遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『フクシマの荒廃』 アルノー・ヴォレラン  緑風出版

2018-02-28 21:17:51 | レビュー
 この翻訳書の副題は「フランス人特派員が見た原発棄民たち」と表紙に記されていて、その下に、原タイトルがフランス語で記されている。本書末尾に、訳者である神尾賢二(以下、同様に敬称略)の「訳者あとがき」があり、原タイトルについて、冒頭で触れている。それを読むと、「荒廃」が主タイトルであり、副題の意味をそのまま直訳すると「フクシマの使い捨て人間たち」であることがわかる。つまり、この特派員記者は、ストレートに「福島第一の原発作業員のおかれた立場を言いあらわしている」(p202)副題を端的につけている。
 
 訳者が直訳的ではないタイトルにしたのは、本書の内容が福島第一原発の爆発後に、フクイチで働く原発作業員そのものだけでなく、福島がフクシマに転換した「フクシマの荒廃」のプロセスにおいて、著者であるフランス人特派員の見聞と探求が広がっていることにある。生活の場を奪われ避難を余儀なくされた地元の人々、地元で原発労働者となっている人々の家族の有り様にも目を向けている故なのだろう。
 「原発棄民」という表現には、一群の原発労働者が「使い捨て人間」として扱われていると特派員が明確に受け止める側面に加えて、愛する土地を離れねばならなくなって地元に戻れない人々をも包含した語彙として使っているのではないかと思う。併せて、直訳的タイトルにすると、本書を読まない限り、それが誰を意味するかが直接解らずに誤解を与える可能性もあるからかもしれない。

 今までに、原発事故と被曝に関連した著書をかなりの冊数読んでいるが、その殆どは著者が日本人だった。フクシマを実際に見聞し、取材した外国人ジャーナリストの目線と思考で捉えたものはほぼなかった。それ故、著者が原子力発電大国であるフランスからやってきたフランス人特派員という立場が目に止まった。
 結論から言えば、著者はかなり客観的公平に取材対象を拡げて「フクシマの荒廃」の事実と背景、原因を探求しているように感じる。外国人ジャーナリストの視点とその描写、そしてその捉え方は読み応えがある。
 
 本書は「再確認」という見出しから始まる。2011年3月11日14時46分(日本時間)、東北沿岸沖でマグニチュード9の地震が発生したことにより、原発事故がフクシマの事態を現出した。この事実の経緯をまず端的に3ページ余に要約している。このセクションの末尾に、本書執筆時点までの事実として、「2011年3月以降、4万4530人の作業員が原発で働いた。少なくとも2040年までかかる福島第一の解体作業のために、さらに厖大な作業員が働きに来るであろう」(p10)と記す。この作業員の数字を現在の日本人がどれほど知っているだろうか。
 「原子炉は、常に冷却し続けなければならない。現在どのような状況であるかはほとんどわかっていない。太平洋岸に横たわる東京電力の建物を蝕む炉心溶融物が今どうなっているのか、正確には何一つわからないのだ。事故はまだ終わっていないのである。」(p10)という文で「再確認」を結んでいる。
 日本には「喉元過ぎれば熱さ忘れる」というフレーズがある。「フクシマ」の厳然たる事実を同様に風化してしまってはならないのだ。「事故はまだ終わっていないのである」本書は、あらためて、外国のジャーナリストの視点を介して、その事実を再認識するのに有益なレポートと位置づけられる。
 
 「はじめに」を読むと、著者は2009年に福島県と仙台地方を訪れていて、20011年3月以前の東北の風景を見聞している。そして、2012年9月に特派員として日本に住み始めて、その数ヶ月後に、放射能に汚染されなかったが津波に破壊された地域を訪れている。
 本書は2013年9月、S・ショウタと記す広野在住の原発作業員に対する初めての取材を皮切りに、2015年9月中旬までの取材活動の結果をまとめたものである。
 著者が2014年7月、ある原発労働者と一緒の時に、ショウタから電話連絡があったのが最後だという。その時「彼は心配そうで、ピリピリしていた」と著者は記す。その後、本書を次の文章で締めくくっている。
 「彼の話では、周囲で不審な事が起きていた。相手が何者かよくわからないまま、喋りすぎた労働者が翌日解雇された。ショウタは何であり、自分の身に同じような難儀が降りかかるのが怖くて、『本当に、生活していく金がいるんだ』と言う。この日、私は彼を安心させることなんてできただろうか。それからというもの、彼からのメッセージも電話も一切なかった。恐怖が彼を連れ去ってしまった。ショウタは蒸発した。ここで、道は途絶えた」(p199)
 
 本書において、著者は幾人かの原発作業者への直接取材により理解した原発労働者の実態とフクシマの状況を詳細に描き出す。S・ショウタ(第2章)、タケシ(第5章)、白髭幸雄(第5章)、上地剛立(第6章)、林哲哉(第7章)、マサヒト(第8章)である。これら原発労働者たちは出身も原発での作業場も様々に異なる。東電ですら多分把握しきれていない原発労働者の下請雇用形態の実態も含めて、フクイチの実態が描き出される。
 さらに、原発作業員の経験をしたジャーナリストの桐島瞬の経験談も加わる。いわき自由労組書記長桂武、組合活動家北島三郎にも取材している。
 元東電の社員であり、福島第2原発で管理職として勤めていて、フクイチの事故後に退職し、AFWという原発労働者に対する支援団体を設立して活動する吉川彰浩(第9章)への取材結果にも一章を当てている。元東電ファミリーの一人だった人物の体験と意識の変遷を追っている。
 一方で、著者自身がフクイチの現場見学を行い、その体験記を記す。そして、東電側の人々からの取材事実も勿論各所に書き込んでいる。福島第一原子力発電所所長・小野明(第4章)、東電東京本社原子力設備管理部・小林照明、広報担当・吉田真由美など東電側の担当者である。
 原発労働者を支援する弁護士・水口洋介、岐阜大学社会学教授高木和美、阪南中央病院放射線科医村田三郎、防衛医科大学校で教鞭をとる精神科医重村淳などに取材し、各種報告書類の内容にも言及する。つまり、客観的に幅広く取材を進めていることが読み取れる。
 第10章では、福島での原発建設の初期から携わり、「存命する福島の原子力発電の生みの親の一人」(p156)である東北エンタープライズ会長名嘉幸照に対する取材結果を克明に記している。そして、福島第一原発の爆発事故は自然の破壊力の結果では無い。日本原子力ムラの抱えている問題が引き起こした結果であると、このジャーナリストは捉えている。名嘉に対する取材から、「危機を予感していたのに、人為ミスと過失がトラブルの原因になり大事故を引き起こすことがわかっていたのに、それを聞いてもらえなかったことを悔やんでいる」(p165)と著者が受け止めた事実を記す。

 第11章で、著者は「日本原子力ムラ」について、その実態を営利に分析している。
 勿論、経済産業省資源エネルギー庁の電力ガス事業部原子力政策担当副部長河本順裕、原子力政策課課長補佐鈴木瑠衣や、清水建設の広野の事務所を仕切っていた松崎雅彦への取材なども盛り込んでいる。ここには政治家、専門家をはじめ数多くの関係者の名前が登場してくる。原子力ムラの人間関係図が垣間見える。
 日本製原発の海外への売り込みについて、「彼(注記:安倍晋三)はフクシマの危機は豊かな教訓をもたらし、これによって原子力の分野における日本の専門力が強化されたとぶち上げ、自国のノウハウを売り込んだ。彼は逆説的な弁論を弄して、危機をチャンスに変えようと試みた」(p188)とシニカルに記す。
 「同時に、日本原子力ムラはフクシマの沈静化を画策している。大多数が再稼働に反対する世論に敵対する動きであることをよくわかっていながらである」(p188)
 「こんにち、原発の解体と再建は技術的な問題に還元されており、そこでは往々にして人間的な側面が排除されている」(p189)
と痛烈である。
 経済産業省の官僚に著者が取材したときに、挨拶代わりの名刺交換の後、「おたくは、原子力エネルギーに賛成ですか、反対ですか?」という質問をその官僚が担当直入に質問してきたと記す。その後に著者が特派員となっている『リベラシオン』紙のことについてのやり取りが書き出されている。まさに日本原子力ムラの一端を示すエピソードになるシーンである。p172~173をご一読いただくとよいだろう。

 著者は本書で一貫して、フクシマの人間的側面に焦点を絞り込んでいく。
 そして、「使い捨て人間たち」と位置づけられている実態を見つめていく。

 フクシマの発現当時から数年は、あれだけ華々しく報道したマスコミが、真っ先に報道の沈静化に加担しているかの感すらある。報道が少ないことは、フクシマの事実が断絶し、一般庶民の意識が風化することに繋がって行く。適正な情報を求め続け、意識化する機会を持ち続けることがまず必要なのだろう。そのための一冊がここにある。

 本書は、読者を「事故はまだ終わっていないのである」という再確認に回帰させる。
 
 ご一読りがとうございます。

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本書からの関心の波紋としてネット検索した事項を一覧にしておきたい。
ホールボディカウンターによる内部被ばく検査 検査の結果について(平成30年1月分掲載)  :「福島県」
廃炉プロジェクト  :「東京電力ホールディングス TEPCO」
福島第一原子力発電所作業者の被ばく線量の評価状況について :「TEPCO」
「東京電力福島第一原子力発電所の現状と廃炉に向けた取り組み」についてパンフレットが作成されました!!  :「福島県富岡町」
40年後の未来へ 福島第一原発の今  :「NHK NEWS WEB」
ドイツが福島の現状を正確に伝える8分・・・全員見るべし・・・ドイツARD「放射能汚染された土地」2016年3月12日  :「Sharetube シェアチューブ」
福島第一原発について、あなたが知らない6つのこと  :「HUFFPOST」
福島第一原発「震災6年後の真実」新たな惨事の可能性も :「東スポWeb」
福島原発事故から6年 「アンダーコントロール」からほど遠い現状、海外メディア伝える    :「NewShrere」
福島原発の現状がヤバすぎる!放射能漏れがコントロール不能の原発事故!東京オリンピック中止しよう!  :「NAVERまとめ」
意外と知らない!?命が安売りされる、原発作業員の「噂と現実」 :「NAVERまとめ」
福島の甲状腺がん→現状で子供193人が発病!原発事故の現在と影響
    :「福島原発事故の真実と放射能健康被害」
【福島の深刻な現状】なぜ六ヶ月で中絶したか  :「原発問題」
原発労働者の描く強烈な漫画! いま福島で行われている「世界初の作業」とは何か?
:「講談社コミックプラス」
原発で働く人々(1) :「よくわかる原子力」(原子力教育を考える会)
あまりの被曝量「話が違う」(原発作業員と3.11)=訂正・おわびあり
   :「朝日新聞SIGITAL」
放射能プールに潜らされる作業員、死亡事故の隠蔽、ボヤの放置…原発労働の悲惨な実態  :「LITERA」
20160116 原発労働者の実態と権利擁護の闘い QA  :YouTube
福島第一原発労働者の実態を撮影:小原一真(独ZDF)  :YouTube
原発作業員が去っていく 福島第一原発“廃炉”の現実  :「クローズアップ現代」
第一原発元作業員の53歳、作業11か月で3つのがんを同時発症 :「週刊女性PRIME」
原発労働者の健康相談スタート 健康管理の課題は山積  :「全日本民医連」
原発労働をめぐる労働法的考察  奥貫妃文氏  論文 pdfファイル

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今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『福島第一原発収束作業日記』 ハッピー  河出書房新社
『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』 小出裕章 毎日新聞社
『原子力安全問題ゼミ 小出裕章最後の講演』 川野眞治・小出裕章・今中哲二 岩波書店
=原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新4版 : 51冊)=

『火定』  澤田瞳子  PHP

2018-02-23 11:41:36 | レビュー
 「世の僧侶たちは時に御仏に少しでも近付かんとして、ある者は水中に我が身を投じ、ある者は自ら燃え盛る焔に身を投じるという。もしかしたら京を荒れ野に変えるが如き病に焼かれ、人としての心を失った者に翻弄される自分たちもまた、この世の業火によって生きながら火定入滅(かじょうにゅうめつ)を遂げようとしているのではないか。」(p271-272)という一節がある。この小説のタイトルは、この火定入滅から取られたのだろう。火定の意味は、この引用の第一文の後半に説明されている。
 手許の辞書を引くと「仏道の修行者が、自らを火の中に投じることによって、入定(にゅうじょう)すること」(『日本語大辞典』講談社)と説明されている。

 この文に出てくる「京」は奈良の平城京をさす。「荒れ野に変えるがごとき病」を火に例えている。その病とは? 「裳瘡(もがさ、天然痘)」である。
 天平2年(730)4月、聖武天皇の皇后・藤原光明子が悲田院と施薬院を設立した。悲田院は孤児や飢人を救済する施設、施薬院は京内の病人を収容・治療する施設である。それから7年後、新羅使として派遣された大伴三中の一行が、新羅で蔓延していた裳瘡に罹患して一行の人々の一部を帰路に病死させながら帰国する。感染者が原因となり、京内に裳瘡が広がっていくことになる。当初は原因不明、裳瘡とわかってもそれを根絶させる治療薬がわからない状況下で、地獄の業火に苛まれるかのように苦しみ死ぬ罹患者たち、それに対処する施薬院の医師と補助者たちの悪戦苦闘の様相がこれでもかこれでもかと描かれる。一方で、恐ろしい姿で死に往く人々は疫神(えきじん)が原因だとして狂奔する人々が現出する。そこにはそれを先導する輩がいる。ひと夏の苛烈なる惨状と人心の動揺・狂乱がある意味執拗なまでに描き込まれていく歴史小説である。

 『続日本紀(上)全現代語訳』(宇治谷孟・講談社学術文庫)を読むと、聖武天皇の天平9年4月以降の条に次のような記録がある。「4月17日 参議・民部卿で正三位の藤原朝臣房前が薨じた。大臣待遇の葬送をすることにしたが、その家では固持して受けなかった。房前は贈太政大臣で正一位の不比等の第二子である。」「4月19日 太宰府管内の諸国では瘡のできる疫病がよくはやって、人民が多く死んだ」この後に、4月以来疫病と旱魃が起こったことに対し、神々に祈祷し、天神地祇に供物を捧げて祀りをし、一方で天下に大赦を行ったことが記されている。「6月1日 朝廷での執務を取りやめた。諸官司の官人が疫病にかかっているからである」さらに、6月10日大宅朝臣大国、6月11日小野朝臣老、6月11日長田王、6月23日多治比真人県守、7月5日大野王、7月13日藤原朝臣麻呂、7月17日百済王郎虞、7月25日藤原朝臣武智麻呂、8月1日橘宿禰左為、8月5日藤原朝臣宇合などが次々に死亡したことが記されている。この巻十二の末尾・天平9年12月の最後は「この年の春、瘡のある疫病が大流行し、はじめ筑紫から伝染してきて、夏を経て秋にまで及び、公卿以下、天下の人民の相ついで死亡するものが、数えきれないほどであった。このようなことは近来このかたいまだかつてなかったことである」という文で締めくくられている。その事実記録からは、その実態を私のような凡人にはリアルには想像できない。それどころか、深く考えずに読み過ぎて行くだけになるだろう。
 このような点的史実情報が、フィクションを加えながらもこれほどリアルに描き出されていけるものなのかと感歎する。

 この歴史小説は、この『続日本紀』に記された史実記録を背景にして、瘡のある疫病が流行した状況を実に巧みにストーリー化している。天然痘という病原菌の蔓延に平城京という都市内で、帝を含む貴人・為政者たちから医師・一般庶民・罪人までのあらゆる人々がどのように対応していったのか、その時代と人々を描き出すことがこの小説のテーマなのだろう。

 大きく捉えると、このストーリーには3つの筋が相互に絡み合っていく。その筋の主な登場人物で、その背景に連なる一群の人々の代表者となるのが3人いる。
 一人は蜂田名代(はちだのなしろ)である。彼は施薬院の官人となった下端役人。上司となるのが施薬院の庶務を一手に担う高志史広道(こしのふみひとひろみち)であり、名代は広道にこき使われ、施薬院では医師の手伝いを行っている。このストーリーでは、平城京に住む一般庶民に一番近い立場であり、病に苦悶する庶民レベルの目線で思いを語っていく。裳瘡に罹患した病人が施薬院に担ぎ込まれてくると第一線でその世話をする立場に投げ込まれ悪戦苦闘していく。名代は嫌々施薬院の仕事をしつつ、明日にでも逃げだそうかと考える段階に居たのだが、裳瘡の流行進展の中で悪戦苦闘しつつ、意識変革をしていくことになり、その姿が描かれる。名代を一筋の流れの代表と捉えると、彼に連なる人々には、施薬院・悲田院の財政を預かる慧相尼、悲田院で養われている子供達二十余人の面倒をみている僧智積、そして京の庶民・病人が居る。それらの人々の苦しみを見つめる視点が名代にある。私にはこの名代の目線、思いと行動がこのストーリーの中軸になっていると思う。

 二人目は猪名部諸男。ストーリーの冒頭では、正三位参議中務卿兼中衛大将・藤原房前卿の家令という一時的身分で登場する。広道に同行して名代が宮城内の典薬寮に、新羅からの到来物払い下げ品の中の生薬の購入に出向く。その折、諸男が到来物の薬を高値で買い占めていたことで、広道・名代と対立し相互に面識ができる。両者の対立がもの別れになろうとした時、30前後の官人が広縁の端で倒れる。熱を帯びているのか顔を真っ赤にしていた。その官人は遣新羅使に同行し、帰国した男だった。その男と一緒に新羅に行った同輩の羽栗と呼ばれた官人は怯えて立ちつくし近付かない。諸男がその倒れた男を送っていく立場になる。結局、房前の邸の一隅で諸男がその官人の治療と世話をする羽目になる。だが、それが事の始まりでもあった。というのは、その新羅帰りの官人が感染者であり、発病したのだ。その官人の病死は、諸男が房前の邸から追い出される原因にもなる。
 なぜ、家令身分の諸男が治療できるのか?
 諸男は低い身分から薬生を経て、努力して内薬司に務める侍医にまでなっていたのだが、帝に奉る薬の調剤を誤ったという濡れ衣を掛けられたのである。同僚の侍医の誰かに罠にかけられた。そして、終身の徒刑(ずけい、懲役刑)に処せられて、獄舎に放り込まれた罪人に身を落とす。その諸男が大赦により自由の身になったのである。諸男には己を貶めた者が誰か、恨みを晴らしたいという怨恨が彼を突き動かしていく。それが、同じ獄房で共に過ごし、同様に大赦により放免となった宇須と虫麻呂との関わりを深めていく。宇須は悪知恵の働く悪人であり、裳瘡の蔓延する中で常世常虫という神をでっち上げ、霊験あらたかな禁厭札(まじないふだ)を京内で売り始める。諸男はその片棒を担ぐという成り行きに踏み込んで行くが、常に怨念という内心の葛藤が彼の生き様の根源につきまとう。その諸男が名代を介して施薬院へと結びついていく。そこには切迫した理由があった。
 諸男の筋には、裳瘡の蔓延の中で、宇須という悪人が関与し、常世常虫というでっち上げられた神を介して、恐怖心で動揺し狂奔する一群の人々が連なって行く。

 三人目が綱手である。彼は施薬院に住み込み、治療を実質的には一人で担う医師。里中医(町医師)である。その対極に居る官吏としての医師たちの存在が対比的に浮かび上がってくる。綱手の医師という筋には、薬を扱う元官吏だった比羅夫など、当時の「医・薬」の世界の実態が連なって行く。綱手には誰にも語らなかった過去があった。施薬院に担ぎ込まれた病人を一目見るなり疫神と呼び、薬を商う比羅夫が遁走したその病気が、かつて都に蔓延したときに、罹患し命を取り留めた経験者でもあったのだ。名代が比羅夫との関わりから、その事実に気づいていく。増加しつづけ、担ぎ込まれてくる裳瘡の罹患者たちに対する治療の第一線での手伝いとして、綱手は名代をこき使っていく。綱手はその病の治療法を見つけようと悪戦苦闘する。
 治療という筋に連なる者がいる。綱手の前に、己の過去を伏せて絹代という女性が施薬院の治療に協力すると言い登場してくる。その有能さに綱手は助けられることにもなる。そして、施薬院での協力という裏に絹代が重要な意図を秘めていたことが明らかになっていく。一方で、綱手というコインの裏面になるかのように、宮廷に繋がる公の医師たちの有り様が点描される。

 いわば、この3つの筋が絡み合う形で進展していく。裳瘡の治療法を如何にして発見するかということが、裳瘡の蔓延を堰き止め、人々を一人でも救済する決め手となっていくのだが・・・・・・・。
 
 この歴史小説は平城京に都があった時代の一時期と人間模様を描き出すことをテーマにしている。だが、そこに見られる人間像、恐怖心を抱きデマに突き動かされいく一群の人間の姿などは、現代の人間の行動、人間模様にそのまま通底するところがあるように思う。悲しいかな、人間の生き様の普遍性、くり返しがあると言えよう。現在のクライシス発生の状況における人間群像の有り様と様々な行動パターンを、作者は平城京と天然痘に仮託し、歴史小説の中で描くという方法を選択したのかもしれない。
 
 ご一読ありがとうございます。

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この作品に関連して、関心の波紋を広げてみた。一覧にしておきたい。
天然痘(痘そう)とは  :「NIID国立感染症研究所」
天然痘   :ウィキペディア
悲田院  :ウィキペディア
施薬院  :ウィキペディア
光明皇后の施薬院・悲田院と施浴伝説  平尾真智子氏 pdfファイル
光明皇后 悲田院、施薬院を作り慈善事業を始める 高嶋久氏 :「APTF」
平安前期の「悲田院」「施薬院」の名記した木簡出土  :「歴史くらぶ」
遣新羅使  :ウィキペディア
遣新羅使の墓  :「ようこそ 壱岐へ」
天平外交史年表 724(神亀1)~764(天平宝字8)  :「波流能由伎 大伴家持の世界」
光明皇后  :ウィキペディア
光明皇后  :「コトバンク」
藤原前房  :ウィキペディア

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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『泣くな道真 -太宰府の詩-』  集英社文庫
『腐れ梅』  集英社
『若冲』  文藝春秋
『弧鷹の天』  徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』  徳間書店


『秘伝・日本史解読術』 荒山 徹  新潮社

2018-02-17 11:31:26 | レビュー
 タイトルに惹かれて本書を読んでみた。著者の名前は『徳川家康 トクチョンカガン』という小説の文庫本を購入した時に知った程度だった。この小説、多くの本同様今のところ積ん読になったまま。この新書を読んだことで、積ん読本を読みたくなってきた。
 さて、著者は読売新聞の記者時代に日韓関係に関心を抱き、その後韓国に留学し、朝鮮半島の歴史や文化を学んだという。時代小説・歴史小説の分野の作家である。
 本書は著者が歴史をどのように学んできたかの「秘伝」を公開するというスタンスで書かれている。日本史を遺跡・古代から始めて「通史」として丸ごとその流れをどうとらえるかという立場から通覧するという流れである。「まえがき」に「あくまでも歴史を学ぶ実用的メソッドを提供しよう」という試み書であると記す。読者としては知りたいポイントであり、食指が動く。
 「まえがき」で、著者は日本史を学ぶにも、やはり基礎トレーニングが必要と主張する。そのためには、第1に、歴史を学ぶ上でやはり「5W1Hの重視」を基礎トレとして挙げている。歴史は年号、年表の暗記ではなく、特に地理の重要性、登場人物の主役・脇役を合わせて把握し、流れをつかむことを押さえよと言う。
 第2の基礎トレは「律令」の趣旨・エッセンスを理解すること。
 第3が日本における「仏教」を知ることであり、律令とともにそれが日本史を彩る二大要素なのだと言う。尚、著者は日本に根付いた「大乗仏教」、つまり日本版仏教を知ることが必要が不可欠だとする。ジャポニズム仏教、あるいは「既存の日本仏教は百パーセントがウルトラマン仏教」という表現でその特徴付けをしているところが興味深い。釈迦の説いた「仏教」を知れといっているのではない。
 第4に、外国と日本を比較する視点の重要性を説く。その前提条件は他者の真の姿を直視してかかることであると言う。真の姿を知る一例として、著者は「現代中国」のルーツは「代」という国だと言う点を指摘している。私は「現代中国」のルーツという視点で捉えるという限定と比較をしたことがなかった。つまり、「代」という国を本書で初めてめにするという無知さを曝すことになった。この「代」については、「第12章 二つの中国とモンゴルの侵略」で論じられている。p149に「中国の歴代王朝と民族」の変遷図が掲載されている。著者は中国の歴史というのではなく、「現代中国」のルーツ、つまり歴史的な始原に着目し、随以後の中国を便宜的に「再建中国」と呼ぶ。「剥き出しの事実、真相は常に波風を立てるもの。よってオブラートに包んでやる必要があります」(p150)からという理由からである。この捉え方の視点が秘伝の一つと受け止めた。外国の真の姿を捉える視点の置き方である。
 言われてみれば、この4項目はナルホドと思う。

 本書で著者が論じている「日本史解読術」の要点と私が理解した事を列挙しておこう。それがどのように例示され、論じられた結果なのかは、本書を紐解いていただきたい。理解不足があったり、秘伝事項の漏れがあるかもしれないが、それはこの拙文と貴方の本書読解とを「対比」していただく材料になればよい。括弧内にその秘伝を論じる主要な章の番号を記した。

*まずは「○○史観」などにとらわれずに、帰納的に考えるアプローチをとること。
 自由闊達、虚心坦懐、融通無碍に個々の史実を学んで歴史を捉えなおす。(序章)
*遺跡こそ歴史上の人物に匹敵し、人の代役ととらえよ。
 すると日本列島内で縄文人が弥生人に移行したとみるのが自然だとわかる。(第1章)
*史実を「世紀」(単位)という収納箱に単純かつ強引に仕分けて捉え直せ。(第2章)
 日本史を通史として俯瞰的に把握するときに威力を発揮でき、外国との比較が容易となる。
*現在までの古代史学には伝奇的な妄説が多く詭弁的記述もあるので要注意。(第3章)
 「思い思いの古代史像を展開することに終始しています。」(p63)
*『日本書記』と『古事記』を古代日本史の素養として読め。その再評価から始めよ。(第4章)
*史料の原文を読めば、史実・定説・常識とされる内容の弱点、誤謬等が見える。(第5章)
*日本の仏教はいわばウルトラマン仏教だということを押さえておくこと。(第6・7章)
*遷都の裏に政教分離があった。宗教の危険な牙を抜く政策だけにとどめた。(第8章)
*系図は便利。父子の血筋のみの一本の線で貫き、1枚に書く系図が基本。(第9章)
*時代の境目を捉え直すと、歴史の見方、見取り図が変化する。(第10章)
 著者は平安時代は782年(桓武天皇即位による改元の年、天応⇒延暦)で区分し、
 鎌倉時代を1219年(源実朝が刺殺される)を区切りとし、1221年を幕開けとみる。
*承久の変(1221年)と明治維新(1868年)を日本史上の二大画期である。(第11章)
 承久の変が500年余り続いた律令体制の終焉。明治維新が武家政治の終焉。
*現代の中国の始原は「代」であり、再建中国ととらえること。(第12章)
*南北朝対立でなく光厳・尊氏政権を主流とみれば歴史の流れがスッキリとつかめる。(第13章)
*室町時代、応仁の乱以降は個々の人名よりも一族単位で把握するのが近道。(第14章)
*歴史と地理は不可分。律令制下の五畿七道六十八国の地理がベースになる。(第15章)
*律令制が形骸化した後も位階と官職「官位相当の制」は残るので知っておくこと。(第16章)
*日本の史実を世界史との対比で捉え直すこと。事象の関係性、相似性に着目する。(第17章)
*歴史はくり返す。歴史事象間あるいは史実事象と現在の事象間の類似性に気づく。(第18章)
 「ヘイトスピーチ解消法」は現代の忠臣蔵をみるようなものと著者は言う。悪法だと。
*日本の歴史に影響を与えたのは、中国の次にオランダであることを押さえる。(第19章)
*改元理由は4種-災異改元、辛酉改元、甲子改元、代始改元-あると知ること。(第20章)
 改元理由に思いが及ぶと、歴史の見方が変わり得る。
*歴史の取扱は事実を尊重する姿勢をつらぬくこと。徹底した事実の追究とこだわり。(終章)

 この要点リストを読み、既にわかっていて実行していると判断されたなら、本書を読む時間は無駄だろう。そうでなければ、この拙い要点の書き出しの背景、理由などを本書を読んで考えてみる意義はあると思う。

 本書を読み、おもしろいと思ったのは、日本史解読術を語りながら、著者の経験からの話であるが、オススメ歴史小説を列挙し、その読みどころを解説しているところである。著者はこう述べる。
 「歴史小説というものは、その作品を書いた作家が歴史をどう見たかという歴史観がもろに問われるものですから、それに分け入ってゆくことは、すなはち歴史の見方、史観を分析し、論ずることに直結するという寸法です」(p20)と。歴史小説は歴史を理解する有効なツールになるのだと。歴史小説作家がオススメ作品を論じているのだから、興味深い。読んだのもあるが、未読も数多いので、これ自体も参考にしていきたい。

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本書を読み、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
律令制  :「コトバンク」
律令制  :ウィキペディア
中国と日本の律令制の違い~日本は最初から共同性を組み込んでいた。 :「るいネット」
官位     :ウィキペディア
官位相当制  :ウィキペディア
官位相当表  :「集会室」
五畿七道   :「風変人」
五畿七道   :ウィキペディア
応仁の乱   :「コトバンク」
改元  :ウィキペディア
「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進
に関する法律(ヘイトスピーチ解消法)が施行されました

ヘイトスピーチ対策法  :「コトバンク」


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『ブリューゲルへの招待』 監修 小池寿子・廣川暁生   朝日新聞出版

2018-02-14 21:38:00 | レビュー
 B5判の大きさであり、基本は見開き2ページ単位で絵と説明が載っている。大きさとしては見やすいサイズである。画像が載っていないページはない。
「初めてでも楽しく鑑賞できる」招待シリーズとして、このブリューゲル以前に、既にフェルメール、ルノワール、ゴッホ、若冲が刊行されている。裏表紙の内側にその記載がある。本書は2017年4月に第1刷が発行されている。
 「美術初心者向け」と説明してあるが、この招待シリーズのこのブリューゲルを初めて通読し、鑑賞した印象を言えば、「初心者」にも楽しめるタッチで説明されているという方が適切と思う。初心者の域を超えて、もう一歩深く踏み込んでいる知識内容と判断した。美術愛好家でもここに説明されていることくらいは常識レベルと言いきれる人は少ないのではないか。
 美術館の展覧会通いを長年趣味の一つとしてきた。昨年、大阪の国立国際美術館で開催されたブリューゲル「バベルの塔」展を鑑賞した。そして今年、本書を通読した。その結果からの率直な感想である。95ページのボリュームの本書を見て読んでから「バベルの塔」展を鑑賞に行っていたら、もう少し鑑賞のしかたが変化していたのではと感じる次第。それは逆に言えば、私自身に鑑賞以前の基礎知識が不足していることを露呈しているに過ぎないのだろう。
 美術展を鑑賞するとき、会場内の説明文は大凡読みながら出展作品を鑑賞するものの、出口の近くのショッピングコーナーで趣味として購入している図録は事後的にみることになる。事前に図録を入手し、見て読んでから展覧会を鑑賞するということをしていない。その結果が、上記の感想につながるていたらくといえるのかもしれない。

 さて、本書はブリューゲルの油彩画を扱っている。展覧会には「バベルの塔」以外ではブリューゲルの版画が主体だったので、図録との対比的読み方はできない。
 本書から受けた印象としての特徴はいくつかある。
1.冒頭で「パーフェクト鑑賞講座」と題して、ブリューゲルの代表的な5つの油彩画を採り上げている。「バベルの塔」(昨年来日したのはボイマンス美術館所蔵の「小バベル」とも呼ばれる絵)、「ネーデルラントの諺」、「雪中の狩人」、「反逆者の転落」、「農民の婚宴」である。それらの絵の概説をした後に、絵に描かれた内容の細部をピンポイントで採り上げて、絵の読み解きをしている。そして、全体と部分の関係、絵の成立背景、ブリューゲルの構想意図などが簡明に説明されている。
 例えば、「バベルの塔」には、絵の中におよそ1400人もの様々な人が描かれているとか、塔に干した洗濯物が描き込まれているなどという細部の楽しみ方に触れている。構図として水平線を低く描くことで塔の偉容を強調している点や、塔にクレーンを描いているが、それは「驚くほど詳細に描いており、当時の建築技術を知る資料としても価値がある」(p4)と言わせるくらいだとか。このあたりのポイント解説部分は、実際にこの絵を会場で見た時にそこまでは鑑賞していなかった。絵の細部にこだわってみる面白さを本書で学んだ次第である。
 「ネーデルラントの諺」は、本書を読み、実際にネーデルラントの諺を知っていると、絵の楽しみ方が具体的になり、描かれた箇所の具象的な意味が感得できるようになるという点を知った。これは中世の絵画が聖書の記述を背景にしている故に、真にその絵画を鑑賞するには聖書の知識が不可欠と言われることと共通なのだろう。同様に、「雪中の狩人」では、当時のフランドルの農村の伝統的な月暦農事という知識やブリューゲルがイタリア旅行をしている経験が絵に及ぼした影響を考える視点の有無で、絵解きの面白さが異なるというポイント説明に、なるほどと思う。これはこの鑑賞講座の説明の数例のご紹介でしかない。

2.p32,33の見開きページには、日本の有名な高層建築物(スカイツリー、あべのハルカス、虎ノ門ヒルズなど)と「バベルの塔」の高さをある方式で想定し、並べて高さの比較をしている。この比較の発想がおもしろい。どうして高さを想定したかは、本書を開いてほしい。ネタバラシは回避しよう。
 
3.ブリューゲルの作品30点について、美術展の図録に記されるスタイルで、監修者の一人、廣川氏が作品解説を行っている。「誌上ギャラリー」という趣向である。これはブリューゲルという画家の生涯と代表作品及び作風を知る基礎知識として有益である。上記鑑賞講座の5作とは重ならないように配慮されている。

4.画家を一歩踏み込んで知るには、その画家を育んだ時代を知ると知らないでは鑑賞の奥行きが違うことに改めて気づかされる。ここでは、ブリューゲルとい画家がどのような環境にいて、どのような位置づけにあって、活躍していたかが、地図、人物画、その時代の著名な絵画などを素材に使い理解できるように工夫されている。このあたりの工夫が「初心者向け」ということになるのかもしれない。
 もう一人の監修者である小池氏がこのパートを担当している。「イタリア・ルネサンスと北方ルネサンス」、「ハプスブルグ家は16世紀のヨーロッパをどう変えたか」、「ネーデルラントと宗教改革」というタイトルでの解説である。
 「太陽が沈まない世界帝国」と呼ばれるまでに支配領域を巨大化したハプスブルグ家がブリューゲル作品のコレクターでもあったということを初めて知った。また、ハプスブルグ家の略系図が載っていて興味深い。あのマリア・テレジアが略系図では末端に掲げられ、23歳でハプスブルグ家を相続しているのがわかる。
 ルターの宗教改革を含め、16~17世紀のヨーロッパの概説史的な側面をもっていて参考になる。

5.「バベルの塔」展での説明文と図録中の文を読んで、ブリューゲルの息子たちが画家になっていることを知った。ブリューゲルの子孫たちは、ブリューゲル以降5代にわたる画家の家だということを図入で解説されていて一層興味深い。だが、ブリューゲル1世を超える画家はいないという印象を受けた。

6.本書には、「ネーデルラントの画家たち」という「ちょっと美術史」的なセクションが記述され、作品の例示がある。これもブリューゲルを知る上で、重要な要素である。
 特にヒエロニムス・ボスがブリューゲルの人生とも直接関連している。「版画出版業者のヒエロニムス・コックの下で下絵画家として働いていたブリューゲルは、・・・・・版画<<大きな魚は小さな魚を食う>>を残しており、構図やモチーフをヒエロニムス・ボスに倣ったとされる」(p13)くらいなのだから。この版画は「バベルの塔」展に出展されていた。
 「バベルの塔」展でも、「16世紀ネーデルラントの彫刻」から始まり、ネーデルラントゆかりの同時代の画家たちの作品や、「奇想の画家ヒエロニムス・ボス」「ボスのように描く」というセクションがあった。画家の生まれた国の美術の変遷や同時代の画家を知ることが、ブリューゲルという画家の作品を鑑賞する上で不可欠ということがよくわかる。
7.本書の最後に、ブリューゲルの生涯史が解りやすく図入りで編年史プラス解説で5ページにまとめられている。「ネーデルラントとは現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクにまたがる地域。ブリューゲルが暮らしたアントワープとブリュッセルは、現在のベルギーに位置する」(p88)
 現存する40点余の油彩画が世界のどこで所蔵されているかが絵入りで見開き2ページにまとめられていて一目瞭然になっている。
 それでは一つ質問「ブリューゲルの油彩画をどこが一番数多く所蔵しているか?」
 答えは、オーストリアのウィーン美術史美術館。8点の油彩画を所蔵するそうである。「大バベル」とも呼ばれる「バベルの塔」はここが所蔵している。その他の作品名は、本書p94をご覧いただきたい。

 最後に、ブリューゲルを「語る」ための5つのキーワードをご紹介しておこう。その説明は、p6~7を一読していただくとよい。
「1.農民画家、2.第二のボス、3. 16世紀ネーデルラントの諺、4.特定の主役がいない、5.人文主義者とのネットワーク」と、本書は語る。

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ネット情報で、ブリューゲルとその作品について何がわかるか? 少し検索してみた。一覧にしておきたい。

本書を読み、関心の波紋から検索した事項を一覧にしておきたい。
ピーテル・ブリューゲル  :ウィキペディア
ピーテル・ブリューゲルの作品一覧  :ウィキペディア
ピーテル・ブリューゲル  :「Earl Art Gallery」
ピーテル・ブリューゲル :「Salvastyle.com」
Pieter Bruegel the Elder: A collection of 42 paintings (HD) :YouTube
東京都美術館 ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 ピーテル・ブリューゲル1世《バベルの塔》1568年頃 :YouTube

Pieter Bruegel and the Tower of Babel :YouTube
Bruegel, Tower of Babel :YouTube
Pieter Brueghel the Elder part1 :YouTube
Pieter Brueghel the Elder part2 :YouTube

Pieter Bruegel the Elder, Peasant Wedding :YouTube
Bruegel, the Dutch Proverbs :YouTube
Bruegel's Netherlandish Proverbs explained in detail (HD) :YouTube
Bruegel, Hunters in the Snow (Winter) :YouTube

The Harvesters :YouTube
The Harvesters (1565) by Pieter Bruegel the Elder :YouTube

Bruegel / Unseen Masterpieces / at the Royal Museums of Fine Arts of Belgium
Bruegel #UnseenMasterpieces :YouTube

The Bird Trap by Pieter Brueghel the Younger :YouTube

Northern Renaissance Art :YouTube

ブリューゲル展 東京都立美術館

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『大獄 西郷青嵐賦』 葉室 麟  文藝春秋

2018-02-10 20:14:19 | レビュー
 2017年12月23日葉室麟さんが逝去されたと、翌24日の新聞記事で読み愕然とした。まだまだ今後も様々な作品を読めることを期待していたのに・・・・。無念という想いである。愛読している作家がまた一人、黄泉の国に旅立ってしまった。謹んで、合掌。

 著者没後に読んだのが本書である。タイトルの『大獄』は、井伊直弼が大老となって実行した安政5年(1858)9月の「安政の大獄」に由来するのだろう。それは、万延元年(1860)3月の「桜田門外の変」を果とすることになる。
 サブタイトルは、「西郷青嵐賦」である。西郷吉之助(のちの隆盛)の人生の春から夏の時代に焦点をあて、その同時代の動向とともに描きあげた歴史小説である。吉之助の20歳から36歳の人生ステージを描き出している。

 本書の冒頭は、1846年6月、琉球、那覇の港にフランス軍艦クレオパトール号とビクトリューズ号を率いるセシュー提督が入港した日の点描から始まる。慶長14年(1609)2月に薩摩の島津氏が琉球を侵攻した以降、琉球は薩摩藩の支配下にあった。琉球は薩摩藩にとって、密貿易を行う拠点でもあり、中国を含め海外の文物・情報をいち早く入手できる窓口でもあったようである。このフランス軍艦来航は、アメリカのペリー艦隊が浦賀港に姿を見せる嘉永6年(1853)6月の7年前になる。
 そして、この年6月25日に薩摩藩世子、島津斉彬、38歳が薩摩に帰国した。ストーリーはここから動き出す。斉彬の帰国は、老中阿部正弘の指示による。喫緊の課題である海防問題に関連していた。斉彬は帰国後、琉球在番の者に、フランスとの交易・通信はよいが、キリスト教の布教は禁じる命令を出し、一方海防策の指示も出す。
 薩摩藩の藩主は斉彬の父・斉興であり、いまだに家督を譲ろうしていなかった。藩主斉興のもとで、斉彬の祖祖父重豪のころにふくれあがった借財のために、破綻寸前の薩摩藩の財政を立て直したのは調所笑左衛門だったが、百姓・町人には無慈悲な役人でもあった。この調所の功績を認めつつも、斉彬はこれからの世を動かしていくうえで、適任ではないと判断していた。斉彬は「仁勇の者」を見出し、己の下で使うという考えを持っていた。斉彬が琉球館を視察に行った折りに、下問した相手が大久保利世である。斉彬から「仁勇の者」と聞き、脳裡に浮かんだのが西郷吉之助だった。利世は斉彬の下問に対し、藩内の有望な若者の名前を幾人か伝える中に、西郷の名前も加えたのだ。著者はこれを契機として描いて行く。

 このストーリーは、斉彬に西郷の名が記憶された時点から始まる。一介の薩摩藩士としての潔い生き様を思念していた西郷が、斉彬の命を受けて行動する過程で、斉彬の生き様、薩摩藩のことより天下のことを考えるという思想に共鳴し、思考次元を天下国家へと視野を広げていく方向転換、ステップアップをしていく。
 嘉永七年(1854)1月に参勤交代に随従し江戸出府することを命じられ、3月に江戸に着く。ここから、斉彬の指示を受けた西郷の行動が描かれて行く。諸藩の枢要の人物との交わりが必然化し、それが西郷の思考次元を変容させていくことになる。仁勇の資質の西郷に知の側面での磨きがかかっていく一種の開眼過程でもある。
 著者がこの西郷青嵐賦で描きたかったのは、西郷にとっての日本国とは?の開眼プロセスであり、その背景としての薩摩藩と世の中の双方の変転激動の経緯ではなかろうか。そこに様々な人間関係、政治的関係が幾筋もの流れとして交錯しつつ織り込まれていく。
 松平春嶽を鋭鋒とする福井藩と橋本左内の活動、水戸斉昭の下で活躍した藤田東湖・戸田蓬軒の時代とその後の水戸家の分裂過程、時代が引き入れた井伊直弼の大老就任とその手足となった長野主膳の暗躍。尊皇攘夷の思想と行動が台頭し始める一方で、将軍継嗣問題-紀州藩主徳川慶福か一橋慶喜か-がクローズアップされ、それが攘夷開国問題と密接不可分の関係として展開していく。斉彬・春嶽・斉昭は一橋慶喜を擁立しようと画策する。井伊直弼は慶福擁立派に加担していく立場になる。
 一介の下級藩士だった西郷吉之助が斉彬に見出されたことにより、時代の渦中に投げ込まれ、後に明治維新への主要人物群の一人となるベースづくりがここに進行形として描き込まれていく。このプロセスが読みどころとなる。一方、そこには安政の大獄で散らされて居いった人々の青嵐賦にも繋がって行く。
 また、西郷のこの人生ステージにおける薩摩藩内の事情とその動きが西郷の開眼にとって重要な要因となる側面を著者は重視していると思う。高﨑崩れ/お由羅騒動、篤姫の徳川家輿入れ問題、斉彬の突然の死などが西郷の思考と思想、信念を練り上げる要因になっていく。
 
 井伊直弼の実行した「安政の大獄」と後に称される酷烈な処断の始まりは、西郷の人生のこの時期を画するクライマックスへの動因になる。それが、勤王僧月照の逃避行につながり、西郷はその逃亡に助力する。途中、月照と西郷は別行動をとり、西郷が薩摩で月照と再会することになる。だが、その再会は龍ヶ水大崎鼻沖で、月照と西郷がともに入水するという一つのクライマックスを迎える。ここで著者は西郷がなぜ海に投身するという死への道を選択したかの裏の意味を描き込んで行く。
 表向きは月照と西郷の入水行為により西郷も死んだとされた。だが、西郷は生き残る。藩からは、菊池源吾と改名して奄美大島に潜居するようにと申しわたされる。
 この小説の最後のステージは、西郷吉之助が幕府の目から逃れるための「潜居」として奄美大島で生活する時代を描く。西郷隆盛の行動については多少知ってはいたが、西郷吉之助の前半生は殆ど知らなかった。西郷が月照とともに海に入水したという点的情報を知っていたくらいである。奄美大島潜居時代がその後にあったことすら知らなかった。この小説を読んで初めて知った。
 具体的な尊皇という立場での活動から切り離され、客観的に藩と時代の動きを見つめざるを得ない立場に置かれた西郷にとって、この潜居時代は別次元において己の思考と信念を鍛える機会になった。奄美大島の人々との人間関係を含めて、その点を著者は描こうとしたのだと思う。西郷が「島妻」を娶ったのは史実であるようだ。それを踏まえてどこまで著者のフィクションが織り込まれているのか知らないが、奄美大島時代は、吉之助が島民の目線から薩摩藩政や統治を見つめる機会になったように思う。
 「吉之助と愛加那の間に長男、菊次郎が生まれたのは万延2年(1861)1月のことだった。吉之助は三十五歳で初めて子をなしたことを羞恥し、鹿児島への手紙で、-不埒のいたり と書いた」と著者は記している。私には、西郷隆盛のプライベートの側面の事実を知る機会になった。その後すぐに第二子を得ているという。

 著者はこの奄美大島時代の中でこう記している。(p312-313)
 (おいが奄美に来たとは何をすべきかを知るためじゃった)
 「この海を守らにゃいけんのじゃ」
 それは、一蔵や久光にとって思いおよばない、
 -回天 
 への道だった。

 文久2年(1862)1月15日、「坂下門外の変」が起こる。老中安藤信正が、和宮降嫁に憤る水戸浪士たちに襲撃されたのである。安藤は負傷にとどまったが幕府の権威は地に落ちた事件である。この後、吉之助は藩から召喚の報せを受ける。著者は、吉之助が笠利湾の港から船に乗るところでこのストーリーを締めくくっている。

 この小説は、西郷吉之助に光を当てながら、その裏に常に併存する形で、大久保一蔵の生き様を織り込んでいく。この無二の友という間柄で有りながら、異なる生き様をしていく有り様を描くことが、サブテーマになっているようにも思う。斉彬に吉之助の名前を伝えた大久保利世は一蔵の父である。この利世に端的に吉之助と一蔵の違いを語らせているところからストーリーが始まっていくところも興味深い。そして、最終ステージで、吉之助が愛加那に語る言葉のなかに、親友で有りながら、相容れない部分を語らせている。このセリフがたぶん明治維新後の二人の生き方の別れ道の根底にあると著者は見極めたのだろう。
 「そうじゃ。ひとを動かすのは心だけじゃ。久光様も一蔵どんも力がひとを動かすと思うちょる。だが、自分に置き換えてみればわかることじゃ。力で抑えつけられて本当に動く者はおらんとじゃ。ひとを動かすのは心だけじゃ」(p320)

 ひょっとしたら、著者は西郷の人生ステージをいくつかの独立した歴史小説として積み重ねていくという連作の構想を抱いていたのではないかと想像する。そうあって欲しかったなぁ・・・・・・と、一読者として思う。嗚呼、無念。

 ご一読ありがとうございます。


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本書に関連して、関心の波紋からネット検索した事項を一覧にしておきたい。
西郷隆盛  :「コトバンク」
西郷隆盛  :ウィキペディア
西郷隆盛49年の生涯をスッキリ解説【年表付き】 なぜ幕末維新の英雄は西南戦争へと追い込まれた?  :「BUSHO!JAPAN 武将ジャパン」
西郷隆盛とはどんな人物?簡単に説明 [完全版まとめ]  :「歴史上の人物.com」
西郷隆盛の3人の妻  :「歴史をわかりやすく解説! ヒストリーランド」
西郷菊次郎  :ウィキペディア
西郷菊次郎  :「幕末維新風雲伝」
黒船     :ウィキペディア
黒船絵巻
黒船来航   :ウィキペディア
島津斉彬   :「コトバンク」
島津斉興と自身の長男である島津斉彬との確執をわかりやすく :「幕末維新風雲伝」
井伊直弼  :ウィキペディア
井伊直弼の大老政治について  :「彦根城博物館」
井伊直弼と彦根城  :「滋賀大学」
橋本左内  :ウィキペディア
橋本左内  :「コトバンク」
西郷隆盛と橋本左内  :「大西郷の周辺」
西郷隆盛と藤田東湖  :「大西郷の周辺」
(西郷隆盛の生涯)将軍継嗣問題から西郷の入水まで  :「西郷隆盛の生涯」


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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『嵯峨野花譜』  文藝春秋
『潮騒はるか』  幻冬舎
『風のかたみ』  朝日新聞出版

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新5版(46+4冊)2017.7.26

『おもしろサイエンス 錯視の科学』 北岡明佳  日刊工業新聞社

2018-02-03 14:22:21 | レビュー
 個人的体験から入ろう。まず幾何学的な図形である。かなり昔のあるときに同じ長さの線分の両端に「矢羽」が内側を向いている図と外側を向いている図が上下に置かれている図形を見せられて、矢羽が外側を向いている方の線分を長く感じた経験をした。また、二等辺三角形のように二本の線が山形に描かれた内側に同じ長さの線分が横線として書かれている図で、上側を長く感じた経験を併せてした。こんな錯視体験がまずある。本書で、前者が「ミュラー・リヤー錯視」として、1889年に発表されたものであり、後者が「ボンゾ錯視」と称するものであることを知った。もう一つは、これまた有名だがエッシャーのだまし絵である。これも錯視を利用したもので、奇妙な感覚に囚われるおもしろい体験ができる絵である。その後エッシャーの作品集の図録を入手し手許にある。これらが「錯視」に関心を抱いていた私の原点となっている。

 そのためこの本のタイトルを見て、勿論手が伸びた。表紙に錯視の一事例が載っている。パラパラめくってみると、図が多い。これは楽しめそう。それが読む前の第一印象だった。
 読んでみてまず興味深いのは様々な錯視のメカニズムを章立てで整理してくれていることである。錯視のメカニズムについて、そのフレームワークを知ることに役立つ本である。本書を読んで初めて知り、早速アクセスしてみたが、著者は「北岡明佳の錯視ページ」というホームページを開設している。こちらからご覧いただくとよい。

 まず、このホームページにアクセスして、錯視の実体験をしてから本書を読む方が一層面白く、本書に入りやすいかもしれない。ホームページはカラーの図が掲載されているが、本書はモノクロ図で説明されていく。やはりカラーの図で見る方がインパクトがあると感じた。錯視のメカニズムに一歩踏み込んで理解を深め、人間の知覚の不思議さというか曖昧さを理解すると言う点ではモノクロ図でも十分と言えるのだけれど、カラーのパワー、インパクトはやはり大きいと思う。
 錯視のメカニズムの説明に関して、用語の使用を含め少し専門的な記述の仕方になっているので、ずぶの素人読者には読みづらさを感じるところがあると思う。私にとって一読で明瞭に理解できたとは言いがたい箇所があるという感想だ。その箇所はただ文字面を読んだという印象というニュアンスを意味している。敢えていえばそういうところがちょっと難点と感じる。まあ、これはこの種の分野の記述への慣れの部分なのかもしれない。だが図を中心にしながらの心理的な知覚のメカニズムの解説、絵解きであるので、読み進めていくのに大きな支障はない。そこをスルーしても、その先を楽しめる。

 錯視体験を楽しみたいだけの人は、上記のホームページにアクセスして錯視の作品(図)を楽しめば十分である。その上で、そのメカニズムを系統的に学ぼうと思った時点で、本書を手に取ると納得度が一層高まるかもしれない。かもしれないと書いたのは、私が本書を先に読んで、ホームページの存在を知ったから、同じ純粋な体験がもはやできないからである。

 ホームページの冒頭に掲示された錯視図は、本書の第1章の「1 錯視とポップアート」の冒頭で「ガンガゼ」という名称で図が掲載されて解説されている。本書もこの錯視図からスタートしている。
 なんと、著者の「ガンガゼ」という作品は、「2013年に、レディー・ガガのアルバム『アートポップ』のCDのインサイドデザインに採用された」(p9)という。そして、このCDのバックカバーに掲載されているのも著者の錯視作品だとか。本書には図2「オオウチ錯視」という名称で載っていて、基本図形だそうである。これもまた、内側の6段に描き分けっれた縦縞模様で構成された円が動いて見える図なのだ。
 著者は、この「ガンガゼ」で観察される錯視を「シマシマガクガク錯視」と名づけている。図を見て眼を動かした時に、確かに図がガクッと動き出す感じを実体験できた。
 本書のこの1を説明する4ぺージの中に、錯視図がはやくも4つ載っている。そのうちの図3が本書表紙に載っている「シマシマガクガク錯視」の基本図形である。これは「内側の円領域が動いて見える」もの。


この錯視図が上掲表紙の中から切り出したものである。注目の入口として引用する。

4つの図の中で私のお気に入りは図4で、「目が動いた時にリングが回転して見える」というシマシマガクガク錯視の典型例である。私が見る度に、動きを感じている。この錯視図は横3個、縦4個の12個が描かれたもの。その各リングは4つの同心円状のリングで構成されている。よく見ると、各リングのシマシマに工夫が施されていて、そこに錯視を感じさせる秘密がひそむようである。

 著者は第1章で、事例を挙げて「錯覚」と「錯視」の違いを区別する。
 物理的現象として生じたことに人間が感じ取るものを「錯覚」という。光の屈折という光学的現象(物理現象)により、実際は存在しないのに人間が見ることのできる「蜃気楼」がある。音に関してドップラー効果として説明される物理現象がある。通り過ぎる救急車のサイレンの音の変化をその例として挙げている。
 一方、「錯視」は「視覚性の錯覚」であり、「知覚的な(心理的な)錯覚を指すことが多い」(p16)と言う。この章では「斜塔錯視」、「『透明視』という錯視」が引きつづき説明される。前者は、奥行き方向に傾いて写っているものを並べたときに見える錯視である。後者は、知覚的にX接合部が成立する視点から見ると、透明でないものが知覚的に透明に見えるということをいう。後者では透明に見える山を写真で例示している。

 著者は錯視のメカニズムとして、第2章、第3章で2つの観点からそのフレームワークを錯視作品例を提示して順次解説していく。フレームワークとしてのキーワードをまとめておく。その具体的意味と理解のためには、本書を開いていただければよい。
 ☆明暗が作り出す錯視
  1)明るさの恒常性という錯視    2)グラデーションによる明るさの錯視
  3)グラデーションによる凹凸の知覚 4)視覚的ファントム(霧や雲の知覚の基礎)
  5)2つの並置混色と明るさの錯視  6)ホワイト効果 (注:ホワイトは人名)
 ☆形と線が織りなす錯視
  1)傾き錯視: ミュンスターベルク錯視(1979以降、カフェウォール錯視とも)
         フレーザー錯視、ツェルナー錯視
     ⇒ 渦巻き錯視: 傾き錯視の特別な形態
  2)彎曲錯視: 傾き錯視の別の表現法  ヘリング錯視
  3)膨らみの錯視: 横方向と縦方向の両方に仕掛けた彎曲錯視の発展形
  4)4つの要素から成る傾き錯視: ずれた線の錯視、ずれたエッジの錯視
  5)4つの要素から成る静止画が動いて見える錯視
    4つの要素を同じ位置に時間的に順番に提示すると特定の方向に動いて見える
    「四コマ運動」(ファイ・リバースファイ・ファイ・リバースファイの4つの組み合わせ)
  6)逆遠近法というだまし絵 ⇒「両眼立体視」と「形の恒常性」が競合する現象
  7)不可能な図形: ペンローズの三角形、エッシャーの無限階段
    不可能図形の最小の要素数は3である。
 この第2章・第3章のメカニズム分析から、さらに高度化した組み合わせの発展段階として第4章に繋がっていると私は理解した。第4章を一種の高度応用編と受け止めた。

 第4章はその分、錯視作品は面白くなる。ここで登場する錯視の名称を列挙しておこう。
 フレーザー・ウィルコックス錯視とその仲間としての「蛇の回転」錯視
 エンボスドリフト錯視(⇒2016年に著者が発見した錯視)、
 遅延錯視(⇒輝度量と輝度コントラスト量の要因;ヘス効果とプルフリッヒ効果)
 消失錯視: トロクスラー効果、ニニオの消える錯視
       マッカナニーとレヴァインの消失錯視
       コントラストが高くて曲がった輪郭の近くで起こる消える錯視
       コントラストの高い輪郭の近くで起こる消える錯視
 きらめき格子錯視 ⇒オプ効果の錯視  
       バーゲン格子錯視、ヘルマン格子錯視、ギンガム錯視
 閃光線錯視とその仲間:  針差し格子錯視
 その他の錯視

 第3章で触れられていることを一点付け加えておこう。錯視が見えることには個人差があるという点である。著者はこのことを説明するのに、冒頭で私が原点の体験で触れた幾何学的図形を使っている。それで、この図形の名称を遅まきながら知ったという次第。
 著者は記す。「要するに、『○○錯視では、本当は××だが△△のように見える』と記述されていても、それは平均の話であって、心理学的特性には個人差は付きものであるから、その錯視が見えない人も相当数存在することに留意する必要がある。また、すべての錯視が見えない人もいなければ、すべての錯視が見える人もいない。」と。(p89-90)
 一つ、個人的体験を追加しておこう。本書のp95に図1として、モノクロ画「蛇の回転」が載っている。私はこの図を幾度見ても回転が見えない。ところが、これのカラー版を見た。何と即座に回転している。おもしろい! 不思議!

 さて、これだけ錯視の名称を本書に沿って列挙したら、野次馬根性でどんなものか好奇心が湧くのではないだろうか? 
 この本の続きは、この本の続きを著者のホームページで楽しもうと考えている。

 ご一読ありがとうございます。

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本書の関心から、少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
脳がだまされる!?「錯視」の不思議を探ってみよう  :「フロントランナー」
  立命館大学文学部 教授 北岡 明佳
MEGを用いた「蛇の回転」錯視のメカニズムの解明  :「樋口研究室」
騙される脳-なぜ蛇は回転して見えるのか 2012.5.3 :「科学ニュースの森」

錯視  :ウィキペディア
Visual Phenomena & Optical Illusions
Here's why you can't see all twelve black dots in this optical illusion
Schrauf and Wist's Flashing Junction Illusion

Flash-Lag Effect
Flashing anomalous color contrast
Flash lag illusion From Wikipedia, the free encyclopedia
Optical Illusion Flashing Lines  :YouTube
Optical Illusion - Mysterious Black Dots
Trippy Optical Illusion Eye Trick  :YouTube
The Muller-Lyer, Poggendorff and More Illusions

無限を描いた錯視画家 “視覚の魔術師”エッシャーの『騙し絵』まとめ :「目ディア」
だまし絵の奇才「マウリッツ・エッシャー」の世界 :「NAVERまとめ」
M.C.ESCHER 公式サイト
ミラクルエッシャー展 公式ホームページ

The dress :ウィキペディア
What Colors Are This Dress? White & Gold or Black & Blue? The Internet Is Going Insane Trying To Find Out ? PHOTO
What Colors Are This Dress?
Viral phenomenon  From Wikipedia, the free encyclopedia


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