遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『確証』 今野 敏  双葉社

2012-12-31 01:21:23 | レビュー
 この作品、警視庁捜査第三課と捜査第一課の事件捜査感覚の違いをベースに際立たせながら、両方の課が一連の事件に関わり、その中で連携・協力、反発・対立、独自行動などでせめぎ合いながら事件を解決するという話である。第三課の盗犯捜査と第一課の強盗・殺人捜査との違いに光をあてている点がおもしろい。

 主人公は第三課の萩尾秀一とその相棒・武田秋穂だ。第三課第五係。第二方面(品川区・大田区)、第三方面(世田谷区、目黒区、渋谷区)、第四方面(新宿区、中野区、杉並区)の盗犯捜査を担当する。
 話は午後2時10分に渋谷で発生した強盗事件から始まる。強盗は第一課の担当だ。しかし武田は事件に関心を持つ。捜査一課に憧れを抱いているからでもある。萩尾から了解を得て、盗犯捜査第一係に情報入手に行く。盗犯係の協力要請は第一係に連絡が入るからだ。ところが、その12時間後に同じ渋谷、歩いて5,6分の近さにある宝飾店で窃盗事件が起こる。強固な防護シャッターがあり、従業員入口は電子ロックが付いていて、警備保証会社とも契約している店だ。侵入異常の警報は鳴らず、盗まれたのは奥の金庫に保管されていた5000万円相当のダイヤとプラチナのネックレス1点だけ。その金庫は指紋認証装置がついているのだ。その金庫が破られたのである。
 萩尾は、この窃盗事件が、12時間前の強盗事件と何らかの関連があると予感する。この窃盗事件は、盗人のプライドを強盗犯人に示すメッセージではないか・・・・。そして、この窃盗事件の捜査から指紋認証をキーにして、萩尾は自らの情報源の一人、迫田鉄男に会いに行く。彼は今は車椅子生活をする元窃盗経験者なのだ。以前に町工場を経営していた電子機器・装置の専門技術者でもある。この迫田は指紋認証をくぐり抜ける装置を開発していたのだ。彼が窃盗犯でないことは歴然としている。だが、彼に何らかの関わりがあるのか・・・。
 
 捜査一課第三係の苅田巡査部長から萩尾に話を聞きたいという連絡が入る。係長の指示を受けて、萩尾と武田は苅田のところに出むく。萩尾が強盗事件に関心を持っており、窃盗犯が強盗犯に関わっているとみているのかを確認したいという。午後2時10分の強盗犯に対し、午前2時10分の窃盗犯の犯行は、プロ同士にしかわからないメッセージだと萩尾は自分の見方を伝える。
 さらに今度は、赤坂の宝石店で同じく午後2時10分に強盗殺人事件が起こる。わずか2分ほどの犯行である。渋谷の高級時計店の強盗と同一犯という線が浮かびあがる。行きがかりから萩尾・武田コンビは、捜査一課が担当する赤坂の現場に足を運び、現場の検分に入る。萩尾は盗犯捜査の眼で現場を見て、違和感、不審を感じ始める。
 この強盗殺人事件に対して捜査本部が立つ。そして、萩尾・武田コンビはこの事件に巻き込まれて行く。捜査本部の一員に加わるようにと指示をうけるのだ。
 捜査本部への参加協力を承諾するにあたり、萩尾は係長経由で、捜査本部においても盗犯担当として独自捜査する行動を認めて欲しいという条件をつける。

 この3つの事件がどのように関わっているのか、捜査が展開されていく。捜査本部という臨時組織体のあり方、指示・命令と捜査活動、第一課の捜査発想・行動と萩尾の第三課の捜査発想・行動の違いが波乱を含みながら織り成されていく。一刻も早い事件解決への想いは同じであっても、そのための事実の読み方、発想の違いが捜査活動の違いを際立たせ、対立する局面を生み出す。第一課、第三課という互いの組織の競い合いという意識・心情すら内包されていく。警視庁内部の組織対立、組織の持つ性ともいえる。勿論、そういう局面は民間企業でも同様の現象がみられるだろう。警察畑に限ったことではない。
 警視庁と警察署の関わりもその中に巻き込まれていく。刑事の人間関係も大きく捜査に影響を及ぼさざるを得ない。
 S1Sのバッジを持つ一課の菅井は、三課の萩野に対抗意識を燃やす。萩野を強盗捜査の単なる助っ人として使おうとする。事実上、捜査本部を仕切っている捜査一課長、ノンキャリアの田端警視がその間にたち、両者の折り合いをつけ、捜査活動をまとめていくことになる。彼は、2つの組織の捜査発想の違いをうまく活用しようと試みる。
 このあたりをリアルに描き出していくのは、さすがに手慣れたものである。

 萩尾の情報源でもあった迫田がこの一連の事件にどういう関わりを持っているのか。強盗殺人事件の現場を検分し、被害者側の宝石店店長にも事情聴取し、強盗殺人事件そのものに疑問を感じる萩尾は、盗犯捜査の眼から事件を追って行く。自らの捜査経験と感覚で、こうだと推論することの裏付け、確証を如何に発見し、積み上げていくか。第三課の刑事のプロの勘だけでは事がすすまない。確証こそ犯人逮捕に必要なのだ。
 刑事にとっての情報源の存在、その関わり方が描かれている点もおもしろい。
 指紋認証システムという最新のリスク対策手段を窃盗犯事件に登場さ、それを軸にしながらストーリーを組立てている点は、著者の時代感覚が窺え興味深い点でもある。これは金庫と金庫破りの現代版である。どのようにして、指紋認証システムが破られたかの究明プロセスが読ませ所でもある。

 ストーリーの展開がけっこう面白い。窃盗犯のプロ意識というのも描かれていて興味深い。捜査一課に憧れをいだく武田の意識がこれら事件解決のプロセスで変化していくという側面が描き込まれ、また、女性の刑事を相棒に持つ萩野の戸惑い、想いも描き込まれていく。この側面も読んでいて楽しい部分だ。
 気楽に読めて、ストーリーを楽しめる作品に仕上がっていると思う。
 後は、本書を手にとって、楽しんでいただきたい。

ご一読ありがとうございます。


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本書を読み、関心を抱いた言葉の関連情報をネット検索してみた。一覧にしておきたい。

指紋認証 :「IT用語辞典」

生体認証 :ウィキペディア

空港の指紋認証すり抜け…ジャパンマネー目指す韓国人ホステスらの驚愕の裏技
 :「産経ニュース」

刑事部 :ウィキペディア

警視庁捜査一課 :「THE POLICE ENTERTAINMENT 日本警察公論」

警視庁方面本部規程

大阪府警察捜査本部運営規程

北海道警察捜査本部運営規程

鑑識課のしごと :「青森県警察」
   指紋係のしごと 
   足こん係のしごと
  写真係のしごと 

鑑定について :「齋藤鑑識証明研究所」

供述調書の信頼性 :「司法精神鑑定」

供述調書作成過程の検証に録音録画が有効な理由 :「西村あさひのリーガルアウトルック」


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このブログを書き始めた以降に読んだ今野敏氏の作品で、読後印象記を載せたものを一覧にします。ご一読願えれば、うれしいです。

『陽炎 東京湾臨海暑安積班』

『初陣 隠蔽捜査3.5』

『ST警視庁科学特捜班 沖ノ島伝説殺人ファイル』

『凍土の密約』

『奏者水滸伝 北の最終決戦』

『警視庁FC Film Commission』

『聖拳伝説1 覇王降臨』

『聖拳伝説2 叛徒襲来』『聖拳伝説3 荒神激突』

『防波堤 横浜みなとみらい署暴対係』

『秘拳水滸伝』(4部作)

『隠蔽捜査4 転迷』 

『デッドエンド ボディーガード工藤兵悟』 

『原発ゼロ社会へ! 新エネルギー論』 広瀬 隆  集英社新書

2012-12-25 12:33:48 | レビュー
 冒頭で著者は、本書の目的が「『原発がなければ電力不足が起こる』は大嘘だという事実を知らせるための書である」とストレートに述べている。そして、序章で2012年夏前の「関電の電力不足騒動」の欺瞞性を暴いている。電力不足について発表・報道された統計数値が如何に都合よく操作されたものであるかを分析している。つまり、関西電力は大飯原発なしで電力が24%余っていたという事実を著者は公開されているデータから論証する。「1ワットの節電さえ必要ないほど、工業立国の日本の町々には、発電機が充満していたのだ」(p32)と力説する。そして、それは電力会社の言い分をそのまま報道し続けた報道界の無知さへの批判でもある。

 著者は、日本の現有総発電能力の量と電力消費量という次元と電力不足の次元を峻別する。「電力不足とは、多くの人がいっせいに電気を大量消費するごく短い時間帯の問題なのである」(p29)。だが、そのあたりが曖昧な状態で「節電」論議・報道がなされている点を鋭くついている。そして、原発ゼロで十分にやっていけるという現実的なエネルギー論を著者は本書で展開していく。地に足がついた形でエネルギー源を捉え直すことができる。原発ゼロ推進の確たる裏付けとなる書であると思う。

 本書は序章に続き、次の5章で構成されている。
 第1章 発電の方法はいくらでもある(民間の発電能力)
 第2章 熱エネルギーの有効利用が日本の活路を拓く(コジェネ)
 第3章 化石燃料の枯渇説は崩壊した(ガスの未来)
 第4章 自然ネネルギーを普及する真の目的
 第5章 地球の気温と電力コストの予測

 第1章で著者は、実用されている発電装置の種類を、電気を生み出す原理によって分類する。そして、その原理の観点と科学技術の発展の現状・近未来の状況の視点を併せて、原発廃絶の手段が既に存在することを説く。実務的な技術論として、ガス・コンバインドサイクルによるコジェネを推進する方向性を主張する。 
 また、自家発電による分散型電源が民間企業の普及している実態を明らかにし、その発電能力が政策的に活かされていない点を指摘している。つまり、原発推進を前提とした「総括原価方式」の電力会社の地域別運営を優先させてきた政治及び行政のあり方を批判する。このあたりのからくりを私たちは充分に理解すべきだろう。

 第2章で、コージェネレーション(コジェネ)によるエネルギー供給の方法は、既にエネルギー業界では常識となっているし、熱エネルギーの有効利用という視点に立つことによって、エネルギー問題に活路を拓くことができると論じる。
 家庭で使うエネルギーの大部分はよく眺めると、電気そのものではなく「熱」の形態が大部分なのだ。だから、熱電併給にしていけばよいという論法である。また、コジェネの普及実績を示し、原発ゼロ化の社会像を示唆する。

 第3章では、ガスが未来を拓く点について、その裏付けを語る。ガス・コンバインドサイクル、ガスヒートポンプエアコン、エコウィル、エネファームなど、希望あるエネルギー生産革命の基盤になるのはガスである。これからのエネルギーが「ガスの時代」ならば、その資源の埋蔵量、ガスの未来はどうかをこの章で論じている。埋蔵量という数字のマジックについて分析している。そして、従来の化石燃料枯渇説が部分局面しか論じていなかった点を解説している。シェールオイル革命、シェールガス、メタンハイドレートの未来に目をむけている。

 第4章では、自然エネルギーの持つ欠点・限界を踏まえたうえで、自然エネルギーの発電能力と普及について論じている。著者は明確に、自然エネルギーだけで原発を廃絶出来ないという。あくまで現状では補助電源的な位置づけにあるとする。自然エネルギーは長い目で見て技術開発し、普及しなければならないシステムなのだ。
 ここで、著者は自然エネルギー利用に熱心な人たちに理解してほしい要点を4項目挙げている。p182から引用する。ここに著者の主張・論点が集約されていると思うからだ。
1)現在のエネルギー問題を起こしているのは、日中の一時的な大量のピーク電力需要で、これはほとんどが企業や自治体、学校などの組織的な活動によるものであり、家庭の問題ではない。
2)もともと電気の使用量の少ない人(地方・地域)が自分一人でエネルギーの節約をしても、問題は解決しない。われわれ貧乏人が節約しても、たかが知れている。
3)都会や産業に向けて、普及度の可能性が高い方法を求めてゆかねばならない。
4)自然界に大型機械を持ち込む行為は、絶対に慎まなければならない。
 つまり、この論点を踏まえたうえで、コジェネの促進により原発ゼロ社会が即刻可能なのだと主張している。
 著者はこうも言う。「必要な電力と、不必要な電力を峻別して考え、電力消費を削減する最新技術を知って、頭を使うだけで、『節電ナシ』に従来通りの企業活動、家庭生活ができるのである。そもそも節電という言葉は、誰が言い出したかといえば、原発ゼロ時代を迎えて追い詰められた電力会社と腐敗した日本政府から意図的に投げかけられたのである」と。従来からの「省エネ」という言葉を適切に使えば十分なのだと。
 この章で、中央リニア新幹線の愚行とその背景を暴露している。現在のマスコミでは報道されない背景部分だ。原発稼働に繋がる実態が見えてくる。マスコミに踊らされない目が必要である。

 第5章では、真夏のピーク電力問題を分析するために、地球の気温という観点を取りあげている。そして、地球温暖化の一般的な論議に対して疑義を呈する。長期的には地球の寒冷化こそ危惧すべきだと論じる。熱の確保が重要となる時代に対しコジェネの推進が役立つ側面を示唆している。一方で、真夏の気温上昇において、日本人の体感温度に最大の影響を直接与える元凶はヒートアイランド現象にこそあると論じている。このあたりについて、頭を整理するのに役立つ章である。
 最後に、電力コストの真相に言及する。原発必要論者の見解を論破している。一読いただきたいまとめでもある。「これでも、原子力コストは安い、などという人間が、この世にいるのか! おい、経団連は、答えろ!」という本章末尾の文は、著者の怒りの爆発である。それは一般庶民の心情の代弁でもあるだろう。

 「あとがき」は、毎週金曜日夕刻6時から行われた首相官邸前デモをはじめとした直接抗議行動その他、著者の賛辞と感謝でまとめられている。しかし、ここに記された内容はマスコミ報道には取りあげられなかった事実の側面が大半であると思う。事実の理解を深める上で、知っておくべき側面だ。マスコミ報道の一面性を理解するためにも。

 私自身の情報不足な部分、無知な側面を本書によりかなり補強できた。本書を多くの方が一読されることをお薦めしたい。
 この一書からさらに現実的な原発ゼロ論議が発展することを期待する。

ご一読ありがとうございます。


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 本書に関連するデータのソースや主要関心語句を検索してみた。リストにまとめておきたい。

経済産業省生産動態統計 統計表一覧(機械統計)
 確報 (1)生産・出荷・在庫統計 Excelファイル
 ここに、主要製品統計表(時系列表)としてダウンロード一覧ページがある。
 項目選択し、画面閲覧でファイルを開き、目次で「28一般用エンジン発電機」をクリックすると、当該項目のデータ表示ページに飛び、リンクされている。

主要製品生産実績 経済産業省近畿経済産業局 
「2.一般機械 、電気機械、情報通信機械・電子部品・デバイス、輸送機械・精密機械」 という分類項目の統計データがダウンロードできるページまでアクセスできる。
 ダウンロードをクリックし、画面閲覧で見ると、電気機械のページ選択で、
 エクセルファイルの「Ⅱ.機械器具 ②電気機械 番号112 一般用エンジン発電機」という分類でデータが見られる。

平成22年(2010)機械統計年報 経済産業省経済産業政策局統計部
  28 回転電気機械  p195-204 (pdfファイルの 207/463ページ参照。)
 (注:この項目分類の中に、「一般用エンジン発電機」の項目が存在する。)


関西電力 電力需給のお知らせ
 このサイトで関電のデータ公表の内容とデータ開示方法がわかる。
 (つまり、著者広瀬氏から見れば、関電に都合の良いデータ開示にしかすぎない。
  本書でその意味合いが理解できると思う。)
 具体的な過去データはエクセルファイルの閲覧画面呼び出しが必要。

東京電力 電気予報


コジェネレーション  :ウィキペディア

コージェネの種類と特徴 :「コージェネレーション・エネルギー高度利用センター」
 コージェネの高効率化
 
コンバインドサイクル発電 :ウィキペディア

ガスコージェネレーションの種類 :「日本ガス協会」

コージェネレーションユニット :「HONDA」

「コージェネレーション」最新の質問一覧 :「質問! ITmedia」



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今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『「内部被ばく」こうすれば防げる!』 漢人明子 監修:菅谷昭 

『福島 原発震災のまち』 豊田直巳 

『来世は野の花に 鍬と宇宙船Ⅱ』 秋山豊寛 

『原発危機の経済学』 齊藤 誠 

『「想定外」の罠 大震災と原発』 柳田邦男

『私が愛した東京電力』 蓮池 透 

『電力危機』  山田興一・田中加奈子

『全国原発危険地帯マップ』 武田邦彦

『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章

『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ
http://blog.goo.ne.jp/kachikachika/e/8dc30c4281ef3d6c75f2585154f78794
2011年8月~2012年7月 読書記録索引 -1  原発事故関連書籍

『偏愛的数学 驚異の数』 アルフレッド・S・ポザマンティエ/イングマール・レーマン  岩波書店

2012-12-20 10:11:46 | レビュー
 「偏愛的数学」という名付け方に興味をおぼえて読んでみた。
原題は "Mathematical Amazements and Surprises: Fascinating Figures and Noteworthy Numbers" である。直訳すれば、「数学上の驚嘆と意外さ:魅惑的な図形と注目すべき数」という意味合いだ。「偏愛的数学」というネーミングは、本書を通読すると、う~ん、なるほどと感じいる。よくぞこれだけ、数字の取り扱い、様々な計算を通して、数字のもつ不可思議さを集めてきたな・・・というものだ。やはり、ちょっとマニアックな本である。本書は原本を2巻に分けたうちの1冊。「注目すべき数」つまり「驚異の数」の側面を取り扱っている。つまり、
 第1章 数の性質と関係の驚異
 第2章 算術の楽しさと奇妙さ
 第3章 計算の輪
の3章分を訳出されている。
 この本、各章の各節がそれぞれ一つの「数の驚異」として独立した読み物になっているので、どの節からでも読むことができて、おもしろい。ただ、前後で緩やかな関連項目になっているものがある。これまた、前後して読むことも可能である。

 ピタゴラスの時代から、数秘術と呼ばれる占術の領域が開発されてきているようだが、この本はまったくそれとは無関係である。(「数秘術」のクリックでウィミペディアの項目に)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E7%A7%98%E8%A1%93
しかし、この本を読み進めていると、「数」についての不可思議さがそういう分野を生み出していったというのも、心理的にはうなずける気がおきるほど、数の計算結果から出る一連の事実に「驚嘆」し、「意外」な感銘すら生じてくる。過去の歴史の中で、数の研究とともに、数に取り憑かれた人、マニアックな人々が沢山居たのだということに思いを馳せる。

 数の表記方法は古代から様々な方法がある。マヤ人の方法(点と横棒)、エジプト人の方法(象形文字)、ローマ人(ローマ数字)等々。フィボナッチという名で知られるピサのレオナルドが、1202年に「Liber Abaci」という書物を著し、インド数字を紹介して以来、西洋文明では、0,1,2,3,4,5,6,7,8,9という数字がつかれるようになったようだ。
 本書ではこのインド数字、つまり我々が日常当たり前のように使っているこの0から9までの数字を組み合わしてできる数値をさまざまに計算してみることから産まれる驚嘆すべき結果を紹介している。ある意味では驚嘆事例の列挙本である。だから、どこから読んでも楽しめるのだ。

 本書を読んで、その意外性を満喫していただくイントロとして、私が面白いなと思ったケースをいくつかご紹介して、驚嘆・意外の印象に代えてさせていただこう。本書はびっくりする事実に満ちている。本書を手に取って、ゆっくりとその驚異にはまったいただくとよい。本書に取り上がられている順で、いくつか列挙しよう。

1. 666という数の不思議さ p5-10

 1) 1+2+3+4+5+・・・・・+34+35+36=666  1から36の自然数の総和
 2) 最初の7つの素数(2,3,5,7,11,13,17)のそれぞれの2乗の総和は666
 3) 666の47乗と666の51乗のそれぞれの数字根はどちらも666
    数字根とは、「ある自然数を10進表記したときの各桁の数字の総和」のこと。
 4) 666の2乗の各桁の数字を3乗した総和に、666の3乗の数字根を加算すると、666
 5) 6を3回加算し、6の3乗を3回加算する、つまりそれら6つの数の総和は666

2. 7による整除性の法則    p16-18
 与えられた数の最下位桁の数字を除去し、残った数から除去した数の2倍を引く。
 その結果が7で割り切れるとき、そしてそのときに限り元の数は7で割り切れる。
 判定を下すには結果がまだ大きすぎる場合は、この操作を何度でも繰り返すことができる。
  例) 876547 は 7で割り切れるか?
   876547 -14 = 87640
8764 - 0 = 8764
876 - 8 = 868
86 - 16 = 70 なので、元の数は7で割り切れる。

3. 完全数という名で呼ばれる数の存在  :真の約数の和が自分と等しい数 p40-42
  例) 6 = 1+2+3
28 = 1+2+4+7+14
496 = 1+2+4+8+16+31+62+124+248

4. 好みの数  p69-70
 a) 12345679 という数がある
 b) 1から9までの数から1つ自分好みの数を撰ぶ
 c) 選んだ数を9倍する。
 d) 9倍した数をaの12345679に掛けて計算する。
 すると、その結果はbで選んだ数字の並んだ結果となっている。

5. 89ループ  平方数字根の不思議  p114-122
 a)勝手な数を一つ選ぶ
 b)その各桁の数の平方の総和を計算する。この結果を平方数字根という。
 c)この操作を繰り返す。
 d)最終的には、1か89に到達し、そのループに入ってしまう。

 例) ある数に5をとる。
  5の2乗 25
  2の2乗+5の2乗=4+25=29
  2の2乗+9の2乗=4+81=85
  8の2乗+5の2乗=64+25=89
   結果の89で平方数字根を繰り返すと、89に戻ってくる。ループに入る。

   同様に、例えばある数が、13、32だと、最終は1のループになる。
 本書には、別の有名なループとして、インド人数学者カプレカーが1946年に発見した6174というカプレカーの定数、その変種、ウラム・コラッツのループ、数の巡回的ループ、1089のループなど、様々な「数の輪」を解説していく。実におもしろくて、不思議だ。

 こんなマジック的な不思議さを知ると、きっと読んでみたくなるだろう。ここにはトリック、ごまかしはまったくない。全部ちゃんとした計算結果として出る事実ばかり。だからこそ、「驚嘆」し「意外さ」を感じるのだろう。あれっ、不思議! おもろい! 楽しい!

 このほかに、第1章を「数秘術」を気楽な話題(p55-57)としてとりあげているのもおもしろい。第2章では「ところ変われば」という項で、算術計算方法が国によって違うことを説明している。合衆国、ドイツ、アジア、スウェーデン、ロシアをとりあげて、減算と乗算の方法を例示している(p91-97)。これまた、エッ!と驚き。日本の学校教育で習ったやり方がどこでも取られているやり方だと勝手に思い込んでいた。目から鱗・・・・である。その次の項目、「ネーピアの算木」も奇妙だけれどおもしろい。乗算「機械」の発明だ(p98-99)。また「覆面算」において、覆面算と虫喰い算のロジック解説をしてくれているのもなるほどと興味深い。
   FORTY
     TEN
    +TEN
  -------
   SIXTY   こんな覆面算の例についての解説も載っている。解けますか?


 「あとがき」で、ハーバート・A.・ハウプトマンは、自分自身の数学への愛の始まりを述べたあと、「整数値ポンドの重みを持つ分銅だけを使って天秤で重さを測るとき、1ポンドからnポンドまで全部を測れるようにするには最少で何個の分銅が必要だろうか?」という課題を設定して、解説しているのもおもしろい。そのハウプトマンが末尾に「数学的驚異の金塊がぎっしり詰まったこの本」と賛辞を呈している。


ご一読ありがとうございます。

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 ネットにここで取りあげられている項目が公開させているか、少し検索してみた。その結果をまとめておこう。

フィボナッチ数 :「12さんすう34数学5Go!」

フィボナッチ数を極める :「私の備忘録」

パスカルの三角形 :ウィキペディア

三角数 :ウィキペディア

完全数 :「私の備忘録」

自然数の加法回文性  :「数学者の密室」

約数の和、友愛数   :「数学者の密室」

角谷の予想 :「中学数学の基本問題」

ネイピアの計算棒(ネピアの計算棒 ネーピアの計算棒) :「これなあに?」

ネイピアの骨 :ウィキペディア

覆面算 :ウィキペディア

覆面算 :学ぶ教える.com

虫喰い・覆面算一覧 :クイズ大陸

覆面ソルバー  Naoyuki Tamura氏

6174の不思議 西山豊氏

カプレカー変換  灘校 数学研究部 

コラッツの問題 :ウィキペディア


数学に関する記事の一覧 :ウィキペディア


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『「内部被ばく」こうすれば防げる!』 漢人明子 監修:菅谷昭 文藝春秋

2012-12-15 23:17:44 | レビュー
 本書の副題に「放射能を21年間測り続けた女性市議からのアドバイス」と記されている。21年間? その発端は、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故なのだ。この事故の後、ヨーロッパからの輸入食品の汚染が問題となり、不安感を抱く小金井市の市民達が「小金井市に放射能測定室を作る会」を結成し、測定器の購入を陳情したことから始まったという。当時、著者は子育て真っ最中の保育園で働く20代だった。奥書によると、1997年に小金井市議会議員に当選し、4期目になるようである。この会は後に「小金井に放射能測定室を作った会」に名称変更し、著者は現在、共同代表となっている。
「あとがき」によれば、「専門家ではない普通の市民による20年以上にわたる放射能測定という貴重な経験に基づいたメセージ」(p166)を発信した書である。
 
 「小金井市での測定活動は、チェルノブイリ事故の2年後に市議会が測定器購入の陳情書を採択し、さらに市との話し合いを経た2年半後にスタート」(p166)という。著者は「測定器は市が購入とメンテナンス、市民が測定するという協働が長続きのポイント」(p154)であると経験を語る。小金井市では市民の無償ボランティアで、1日2回の測定当番を組んでいるそうだ(p155)。市民測定室という発想とその実践活動の草分け的存在ではなかろうか。この辺りの情報がないので、推測にしかすぎないが。

「監修者はじめに」で、菅谷は放射性物質から身を守るために知っておきたいこととして3つ挙げている。
1.状況に変化がない限り、今後は「外部被ばく」より「内部被ばく」に気をつける
 内部被ばくの3つのルート:「経口的」経路、「経気道的」経路、「経皮的」経路
 食事・飲食、呼吸、濡れる・触るという形で、今後放射能を体内に取り込んでしまう可能性があるという現実を認識しなければならない。
2.低線量被ばくだから安心、とは言えない
 つまり、放射性物質の影響を、急性影響、晩発影響、遺伝的影響の3つに分類して理解することの必要性を述べ、「放射性物質は、いったん体内に取り込まれれば、少量だろうと、なんらかの影響を与える」(P21)という認識が必要だと説く。
3.子どもは大人より、放射線の影響を受けやすい(放射線感受性が強い)
 つまり、「少しの量でも汚染されている飲みものや食べものは、少なくとも子どもや妊産婦は、できる限り避けたほうがいいのです」(P22)という。

 本書は、監修者の3つの守ること、つまり「内部被ばく」を防ぐ実践についてQ&Aの形で、具体的に分かりやすく説明している。21年間の放射能測定活動の中でのノウハウが「第1章 測る」「第2章 避ける」「第3章 動く」という三章構成でまとめられている。
 自分たちの活動で実践してきたこと、実践していることを踏まえて説明されているので読みやすくて、分かりやすい。抽象的な理論ではなく、具体的な事例中心で、イラスト入りの説明が親しみやすく、直感的に理解できる工夫がなされていて好感が持てる。初めて読む人向きに記されているといえる。

 第1章は、タイトルそのもの。「測る」ことだけが、不安を解消してくれるのであり、放射能について知ったうえでは、実際に「測る」以外に、「内部被ばく」を防ぐ方法がないことを具体的に納得させてくれる。
 「人間と(人工的な)放射能は共存し得ない。自然界の放射能以外は、受けない」(p28)ということがあくまで基本原則なのだ。
 ベクレルとシーベルトの違い、年間被ばく量の計算方法から説明し、どういう機器で、どのように測定するかを実践的に説明している。過去の数多くの原水爆実験の累積、チェルノブイリ原発事故、福島第一原発事故によって、放射性物質がこの地球に拡散している実態から出発しなければならない。放射性物質について、放射能について、事実を知れば、対策を考え、行動を起こすことができる。何も知らないままに内部被ばくを続けてしまう可能性を回避し、状況を変えられるのは、事実を知る行動であり、測定はそのためなのだ。

 第2章は、放射能の「移行係数」というものを説明した後、どんな食品からどの程度の放射能が測定されたのか、食品の放射能をどうしたら軽減できるかなど、具体的な事実データを採りあげながらイラスト入りで説明してくれている。自分たちの測定室でのデータ、実験などを軸に様々な公開データも活用され、経験に裏付けられた実践的情報が満載である。
 たんぽぽ舎の鈴木千津子氏が、「事故後の汚染度はどう変わってきたのか」という題で「傾向と対策」を紹介している。原発事故以降に測定依頼を受けて、自ら測定作業をしたデータを使ったものである。測定値に語らせているとも言える地図掲載が一目瞭然でインパクトがある。

 第3章は、行動に移す実践方法を語る。「小金井に放射能測定室を作る(/作った)会」の活動経験をベースに、要望の提起の姿勢・しかた、陳情の方法、請願書(陳情書)の書き方など、事例を交えてまとめている。
 
「2012年からは『土壌に染み込んだ放射性物質からどれくらい吸収するのか』が、ひとつの着目点になります。」(p162) 内部被ばくの問題は、チェルノブイリの事故以降、あの福島第一原発事故で幾重にも重なる形で、今改めて新たに再スタートしたこれからの問題なのだ。内部被ばくについて、不安感をいだいている段階の人がまず読み始めるのに最適の実践書と言える。

最後に、本書に記された次の文を引用しておきたい。
*放射能の被害を低く見積もって問題にしようとしない姿勢は、高い汚染の中で暮らさざるを得ない子どもたちの現状を見過ごす風潮を生み出します。  p158
*「規制値は超えていまくても、汚染された食物を子どもが食べるのは問題だ」と指摘することは大事なことです。 p158
*感情論に流されず、きちんと主張するべきを主張し、必要に応じて反論していける強さとしなやかさが必要です。少なくとも、子どもたちに将来、大人が引き起こした核災害のつけを背負わせるようなことはしていはいけません。 p160


ご一読ありがとうございます。

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 本書に出てくるもの、また重要項目を検索してみた結果を一覧にしておきたい。
 「知る」ことから始める契機になれば、うれしい次第です。

小金井市放射能測定器運営連絡協議会 公式サイト

小金井市に放射能測定室を作った会

たんぽぽ舎
  タンポポ舎・放射能測定室

TEAM二本松「市民放射能測定室」


ベクレルについて考えてみよう :「放射能について正しく学ぼう」(-Team Coco-)

ベクレル(Bq)、シーベルト(Sv)換算 - 放射能・放射線の量 :「MEMORVA」

放射能Q&A :「東京都健康安全研究センター」

放射性物質の基礎知識 :農林水産省


環境放射線測定結果:「東京都健康安全研究センター」

福島県 各種モノタリング結果 項目一覧ページ

福島県放射能測定マップ

環境放射線等モニタリングデータ公開システム

モニタリング情報 :「原子力規制委員会」


放射線量等分布マップ(土壌濃度マップ等) ←放射線モニタリング情報:文部科学省

環境放射能水準調査結果 ←放射線モニタリング情報:文部科学省

航空機モニタリング結果 ←放射線モニタリング情報:文部科学省

全国及び福島県の空間線量測定結果 リアルタイム情報 :文部科学省


「食品と放射能Q&A」 :「消費者庁」
    正誤表  
東日本大震災関連 消費者庁の食の安全関連についての各種情報一覧ページ

食べ物と放射性物質の話 :農林水産省

食品等に含まれる放射性物質 (小冊子):農林水産省

食品と放射能 :「日本の環境放射能と放射線」
 いろいろな食品に含まれる放射能のレベルを見ることができます。

低線量放射線被曝のリスクを見直す :「NPO法人 市民科学研究室」

身の回りの放射能 :「日本の環境放射能と放射線」

環境中の放射能と放射線 :「日本の環境放射能と放射線」
 日常食、野菜、精米、牛乳など18項目の一覧から選べます。

環境放射能用語集 :「日本の環境放射能と放射線」


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今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『福島 原発震災のまち』 豊田直巳 

『来世は野の花に 鍬と宇宙船Ⅱ』 秋山豊寛 

『原発危機の経済学』 齊藤 誠 

『「想定外」の罠 大震災と原発』 柳田邦男

『私が愛した東京電力』 蓮池 透 

『電力危機』  山田興一・田中加奈子

『全国原発危険地帯マップ』 武田邦彦

『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章

『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ

2011年8月~2012年7月 読書記録索引 -1  原発事故関連書籍



『レッドマーケット 人体部品産業の真実』 スコット・カーニー  講談社

2012-12-10 12:21:25 | レビュー
 実におぞましい事実についてレポートした本だ。しかし、その実態を知るために、最後まで一気に読んでしまった。
 人間の身体が部品として世界中で取引されているのだ。骨、靱帯や角膜、心臓、腎臓、卵子、血液、毛髪、人間本体までもが・・・・。その事実を著者はくまなく現地を訪れ、取材調査している。

 本書の内表紙裏面に、こんな引用文がある。リチャード・ティマスの『贈与の関係論』からの一文だという。
 「もしも人体の組織が商品としてさかんに売買されるようになり、そうした取引から利益が上がるようになれば、最終的には市場の法則が支配するようになるのは、当然のことである」
 この記述が、まさに現実のものになっているのだということを、著者はここにも、ここにもという具合にレポートしている。「労働」からの搾取ではなく、それ以上におぞましい「人体」からの搾取である。かつて、ユダヤ人収容所における殺戮と併せて「人体」からの搾取が世界に衝撃を与えた。だが、形を変えた「人体」からの搾取が様々な地域で現在、現実に行われているのだ。人体のバザールが存在する!

 著者は法律と経済の世界にはまず3種類のマーケットが存在するとみる。ホワイト(合法で公明正大な取引)、ブラック(銃器・麻薬の密売など不法商品・サービスを取引など)およびグレー(海賊版DVDや課税を免れる収入など)である。そして、著者は「人の身体をめぐる社会的なタブーと、より長く幸せな人生を送りたいという個人の欲求が衝突したときに生まれる、矛盾の産物」(p28)としての取引の実態を「レッドマーケット」と名づけた。「レッドマーケット」は本書の原題(”THE RED MARKET")そのものである。原題に付けられた副題は翻訳書の副題とは異なり、もっとストレートである。
 ”On the Trail of the World's organ Brokers, Bone Thieves, Blood Farmers, and Child Traffikers"だ。「世界の臓器ブローカー、骨泥棒、血液農場主および子ども売買商人を追跡して」というところか。まさに人体部品産業の構成者を例示している。

このレッドマーケットをなぜ、著者は追跡するに至ったのか。そこには著者の特異な経歴が背景にあるようだ。本書を読んで、大凡こんな経緯がわかった。著者は2005年の夏に、ウィスコンシン州立大学マディソン校の大学院で人類学プログラムを終えた。奨学金が尽きようとしていたので、手っ取り早く確実に現金を入手するため、治験の人間モルモットに志願したという。マディソンは全米でも数少ない臨床検査センターの一大中心地だそうだ。大手製薬会社から医薬品開発業務の受託をし、治験を行う機関の一つ「コーヴァンス」で後発便乗型の薬の治験で人間モルモットの実態を経験したのだ。そして、2006年から2009年にかけて、インド南部沿岸の大都市・チェンナイ(旧マドラス)で過ごす。インドに短期留学するアメリカ人大学生への教師となる。そこで、担当した学生をブッダガヤの巡礼センターに引率した際、その最終滞在地で学生の一人が死亡(自殺?)するという事件が起こる。著者は彼女の遺体をアメリカの遺族に届けることを担当しなければならなくなる。そのプロセスで死の結果としての身体の腐敗を含めた物理的側面に対峙し、また遺体に対する様々な権利の主張への対応に迫られる。警察の尋問、地元ジャーナリストの強行取材、検死解剖、死因解明のために切除された各内臓の一部が広口瓶に収められ研究所に送付される作業、粗い縫い目で縫合される胴体、不完全になった全裸の遺体。両親から依頼された裸の遺体の写真撮影、亡骸のアメリカへの搬出。気づかないうちに、著者はこのことから人体のレッドマーケットに関係していくことになる。教職を辞した後、チェンナイを拠点としながら調査報道を専門とするジャーナリストの道を歩み出すのだ。
 そして、著者は2010年に子供の拉致、売買を扱った報道で「ジャーナリズムにおける倫理賞」を受賞する。

 その著者が、犯罪的なレッドマーケットはあまりにも多くすべてを取りあげることは不可能と判断し、「人の身体を売買するマーケットに対する新しい見方を提供したい」(p12)という考えから書いたのが本書である。著者はこのマーケットに共通する点を見ていこうとする。
 そして、著者は章ごとに異なるレッドマーケットを取りあげている。こんな構成になっている。何処が取材地かとともに、読後印象も併記していく。

はじめに 行き詰まり
 インドの国境の町ジャイガオン。「骨工場」の調査報道のプロセスで、「大量に隠されていた頭蓋骨や骨」の小さな新聞記事を発見した著者がここを訪れる。警官の案内で骨のぎっしり詰まった部屋(3つ)を見るが、それは墓からの盗掘品。著者の追跡しているものではなかった。
 横笛に加工する途中の頸骨、頭頂部をノコギリで切断された頭蓋骨。頭蓋骨のてっぺん部分からは祈祷用の碗を作るのだ。儀式用の道具としてブータンのチベット仏教の僧侶に売られるという。警官は言う。「墓の盗掘をはっきりと禁止する法律はないと思いますよ。だから、彼らは捕まっても釈放されるでしょう」(p5-6)と。宗教用儀式の道具として、人骨の需要があるのだ。
 著者にとっては行き詰まり。なぜなら、この時、著者はアメリカの医学教室が求める骨格標本を作る「骨工場」を調査していたのだ。「アメリカの教室にある骨格標本のほとんどが、インドからきたものだった。だが1985年にインド政府が人体組織の輸出を禁じる」(p4)その結果、骨の売買は地下に潜り、我が世の春を謳歌する。人体の骨に対して需要がある。そこには供給側が現れる。

イントロダクション 「人間」か「肉」か
 まず、著者はレッドマーケットの存在を明らかにし、何が取引されているかを概括する。著者はほぼ人体のあらゆる部分が部品として対象になるのだということを、自らの体を例にして説明する。1901年にウィーンの科学者カール・ラントシュタイナーが4つの血液型を発見。安全な輸血のできる時代が開幕した。それに伴い輸血の需要が増加、売血という生業が発生する。人間の臓器という複雑精緻な部品は需要が絶えない。国境を越えた国際的な養子縁組、そこにもレッドマーケットが潜んでいるのだ。著者は需要と供給という経済の等式の「供給側」を探ることに意を注いでいく。

第1章 蹂躙される遺体
 ブッダガヤにおいて。アメリカからインドに留学生としてやってきたエミリー(仮名)という教え子の転落死に著者が関わり、彼女の遺体を両親の元に搬出することを担当したプロセスを語る。
 この事件が、著者の人生を変える一つの要因になる。

第2章 骨工場
 インドのウエストベンガル州の片田舎。人骨売買。「ウエストベンガル州のレッドマーケットの売人たちは遺体を墓から盗み、固いカルシウムを軟らかい肉片から取り去り、骨を卸売業者に提供する。そういう古来の手法にのっとって、人間の骨格と頭蓋骨をいまも供給しているのだ。卸売業者は骨を組み立て、世界中のディーラーへと送り出す。」(p65)「海外では7万ドルの値がつくだろう。」(p65)

第3章 臓器売買の供給チェーン
 インドのタミル・ナードゥ州にある津波被害者収容の難民キャンプ、ツナミ・ナガール。腎臓をブローカーに売る女性。

第4章 養子縁組ビジネス
 誘拐された子供が「マレーシア社会福祉園(MSS)」を通じて、国際養子縁組という公式のシステムに組み込まれてしまった事例が出てくる。2009年1月、アメリカ、ユタ州の養子斡旋機関「フォーカス・オン・チルドレン」の職員が詐欺と入国違反に関して有罪を認めた事例を紹介する。著者は、「一般的に、書類が整っているように見えれば、アメリカの斡旋機関はそれ以上は追求しない」(p137)と書いている。

第5章 私の卵子を買ってください
 子供を欲しい、産みたいと切望する不妊症患者が存在する。地中海の真ん中に浮かぶ小さな島国キプロスがいまや、世界を相手に卵子を売買する中心地なのだと著者はいう。そして、その調査レポートをまとめている。「女性の卵巣には、この世に生命をもたらす機能がある。だが同時にそれは金鉱でもあり、およそ300万もの卵子が、採集され、いちばん高い値をつけた人間に売られるのを待っている」(p144)と記す。卵子を提供する女性はどういう人々か。著者は提供者を追跡し、インタビューしている。そして、倫理上のジレンマをあぶりだしていく。著者は「デザイナーベビーの時代」になっている状況だという。

第6章 政府公認の代理母産業
 政府公認の代理母産業が存在するのだ。著者は、インド、アナンドのアカンクシャ不妊クリニックの代理母ハウスの実例を取材している。「医療ツーリズムの促進に力を注ぐインドは、その一環として2002年、代理母制度を合法化した。・・・・代理出産ツアーは順調な伸びを見せている」(p181)アメリカで有償の代理出産を認める州があるようだが、そこで子供を1人誕生させるには、保険の適用が滅多になく、5万~10万ドルが必要となるのに対し、インドでは体外受精から分娩までの全プロセスの費用が1万5000~2万ドルなのだと。「確かな数字はつかめないが、インドの代理出産サービスは欧米から毎年、最低でも数百人は顧客を獲得している」(p181)と記す。ビジネスなのか助け合いなのか、著者は事実を追い求めていく。

第7章 商品としての血液
 インドの国境の町ゴラクプールでの事件。酪農の大家が敷地に5つの小屋を建て、そこに17人の男たちが囚われていて、少なくとも週に2回、ラボの技術者に採血されていたという。骨と皮だけの男が一人脱走し助けを求めたことから、この「血液農場」の実態が明るみに出たのだ。著者はこの事例をレポートし、売血のプロと血液ディーラーの存在、血液のブラックマーケットを追跡していく。

第8章 人間モルモット
 著者自身がバイアグラの後発薬の臨床実験の被験者に応募した実体験を赤裸々に記録する。そして、そこで知り合った被験者プロの話を記す。だが、「製薬会社は公式には、臨床的労働などあってはならないという見解を取っている。そして、被験者は自発的に参加していると言うとき、・・・そこには利他主義と利益の追求が混在している」(p224)のである。製薬会社は「被験者が治験に費やした時間に対して」金を払っているが、被験者すなわち人間モルモットになることは「寄付行為なのだ」という見解なのだ。
 そして、高度の臨床知識と儲け第一の管理スキルを兼ねた治験業務の受託専門会社(CRO)の実態に迫っていく。なぜ貧困地域で治験を行うのかと。

第9章 永遠の命を求めて
 ここでは、再びキプロスの胎生学者が登場する。そして、他の組織からES細胞(胚性幹細胞)を作り出す方法の開発、つまり永遠の命を生み出す幹細胞の研究を取りあげている。この研究に対する論争に触れながら、人クローン誕生への執念、人工的に作り出されたヒト成長ホルモン(HGH)などに言及していく。
 永遠の命を求める科学の不確かな未来を見つめながら、著者はレッドマーケットに立ち戻る。「今日すでに、大金を支払うことのできる病人には大量の人体部品を供給する経済システムができあがっている。そしてすでに私たちは、原材料の入手だけを問題にして、人体の組織を扱っているのである」(p270)と。

第10章 黒いゴールド
 髪の毛が金に変換されプロセスを追跡する。ここでは、宗教儀式の一つとして剃髪された髪の毛がなぜゴールドに化けるのか。なぜそうなったのかの経緯を含めて追跡している。ここでも著者は、「カリヤナ・カッタ剃髪センター」での剃髪を実体験する。
 ティルマラ寺院は1960年代初めまでは剃髪された毛髪を焼却していた。しかし、政府が大気汚染防止のために焼却処分を禁止したのだ。焼却廃棄物が、廃棄物でなく資源に変身するのだ。そして利益を生む。2つのマーケットにおける需要が存在するからだ。その一つのマーケットは、「買うならレミーしかないわ」であるという。この言葉でピンとくるだろうか。それがどんな需要なのか。

おわりに ロレッタ・ハーデスティに寄せて
 「人体の組織をモノ扱いすることは、現代医学の最大の欠陥の一つである」(p292)とし、「人体を扱う合法的なマーケットに透明性がないかぎり、レッドマーケットは繁栄しつづけるだろう」(p291)と著者はいう。
 著者の考えは、「人の身体や組織を倫理的にやりとりするには、供給チェーンの完全な透明性が欠かせない条件なのだ」(p291-292)。なぜなら、「犯罪者たちは『プライバシー保護』のお題目のかげで、非合法の供給チェーンを守ることができるのだ」(p292)と。

 私たちは、レッドマーケットの存在という事実を知ることから出発しなければならない。それがどういう問題を秘めているのかを知るために。
 一方で、「透明性ですべてが解決されるわけではない」と著者はその対策案の限界をも認めている。
 おぞましい実態追跡レポートである。しかし、知ることから認識が始まるのだ。

ご一読ありがとうございます。

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 本書に関連して、気になる語句や検索可能な情報をネット検索してみた。
一覧にまとめておきたい。

本書に出てくる公的なあるいは正規の活動組織を含めて

 UNOS(全米臓器配分ネットワーク)のHP
 Organ DONATION AND TRANSPLANTATION :「National Kidney Fouondation」
 Families Thru International Adoption, FTIA のHP
 ichild のHP
 Children's Home Society & Family Services のHP
 代理母出産プログラム KBプランイングのHP ←ネット検索でのアメリカの事例
 特定非営利活動法人 日本治験推進機構のHP


関野病院・治験体験記 ←こんな体験記をみつけました :「治験アルバイト体験記」


Transplantation at Any Price? Arthur L. Caplan
 :「WILY ONLINE LIBRARY」
体外受精の悲劇?複雑な問題抱える「生殖産業」 曽野綾子:「日本財団 図書館」
代理母出産 :ウィキペディア
売血 :ウィキペディア
blood donation : From Wikipedia, the free encyclopedia

レミーヘアー :「激安かつら情報館(カツラの用語集)」
インディアンレミー :「激安かつら情報館(カツラの用語集)」
100% Remy Human Hair Guranteed ← ビジネスサイトの一例


レッドマーケット関連と周辺情報
 臓器売買 :ウィキペディア
 Refugees face organ theft in the Sinai 
    By Fred Pleitgen and Mohamed Fadel Fahmy, CNN
    November 3, 2011 -- Updated 1622 GMT (0022 HKT)
 法輪功学習者から臓器摘出、中国の臓器売買の実態 :「大紀元」
    一部ショッキングな写真が掲載されているので注意のこと。
 授業で使う骨格標本、本物の人骨だった!ニュージーランド :「AFP BBNews」
     2011年08月12日 20:02 
 不正な人骨の密輸、新たに発覚 [アメーバニュース/ロイター] :「阿修羅」
 インドで急拡大する医療市場注目は代理母出産ビジネス 2006年11月20日(月)
     :「日経ビジネス ON LINE」 記事の途中まで閲覧可能
 How To: Sell Your Body For Cash By Ross Bonander :「AskMen POWER & MONEY」
    How To Accidentally Have 150 Kids And Get Paid For It
 How to Sell Blood For Money By eHow Contributor :「eHow mom」


胚性幹細胞(ES細胞) :ウィキペディア
「受精卵を材料として用いることで、生命の萌芽を滅失してしまうために倫理的な論議を呼んでいる(一般的に、卵子が受精して発生を開始した受精卵以降を生命の萌芽として倫理問題の対象となるとみなしている。神経系が発達した以降の胚を生命の萌芽とみなす考え方もある。)」

人工多能性幹細胞(iPS細胞):ウィキペディア
 こちらは、ノーベル賞受賞の山中伸弥教授により命名されたもの。

人工多能性幹細胞の作製成功でローマ法王庁、「倫理的問題とみなさず」
2007年11月22日 10:13 発信地:バチカン市国  :AFP BBNews


日本 臓器の移植に関する法律 :ウィキペディア

向井亜紀の代理母 :「大野和基のBehind the Secret Reports」
代理出産・その他の不妊治療 日本の代理母出産の今後 池上文尋氏


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『錯覚学 -知覚の謎を解く』 一川 誠  集英社新書

2012-12-07 11:57:34 | レビュー
 著者は「はじめに」の冒頭に「百聞は一見にしかず」という言葉を取りあげる。そして、これに対して異議を唱える。「私たちは、観察している対象の特性のうち、限られたものしか直接的に知覚することができない。そればかりか、私たちの眼に見えていることは真実とは限らない。対象について見たり聞いたりして体感できる事柄は、多くの場合、観察対象の実際の特性とは異なるものなのである。」と。
 そして、この「はじめに」の冒頭から、我々の見間違い、見落としについて、集英社新書の表紙そのものを例に取りあげて、立証していく。えっ!と、のっけから引き込むところがうまい。

 「体験された内容と実際が異なることは、総称して錯覚と呼ばれる」(p6)が、本書はこの錯覚がどのように発生しているかを具体的な実験例を豊富に紹介しながら、これでもか、これでもかと、我々の知覚について多角的に分析していく。本書に取りあげられた実験例のいくつかは、多分誰もがどこかで見聞しているものだろう。私自身もああこれはみたことがある。この錯視については知っているというものがあった。しかし、これほど多くの錯視事例を見て、読んだのは初めてだ。自分自身の知覚が如何にごまかされやすい曖昧なものかということがよく体験できた。おもしろい本である。その分析解説を完全に理解できたとはいえないこころもとなさが残っているが、体感するという点では、著者の主張、論点を十分に感じとれたと思う。

 本書は、「はじめに」と「あとがき」「主な参考文献」(大半が外国の論文)の間を7つの章で構成している。目次を並べてみよう。これでこの錯覚学の雰囲気がわかるだろう。
 第1章 「百聞は一見にしかず」と言うけれど
 第2章 人間に「正しく」見ることは可能か
 第3章 二次元の網膜画像が三次元に見える理由
 第4章 地平線の月はなぜ大きく見えるのか
 第5章 アニメからオフサイドまで-運動の錯視
 第6章 無い色が見える-色彩の錯視
 第7章 生き残るための錯覚学

 著者は、見たり聞いたり触ったりすることによって得られる体験を「知覚体験」と称し、対象の物理的特性と知覚体験の間のズレを「錯覚」と定義する。そして、錯覚がどういう局面、次元で起こっているかを実験事例を挙げて例証し、分析を加えていく。
 「この本で取りあげる知覚認知研究が対象とするのは、人間に共通の特性をもつもの、人間であれば、ある程度の再現性がある現象である」(p21)という。俺は絶対に騙されないぞ、と思う方は、まず本書の事例を覗いてみてほしい。自分自身の知覚について、再認識できるはずだ。
 著者は「あくまでも、種としての人間に共通の知覚体験と対象の物理的特性との乖離に限って解説する」としている。あなたが人間という「種」の一員であれば持っている「錯覚」について、取り扱われているのだ。あなたがスーパー・パーソンでないかぎり、「種」としての「人間」であれば、自分の知覚について、本書で楽しめるはずである。私は楽しむことができた。

 本書で事例に取りあげられた「錯視」の事例名称を列挙しておこう。これが全てで、これで終わりということではない。現時点でのこの分野の研究成果が大凡まとめられ、紹介されているにすぎないようだ。日々研究が進展している、つまり新たな視点での錯視が発見されているということになる。
☆幾何学的錯視
 ミュラー・リヤー錯視、ボンゾ錯視、デルブフ錯視、エビングハウス錯視、
 オッペル・クント錯視、ジャストロー錯視、垂直水平錯視
☆角度錯視
 ツェルナー錯視、ブールドン錯視、ヘリング錯視、ヴント錯視、カフェウォール錯視
 傾いた文字列の錯視、枠組み効果
☆形状の錯視
 フレーザー錯視、ポゲンドルフ錯視、
☆写真を見て起こる錯視
 双子の塔の錯視(2008年に発見)、双子の道の錯視、道路写真の角度錯視
☆奥行情報の誤適用で引き起こされる錯視
 ミュラー・リヤー錯視と遠近法、ポゲンドル錯視における遮蔽と単眼領域
 テーブル板の錯視、直方体によるテーブル板の錯視
☆不可能図形:ありえない立体が見える
 不可能の三角形
☆絵画的手がかり
 線遠近法の手がかり、きめ勾配の手がかり、大きさ・距離不変の原理
 陰影の手がかり
☆運動視差
 車窓から見る景色の体験
☆立体感
 線画ステレオグラム、ランダム・ドット・ステレオグラム、オートステレオグラム
 周期的なドット配列、1枚で両眼視差による奥行知覚を生じる図
☆奥行知覚と大きさ
 線画ステレオグラムにおける大きさ手がかり
 両眼視差コントラストを生じるステレオグラム
☆運動錯視
 ラバー・ペンシル錯視、ワゴン・ホイール錯視、仮現運動、運動残効
 オオウチ錯視、ピンナ錯視、運動知覚における「窓問題」
 フレーザー・ウィルコックス錯視、エニグマ、帯状の配置によるエニグマ錯視
 動線による運動表現、矢印を用いた運動表現
☆動いている対象の観察において生じる錯視
 運動表象の惰性(Representational Momentum、略してRM)、フラッシュラグ効果
☆色彩の錯視
 コントラスト錯視、分割された背景でのコントラスト錯視
 コントラスト錯視が起きやすい配置、同化が起きやすい配置、ホワイト錯視
 墨絵効果、ネオンカラー拡散、マッハの本、ログビネンコ錯視
 歪んだモンドリアン図形

 とまあ、こんな具合である。

 著者は錯覚には2つの特性があるという。「知っていても避けられない」こと、及び「いい加減ではない」こと、つまり「対象の物理的特性からの知覚内容のズレ方に規則性がある」(p36)のだ。
 第7章の冒頭で、こうまとめている。「第一に、私たちが今まさに見たり聞いたりしていることは現実とは異なっている。第二に、自分自身の見誤り、聞き誤りの傾向を知っていたとしても、その知識によってその誤りを避けることはできない」(p202)と。
 しかし、「知覚や認知を操作することによって、情報通信の可能性を広げたり、危険を回避したりすることを通して、生活の質の向上が可能になる」(p203)のだとも。
 そして、自分自身の知覚や認知、行動の特性について客観的に把握し認識する「メタ認知」が重要だと説く。その上で、錯誤が致命的な問題に発展しないための道具によるサポートが現代文明社会では重要性を増しているという。
 スポーツ判定における機械化も人間の錯覚の存在を認知することで、正確、公平な判断の為には重要なのだと具体的事例を引く。著者は、錯覚の研究の成果を積極的に利用して行くことを強調している。まずは、メタ認知から始めようという啓蒙書である。
 
 自分の知覚について知る本、そして、掲載事例で「だまされて」楽しめる本だった。

ご一読ありがとうございます。

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さて、ネットで錯覚、錯視についてどんな情報が入手できるだろうか。
ネット検索すると、錯視事例そのものは結構沢山公開されていることに気づいた。
ほんの一部だが、検索範囲で得たものをまずは一覧にまとめておきたい。
本書を手に取る動機につながればおもしろいだろう。その現象が起こるのはなせかを分析し解説してくれているのだから。

錯視 :ウィキペディア
錯視の画像検索結果 → このページはかなり他の項目と重複するけれど・・・・
マインド・ラボ

Optical illusion  :From Wikipedia, the free encyclopedia
Auditory illusion :From Wikipedia, the free encyclopedia
Illusory contours :From Wikipedia, the free encyclopedia
White's illusion ::From Wikipedia, the free encyclopedia

Wolfram Demonstrations Project
以下はこのサイトに掲載の錯視事例。おもしろい!他にもいろいろある。
Are the Lines Parallel?
Flicker Colors
Ames Room
Ehrenstein Contour Illusion
Wheel Illusion
Kanizsa Polygon Illusion

hunch optical illusion
ここにもいろいろな錯視事例が満載されている。
 Leaning tower illusion ←上記本の「双子の塔の錯視」
 Penrose triangle ← 上記本の「不可能な三角形」のカテゴリー
 Young Girl-Old Woman Illusion ←これは心理学の本に出てくる絵の系譜
 Lamp Optical Illusion ←この錯視はsexy!
 Rollers ←自分の目が信じられない

Waterfall (M. C. Escher) :From Wikipedia, the free encyclopedia
 エッシャーの有名な錯視絵画の一つ。
 このページの下の作品リストからエッシャーの年代ごとの作品にアクセスできる。
  M. C. Escher :From Wikipedia, the free encyclopedia

Impossible motion: magnet-like slopes :YouTube
Impossible motion :YouTube
best optical illusions in the world part 1 :YouTube
BEST OPTICAL ILLUSIONS IN THE WORLD! :YouTube
Three women shaking NO. Please don't watch this if you are 15 or under. Old version. :YouTube
Eye Trip :YouTube
GRAN RECOPILACION EFECTOS OPTICOS :YouTube

錯視立体の数理


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『名碗を観る』 林屋晴三 小堀宗実 千宗屋  世界文化社

2012-12-03 15:36:24 | レビュー
 本書には22の茶碗が採りあげられている。
 主著者・林屋晴三は「日本陶磁史における茶の湯文化の体系化に尽力してきた」(奥書より)人だという。博物館、美術館などで茶碗を含む陶磁器を観賞するのが好きだが、不明にして著者について本書で初めて意識した。過去、共著などで目にしていたかもしれないが・・・・。茶道には門外漢だが、茶器・茶碗等を観賞するのは好きなので、タイトルに惹かれて読んでみた。

 本書は、2007年2月号から2010年12月号まで、月刊誌『家庭画報』に連載された記事を再編集し、「茶碗と七十年 林屋晴三の半生」という対談文を書き下ろしとして加えたものである。
 本書の特徴はいくつかある。その特徴を列挙し、多少の読後印象を併記してみたい。

1.林屋晴三の「心に深くしみた好きな茶碗」だけを選んだもの。
 自由闊達な審美眼によって選び抜かれたものだけというのがおもしろい。世間一般の名品認識だと採りあげるだろう茶碗で、ここに出てこないものが結構ある。林屋の審美眼がどういうものかを考えるのに最適な本といえるのかもしれない。林屋晴三にとっての「名碗」である。
 著者が選んだ名碗をまずは列挙してみよう。
 *楽と光悦の茶碗  無一物、ムキ栗、升、時雨、乙御前、不二山
 *和物茶碗 志野茶碗: 卯花墻、蓬莱山。 唐津茶碗: 絵唐津菖蒲茶碗、深山路
       仁清茶碗: 色絵鱗波文茶碗、蔦の細道
 *高麗茶碗 井戸茶碗: 老僧、細川    雨漏茶碗: 古堅手雨漏、蓑虫
       柿の蔕茶碗: 毘沙門堂、隼  蕎麦茶碗: 花曇、橘、布引
       喜左衛門井戸

2.茶碗の見どころが、林屋の文、あるいは林屋・千宗屋の対話文(これが大多数)、林屋・小堀宗実の対話文(毘沙門堂・隼の章)、そして「喜左衛門井戸」についての三人の対話文で、縦横に語られている点。
 茶碗の観賞法をじっくりと学ぶ事ができる。茶碗観賞の入門書として読むことができる。本書では、茶碗の見どころとして、姿形、釉調、土、手取りの重さ、景色、茶碗そのものが醸す器格が語られている。そこには、茶碗の来歴も俎上に載せられてくる。
 本文を読んでいて感じたのは、究極的に茶碗を味わうには、その茶碗で茶を喫し、自らの手に取ってみないと駄目であるということだ。言われてみれば、当然かもしれない。博物館や美術館などでの陶磁器観賞には限界があるということになる。せいぜいどこまで疑似体験として茶碗を味わえるかということだろう。だが、何となく茶碗を眺めて、見た気になっていることよりも、数歩でも内に入っていける観賞の観点をじっくり認識できる点が本書の強味だ。
 
3.写真家・小野祐次の撮った名碗の写真が原寸に近似したサイズで観賞できること。
 選び抜かれた22の茶碗がそれぞれの章において、様々な角度から撮られている。原寸に近似したサイズでの横から撮った写真をじっくりと眺めることができる。ほぼ原寸大の茶碗の写真は迫力がある。そして、高台を撮ったもの、茶碗を斜め上から撮ったもの、茶碗の見込みを撮ったものなどが載っている。さらに、茶会の風景、茶碗を観賞する図、床の写真、その他茶器の写真が豊富に載っている。写真だけ見ていても楽しめる。

4.実際の茶会が開かれ、その場で名碗を使用した体験記としてまとめられていること。
 名碗が飾り物ではなく活かされたもの、そこから発見されたものとして、対話が進み、また、林屋の文が載っている。茶碗にリアリティが加わり、イメージを浮かべやすくなる。各章には「会記」を記載したページがある。茶人にとっては、このページの読み込みがいい学習材料かつ情報源になることだろう。本席、床、花入、花、釜、水指、茶入、茶碗、茶杓、蓋置、建水、御茶、菓子、器というように列記されている。その品々の取り合わせ及びその一品一品の背景と来歴を知るほどに、そのアレンジメントの妙を味わえるのかもしれない。門外漢の私には、そこまで会席の奥行きを理解できないが。

5.写真に付された文、脚注が茶碗観賞への導きとして有益であること。
 本文、対話文とは別に、写真に解説文が付されている。写真とこの解説文を読むだけでも、入門編としては立派に役立つところがよい。またこの説明文は、本文や対話文で採りあげられた内容と当然ながら重なりができている。そこである意味違った切り口からの再確認となり、理解促進の一助になる。

 最後に、印象に残る文章を引用しておきたい。(括弧内は私が付記した部分)

*(待庵の写真に付された文)この場所を体験しないで利休論はかたれません。 p13
*道具と点前との関わりがどういうものだったのか。点前の型を絶対視すると、それに合わない道具は使えない、ということになってしまう。後年道具が萎縮していった原因のひとつは、そこにあると思います。  p26
*(ムキ栗について)かつては利休好みの四方茶碗という認識で観ていたのですが違うんですね。こちらの心の向かい方で、新しい発見があるものですね。  p40
*光悦の茶碗を数々観ていて・・・・楽家の人々が茶碗造りの基調としたといえる利休好みの形に、光悦はまったく興味を示していない・・・・織部の発想の自由な表現に大きく共感を抱き、自分の手遊び茶碗も、一椀ずつ自由に思いを込めて造っていたように思われる。p49
*侘び数寄の茶碗の原点は「無一物」のような長次の利休形の茶碗にあり、終極は光悦の自由で個性的な茶碗であったと思う。  p49
*志野の白い長石釉は、桃山時代に初めて日本の陶工が創造した白釉で、中国や朝鮮半島の白釉とは違った質感は、やわらかく、あたたかみがあって、日本人の感性を象徴しているといえるだろう。   p77
*「一井戸、二楽、三唐津」という見方が茶人の間にあった。もちろんそれが茶碗すべてを総括してのものではないが、侘びた風情を好む茶碗観としては、一見識のある捉え方であるといえる。   p96
*(絵唐津菖蒲文茶碗について)畳の上で目の前に置いてみると、茶碗としての味わいがにじみ出てきました。  p101
*仁清の茶陶がなければ、江戸時代の茶陶というものはまことに貧弱なものでしかなかったといっても過言ではなく、また、仁清に私淑して新しい装飾的陶芸を焼造した尾形乾山もいなかったに違いない。   p117
*(色絵鱗波文茶碗について)切り掛けとか、掛け切りといっている釉切れは、もちろん偶然ではなく意識してやっているんですね。自然に流れたように見せているけれどね。すべて、意図した意匠で、そうでないとこういう装飾性を高めた世界は創れない。 p121
*日本の陶磁における装飾芸術の萌芽が仁清じゃないかな。織部の時代の慶長の装飾性とは違うんですよ。   p125
*茶の湯の茶碗、なかんずく侘び数寄の場で見立てられ、使われてきた茶碗というものは、茶を喫してこそ、その味わいがわかるもので、これはどうしようもないことである。・・・日常から離れた場で喫してこそ、心から茶碗と語らうことができるようなのである。人間の心とは面白いものだと思う。   p157
*「喜左衛門」には絶対的な存在感があるでしょう。ところが、「古堅手雨漏」には、そういう絶対的存在感とはもっと違ったふくよかさや豊かさを感じますね。  p161
*(橘について)手に取って、ばちっとくる手取りのある茶碗はいいですよ。高台からの立ち上がりからこのへん(腰まわり)の土の残り方なんです。・・・・すべてバランスです。・・・・・ちょっと手に残る重たさ、取りに行ったときに人が手に加える力よりやや重い。それがいいんです。  p205
*天目茶碗というものはすべて画一的な形に成形されていて、その姿には井戸茶碗のような独特の風格はまったくない。   p212
*茶碗という器に大いに感情を移入して、茶碗を観賞するようになった侘び数寄の美意識、焼物としてはいわば雑器に等しい粗相なものではあるが、言葉に尽くしがたい風格を備えた井戸茶碗に感応したのであった。   p213


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ネット検索で、茶碗にどれだけアクセスできるか、試してみた。一覧にしておきたい。

赤楽茶碗(無一物)〈長次郎作/〉:文化遺産オンライン
頴川美術館  
「収蔵品の特色」の項目に、「無一物」の掲載あり
黒楽茶碗「ムキ栗」 長次作  :「へうげもの名品名席」NHK
 第19回の説明のところに載っています。
道入黒楽茶碗 銘 升 :「徳川美術館 茶の湯名碗」
光悦への憧憬  銘「時雨、銘「乙御前」 :「森川如春庵の世界」名古屋市立美術館
 ページの「第三章 如春庵と茶の湯」の箇所に
国宝・白楽茶碗 銘 不二山 本阿弥光悦作 :「サンリツ服部美術館」HP
志野茶碗 銘卯花墻 :「三井記念美術館」HP
出光美術館「志野と織部」 :「とーるブロ」
 志野茶碗「蓬莱山」個人蔵  ここにも「卯花墻」の写真が一緒に。
絵唐津菖蒲茶碗 田中丸コレクション名品図録 :「うまか陶」
古唐津 奥高麗茶碗 銘 深山路 :「鶴田純久の章」HP
色絵鱗波文茶碗〈仁清作/〉 :「文化遺産オンライン」
北村文華財団 北村美術館  
  所蔵品 重文 仁清作色絵鱗波文茶碗
野々村仁清『色絵蔦の細道茶碗』 (特別展 楽美術館):「京都で遊ぼう」
老僧 個井戸茶碗 :「鶴田純久の章」HP
【重要文化財】 井戸茶碗 銘 細川  :「畠山記念館」HP
古堅手(かたで)雨漏茶碗 :「根津美術館」HP
雨漏茶碗 :「文化遺産オンライン」
雨漏茶碗 銘 蓑虫 :「文化遺産オンライン」
柿の蔕茶碗(銘 毘沙門堂)東京 畠山美術館  :「=蔵絶閣= 茶器」
柿の蔕茶碗(銘 毘沙門堂)東京 畠山美術館  :「=蔵絶閣= 茶器」
隼 青井戸茶碗 :「鶴田純久の章」HP
蕎麦茶碗 銘 花曇 「心に残る名碗」 :「ふくちゃんの陶芸奮闘記」
 6月2日の随筆記事写真に。
 また、5月25日記事に「大井戸茶碗 銘 喜左衛門井戸」
    5月28日記事に「志野茶碗 銘 卯花墻」
名器「井戸の茶碗」:「落語の舞台を歩く」
 大井戸茶碗・喜左衛門(国宝) 
喜左衛門井戸茶碗を見られました。:「設計アトリエ日記」
国宝「大井戸茶碗 銘喜左衛門」:Photo

楽焼 楽歴代(収蔵作品) :「楽美術館」HP
楽茶碗   :「茶道入門」
高麗茶碗  :「茶道入門」
柿の蔕茶碗 :「茶道入門」
井戸茶碗  :「茶道入門」
茶碗 2号館 茶道具について :「Himeno Club Art Museum」
<高台学会> HP


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