場面出てくることにふれておこう。その一つは、第二章での20世紀のストーリーに出てくる。それはピカソが「ゲルニカ」の下絵を描いた段階でカンヴァスに「暗幕」を掛けた状態から始まる。ピカソがドラに写真を撮らせる。この後、「ゲルニカ」制作のプロセスを、ドラがローライフレックス6×6二眼レフカメラで克明に撮り続けることになる。そのプロセスが書き込まれていく。ドラ・マールは芸術写真もさることながらこのドキュメンタリー写真で歴史に名を残したそうだ。
 そして、もう一つの「暗幕のゲルニカ」は劇的な登場をすることに・・・・。その場面は本書を開いて味わっていただきたい。

 もう一つ。著者は史実に基づいたフィクション化である20世紀のストーリーを描き、一方、登場人物全員を架空の人物で21世紀のストーリーを描き出した。その2つのリンキングについてである。「ゲルニカ」という作品自体が当然ながら最重要なリンキング要素である。それ以外にもう一つのリンキング要素を著者は織り込んでいる。それが2つのストーリーをつなぐ重要な要素になっている。こちらの意外性がフィクションのおもしろさ、楽しさにつながっている。著者はおもしろい構想をこのストーリーに組み込んだものである。
 チャレンジするひたむきさ、一途さの描写の高まりというプロセスの側面には共鳴していきやすい傾向があるからなのか、数カ所で涙腺が弛んだ。ストーリーの流れに没入していたのだろう。それはさておき、一読をお奨めする。

 ご一読ありがとうございます。


本書を読み、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
MoMA  ホームページ
ロックフェラー家  :ウィキペディア
ゲルニカ(絵画)  :ウィキペディア
ゲルニカ :「週刊NY生活」
  国連アート探訪 よりよい世界への「祈り」のシンボルたち 星野千華子
ドラ・マール    :ウィキペディア
Seven Things to Know: Dora Maar  :「TATE」
Dora Maar  :「Britanica」
ソフィア王妃芸術センター  :ウィキペディア
マドリード「ソフィア王妃芸術センター」 必見20作品、お得なチケット、無料入場など をわかりやすくガイド :「ユアトリップ」
Museo Reina Sofia. Presentacion (Introduction) YouTube
イラク戦争  :ウィキペディア
カタログレゾネ  :「artscape」
ローライ      :ウィキペディア
【フィルムカメラ】『ローライフレックス』の使い方と作例  :「CAMERA」
トルティージャ(スペイン風厚焼きオムレツ):「Nadia」
チュロス  :ウィキペディア
ネクタイ  :「ブルックス・ブラザーズ」
パンプス  :「マロノ・ブラニク」
サルガデロス from Spain :「ラフィオーレ」
ロブマイヤー 公式通販サイト

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『<あの絵>のまえで』   幻冬舎
『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  PHP
『たゆたえども沈まず』  幻冬舎
『アノニム』  角川書店
『サロメ』  文藝春秋
『デトロイト美術館の奇跡 DIA:A Portrait of Life』  新潮社
『モダン The Modern』   文藝春秋
『楽園のカンヴァス』  新潮文庫
『翼をください Freedom in the Sky』  毎日新聞社