遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『茶道太閤記』 海音寺潮五郎 文春文庫

2021-09-21 22:44:46 | レビュー
 以前に『千利休の功罪』(pen books)の読後印象をご紹介した。この本で本書を知った。海音寺潮五郎の戦前の代表作といわれている。「東京日日新聞」(昭和15年7月12日から12月28日)に連載された小説である。”『茶道太閤記』で描かれた利休と秀吉の対立関係の構図が、野上弥生子の『秀吉と利休』や井上靖の『本覚坊遺文』といった、その後の利休モノでも踏襲されることになる。”(上掲書、p116)と記されていたので関心を抱いた。近年の利休モノを数冊読み継ぎ、やっと利休モノ小説の魁けになるような本書に溯ってみたくなった。1990年2月に文庫本になっている。入手した手許の本は1996年1月の第2刷。

 海音寺潮五郎は、中編『天正女合戦』という小説で第3回直木賞を受賞した。この小説を原型として新聞連載の長編小説に仕上げたのが本書という。このストーリーの骨格はスッキリとわかりやすい。つまり、そこには重層的に「対立」する構造が絡まり合う姿が展開するが、それが明瞭に描かれている。政治に私情が混淆され、そこに茶の湯が介在していく。その状況が変転する。そこがおもしろい。
 どういう対立構造が存在し、重層的に絡まりながら描かれるか。
1. 豊臣秀吉と千利休の確執
 秀吉は武家政治という俗世間の頂点に君臨する。千利休は茶の湯という文化の頂点に君臨する自負を持つ。文化はいわば美を求める聖の世界である。政治の世界とは別次元である。
 俗世間の覇者は、あらゆるものが己の支配下にあり自由にできると思う性がある。対立はそこから必然的に発生する。次元の異なる世界でのそれぞれの覇者が対立する関係となる。タイトルの語句を茶道=千利休、太閤=豊臣秀吉と解すれば、利休秀吉記であり、二人を象徴することで、その対立を示していることになる。茶道を上に持ってくるところにも一つの意味が込められているかもしれない。
2. 西の丸様(お茶々=淀君)派と北の政所様(お寧々=秀吉の正妻)派の確執
 お茶々は織田信長の血筋であることに矜持を持つ。秀吉に両親を殺され、秀吉が織田家を踏みにじる結果となった現状について、腹の底では憎悪をたぎらしている。一方でお茶々は秀吉との関係が深まるにつれ愛憎の狭間に入って行く。また、秀吉の大奥においては己が秀吉の寵愛を受ける頂点に立って当然という強烈な思いがある。
 西の丸様には京極殿。政所様には三の丸殿や加賀殿。それぞれが連なる。
 西の丸様には、石田三成、小西行長を始め若手官僚派(文吏派)。政所様には秀吉子飼いの武将連(武人派)がそれぞれ連なり、両者に対立反目意識が醸成されていく。
3.キリシタン禁止政策推進側とキリシタン信仰容認推進側の対立
 石田三成は秀吉が禁止令を出した政治的背景を当然のことと擁護する。一方、キリシタン信仰堅持は高山右近がその象徴として描かれる。利休の高弟の一人である高山右近がストーリーの周辺で一端の関わりを担っていく。
 これらの対立がその濃淡をみせながらも絡み合い、ストーリーがおもしろく織上げられていく。

 このストーリーの興味深いのは、秀吉と利休の対立そのものを中心にストーリーがストレートに描き込まれるのではないところにある。宗易(利休)の娘・お吟が関わる様々な状況の経緯がストーリーの表ではクローズアップされていく。
 秀吉が九州征伐を終え、大坂城に戻った直後の時点からこのストーリーが始まる。
 宗易は70歳、娘のお吟は24歳。お吟は18歳の時、父の茶道の弟子である堺の豪商万代屋宗安の許に嫁いだが、満2年にもならずに夫と死別した。宗易が娘を引き取った。お吟はいわば出戻りである。そのお吟は、この頃大坂城の大奥で茶の湯を指導する役割を担っていた。
 北の政所様がお茶々様を主客に三の丸殿、加賀殿とともに招く茶会を持とうとする。事前にお吟を呼び寄せ、お吟が驚くほどの希少な花を活けさせ、手許にお吟を引き留めるという行動に出る。それがその後の様々な事象や騒動との関わりの発端となる。その花は、佐々陸奥守成政が政所様に手土産として持参した希少な黒百合の花だった。佐々成政は秀吉から武功を認められ、九州肥後の国に転封することになる。その前の御礼訪問として政所に秘花黒百合を持参したのだ。
 政所様はこの花を茶会の席に飾り、お茶々様を驚かせようと意図していた。その思いつきが、争いを重ねる端緒として転がり始める。様々な解釈や思惑が加わり、悲劇を将来するうねりとなっていく。
 政所様に呼ばれたお吟のことを知るお茶々は、西の丸にお吟呼び寄せ、政所様の茶会の仕掛けを事前に知ろうとする。お茶々は茶会の席で政所様の鼻を明かしたいのだった。
 一方、秀吉は政所様を訪れ、ある場所で茶会の膳の献立を工夫しているお吟を偶然目に止め、いつもの好色な思いを秀吉流のふざけ心で行動に移した。だれも拒否しないという天下人の自負がある。だが失敗する。秀吉の魔手を逃れたお吟は西の丸に足を踏み入れる羽目になる。
 お吟に逃げられた秀吉の複雑な思いは心中深くに一旦は沈潜する。だが、徐々に高まりをみせ、いつしか己の側妾にするという欲望になっていく。

 政治という俗世間の覇者である秀吉が、茶の湯という文化、美(聖)の世界の覇者を自負する利休の領域をも俗の権力で侵犯してはばからない姿勢を示すことになる。その接点としてお吟が絡んでくるという進展を見せていく。

 この明瞭な骨格に重層的に対立する構造が、様々な形でリンクして、絡み合っていくという展開がおもしろい。

 例えば、政所様が設定した茶会は、政所様派と西の丸様派の対立が形を変えてぶつかる場になる訳だが、お吟は両派の争いの間で苦境に陥る。その原因が黒百合の花。佐々成政はその花が秘境に咲く花として手土産にした。だが、秀吉が大奥で花供養を大仕掛けにした花活けの腕くらべを期日を設定して命じた。その腕くらべの当日、京極殿の住まいの前に置かれた大きな瓶におびただし黒百合が無造作に投げ込まれている形で現れる。秀吉はそれに驚嘆し、一方政所様は茫然となる。政所様の思いは成政への不信に振れていく。茶室の黒百合が因となり、お茶々様の反撃がここに出た。その黒百合は石田三成が裏でその入手手配を画策していた。その黒百合を入手した後に大坂への運搬途中でトラブル起こる。そのトラブルは別の因にもなっていく。因果の巡りが方々に連鎖していくのである。そして再びお吟との関わりを生み出すことにもなる。
 読者を惹きつける負の連鎖というべきものが禍福を伴いつつ進展していく。

 このストーリー、最後は利休の切腹というクライマックスでエンディングを迎える。
 だが、この小説では利休が秀吉の命を受け、切腹して果てるのは堺の千家屋敷においてという形で描かれている。私はこの設定の小説を初めて読むことになった。
 本書は、利休切腹の大きな要因にお吟の関わりを描き込んでいる。当事者お吟はどうなったのか。このストーリーが読者を惹きつけ読了させる大き要素はそこにある。お楽しみいただきたい。
 
 ご一読ありがとうございます。

これまでに、茶の世界に関連した本を断続的に読み継いできています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。

=== 小説 ===
『利休とその妻たち』 上巻・下巻   三浦綾子   新潮文庫
『利休の闇』 加藤 廣  文藝春秋
『利休にたずねよ』 山本兼一 PHP文芸文庫
『天下人の茶』  伊東 潤  文藝春秋
『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編』 澤田ふじ子  徳間書店
『古田織部』 土岐信吉 河出書房新社 
『幻にて候 古田織部』 黒部 享  講談社
『小堀遠州』 中尾實信  鳥影社
『孤蓬のひと』  葉室 麟  角川書店
『山月庵茶会記』  葉室 麟  講談社
『橘花抄』 葉室 麟  新潮社

=== エッセイなど ===
『裏千家今日庵歴代 第二巻 少庵宗淳』  千 宗室 監修  淡交社
『利休とその一族』  村井康彦  平凡社ライブラリー
『利休 破調の悲劇』  杉本苑子  講談社文庫
『茶人たちの日本文化史』  谷 晃   講談社現代新書
『利休の功罪』 木村宗慎[監修] ペン編集部[編] pen BOOKS 阪急コミュニケーションズ
『千利休101の謎』  川口素生  PHP文庫
『千利休 無言の前衛』  赤瀬川原平  岩波新書
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社
『利休の風景』  山本兼一  淡交社
『いちばんおいしい日本茶のいれかた』  柳本あかね  朝日新聞出版
『名碗を観る』 林屋晴三 小堀宗実 千宗屋  世界文化社
『売茶翁の生涯 The Life of Baisao』 ノーマン・ワデル 思文閣出版