遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『QED ~ortus~ 白山の頻闇』  高田崇史  講談社NOVELS

2019-07-27 10:44:44 | レビュー
 2017年11月に出版されている。QEDシリーズでは現時点で最新作のようである。
QEDシリーズの中で、「ortus」というラテン語が付されたのはこれが最初になる。「ventus」(風)、「flumen」(時の流れ/流れ・水流)につづいて、「ortus」が加わった。ネット検索でその意味を調べると、「誕生」「上昇、存在」という意味だという。

 さてタイトルは『白山の頻闇』となっているが、本書にはもう一つ『QED ~ortus~ 江戸の弥生闇』が併載されている。前者は実質124ページ、後者は82ページであり、中編2本で構成されているといえる。見た目の共通点は、タイトルの最後が「闇」という文字である。桑原崇が闇に光を当てることか・・・・と連想したくなる。

 『白山の頻闇』からご紹介する。目次を見ると、プロローグとエピローグの間は5章構成で、「白い○」という見出しに統一されている。タイトル「白山」に因むのだろう。○の箇所には、「死、乱、厄、魔、姫」の一字がそれぞれ付されている。これらの文字の頭字をつなぐと、「しらやま姫」となる。
 白山(はくさん)は、手許の辞書を引くと「岐阜・石川県境にある火山。標高2702m。信仰の山として知られる。白山火山帯の主峰で白山国立公園の中心。」(『日本語大辞典』講談社)とある。つまり、白山信仰の拠点である。ここには、加賀国一の宮の「白山比咩(しらひめ)神社」がある。全国三千社ともいわれる「白山(はくさん)神社」の総本宮であある。白山比咩神社の祭神は白山比咩大神で、菊理媛神と、伊弉諾尊・伊弉冉尊が祀られている。菊理媛神が「しらやま姫」として章見出しに読み込まれるという隠し言葉になっているようである。
 
 『プロローグ』は、「日本最古の正史『日本書紀』に、たった一行だけ姿を現すが『古事記』には全く登場しない女神がいる。それは、菊理姫神。」という書き出しからはじまる。その末尾は「私は男の首すじ目がけて、力の限り鉈を振り下ろした」で閉じられる。 つまり、殺人事件が発生したことから始まる。一方、菊理媛神の提示は桑原崇の究明にリンクすることを予期させる。
 このストーリーは、棚旗奈々より一足先に結婚した妹・沙織が新居を構えている金沢を訪れた際の話である。結婚2年目の沙織から、新婚家庭に遊びにこないかという誘いがあったことが発端となっている。沙織が崇も誘ってはどうかという発案があった。奈々が崇に話すと、金沢行きをあっさりOKしたという次第。一泊二日の旅程を組み出かけることのなったのである。崇は白山神社の総本宮に参拝したことがないので、ぜひこの機会に行ってみたいという。つまり、白山信仰並びに菊理媛神の謎に崇が踏み込んで行くことになる。
 小松空港を経由して金沢に着くと、二人はまず白山比咩神社を訪ねた。白山比咩神社~獅子吼高原(後高山)~白山比咩神社の古跡『安久濤の森』の水戸明神を訪ね、加賀一の宮駅に戻る。携帯の電源を入れ忘れていた奈々は電源を入れて、妹の沙織に連絡をするなり、とんでもない話を沙織から聞かされることになる。
 夫・隆宏の知り合いのおじさんの死体が手取川のそばで見つかり、首が切り落とされていたという事件が起こった。隆宏の兄が入院した上に、夫・隆宏が警察に呼び出されているという。妹の沙織は動顛してしまている。奈々と崇は金沢でも殺人事件に巻き込まれていく羽目になる。まずは沙織の自宅のある西金沢に向かうことに。だが、その移動の間にも崇は普段と変わることなく、白山信仰がらみの話を続けていく。
 
 このストーリーの構成のおもしろいところは、崇の白山に関わる謎解きの推理の進展とパラレルに、殺人事件の波紋が次々に展開されて行く。そして事件の全体像は崇の協力を必要とせずにほぼ明らかになていく。だが、被害者に恨みを抱いている人間捜しは捜査のムダになる気がすると、崇が持論を刑事たちに伝えることで事件に関与することになる。事件の見方をひっくり返すような推理を語り始める。この事件には白山信仰が関わっているという崇の推理の展開が興味深い。
 このストーリーの読ませどころは、寺社参拝と殺人事件のすべてが一つの視点で繋がって行くことにより、菊理媛神の謎、白山信仰の意味、それら全体に関わる白山の謎が崇流に解き明かされるところにある。

 それでは、『江戸の弥生闇』に移ろう。
 こちらは、内表紙の次に、樋口一葉著『たけくらべ』からの引用文が載せられている。その次の目次がおもしろい。8章構成で見出しは二字。「春宵、陽春、春夢、惜春・・・・」という風に、「春」が上・下・上・下と順次使われていく。これも遊び心の表れか。
 こちらは一種の回顧ストーリー。時を溯ったストーリーになる。
 棚旗奈々が明邦大学1年生になった時に溯る。奈々が中島晴美がすでに入会している「オカルト同好会」の部屋に誘われて一緒に行き、ものの弾みで入会するとともに、桑原崇にこの部屋で出会った顛末が明らかにされる。これは「陽春」から始まるストーリー。
 それでは冒頭の「春宵」は何か。昭和60年(1985)の立春の少し手前の季節、豪華マンションの一室に住む若山紫(わかやまゆかり)の生活描写と思いから始まる。彼女は年齢からすれば手の届かない豪華マンションに住めるのは、有賀寬司という二回り以上も年上の男の愛人となっているからである。部屋で雑誌をてにした紫は特集記事にふと目がとまり、江戸・吉原の遊女についての記事に惹かれていく。
 
 オカルト同好会では、都内で最近幽霊が現れる場所があるという噂があるので、そこに行ってみようという話が持ち上がる。それは、荒川区、南千住。三ノ輪の淨閑寺の辺りだという。淨閑寺は吉原の遊女の投込寺として有名な寺である。その近くの豪華なマンションの一室で、2年ほど前に、独り暮らしの若い女性が自殺したらしいという。その女性の怨霊が幽霊として出ているのではないかという。
 同好会として現地に行く話は結局頓挫してしまい、行きつけの喫茶店でののお茶で閑散となる。しかし、この後、先輩の小澤広樹と桑原崇が同じ方向ということで声をかけられ、淨閑寺の話題が再燃し、奈々と晴美は淨閑寺の現地探訪に同行するという展開になる。 数年前の若山紫のストーリーと奈々たちの淨閑寺への行程ストーリーが、パラレルに進行していく。
 全く異質なこの2つの流れがどのように交わっていくのかが興味深いところとなる。

 このストーリーは、奈々が崇が寺社巡りとお墓参りを趣味とすることを知り、崇の博覧強記ぶり、蘊蓄話と推理力を実体験する機会となる。
 淨閑寺に向かう道中で、崇は吉原についての蘊蓄を語り、淨閑寺への予備知識を奈々たちに伝えていく。読者もその聞き手に加わることで、ストーリーに引きこまれて行くことだろう。私はそうだった。江戸時代の吉原という廓の実態をかなり奥深く理解できる。
 また、「神谷バー」やデンキブランというカクテルというレトロな話、この有名店の描写も出て来ておもしろい。さらに崇の話は、刑場と遊郭との位置関係にも及んでいく。極めつけは、吉原でトップの花魁だった勝山太夫についての崇の推理である。さらに、同時期の明暦の大火、いわゆる「振袖火事」の真相推理に及ぶ。これらの推理は本書でお楽しみいただきたい。

 このストーリー、一応は幽霊事件の真相を崇が解明することでエンディングとなる。そこには意外な事実が隠されていた。
 そして、本当の最後のエピソードがさらりと、それから十数年後の有賀寬司のことが記されている。このエピソードがあるから、このストーリーは救われる。読者にとっての読後の印象のおさまりががよくなる。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
白山ベストガイド :「白山観光協会」
白山比咩神社  ホームページ
  白山信仰と白山比咩神社
  白山信仰
白山信仰  :ウィキペディア
白山信仰の謎①~白山信仰とは~ :「神旅 仏旅 むすび旅」
大嘗祭の前に参拝したい「白山神社」が令和にもたらす効果  :「女性自身」
吉原遊郭娼家之図  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
吉原遊郭 :ウィキペディア
新吉原之図  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
明治27年、昭和33年  「吉原遊郭」の地図。 吉原 地図
:「サンバ イベント & 浅草 サンバカーニバル 浅草の空 Ⅱ」
江戸時代の吉原遊廓の幼い少女たち「禿(かむろ)」が一人前に女郎デビューするまで:「Japaaan」
男目線の夢妄想を取り除いたら、遊郭は単なる「生き地獄」だった 蛭田亜紗子
江戸時代における吉原遊廓の実態と古写真。遊女たちの性病・梅毒 :「NAVERまとめ」
遊女達の歴史が眠る街「吉原遊郭跡」を徹底調査した!  :「知の冒険」
丹前勝山  :「コトバンク」
図解で早わかり!吉原遊郭の雑学! :「ギチギチマガジン」
浄土宗栄法山淨閑寺  ホームページ  
  史跡  
待乳山聖天  ホームページ  
待乳山聖天 :「浅草寺」
神谷バー  ホームページ 
  デンキブランとは   

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徒然に読んできた作品のうち、このブログを書き始めた以降に印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。(シリーズ作品の特定の巻だけの印象記も含みます。)
『QED ~flumen~ 月夜見』  講談社NOVELS
『QED ~flumen~ ホームズの真実』  講談社NOVELS
『古事記異聞 オロチの郷、奥出雲』  講談社NOVELS
『古事記異聞 鬼棲む国、出雲』  講談社NOVELS
『卑弥呼の葬祭 天照暗殺』 新潮社
『神の時空 京の天命』  講談社NOVELS
『鬼門の将軍』   新潮社
『軍神の血脈 楠木正成秘伝』  講談社
『神の時空-かみのとき- 五色不動の猛火』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 伏見稻荷の轟雷』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 嚴島の烈風』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 三輪の山祇』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『七夕の雨闇 -毒草師-』  新潮社
『毒草師 パンドラの鳥籠』 朝日新聞出版
『鬼神伝 [龍の巻] 』 講談社NOVELS
『鬼神伝』 講談社NOVELS
『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS


『QED ~flumen~ 月夜見』  高田崇史  講談社NOVELS

2019-07-22 13:24:12 | レビュー
 QEDシリーズは『伊勢の曙光』で終了したと思い込んでいて、『伊勢の曙光』を読了後、QEDを意識しなかった。ところが、前回『ホームズの真実』で書いたように、その後にもQEDシリーズが出版されていた。2016年11月に本書が出版されている。
 高田崇史ONLINEサイトでは、インタビューに答えて著者自身がQED本編は『伊勢の曙光』で完結したと述べている。その一方で、3年2ヵ月ぶりの『QED ~flumen~』上梓と述べられているので、QEDを復活させたという意識ではなさそうだ。QEDを冠するシリーズは「時の流れのままに」書き継がれていくということのようである。

 タイトルは『月夜見』だが、「つくよみ」とルビが振られている。この小説では、京都の洛西にある松尾大社から南に400mほど行った場所に位置する「月読(つきよみ)神社」が舞台となっていく。月読神社の祭神は「月読命」である。月読命の別名は、月弓尊(つきゆみのみこと)、月夜見尊である。

 ストーリーに入る前に、まず、目次に着目しておこう。プロローグとエピローグの間に、「月の○」とネーミングされた4つの章がある。○の部分には、「罪(つみ)」「隅(くま)」「妖(よう)」「澪(みお)」の一語が順番に付されている。これらの読みの頭字をよんでいくと「つくよみ」となる。今回も章のネーミングに知的遊び心が隠されている。

 本書の内表紙の次に、「今は入らせたまひぬ。月見るは忌みはべるものを」というフレーズが記され、『源氏物語』紫式部、と出典が記されている。調べてみると、第49帖「宿木」の「幼きほどより、心細くあはれなる身どもに・・・・」という書き出しから始まる「中の君の身の上を省み嘆く女房ら同情する」という段に出てくる。年寄の女房たちなどが中の君を諫める言葉である。
 著者はインタビューの中で、”『源氏物語』を読んでいた際に、突然ふと一つの疑問が湧き上がったのです。何故、平安貴族たちは「月は不吉」「忌むべきもの」などと、誰もが書き残しているのだろうか?”と述べている。この疑問が、記紀に登場する「月読命」に結びついて行ったという。その着想が、本書において、桑原崇の謎解きという形に結実したのである。
 月を見るのを忌む発想は、『白氏文集』などに現れ、中国伝来の思想のようだ。(新編日本古典文学全集『源氏物語 5』小学館)そういう見方も踏まえてさらに時の流れを溯り「月」に関連する事象を渉猟し考察することに繋がって行ったのだろう。

 『日本書紀』の神代・上には、伊弉諾尊が黄泉の国から逃げ帰り、筑紫の日向の川にて禊祓をしたとき、左の眼を洗うと天照大神、右の眼を洗うと月読命、鼻を洗うと素戔嗚尊という三柱の神が生まれたと記されている。そして、素戔嗚尊は、天照大神が高天原、月読命が青海原の潮流、素戔嗚尊が天下を治めるように言ったと記されている。この後、素戔嗚尊についての記述されていくが、月読命は陰に潜み出てこない。
 著者は桑原崇を介して、月読命の真の姿を推理させていく。

 さて、このストーリーのご紹介に移ろう。
 「プロローグ」は、「私」が「月」についての思索を独白するところから始まる。ここに勿論月読命についても触れられている。その「私」が小さな神社で一人の男をナイフで殺す。月尽くしと神社境内での殺人を犯すという行為からストーリーが始まる。

 「月の罪」は、ストーリーの状況設定から入って行く。
 棚旗奈々は勤め先のホワイト薬局の外嶋一郎薬局長の提案により、丸々1週間の休みをもらえることになる。そこで、奈々は崇とこの期間中に1泊2日で京都旅行に行く予定にしていた。この京都旅行もまた、二人が殺人事件の解明に巻き込まれ、旅行のスケジュールを大きく変更する羽目になっていく。奈々と崇の二人の旅行が、途中から奈々の一人旅のような展開になるのだから、ちょっと切ない。なぜそうなったのか? そこがまた読ませどころにつながるのだ。
 フリーのイラストレーターで「月」好きの馬関桃子が、夜に月読神社を参拝する。本殿を参拝し、帰路に地面に倒れている女性に気づく。その女性は桃子の高校時代の友人望月桂だった。警察に連絡するために、月読神社を飛び出し裏手の路地から急な階段を駆け下ろうとしたときに、ドンと背中を押されたような気がして、桃子自身が転落し被害者になる。
 月読神社での遺体発見の一報を受け、京都府警捜査一課警部・村田雄吉と部下の中新井田務巡査部長が事件現場に急行する。死因は絞殺、所持品の携帯電話から望月桂と判明。現場には柄の部分に兎の模様入りの小ぶりなつげの櫛が残されていた。
 そんな矢先に新たな殺人事件の通報が入る。松尾大社の神職が境内奥の磐座口で若い男性の首吊り遺体を発見したという。
 京都でこんな事件が発生していることを知る由もなく、8月19日土曜日の早朝に、新横浜駅で崇と待ち合わせ、二人は京都に向かう。勿論、新幹線の車中では、例の如く崇は資料を取り出し、奈々に日吉大社について語り始める。読者もまた記紀の神々の世界に誘われていく。

 「月の隅」では、登場人物たちの行動が同時進行していく状況描写となる。それはこのストーリーの状況展開の累積となる。村田・中新井田の捜査活動の進展状況、救急病院に搬入された馬関桃子の状況認識とその後の行動選択、新幹線車中の奈々と崇の状況が描かれて行く。

 「月の妖」は、ストーリーの四部構成を起承転結で捕らえると「転」になる。つまり、状況に転換要素が加わってくる。救急病院に搬入された馬関桃子は、彼女の友人である矢野聡子の父親の経営する病院に転院する。村田は事件関係者の疑念を踏まえ、転院をあっさり認める。所在地が明かなので泳がせてみるという作戦に出た。松尾大社から飛び出してきた若い女性の目撃者が出現する。その目撃者は「月夜見」という手鞠唄のことを思い出す。さらに、桂川東岸に位置する松尾大社の末社・衣手神社、別名三宮神社で若い女性の絞殺事件が発生する。それに加えて、櫟谷宗像神社でも殺人事件が発生した。
 ここに小松崎が登場する。月読神社で起こった事件の取材活動を始めていたのだ。小松崎が奈々に連絡をとり、崇を取材活動に巻き込み、事件解明の成果をものにしようと考える。京都に到着し、これからの行動予定を話し合っている二人に、小松崎から奈々に電話連絡が入る。奈々と崇が小松崎を無視できないのは自然の流れである。そのことで京都旅行での予定が一部重なりながらも、大きく変更されていく。その余波を奈々が受けることにもなる。

 そして「結」に結びついていく。「月の澪」である。
 小松崎に頼まれたことにより、崇と奈々は松尾大社、月読神社に行き先を変える。そこで、崇は秦氏について奈々に話し出すという展開が加わる。この章では、事件の解明に崇がどのような推理を展開するかが読ませどころになる。なぜなら、連続する殺人事件の進展の中で、犯人側の行動自体が描き込まれていくからである。だが、なぜ今回の事件が起こったかの謎解きには、崇がその推理を行い、なぞを解き明かすことになる。「月」が大きく関与していることが明らかにされていく。そこには、天皇を含め大氏族間の確執・争闘が背景に潜んでいた。桑原崇の推理プロセスをお楽しみあれ。
 小松崎に頼まれて崇が事件の解明に深く関わる一方、奈々はせっかくの京都旅行だからと、洛西の嵯峨野、広隆寺や嵐山見物というちょっと哀しい一人旅を余儀なくされる。その挙げ句、渡月橋では、今回の事件に巻き込まれることに・・・・。連続した殺人事件の謎解きは解明できたが、崇と奈々の京都旅行の二人の夜は実に侘しいことになる。その顛末は本書を開いていただきたい。

 この小説に、月を詠み込んだ歌が要所々々に組み込まれているのが興味深い。
まず、4つの章のそれぞれの冒頭に和歌が一首引用されている。
  めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな  紫式部
  夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ    清原深養父
  心にもあらでうき世を長らへば悲しかるべき夜半の月かな      三条院
  有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかりうきものはなし   壬生忠岑
ストーリー中には次の歌を崇が援用している。
  月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月
  大方は月をもめでじこれぞこのつもれば人の老いとなるとも  在原業平
カバー表紙の内側には夜空の月の写真ととともに、
  月見てはたれも心ぞなぐさまぬ姥捨山のふもとならねど  藤原範永朝臣
が記されている。月を詠む和歌の世界がストーリーの背景に奥行きを加えている。

 QEDシリーズには他のシリーズと同様に、観光ガイド的要素が含まれている。この『月夜見』も同様である。今回は京都・洛西と滋賀に跨がっている。本書で描写されている観光名所の名称を列挙しておこう。
  京都・洛西: 松尾大社、月読神社、衣手神社、櫟谷宗像神社、野宮神社、
         広隆寺、蚕ノ社、大酒神社、蛇塚古墳
  滋賀   : 日吉大社、竹生島(都久夫須麻神社)

 3つめに興味深いのは、連続する殺人事件に絡むものとして「月夜見手鞠唄」が黒子役的に登場する点である。こんな唄聞いたことがないな・・・と思いつつ読み終えた。表裏になんとこの唄は著者の創作によると記されていた。著者創作のこの唄が、ストーリーで重要な脇役をになっている。また、史実と記録の裏付けを踏まえる崇の謎解き推理にリンクされていく箇所が出てくる。このあたりがフィクションのおもしろさにもなっている。

 松尾大社や月読神社の辺りは歴史探訪で訪れたことがある。月読神社はその正面で解説を聞くだけにとどまり、通過ポイントになったが、その探訪前にこの小説を読んでいれば、また一味異なる感興をいだいたかもしれないな・・・・と思ったりしている。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
松尾大社 ホームページ
 摂社月読神社
松尾大社 :「京都府観光ガイド」
ツクヨミノミコト(月読命)  :「神仏ネット」
ツクヨミ :ウィキペディア
衣手神社(三宮神社)・衣手の森(京都市右京区) :「京都風光」
櫟谷宗像神社  :「玄松子の記憶」
櫟谷宗像神社(京都市西京区) :「京都風光」
大酒神社  :ウィキペディア
山王総本宮 日吉大社 ホームページ
竹生島  :ウィキペディア
竹生島  :「滋賀・びわ湖 観光情報」
竹生島クルーズ  :「琵琶湖汽船」
竹生島神社 ホームページ
竹生島宝厳寺 ホームページ

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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もう一つの拙ブログで、以下の名所地を探訪した記録をまとめて掲載しています。
ご覧いただければうれしいです。
探訪 [再録] 京都・洛西 松尾大社とその周辺 -1 松尾大社(1):楼門、本殿、神輿庫、南末社ほか
   4回のシリーズでご紹介しています。
探訪 嵯峨野の神社・寺・古墳を巡る -1 木嶋神社(蚕の社)
   3回のシリーズで太秦広隆寺、蛇塚古墳ほかをご紹介しています。
探訪 京都・右京区 嵯峨野西北部(化野)を歩く -9 野宮神社


徒然に読んできた作品のうち、このブログを書き始めた以降に印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。(シリーズ作品の特定の巻だけの印象記も含みます。)
『QED ~flumen~ ホームズの真実』  講談社NOVELS
『古事記異聞 オロチの郷、奥出雲』  講談社NOVELS
『古事記異聞 鬼棲む国、出雲』  講談社NOVELS
『卑弥呼の葬祭 天照暗殺』 新潮社
『神の時空 京の天命』  講談社NOVELS
『鬼門の将軍』   新潮社
『軍神の血脈 楠木正成秘伝』  講談社
『神の時空-かみのとき- 五色不動の猛火』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 伏見稻荷の轟雷』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 嚴島の烈風』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 三輪の山祇』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『七夕の雨闇 -毒草師-』  新潮社
『毒草師 パンドラの鳥籠』 朝日新聞出版
『鬼神伝 [龍の巻] 』 講談社NOVELS
『鬼神伝』 講談社NOVELS
『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS



『QED ~flumen~ ホームズの真実』  高田崇史  講談社NOVELS

2019-07-20 10:29:15 | レビュー
 『QED 百人一首の呪』(1998年刊)から始まり、『QED 伊勢の曙光』(2011年刊)で「QEDシリーズ」が完結したと思っていたら、2013年にこの『ホームズの真実』が出版されていること、さらに2016年、2017年にQEDを冠した作品が出版されていることを、遅ればせながら知った。そこで、『ホームズの真実』から順次読み進めることにした。
 最初に、この新書版の構成に触れておこう。約150ページの『ホームズの真実』と、『百人一首の呪』から始まり『伊勢の曙光』に至るQEDシリーズ18作品について、「QEDパーフェクトガイドブック」と題した解説がセットになっている。さらに、「歴代担当者座談会 QEDの真実」と銘打った座談会記録も併載されている。これはQEDシリーズ愛読者にとっては便利だと思う。そして、本書の末尾には、特別書き下ろし『二次会はカル・デ・サック』(6ページの短編)が付いている。

 さて、『ホームズの真実』本題に移ろう。「QED=証明終わり」という冠に対して、「flumen」という語が添えられている。「ventus」がラテン語であり「風」を意味するのに対し、「flumen/フルーメン」は同様にラテン語で「流れ・水流」という意味である。著者はこの言葉を「時の流れ」として念頭において使っていると、インタビューを受けて答えている。QEDシリーズの中で、この「flumen」が付くのは今までに『九段坂の春』、『出雲大遷宮』である。それらに続き本書は3冊目となる。

 「プロローグ」に槿遼子(むくげりょうこ)という女性がまず登場する。その遼子が、紫色のスミレの花を手に瀕死の状態で救急車により搬送されることになる事態の2日前の夜の場面が描き出される。遼子は紫色のカクテルを飲みながら、「紫」について思索にふける。そこに「紫」「スミレ」というキーワードがさりげなく登場する、この小説のテーマがさりげなく提示されている。
 この小説も例によって2つのストーリーの流れが織りなされていく。

 一つの流れはプロローグに関係するものである。ある大学の教授で、シャーロキアンとして有名な瀬室が還暦を迎える記念として、自分がコレクションしているホームズ関連のものの展覧会を開くことにした。横浜の山手にある小さな洋館を一棟借り切って行われる展覧会であり、そのレセプション当日に事件が起った。会場となった洋館の2階から参加者の一人が墜落するという事態が発生した。この事件を解明していくというストーリーの流れである。墜落する前に、本人の携帯から警察署に「助けて・・・」という110番通報がなされていたのだ。この事件を担当するのは真壁刑事。桑原崇がかつてある事件の解明に関わったときに知り合った刑事である。
 棚旗は大学時代の知人、緑川友紀子から連絡を受け、由紀子と会う。その折に、瀬室先生の開催する展覧会に誘われた。その結果、奈々は桑原崇と一緒に、5月半ばの土曜日、その展覧会のレセプションに参加することになる。二人は少し遅れて会場に入り、レセプションに加わったのだが、その時には2階から女性が墜落という事態が起こってしまっていた。このストーリーは、結果的に事件に巻き込まれた崇が真壁刑事に2度目の協力をして、事件原因の解明に挑んでいくことになる。
 この事件の解明において「紫」が一番重要なポイントになっていることを崇が解き明かしていく。
 この流れで興味深いのは、事件の謎解きプロセスとともに、その背景の流れとして、「プロローグ」「インターミッション」「エピローグ」において、槿遼子の思いが独白されストーリーが終焉するという構成になっていることである。

 もう一つの流れは、棚旗奈々の勤めるホワイト薬局の昼休みの会話、つまり薬局長・外嶋一郎の蘊蓄話を棚旗らが聞くという場面から始まっていく。その話題に、『源氏物語』とシャーロック・ホームズの2つのフィクションが登場する。
 外嶋の蘊蓄話から始まったことが、レセプション最中の事件発生の翌日に、真壁刑事と当日の関係者、奈々・崇が集まって話し合う場での話題に繋がっていく。ここで「紫」がキーワードとなっていくのである。「紫」を介して、『源氏物語』とシャーロック・ホームズの物語という一見無関係の独立したものが、接点を持つっていく。それらの中に隠された「紫」の意味。その意味の謎解きを崇が論理的に明らかにしていくというプロセスの流れが始まって行く。それがいつしか事件に隠された「紫」と接点をもつ形に進展する
 「紫」にまつわる謎解きがスリリングであり、読者の知的好奇心を喚起することになっていく。
 
 著者は「flumen」という語を「時の流れ」を念頭に置き使っているという。
 この小説では、「紫」をキーワードに、「時の流れ」がいくつか具象的に流れている。 1つは、「紫」をキーワードに、日本の古典の流れが現れる。時の流れに合わせると、『万葉集』、『枕草子』、『源氏物語』、『百人一首』、松尾芭蕉の句、『雨月物語』などに表出されている「紫」に光が当てられていく。
 2つめは、シャーロック・ホームズを生み出したコナン・ドイルの人生が語られることだ。コナン・ドイルの人生が色濃くホームズの物語に投影されていることがあきらかになる。
 3つめは、シャーロック・ホームズの作品群にさまざまな切り口からアプローチが行われる。ここにも、諸作品が生み出された時の流れが背景にある。そして、ホームズが失踪していたとされる1891~1894年の3年間が明らかにされる。
 4つめは、『源氏物語』の作者紫式部自身の人生を『源氏物語』に重ね合わせて語っていく。「紫」に隠された意味が現れてくる。
 5つめは、シャーロキアンである瀬室先生の形づくる人間関係が時の流れの中で変化していくことに絡んでいる。そこに「紫」を暗示として使うシンボリックな仕掛けが組み込まれたのである。

 最後に、奈々が事件を振り返って考えたこととして記述されている箇所を2つ引用しておこう。
*確かに、奈々たちが生きている「現実」など、『源氏物語』五十四帖や、ホームズ物語六十編の世界と、何の違いがあるというのだろう、まさに、フィクションとノンフィクションの境目など、どこにもありはしないのではないか。 p147
*誰も指摘しなかったが、今回の事件は『シャーロック・ホームズの事件簿』に出てくる「ソア橋」と同じだったのではないか。 p148

 逆発想すると、この2点からこのストーリーが構想されたのではないかとも言える。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。
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徒然に読んできた作品のうち、このブログを書き始めた以降に印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。(シリーズ作品の特定の巻だけの印象記も含みます。)
『古事記異聞 オロチの郷、奥出雲』  講談社NOVELS
『古事記異聞 鬼棲む国、出雲』  講談社NOVELS
『卑弥呼の葬祭 天照暗殺』 新潮社
『神の時空 京の天命』  講談社NOVELS
『鬼門の将軍』   新潮社
『軍神の血脈 楠木正成秘伝』  講談社
『神の時空-かみのとき- 五色不動の猛火』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 伏見稻荷の轟雷』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 嚴島の烈風』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 三輪の山祇』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『七夕の雨闇 -毒草師-』  新潮社
『毒草師 パンドラの鳥籠』 朝日新聞出版
『鬼神伝 [龍の巻] 』 講談社NOVELS
『鬼神伝』 講談社NOVELS
『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS

『御土居堀ものがたり』 中村武生  京都新聞出版センター

2019-07-18 11:30:13 | レビュー
 最近、ある講座を受講していて、講義の中で本書の紹介があった。その際、NHKの「ブラタモリ」に御土居が取り上げられたことにより、御土居巡りがブームになっているという話も聞いた。
 私は、近年史跡として現存する御土居跡を一通り探訪していたのだが、その時点ではこの本の存在を残念ながら知らなかった。そこで改めて、この秀吉の大改造事業に対する認識を深めたくて読んでみた次第である。史跡御土居跡を巡る際に、御土居の外側に堀が造られていたことは知ってはいたが、相対的に土塁の方に関心がいき、堀の方はそれほど深く意識していなかった。

  天正19年(1591)に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は平安京の大改造計画を実行した。その最たるものが、京都の周囲をほぼ完全に土を固めた城壁で封鎖するという大事業である。つまり土塁で囲い込んだ。「御土居」と称されるものである。実際は京都をぐるりと囲む御土居の外側に堀がセットとして造成された。西側では、紙屋川そのものを堀として利用するという箇所もあるが、土塁(土居)を築く一方で堀が同時に掘られたのだ。それ故、「御土居堀」というセットの概念で認識して考えることが重要だと著者は主唱する。本書はその観点から記されている。
 「御土居堀」というネーミングに、いわば頭をガツンという感じを受けた。御土居を御土居堀として再認識する機会になった。本書で得た知識と視点を踏まえて、再度御土居堀探訪にチャレンジしてみたいと思った。

 本書は二部構成で、第1部が「御土居堀ものがたり」、第2部が「御土居堀を歩く」である。第1部の見出しが本書のタイトルになっている。
 第1部は読みやすい。3ページでまとめられた読み物が一つの話となり、連続して繋がって行く形になっている。「むすびにかえて」を読んで理由がわかった。2001年~2002年に跨がり、毎週1回『京都新聞』の朝刊に「御土居堀ものがたり」として54回連載された記事がこの第1部のベースに成っていたのだ。
 ここでは、京都を囲んだ城壁と堀がどのようなもので、秀吉は京都をどのように改造したのかという基本的情報を押さえることから著者は始める。その御土居堀が江戸時代、明治・大正・昭和を経て、平成初期までにどのように変化してきたか、過去と現在を往復しながら語っていく。そこには史跡の維持保存と土地開発による史跡破壊との相剋の歴史が語られて行くことにもなる。文化遺産保護についての時代の認識の深浅が深く関わっている。勿論、著者は史跡保存の立場からこの御土居堀の状況の変遷と問題点、保存のための方策に言及していく。一般の御土居堀についての認識のなさ、史跡保存行政の脆弱な過去の対応、荒っぽい土地開発の事例、私有地となっている御土居堀の地権者の悩み、御土居堀が破壊されて行ったケースの具体例などを物語る。著者は読者に御土居堀への認識を喚起するとともに、その史跡保存の重要性を熱く語っている。

 第2部は、第1部の連載物をもとにして、本書を刊行するにあたり書き加えられたものである。実際に御土居堀跡を歩くという形で「九条通~八条通」を起点にして、時計回りで、御土居堀跡を歩く形でのガイドが綴られていく。京都市発行の都市計画基本図(縮尺2500分の1)を参考に、各地域の部分地図に御土居堀跡の推定位置を書き加えた推定図が掲載され、必要に応じて御土居堀に関わる古地図などが併載されている。第1部で御土居堀の歴史的変遷と現状を押さえ、第2部で現状の現地を見つつ、現存しないが地形等から御土居堀の遺構を推定する。史跡として現存する御土居堀、史跡指定されていないが現存する御土居堀の箇所では現状と本来の御土居堀との対比をふまえたガイドをする。そういう形で案内解説を綴っていく。この第2部は実際に御土居堀跡を歩く上で、有益なガイドブックとなる。

 本書は2005年10月に初版が発行された。その後の10数年の時代の経過の間に、史跡保存と土地開発の相剋は繰り返されているだろうし、史跡保存の点でも案内板や史跡表示面で改善されているところもある。読んでいて、案内板や表示の面、史跡保存状況などでここは少し変化しているなと感じた箇所がいくつかある。一方、実際に御土居跡を探訪した記憶からは本書に記載が無い箇所の案内板などで読みづらくなっているものも見ている。
 御土居堀の歴史の時間軸から言えば、本書が執筆された時点以降の期間は微々たる長さであり、近年の文化遺産認識は向上しているし、無茶な土地開発は相対的に難しくなっている。総合的にみると、御土居堀ガイドブックとしては第一線に位置づけ得るかなり詳細な内容の本だと思う。第2部は参考資料として読み応えがあった。
 特に推定図が役に立つ。個人的に御土居巡りをした時に入手した資料・情報での御土居跡地図には、一部区間を除き、ここまでの具体的にビジュアルな推定図はなかった。

 最後に、御土居堀の歴史的な基本事実を本書から要約して、ご紹介しておこう。詳細は本書をお読みいただきたい。
*秀吉の京都改造:居城「聚楽第」建設。武家町・公家町・寺社が集中する町づくり。
   碁盤目状の町割りに南北の通りを貫通させ、長方形の町割を誕生させた。
*御土居堀は「惣構」である。御土居は城壁に相当する。
*御土居堀の全長は約22.5km。天正19年(1592)の1月・翌閏1月の2ヵ月で築造。
 多く見積もっても4ヵ月でつくった。
*御土居は土塁。上部には竹が植樹された。
*土塁(御土居)の規模(実測例): 基底部約22m、高さ約5m
 堀の規模(実測例):最大幅約14m、高さ約4m
*土塁の体積は、堀の容積よりも大きい。つまり、土塁を築造の土を他所から搬入。
 土塁(御土居)の土盛は堀側と異なる方向から行ったという調査結果も出ている。
*豊臣期の御土居堀の出入口は十口(京の七口をあるていど含む)だったという。
 四条通は東への出入口はなかった。江戸時代に出入口が設けられた。
*江戸時代、御土居堀に角倉家がかなり関与。角倉与一は御土居堀支配に就任。
*江戸時代、鴨川に寬文新堤(石垣)築造と西側に新地開発・市街化の進展。
 それは、御土居堀の破壊に繋がる。
*江戸時代から御土居堀という公有地の私有地化が始まる。
*明治3年(1870)9月、御土居堀「悉皆開拓」令発布。申請方式採用。
*京都駅と鉄道敷設事業に伴う御土居堀の破壊と消滅。
*御土居堀の国史跡指定地は現在9カ所。史跡指定地後に大きく破壊された箇所もある。
*史跡指定地以外に、ある程度の高さを持った土塁遺構は少なくとも6カ所現存ずる。
*御土居堀の保存・活用の施策は今後の重要な課題。(地権者への対応を含む)

 本書を読み、文化遺産としての御土居堀についての重みを感じる。有名番組を発端とした現地探訪ブームを、単なる一過性の観光ブーム的なものに堕さしめないことが多分重要なことの一つだろう。歴史的文化遺産の保全と歴史を伝え、そこから学ぶスタンスが求められているのではないか。本書には「温故知新」という視点、まなざしが強いと感じる。

本書に関連してネット検索した事項を一覧にしておきたい。
史跡 御土居 :「京都市情報館」
御土居跡 pdfファイル  :「京都市」
聚楽第と御土居  都市史 :「フィールド・ミュージアム京都」
御土居跡  :「京都市埋蔵文化財研究所」
御土居の実像:目で見える巨大な「境界」 :「京都高低差崖会」
京都に今も残る御土居の痕跡まとめ  :「NAVERまとめ」
御土居 :ウィキペディア
続 秀吉が京都に残したもの 聚楽第の遺構とお土居 by 五所光一郎
    :「京に癒やされ」
京都七口  :「コトバンク」
「七口=七つの口」じゃない? 全国と京都をつなぐ「京の七口」
   :「Wa! 京都を発掘する地元メディア」
北野天満宮 ホームページ
廬山寺 ホームページ  
  御土居
  
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


 上記の読後印象記に、以前に御土居跡を私自身が巡ったことに触れています。
 その時の内容を整理したものを、もう一つの拙ブログに掲載しています。
 ご覧いただければうれしいです。

探訪 京都・御土居跡巡り -1 市五郎稲荷神社・北野中学校内の御土居、紙屋川
  7回のシリーズで御土居跡を巡った時の記録を整理したものです。

『英語で読む方丈記』 鴨長明著 森口靖彦、デキビッド・ジェンキンス訳 IBCパブリッシング

2019-07-14 11:28:41 | レビュー
 本書は、IBC対訳ライブラリーの1冊として出版されている。表紙のアピール文言をご紹介すると、「世界の英知が身に付き英語力がアップする」というもの。本書はCD付である。このCDは、CD Extra形式で、オーディオCDとMP3の音源が1枚のディスクに収録されているというものである。
 本書への導入は、日本文での解説となっている。「はじめに」として、「方丈記と日本人」と題し、山久瀬洋二氏が簡略な解説をしたあとで、「本書の読み方」として、この翻訳の背景が語られている。「方丈記のような古典は、英語で読む方が現代人には分かりやすいかもしれません」という逆発想の観点がこの対訳シリーズに持ち込まれているようである。というのは、本書の対訳は、『方丈記』の原文がそのまま右ページに記され、その原文各行に対応して翻訳された英文が左ページに記されている。方丈記の原文を韻文のリズムでそのまま読んで、左のページを見れば、その英語訳が記されているという次第である。原文(韻文)⇒現代日本語訳⇒英語翻訳ではない。読者は、英語訳を読み、英語で理解するか、自ら現代日本語訳を考えるということになる。つまり、
 右ページ: ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
 左ページ: The flowing river never stops and yet the water never stay
the same.
という具合である。
 そこで、この対訳では時代表記が和暦のままになっている。つまり、こんな風である。 右ページ: いにし安元三年四月廿八日とよ、・・・・・(略)
 左ページ: One night long ago -- it would be the twenty-eighth day of the
third year of Angen --

 過去に方丈記を部分的には読んでいたものの、逆にそのため時代をなんとなくしか考えていなかった。今回「方丈記が語る時代が、平安末期、平清盛の時代から平家滅亡後の鎌倉時代初期である」(p8)ということを再認識した次第である。この対訳版は方丈記という古典そのものを改めて読むという機会になる。意識して読むように導かれるというおもしろい効果がある。
 「日本の古典の名作が英語になることで、日本人のものの考え方をいかに英語にするかという参考にもなるはずです」(p8)という点が、やはり読者にとっての魅力だと言える。
 そして、最初に「鴨長明 年譜」と「鴨長明とゆかりのある京都近郊図」が収録されている。

 この後、本書の主体部になる「イントロダクション」と「方丈記」が見開きページ対訳形式で構成されていく。「イントロダクション」は『方丈記』自体の構成とその特徴、鴨長明の人物と人生の概説がまとめられている。方丈記と鴨長明のアウトラインを知るための概説論文という感じである。見開きページの下部に欄外語注が付いていて、普段見慣れない単語や難しい語句の説明が為されているので、そこを参照すれば概ね辞書を引くことなしに、英文を読んでいくことができるようになっている。
 先般、この出版社の別シリーズ「英文快読」の1冊の読後印象をご紹介した。あのシリーズ本は高校生レベルの英語力で「快読」できるとご紹介した。それと対比すると、こちらは大学の教養課程レベルの英語力で読める位かと思う。
 たとえば、「Introduction」の最初の英文訳3ページを読んだとき、私にとりあまり馴染みのない単語がちょくちょく出てくる。そこで欄外語注を見れば載っているという具合である。どんな単語か、私が躓いたものを欄外語注から列挙して、ご紹介しよう。語彙力のなさをさらけ出すようだが・・・・・まあ、いいだろう。
 prelude, recluse, portentous, toll, contemporaneous, supple, prefugure,
disinheritance, ecclesiastical, pivot on ~, scathe, leitmotief, elegiac
といった具合である。この語注の助けで英文が理解できた次第。
 尚、このイントロダクションでは、『方丈記』の構成と特徴の概説部分の英訳は結構難しい単語が頻出しているが、鴨長明の人生を概説する所は割と英文が読みやすくなる印象を持った。
 『方丈記』の本文の対訳は上記の通りであり、CDは男声により本文の英文訳が吹き込まれている。クセのない聞き取りやすく普通のスピードで読まれた録音になっていると思う。
 
 本書のおもしろいところは、伊藤裕美子氏により、方丈記の英訳文から「TOEIC ビジネスで役立つ表現」として15項目が抽出され、例文付で解説されたセクションが設けられていることである。8ページのボリュームになっている。
 最後に、37項目の註釈が英文対訳で収録されている。最初の註釈5項目を参考にご紹介すると、「安元3年、樋口富小路、治承4年、中御門京極、嵯峨天皇の治世」という具合である。

 これを機会に、インターネットで少し調べてみると、方丈記の英文概説や、方丈記の本文の英文訳は結構容易に入手できることを発見した。一方、日本語で方丈記を概説しているサイトもある。調べた範囲では対訳形式のものは見つけていない。

 本書のように英文を介して、逆に日本の古典を原文で読み、その雰囲気とリズムを味わう、その内容を日本語・英語の対比を通じて理解を深めるというのは、おもしろいチャレンジであり、かつ体験となると思う。勿論、日本文のページのみ読むということも役に立つだろう。「イントロダクション」はその類いである。『方丈記』の原文なら他にもソースはいろいろある。本書でなくてもよい。方丈記原文⇒英文というところが魅力的といえる。本書を手に取るトリガーになれば幸いである。

 序でに触れておきたい。先日、梓澤要著『方丈の孤月 鴨長明伝』(新潮社)の読後印象をご紹介している。こちらは伝記小説である。この伝記小説から『方丈記』に入って行くというのもおもしろいと思う。

ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋で、ネット検索してみた。一覧にしておきたい。
方丈記  :ウィキペディア
鴨長明  :「コトバンク」
方丈記 鴨長明 :「青空文庫」
鴨長明「方丈記」現代語訳と朗読  :「无型 -文学とその朗読」
鴨長明の方丈記|無常観とは?内容解説|原文と現代語訳  :「四季の美」
知っておきたい『方丈記』雑学!現代語訳と解説をイラストで楽しむ新刊紹介 :「一万年堂出版」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

こちらもお読みいただけると、うれしいです。
『方丈の孤月 鴨長明伝』 梓澤 要  新潮社

『方丈の孤月 鴨長明伝』 梓澤 要  新潮社

2019-07-08 12:43:37 | レビュー
 鎌倉時代前期に書かれた随筆『方丈記』の著者、鴨長明の伝記小説である。
   「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、
    よどみに浮かぶ泡沫は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。
    世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。」
という冒頭の一節を学校の授業で暗唱した。書名、作者名、書かれた時代、中世的無常観を基に著者の見聞を書きとどめ、己の人生について語った随筆である。それ位は、試験にも関係する必須知識だった。とは言いながら、教科書に出て来た箇所を学ぶだけで、その全体の内容についてはスルーしてしまうというのが平均的学生ではないか。私もその一人。心の隅に関心をとどめながら、そこから踏み込むことはなかなかしないで済ませてきた。いつか読もうと購入した文庫本『方丈記』は書架に眠りつづけてきた。
 上記の冒頭文から始まり、それに続き、
   「その、主と栖と、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。
    或は露落ちて花残れり、残るといへども、朝日に枯れぬ。
    或は花しぼみて露なほ消えず。消はずといへども、夕を待つことなし。」
までの原文がこの鴨長明伝の末尾に引用されて終わる。

 では、この伝記小説の始まりはどうか。「序章 終の栖」は、鴨長明が洛北の大原から、山科・醍醐を経てその南に位置する日野の里に移り住むために、荷物・資材とともに移動する場面から書き始められる。この里は、日野一族の菩提寺、法界寺がある。法界寺の境内の東側になだらかな山の稜線が続いている。その山中に場所を定めて方丈の庵を建て、そこに住み始めるまでのプロセスが描かれる。外山と称される地である。ここが長明の終の栖となる。
 この序章で興味深いのは、この方丈の建物・間取りなどの細部が描写されている点である。長明は組み立て式の方丈サイズの庵を大原から、日野に運んできて、予め想定してもらっていた候補地を巡り、適地を選んで、そこに庵を結んだようである。
 余談だが、長明が方丈の庵を結んでいたという伝承のある場所をかなり以前に探訪したことがある。日野の現地には、長明の方丈跡地に行くための要所に道標が立っていて、その場所付近にも表示が出ていたと記憶する。序章を読んでいくプロセスでその場所に到る山道の記憶を重ねながら私は読み始めることになり、一層興味を惹かれた。
 また、下鴨神社の境内で南端寄りに河合神社があるが、河合神社の境内地に「鴨長明の方丈」が復元展示されている。これもまた、下鴨神社を訪ねたときに目にしている。こんなちいさな庵を結んでいたのかと印象深かった。
 さらに高校生用の学習参考書には、方丈の庵復元図のイラストが載っているものもある。手許にある一書を例示しておこう。『クリアカラー 国語便覧』(監修:青木五郎・武久堅・坪内稔典・浜本純逸、数研出版、第4版、2013年)。今回、方丈記の項を繙いてみて、その図を再認識した。

 元に戻る。この序章の後、5章構成で長明が己の人生を回顧していくという形でストーリーが語られていく。
 「第一章 散るを惜しみし」は次の文から始まる。
「わが名は鴨長明。下鴨社の名門神官家の御曹司として、この世に生まれた。
 生まれ育ったのは深い森の中だ。」
その後に、父の事、少年の頃の長明の行動癖など、長明のプロフールの大凡が回顧され、描かれていくことになる。

 父長継は長明が生まれた年に、17歳で下鴨社正禰宜惣官の座に附き、24社家とそれに所属する100人以上を束ねる立場だった。つまり、長明はまさに名門神官家の御曹司である。長明は次男。長男長守は庶子だったので、長明が嫡男として扱われる。長明3歳のとき、母が亡くなる。長明が13歳になると、父に伴われて歌人の集まりに出入りするようになる。父は長明に歌才があることを見抜いたようだ。それは、将来、長明に神職を継承させるための人間関係づくりの準備も兼ねていたのだろう。だが、長明16歳の折、長継は寝込むことが多くなる結果、職を辞して引退する決意した。その際将来長明を跡継ぎにする約束で、長継は又従兄にあたる権禰宜の鴨祐季を猶子にしたうえ、正禰宜惣官の地位を委譲した。しかし、このことが、長明にとり神職の道に暗雲が漂う方向に結びついていく。どの世界も同じだろう。実権を手にした者は、己の力を強化する方策を謀っていく。父長継の死とともに、いずれ父の立場を継承できるという望みを抱いていた長明の思いは裏切られて行くことになる。勿論、そこには父の死後に長明の置かれた状況や長明自身の個人的性癖が大きく関わっている。

 この伝記小説には、5つの筋が関わり合ながら織り上げられ展開されているように思う。
 第1の筋は、長明が神職として、父長継の地位をいずれ己が継承できるという望みが潰えていくプロセスを描き出す。この筋の流れのなかで、鴨長明の親族との確執が描かれていく。下鴨神社においては、当時河合社の禰宜を経て下鴨社正禰宜になるという順が栄進の道だった。長明は鴨祐季にその道を阻まれていく。父の命で、長明が下鴨社社家一族の本家である菊宮家に入り、一人娘の修子(ながこ)の婿となる。これは長明の将来への布石でもあった。だが、その婿入りは長明の性癖も災いしたのだろうが、不幸な結婚という結末になっていく。なぜ、長明が神職の道を閉ざされる経緯になったかが、かなり克明に回顧されていく。神官という仕事をなおざりにしていく長明の姿という一面もみられる。
 
 第2の筋は、長明の才に関わる。上記のとおり父に伴い13歳で歌人の集まりに出席している。長明が歌の世界、絃楽器を奏する世界に己の才を見出し、その世界に没入していくとともに、その道では才能を発揮していく姿を描き出していく。私は不勉強によりこの伝記小説で初めて、鴨長明の詠んだ歌を知ることになった。要所要所で長明の歌が引用されその歌に絡まるストーリーが展開されていく。長明が私家集を世に出したのは養和2年。養和の大飢饉の頃であり、未だ神官の道を目指していた時代である。
 長明は後鳥羽院にその歌才を見出されて、勅撰和歌集編纂のために再興された和歌所の寄人となる。この和歌所がどんな組織でどんな状況だったかが描かれていて興味深い。藤原定家の歌流との関わりも描かれていておもしろい。
 一方で、絃楽器を奏でるという楽才の領域で長明は琵琶の演奏に秀でていたそうだ。長明が当代きっての琵琶の名手といわれた楽人・中原有安との出会いから、有安を師と仰ぎ琵琶の道に精進していく。長明は有安から三曲の秘曲の伝授を受けるレベルに到る。「楊真操」、「石上流線」を終え、最後に天人の楽と称される「啄木」の伝授を受ける。一通りの演奏はできるが、相伝される一歩手前で有安が筑前守として赴任することになる。最後の一歩が断たれることに。この「啄木」の曲がまた、長明の人生に大きく関わって行く。

 第3の筋は長明の好奇心。自分の目で事実を確かめずにはおれないという性癖である。自分自身でやってみなければ気が済まないという性癖だ。
 その一局面は、楽才の領域に関わるが、自分自身で琵琶を製作するという懲りように発展していく。この経緯もかなり具体的に描かれていて興味深い。
 もう一つは、長明の青年期以降に発生した自然災害や社会変動の渦中で、長明が観察者としてとった行動である。自分の目と耳で確かめずにはおられないという性癖の発露が描かれて行く。これは、『方丈記』の前半で流麗な和漢混淆文で記述された五大事件の描写にリンクしていく側面である。安元の大火・治承の辻風・福原遷都・養和の飢饉・元暦の大地震を、長明の眼に映じた事実として回顧され、描写されていく。その根底に通奏するのが無常観である。

 第4の筋は長明の思い染めた女性との出会いとそのプロセスである。
 神官としての道において、菊宮家に婿入りし、修子と結婚する。そして一男をなした後、長明は菊宮家を実質的に追い出される境遇になる。幼馴染みであった修子との関係は完全に冷え切ったものとなっていく。
 一方、少年の頃、糺の森で偶然垣間見た女性に、その後長明は再び偶然に出会うこととなり、そこから長明の本当の恋の思いと行動が展開していく。哀しい結末にはなるが、その経緯が具体的に描かれて行く。もう一つの興味を惹かれる側面である。長明にとっては悲劇に終わるが、この伝記小説の読者にとっては、ある意味で興味津々、長明の人間味を感じる側面でもある。

 第5の筋は長明の出家とその後の経緯ということになる。そこには後鳥羽院が長明を河合社の禰宜職欠員に対し、長明を任じようと思われた。それに対して下鴨社惣官の鴨祐兼が難癖をつけたことに端を発したという。その結果、50歳の区切りの年に長明は出家の決断をする。第5の筋は、第1の筋を人生の前半とすれば、人生の後半を描くことになる。第4の筋として取り出したものは、人生の前半部分に含まれていく。第1の筋とパラレルに進行している。第2と第3の筋は長明の人生全体に関わっていく。
 長明は出家し法名は蓮胤と称したそうだ。この小説を読み初めて彼の法名を意識した。出家して長明は大原に隠棲する。大原での出家隠棲の生活の中で、再び長明の人生に大きな影響を及ぼした事象を著者は綴っていく。一つは琵琶の演奏において長明が引き起こした禁忌事件の顛末。もう一つが、日野に移って4年目、建暦元年秋、飛鳥井雅経からの連絡を受け、鎌倉へ下向し、源実朝に対面する機会を得た顛末である。この2つ、長明の生き様を考える上でも、興味深い事象だと思う。

 この伝記小説では、長明が鎌倉に下向した回顧のところから、「終章 余算の山の端」として描かれている。そして、鎌倉から帰京し、日野の方丈での生活の中で、最晩年に長明は『方丈記』(1212年)を著し、『無名抄』、『発心集』をも著述することに専念していくプロセスが描かれて行く。
 健保4年6月10日、鴨長明、蓮胤入道死去。享年62という。

 鴨長明という人物像がこの伝記小説でイメージしやすくなった。非凡で一つのことに没入していく性癖の長明は、神官の道という日常の儀礼行事の継続、形式重視の世界においては所謂はみ出し者の類いだったのかもしれない。人には一長一短ありというところか。
 本書を読了した勢いで、『方丈記』を通読した。方丈記の文がすんなりと眼に入ってくる。本書のストーリー展開の各所を思い浮かべつつ通読できた。『方丈記』を読む上でも、この伝記小説はバックグラウンド情報として有益である。『方丈記』に記された五大事件の記述は、本書の中で、長明があたふたと現場に駆け、己の眼に映じた状況を回顧して語っていく描写の中に肉づけされ、広がり、展開されている。

 機会を見つけて、改めて河合神社に復元されている「方丈の庵」を再見に、また日野の長明・方丈の庵跡を再訪してみたいと思っている。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
下鴨神社 ホームページ
  境内マップ
鴨長明  :「コトバンク」
鴨長明方丈の庵跡(方丈石)(京都市伏見区) :「京都風光」
方丈庵を解体してみる  :「もうDIYでいいよ」
日野・方丈石  Nakamuraさんのレポート
法界寺  :「京都観光オフィシャルサイト」
法界寺  :「わかさ生活」
方丈記 鴨長明 :「青空文庫」
鴨長明「方丈記」現代語訳と朗読  :「无型 -文学とその朗読」
無名抄  :ウィキペディア
発心集  :「ジャパンナレッジ」
梅沢本『無名抄』:鴨長明  :「やたがらすナビ」
慶安四年版本『発心集』:鴨長明 :「やたがらすナビ」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『越前宰相 秀康』 文藝春秋
『光の王国 秀衡と西行』  文藝春秋
『正倉院の秘宝』  廣済堂出版
『捨ててこそ空也』 新潮社
『荒仏師 運慶』 新潮社
『百枚の定家』 新人物往来社

『盤上の向日葵』 柚月裕子 中央公論新社

2019-07-05 14:06:47 | レビュー
 「盤上」の盤とは将棋盤のことである。当然ながらこのストーリーには対局場面が時折登場して来る。そして、そこには棋譜の描写がある。将棋の門外漢である私には切り取られた対局場面の将棋盤上の局面状況が正確には理解できない。文字面を読み進め、描写から対局場面の迫真性を感じとるだけでスルーして読み通した。従って、将棋愛好者がこのストーリーを読むと、多分このあたりは一味違う読後感想となることだろう。この点、最初にお断りしておきたい。
 将棋について門外漢の私が読み通しても、このストーリーの構成が面白くて、最後まで一気に読んだ。少し変わった趣向の警察小説である。
 一方、このストーリーを読み、副産物として、対局プロセスのイメージとプロ棋士になる仕組みについての基礎的知識が学べたように思う。
 このフィクションの登場人物のキャラクター設定が多少特異であるので、一層面白さが加わり、一方不自然さを感じることがないのかもしれない。

 序章は、佐野直也と石破剛志の二人が平成6年12月に山形県天童市の新幹線の駅に降り立つ場面から始まる。二人は日本公論新聞社主催の将棋のタイトル戦、竜昇戦の第7局が行われている会場に向かおうとしている。
 石破剛志は埼玉県警の捜査一課を牽引する中堅刑事で警部補。刑事としての腕は第一級だが、上司部下を問わず、言いたいことをはっきり言う性格で、変わり者とみられている捜査官。佐野直也は大宮北署地域課に所属する。捜査本部が立った事件に加わえられたのだ。佐野は、元奨励会員だった。プロ棋士になれず志半ばで奨励会を去る立場になった。将棋との関わりを一切断ち、警察官に合格し転身したのだった。だが、皮肉なことに、元奨励会員という経歴が、彼を捜査本部に関わらせ、変わり者の石破と組む羽目になった。佐野は石破にしごかれて、殺人事件捜査員の体験を積むことになる。
 
 タイトル戦第7局の会場は神の湯ホテル。名人になるために生まれてきた男、と呼ばれる24歳の天才棋士・壬生芳樹竜昇に挑戦するのは、特異な経歴を持ち、特例でプロになった33歳の上条圭介6段である。上条は東大卒である。外資系会社に就職した後、3年で退職、ソフトウエア会社を起業し、年商30億を達成する。ITベンチャーの旗手となったが、その会社を売却し、実業界を引退。そしてアマチュアのタイトルを総嘗めする。プロ公式戦の新人王戦に出て、アマチュアでありながら指し盛りの若手プロを下し、前代未聞の快挙を達成したのだ。この時に、「炎の棋士」という異名が付いた。そしてプロ棋士となることが特例で認められたのだった。

 ホテルに到着した佐野と石破。だが大盤解説が行われているコンベンションホールには入れる資格がない。二人は警察官という身分を明かす訳には行かない。元奨励会員という佐野が偶然かつての同期に出会い、そのコネで関係者パスを何とか入手し、ホールに入ることができた。
 なぜ、二人がこの大盤解説が行われ、モニターを眺めることができる会場に入らねばならないのか?
 それは、モニターに写る上条の顔のアップを見た石破の囁きが示す。「いい面構えだ。人ひとり殺してもなんでもねえって面してやがる」(p27)
 上条は殺人事件の容疑者として絞り込まれたのだ。タイトル戦という状況を慮って、この対局が終了するのを待つという捜査本部の方針が出た。つまり、石破と佐野は身分を隠して、ひそかに上条を監視するために対局が行われているこのホテルまで来たのである。
 そこで、冒頭で容疑者が確定しているこの小説のどこがおもしろいのかである。
 それは、このストーリーの構成にある。二つの逆行する時間軸でのストーリーがパラレルに進行して行くというスタイルの語り口にある。

 警察小説として、当然ながらメインのストーリーは殺人遺体遺棄事件確認後の捜査展開にある。地域課所属の佐野がなぜ、殺人事件の捜査本部に組み込まれたのか、がこの事件の特異性にある。
 第1章は、平成6年8月3日、捜査本部会議は大宮北署3階大会議室で始まる。その1週間前に、白骨化した遺体が天木山中から発見されたのだ。遺産相続を放棄した人が山を手放し、その山を都内の企業が購入。事業目的のために、山林の伐採を引き受けた会社の社員が作業中に第一発見者となった。白骨化した遺体は人間の骨で、死後およそ3年が経過し、男、推定年齢40~50代等、大凡のことがまず会議で報告された。科捜研で残された頭蓋骨から復顔作業を行う段取りになっている。特異だったのは、遺留品である。駒袋入りの一組の駒が残されていた。それは初代菊水月作、錦旗島黄楊根杢盛り上げ駒であり、値段をつけるとおよそ600万円というもの。駒収集家には垂涎の品だったのである。なぜ、そんな貴重なものが遺留品なのか? 将棋の駒という遺留品が佐野を殺人事件捜査に巻き込んだのである。
 そして、石破に佐野がつき、二人でこの菊水月作の駒の出所を追跡捜査するということを師事される。とんでもない貴重な駒が殺人犯人を探求する重要な事件解明の糸口となる。このストーリーはこの特異な駒の出所、元の持ち主を丹念に探し求めていくという捜査プロセスとなる。所有者探しという形で時間軸を過去に遡っていく。将棋の駒については、佐野に格段の知識があり、捜査推理については石破に格段の経験とノウハウがあるというコンビがここに生まれたのである。佐野は石破から捜査員として、結果的に鍛えられる環境に投げ込まれる。佐野が刑事として成長していく物語という側面も描かれていき、楽しめる。ここに描かれるのは、駒の出所を探るという地道な捜査活動がどのように、事件解明に必要な情報を手繰り寄せていくかということの描写である。捜査プロセスは読者が同行していくというニュアンスで読み応えがある。

 もう一つのストーリーは、冒頭で容疑者と確定している上条圭介の人生物語である。
 こちらのストーリーは第2章から。昭和46年1月、元教師だった唐沢光一郎という高齢者が、諏訪湖氷上でのワカサギ釣りを終えて、帰宅の途につくシーンから始まって行く。一瞬話がどこに進むのかと戸惑うが、読み進めるとその展開がおおぼろげながら見え始める。唐沢の住む地域での古紙回収に絡んだ事がきっかけで、唐沢が小学生の上条圭介に将棋の手ほどきをするという関係ができる。そして、上条少年にとっては、将棋が生きることの支えとなる厳しい境遇から人生がスタートしていく。上条少年の境遇を知った唐沢は夫妻は、子供に恵まれなかったことから、上条を庇護する役割を進んで取るというところからまず話が展開していく。上条にとり少年時代の支えとなった将棋が、東大に入った上条のその後の人生は、将棋が縁となる人間関係が彼の人生を数奇な方向に動かしていくことになる。IQ140という上条の置かれていた境遇とその後の人生の紆余曲折が必然性という意味合いで読ませどころとなる。

 遺棄されて白骨化した遺体の犯人捜査で時間軸を溯って行くプロセスと、少年時代から始まった上条の人生の時間軸のプロセスとが遂に交差する。その鍵が初代菊水月作の駒と白骨化した頭蓋骨の復顔だった。天童市から上条が帰京する。上条が乗った新幹線に石破と佐野もまた同乗し、監視体制を敷く。東京駅での下車時点で、任意同行をかけよという指示が遂に出た。2つのストーリーが交わる。意外なエンディング! このストーリーを味わっていただきたい。

 ここまでのご紹介では、なぜ「盤上の向日葵」なのかはわからない。まず、向日葵は上条圭介の母の好きな花だったのだが、その向日葵にはさらに深い意味合いと秘密が潜んでいた。そしてまた、「炎の棋士」と呼ばれる上条自身の将棋にも向日葵が関係していたのである。明らかにされていく向日葵の意味とその意外性のインパクトが強く印象的である。
 向日葵がある意味でこのストーリーの方向を定めるキーワードになっている。そして、向日葵については、石破と佐野を初めとした警察官にとっては、捜査の埒外に留まった。私はそのように読み取った。
 なぜ高価な駒を遺体と一緒に埋めたのかの謎及び上条圭介が最後に選択した行動の真因は、上条以外の人々には永久に謎のままになる。そこに隠されたメッセージとしての余韻が残る。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、リアルな情報に関心を広げて少し検索した事項を一覧にしておきたい。
日本将棋連盟 ホームページ
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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『凶犬の眼』  角川書店
『合理的にあり得ない 上水流涼子の解明』  講談社
『蟻の菜園 -アント・ガーデン-』 宝島社
『朽ちないサクラ』  徳間書店
『孤狼の血』  角川書店
『あしたの君へ』 文藝春秋
『パレートの誤算』 祥伝社
『慈雨』 集英社
『ウツボカズラの甘い息』 幻冬舎
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社