遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『不干斎ハビアン 神も仏も棄てた宗教者』 釈 撤宗  新潮選書

2011-10-31 01:00:33 | レビュー
 だいぶ前にこの本のことを知り手帳に書名をメモしてはいた。内田樹・釈撤宗の共著『現代霊性論』を読んで、この本を読んでみる気持ちにはずみがついた。
 不干斎ハビアンは、桶狭間の戦いの5年後、1565(文禄8)年ごろ北陸あたりで生まれ、1621(元和7)年に長崎で死んだという。彼は元禅僧で、キリシタンの道を歩み、そのキリシタンすら1608(慶長13)年に棄教し、晩年は長崎奉行長谷川権六に協力し、キリシタンの取締りに協力した人物だという。宗教という観点で、あの時代にこれほど凄まじい生き様・変転をした人物がいたことにほんとびっくりした。

 ハビアンは、キリシタン護教論として『妙貞問答』(上・中・下の三巻)を書いた。そしてこれを教材にして指導したという。妙秀と幽貞という二人の尼僧が対話する形式で、諸宗派の違いを論じキリシタンの教理の優越性を語る。妙秀が自分の持つ疑問点や思いを幽貞に質問し、幽貞がそれに回答をするという形である。それはハビアン自身のキリシタンへの改宗にいたる宗教上の疑問点や思いに対し、自らが分析し考え築き上げた解で答えるという自問自答のプロセスを、二人の尼僧の役割に二分し託したといえる。
 「上巻」は仏教の基本理念、日本の仏教各宗派の特徴が要約される。倶舎、成実、律宗、法相、三輪、華厳、天台、真言、禅宗、浄土宗、一向宗、日蓮宗をことごとく俎上にのせ論じているようだ。「中巻」は儒教と神道を対象にした対話が続く。「下巻」はキリシタン思想の特性が語られ、その宗教としての優位性が説かれる。著者は、対話の原文を掲げ、それを現代語訳にしながら論点を整理して、ハビアンの主張点を明瞭にしていく。
 日本の諸派仏教の概念すらほんの一部を見聞しているにすぎない私には、諸宗派と儒教・神道まですべて取りあげて論じること自体が驚異的である。
 第一章では、ハビアンのプロフィールが語られ、第二章では『妙貞問答』の骨子部分がまとめらている。ハビアンの観点で書かれたという制約があるけれど、論旨がすっきりしているので仏教・儒教・神道の基礎概念についてその要点を理解する上で役立つともいえる。

 この書では、様々な研究者・論者のハビアン観を紹介している。それを読むとハビアンの著作に対する価値評価には否定的なものから肯定的なものまで大きな幅がある。それだけ、一筋縄では捕らえがたい人物なのだろう。著者は各研究者・論者の意見を引用しながら、自らの視点を提示し、自らの見解と賛否を述べている。多視点の紹介は、ハビアンという人物への興味・関心を一層抱かせる材料になる。

 第三章で、著者はハビアンがあの時代の卓越した比較宗教論の研究者だったと捉えている。ハビアンが「影響比較」「対比比較」という研究手法を使い、「キリシタンが他の宗教よりも優位であることを前提にして、そこへと帰納するための比較」を行ったと分析する。そして、ハビアンの仏教論、儒教論、神道論を再整理している。
 ハビアンが「仏教」の要諦は「同一化」にあると考え、「無」「空」の一点へ帰着する宗教と断じ、来世の救済は成り立たないと論証したという。儒教論は朱子学を骨子として論じ、実践倫理的態度を評価しながらも、「造物主」がいない故に「救済」が成立しないと論じた。神道論は、吉田神道をメインラインにして論じ、神道の神が人間と変わらない相対的存在だと論を展開していると著者は分析する。
 これを読むと、ハビアンが如何に幅広く諸宗教を研究してきた人物だったかを感じることができる。ハビアンは、「相対概念しかない宗教」を遺棄し、「絶対神」をもつキリシタンの教理と救済原理に魅了されたようだ。そして、今までの宗教になかった「存在論」「生命観」にハビアンは引きよせられたらしい。

 第四章は、ハビアンと林羅山の宗教論争に触れている。林羅山の書き残した書により論争の経緯を説明しているが、論点がかみ合っていないという分析と林羅山の文書だけによる分析の限界を明確に論じているのがおもしろい。「このような噛み合わなさこそ、宗教を比較研究するてがかりなのである」(p160)と著者が述べている。そいういうものなのかと思った。

 第四章の後半で、ハビアンが林羅山と対面し論争した二年後(1608年)、突如としてキリシタンを捨て、ひとりのベアタス(清貧、貞潔、従順を守る女性の修道請願者)と共にイエズス会を脱会し行方をくらました事実とその謎を取りあげている。まず諸研究の見解を列挙する。「不平不満」説、「信仰浅薄」説、「思想転向」説、「そもそもそういう宗教者」説、「日本征服」説の影響、などがあるようだ。筆者は、「教団の扱い」と「女性問題」がハビアンの主要因であるとしながら、さらにダブルバインドという閉塞状況からのブレークスルーという視点を提示している。いろいろ見方があるものだ。

 第五章で著者は『破提宇子』に言及する。ハビアンは死ぬ前年(1620年)に、キリシタン批判書を世に出した。研究者の「井手は、『破提宇子』の執筆には、徳川秀忠あるいはその幕閣による要請があったのではないかと推測している」という説を載せている。この章で著者は、ハビアンがどういう論法でキリシタンの批判を展開したかを分析している。なかなか興味深い論理の展開だ。
 この書の評価も研究者によりかなり分かれるようである。
 著者は、『妙貞問答』の「下巻」と『破提宇子』とは「双子のような関係である。まるで鏡像だ」という。というのは、「同じ材料を使いながら、結論は正反対の地点に着陸する」のだから。著者は、ディベートの高等技法である「ターンアラウンド」を使い、自ら書いた「下巻」の立論材料を、みずからの論証で批判したというハビアンの戦略に、着目している。この見方は、ハビアンという人物像を理解するのに有意義なものだと思う。
 『破提宇子』を書くことによって、『妙貞問答』の間での論理の関係性の中で、彼の立場・生き様ををより鮮明にしたのだという見解には、納得させられる。

 第六章で、ハビアンの宗教観と生き方は、彼の生きた時代を超越し、現代に通じているという局面を著者は論じている。過去の書物の分析論証にとどまらず、現代とリンクさせた見方でとらえ直すことができる人物だという見解には魅力がある。
 冒頭で、山本七平がハビアンを「最初の日本教徒」と位置付づけたという見解を紹介している。その後で、著者は「宗教的個人主義」を「現代スピリチュアル・ムーブメント」と呼ぶことにし、ハビアンの宗教態度は「現代スピリチュアル・ムーブメント」にみられる態度に通底する部分があると論じている。”ハビアンの宗教態度は、「自分をキープしたまま、各宗教を活用する」「自らの知的好奇心を満たしてくれる宗教情報を活用する」といったものである。”(p227)と論じる。
 この章における著者のハビアンに対する見解を引用しよう。
 *ハビアンがベアタスとの駆け落ち失踪劇を演じたことも忘れてはならない。彼はどこまで行っても強烈な自我を発揮させる人物だったに違いない。神に己のすべてを捧げきるといったタイプではなく、ここ一番、敢然として強い自我を機能させて生き抜いた男だったと思われる。このように自我をキープしたまま宗教とつきあうのは、まさしく現代スピリチュアリティ的な態度なのである。(p234)
 *ハビアンは、「制度宗教」にも「世俗主義」にもコミットしない道を選択したのだ。・・・・ハビアンは結局生涯をかけて破仏教・破儒教・破道教・破神道・破キリシタンを成し遂げる。・・・・私はハビアンがとても宗教的な人間であったことを確信している。ハビアンは生涯、豊かで成熟した宗教性を保持し続けたと思う。(p237)

 終章で、「ハビアンの見た地平」は、第三の道だったと著者は論じている。「制度宗教」でなく、「世俗主義」でもなく、「宗教性」を抱いてひとり裸で生き抜き、死に切る、それこそがハビアンがみた宗教の地平なのだと。
 著者は、ハビアンを「身の回りにある宗教体系のすべてを相対化してしまった人物」だという。そして、『妙貞問答』と『破提宇子』の両書を合わせて、ハビアンを”世界初の本格的比較宗教論者”だと評価している。
 「ハビアンにとっても、宗教を比較することは、単なる手段という枠を超えて、彼にとっての宗教的行為であり宗教的体験だったのである」という一文で著者は本書を結んでいる。

 タイム・マシンがあったなら、直に対面して話を聴いてみたい人物の一人だ。

ご一読、ありがとうございます。

本書に出てきた気になる語句で、ネット検索し入手できた情報を、以下リストにする。

ハビアン  :ウィキペディアから
林羅山   :ウィキペディアから
新村出   :ウィキペディアから
イエズス会 :ウィキペディアから
フランシスコ・ザビエル :ウィキペディアから
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ :ウィキペディアから
グネッキ・ソルディ・オルガンティノ  :ウィキペディアから
ロレンソ了斎  :ウィキペディアから
トマス荒木 :個人ブログ「Cristiano giapponedi!」から
日本のキリシタン一覧  :ウィキペディアから
フランシスコ会   :ウィキペディアから
ドメニコ会 :ウィキペディアから
聖アウグスチノ修道会  :ウィキペディアから
カテキズム ::ウィキペディアから
CATECHISM OF THE CATHOLIC CHURCH  :ヴァチカン
吉田神道    :ウィキペディアから
神道の系譜
朱子学  :ウィキペディアから
長谷川 権六  :ウィキペディアから
ダブルバインド  :ウィキペディアから


『三陸海岸大津波』 吉村 昭  文春文庫

2011-10-25 23:42:12 | レビュー
 この本が再文庫化されたということを新聞で知った後、しばらくしてから買い求めていたのだが、ついつい読み始めるのが遅くなった。
 本書は3つの大津波について記録している。明治29年の津波、昭和8年の津波、そしてチリ地震津波である。三陸沿岸を愛する著者が、或る婦人の体験談に触発されて、津波の資料を集め、体験者の話をきいてまわった内容を記録している。史実として記録されたデータを基礎にして、現地を歩き、著者が聴き取りした体験談、また子供たちの津波体験作文の紹介を織り交ぜている。当時の時代背景や体験談を語った人々の背景などをリアルに描きながら、記録に徹しつつ、その中で津波のすさまじさを描きだした。
 津波襲来による災害の状況が当時の社会情勢と併せて記録され、様々な体験談が著者の描写を通して動き出す。その全体性の中で想像力を働かせていくと、津波襲来の仮想的世界が読み手のなかに築かれ、そのプロセスを追体験し大津波のすさまじさを感じることになる。
 ある事実の局面をポンと目の前に提示される写真・動画が訴えてくるものとは異なった全体性の次元において訴えてくるものが本書に存在する。ここに記録文学の存在価値と役割があることに思いを馳せた。

 この記録文学を読みながら、3.11の東日本大震災のことを重ね合わせてみて、思ったことを列挙してみる。
*著者は昭和8年の津波の高さについて、伊木常識博士と宮城県土木課の手で算出され発表された数字から、宮城県と岩手県の各地の主だったデータを拾っている。これらの津波の高さというものが、3.11の津波対策、シミュレーション作成・検討において考慮されていたのだろうかという点である。一方、3.11の事後の検証としても、改めて比較分析することが、今後のために必要だろうとも思う。

*明治29年と昭和8年の大津波の前に、幾つかの前兆のような現象が共通して発生していたことを、体験談や資料から著者は引き出している。大津波の襲来する数ヶ月前あたりから、三陸海岸一帯で大豊漁となっていたこと。沿岸一帯の漁村で井戸水に異変が起こっていたこと。井戸の水に混濁が発生し、井戸水が著しく減少したということ。各所で普段とは異なる大干潮がみられたこと。津波の襲来する直前には、沖合でドーンという鳴動があったり、怪火、閃光などの現象が観測されていたという。こういう諸現象の原因の解明はなされていないということだが、今回の3.11において、同様の前兆的現象が発生していたのだろうか。マスメディアの報道ではその種の話を見聞しなかったが・・・・自然現象が繰り返される中で、科学的に解明がされていないとしても、今回も同種の現象が存在したのかどうか、気になるところだ。

*明治29年の津波の章には、『風俗画報 大海嘯被害録』の上巻から二葉、下巻から四葉の挿画が引用されている。「唐桑村にて死人さかさまに田中に立つ図」「広田村の海中網をおろして五十余人の死体を揚げるの図」「釜石町海嘯被害後の図」「溺死者追弔法会の図」など。3.11の津波については、ビデオ撮影や写真による津波襲来の映像が様々に報道され、動画としても数多くアップロードされている。即物的に津波の状況を知ることができ、その恐ろしさを感じとった次第だ。しかし、津波とその渦中にある人々を描いた挿画をじっと見つめていると、そこに想像力が加わり、違った意味でのリアリティを深く感じる。ストレートな写真・動画が撮られてもマスメディアで公開できない、あるいはしない方が望ましいという場面があるだろう。挿画ではそれを描き出し読者の感性に訴えることができるという側面があることにあらためて気づいた。

*チリ地震津波は、明治・昭和の両津波とは異質である。太平洋を挟んだ遠いかなたで発生した地震が、三陸沿岸に被害をもたらした事実の記録だ。この時は津波にありがちな前兆の諸現象がみられなかったという。昭和35年5月時点の話である。「気象庁では、チリ地震による津波が日本の太平洋沿岸に来襲するとは考えず、津波警報も発令しなかった。」(p158)と事実が記されている。
 だが、チリ津波来襲の5年前、昭和30年、科学雑誌『自然』に、当時の東京水産大学の三好寿氏が、チリ津波が日本の太平洋沿岸に押し寄せる可能性が高い点について意見を発表していたという。だが、それは、事前警告という形で採り入れられなかった。この箇所を読み、『科学』誌に石橋克彦氏が「原発震災-破滅を避けるために」という論文を1977年10月に寄稿され、意見を述べておられた。だが、3.11により原発事故が発生した。同じパターンが繰り返されていることに気づく。
 また、海のかなたの地震が及ぼす日本沿岸への影響をニュースで耳にするようになったのは、このときの悲惨な結果が契機になったのかと思った次第である。

 著者の文章そのものを引用しておきたい箇所がいくつかある。

*「もともと三陸沿岸各地への物資輸送は海上からおこなうのが最も適していたのだが、津波とその余波で舟のほとんどが流失又は破壊されていて、意のままにならなかった」(p148)
 昭和8年当時と比べ、現在は陸上輸送網がはるかに発展していたはずだ。しかしその道路網が3.11では寸断された。地震・津波発生の想定対策において、海上輸送と陸上輸送のリスク/可能性はどのようにシミュレーションされ検討されていたのだろうか。災害対策リスクの想定がどうだったのか気になる。

*「被災地は一種の無法地帯と化していて、住民の不安はたかまっていた。全・半壊した家に忍びこんで家財をかすめとるなど、意識的に盗みをはたらく者も多かった。そのような盗難や漂流物などの横領が各地でみられ、また物資不足に乗じて暴利をむさぼる商人の横行も目立った。」(p148)
 3.11の当初の新聞報道は、この著者の昭和8年時点の記録からすれば、盗難という観点で報道の実態は本当だろうかという思いがあった。また、フクシマの警戒区域の状況についてなぜかあまり報じられなかったように思う。しかし、2011.10.16付の朝日新聞が「原発20キロ圏 空き巣30倍  住民『賠償を』東電『泥棒の責任』」という見出しの記事を報じた。昭和8年の記述と比較できるだけのそれぞれのデータはない。新聞記事は「50軒に1軒が被害にあった計算だ」という。やはりそうかという思いと併せて悲しい思いが湧いてくる。

*「この高所への住居移転の実施は困難な問題をかかえていた。災害を受けた住民も津波を避けるためになるべく高い場所に居住するのが最善の方法だということは十分知っていて、事実明治29年の大津波後には、高所への住宅の移転が目立ち、昭和8年の大津波後にはこの傾向はさらに増して、町はずれの高台にあった墓所がいつの間にか住宅地になった所さえあった。しかし、この高所移転も年月がたち津波の記憶がうすれるにつれて、逆もどりする傾向があった。漁業者にとって、家が高所にあることは日常生活の上で不便が大きい。そうした理由で初めから高所移転に応じない者も多かった。」(p150)
 3.11以降、復興問題のテーマとして同じ問題が論じられている。生活の場と仕事の場。日常生活の営為という課題の難しさが既にここに記録されている。理念と現実。歴史は再び同じ問題を投げかけていると感じる。

*「しかし、自然は、人間の想像をはるかに超えた姿をみせる」(p176)
 この一文の直前に、昭和43年5月の十勝沖地震による津波襲来の際の、田老町の防潮堤の働きと津波警報対策を描いている。比較的災害が少なかった事例だ。だが、この一文の後に、田老町の防潮堤の高さを明記した上で、田野畑村羅賀の高所に海水が50メートル近くもはい上がってきた事実を記す。その一方で、著者は明治29年の大津波以来の経験を経てきた田野畑村の古老の言も併記する。「津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにいないと思う」という述懐である。
 だが、この古老の希望は3.11で潰えてしまった。やはり「自然は、人間の想像をはるかに超えた姿をみせ」たのだ。
 2011.10.13付の朝日新聞は、「津波高さ 防波堤で差なし」という見出しの記事を載せていた。岩手県釜石市を例にした試算を海洋研究開発機構などの研究チームがまとめ、「巨大地震による津波は、海上の防波堤があっても波高に大差はない」という。記事によると、「釜石湾口防波堤は、総工費約1200億円かけ2009年に完成。北堤(長さ990m)と南堤(同670m)があり、・・・・津波で北堤の8割程度、南堤は半分が損壊した」と記す。「一方、港湾空港技術研究所は、釜石港検潮所に到達した波高が防波堤により、防波堤がなかった場合の13.7mから8.0mに低減したと試算している」という。津波についてはまだまだ現在の科学では計り知れないところがある証拠だ。

 最後に、一つ腑に落ちない箇所がある。
 著者は、明治29年の大津波について、岩手県・宮城県・青森県の被害データを28ページに一部記録している。本書の参考文献は巻末に掲載されている。
  宮城県 死者3,452名、流失家屋3,121戸
  青森県 死者343名
  岩手県 死者22,565名、負傷者6,779名、流失家屋6,156戸
 一方、参考資料をネット検索していて、後のリストに加えた資料に該当データが載っていた。「岩手県地震・津波シミュレーション及び被害想定調査に関する報告書(概要版)」だ。このⅡ-3ページに、「表2.1-1 明治三陸地震津波の被害(渡辺、1998)」という一覧表が載っている。こちらも章末に文献リストが載っている。
  本書の著者が記録している宮城県と青森県のデータは、両者で一致している。しかし岩手県のデータにかなりの違いがあったのだ。
  死者   本書22,565名  概要版18,158名
  負傷者  本書 6,779名  概要版 2,943名
  流失家屋 本書 6,156戸  概要版 4,801戸
明治29年のデータだ。本書が出版されたのは1970年7月だった。概要版のデータの出典とされているのが1998年の出版である。なぜ、データがこれほど違うのだろうか。この種の統計データもそのソースがいくつかあるということなのだろうか。それぞれのデータのソースにアクセスできないので、疑問の提示にとどめておく。

 著者は「三 チリ地震津波」中の「津波との戦い」の冒頭にこう記す。
 「津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している。・・・・三陸沿岸は、リアス式海岸という津波を受けるのに最も適した地形をしていて、本質的に津波の最大被災地としての条件を十分すぎるほど備えているといっていい。津波は、今後も三陸沿岸を襲い、その都度災害をあたえるにちがいない。」
 3.11に、想像を絶する地震と津波がやはり襲来した。
 「温故知新」という言葉がある。本書という記録文学から、自然と人間の営為の関わりについて、学べるもしくは学び直すべきことが多いような気がする。
 本書を一読いただきたい。

 3.11の被害がなぜこれほどに激甚なものになってしまったのか・・・・・

ご一読、ありがとうございます。

本書を読みながら、参考情報を得るためにネット検索をしてみました。

2011.3.11 まだTVでは放送されてない大津波動画

東日本大震災 岩手県田野畑村の津波被害 羅賀周辺

田老町津波防災資料集 :国会図書館の収集による過去のページ「ようこそ田老町へ」から
ここに、資料の一つとして、”語り継ぐ体験・・・紙芝居「つなみ」(昭和8年の津波体験者が作成)”というのが掲載されています。
田老町の津波画像




『凍土の密約』 今野 敏   文藝春秋

2011-10-21 23:40:07 | レビュー
 著者の警察小説のジャンルにはいくつかシリーズものがある。今まで著者の作品を読んできた範囲の判断で、たぶんこれは単独作品だと思う。この小説、刑事部と公安部が結果的に合同で特捜本部を設けて事件解決にあたるという、すこし特異な(と私が感じるだけか?)設定だ。

 主人公は公安部外事一課所属の倉島である。彼は上田係長から赤坂署に置かれた特捜本部に行くよう指示を受ける。外事一課が殺人の特捜本部に顔を出せという。それも公安総務課の名指しで・・・。その背景に整備企画課の意向があるらしい。倉島は整備企画課という名がでたことにひっかかりを感じる。

 被害者は高木英行(本名、高英逸)、韓国系の在日コリアンで右翼団体『旭日青年社』の幹部。鋭利な刃物による刺創および切創、傷はわずか二ヵ所だけ。ロシア大使館周辺で街宣をやっている行動右翼であるようだ。そして、週明けには成城署管内で野田誠司殺人の特捜部が立ち上がる。被害者は坂東連合多田山組の幹部である。多田山組はロシアとの密貿易を資金源の一部にしている。さらに、十二月半ば過ぎに、ミハイル・ペルメーノフという41歳のジャーナリストが他の二人同様に鋭利な刃物による刺し傷で死ぬ。大崎署の特捜部は公安が仕切る形になる。犯行の手口が同一人物、それもプロの手並みとみなされるが、被害者の繋がりが見えない。

 倉島は、ロシア大使館三等書記官アレクサンドル・セルゲイビッチ・コソラポフという情報源と接触し、ロシア絡みではないかとの疑いから情報を得ようとする。一方、在日ロシア連邦通商代表部に勤めるタチアナ・アデリーナとも接触し、ロシアンマフィアと日本の暴力団の関係での情報を得ようとする。さらに、彼は、『良虎会』という暴力団に渡りをつけてもらい理論右翼の大物で、保守系の政治家にも影響力のあると言われる大木一声との関係を築き、情報を得ようとはかる。
 倉敷は捜査の途中から、上田係長に要請し、外事一課の同僚二人(白崎・西本)の協力を得て、これら特捜部内に関わっていく。一方、コソラポフから、アンドレイ・シロコフという男を調べるようにという情報を得る。西本が、倉島の指示を受けて、独自の情報源からアンドレイ・シロコフについての情報の糸口を得るのだが、その情報源の日本人もまた鋭利な刃物で殺されてしまうことになる。

 日本人3人とロシア人1人の連続する刺殺が、同一犯人と断定され、合同捜査本部が設定され、公安部の仕切りという形で、捜査が展開され事件の究明を図る方向に進んでいく。アンドレイ・シロコフの素性が明らかになるにつれ、事件発生の理由が見え始めるが、それは国家機密にかかわるものへと展開していく

 本書のストーリー展開で副次的におもしろいのは、同じ警察機構にありながら刑事部と公安部はまさに犬猿の仲というような間柄であるのに、事件が両組織の合同捜査を余儀なくさせるという設定になっている点である。こんな一節が出てくる。
  *信頼しているとは言い難い眼差しだった。刑事は、公安を信用していない。それは仕方のないことなのだ。  p70
  *おまえら、公安は何のためにここに来てるんだ?
   どうして殺人事件の捜査に、公安がきているんだ、と訊いてるんだ。 p98
  *なんだと?おまえらの手伝いなんていらないんだ。第一、公安は何か知っていても公にしようとしないじゃないか。おまえら、むしろ捜査の邪魔なんだよ   p99
  *池田管理官の顔が、ごくわずかだが、不快そうに歪んだ。殺人事件を公安が仕切ることに、抵抗を感じるのだろう。 p121
  *わからないという話があるか。俺たち刑事に殺人の捜査をやらせておいて、陰で何かを嗅ぎ回っているんだろう?知っていることを話せよ。  p175
  *ふん、被疑者の身柄を拘束すれば、何でもしゃべってもらえると思っているんだな。常に送検のことだけを考えていればいい刑事は気楽なもんだ  p99
  *井上の態度は、公安捜査官の刑事に対する一般的な評価を表している。つまり、一段低く見ているのだ。  p99
  *殺人の捜査に関して口出しはしませんよ。自分らは、あくまで参考意見を述べさせていただくだけです。 p100
  *何者か、どういう背景を持ているのか、何のために日本に入国したのか・・・・。そういうことが明らかになる前に、刑事たちに教えるのは危険ですからね。 p139

 さらに、刑事部と公安部の捜査に対する方針・姿勢の違いに興味・関心を持たざるを得ない。著者は本書でこんなことを語らせている。
  *今回の事案については、おまえが端緒に触れている。だから、おまえが白崎たちに指示するのは当然のことだ。年齢のことなど気にするな。
   こういう指示は、警察においては珍しい。警察組織では、階級とともに年齢もものをいう。そういう意味では警察もやはりお役所なのだ。だが、公安の捜査官はちがう。上田はそう言いたいのだ。 p109-110
  *特捜本部や捜査本部を、どこが仕切るかで雰囲気が多少変わってくる。刑事部が仕切れば、刑事たちが第一線に立ち、容疑者を追い詰めていくだろう。公安が主導権を握れば、情報合戦の要素が強くなる。誰がどれだけの情報を握っていて、当該の事案がそれとどういう関係があるかを探っていくのだ。  p129
  *実行犯を特定するだけでは事案の解決はない。事案全体として見れば、刑事事案というより、やはり公安の事案と考えるべきだ。三件の殺人の背後に何があるのか、それを探りださなければならない。  p129
  *(公安マンは)あらゆる危機を想定して、それに対処しておかなければならない。  p171
  *公安捜査員は、毎日本庁に顔を出す必要はない。  p186
  *係長、刑事みたいなことを言わないでください。我々は、公判を維持する必要などないのですよ。  p191
  *俺たちは刑事じゃない。検事を納得させる必要はないんだ。だから、証拠、証拠と目くじらを立てることはない。話が通ればいいんだ。  p281
  *あんたたちは、犯罪者の検挙だと思っているかもしれないが、こっちは戦争だと思っているんでね・・・・ p319

 この刑事部と公安部の捜査におけるある種の対立・葛藤がストーリーの展開を刑事物とはちがった展開と雰囲気を生み出し、彩りを与えている。
 『陽炎 東京湾臨海署安積班』について以前、ここに書いた。その時に検索したリストにある項目のソースを見ていただけばおわかりのように、実際の警視庁には刑事部と公安部があり、一方警察庁には刑事局と警備局があって、警備局の中には公安課とか外事情報部がある。現実の組織にはそんな捜査風土や特質の違いがやはり厳然とあるのだろうか。事実は小説より奇なりか。

 四つの殺人事件のねらいが、「凍土の密約」に収斂する。

ご一読、ありがとうございます。

本書で出てきた語句の幾つかをネットで検索してみた。事実情報の範疇で、小説の背景情報として。

「釧路・留萌ライン」とは?
日本の分割統治計画 :ウィキペディアから

北方領土問題

北方四島の話  :ブログ「歴史~とはずがたり~」から

極東軍管区  :ウィキペディアから

極東地域に所在するロシア軍の将来像 :三井光夫氏
―東アジア・太平洋地域の安全保障への影響―

エシュロン  :ウィキペディアから

Echelon (signals intelligence) :From Wikipedia, the free encyclopedia

ロシア連邦軍参謀本部情報総局 :ウィキペディアから

GRU :From Wikipedia, the free encyclopedia

ロシア連邦保安庁 :ウィキペディアから

ロシア連邦保安庁(FSB)

通商代表部  :ウィキペディアから

未開の沃野、ロシアへようこそ
A・ラブレンチィエフ(在日ロシア通商代表部主席):ファイナンシャルジャパンから

対日有害活動 :「警備警察50年 現行警察法施行50周年記念特集号」
 『焦点』 警察庁 第269号 から
(第2章 警備情勢の推移)

ダガー  :ウィキペディアから

ダガーナイフの画像集


『数学的にありえない』 アダム・ファウアー  文春文庫

2011-10-18 23:17:28 | レビュー
 原題が「IMPROBABLE」なので、辞書的には「起こりそうもない;本当らしくない」という意味になる。主人公のデイヴィッド・ケインがコロンビア大学統計学科の大学院で学んだ数学の天才で元統計学講師であったこと、そして、この小説の中で確率的にめったに起こりそうもないことが次々に起こるというストーリーだから、こういう翻訳版のタイトルになったのだろう。

 文庫版(2009/8、単行本は2006/8)は上・下の2冊で、全体は「第一部 偶発的事件の犠牲者たち」(上)、「第二部 誤差を最小化せよ」(上・下)、「第三部 ラプラスの魔」「エピローグ」(下)という構成になっている。
 第一部はおもな登場人物がそれぞれ全くことなったフェーズでばらばらな物語に個性豊かに登場してくる。それぞれの話を読み進めてもどういう繋がりがあるのか、全くといっていいほどわからない。特にデイヴィッドが関係するフェーズには、ポーカーのギャンブルにのめり込み、大金を懸けたゲームシーンの中にいるところから始まる。統計学専攻のデイヴィッドらしいが、彼は自らのポーカーのギャンブルの勝算を次々に確率計算する。しかし、そのゲームには大敗し、1万1000ドルの借金をかかえる。起こりそうもないカードの手で大敗するのだ。そして、ケインが出入りしてきた地下カジノの店主、ヴィタリー・ニコラエフというマフィアに借金返済のために追いかけ回される羽目になる。どうして借金を返済するか?それが当面の緊急課題になる。大敗を喫する直前に、デイヴィッドは悪臭に襲われ、死の臭いを感じる感覚にのみこまれ意識を失う。
 そこで彼は、ドクター・クマールの治療を受ける。その治療薬がなぜかデイヴィッドの持つ特殊能力を目覚めさせてしまう。彼は幾度も悪臭の苦痛を伴いながら、その能力に気づきはじめ、その使い方を体得していくのだ。それは予知能力だった。

 ジャスパー・ケインはデイヴィッドの双子の兄。彼は長らく病院の入退院を繰り返してきた。側頭葉癲癇であり、幻聴や既視感に襲われてきた。今退院したジャスパーはデイヴィッドを助けたいという使命感を抱いている。実は彼自身、特殊な能力の保有者だったのだ。デイヴィッドより先にそれが目覚め、人からは理解されずに入退院させられるという事態に陥ってきたのだ。ジャスパーも自らその能力のコントロール方法を体得していく。

 現在はCIA工作員のナヴァ・ヴァナーは、複雑な経歴を持つ暗殺のプロ。彼女は今はアメリカを裏切り、世界の主要な諜報機関と極秘情報を取引している。北朝鮮のスパイ機関に売り渡そうとした情報に瑕疵があり、先に入金された半金の返済を迫られ、追われる身になる。それを遁れる為には、別の極秘情報の取引を持ちかけて、対処しなければ身が危ない。その渦中に、ナヴァはCIAから科学技術研究所に配置転換の命令を受ける。CIAの組織で入手していた極秘情報へのアクセスができなくなる。しかし、科学技術研究所が、彼女にとって生き延びるための新たな情報源になることを発見する。

 ドクター・トヴァスキーは、大学院の教え子ジュリアを被験者にして、謎の実験薬を開発しようとしている。それは特殊な精神的能力を引き出そうと試みるものだ。その開発には研究資金がかかる。継続のための研究資金を確保するために、科学技術研究所のフォーサイスを訪ね、彼から資金援助を得ようとする。
 そのジュリアがある実験の途中で、トヴァスキーにメッセージを残し死亡する。トヴァスキーは窮地に立つ。ジュリアを自殺にみせかける後始末をし、彼女の残したメッセージへの対応がトヴァスキーを方向付けていく。

 ジェームズ・フォーサイスは国家安全保障局の科学技術研究所の所長である。科学技術研究所は、自国を含め全世界のあらゆる情報を盗聴・監視する任務を帯びている。ハイテク機器を縦横に駆使する専任エキスパートに、グライムズがいる。フォーサイスはグライムズを使い、これはという先端研究情報を盗聴・監視で盗み出し、それに先手を打ち、売り飛ばし、プライべートの研究所設立への資金稼ぎに地位を悪用している。私的な研究所設立のための残りの資金稼ぎと今後の研究用ネタ探しを企んでいる。
 資金援助依頼に来たトヴァスキーの研究自体にも興味を示し、フォーサイスは密かにネタ探しの対象範囲にしていく。

 知的な科学者達が多く登場し、その人々の日常会話として様々な科学理論の蘊蓄話が語られていく。カード・ゲームの勝率が確率論研究の嚆矢だったことから始まる統計学の講義風景、統合失調症の症状、ニュートン力学、ハイゼンベルグの不確定性理論・確率論的宇宙論、量子力学、マクスウエルの法則、シュレーディンガーの哲学的問題、アインシュタインの特殊相対性理論などなど。これらの科学の世界の知識情報が、起こりそうもないことが現実に起こるというストーリーを濃厚に色づけしていく。それらの会話の内容を十分に理解出来るとは思わないが、その意味合いの雰囲気程度はなんとなく味わうことが出来る。様々な蘊蓄話そのものの語り口も、じっくり読み直すとおもしろいかもしれない。
 小説の環境づくりの話題なのだが、起こり得ない事柄に関わるということなのだろう。なかなか重たい内容でもある。まあ、それなりに背景と受け止めて読み流してもいいだろう、たぶん。

 トミー・ダソーザは、ピストル自殺をしようとした直前に、ロトの宝くじに当たったことを電話で知らされる。あるとき、ある数字の組み合わせが当たるという確信を抱いて以来、毎週同じ番号の籤を延々と買い続けてきたのだ。そして、2億4700万ドルというとてつもない償金を当てたのだ。
 このトミーは、実は高校時代にデイヴィッドに助けられて、何とか高校を卒業できたという関係があったのだ。ジャスパーの助言で、窮地のデイヴィッドはトミーに連絡をとり、会う約束を取り付ける。
 
 個々の人間関係・物語が、第二部では、まったくありそうもないように見え、なぜか現実に起こることとして収斂して行くのだ。「予知能力」の存在が鍵となる。デイヴィッドを北朝鮮の諜報機関から身を守る引き換え材料に提供しようとしたナヴァがデイヴィッドと共闘する関係になっていく。ジャスパーはデイヴィッドを助けようとする。一方、フォーサイスは、トヴァスキーとそれぞれの思惑で協力関係を結ぶようになる。追う者と追われる者が新たに生まれてくる。

 第三部は、まさに闘争。ヴァイオレンスアクションそのものである。
 そして、ジュリエットとデイヴィッド、ジュリエットとナヴァ、それぞれの繋がり、またトミーの果たす役割が終末で明らかになっていく。さらに、もうひとりのジュリエットの人生の好転する兆しがデイヴィッドの手助けで見え始める。それは、デイヴィッドが、プロの追跡者、マーティン・クロウとの約束を果たすことでもあるのだった。

 前半は、蘊蓄話が多く、幾つもの物語が独立併存的に進行するので、一体話がどう展開するのかまったくわからず戸惑うが、十分には理解できないながらも知的内容に引きつけられるのは事実。しかし、少しもどかしい。後半は正に、追跡もののヴァイオレンスアクションの本領発揮といったスリリングなストーリー展開だ。このヴァイオレンスもちょっとありそうにないように見えて、あるかもしれないと思わせる内容でもある。一気に読み終えてしまいたい展開といえる。いや、実際一気読みしたのだが・・・。
 尚、物理科学の知識が豊かな人は、この知的会話部分それ自体を十分楽しめることだろう。(原著者の理解度への評価を含めて。)私には十分に楽しめるだけの基礎知識がないのが実に残念!

ご一読、ありがとうございます。

 この小説に登場する蘊蓄話に関連する事項をネット検索してみた。それぞれの分野の情報が豊富に公開されていることにびっくりした。その一部をリストにしてみる。
(これらの内容を、少しでも理解出来るようになりたい・・・・)

確率論   :ウィキペディアから

ギャンブルと数学(確率論) :NM総合研究所のサイトから

確率論入門 :横田壽氏


ニュートン力学  :ウィキペディアから

ニュートン力学の世界 :揺海さんのウェブサイトから

不確定性原理   :ウィキペディアから

不確定性原理 :「知の統合プロジェクト」のサイトから

量子力学入門の入門

量子力学入門 :前野昌弘氏作成のPDFファイル

相対論的量子力学入門 :倉澤治樹氏作成のPDFファイル

高校生のための量子力学入門 :竹本信雄氏作成

エルヴィン・シュレーディンガー :ウィキペディアから

シュレーディンガーの猫  :ウィキペディアから

特殊相対性理論 :ウィキペディアから

中学生にも解る特殊相対性理論 :「かつの部屋」のサイトから

特殊相対性理論  :「逆説の相対性理論」のウェブサイト

一般相対性理論 :ウィキペディアから


電磁気学  :「EMANの物理学」のサイトから


統合失調症 :ウィキペディアから

統合失調症の基礎知識  

息子が統合失調症になった時 :「心が壊れた息子のこと」


『弾正の鷹』 山本兼一 詳伝社

2011-10-17 23:01:20 | レビュー
 著者の本との出会いは、『利休にたずねよ』が最初だった。この作品が直木賞を受賞する前に、たまたま読んだのだ。この本を手に取ったきっかけは、「利休」という語がタイトルにはいっていたこと。利休という人物に興味があるというきっかけでだった。それ以来、『火天の城』を読み、さらに継続して読み継ぎたい作家のリストに加わえた。
 この本のタイトル「弾正の鷹」が1999年に「小説NON」創刊150年記念短編時代小説賞の受賞作だったというのを、この本の奥書を読んでお遅ればせながら知った。

 本書はタイトルの作品を筆頭に計5編の歴史短編小説がまとめられている。掲載順に作品のタイトルをあげると、次のとおりである。
 下針(さげばり)/ふたつ玉/弾正の鷹/安土の草/倶尸羅(くしら)
 各短編を読み進めてわかったのだが、この作品集は信長に関わり、その周辺で起こる事件を題材にしている。信長を弑しようとする様々な企みにかかわった人物の行動と思いがテーマになっている。
 ある時から、それまで何となく反感はあれど関心が薄かった「信長」に興味を抱くようになり、『信長公記』をはじめとする資料や事典、研究書、小説などを集め始めた。タイトルに「信長」が入っていないので、本書が信長関連の小説だとは、読み始めるまで知らなかった。『白鷹伝』を読んでいたので、「鷹」の連想でこの本を手に取ったのが読むきっかけだった。私の関心事としては、結果として「信長」にリンクしてきてハッピーである。

 各作品のテーマ・内容を少しご紹介しよう。

「下針」
 紀州雑賀党領袖鈴木孫市の甥で、五十人の鉄砲衆の物頭(将校)である鈴木源八郎の話。二十間先の松の枝に吊り下げた針を射中てるという腕前を持つ。そこから下針という通り名がつく。この下針、本願寺寺内町の遊び女・綺羅にぞっこん惚れてしまう。雑賀党が石山本願寺に加担し、顕如から信長を仕留める依頼を受ける。それに対し、彼は永楽銭一万貫の褒美を要求する。それは綺羅を自分一人の女にしたいがためだった。出撃する日、下針はずしりと持ち重りのする鹿革の袋を綺羅に託し、「信長の命が取れたら、その褒美は、ぜんぶおまえにやる」「もしもな、万にひとつ、わいが死んだらこの包みをあけてくれ」と言い、戦場に向かう。
 ラストシーンの女心のせつなさ、ゆらめきがいい。

「ふたつ玉」
 ふたつ玉というのは、鉄砲に二つの玉を込めて撃つだけの膂力をもつという鉄砲の腕前から来ている。その腕前を持つのが甲賀杉谷の善住坊である。佐々木六角承禎からのいただきものである菖蒲という心根のやさしい女に惚れ抜いている。その善住坊が承禎から呼び出され、信長を狙撃して斃すように命じられる。善住坊は承禎に願う。「みごと信長を撃ち果たしましたら、鉄砲を捨てとうございまする」承禎曰く「よいよい、好きにせい」「おなごというもの、さほどにありがたいものかな」
 善住坊の狙撃は歴史の語る通り失敗に帰す。この短編の結末に、作者のロマンがこめられている。

「弾正の鷹」
 松永弾正久秀の側女として仕える桔梗。彼女は、堺の会合衆の一人・茜屋宗佐の娘だった。その父が町衆の代表の一人として信長のもとに年貢軽減の願い出をするが、信長の逆鱗にふれ梟首される。桔梗は弾正のもとで信長への復讐を願う。そこで、鷹をつかって信長を襲わせるという謀略が企てられる。堺に逗留する韃靼の鷹匠ハトロアンスに教えを乞い、その協力を得て、桔梗自体が女鷹匠の道を歩み出す。そして、安土城にて信長に目通りをかなうところまで計画は進む。だがそこから意外な展開が始まる。
 短編ながら、鷹を育成するプロセスが一つの読みどころだ。この鷹育成についての作者の知識情報と想像力が長編『白鷹伝』の創作につながって行ったのだろう。もう一つが、ハトロアンスと桔梗の関係、最後が思わぬ方向に向かうストーリーの展開。結末を読んでタイトルの持つ意味の重なりに思いをめぐらせた。

「安土の草」
 安土城築城のプロセスにおいて、甲斐の忍者で安土に草として忍び込んでいる男女が信長暗殺を企てることがテーマになっている。安土城築城の棟梁である岡部又右衛門の許に、番匠として入り込んだ庄九郎。そして、飯炊き女として入り込んだ楓。庄九郎にとり楓は「おれの甲斐は、この女だ」の思いがひそむ。
庄九郎は甲斐武田家の乱波組頭に言い渡されて、14歳で大和に行き、松永弾正のもとを経て、興福寺の寺番匠になる修業に入る。時を経て、組頭の命により棟梁岡部の工人に入り込む。信長が安土城築城を岡部に命じ、岡部は数種の天守閣の絵図を準備する。信長がその中から選んだのは、庄九郎が描いた絵図面だった。信長は天主閣と称させる。
 信長暗殺の企てで安土に入り込んだ番匠・庄九郎は、自らの絵図による天主閣を完成させることと、場合によってはそれを焼いてでも忍者として信長を弑せよの受命とのはざまで苦悩する。甲斐武田家は、前年既に長篠にて大敗に喫していたのだ。きかん気で我の強い楓は庄九郎と一緒に信長暗殺を目指すが彼の逡巡する態度に業を煮やし、独断で他の忍者とともに安土城の一角に火を放つ挙に出るが失敗に帰し信長の手勢に捕らわれる。庄九郎の心の地下水脈に棲む怪魚が猛り始める。
 一方で、短編ながら安土城築城の過程、様相がうかがえ、想像するのも楽しい。

「倶尸羅」
 摂津生まれの遊び女・倶尸羅は、備後鞆の津で足利将軍・義昭の相手をしている。義昭から寝物語りに、信長の毒殺を持ちかけられる。江口の里での暮らしに退屈し、義昭に伴われて鞆の津にまできた倶尸羅には、その義昭も気鬱の種になり始める。義昭の依頼を受けた形で、倶尸羅は江口に戻る。
 江口の里の遊び女の長者は、京代官に通じた上で、倶尸羅を信長への献上品として、信長の宿舎妙覚寺に出向く。京都で倶尸羅を受け取った信長は、その後、彼女を安土城に連れて行く。安土城では信長のお召しのかからぬ日々。嫉妬という感情を初めて知る倶尸羅のこころの動き。倶尸羅は明国渡来の毒物を細い竹筒にしのばせて、城に持ち込んでいる。
 遊び女が我が身を道具にするというテーマの故か、作者の作品のなかでは、これが一番性描写が豊かである。(過去に読んだいくつかの長編作品も含めて・・・という意味で。それでも、まあ控え目といえようが・・・・)
 倶尸羅の意図を見抜いている信長と倶尸羅の心身両面の駆け引きがおもしろい。


 この短編集の背景として、『信長公記』(太田牛一著)に史実の記載がある
☆「下針」の戦闘場面関連:
 巻九、天正四年丙子五月 「御後巻再三御合戦の事」の項
 五月五日から七月にかけての状況がここに記述されている。その五月七日の条に、
 「御先一段、佐久間右衛門、松永弾正、永岡兵部大輔、若江衆。・・・二段、滝川左近、蜂屋兵庫、羽柴筑前、惟住五郎左衛門、稲葉伊予、氏家左京助、伊賀伊賀守。三段御備、御馬廻。・・・信長は先手の足軽に打ちまじらせられ、懸け廻り・・・・薄手を負はせられ、御足に鉄砲あたり申し候へども・・・・」とある。これが作品「下針」への想像のふくらみ、創作へとつながっているのだろう。
☆杉谷善住坊のこと:
 巻三、元亀元庚午五月十九日の条  千草峠にて鉄砲打ち申すの事
 「杉谷善住坊と申す者、佐々木左京大夫承禎に憑まれ、千草山中道筋に鉄砲を相構へ、情なく、十二、三間隔て、信長公に差し付け、二つ玉にて打ち申し候。されども、天道照覧にて、御身に少しづつ打ちかすり、鰐の口を御遁れ候て・・・」
 巻六、天正元年(元亀四年を改元)九月十日の条の手前からの記述
 「此の比、杉谷善住坊は、鯰江香竹を憑み、高島に隠居候を、磯野丹波召し捕へ、九月十日、岐阜へ。菅谷九右衛門・祝弥三郎両人御奉行、千草山中にて鉄砲を以て打ち申し候子細を御尋ねなされ、おぼしめす儘に、御成敗を遂げらる。たてうづみさせ、頸を鋸にてひかせ、日比の御憤を散ぜられ、上下一同の満足、これに直ぐべからず。」
☆松永弾正のこと:
 巻六、元亀四年癸酉 (冒頭に)松永多門城渡し進上 付不動国行
 「去年冬、松永右衛門佐、御赦免につきて、多門の城相渡し候。」
 巻十、天正五年丁丑八月 松永謀叛並びに人質御成敗の事
 「大阪表へ差し向ひ候付城天王寺に、定番として、松永弾正、息右衛門佐、置かれ候ところに、八月十七日、謀叛を企て、取出を引き払ひ、大和の内信貴の城へ楯籠る。・・・松永出だし置き候人質、京都にて御成敗なさるべきの由にて、・・・」
  十月 信貴城攻め落とさるるの事
 「十月十日の晩に、・・・・信貴の城へ攻め上られ、夜責めにさせらる。防戦、弓折れ矢尽き、松永、天主に火を懸け、焼死候。」
☆「安土の草」には、巻十三、「能登・加賀両国、柴田一篇に申し付くる事」の項の辰四月二十四日の条の本文がそのまま引用されている。

 歴史小説は虚実皮膜の世界だ。事実をフィクションで織りなす中に、どれだけの真実を読者に感じさせるか。読み手にとっても、そこが楽しみどころなのだろう。


 少し関連事項をネット検索してみた。

松永久秀   :ウィキペディアから

会合衆    :ウィキペディアから

鷹匠 →鷹狩 :ウィキペディアから

杉谷善住坊  :ウィキペディアから

雑賀衆    :ウィキペディアから

鈴木孫一   :ウィキペディアから

雑賀衆と雑賀孫市 

安土城    :ウィキペディアから

安土城の画像集

火縄銃 :「徹底調査 愛知県の博物館 輪廻転生」のサイトから

鉄砲と歴史1 :「未来航路」のサイトから

ご一読、ありがとうございます。



『原発列島を行く』 鎌田 慧  集英社新書

2011-10-13 00:52:35 | レビュー
 本書は10年前に出版された。1999年2月から2001年9月まで、「週刊金曜日」に断続的に連載されたルポルタージュに手が加えられたものである。10年前、多分出版広告を目にしていただろうが、当時この本やこの分野の本をあまり意識しなかった。3.11でショックを受けて、原発への関心の向けかたが不十分だったことに内心忸怩たる思いを抱いた。原発問題についての事実探究を行う一環で、この本を関連資料の一冊として読んでみた。

 10年前の当時のルポルタージュとしてここに描き出された姿。それは、現在もそのまま何ら変わらず連綿と続いているのではないか。原子力のムラ社会がそのまま継続している。そんな思いを強くした。そして、現在の姿を生み出した10年前の実態とプロセスを再確認することで、現在の原発問題の構造が逆に一層鮮明になったという実感だ。

 過去に幾度も現地取材した経験のある著者が、このルポルタージュのために日本列島を北海道から鹿児島まで縦断し、主として原発反対の活動に関わる人々に再会して現状をつぶさに見つめ直し、データとも照合した報告だと言える。現在の原発の姿を成り立たせている実態を知る為には、やはりその背景、過去の実態を眺めて見ることが必要だろう。たとえ、遅ればせながら・・・・という感が伴おうとも。やはり、過去があり、現在がある。過去を知った上で、悪しき現在を断ちきるために、そして未来への対応を図るために。

 著者は、「原発の問題点を挙げれば、その危険性が忌避されて、立地を引き受ける地域がないために、政府と電力会社ともども、すべての問題をカネで解決する風習をつくりだしたことである。バラ撒き政治というなら、これほど露骨で、これほど退廃したやりかたはない」と「あとがき」に記載している。そして、著者は、本書のテーマは、「あらゆる手段を弄し、カネをそそぎこむ、その事例の検証」にあったという。

 本書は17章で17地域をルポしている。10年前と現状のギャップを埋め、連接していくために、各章を読みながら、ネット検索して、電力会社がどこで原子力発電所情報を開示し、原発反対行動の現状の一端をつかめるソースを一部にしかすぎないが抽出し、考える材料にした。

 著者のカバーした地域を北から南下してみると、北海道泊村、青森県六ヶ所村/大間町/むつ市・東通村、新潟県柏崎市・刈羽村/巻町、福島県双葉町・富岡町、茨城県東海村、静岡県浜岡町、岐阜県東農地区、石川県珠洲市、福井県敦賀市、山口県上関町、島根県鹿島町、愛媛県伊方町、鹿児島県馬毛島/川内市となる。(ネット検索の情報は章の順番で列挙した。)

 ルポルタージュは、やはり本文を読んでその臨場感から感じ取っていただくのがベストだと思う。そこで、私が著者の判断、確信、主張等と認識した箇所を抽出・引用してみる。なぜ、そういう記述がでてきたのか・・・・理由や背景を本書で確認いただくとよいだろう。
*原発は地域を発展させるはずだったが、過疎化に歯止めはかかっていない。
*原発の配管に問題が多い。
*原発は地域の民主化の最大の妨害物、というのが、ほかの地域をふくめた、原発地帯を取材してのわたしの結論である。
*原発が、「原子力基本法」に掲げる、「自主、民主、公開」の三原則といかにかけはなれた、キタナイ存在であるかは、すでに原発立地地域での常識である。
*原発にわたしが反対している大きな理由は、すべてカネの力で解決するやり方である。これほど人間をバカにしていることはない。建設の実施は、原発がもっている目的の崇高さとか、人間生活にとっての意味などによって、住民を説得した結果ではない。
*「因果関係を立証できない」というのが、原発推進の科学技術庁の逃げ先である。
*地域にカネをばらまいて立地を推進するやり方は、自治とは正反対のタカリと依存の精神を増殖する。・・・自治体の最高責任者である「首長」たちが、住民の強い反対にもかかわらず、判断停止したフリして、企業や国の意向に迎合してきた実態である。それは自治の放棄といえる。
*中間貯蔵所が、はたして最終処分場に持ち込むまでの、暫定的な置き場ですむのかどうか、肝心の最終処分場の候補地が決まっていないので、まだ不透明だが、再処理工場の「原料」の名目で、核廃棄物を六ヶ所に搬入しつづけているのは、ペテン、といっていい。*電源三法交付金でまかなわれる。といっても、この資金は、電気料金に上乗せした税金によっているのだから、つまりは消費者が支払ったものである。
*これらの過大な施設を考えたのは、村ではない。全国の原発施設を手がけている、「電源地域振興センター」である。この組織が、国の資金を浪費するために、必要以上の施設をむりやりつくらせ、カネを吐き出させている。・・・利権集団である。
*労働省の労災認定基準は、年間5ミリシーベルトだが、「原子炉等規制法」の被曝限度は、年間50ミリシーベルトとなっている。日本の原発が、労働者の被曝を許容しながら運転されているのは、非人道的といってまちがいはない。 (付記:フクシマの原発労働者は今、250ミリシーベルトが被曝限度というのはご存じのとおり。)
*原発への道にはカネが敷き詰められている。(著者の感慨)
*カネがならい性となって、地元にタカリの風習がはびこるのが、原発のもうひとつの危険性である。
*むりやり他人の土地に侵入するしかない存在としての原発は、地元を繁栄させるどころか疲弊させ、被曝ばかりか人間の精神まで荒廃させる。その基本が植民地経営にあるからだ。
*原発は立地してから時間がたつにつれて、ほとんど例外なく、しだいに疎ましい眼でみられるようになる。社会的に受け入れられない企業活動ならば、それは反社会的な行為といえるのではないか、というのが私の率直な疑問である。

 さて、最後に本書の「はじめに」に戻ってみる。著者は冒頭で、こう書いている。
「いまのわたしの最大の関心事は、大事故が発生する前に、日本が原発からの撤退を完了しているかどうか。つまり、すべての原発が休止するまでに、大事故に遭わないですむかどうかである。大事故が発生してから、やはり原発はやめよう、というのでは、あたかも二度も原爆を落とされてから、ようやく敗戦を認めたのとおなじ最悪の選択である。」

 日本は福島第一原発爆発事故という「最悪の選択」をしてしまった。その現実から再出発するしかない。「懲りない人々」の跳梁跋扈に無関心であってはならない。今度こそ。

各章を読みながら、関連項目として関心を広げ、ネット検索した結果の情報をリストする。

六ケ所再処理工場 :ウィキペディアから

六ヶ所村核燃料再処理事業反対運動  :ウィキペディアから

「六ケ所再処理工場の耐震設計」(2008.11.27)

なぜ六ヶ所再処理工場の運転を阻止したいのか :小出裕章氏

六ヶ所再処理工場反対 :「美浜の会」によるサイト


JAEA 東濃地科学センター :同センターのホームページ

ようこそ瑞浪超深地層研究所へ」JAEA

東濃の高レベル研究施設を見学しました
日本消費者連盟関西グループ発行「草の根だより」2001年2月号に掲載されたもの

放射能のゴミはいらない! 市民ネット・岐阜 のホーム・ページ


上関原子力発電所(準備工事中):中国電力のサイトから


The New York Timesのウェブサイトから
Japanese Island’s Activists Resist Nuclear Industry’s Allure
By HIROKO TABUCHI
Published: August 27, 2011
上関原発問題の関連ですが、これほどのボリュームで記事にされていることは特筆すべきことのように思います。祝島の原発反対闘争を中心にした記事です。

STOP!上関原発!

上関原発反対運動 
祝島の視点から見た原発反対運動を紹介


島根原子力発電所 :中国電力のサイトから

宍道断層の東端の認定根拠について :中国電力・島根原子力発電所

さよなら島根原発ネットワーク :同ホームページから

宍道断層 

島根原子力発電所近傍の宍道断層を巡る重大問題とそれへの対応

山陰地域の活構造 :横田修一郎氏の論文


原子力発電について  :関西電力のサイト
美浜、大飯、高浜の各原発のサイトへの入口です

美浜の会
美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会 :同ホームページから

もんじゅ :ウィキペデイアから


伊方原発所 :四国電力のサイトから

伊方原発のプルサーマル問題  :個人ブログ

原発さよならえひめネットワーク

原発さよなら四国ネットワーク



大間原子力発電所の概要 :青森県のサイト

大間の海は宝物、函館の海も宝物、子孫へ残そう宝の海を

大間原発訴訟:活断層想定せず 函館も廃虚に :YouTubeから


珠洲原発を知るために


馬毛島 :ウィキペディアから


川内原子力発電所 :九州電力のサイトから

川内原子力発電所3号機増設関連 :九州電力のサイトから

地球のみどりを大切に 原発なしで暮らしたい!:同ホームページ

反原発・かごしまネットからの公開質問状と本県の回答 :鹿児島県


JCO事故 :原子力安全研究グループのサイトから

JCO事故を考える :小出裕章氏の講演レジュメ
 (講演レジュメのリストの中にあります。)


東通原資力発電所 :東北電力のサイト


柏崎刈羽原子力発電所 :東京電力のサイト

柏崎刈羽原子力発電所の透明性を確保する地域の会
 (東京電力柏崎刈羽原発周辺の住民らでつくる市民団体)

柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会


原発反対運動四十年!石丸小四郎(双葉地方 原発反対同盟代表) 現地報告『福島原発の40年、現状と課題』 

脱原発情報 :プルサーマルに反対する双葉住民会議

脱原発福島ネットワーク


巻原子力発電所 :ウィキペディアから
 2004年2月5日 原子炉設置許可申請の取下げ → 反対派の勝利

「論駄な日々 畑仲哲雄の学問修行」ブログから
2011年2月 4日 (金)
巻町の住民投票とdeliberative democracy(備忘録)
伊藤守・渡辺登・松井克浩・杉原名穂子(2005)『デモクラシー・リフレクション:巻町住民投票の社会学』リベルタ出版 についてのブックレビューですが、参考になります。

巻原発をめぐる情勢


原子力情報 (泊原発) :北海道電力のサイトから

泊原発関連記事一覧  :北海道新聞のウェブサイトから

泊原発営業運転再開と 反対デモのリンク集


浜岡原子力発電所 :中部電力のサイトから

浜岡原子力発電所リプレース計画など :同上サイトから

ストップ!浜岡原発   :同ウェブサイト
東海地震が過ぎるまで、浜岡原発を止め続けましょう!

浜岡原発 のニュース検索結果

浜岡原発を考える会・伊藤実さん講演(3)金と脅しで住民を黙らせた中部電力
:「Liberal Utopia 持続可能な世界へ」ブログから
(2005年4月3日 「ひと・まち交流館京都」にて)

浜岡原発反対原告団 (転載記事) :「ヨットで波乗り&伊勢海老探し」ブログから


放射線災害警報ネットワーク(R-DAN) :同ホームページ

電源地域振興センター
(当ホームページの「ごあいさつ」を見て、別途ネット検索すると、現会長は電気事業連合会会長、理事長は元・官僚、科技庁官房長、中小企業庁長官などを歴任ということがわかる)

原子力発電の現状

原発がどんなものか知ってほしい(全):平井憲夫氏

ご一読、ありがとうございます。




『図説 ビザンツ帝国 刻印された千年の記憶』 根津由喜夫 河出書房新社

2011-10-10 00:27:04 | レビュー
 昔、学生の頃に世界史で「ビザンツ帝国」をわずかばかり学んで以来、全く縁がなかった。本書のタイトルと表紙の画像を見て、手に取って中をペラペラと眺めると、ほぼどのページにも写真が載っている。地中海と黒海の間、コンスタンティノープルを中心としたあの広大な領域には何となく惹かれるところがある。できたら、その一部でも、いずれ訪ねてみたい・・・・漠然とそんな気持ちがあるからだろうか、読んでみる気になった。

 著者は「現代に残るビザンツ所縁の史跡や芸術作品を手がかりに、そこに込められた往時のビザンツの人々の思いを追想する」ことを本書で試みると言う。主としては、教会や聖堂および聖画像が掲載されている。ビザンツ帝国史の研究者である著者の強味を生かして、芸術作品や建築などを「歴史学に引きつけた視点」から説明している。そのため、本文には聖画像や建築について、その技法や様式といった視点にはあまり触れていないが、教会や聖堂が作られた経緯や描かれた人物と歴史的な背景のつながりなどが具体的に語られていく。この本を聖画像などを楽しみながら読み進めて行くと、ビザンツ帝国がどのような位置づけにあったか、この帝国の大きな歴史の流れがどうであったかを、何となく理解できることになる。
 読み手の私にはビザンツ帝国についての知識がほとんどないので、著者の文中に登場する人物名や人々の関係性がすんなりと頭に入ってこないのは残念だ。一方、キリストの傍に描かれた人物たちが誰なのか、なぜその聖画像が描かれたのか、という本文の説明で、往時の人間関係や政治的背景が理解できて、聖画像に託された思いは比較的すんなりと伝わってくる。だから、著者の意図した本書の試みは、たぶん成功していると私は思う。

 ビザンツ帝国の往時を偲ぶ旅は、「新しいローマ」の幕開けとしてのコンスタンチノープル(4~6世紀)から始まり、ラヴェンンナ(6世紀)、テサロニキ(6~8世紀)、カッパドキアからアトス山へ(8~10世紀)と旅し、コンスタンチノープル(10~12世紀)に一旦戻る。再び、バチコヴォとフェライ(11~12世紀)、キプロス(11~12世紀)を巡り、再度コンスタンチノープル(13~14世紀)に帰着する。コンスタンチノープルは「黄金の夕映え」の時代に入っている。最後の旅路は、「辺地を照らす光」となったトレビゾンド(14~15世紀)である。
 コンスタンチノープルの開都式典が成されたのは330年、陥落したのが1453年。この年、コンスタンティノス11世バラオロゴスが戦死し、1461年には、トレビゾンド帝国も滅亡する。

 この本で紹介された聖画像は、一部フレスコ画も含まれているが、その多くがモザイク画である。本書に紹介されている各地に現存する聖画像にも優れたものが多いが、やはり、コンスタンチノープルにある聖ソフィア聖堂の聖画像の数々は、欠損のない保存状態であることも含めて聖画像としては正に圧巻だ。また、コーラ修道院の聖画像も同様にすばらしい。
 イタリア北部に位置するラヴェンナの旅で紹介された聖画像のモザイクもまた、同様にすばらしいと感じた。
 現地で実物に接したら、その規模と作品数に圧倒されてしまうことだろう。本では実物の聖画像の大きさや環境・雰囲気がわからない点、仕方がないが残念だ。

 個人的なことだが、かなり前にイタリア観光旅行をした時、ヴェネツィアの聖マルコ聖堂で見た4頭の馬のブロンズ像や聖堂建物の一角にあった石像の写真が本書に掲載されていた。それがコンスタンチノープルにかつて存在したものだったということを本書で知り驚くとともに、懐かしく思い出した。個人旅行だったし、ガイドブックにはそこまで詳細な来歴は載っていなかったように思う。他の部分にそれ以上の関心があり、目にはしていたがそれほど意識しなかった。その知識が当時あれば、もっと違った思いで眺めていたことだろう。

 もう一つ、横道にそれるが、本書で「穏修士」という言葉に出会った。「修道士」という言葉は知っていたが、穏修士というのは初めて目にした。今この本文をお読みいただいた方は、ご存じでしょうか? 本書では、さりげなく使われているので無意識に読み飛ばすかもしれないが、あれ?っと、無知ゆえに立ち止まってしまった。
 ビザンツ帝国の領域の地名、位置関係なども、本書を読み、多少ネット検索での情報も得て、おぼろげながらマクロなレベルでだが理解できた。この地域に親しみを感じ始めるという副産物を得た。

 著者は研究分野の調査旅行の一環として現地撮影した写真を本書に掲載したと述べておられる。本書での取りあげられた歴史舞台の場所が、個人的な観光旅行でアクセス可能かどうか? ネット検索でリサーチする楽しみが残こった本だった。
 勿論、これを契機に、ビザンツ世界の書物に一歩深く入るという知的好奇心と併せてという意味でだが・・・・・

 本書では、城壁、記念柱、水道橋、遺跡等も取りあげられているが、主には教会や聖堂、聖画像である。そこで、本書に掲載された教会・聖堂の名称を抽出してまとめて見た。
コンスタンティノープル
 聖ソフィア聖堂、ミュレライオン修道院主聖堂(現ポドルム・ジャーミー)、バントクラトール修道院主聖堂、旧ベリブレブトス修道院、コンスタンティノス・リブスの修道院主聖堂、コーラ修道院、パンマカリトス修道院

ラヴェンナ
 聖ヴィターレ聖堂、ガツラ・ブラキディアの霊廟、聖アポリナーレ・イン・クラッセ聖堂、聖アポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂

テサロニキ
 ロトンダ(「円形の建物」の意味)、アケイロポイエトス教会、聖デメトリオス聖堂、聖ソフィア聖堂

カッパドキアからアトス山へ
 シェビンカラヒサル近郊の「聖母」の岩窟修道院遺構、チャヴシンの「大きな鳩小屋」教会、コルトーナの聖フランチェスコ教会(「真の十字架」容器)、トカル・キリセ新聖堂、アトス山麓のラウラ修道院主聖堂、カルスの聖使徒教会

バチコヴォとフェライ
 アセノバクレボスチの聖母(ポドゴリッツア)教会、バチコヴォ修道院、フェライのコスモソーティラ聖堂

キプロス
 バナギア・アブシンティオテイッサ教会、キッコー修道院、バナギア・カナカリア教会、アンティフォニティス教会、聖使徒教会、聖ネオフュトス修道院、

トレビゾンド
 聖アンナ教会、パナギア・クリュソケファラス教会、聖ソフィア聖堂、旧聖エウゲニオス教会、スメラ修道院(洞窟聖堂)、カイマクリ修道院、



 ビザンツ帝国とその地域に関係して入手できるネット情報が結構あることを今回知った。その一端をリストにしてみる。

東ローマ帝国 :ウィキペディアから

テトラルキア :ウィキペディアから

コンスタンティノープル :ウィキペディアから

アヤソフィア ← 聖ソフィア聖堂 :ウィキペディアから

アヤソフィアのホームページ

アヤソフィアの画像集 

カーリエ博物館 ← コーラ修道院 :ウィキペディアから

ラヴェンナ :ウィキペディアから

テサロニキ →テサロニッキ :ウィキペディアから

カッパドキア :ウィキペディアから

アトス山 :ウィキペディアから

バチコヴォ僧院 :「旅人と中欧旅行」のサイトから

聖母就寝バチコヴォ修道院、バチコヴォ村 :オフィシャル観光サイトから

キプロス :ウィキペディアから

トレビゾンド帝国 :ウィキペディアから

トレビゾンド帝国 系譜  :個人ホームページから

スメラ修道院   :個人ホームページから

スメラ修道院 :「阿保の生活」ブログから
 (フレスコ画の写真が載っています)


イスタンブール写真日記 :個人ブログ
「トルコ在住13年目。毎日持ち歩くカメラで異国の日常を紹介します。」
一枚の聖画像モザイク写真から、偶然めぐりあったブログ。写真がきれいです。
(2004/11/19の日記に添付の写真でした。)


「使徒的生活」を求めて-11・12世紀の隠修士運動:桑原直己氏論文

カフカス山脈の隠修士スキマ僧イラリオンの「荒れ野」の修道思想
:渡辺圭氏論文

修道士  :ウィキペディアから


モザイク :ウィキペディアから

イコン :ウィキペディアから

Icon :Wikipedea Commonsから
 イコン画像が沢山掲載されています。

ご一読、ありがとうございます。


『現代霊性論』 内田樹・釈撤宗  講談社

2011-10-08 23:01:29 | レビュー
 「おわりに」を読むと、「二人で”かけあい講義”ってのをやらない?」というプライベートな食事中の会話がきっかけで始まったという。「そんな二人が何のビジョンもなく、一度の打ち合わせもせず、毎回教壇に登場したのだった」と記されている。2005年9月から半年間、神戸女学院の大学院で行われた「現代霊性論」の”かけあい講義”録をもとに加筆、編集した成果がこの本だという。

 二人の講師による対話形式の講義など受けた経験がない。予め準備された資料によるものでなく、テーマはあってもどう展開するかわからない対話のかけあいを講義として聞くというのは、さぞおもしろかったのではないかと思う。それも「霊性」なるものを扱うというのだから・・・・出版されるにあたり、どれくらいの加筆・修正、編集が加わったのか知らないが、対話形式の話言葉を生かした文章なので、テーマのわりには、重苦しくなくて読みやすい。個々の論点を掘り下げるならば、各論の本が何冊も必要になるだろう。そういう意味で、「場と関係性」を「補助線に」、あまり深入りせずに幅広く視野を広げていくやりかたなので、「霊性」という言葉の意味を捉え直すのには役に立つ。

 本書によると、WHO(世界保健機構)の委員会が1998年に「健康の定義」の中に、「肉体的にも精神的にも」に加えて、spiritual(霊的)にも健康であるという側面を取りあげたという。しかしこの側面は最高意思決定機関で否決され、現在の「健康の定義」には入っていない。この「スピリチュアル」、名詞「スピリチュアリティ」と言う言葉は、「魂」とか「精神性」と訳されていたが、現在ほとんどの場合、「霊性」とか「霊的」と訳されているという。
 「霊が現にそこに具体的・計量的な実体として存在していなくても、あたかもそのようなものが存在するかのように機能しているのだとしたら、私たちはそれについて学的に考察できる」(内田)という問題意識から、霊というものの機能について「現象学的」アプローチを試みたのが本書の立場である。「現代霊性論」というタイトルは、「これまでの宗教学が扱ってきた一般的な問題とは少し違う、現在日本に固有の霊性問題の吟味が必要」(内田)という着眼点からきているようだ。時々、古い時代の話にも触れられているが、タイトルどおり現在の日本に焦点があてられる。「近代以降の、産業革命と国民国家と政教分離以後の時代の霊性」という論件として論議されている。取り扱われたトピックスと領域は多岐にわたり、思わぬ方向に対話が展開される。この対話の脱線がおもしろい。思わぬ方向への展開にもかかわらず話者の相手がそれに縦横に対応している点に、著者二人の該博な知識と思考がうかがえ、楽しい読み物にもなっている。

 章立てそのものが講義単位の即興テーマとして生まれたのかどうかはわからないが、本書は、次のように編集構成されている。要点を併せて印象論風に簡略に付記する。
第1章 霊って何だろう?
 霊性という言葉へのさまざまな切り口からのアプローチと講義展開を方向づける。
第2章 名前は呪い?
 名前の呪術性および、死者の霊が「祖霊」への収斂から「霊の個別性」への収斂という変化の方向性が語られる。
第3章 シャーマン、霊能者、カウンセラー -民間宗教者のお仕事-
 教団宗教者が扱わない死者とのコミュニケーションを扱う民間宗教者。またシャーマニズム医療との関係性が語られる。
第4章 スピリチュアルブームの正体
 土俗の宗教性がない都市で占いが流行する理由。幕末から明治にかけて新宗教がブームとなり、1970年代以降、ポスト新宗教(新新宗教)が盛んになってきた経緯。そしてスピリチュアルブームに内在する危険性について語られている。
 「おもな新宗教・ポスト新宗教の推移」の図(p100~103)はこれら宗教の系譜を展望するのに有益だ。
第5章 日本の宗教性はメタ宗教にあり
 大本教(出口王仁三郎)から鈴木大拙、シャーロックホームズ、村上春樹へ、そして「ニューエイジ・ムーブメント」に話題が展開する。その関係性と広がりが興味深い。現代は「宗教の上位概念(宗教の源泉)」に関心が向いているという。
第6章 第三期・宗教ブーム -1975年起源説-
 1975年を分岐点とし、1980年代から「宗教回帰現象」という形でみられる傾向を論じている。宗教が持つ三つの特徴とカルトのチェック・ポイントを語る。「閉じた教団は、要注意ですね。」(釈)
第7章 靖國問題で考える「政治と宗教」
 靖國神社の宗教性と政治性。首相参拝についての賛否両論(小林よしのりVS高橋哲哉)と両論者に潜む共通性を語り、また本書の筆者それぞれの意見を開陳する。
第8章 宗教の本質は儀礼にあり
 宗教に含まれる「行為規範」「ある行動パターン」や「定型化されたコード」「思考パターン」という「儀礼」に関係するものが意外に霊性と直結するという。宗教の「バインド機能」を語る。
第9章 宗教とタブー
 宗教に関係したタブーといわれる事象をいくつか取りあげて語っている。「いただきます」は宗教行為か?/「お清めの塩」問題/儀礼の持つ「裏の顔」/タブーとしての「豚食」など。
質問の時間
 講義出席者の提出した質問に、筆者二人が回答する。身近な疑問にニヤリとする一方で、なるほどと思う回答でもある。

 「霊性」論だけに、本書の展開は宗教が一応の軸になっているが、各章に付記したように、話材の分野は多岐にわたっている。そこから、現在「スピリチュアリティ」(霊性)という言葉が、宗教・土俗信仰や哲学に限らず、さまざまな領域に関係していることが、自ずとわかるようになる。政治、文化人類学、民俗学、文学、教育学、医療、倫理・・・・という具合に。

 本書を読んで、興味を抱いた章句の主なものを引用しておこう(私にとっては覚書として)。考える材料として。

*「他人から与えられた情報が自分の意見」ということは、操作可能な人になってしまっているということです。(第2章・p56)
*今の宗教についてみんながごくあたり前のように共有している「自明の前提」が、どのようにして、いつから共有されるに至ったのか、そういう系譜学的な探究がなされなければならない。(第2章・p57)
*若い人たちが宗教やナショナリズムに走るときって、どうも生活実感が希薄なんだな。・・・・具体的ではっきり持ち重りのする身体実感に根ざしたものが感じられないんです。(第4章・p99)
*現代の霊性を語る言葉の特徴として、自己変容とか神秘主義とか体験重視を挙げることができます。(第4章・p147)
*宗教の一部を自分勝手につまみ食いすると、ストッパーが利かずに宗教の毒が暴走する可能性があると思いますね。(第4章・p110)
*幕末から明治にかけて、神道の新しいムーブメントが興ります。今まで共同体維持が主たる機能だった神道に、個人がどう救われ得るかという問題が提起されてきたのです。これに応えようとした動きの一つが、おそらく「霊学」だったろうと思われます。(p115)・・・日本の現在の宗教には、この霊学の系統が一方にあるということをここで押さえておきましょう。(第5章・p117)
*大本(教)が日本のいろんなポスト新宗教に多大な影響を与えたことがわかります。(第5章・p117)
*(鈴木)大拙が考える霊性というのは要するに、誰もが持っている宗教心とか宗教性のことなんですね。これは、仏教とかキリスト教とか神道とかは関係なく、脈々と人間に流れていますが、それが花開くためには、地下水を吸い上げるための井戸みたいな装置、回路がいる。宗教が井戸なら、霊性は地下水ということになります。井戸がしっかりしたものでないと、霊性の井戸水を汲み上げることができないというわけです。(第5章・p119~120)
*キリスト教が伝統的に考えてきた霊性というのは、・・・・日本の「宗教以前の宗教が霊性」という概念ではなく、「私たちが神を知るために、神がわれわれに賦与してくれたもの」といったイメージで霊性をとらえています。(第5章・p121)
*19世紀のスピリチュアリズムの特徴は、「死後も霊は存在する」「そしてわれわれはその霊とのコミュニケーションが可能である」という思想でした。このような思想の背景にはヒンドゥー教やチベット密教の影響もあつたようです。(第5章・p122)
*「驚かされない」ための秘訣は、いつも「驚いている」ことなんです。・・・自分から進んで驚く。「へえ、こんなことがあるんだ」「これはびっくり」というふうに、説明できないことを日常化していれば、人知を超えるような経験にたまさか遭遇しても「そういうことつてあるよね」で済ますことができる。 (第5章・p134)
*現代霊性のフィールドは、現代人の「何かと繋がりたい」「自己変容したい」という欲求が投影されていることは確かです。(第5章・p148)
*カルトかどうかのチェック・ポイント (第6章・p158)
 ・脱会が困難でないか
 ・家族から隔離されたり、社会からの情報を遮断するような団体か
 ・法外な金品を要求しないか:霊感商法、度重なる寄付行為、ローンを組ませる
 ・外部に仮想敵を設定していないか
*宗教が持つ3つの特徴 (第6章・p159~161)
 ・この世界の外部(体系)を設定する。 :神、来世、前世、法など
 ・「儀礼」の体系を有する
 ・象徴(シンボル)の機能に宗教特有のものがある
   象徴のほうが直接、われわれの心に深く切り込み、繋がる機能をもっていたりす
*どの宗教も、「受容/安定機能」と「自律/創造機能」を両面併せ持っていますが、どうしても宗教によって、どちらかに偏りがちです。(第8章・p108)
*儀礼のポイントは、「共有部分」であり、「境界線」です。社会の中で境界線の入り組んでいる部分に儀礼が発生していくのですが、現代社会ではそういう入り組んだ境界部分、他人との共有部分をできるだけなくしたいという方向性があるのかもしれません。(第8章・p217)
*人間の社会の営みから宗教的なものを全部排除したら、もう人間の生活つて成り立たないですよ。(第9章・p221)
*儀礼は数値化できないものの代表的なものです。こういう数値化できないもの、計量できないもの、それをもう一回見直してみることで、新たな視点が得られるかもしれません。(第9章・p234)
*おそらく儀礼の定義というのは、基本的にはその儀礼の起源を言えないということじゃないでしょうか。(第9章・p251)

 話が多岐にわたっているので、項目的におもしろい、あるいは興味深いものが他にも沢山ある。本書を読んでいただくと、知的対話の展開の面白さがおわかりいただけるだろう。


この本から触発されて、キーワードのいくつかに関連する情報をネット検索してみた。

インターネット持仏堂 :内田樹氏のサイト
インターネット持仏堂の逆襲・教えて!釈住職
現象学  :ウィキペディアから
健康の定義 :WHOの定義
     Mental healthの項の説明文中に記載があります。
Spirituality  :Wikipedia 英語版から
祖霊信仰 → 祖先崇拝  :ウィキペディアから
シャーマニズム  :ウィキペディアから
神道霊学(新興宗教・神道天行居の教説):ウィキペディアから
密教とは何か インド密教の思想と実践
大本  :ウィキペディアから
出口 王仁三郎 :ウィキペディアから 
新宗教 :ウィキペディアから
鈴木大拙 :ウィキペディアから
福音主義 :ウィキペディアから
Evangelicalism  :Wikipedia 英語版から  
New Age Movement → New Age :Wikipedia 英語版から
Cold reading  :Wikipedia 英語版から
コールド・リーディング :ウィキペディアから
神智学協会  :ウィキペディアから
神智学とは :神智学協会ニッポン・ロッジのサイトから
靖国神社問題 :ウィキペディアから
靖国神社問題関連資料
靖國神社について  :靖國神社のサイトから
東西霊性交流とは :「さんが~Samgha~」ブログより
悪魔の詩 :ウィキペディアから
小説 『悪魔の詩』訳者殺人事件 :「無限回廊」の「事件」リストから
ヴィクター・ターナー :ウィキペディアから
Victor Turner  :Wikipedia 英語版から 
メアリー・ダグラス  :ウィキペディアから
Mary Douglas :Wikipedia 英語版から
Liminality :Wikipedia 英語版から
ハレとケ :ウィキペディアから
穢れ  :ウィキペディアから
通過儀礼 :ウィキペディアから
バーイシー・スークワン;魂を強化する儀礼 :「タイの人びと、タイの街角」ブログ
ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル :ウィキペディアから

ご一読いただき、ありがとうございます。

『放射線から子どもの命を守る』 高田 純   幻冬舎ルネサンス新書

2011-10-07 12:44:07 | レビュー
 本書は、子どもを持つ親向けにまとめられた「放射線とその防護法」についての入門書といえる。子どものいない人、あるいは独身者にも基本的な知識を得るのには、手ごろでわかりやすと思う。読みやすい書き方だった。素人の一般読書人として本書を読んだだけだが、部分的にもう一歩突っ込んでいただきたかったところや、多少気になる部分もあった。

 本書は7章で構成されている。最初の4章が著者の主張を含めて、「放射線の基本」「体への影響」「身を守る方法」「子どもへの影響」について知りましょうという形で基礎的な知識の説明となっている。そして、その後少し詳しく理論的に補足説明をする形で「放射線編」「原発編」「放射線災害への考え方」がまとめられている。各章の末尾には、その章の内容について、要点がQ&Aの形式でまとめられている。時間のない人、あるいは多少この分野の情報を見聞されているなら、このQ&Aのまとめと各章の図表を読むだけで、おおよその内容が把握できるだろうと思う。

 一番基礎的な知識は図表にまとめられているが、この部分は多分どの本を読んでも同じようなものだと思う。ユニークなのは、著者が長年の研究にもとづいて2002年に発表されたと言われる「線量6段階区分」表(第2章、p44)だろう。線量レベルを6段階に区分し、各レベルのリスクと実効線量がまとめられ、これを使って説明されている点だ。
 筆者は「はじめ」のところに、「私は福島の現地調査を計画し、実行しました。震災が発生した翌4月上旬に、福島第一原発20キロメートル圏内を含む東日本を、札幌から陸路、青森、岩手、宮城、福島、東京と広範囲に、放射線衛生調査を行い、・・・・・内部被曝を調査しました。」と述べ、「この結果、成人が健康被害を受けない低線量の範囲にあることがわかりました」と結論を記している。
 著者の6段階区分に当てはめると、「筆者の調査では、福島県民は2011年の年間線量は概してレベルDです」(p45)と結論づけている。線量レベルのD区分とは実効線量を2~10mSv(=ミリシーベルト)とし、リスクは「かなり安全」と評価されるものである。ちなみに、E区分は実効線量0.02~1mSvであり、リスク評価は「安全」。F区分は同様に、0.01mSv以下、「まったく安全」、となっている。「福島県以外の国民の2011年の年間線量は概してレベルE、Fです」(p45)と記されている。
 ただ、この本では「放射線衛生調査」がどのような調査方法によるのか、調査データ自体が公表されていない。それでこの結論がどのようにして導かれたのかについて、私は理解できない。また、D区分の線量範囲と「かなり安全」というリスク評価の「かなり」がどういうニュアンスなのかということが解りづらい点、もう少し補足説明して欲しかった。
 
 本書から特に参考になる箇所の要点を列挙してみる(括弧書きの引用以外は、私の理解で要約記載した。)詳細は本書をお読み願いたい。
*外部被曝線量低減の3原則:「距離」「時間」「遮蔽」
*被曝し急性の自覚症状があれば、「急性放射線障害」(p47)の実効線量と症状の対比表で照合すると、自分が浴びた放射線のおおよそのレベルがわかる。
*「放射線を被曝すると、DNAが損傷を受けてがん細胞が発生する確率が高くなる一方で、免疫細胞の機能が低下します」(p51)
*放射線災害から身を守る4つの大原則
 ①放射線を遮蔽できる場所に待避する。
 ②情報をチェックする。
 ③時間が経つのを待つ。
 ④放射性物質に近づかない。
*具体的な対処法:10項目
 1)家族全員でルールを共有する。
 2)事故の地点と風向きを確認する。
 3)放射線量をチェックする。
 4)安定ヨウ素剤を服用する。
 5)屋内待避では気密性を高める。
 6)外出時は肌を露出しない。
 7)クルマでの移動時は外気を遮断する。
 8)緊急避難時は家族で行動する。
 9)事故後1ヵ月は水や食品に注意する。
10)高レベルの放射線を浴びたら治療を受ける。
*農作物は「移行係数」、魚介類は「濃縮係数」が目安となる。
*人体組織の放射線感受性は細胞の種類により異なる(p83の図表4-1参照)
*放射線の影響は、被曝後の「確定的影響」と数年~数十年後に発生する「確率的影響」の2つに区分して考える必要がある。
*被曝時の年齢が10歳以下の場合、将来、乳がんや甲状腺がん、白血病を発症する確率は、大人よりも2~3倍高いとされている。
*自然放射線による年間被曝線量は世界の平均約2.4mSv、日本の平均約1.4mSv
  内訳(日本についての年間線量) 
  宇宙からの放射線 約0.29mSv
  地表からの放射線 約0.38mSv
  体内からの放射線 約0.41mSv
  空気中からの取込 約0.4mSv

 3.11の福島第一原発爆発事故発生から現在までの経緯を見ていると、筆者の具体的な対処法について理解はできるが幾つかの項目についてその実効性において危惧を抱く側面がある。著者はこの点については触れていない。それができるようにせよという立場なのだろうと推測する。私が現状で危惧する側面を該当項目番号で感想として書く。
 2)風向き情報をリアルタイムで報道するしくみとメディア・受信態勢がなかった事実
 3)測定された放射線量がリアルタイムで報道されるしくみがなかった事実
  SPEEDⅠの情報などが公表されたのは初期の放射能拡散が終わってから随分後だった。
 4)安定ヨウ素剤は県レベルで備蓄されていても、その入手方法は?
  今回、事故直後に行政が安定ヨウ素剤を配布したという事実はなかったと記憶する。  なぜ、しなかったのか、その判断プロセスすら明確でないのでは?
10)高レベル放射線被曝の場合、多数の被爆者を想定した治療態勢がシステムとしてあるのか。
 福島第一原発爆発事故後にくり返されている大本営発表的な情報の開示、必要な事実情報の公表の遅延、あるいは情報の隠蔽のような情報操作と思えるような事実が継続するなら、「具体的な対処法」は画餅となる。「放射線から子どもの命を守る」ためにも、現在の原子力村体質や報道のしくみ・体質の変革が同時になされないと、現在稼働中の原発で同様の事象が発生したら、どうしようもないように思うが、いかがだろうか。

 第5章は、放射線についてもっと詳しく知りましょうという理論編といえる。本文の説明はわかりやすい。ただ、ベクレルをシーベルトに換算する方法の説明において、「主な放射性物質の実効線量係数」が例示され、この表からの係数をつかって計算例が説明されている。しかし、この係数表は成人の場合の事例である。そして、本章末に「また、実効線量係数は年齢によっても異なり、乳幼児や小児の場合はより大きくなります」と記されているだけである。本書の主旨からするなら、乳幼児や小児、小中学生の場合の実効線量係数も参考資料として併記してほしかった。

 第6章で、著者は原子力発電の核燃料サイクルと放射性廃棄物の基礎知識について簡潔に説明してくれている。だがその説明は状況説明的記述にとどまる。そこにどういう問題点があるのかまで踏み込んではいない。それは、いま「子どもの命を守る」こととは一線を画すということだろうか。

 第7章で、著者は低線量被曝について、代表的な仮説として、「しきい値なし直線(LNT)仮説」「しきい値仮説」「ホルミシス仮説」の3つを説明する。そして、最終章末尾を次のパラグラフで締めくくっている。
「低線量被曝が体に与える確率的影響については、明確な証拠がないというのが現在の状況です。しかし、影響がないと断定できる根拠がないのも事実です。世界中の専門家や研究者の間では、低線量被曝の問題をどう考えるべきか、最新の知見も踏まえながら議論が続けられています」と。
 著者は、確定的影響については、「しきい値」を基準にして説明されている。また、著者の「線量6段階区分」も「しきいち仮説」をベースにした枠組みと理解した。
 第4章の胎児への影響も確定的影響についての説明が中心のように思う。実際上、本当に知りたいのは、低線量被曝での確率的影響の方なのではないか。区分C(0.1~0.9Sv)とDの間、つまり10~100mSvの範囲で被曝しているかもしれないという懸念だ。また区分Dでの「かなり安全」の「かなり」のニュアンスが含む被曝影響の方に心配の比重があるように思う。著者自身、「問題は、レベルCとレベルDの間です」(p45)と問題指摘している。同じページに、「また、文部科学省は原発事故を受け、子どもの被曝量の上限を従来の年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げました」という事実が記載されている。だが、この記述箇所に関連してどういう確率的影響が出る可能性があるのか等について、著者の具体的見解は記載されていないように思う(私の読み込み不足があるかもしれないが・・・)。このあたり、低線量被曝が専門家の間で「議論中」のことであり、触れようがないということなのだろうか。長年の研究からのご意見とその対策を一歩踏み込んで述べて欲しかった。

 本書は2011年7月15日に出版された。3.11以降、放射性物質が拡散した一番注意すべき当初の期間に、子どもたちが被曝している事実は元に戻せない。「この結果、成人が健康被害を受けない低線量の範囲にあることがわかりました」という結論が適切だとしても、子どもはどうだったのか。この点の調査分析は、これからの課題なのであろう。本書には直接言及されていないように思う。
 放射線について理解を深め、これからの対策を考えるには役立つ本だと思うが、一方で、「いざというとき」の初動状況において、本書の具体的対処法を講じることが無理な世の中の実態が継続すれば、未来の「子どもたちの命」を守ることが難しくなる。読者は、そちらにも目を向けていくことが重要だと思った。
 また、3.11の状況下にあった子どもたちの被曝線量、地表に堆積された放射性物質が厳然として存在する現在において、日常生活の中で「子どもたちの命」をどう守るのか、本書の「具体的な対処法」とは違った状況局面での「具体的な対処法」についても、筆者の見解を述べて欲しかった。3.11以降に現時点の子どもたちが既に影響を受けたかもしれない内部被曝の将来における確率的影響を私は危惧する。


 本書から広がった関心事項をネット検索してみた。そこから波紋として拾ったネット情報も併せてリストにする。

放射線防護情報センターのウェブサイト(高田純氏の主宰)

南相馬1 :YouTube動画 
 高田純氏の活動と講演の記録。どういう立場なのかがわかりやすい。


放射線被曝に関するQ&A :放射線医学総合研究所のサイトから
 40問のQ&Aが載っています。

被曝に関する基礎知識 第6報 :放射線医学総合研究所のサイトから
 乳児、幼児、子供、成人の区分で実効線量計数の例示が載っています。

放射線の性質と影響 :「役に立つ薬の情報~専門薬学」ブログから

日常生活と放射線(資源エネルギー庁「原子力2002」をもとに文部科学省において作成) この図はマイクロシーベルト表記です。


移行係数  :原子力環境整備センター発行の資料

農作物の移行係数 :Metabolomics JP のサイトから

生物圏評価のための土壌から農作物への移行係数に関するデータベース」

水産物の放射能汚染に関する情報(まとめ):「勝川敏雄公式サイト」から

食の安全・出荷や摂取制限 :総理府経由のサイトから
「出荷・摂取制限」「放射性物質の調査、Q&A」「品目ごとの対策」への入口ページ


原子力百科事典 ATOMICA :高度情報科学技術研究機構(RIST)の運営サイト
「分類検索」をクリックすると、「大項目一覧」へのアクセス入口ページです。
放射線影響と放射線防護」という大項目があります。

放射能を正しく理解するために :文部科学省
2011.8.19に「教育現場の皆様へ」の副題で発表した資料

武田邦彦氏のホームページ・特設の2
項目一覧のページ:
お母さんが子供を守るための武器(1) 暫定基準値は危険
魚介類と土の汚染・・・どのぐらいか?
倫理の黄金律と牛乳・粉ミルク
など、いろいろな観点での著者意見が述べられています。

福島県土壌調査結果

低線量放射線被曝とその発ガンリスク :今中哲二氏論文

放射線の発ガン危険度について -ICRPリスク係数の批判- :今中哲二氏論文


チェルノブイリ原子力発電所事故から25年 :グリーンピースのウェブサイトから
動画です。字幕つき。

Chernobyl Accident 1986 :World Nuclear Associationのウェブサイトから



ご一読いただき、ありがとうございます。



『運命の地軸反転を阻止せよ』 クライブ・カッスラー&ポール・ケンプレコス 新潮文庫

2011-10-03 01:27:13 | レビュー
 NUMAファイルとしては6冊目になる。これは国立海中海洋機関(NUMA)特別出動班を率いるカート・オースチンを主人公に、そのチームが活躍するシリーズだ。NUMAの組織で大活躍してきたダーク・ピットはいまや、NUMA長官となっている。このNUMAファイルでは、ほんの少し顔をのぞかせる程度にとどまる。

 今回の話は、スケールが大きい。翻訳本のタイトルにある如く、地軸(北極~南極)を反転させ世界を混乱の極に陥れようとする陰謀を阻止すべく、カート・オースチンと彼のチームが敢然と立ち向かうというもの。科学的事実をベースにフィクションが融合され、ダイナミックなバーチャル物語の世界が展開されていく。クライブ・カッスラーの海洋冒険小説の持ち味が縦横に発揮されている。
 
 プロローグは1945年東プロイセンのシーンで始まるが、この小説もまた「現在」の場面に日付けがない小説だ。1945年、第二次世界大戦さなかに反ナチス組織の一員であるカール・シュレーダーがドイツに拉致されたラスロ・コヴァチというハンガリー人科学者を救出する場面から始まる。東プロイセンに進攻するロシア、退却するドイツ。シュレーダーとコヴァチは、兵士や避難民を収容した<ヴィルヘルム・グストロフ>号に紛れ込んで乗船する。この船舶、実在した難民輸送船なのだ。魚雷の命中で船が沈没して、史上に名高い<タイタニック>で亡くなった人々の5倍にあたる命が失われたのだ。あまり知られていない史実が冒頭から盛り込まれている。私自身、ネットで検索して初めてこの史実を知った。

 話が「現在」に飛ぶ。<サザン・ベル>という高速で堪航性のある新世代の船舶が巨大波に巻き込まれて行方不明となる。一方で、カート・オースチンはワシントン州シアトルのピュージェット湾でカヤックレースに参加しているとき、湾に棲息している群れたシャチがレースの中に移動してきて暴れだす災難に遭遇する。シャチが人を襲うという習性がないのに、この異常事態が起こる。先頭のカートがまずシャチに襲われるが、かろうじて難を逃れ、禿げ頭に蜘蛛のタトゥーを刺青した男・バレットのボートに救助される。だが彼はその船のデッキにはなぜか奇妙な電子装置が積まれていたのを目撃する。ニューヨーク市では、抗議行動が暴動化し、大型スクリーンの映像電波がハイジャックされる事態が発生する。現在はモンタナ州ビッグマウンテンに名前を変えて居住するシュレーダーがある組織に雇われた男達に襲われる。
 これら、さまざまな事象が、地軸反転という陰謀への序章になる。

ストーリーは複数の行動が併行して進展していく。一つはNUMA側。オースティンは特別出動班班員のジョー・バサーラと<サザン・ベル>の探索を行う。一方、同じNUMAのガメーとモーガンのトラウト夫妻は海洋調査に加わり、ゾディアックで海水の採集中に、空の閃光を見、巨大な海洋渦発生に遭遇する。オースティンとバサーラがその救出に向かうのが一つの読みどころだ。この救出過程での発見が鍵になり、オースティンの推理、事象解明への糸口になっていく。
 もう一つは、地軸反転の計画を実行しようとする側の動き。オースティンを救助したバレットは実はこちら側の主要人物の一人だった。バレットはネオ・アナーキストと自称するマーグレイブと当初この計画を進めていく。この計画には<コヴァチの定理>が装置開発の礎になっている。コヴァチは電磁戰に関する論文を発表していた人物だったのだ。マーグレイブはコヴァチの行方を調べ、彼の研究資料をバレットに手渡す一方、コヴァチの孫娘カーラ・ヤノスの存在をつかむ。また、マーグレイブと共謀するジョーダン・ギャントという人物が登場してくる。
 さらに、カーラ・ヤノスは、マンモスの研究チームに参加する目的で、東シベリア海にあるアイヴォリー島に出かけるという話が併行して展開していく。ギャントがある筋に指示して、ヤノスを拉致し彼女に尋問させようとする。襲われた危機を脱したシュレーダーは、コヴァチの孫娘ヤノスを危機から救出するべく独自の行動を取る。ばらばらの事象に撚りがかかっていく。

 後半は、ヤノスをめぐり拉致側と救出側の活劇がストーリーの一つの山場になる。アイヴォリー島には、進化し小型化したマンモスが現存していて、火山の底に地下都市があったという設定は楽しいかぎりだ。そして、ヤノスが祖父コヴァチから教えられ記憶していることが結果的に重要な要因として地軸反転の阻止に結びついて行く。
 一方、バレットはマーグレイブの考えに同調できず、さらに殺されかかったことが契機となり、オースティンに接触し協力していく行動を選択する。オースティンの推理にバレットの説明が加わり、地軸反転計画の全貌が把握できるようになる。そして、ポール・トラウトが地軸反転のコンピュータ・シュミレーションを行うと驚愕する予測が出る。そこから、本格的な地軸反転の陰謀への阻止行動が開始される。これが最後のクライマックスへ向かう最大のストーリー展開となる。

 ウィキペディアの「ポールシフト」の項によれば、「実際に、地球の地磁気は過去100万年あたり1.5回程度の頻度で反転していることが地質的に明らかである」、「海洋プレートに記録された古地磁気の研究(古地磁気学)によって、数万年~数十万年の頻度でN極とS極が反転していることも知られている」という。こういう事実を踏まえ、電磁気学理論を絡ませて、虚実を織り交ぜて話が展開されている。
 また、ヤノスがアイヴォリー島に到着してから、現地で調査チームのメンバーを紹介される場面がある(上巻・p216)。そのメンバーに、「岐阜科学技術センターと近畿大学の研究に」関係する佐藤博士、「鹿児島大学の獣医」の伊藤博士が登場する。この小説になぜ実在する近畿大学や鹿児島大学が出てくるのか?鹿児島大学の名称がなぜ出てくるのか推測できなかった。しかし近畿大学の方は、「ロシア共同マンモス復元プロジェクト」という形で「顕微授精の世界的権威である近畿大学生物理工学部入谷明教授のグループが加わり、岐阜県もこれを支援しています。」という事実が、岐阜県畜産研究所飛騨牛研究部のホームページに掲載されているのを発見し、また関連記事も見つけた。こういう研究事実を下敷きにして、組織名称が採り入れられたと推測する。ちょっとした疑問から、私にとっては意外な事実を認識した次第である。岐阜科学技術センターそのものはネット検索でヒットしなかったので、岐阜県畜産研究所のことをアレンジした名づけかもしれない。「岐阜県先端科学技術体験センター」というのは実在するが、この組織の活動内容からすると本に出てくる名称にマッチングしない。ここもまた、虚実がうまく織り交ぜられている一例だろう。
 本書のマンモス調査に、幼いマンモスがその形状のままで発見されたという話が出てくる。これも、「リューバ」と名づけられたマンモスの発見事実が下敷きになっている一例だと推測する。

 事実をベースに虚構を織り交ぜて紡ぎ出されていく壮大な海洋冒険小説の醍醐味を今回も満喫できた。


NUMA特別出動班カート・オースティンの活躍シリーズを一覧にまとめておこう。
新潮文庫の翻訳版発行年月を参考に付記する。

『コロンブスの呪縛を解け』 2000/6
『白き女神を救え』 2003/4
『ロマノフの幻を追え』 2004/8
『オケアノスの野望を砕け』 2006/7
『失われた深海都市に迫れ』 2010/8
『運命の地軸反転を阻止せよ』 2011/7


本書を読む途中および読後に、関心事項の事実情報についてネット検索してみた。
虚実のつながり、空想の広がりを楽しむためにも、事実部分を押さえることはおもしろいし、あらたな発見にもなる。

難民輸送船ヴィルヘルム・グストロフ> ::ウィキペデアから

Wilhelm Gustloff - The Greatest Marine Disaster in History
 :MilitaryHistoryOnline.comのサイトから 


巨大海洋波・Freak Wave の発生機構の解明と予測
-海洋流体力学の一章として-

Freak Wave - programme summary :BBCのScienceサイトから

Freak Wave - questions and answers :BBCのScienceサイトから



地軸   :ウィキペデアから

電磁波  :ウィキペデアから

地磁気  :ウィキペデアから

地球の磁場とはなにか :「電気の歴史イラスト館」のサイトから

宏観異常現象  :ウィキペデアから

ニコラ・テスラ :ウィキペデアから

Nikola Tesla Museumのウェブサイト

海底調査法 :Marine Information Research Centerのサイトから

曳航式深海探査システム :JAMSTEC(海洋研究開発機構)のサイトより

2010年「みらい」北極航海で観測された巨大暖水渦と生態系へのインパクト

ファゾム :ウィキペデアから


ポールシフト :ウィキペデアから

The Polar Shift by Dan Eden

極移動 :ウィキペデアから


世界最大級の原子力砕氷船「ヤマル」号 :GIZMODEのサイトから


チューブワーム :ウィキペデアから

tubeworm(棲管虫)の画像集


マンモス :ウィキペデアから

リューバ(マンモス) :ウィキペデアから

リューバ・4万年の目覚め~ベビーマンモス解析大作戦~ :NHK ONLINEサイトから
 動画を見ることができます。(画像をクリック)
ロシア共同マンモス復元プロジェクト :岐阜県畜産研究所飛騨牛研究部

ゾウの「代理母」を使ったマンモス復活計画、近畿大 :AFPBB Newsのサイトから
2011年01月18日 16:20


ロスアラモス国立研究所 :ウィキペデアから


洞窟の比喩 :ウィキペデアから


カヤック :ウィキペデアから

人力ボートのいろいろ :堀内浩太郎氏の講演

パラグライダー着陸動画 :YouTubeから

モーターパラグライダーの離陸と着陸 :「動画映像おもしろ大全集」のサイトから



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