遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『千利休101の謎』  川口素生  PHP文庫

2020-05-21 20:25:47 | レビュー
 本書は2009年8月に文庫書き下ろしとして出版された作品である。10年前の作品であるが、千利休という人物そのものにアプローチする入門書、いわば基本的教養書の1冊として手頃であると思う。部分読みに留まっていたので、改めて通読してみた。
「101の謎」というタイトルのネーミングは一つのシリーズ名称として付けられたのだろう。他に購入後未だ本棚に眠っているままなのだが、著者は2005年に『織田信長101の謎』、2011年に『平清盛をめぐる101の謎』を同様に書き下ろし出版している。他にもこのシリーズが数冊出版されているが、手許にないので省略する。

 「101の謎」は、謎というよりも千利休という人物とその周辺群像を知るための具体的観点という方が適切である。「謎」という言葉はつい惹きつけられやすいので、チャッチ・コピーとして使われているのだろう。副題「知られざる生い立ちから切腹の真相まで」が本の表紙に記されている。千利休その人を周辺も含めて具体的に知り理解するための質問(具体的観点)が101項目投げかけられ、それに回答説明が加えられていく。例えば、Q1は「利休が現在でも根強い人気を誇る理由は?」と投げかけて、3ページのボリュームでその回答が為される。大凡、質問に対して2~4ページの説明となっている。

 千利休を知るアプローチとして、中項目レベルの観点が章立てになり、その観点の下に小項目レベルの質問にブレークダウンして具体的にしていくというやり方である。
 序 章 千利休の<実像&業績>の謎   3(Q1~Q3)
 第1章 利休の<出自&家庭>の謎    7 (Q4~Q10)
 第2章 利休の<私生活&子孫>の謎  10 (Q11~Q20)
 第3章 利休と<茶の湯&修行>の謎  10 (Q21~Q30)
 第4章 利休の<流儀&茶会>の謎   10 (Q31~Q40)
 第5章 利休の<茶室>の謎      10(Q41~Q50)
 第6章 利休の<茶道具>の謎     10(Q51~Q60)
 第7章 利休の<流派&弟子>の謎   10(Q61~Q70)
 第8章 利休と<天下人&茶頭     10(Q71~Q80)
 第9章 利休の<失脚&切腹>の謎   10(Q81~Q90)
 第10章 利休の<史跡&供養>の謎   11(Q91~Q101)
<>内が千利休その人の出生から切腹に至るまでを多面的に知る基礎的観点だということがこの目次構成からわかる。

 例えば、<出自&家庭>という中項目は、生誕地、先祖の職業、利休の通称・号など、居士号について、生家の家業、利休の妻について、利休の子について、という小項目(具体的な観点)に具体化して質問の形で投げかけられていく。

 質問形式の利点は、小項目の回答内容を読めば、一応それで完結していることである。そのため、自分にとって関心の高いものからまず自由に拾い読みすることができる。気軽にどこからでも読めるというメリットは大きい。
 質問形式の欠点は、一問一答のために他の質問で答えられていた内容と重なる部分が結構回答説明として含まれてくることである。一問一答で完結をする上で、冗長性がどうしても加わってくる。読み進めると多少煩わしく感じることになる。繰り返しから覚えるということにもつながるのだが。

 冒頭に基礎的教養書と思うと上記した。そこで、本書から学んだ利休を知るための基礎知識の一部を要約的に箇条書きでご紹介したい。括弧内は質問番号を記した。
*利休の最大の業績は佗び茶を大成させ、茶の湯を芸道に高めたこと。(Q3)
*利休の幼名・通称は与四郎、法号(法諱)は宗易、居士号は利休、斎号は抛筌(抛筌斎)
 宗易という法号を授けたのは臨済宗の禅僧・大林宗套。天文14年(1545)4月8日
 居士号は正親町天皇の勅賜だが、利休と最初に名づけたのは古渓宗陳 (Q4,Q6,Q7)
*利休の花押で判明しているのは4種類:ケラ判、易判、横判、亀版 (Q13)
*利休の孫である千宗旦の4人の息子の内、次男宗守(一翁)、三男宗左(江岑)、四男宗室(仙叟)がそれぞれ武者小路千家、表千家、裏千家に分かれ一派をなす。
 宗旦は利休の娘お亀と養子千小庵を両親とする。(Q19)
*与四郎と称し17歳の時に東山流の北向道陳(1504~1562)に師事し茶の稽古を始めた。
 その後、道陳の引き合わせにより、珠光流の武野紹鴎(1502~1555)に師事する。(Q25)
*「利休四規」(和敬清寂)、「利休七則」(利休七箇条)と言われる。しかし、「四規」は珠光の発言を利休が究める形に。「七則」は利休を経て、茶人の間に普及したことが後に纏められた可能性が大きい。同様に「利休百首」も後世に体裁がまとめられたものとみられる。(Q33,34)
*利休の構築した茶室で現存するのは京都の大山崎に所在する妙喜庵の茶室・待庵だけ。
 利休ゆかりの茶室で、復元等により現存するのは、京都・高台寺の傘亭、時雨亭。堺・南宗寺の実相庵。裏千家の広間の残月亭。広島・神勝寺の茶室一来亭。 (Q43)
*利休愛用の茶道具 (Q51~Q58)
  茶壺:唐物銘「橋立」、釜:辻与次郎作の茶釜
  水指:南蛮芋頭水指(交趾焼)・信楽水指・瀬戸焼の水指・
  茶碗:景徳鎮の染付茶碗・長次郎作の楽茶碗・狂言袴茶碗銘「挽木鞘」・奥高麗茶碗
  掛物:圜悟克勤の墨蹟・密庵咸傑の墨蹟・馮子振の墨蹟・中峰明本の尺牘
  花入:銅製花入銘「鶴一声」・瓢花入銘「顔回」・桂籠花入・鉈鞘籠花入
  香炉:井戸香炉銘「此世」・瀬戸獅子香炉・唐銅獅子香炉
 利休が自作した茶道具 (Q56)
  竹花入:銘「園城寺」・「よなが」・「尺八」、茶杓:銘「ゆがみ」・「両口」
*利休の高弟、「利休七哲」には複数の説がある。(Q65)
*豊臣政権下での利休は「内々の儀は宗易(=利休)、公儀の事は宰相(=秀長)」と位置づけられた。← 豊臣秀長から大友宗麟への耳打ちとのこと。 (Q80)
*現在、大徳寺の金毛閣に安置される千利休木像は、明治維新後に備前岡山藩の筆頭家老であった伊木忠澄(三猿斎/1818~1886)が遺言により寄進したもの。(Q100)

 Q&A式での解説をお読みいただくと、具体的に千利休関連の基礎知識を手軽に知ることができる。欲を言えば、もう少し写真掲載が多く掲載されてビジュアルさが増すと、一層親しみ易いのだが・・・・・・。
 末尾に、「千利休関係略系図(千利休関係閨閥図)」、三千家の各略系図、「千利休関係系譜図」、「千利休関係略年譜」、「主要参考文献一覧」がまとめて掲載されているので、便利である。

 ご一読ありがとうございます。

これまでに、茶の世界に関連した本を断続的に読み継いできています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
=== 小説 ===
『利休の闇』 加藤 廣  文藝春秋
『利休にたずねよ』 山本兼一 PHP文芸文庫
『天下人の茶』  伊東 潤  文藝春秋
『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編』 澤田ふじ子  徳間書店
『古田織部』 土岐信吉 河出書房新社 
『幻にて候 古田織部』 黒部 享  講談社
『小堀遠州』 中尾實信  鳥影社
『孤蓬のひと』  葉室 麟  角川書店
『山月庵茶会記』  葉室 麟  講談社
『橘花抄』 葉室 麟  新潮社
=== エッセイなど ===
『千利休 無言の前衛』  赤瀬川原平  岩波新書
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社
『利休の風景』  山本兼一  淡交社
『いちばんおいしい日本茶のいれかた』  柳本あかね  朝日新聞出版
『名碗を観る』 林屋晴三 小堀宗実 千宗屋  世界文化社
『売茶翁の生涯 The Life of Baisao』 ノーマン・ワデル 思文閣出版



最新の画像もっと見る

コメントを投稿