遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『千鳥舞う』  葉室 麟   徳間書店

2012-09-28 21:52:27 | レビュー
 福岡藩に住む女絵師・箭内里緒(春香)が主人公である。里緒は成り上がりの大商人亀屋藤兵衛から<博多八景>の屏風絵を描いて欲しいという依頼を受ける。それも、亀屋の屋敷に逗留して屏風絵を仕上げてもらえばよいという。<博多八景>を名所にして、ひとを呼びたいという。博多の繁盛のひとつに繋がれば・・・とのことなのだ。
 北宋の画家宋迪が湖南省・洞庭湖一帯の景勝地から選んだ佳景を<瀟湘八景>に描いている。この影響を受け、古くは鎌倉時代に博多・聖福寺の禅僧鉄庵道生が博多八景を選び七言絶句を詠んでいる。これを範として、里緒が博多八景を選び、まずは下絵を仕上げていくことを基軸にして、ストーリーが展開する。

 この作品には二つの流れが織り成されていく。一つは里緒自身の忍び待ち耐える愛の姿とそのなりゆきである。他方は、博多八景の各景の構想と下絵の仕上げまでに巡り遭う人々の様々な哀しき愛の諸相の物語である。博多八景は愛のありかたのオムニバスといえようか。里緒の世話をするように藤兵衛がお文という女中を里緒に付ける。副次的に、お文の両親に対する心の揺れ動きが綴られていく。これもまた、親子愛の相といえる。

 冒頭「比翼屏風」は、博多八景への導入であり、一方里緒の愛が忍び待ち、耐える愛となるその経緯の始まりでもある。狩野門の守英こと杉岡外記が福岡の青蓮寺から<鳥十種屏風>の依頼を受け博多を訪れる。同門であり、福岡藩御用絵師・衣笠家の傍流である衣笠春涯は手伝い絵師の世話を頼まれ、里緒とその兄弟子・春楼を推挙する。3年前、美緒23歳の時である。<鳥十種屏風>を仕上げるために、外記を見つめその後をついていく過程でこの妻ある外記との不義密通へと踏み込んで行く。これが原因で、屏風の仕事は青蓮寺から拒絶され、里緒は破門、外記は3年修行した後にはきっと里緒の許に戻ってくると約して江戸に去る。それから3年経ち、里緒に<博多八景>の依頼が来たことは、春涯の破門が解けたという兆しでもあった。
 <博多八景>を里緒が選ぶにあたって、里緒は師匠春涯の屋敷を訪れ、師から八景についての教えを得る(「濡衣夜雨」以降の章での話ではあるが・・・)。そして、新たに今の博多八景を選びだし、その仕事に掛かっていくことになる。里緒が選んだ八景は、「濡衣夜雨、長橋春潮、箱崎晴嵐、奈多落雁、名島夕照、香椎晩鐘、博多帰帆」だった。これらの絵が仕上がる背景で、博多人の愛の諸相が芽生え、咲き、乱れ散っていく。
 蛇足だが、北宋画家宋迪が選んだ<瀟湘八景>は、「山市晴嵐、遠浦帰帆、漁村夕照、煙寺晩鐘、瀟湘夜雨、洞庭秋月、平沙落雁、江天暮雪」という佳景だった。
 
<濡衣夜雨>
 本書で私は「濡衣を着る」という言葉が博多に伝わる昔話が始まりだという伝えを初めて知った。御笠川にかかる石堂橋のたもとに「濡衣塚」があるという。
 春涯の屋敷を訪ねた帰路、里緒は兄弟子・春楼から柳町の常盤屋の遊女・千歳に言付けの結び文を渡して欲しいと頼まれる。断れぬ頼みに、里緒は遊郭の常盤屋に出向き、千歳に取り次いでもらい、そっと結び文を渡す。だが里緒は遊女の<>を助けた角で疑いをかけられる。二日後、町奉行所からの呼び出しで番所に出向くが、そこで海に身を投げた心中の遺体を検分させられる。女は確かに千歳だったが、男は春楼ではなかった・・・。
 里緒はその後、春楼から心の底から好きになった千歳の話を聞く。
 忘れられないひとへの想い。「世の中には幸せになりたいと思っても、どうにもならない者がいるのです」(p69)。
 柳町から見た川の景色。河口に近づくにつれ、景色が明るく描かれた下絵。河口の先には何かひとを幸せにする明るいものが感じられる絵。それは千歳の心の投影なのか。

<長橋春潮>
 亀屋藤兵衛は、里緒の世話をする女中として、もう一人お葉を付けるという。お葉は武家の内儀だったという。なにかいわくがありそうな、挙措に品のある控え目な物腰の女性だった。 
 昔、那珂川の河口あたりは袖湊という入海で長い橋が架かっていたという。いまや幻の橋である。袖湊を藤原定家が歌に詠んでいるようだ。
    鳴く千鳥袖の湊をとひこかし唐舟の夜の寐覚めに
 幻の橋を思い描けない里緒に、お葉は冷泉町の龍宮寺に人魚の骨が祀られている話をする。そして、長橋を守る橋寺だったという伝えがあるので龍宮寺を一度訪ねることを勧める。里緒はお葉と龍宮寺を訪れる。そこで、お葉は江戸から来た柴風と再会する。
 14年前にお葉は柴風から俳諧の指導を受けていて、今その柴風が龍宮寺で病床に伏しているのだ。里緒から暇をもらい、お葉は龍宮寺での看病に通う。それを知った藤兵衛は、「さて、困りました。不義密通は御家の御法度でございますから」(p90)とつぶやく。
 お葉の息子が亀屋に訪れてきたことがきっかけで、お葉は里緒とお文に自らの身の上を話し始める。
 そこには、俳諧の指導を受けたお葉と師・柴風の間に芽生えた心の通いがあった。だが、武家の内儀であるお葉にとり、それはあきらめの愛だった。何も告げずに江戸に去った柴風が博多に再訪してきたのだ。そして、病床に臥している。
 里緒には、「ひたむきな女を絵にしたいという思いが、突如湧いてきた。」(p99)
 お葉は里緒に言う。「女は皆、いつか長い橋を渡りたいと心のどこかで願っているのではないでしょうか。・・・いつかきっと誰かが、その橋を渡ることができるはずです」(p103)と。
 長い橋を渡ることをあきらめた女の愛。美しさへの感嘆をともに味わえた思い出だけを胸に秘めて。さびしいあきらめの愛になぜかポエジーを感じる。

<箱崎晴嵐>
 背中一面に四角い形の石塔の刺青を背負う<川端の与三兵衛>は幇間をなりわいとする。三味線を弾きながら味わいのある声で新内を唄う。その与三兵衛は江戸で、杉岡外記が同座する座敷に出たことがあるという。藤兵衛は与三兵衛を亀屋に呼び、里緒にその話を聞かせる。新内の<蘭蝶>を唄ったことで外記と言葉を交わしたという。
 里緒は与三兵衛にもう一度会って、さらに話を訊こうとする。尋ね尋ねて、与三兵衛の家を訪れると、子供が熱を出して寝込んでいた。そこから与三兵衛との関わりが深まり、与三兵衛の話が始まる。そして、外記の江戸での状況もわかってくる。「思い切ることができそうです」と言う里緒に、与三兵衛は言う。
 「ひとを不幸にしたからというて、自分は幸せになれんと思うたらいけんとです。みんな幸せになりたかとです。けど、そうなれん者もおる。だったら、幸せになれる者が懸命に幸せにならんといかんじゃなかですか」(p132)。
 夏の博多は、祇園山笠の季節。お汐井取りの日、里緒はお文を供にして、「箱崎晴嵐」の風景を見定めるために筥崎浜に出かける。その浜で、元気になった子供を肩車にした与三兵衛の家族の後姿を見かけることになる。その姿に、幸せを感じる。
 辛いことを乗り越えていく愛。与三兵衛の渋い声の新内が聞こえてくる。
   たとえこの身は淡雪と共に消ゆるもいとわぬが
   この世の名残に今一度遭いたい見たいとしゃくり上げ--
 他の作品でもそうだが、著者は和歌、俳句、漢詩、今回は新内も含め、要のところでこれらを的確に活かしていると私は感じる。読んでいて楽しくなってくる。あたかもこれらの素材から物語が紡ぎだされたかのようである。

<奈多落雁>
 亀屋で働き始めたばかりの清吉が、奈多海岸を下絵準備の目的で見に行く里緒とお文の用心のためとして、付き従うことになる。だが海岸でお文が腹痛になり、近くの猟師の助けを得て、舟で亀屋近くまで戻る。そのとき清吉はお文を背にして介助することになる。
 藤兵衛は、お文の体の具合が良くなれば、里緒の供でお文も芝居見物してくればよいという。それに清吉も同行するようにと、藤兵衛はその心積もりを語る。中島新地には、7代目市川團十郎の芝居がかかっていたのだ。藤兵衛の発案に驚く清吉。
 当日の演目は<先代萩>だった。舞台で政岡に抱かれている千松の口からたらりと赤い滴が垂れる。だが、芝居にしてはなまなましい。芝居を見ていた清吉が里緒に、その子役は実際に毒を盛られたのだと青ざめた顔で言う。そこから、清吉の過去、身の上が語られていく。
 この章は男女の愛ではなく、兄弟愛、芝居への愛がテーマになっている。だが、博多で拾った役者の踊りだという口上の後、拾われた役者による変化舞踊<鷺娘>で、恋の妄執に苦しむ女心が重ねられていく。
   妄執の雲晴れやらぬ朧夜の恋に迷いし我が心・・・・
この当たりのまとめかたは心憎いところである。

 里緒は、「舞台に目を転じた時、群を離れていた雁が空に戻っていく様を目の当たりにしているのだと思った。」これが章末の一文である。
 奈多海岸が満潮の時には<道切れ>と地元の人がいう場所がある。潮が引けば、そこは志賀島への<海の中道>と言われるそうだ。この末文の一行で、奈多落雁の下絵構図が完成した、それう言外に語っている。

<名島夕照>
 長崎のオランダ通詞である弥永小四郎が亀屋を訪れる。お文の母親おりうを伴って長崎に戻る途中であり、<長崎聞役>の用件で藩疔に出向いてきたという。亀屋には、お文を長崎に連れて行きたいという申し出なのだ。
 お文が亀屋で働くまでの過去の経緯がこの章で明らかになる。
 小四郎はおりうの事情を承知の上で、長崎に戻ればおりゅうを女房にするという。この小四郎にも、その出生と生き方に、ある経緯があったのだった。
 お文は決断を迫られる。お文の心の葛藤プロセスが読ませ所といえよう。
 一応の下絵ができると、里緒は藤兵衛にそれを見せる。藤兵衛は絵を見て言う。
 「この絵の中にはお文の心も描かれているようですが、違いますかな」と。

<香椎暮雪>
 病床に臥せる春涯は余命を覚る。長年独り身を通してきた春涯にはかつて恋焦がれた思い人が居た。いま一度その人・お雪様に会いたいという望みを持つ。春楼は師のために香椎宮の近くの庵を探し回りたどり着くが、訪いを告げた後、現れたのは二人の尼僧だった。湖白尼と恵心尼である。この二人は、かつては奥方と側室の関係にあったのだ。「庵で迂闊な話をすれば、お雪と春涯が不義をしていたかのように藩内に伝わりかねない。春涯の体面を傷つけてしまうかもしれないのだ。」(p211)
 お雪様がいずれの人か判別できず、師の想いを告げられずに春楼はすごすごと引き下がる。そして、里緒にそのことを伝え、どちらの尼僧がお雪様なのか確かめて、一度先生にお会いしていただきたい旨頼んでほしいと春楼は言う。
 翌日春涯の屋敷に赴き、師を見舞った後、春楼からお雪様からの書状を見せられる。春涯の門人で女絵師が香椎宮を写生に訪れたいのでその便宜を依頼するという事に対する承諾の返事だった。里緒はお文を供に香椎宮を訪れる。
 「お雪が不義の名に怯えて恋をあきらめたとするなら、自分とよく似ている」(p213)と里緒は胸をしめつけられる思いをいだく。庵を訪れ、二人の尼僧に会った里緒は二人との会話、関わりの中から、お雪様を識別しようと試みる。
 ここにも、ひとつのあきらめた愛が存在した。

<横岳晩鐘>
 禅寺聖福寺の虚白院にて隠居棲まいをする仙涯和尚が亀屋を訪ねてくる。<博多八景>を見たいという理由だ。そして、下絵の中に<横岳晩鐘>がないのを見つけ、「<横岳晩鐘>を描いておくれ。崇福寺には幽霊が出るらしいので、それを描いてもらたいのう」と里緒に望む。若くて美しい女の幽霊がでるという。それは<綾の鼓>の幽霊らしいとのこと。頼み事をした仙涯は飄々とした様子で帰って行く。
 翌日、里緒とお文は崇福寺を訪ねる。行けば幽霊の話をしてくれると仙涯が言った智照という僧に会う。この僧は、かつて、里緒が外記の手助けして<比翼屏風>を描いた寺、青蓮寺で同じ頃に修行していたのだという。
 日が沈む頃、改めて崇福寺を訪れ、里緒は智照と供に幽霊がでるかどうか検分しようとするのだが・・・・この幽霊騒ぎには、二重三重の意図が秘められていた。仙涯和尚の人となりを描いたエピソードになっている。
 そして、ここにも成らぬ恋の想い、懸想があった。

<博多帰帆>
 最後の一景、<博多帰帆>に里緒は期するところがある。「この絵を描き上げれば、外記様は博多に戻ってきてくれるような気がする」(p263)という思いである。
 春楼は春涯の死後、師の遺作を江戸の狩野家に納めるべく江戸に赴く。そして、外記とも面談する。外記は妻である妙との離婚を願うが、義父相模屋善右衛門及び妙との間での話はうまく進まず、苦境に立たされていた。春楼が江戸を去る時、外記は里緒宛の品物を春楼に託す。里緒がその包みを開くと、それは外記が描いた<博多帰帆>の絵だった。その絵から里緒は外記の心を読み取ろうとする。そして自らの<博多帰帆>を描こうとする。
 下絵に打ち込む里緒。そして大晦日。夢中になって絵筆を動かすうちに日が暮れる。絵の構図をイメージし、絵筆を手にした瞬間に、外記の姿を見る。それは夢、幻・・・だが、「外記の肌ざわりが残る血のざわめきを体がはっきりと思えている。」
 外記の帰帆を待ち望む里緒の心情に溢れる一篇となっている。

<挙哀女図>
 博多に現れたのは相模屋善右衛門だった。里緒は善右衛門から外記に関わる経緯を聞くことになる。
 そこには、拒絶された愛の顛末があった。そして、善右衛門は外記の遺髪を博多に持参してきていたのだった。里緒は生きる気力を失って寝つく。だがその里緒に生きる力を再び与えたのは仙涯和尚の言葉だった。
 「おお、存分に泣いたか。挙哀じゃな。」(p309)
 「思い切り泣くがよい。悼む涙は、泣き者の心を潤そう。そして・・・・」(p310)

 一年が過ぎ、<博多八景図屏風>が完成し、披露が行われる。その披露は、亀屋ではなく、加瀬屋で行われた。ここには福岡藩の内政が影を落としている。

 里緒が挙哀女図を描こうと思い立つところで、この物語が終わる。この絵はどんな構図になるのだろうか・・・・想像の翼が羽ばたきそうだ。

 印象深い文をいくつか引用しておきたい。
*忘れようとしても、忘れられないのが、ひとへの想いなのかもしれませんね。 p64
*「和尚様、死なせてならない心とは何なのかお教えくださいませ」
 「ひとを愛おしむ心じゃ。ひとはひとに愛おしまれてこそ生きる力が湧くものじゃ。たとえ、その身は朽ち果てようが、愛おしむひとがいてくれたと信じられれば、現世でなくともいずこかの世で生きていけよう。この世を美しいと思うひとがいて、初めてこの世は美しくなる。そう思うひとがいなくなれば、この世はただの土塊となるしかないのじゃ。心が死ねばこの世のすべてのものは無明長夜の闇に落ちる。死を望んでおるのなら、死ぬがよい。されど、おのれの心を死なせてはならぬ」  p308-309


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 本書を読みながら、キーワードの波紋が広がる。検索の一覧をまとめておきたい。

千鳥図屏風 ← 所蔵品 絵画:金沢市立中村記念美術館
         ページの上から4つ目です。
衣笠守昌 ← 福岡の御用絵師2 :福岡市博物館
博多小女郎波枕 :「南条好輝の近松二十四番勝負」
石城志  巻1至3 :「近代デジタルライブラリー」
石城志  巻4、5 :「近代デジタルライブラリー」
石城志 共5 :「大日本海史編纂資料」

色道大鏡 :「慶一郎ワールド」文献資料室
黒田氏 幕末の福岡 :「歴史の勉強」
御救仕組 → 大野忠右衛門展 :「福岡市博物館」黒田記念室
龍宮寺  :福岡市の文化財
  人魚の骨 
中州  :ウィキペディア
Tamasaburo "Sagi Musume" 坂東玉三郎 「鷺娘」 - beginning section
伽羅先代萩 :ウィキペディア
 「伽羅先代萩」 :「歌舞伎見物のお供」
市川團十郎 (7代目) :ウィキペディア
阿蘭陀通詞
オランダ通詞 :「江戸大名公卿」
長崎聞役 :ウィキペディア
  長崎聞役 -江戸時代の情報収集者-  山下博幸氏

博多八景
 博多八景展  林 文理氏 :「常設・部門別展示」
 博多八景展 :「Facata(博物館だより)」
 博多「長橋」ものがたり :「福岡市博物館」
濡衣塚 :「紀行道中写真館」
濡衣塚 :「神話の森」歌語り風土記
石堂橋 :「橋散歩」
筥崎宮 のHP
箱崎(福岡市) :ウィキペディア
奈多海岸 ← Sunny day paragliding Nata Beach, 奈多海岸 福岡 パラグライダー
海の中道  :ウィキペディア
道切れ :「福岡市東区 歴史・名所のご案内」
名島城跡 :「よかなびweb」
香椎宮 のHP
  香椎宮  :ウィキペディア
横岳崇福寺 :「だざいふ史跡探訪」
横岳山崇福寺 :「お寺めぐりの友」

ボタン :ウィキペディア
  洛陽花 :「weblio辞書」 植物名辞典
聖福寺 のHP
鉄庵道生  :「コトバンク」デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
仙がい義梵 :ウィキペディア

宋迪 :ウィキペディア
瀟湘八景 :ウィキペディア
玉礀筆「遠浦帰帆図」
玉礀筆「遠浦帰帆図」(徳川美術館):文化遺産オンライン
玉礀筆「山市晴嵐図」 :出光コレクション
牧谿筆「漁村夕照図」 :根津美術館
伝牧谿筆「煙寺晩鐘図」(畠山美術館):「茶の湯とは」
伝牧谿筆「洞庭秋月図」 :徳川美術館
伝岳翁蔵丘「瀟湘夜雨図」(根津美術館):文化遺産オンライン


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付記
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『散り椿』
『霖雨』
読書記録索引 -2  フィクション :葉室麟・山本兼一・松井今朝子
 ページでは、「読書記録索引 -5」が上で、一番下の方に出てきます。
 2012.8.5にまとめてアップしましたので・・・・





『散り椿』 葉室 麟  角川書店

2012-09-23 15:05:30 | レビュー


 <五色八重散椿>と和歌一首
   くもり日の影としなれる我なれば目にこそ見えね身をばはなれず
印象として、この二つが発想の原点となってこの物語が紡ぎだされたと感じている。

 普通の椿はあたかも首がぽとりと落ちる様に、花が落ちる。それに対し、<五色八重散椿>は、花びらが一片一片散っていくという。そのひっそりと咲き散っていく寂しさ。この散り椿の姿を、著者は登場人物の幾人かに投影している。そんな思いでこの物語を読んだ。
 一方、和歌は、調べてみると『古今和歌集』巻十四、恋歌四にある。一つ前に小野小町の歌、一つ後は紀貫之の歌、その間にこの歌が載っていて、<しもつけのおむね>が詠んだ歌だった。著者は歌の作者に触れていない。歌そのものの歌意を本書で展開したかったのではないか。関わる人々の読み方で歌の解釈が大きく転換する。それが実に大きな意味を持ってくる。この和歌を返事に替えた心の機微を感じた。

 流浪の果てに、<五色八重散椿>の咲く京の地蔵院の庫裡に身を寄せて3年になる瓜生新兵衛とその妻・篠。病床に臥す篠が「もう一度、故郷の散り椿が見てみたい」という思いをいだいたまま、亡くなる。その篠が、夫・新兵衛に故郷に戻ってしてほしいという頼み事を託す。篠の頼み事を果たすために新兵衛は故郷である扇野藩六万五千石の地に戻る。そこからこの物語が始まる。

 勘定方だった瓜生新兵衛は勘定方頭取である榊原平蔵が田中屋惣兵衛から賄賂を受け取っていると重役に訴えた。それが原因で藩放逐の憂き目にあう。そして妻・篠とともに国を去った。その3年後に榊原平蔵が暗殺されてしまう。藩内では恨みに思う新兵衛が立ち戻っての仕業ではないかという噂が立つ。
 新兵衛は国にいた時、一刀流平山道場の代稽古を務める腕前であり、当時新兵衛を含め四天王と呼ばれる者たちがいた。榊原采女、篠原三右衛門、坂下源之進である。互いに切磋琢磨し、剣技を磨いた仲間だった。
 新兵衛が篠の頼み事を胸に国に戻った時には、勘定方だった坂下源之進は1年前に突如自害して果てていた。家老の石田玄蕃から使途不明金について糾問され、あくまで無実だと反論したその直後である。源之進は篠の妹・里美の夫だった。榊原采女は、榊原平蔵の養子であり、今や側用人となっていた。篠原三右衛門は馬廻役である。
 新兵衛は国に戻り、篠の妹・里美の居る坂下家を訪ねる。坂下家は源之進の息子・藤吾が家督を継ぎ、父の汚名をそそぐためにも、如何に立身出世をするかを常に考えながら勘定方として勤めるようになっている。小身からの出頭人であり側用人から家老に昇り詰めるのではないかと目されている榊原采女に、藤吾はひそかに憧れている。里美の勧めで新兵衛は坂下家に寄寓するようになる。立身を望む藤吾は叔父とはいえ、藩から放逐された新兵衛が寄寓することを心良しとは思わない。その藤吾が何時しか藩内の派閥抗争・政争の渦中に巻き込まれていく。

 国に戻った新兵衛は、田中屋惣兵衛を訪ねることを契機に、かつて自分が訴えた不正の事実背景を暴こうとする。榊原平蔵の不正には家老・石田玄蕃が陰で糸を引いていたことがわかっていたからだ。一方、榊原平蔵が暗殺された原因及び犯人の究明を試みようとする。だが、この行動が大きな波紋を拡げていくことになる。本書ではこの二つの謎解きが基軸となりながら、扇野藩の抱える問題が浮彫にされていく。

 平山道場を訪れた新兵衛は、代稽古を務める馬廻役の小杉十五郎に尋ねる。彼の父が目付方であり、15年前、榊原平蔵が斬られた後の検分をしていたからだ。十五郎が父から聞き伝えた内容は、鮮やかな切り口であり、平山道場の四天王のひとりがやったのではないかということだった。
 一方、田中屋惣兵衛を訪ねた新兵衛は、その帰り道に襲われる。その後田中屋から賄賂の事実を確かめるために、新兵衛は田中屋を幾度も訪ねる。その田中屋から襲われる危惧があるので、用心棒になってくれと頼み込まれる。扇野紙の公許紙問屋になっている田中屋がかつて榊原平蔵に賄賂を贈った問題に繋がる理由があったのだ。田中屋惣兵衛の身を護る大事な書状がそこに絡んでいた。その書状には現藩主親家の庶兄である鷹ケ峰様(刑部家斉)の名が記されていたのだ。新兵衛には、扇野藩の家督継承への確執につらなる背景が徐々に見えてくる。

 新兵衛が藩放逐の処分を受けた時、篠を離縁せずに伴って国を出たのは、篠の希望だったという。そこには、篠の複雑な思いがあった。
 新兵衛との縁談の前に、篠は榊原采女との間で互いの思いが芽生えてきており、父・平蔵の了承を得た采女から縁談を申し込まれていたのだ。だが、独自に大身の家から采女に妻を迎えさせようとしていた母・滋野が横槍を入れる。篠を悪者に仕立てて采女と篠の縁談話をご破算に追い込んでしまったのだ。それに立腹した篠の父は、速やかに瓜生新兵衛と篠の縁談を進めてしまったという経緯があった。
 新兵衛に嫁ぐ篠に采女は自らの思いを記した書状を届けさせる。篠はその返状を送る。そこには、冒頭に記した『古今和歌集』の歌一首が書かれているだけだった。
 采女はその後、滋野からの縁談話は全て断り、独り身を通す。側用人となった現在も妻を迎えてはいなかった。

 新兵衛が持ち帰り里美に形見分けとして渡した衣類を、里美は整理していて着物の袖に入っている三通の書状を見つける。それは采女が篠への思いを綴った書状だった。それを読んだ里美は複雑な思いに捕らわれる。篠の思い。采女の思い。新兵衛の思い。新兵衛はその書状を承知しているのか・・・・・
 新兵衛は、坂下家の屋敷に来た最初の夜、里美に「庭の椿を自分の代わりに見て欲しいと篠はわたしに頼んだのです。」(p109)と打ち明けていた。里美はそのことをはっと思い出す。

 扇野藩の十二代現藩主・右京大夫親家は、50を過ぎたばかりだが病がちであり、隠居願を幕府に出し、江戸育ちの嫡男左近将監政家に家督を譲る。その政家が来春初めて国入りをし、親政を行おうと考えているのだ。側用人榊原采女は政家に具申している立場にいる。一方鷹ケ峰様と繋がりを深めている国家老石田玄蕃にとって、それは大きな問題である。その渦中で、隠し目付・蜻蛉組がその姿を見せ始める。扇野藩内の政争の確執が徐々に深刻なものへと進展していく。

 政争の間に挟まれて翻弄される立場に陥っていく藤吾を新兵衛は時折助けながらも、知り得た事実を藤吾に教える。新兵衛は藤吾に言う。榊原平蔵の不正の一件を暴くという目的以外に、ひとり斬りたい男がいるのだと。
 藤吾は新兵衛を当初は疎ましく思いながらも、確執の渦中に投げ込まれ、新兵衛との関わりを深めていく。藤吾の心理的変化と成長の過程を描くことが、本書のサブテーマでもあったのではないか。それは散り椿ではない生き方として・・・。私はそういう風に受け止めた。

 この作品は、新兵衛による不正の解明と暗殺犯人の究明が、扇野藩一国の政争確執に及んで行き、そこにかつて共に切磋琢磨した平山道場の四天王が複雑に絡んでいたという構図になっている。この真相解明の推理プロセスが読ませどころである。
 一方、四天王の一人、榊原采女は新兵衛にとって、篠の思いを明らかにするために、一度は対峙しなければならない相手でもあった。そして、篠が采女に対する最後の返状に記した和歌に託した真意が、二人の対話で明らかになっていく。
 さらに、篠が新兵衛に、国に戻ってしてほしいと頼み事をした真意は何だったのか。
 
 散り椿は花びらが一片一片散っていく。あでやかに咲き、ひっそりと咲き散っていく椿には寂しさがある。この「散り椿」に、二重三重に人々の思い、生き様が重ね合わされている。一方、篠の脳裏に浮かんだ庭に咲く散り椿の花のことをこうも語らせている。
「白、紅の花びらがゆっくりと散っていく。あれは、寂しげな散り方ではなかった。豊かに咲き誇り、時の流れを楽しむが如き散り様だった」(p306)と。

 本書で印象深い文をいくつか記しておきたい。
*ひとは大切なものに出会えれば、それだけで仕合わせだと思うております。 p111
*お主たちにはわかるまいが、あれが、あの者たちの友としての情だったのであろう。 p273
*篠殿は、お主を生かすために心にもないことを言わねばならなかったのだぞ。そのつらさが、お主にはわからんのか。   p297
*新兵衛、散る椿はな、残る椿があると思えばこそ、見事に散っていけるのだ。 p307
*ひとには自ずと宿命がござる。それが嫌ならば家を捨て、国を出て生きるしかござりませぬ。欲しいものが手に入らぬからといって、無闇に謀をめぐらすのは武士のすることではござりますまい。 p342
*主君が魚であるとすれば、家臣、領民は水でござるぞ。水無くば、魚は生きられませぬ。このことをおわかりくださらねば、いたしかたござらぬ。  p343


ご一読、ありがとうございます。

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 本書に出てくる語句で、ネット検索して得た内容を一覧にしておきたい。

速水御舟「名樹散椿」 :「山種美術館」のHP
  作品解説 「作品紹介」ページの末尾に。
五色散り椿 :「私の花図鑑」
五色散り椿2:「私の花図鑑」
地蔵院(通称:椿寺)  :「名所旧跡めぐり」
京都歴史探訪 散りツバキ、枝垂れ桜と天野屋利兵衛ゆかりの地蔵院:「プロフ・ユキのブログ」
地蔵院(椿寺)・五色八重散り椿、三分咲き :「京都・フォト日記」
関西の椿の名所

海鼠塀 ← 海鼠壁 :「不動産用語集」
海鼠壁 :「城用語集」

譜代大名 :ウィキペディア
京職(きょうしき) :ウィキペディア
日本の官制 :ウィキペディア
武家官位  :ウィキペディア
戦国武士の官職名(官途・受領名):リサーチナビ 国立国会図書館
雑談「武家官位」(位階編) :「呆嶷独言部屋」
雑談「武家官位」(名乗り編):「呆嶷独言部屋」

詩経 :ウィキペディア
関関雎鳩 → 関雎 『詩經』周南 :「詩詞世界」碧血の詩篇

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『びいどろの火』 奥山景布子 文藝春秋 

2012-09-20 10:59:30 | レビュー

 知人のブログ記事の中の数行の感想から、本書に興味を抱いた。
 全く初めて読む作家の作品だ。いっきに読んでしまった。そこに描かれたのは一つの極限の愛の姿。スピリチュアルな愛とフィジカルな愛の混淆、共存が普通としたら、それから外れた愛の形の顛末物語といえようか。スピリチュアルな愛とフィジカルな愛の相克。切なく哀しい愛の歎きが止揚された愛の様相に転換する物語。だが、一方に、妄執を抑制させねばならない哀しみも残る。愛のありかたを問いかけた作品である。併行して、同時存在する様々な人生模様をも描く。

 副次的に、18世紀半ばの尾張名古屋の城下町の雰囲気や風物・情緒が感じ取れて興味深い。私には時代小説でこの地域が直接の舞台となる作品を読んだことがことがないので、ストーリーの背景空間そのものにも新鮮味を感じた。
 また、”「姥が餅でもいただきましょうか」草津名物の姥が餅は、赤福と同じ横町に店があった。”(p204)という箇所を読み、本筋とは無関係だが、個人的に面白いと感じた。近江商人の全国店舗展開の仕組みというのは知っていたが、「姥が餅」というお菓子の店も名古屋に出店をもっていたというのを初めて知ったからだ。(多分、このあたりは史実を踏まえた記述だろう。)派生的に、京都のお菓子の老舗はどうだったのだろうか、ということが気になった。

 「序」は、宝暦11年夏。嵐粂三郎一座が尾張名古屋、大須で芝居興行中の状況から始まる。「日高川」の踊りについての会話が冒頭に出てくる。立女方・佐ノ川花妻が弟子の菊松と惣吉に、五十に手が届くという荻野綾鼓に踊りの稽古をつけてもらえと指示する。今、一座の後見的立場の綾鼓は江戸の女方だった。綾鼓はまず二人を連れて、この踊りには信心が必要と、大須の観音様にお参りする。立ち寄った茶屋で、綾鼓は老夫婦者に目を止める。
 こんな描写がある。
「ちょっと見には非の打ちようもなく品の良いご隠居夫婦だが、どこか様子が不自然だった。お内儀の方が、話す時にいちいち旦那の耳許に口を近づけて囁く。こっちには聞こえない。旦那は軽く首を傾げて、うんうんとにこやかに頷きながら、お内儀の囁きを受け取る。・・・・・茶が運ばれると、お内儀は店の女に軽く会釈し、それから旦那の掌に字を書くような仕草をした。」
程なく夫婦は店を出る。それを見つめる綾鼓の「目から涙が溢れ落ちている。・・・綾鼓は夫婦者の姿が消えていった参道の方を向いたまま、頻りに鼻水を啜りあげるばかりである。しばらくして、綾鼓は漸く袖で涙を払う」

 本文は、享保17年3月朔日に時を遡る(30年近く前になる)。八代将軍吉宗が享保の改革を推しすすめていた時代である。だが、尾張名古屋は徳川宗春の治世にあり、独自の政策を進めており、寺社の境内に代わる代わる芝居の小屋がかかるくらいの賑わいをみせていた。
 主人公は加藤佐登。加藤家の現当主は弥左衛門だが、隠居していた先代当主が身の回りの世話をしていた奉公人・清に手をつけて、産ませたのが佐登だった。弥左衛門には、先月祝言を挙げた吉太郎、学問熱心な市之進という息子たちと、徐々に視力の弱っている娘・波留がいる。弥左衛門の妻そして、吉太郎の嫁・寿美を含めたこの一家の中で、佐登はその出生の故に加藤家の日陰者という立場での生活を送っている。佐登には、弥左衛門夫婦に娘同然に育てられたとはいえ、遠慮がちな厄介者という自覚がある。
 そんな佐登が波留、市之進と一緒に大須の観音様にお参りに行く。その境内で迷子の子どもに出会い、その保護者探しの手助けをする。そこで、子ども(孫)を助けられた老人・菱屋善兵衛との縁ができる。佐登は請われるままに善兵衛の隠居所を訪ね始めることになる。そして、佐登の人柄を気に入った善兵衛は、嫁取りをしようとしない息子・善吉の嫁にと、弥左衛門に申し出ることになる。善吉は父の意向を受け入れる。

 父の気に入った娘・佐登との祝言をした善吉だが、彼は人に言えない苦しみを抱えていた。それは佐登の苦しみにも繋がっていく。「嫁に来た女に、いつまで経っても指一本触れぬ人と、ずっと寝起きしている」(p88)、そんな生活が始まるのだ。
 だが、その事を誰にも語れない佐登。「独り寝の夜を、一人だから寂しいとは思わない。いつだって寂しいのだから。」(p124)と。
 一方、善右衛門の所持する冊子や管子の整理を佐登は頼まれる。そこには、着物の図柄の雛型が記録されていたり、芝居が記録されている。その整理の過程で、善兵衛から様々なことを学び始め、菱屋のお内儀として、商売の方でも手助けができるようになっていく。傍目からみれば、菱屋の立派なお内儀。佐登はその立場・役割に馴染んで行くのだ。その様子を見る善吉は佐登への親しみや思いを深めていくが、彼の性癖そのものは変えられない。佐登は指一本触れぬ善吉になぜ?と質問するのを躊躇する。様々に思い悩むが、善吉の答えが怖い・・・・・。
 舅である善右衛門の優しさと思いやり。佐登にはこのうえない庇護者。一方、商売熱心で昼間は優しい誠実な善吉。だが閨では佐登に触れようともしないつれなさ。

 頼りにしていた善兵衛が病がもとで亡くなり、善吉はその忌明けの供養代わりに上得意や差配人を招待し、評判になっている萩野八重桐という女方の芝居を見ることを思いつく。そして芝居後に手配の料理屋でのお客様のお相手に佐登も加わることになる。その席に八重桐が二人の弟子とともに招かれて、芸を披露する。
 弟子の一人・志のぶという役者が佐登に、お見知りおきをと近づいていく。座がお開きになった後、家に戻った佐登は袂に知らぬ間に入れられていた小さな結び文に気づく。それは志のぶが入れたものだった。
 志のぶにとっては、芝居興行の旅先での金づる、慰み事の情事の一つとして始まる戯れごと。だが、佐登にとって、善吉からは満たされることの無かったフィジカルな愛のはじまりになる。「志のぶのことが一日中頭を離れぬようになっていた」(p129)という状態に陥っていく。だが、菱屋のお内儀としての立場、善吉の嫁として、それを気づかれてはならない・・・・佐登の心の葛藤が始まっていく。それを誰にも打ち明けられない。

 菱屋の商売にも馴染み、自らの工夫も出してくる佐登に、何時しか善吉の思いは深まっていく。「笑って、側にいてくれ。穏やかな顔で、ずっとここにいてくれ。」(p151)と思いつつ、「酔った勢いを借りて佐登に触れようとして、挙げ句果たせなかった夜の情けなさが忘れられぬ。かような自分を、佐登はいつか見限るだろうか。・・・・」(p151) 善吉の苦悩もまた深まっていく。スピリチュアルな愛は深まるけれど、フィジカルな愛には踏み込めない善吉の苦悶。

 うたかたの情事のつもりで始めた結び文。だが逢瀬が重なるにつれ、佐登の思わぬ振る舞いとその思いを受け止めていくことになる。志のぶの心も次第に揺れ動いていく。それは志のぶにとって、かつて経験したことのない苦しみの始まりでもあった。

 一つの極限からの愛が、三者三様の心理的葛藤となって展開していく。

 この物語で、佐登の気持ちには一つの枷が存在する。それは、市之進である。目の不自由な妹・波留の目が何とかならぬかという思いから、学問の道を目指す市之進。細井先生から眼鏡の仕組みを教えられ一組のびいどろを借りる。そして、波留の目に合わせた眼鏡ができないかという夢を抱く。びいどろから安くて人々が入手できる眼鏡が作れないか、その思いを市之進が善兵衛に語ったことがきっかけで、善兵衛は市之進への先行投資だと言って、京都への遊学の費用負担を請け負う。それが、佐登の菱屋への嫁入りと併行して進んで行く。市之進は、京都に旅立つ前に、細井先生から譲られたびいどろの一つを佐登に託して行く。善兵衛は遊学費用の援助と佐登の菱屋への嫁入りは全く別物と断言するが、佐登の心には市之進が遊学先で学びを深められるのは善兵衛の支援があるからこそという思いが強い。それが心の枷となる。

 その託されたびいどろが光を集めると火を生じることを、佐登は偶然に知ってビックリする。
 本書のタイトル「びいどろの火」は、びいどろから眼鏡作りへの情熱を追う市之進の行動と思いという局面を背景にしている。そして佐登の心という「びいどろ」に、善兵衛、善吉、志のぶというそれぞれの光があたり、それが屈折して産み出す佐登の心映えが重ねられているように思う。その中で志のぶという光がびいどろを経て火を発する。佐登の生き様に大きな影響を投げかけ、この物語が展開していく。

 スピリチュアルな愛とフィジカルな愛、その相克を経て、どのように止揚されていくのか。あるいは、妄執を心の奥深く秘していくのか。本書にはこの極限の愛の様相が描き込まれていく。私はそんな風に受け止めた。
 
 本書に出てくる語句をネット検索していて、著者自身のブログがあることを知った。
 ブログ記事の一つで、こんな記述を見つけた。引用させていただこう。
”「荻野綾鼓(おぎのりょうこ)」という役者が出て来ます。この「綾鼓」、若いときは別の名を名乗っていまして、「綾鼓」は晩年になって名乗った名前。・・・・イメージは、役者さんが使う「俳号」でした。・・・・この名、お能の「綾の鼓」から取りました。きれいだけど、鳴らない。老人の恋の妄執を象徴するような小道具です。”

 さて最後に、印象深い文章を引用しておきたい。
*自分がした商売の結果、人々の暮らしががらりと変わる。その商売の先と後とで、世間様に明らかな違いがある。そんな商売が実は一番楽しいと、私は思うのですよ。  p41
*人というものはおかしなものでな。同じ物を欲しがるくせに、違っていて欲しいのだよ。 p65
*好いた惚れたでなくともさ、縁があって、側で見て、添うてみて。そこから、ゆっくり出来る仲もあるもんだ。あんまりゆっくりし過ぎてると、手遅れになることもあるがね。  p106
*なぜこれがお客に受けるか、お前たち、おわかりかえ。きれいな二人が、きれいに死んでいくからだよ。当たり前と笑っちゃいけないよ。このきれいな二人には将来がない、そこに一番きれいな、哀れがあるんだ、幻があるんだからねえ。  p186
*これから娑婆で泥水を被って生きていかなくちゃいけないかもしれない人たちを、そんなきれいに語っちゃあねえ。将来が気の毒だって言うんだよ。人間、一番きれいな時っていうのは、ほんの一時。幻みたいなもんだからねえ。  p187

 何となく「序」を読み進め、本書をいっきに読み終えた。そして、再び「序」を再読した。そこで、この物語がしっくりとおさまり、幕がおりたな・・・・そんな気持ちを抱いた。


ご一読、ありがとうございます。


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 本書を読みながら、気になる語句を検索してみた。一覧にまとめておきたい。
 本書に出てくる芝居関連で、役者名や演目のことを検索してみたが、詳細な情報源に巡り合えなかったのが残念だ。

荻野八重桐(初代) :コトバンク
徳川宗春 :ウィキペディア
大須  :ウィキペディア
吉田の花火 → 豊橋祇園祭
巻藁船 ← 津島天王祭り 巻藁船の模型 :「blog真清鏡光」
  巻藁船と山車の華麗なる競演~大野祭り(常滑市):「Let's Go! あいち」
有松絞り ← 有松・鳴海絞り :ウィキペディア
有松絞り 絞りとは? :「有松・鳴海絞会館」

大須観音  :大須観音のHP
江戸時代の名古屋城下「清寿院(大須)」 :「Network 2010」
明眼院  :ウィキペディア
  愛知県海部郡大治町の明眼院 画像16枚 :「愛知限定 歴史レポ」
七ツ寺 ← 尾張七寺三重塔(稲園山正覚院長福寺):「がらくた置き場」日本の塔婆
桜天神社 :「Yumemusubi no Mori」
闇森八幡 ← 「485 闇の森八幡社」名古屋なんでも情報:「あくがれありく」
「睦月連理椿」初演の跡 :「名古屋市教育委員会の標札 見てある記」
誓願寺 :「-名古屋を探検する-」

綸子 :ウィキペディア
友禅染 :京都市「文化史13」

四君子 :ウィキペディア
椿 数寄屋侘助  :「山野花めぐり」
椿 熊坂 :「花の手帖」
椿 白玉 :「けいこたんち」
椿 乙女 :「季節の花 300」
椿 有楽 → 有楽椿の里:「グルネット宮崎」
ロウバイ :ウィキペディア
ミツマタ :ウィキペディア

日高川 ← 坂東玉三郎 「日高川入相花王」:YouTube
嵐三十郎(二代) :「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」
傾城佛野原 ← 演劇公演 けいせい仏の原:「三国湊魅力づくりPROJECT」
嫗山姥  :「おたべず・はうす」
道成寺伝説 ← 安珍と清姫の物語 :「ななかまど」

幾代餅  :「食べもの語源あれこれ」
姥が餅 → うばがもち物語 :「うばがもちや」HP

眼鏡の歴史 :「東京メガメ」東京メガネミュージアム

著者のブログ:
"けふのおくやま~奥山景布子と申します。"
 上記本文に引用したソース
 

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『ガイアの法則 [Ⅱ] 』  千賀一生  ヒカルランド

2012-09-17 13:33:13 | レビュー
 本書は『ガイアの法則[Ⅰ] 』の続編になっている。巻末に「本書はファンタジーであり、すべてフィクションです。」と明記されているので、やはりファンタジーとしては認識しまず読み進めた。ファンタジーであっても様々な意味合いで、大変興味深い問題の書であることは間違いない。
 『ガイアの法則[Ⅰ] 』ではファンタジーと断って書き始めていた。本書に著者自身の断り書きはない。前書ではシュメールの最高神官が語る一つの法則性を、著者がより具体的に解説するという形で、その意味するところを読者に理解せしめるような展開だった。最高神官の言説に対して、著者の解説部分がかなりのウェイトを占めていた。
 それに対して、本書の特徴はシュメールの最高神官が語る内容がほとんどであり、著書はその言説に感想やその思いを付記するという形式にウエイトが変化している。そして前書『ガイアの法則[Ⅰ] 』の内容が前提になっている。本書では神官の発言と著者の疑問が連動してテーマが展開されている。各所で前書に関連する部分が若干補足説明されているが、前書を読んでいなければ法則に関わるキーワードを十分に理解した上で読み進めることは難しいと思う。まあ、みずからのスピリチュアル性とフィーリングで読み進めればよいという読者には、本書での補足説明だけで一向に支障はないかもしれない。
 
 本書の論点は、東経135度に位置する我が国、「日本列島の中心が新周期の脈動点となる」ということについて、シュメールの最高神官がどのような内容を著者に語ったのかを詳細に伝えるという形式だ。つまり、宇宙のスピンリズムにうまく日本が乗るためには、何に気づき、何を変えて行かねばならないか、ということを縷々語っている。「世界を変える本質的な力とは何か」である。
 著者は意識的に前書では極力日本に関する情報を省いてまとめたという。それは最高神官の「伝えた情報の中には、日本の未来に関する情報が数多く含まれていた」(p19)からだと。そこでパート2として本書がまとめられたという設定である。「しかし、ある意味では、日本に関する情報こそ、彼が私を通して日本人に伝えたかったその中心情報でもあった」(p20)のだからと。これは導入部の記述としては、読者を引きつける。

 本書の副題は「中枢日本人は[アメノウズメ]の体現者となる」だ。また本書は次の7章から構成されている。(章番号は数字だけで表記)
 1 シュメール神官から日本人へ /2 陰陽の法則 /3 時空の法則
 4 ガイア文明へのプログラム /5 古代叡智の復活が新文明を誕生させる
 6 性と死の秘密 /7 愛と性に秘められた人間存在

 読みながら、何故?と考えてみる。その根拠説明が付けられていると思えない箇所がいくつもある。しかしその内容が論理の展開に重要な役割を果たしているのだ。これは、ファンタジーだから許されることなのだろうか。
*新たに興る地球文明の中心エリアは、東経135度から東に1.4度以内と説明されている。この1.4度以内という数値の根拠はどこにあるのだろうか?  p29
*西経37度前後が男性性極線、東経143度前後が女性性極線だとされている。なぜそう言えるのか? この経度が何を根拠に決められたのか? p91
*「宇宙は現象を現す本質リズムとしては1/16のリズムをもつ一方、結果的領域における相互作用のリズムとしては1/12のリズムを形成しやすい性質を持っている」(p71)と記されている。前書で本質リズムの点は具体的な説明があった。1/12リズムの関連づけは記憶が無い。「結果的領域における相互作用のリズム」とは何を意味するのか? 突然にこの表現が出てきているように思う。
*なぜ長期父性周期から始まり、長期母性周期に転換するのか? また、なぜ対立周期に始まり融合周期に転換するという順序なのか? 人間行動現象の経験則の当てはめと予測による設定なのか。 p73
*「円形心理は、他者への依存性を完全に超えるがゆえに真の共感性を産み出すのだ」(p164)とある。円形心理が共感性を生みやすいというのは体験的に感じるところがある。しかし、「他者への依存を完全に超える」となぜ言えるのだろうか?
*本書には、p221に『国生み神話 日本のはじめと淡路島』からの引用地図が掲載されている。この地図は、淡路島の諭鶴羽神社を中心に描かれた図である。だが、このページでの見出し行には、「淡路島の伊弉諾神宮を中心にした太陽運行図」と記されている。ネット検索で調べると、神社と神宮はそれぞれ存在する。ならば、なぜ説明を加えずに、伊弉諾神宮と変更する必要があるのか。諭鶴羽神社として引用すればそれでよいと思うのだが・・・・
*「現段階のこの地球上でも、全生命の内、99.9%以上の生命には、寿命というものが存在していない」(p232)と断定的に書かれている。これって、どのようなデータで立証されているのだろうか?

 本書は宇宙をスピンするものとしてとらえ、そのスピンリズムがすべてを方向づけているとする。そして、円宇宙観を論じているように受け止めた。第5章では「あなた方が魂とよぶスピリットの働き」を論じている。その本質論議は私には今一つしっくりと理解できない。当方にスピリチュアル性が未成熟だからだろうか。ふと、幾何学における点の定義を連想した。
 第6章では、「一元性の性の実現」「男性性と女性性」の統合が論じられている。ここの言説はかなりシンボリックな感じである。
 第7章では、神官の回りに8人の少女たちが巫女として登場する。本書の中では一番ファンタジックな記述の章になっている。性の宇宙原理が論じられていく。「あけわたしの次元」という概念はなかなか興味深い。「新しい時代は、女性たちの、自身の性質への真の目覚めから始まるのだ」と記す。(p336)
 第6章、第7章は、特に日本人に対してというより、論理は一般論として論じられているように受け止めた。そこに日本人が採りあげられている程度であるように思う。

 本書を読み進めるうちに、語り部であるシュメールの最高神官という設定に面白さを感じるようになった。古代シュメールの神官がなぜ、日露戦争の史実を知っていて、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」という句を引用して説明できるのか。神官は不滅の存在なのか、宇宙のスピリットが神官の姿を化身として借りているだけということなのか。スピリットは地球と人間の全史を知っている。これだからこそ、フアンタジーなのか。神官は著者自身の自己投影なのかもしれない。そんな感じ。実に面白い設定だ。

 一方で、本書の文脈にとらわれずに興味深い観察あるいは哲理と思える記述がある。私にとって印象深い記述を引用する。
*いつの時代でも、そうした先駆的人物を理解できる人は、はじめはほんのひとにぎりにすぎず、認知できない者たちは自己投影でしか彼らを認識できないため、真の指導者ほどあなた方の社会では誤解や非難に遭うことが多い。過去のすべての調和文明は、ひとつの例外もなく、そうした自己犠牲的指導者によってその実現が図られた。 p84
*直線性と円性、あるいは垂直性と水平性の二つのパターンが、人類の創造性の本質にあるのだ。  p96
*観念的頭脳領域はあなた方の表層的意識領域でしかなく、人間の本質に最も近い領域は、宇宙自体につながる体感領域にある。空間とつながれば、あなた方はそれだけで完全なる存在なのだ。  p111
*人と人とが向かい合い、直線的な関係にある時、相手と自分という、相対観念が形成されやすい。・・・・人々が円的空間を形成させる時、相対観念よりも人間のより本質の共鳴的性質を増幅ざせやすくなる。・・・・隣に座る人々はみな同一対象へと向かう共感者として意識される。   p153
*直線的シンボリズムは、相対的世界認知であり、円形シンボリズムは、絶対的世界認知だ。   p157
*現在の各国の国旗の選択のほとんどには、その民族の潜在意識の総和がシンボリックに表れている。  p165
*一を極めることによって全体性を学ぶ、これは、あなた方の閉ざされた超感覚を開く道なのだ。  p199
*言語による情報は、人々に様々な知識を提供するが、それ以上に、言語の裏にある潜在的思想性を伝染させる力がある。潜在的思想性は、顕在レベルの思考とは異なり、それに気付くことなく、世界観や人間観、異性観を変容させる。知識は消え去っても、そうして入り込んだ潜在的刷り込みは、容易に消えることはなく、刷り込まれたフィルターを通してしか他人や異性を認識できなくなる。  p333
*陰陽を超えるためには、陰陽を真に成就させ、流動させなくてはならない。 p345

 本書末尾で、著者は自分が見た夢の解釈を記している。
 「夢の意味することは、刷り込み観念の真の除去のためには、本書を知識を得るために読んでも意味がなく。錬磨の目的で活用できるかどうかであり、繰り返し体で把握する習い事のように体感しながら読むことが必要というメッセージではないだろうか。」と記す。意味深長な記述である。
 錬磨の目的に使用するためには、その内容が合理的論理的に認知できること、知識として理解でき受容できてこそ、錬磨の目的で活用しようと感じるのではないのかと私は感じている。
 この追記の意図についてのご判断は、本書を読んでから手放しで賛同かどうか、ご判断されるとよいのではないだろうか。賛否いずれにしろ興味深い一書であることは間違いない。 


ご一読ありがとうございます。

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 本書で気になる語句、関心を抱いた語句を検索してみた。派生で入手した情報を合わせて一覧にまとめておきたい。

アメノウズメ :ウィキペディア
籠目  :ウィキペディア
日本とヘブライの共通点(簡単にリストアップ)
終焉の鳥とダビデ紋

伊弉諾神宮 :ウィキペディア
淡路島 
  このアクセスページの左サイドに、神社リストの選択肢があります。
  伊弉諾神宮と諭鶴羽神社のページにリンクしています。
諭鶴羽山  :ウィキペディア
諭鶴羽神社ご案内


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『雅歌 古代イスラエルの恋愛詩』 秋吉輝雄訳 池澤夏樹編 教文館

2012-09-13 00:06:39 | レビュー
 本書を読んでみようと思った動機は3つある。一つは「古代イスラエルの恋愛詩」という副題に惹かれた。古代イスラエルの時代にどんな恋愛詩が詠まれたのだろうという興味である。その次に表紙に載っている人物画の描き方。そして、池澤夏樹という作家-今年初めて1冊み私の読書対象を拡げてくれた-の編となっていたからだ。秋吉輝雄という著者には正直ほとんど予備知識がなかった。

 この雅歌は、美しい乙女の独白及びソロモン王が乙女の語りかけに答えて行くという相聞歌の形式を取っている。詠まれた詩篇は、のびやかでおおらかで、奔放ですらある。
 たとえば、最初の詩の冒頭は、
 あの人の唇が何度もわたしの唇に重ねられますように  という一行。そして、
 わたしの手を引いてください
 一緒に走っていきましょう
 王様 わたしを
 お部屋へ連れていってください  と乙女が詠う。

 「相聞歌」と題する詩が3つ先に出てくる。その語りかけは率直そのものだ。
[男] ねえ きみ
   きみは美しい
   きみの奇麗な瞳はまるで鳩のよう
[女] いとしい人
   あなたは美しい
   あなたは凛々しい
   わたしたちの寝床は緑の中
   家の梁はレバノン杉で
   垂木は糸杉

 19の詩からなる恋愛詩。詩の標題を並べてみよう。
ソロモンに捧げる歌/わたしは色が黒い/きみは美しい/相聞歌/谷間の百合/恋に病む/夜 恋しい人を探して/王の婚礼/讃歌/風よ吹いて/眠っているのに/あなたの恋する人/恋人のゆくえ/きみは美しい/葡萄畑へ行きましょう/幼い妹/わたしは城壁/ソロモンの葡萄畑/誘い

 わたし(女)が独白する詩、対話する形式の詩が連続していく。奔放な美しい女の想いがおおらかに語られ、一つのストーリーを構成している。最後の詩「誘い」は、女の次の語りかけで終わる。

[女] 急いでください
   恋しい人
   どうか羚羊の姿になって
   若い牡鹿の姿になって
   バルサムの山の上へ

 人の体の美しさを讃える言葉はその土地・文化に根ざすものだと思う。讃えられた人に、またそれを読む人にイメージを喚起させ、理解できるための喩えを使うならば自然とそうなるだろう。イスラエルでは、こういう表現が人々に美への讃歎のイメージを喚起させるのかと、この詩を読んで感じた次第である。
 喩えがどのようになされているか。たとえば、乳房への讃歎の喩えを抽出してみると、

 二つの乳房は二匹の子鹿   
 百合の間をたよりなく歩く
 双子の羚羊                 p23
 乳房は二匹の小さな鹿 双子の羚羊      p42
 きみの乳房は棗椰子の実           p42
 きみの乳房は葡萄の房のようだから      p43

こんな具合だ。この表現はやはり人々の生活環境に根ざすのだろう。たぶん、日本でこういう喩えは出てこないだろうなと思う。

 この恋愛詩を読んで、私には次の章句が印象深い。

 野の羚羊と牝鹿に掛けて誓ってください
 愛が本当に熟すまで
 愛を揺り動かして目覚めさせはしないと    p17

 愛は死と同じくらい強い
 情熱は冥府と同じくらい激しい
 愛の炎は燃える炎です
 ヤハの炎なのです
 どんなに水を注いでも
 愛の火は消えない
 どんな洪水も愛を流すことはできない
 家財を抛って愛を買おうとしたって
 ただ軽蔑されるだけ             p47
  
 そして、この恋愛詩には、カバーを含め14箇所にシュラガ・ヴァイルによる挿画が
加えられている。

 この恋愛詩を読み、その後に続く池澤の「雅歌-女性の視点で書かれた古代の恋歌」という小論を読んだ。
 そこで気づいたことがある。なんとこの「雅歌」は旧約聖書の一部だったということ。だからソロモンが出てきた! これほどおおらかに愛と性・快楽を詠んだ詩が、『旧約聖書』の一部になっていることに驚いた。『旧約聖書』の中ではどう訳されているのかも調べてもみた(以下のリストご参照)。数行読んでみただけだが、かなり訳出が違う点だけまず確認できた。いずれ、ゆっくり対比しながら再読してみたい。
 また、この雅歌が聖書の一部であれば、詩の中で使われている喩えの語句を聖書で読む人々にとって、その喩えの意味の理解は違うのかも知れないなと感じている。

 池澤はこの詩の作者は女性だろうと推測している。そしてこんなことも記している。
*反復も多いし、文体は何よりも比喩に満ちている。それぞれが何の比喩かがわからないと作者の真意が読み取れない。 p54
*「雅歌」は生を肯定する詩篇である。 p61
*このような詩が旧約聖書から弾き出されなかったのはそれ自体が奇跡に思える。古来言われてきたのは、ここにある性愛を人と神の間の愛の比喩と見て受け入れるというものだが、虚心坦懐にテクストに向かった時に果たしてそう読めるだろうか。 p61
*長老たちはそれぞれに自分の若い時のことを思い出して、くすっと笑って、まあ残しておこうとつぶやいたのではなかったか。  p62

 この9ページの小論は、秋吉訳のこの恋愛詩の全体像を理解するうえで、わかりやすい導入解説になっている。その大胆な解釈も参考になる。奥深くこの恋愛詩を読み込もうとしてきた池澤の理知と感性が伝わってくる小論だ。解釈論として興味深い。

 本書の最後に、翻訳者・秋吉の「雅歌と私訳について」が掲載されている。
 秋吉はこの一文を、『旧約聖書』の中の一書として流布する諸訳と解釈を異にする根拠に触れたいがために書いたという。そして、「1 聖書と雅歌の関係」「2 雅歌の原文について」「3 雅歌の文学類型と解釈」「4 註及び私訳の根拠について」という観点で説明する。「雅歌」の背景を簡潔に説明しており、わかりやすい。
 この小論は『旧約聖書』の構成とユダヤの祭りについての入門としても役にたつ。

 翻訳者・秋吉の立場が明確に記されている箇所を引用しておこう。
*結局雅歌に歌われる男女の愛は神ヤハウェとイスラエルとの関係を比喩的に歌ったものと解釈する、当時ユダヤ教の秀れた指導的人物であったラビ・アキバの説が採られて、雅歌もまた信仰の書とされた。  p66
*訳者の関心はこの古代の詩を純粋に一つの文学作品として読者に示すことにあるが、中世から現代に及ぶあまりに敬虔な、禁欲的な宗教生活の中で、本来自由奔放な愛の感情をおおらかに謳い上げたこれらの詩が、格調の高い上品な愛の詩に姿を変えて伝えられ、のみならず聖書に収められた多くの文書の中でも、出来得れば読まずに済ませたい書の一つとされて来たことを遺憾としたい。  p66
*私見では原文は本来断片的な歌が少なくとも男・女・はやし手とも言うべき第三者の三通りの歌い手によって展開される劇詩の形に集められた印象を持つ。  p69
*筆者は「では現在ヘブライ語で雅歌を読む人々は雅歌をどう読んでいるのか、書かれているままを忠実に訳出すればどのように訳し得るか」を問いとして拙訳を試みた。・・・拙訳は・・・明らかと思える写筆者の写筆上の間違いも出来るだけ無修正に残す点で訳の相違を生んでいる。  p68
 どういう思いから秋吉が訳出を試みたかがよく理解できる。『旧訳聖書』の枠組みから一歩も出ない人には成しがたいし、理解できないことだろう。異端という一語で無視してしまうのではないかと思う。だからこそ、一旦聖書とは切り離し、独立詩として読んでみる価値があると感じる。
 背景を知らず、先入観なく、「古代イスラエルの恋愛詩」として素直にまず読んだということは、結果的に秋吉の意図に沿っていたことになる。
 
 両著者の「あとがき」を読んで、自らの無知を知った。
知らなかったことは:
 秋吉輝雄が旧約聖書、ヘブライ語研究、古代イスラエル宗教思想史研究者だったこと。イスラエル政府の奨学金を得て、ヘブライ大学に留学して経歴を持つ学者だった。また、秋吉は『聖書 新共同訳』を世に出す研究者グループの一員でもあったということ。
 池澤夏樹の父が、福永武彦であること。そして、秋吉輝雄は福永武彦の母の兄の子であるという。池澤は「ぼくの従兄という思い」で秋吉に接してきた関係にあったということ。
 本書の出版は2012年3月20日である。「病室に日参するようにしてテクストの推敲を重ねたけれど、結局は間に合わないままに2011年3月14日、あの震災の3日後に輝雄さんは帰天した。」と池澤は「あとがき」に記す。

 私は恋愛詩として古代イスラエルの人々はこんな喩え方をして愛を、快楽を語ったのか、という次元で読み、詩を楽しみ味わったにとどまる。だが、独立した詩篇として味わえるだけの素晴らしさがある。挿画ともうまくマッチしている。旧約聖書を知らなくても、独立した文学作品として味わえた。
 まずは、独立した恋愛詩として楽しんでいただくとよい。それが訳者・秋吉の本望だろう。

 さらに、詩の比喩の奥行きと広がり、その意味を深く感じとるために、この詩が私にとって、新たに『旧約聖書』への扉となった気がする。信仰者ではないが、かなり昔に購入して積ん読本になっている『旧約聖書』の諸書(文庫本)がある。旧約聖書の世界にこの雅歌を位置づけて考えてみることにいずれチャレンジしてみたい。
 本書を通読し、その構成からそう動機付けられる結果になった側面もある。お陰で本書に繰り返し立ち戻ってくるきっかけができた。
 秋吉は「あとがき」に、こう記している。「拙い訳であるが、こうした試みから『聖書』に対する不用の遠慮が解かれ、聖書の世界に目を向ける方を一人でも増す事が出来れば拙訳の意図ははたされるものと思う」と。その一人になったようだ。


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 本書を読み、自分にとって未知の領域に少しでも架橋する狙いでネット検索した。一覧にまとめておきたい。

-エンカルタから見る- 雅歌 :「聖書研究デスク」
ソロモン :ウィキペディア
ケダル ← 詩編120編 わたしは平和をこそ語るのに、彼らはただ、戦いを語る
エン・ゲディ :「ふくちゃんのホームページ」
シオン  :ウィキペディア
ダビデの塔 ← ダビデの塔と白いエルサレム :「さわこの Wondering the World」
 ダビデの塔 その1 :「ヤスコヴィッチのぼれぼれBLOG」

ヘルモン山 :ウィキペディア
タルシシ ← タルシシはどこか? :「政府紙幣を考えるブログ」
ティルツァ :BIBLIOTECA EN LINEA Watchtower
マハナイム :ウィキペディア
バト・ラビーム → バト・ラビム :「ものみの塔 オンライン・ライブラリー」
ダマスカス :ウィキペディア
レバノン  :ウィキペディア
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カルメル山 :ウィキペディア
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雅歌(口語訳)『聖書 [口語]』日本聖書協会、1955  :Wikisource
ソロモンの歌 :「新世界訳聖書」
ソロモンの歌 :BIBLIA


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『五重塔入門』 藤森照信・前橋重二  新潮社

2012-09-06 23:29:42 | レビュー
 本書は「とんぼの本」シリーズの1冊である。このシリーズ、”「視野を広く持ちたい」という思いから名づけた”という。本書も、ヴィジュアルな入門書・案内書をめざしたという点は、その構成において、十分に反映されていると思う。
 見開きのページ全体が写真である場合以外、ほぼどの見開きページにも大小様々であるが写真が載っているので、まずヴィジュアルに楽しめる。図解も沢山載っている。この点で、取っつきやすい本だといえる。

 五重の塔とは何かについての理解を深める入門書であるとともに、案内書の役割を担う形になっている点は、本書の構成に現れている。
 全体構成は、総論、各論、まとめとなっている。
 総論  「人類はそうして塔を立てずにはいられないのか」  藤森照信
     「はじめに 私たちはなぜ五重塔に心ひかれるのか」 前橋重二
 各論  国宝五重塔の高さくらべ (見開きページ図解)
     五重塔はこうなっている 図解、説明文、五重塔ができるまで
      →これはコンパクトなまとめだがイメージがつかみやすい。
     五重塔の事例:全景写真、断面図、境内図、案内説明、事例の詳細分析
      →この部分が個別の五重塔の詳細な案内書の役割を担い参考になる。
      案内説明は「建立年代、建物の規模、初重内部、指定、文献、備考」で構成      事例の分析は、入門書の域を突き抜けて専門領域に踏み込んでいると思う。      つまり、解説の中味は濃い。この点、うれしい限りだ。
 まとめ 「五重塔2500年史」 前橋重二
      →インドに始まる仏塔の2500年の通史を15ページにまとめてあり、
      様々な観点からの説明は入門として有益でまさに視野が広がる。

 本書は入門と冠しているが、その説明はかなり専門的な内容にも触れていて読み応えのある内容になっていると思う。

 本書から私が学んだことの要点をQ&Aの形で一部抽出してまとめてみよう。
どのあたりからの学びかをページで示す。具体的な説明は本書をお読みいただきたい。

Q:人類がはじめて作った表現行為としての建造物は何か? また、何のため?
A:木の立柱。そして、スタンディング・ストーン(例:イギリスのストーンヘンジ)。  立柱、スタンディング・ストーンは太陽信仰のしるし。    p6-7

Q:「スツーパ」とは何か? それは日本にもあるのか?
A:初期仏教の遺骨への信仰から、シャカの残された骨(舎利)を土マンジュウ型の墓に納めた。その後、それが石造化した墓となる。「スツーパ」は「卒塔婆」と音写表記された。そこに納めた遺骨が「サリーラ」(舎利羅)と呼ばれる。つまり「仏舎利塔」である。このスツーパが中国に入ると、仏舎利塔が塔状化する。日本に入ってきて五重塔の形式となる。世界最古の仏舎利塔は法隆寺五重塔。    p10-11、p111
 五重塔は仏舎利の奉安所であり、普通一般の人間の登る塔ではない。   p14-15
 「スツーパ」は中国で「卒塔婆」と音写表記された。お墓にたてる白木の板きれ「ソトバ(卒塔婆)」は究極の簡略形である。 p15、p111

Q:国宝の五重塔は幾つあるのか? 在る場所は?
A:昭和41年(1966)までに国宝に認定されたのは11件である。    p122
  奈良県 5件 :興福寺、法隆寺、室生寺、元興寺、海龍王寺
  京都府 3件 :教王護国寺(=東寺)、醍醐寺、海住山寺
  広島県 1件 :明王院
  山口県 1件 :瑠璃光寺
  山形県 1件 :羽黒山
  → これら11の国宝五重塔がすべて、本書で五重塔の事例として説明されている。
    p22-109

Q:五重塔の屋根の上に立っている部分は何か? その構成要素は?
A:全体を「相輪(そうりん)」と称する。
  その形状を構成するのは、下から順に、
  露盤(ろばん)、伏鉢(ふくはち)、請花(うけはな)、擦管(さつかん)、
  九輪(くりん)水煙(すいえん)、竜車(りゅうしゃ)、宝珠(ほうじゅ)  p18

Q:土まんじゅう型のスツーパの代表的な事例は? スツーパと五重塔の関係は?
A:インド中部サーンチー所在の第1スツーパが有名。建造は紀元前3~前1世紀。p11
  スツーパの構造と五重塔の相輪に相同性が認められている。つまり、
  スツーパの基壇→露盤、覆鉢→伏鉢、笠→九輪 が響き合っている。    p112

Q:五重塔の中心にある「心柱」はどこから立っているのか? 皆、一緒か?
A:国宝11件はいくつかのパターンがある。
 地下に心礎の石があり、その上に心柱が立っていた様式 :法隆寺  p25
 初重の土台に心礎がありそこから心柱が立つ様式:  p41、p55、p87、p97、p105
   元興寺極楽坊五重小塔、醍醐寺、興福寺、瑠璃光寺、教王護国寺
 初重天井上から心柱が立つ様式 :海住山寺、明王院、羽黒山  p63、p71、p79
 三重の中間から心柱が立つ様式 :海龍王寺五重小塔  p33

Q:五重塔の作り方はどれもほぼ同じか?
A:現存する最古の多層塔である法隆寺五重塔と、天平以降の多層塔では大きな変化が見られる。天平以降は「二軒(ふたのき)・三手先(みてさき)」が標準となる。8世紀初頭の法隆寺塔でいったんスタイルが完成し、天平以降は新しいスタイルが発展していったようだ。
  法隆寺では一列の垂木の上に屋根が乗っている。天平以降はこの垂木が二列になる(二軒)。法隆寺五重塔の組物は「雲斗・雲肘木」とよばれるシンプルなものである。その軒などを支える組物が複雑になる。つまり、斗(ます・ますがた・とがた)が一手、二手、三手(みて)と増えていく。それにより、軒を張り出す支点の位置を外側へもちだすことができる。
  この二つの様式、建造年代でみると、30年ほどしか隔たっていない。  p29、114

Q:金堂と五重塔の役割の違いは何か? その配置はどう変化していくのか?
A:飛鳥時代の寺院では、金堂は仏像を安置し、塔は仏舎利を奉安するものであり、塔を中心にして金堂を配し、回廊をめぐらす形だった。しかし、五重塔が寺院の中心に置かれたのは初期の百年あまりだけである。その後は本来の機能を失い、伽藍の脇役的な存在になる。回廊の外に配置されるようにも変化する。   p15、p112
  鑑真和上が来朝し、如来の舎利をたずさえて来た。国王大臣らに分け与えた残りを白瑠璃の壺におさめ、これを金銅の小仏塔に安置して保管、舎利の一部は「日供舎利塔」に分奉して日々供養したという。つまり、舎利の取り扱い方にも変化が生まれて来たという。  p116

Q:五重塔の内部はどうなっているのか?
A:さまざまな形式が取られている。時代、宗派によって異なる。たとえば、
  法隆寺の場合、初重には塑像の須弥山を築き、涅槃像や羅漢像が配置されている。「塔本四面具」と称される。
  室生寺の場合、四天柱と心柱を囲い込んで須弥壇を設け、仏像五尊を安置する。
  海住山寺の場合、四天柱の柱間を板扉でふさぎ、厨子状に造られている。
  興福寺の場合、四天柱の内側に須弥壇を設け、顕教の四方四仏を三尊形式で安置する。南都寺院の流儀による配置。四方四仏は四方の浄土世界の表象。
  教王護国寺の場合、四天柱内に須弥壇を設け、金剛界四仏を三尊形式で安置し、初重内部に濃密な密教空間を創り上げている。
  羽黒山の場合、明治の神仏分離で、塔は羽黒神社の所有となり、現在は大国主命を祀る。
           p25、p47、63-64、p79、p87・91、p105・108

Q:金堂と仏塔の間に、規模的な関連性、法則性があるか?
A:伊東忠太氏の研究によれば、古代寺院においては、仏塔が金堂の2倍ほどの高さである例がけっこう多いという。金堂の規模により、仏塔も三重塔、五重塔、七重塔などと変化する。たとえば、
  法隆寺 : 金堂  5丈半、 五重塔 10.7丈
  東大寺 : 金堂 16丈   七重塔 32丈
  當麻寺 : 金堂  4丈、  三重塔  8丈              p112

Q:五重塔の姿の美しさはどこから来ている?
A:法隆寺五重塔の例では、総間(両端の側柱間の距離)を各重で測定すると、総間は24,21,18,15,12というシンプルな等差数列になるという。
  塔の造立にあたって日本の工匠は「枝割のシステム」を考案したという。 p118


 この辺りで、たとえばのQ&Aを止めておこう。五重塔への誘いとしての入門書としては、十分すぎるほどの内容だ。125ページで写真豊富という本でありながら、全景写真の美しさ、細部写真への興味喚起で誤魔化さずに、本文は説明が凝縮されていて、読み応えがあった。
 一つ欲張って言えば、五重塔の平面図についての図解や説明が欲しかった。

 尚、本書を読む際、手許にある『図説歴史散歩事典』(井上光貞監修・山川出版社)の次の箇所を併せて参照したが、本のコラボレーションとして役立った。
 「七堂伽藍(おもな建物)」の項の「塔」 p154-156
 「建物の部分構造」の項の「組物(斗栱)」 p175-178


ご一読、ありがとうございます。

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 本書に関連する事項をいくつかネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。

五重塔 :ウィキペディア
 国宝、重文の五重塔のある各寺は、このページからリンクあり。
スツーパ → 仏塔 :ウィキペディア
  スツーパの話 
  サンチ :ウィキペディア
  サーンチーの仏教建造物 :「NHK世界遺産」
多宝塔 :ウィキペディア
東寺 五重塔  :東寺のHP
興福寺 五重塔 :興福寺のHP
羽黒山五重塔
明王院(みょうおういん)五重塔

五重塔は耐震設計の教科書 :「プラント地震防災アソシエイツ」
心柱の不思議  :「五重塔をつくる」
法隆寺 五重の塔( 発見 免震構造 ) :YouTube
法隆寺五重塔の模型と大工の親方 :youTube

法隆寺五重塔の謎
五重塔写真集  T. Nagata 氏

垂木のお話 
斗栱・蟇股・木鼻のお話 

身延山久遠寺 五重塔復元工事レポート【PDF】:身延山久遠寺のHP

宮大工の挑戦VOL1 慈尊院の修復 :YouTube
宮大工の挑戦VOL2 構造の謎 :YouTube
宮大工の挑戦VOL3 過去からの手紙 :YouTube
宮大工の挑戦VOL4 伝統建築の保護 :YouTube
日本の伝統木組み :YouTube
    竹中大工道具館での説明
宮大工吉田勝之_継ぎ手実演その1 :YouTube
宮大工吉田勝之_継ぎ手実演その2 :YouTube
宮大工吉田勝之_継ぎ手実演その3 :YouTube
宮大工吉田勝之_継ぎ手実演その4 :YouTube

継ぎ手 :YouTube
継手-2 四方蟻継ぎ.mp4 :YouTube
継手-3 婆娑羅継ぎ.mp4 :YouTube
四方鎌 接続の瞬間 :YouTube
宮大工の技 :YouTube

手斧(ちょうな)実演 :YouTube
天然秋田杉の木挽き作業     :YouTube

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『モルフェウスの領域』 海堂 尊    角川書店

2012-09-04 16:17:48 | レビュー
 2009年1月~2010年11月にかけて連載され、2010年12月に発行されたこの作品は、2010年から2015年という期間における直近未来医学医療問題小説の形をとっている。5年間という有期限での人体特殊凍眠というテーマを扱っている。特異な作品だ。
 タイトルにあるモルフェウスは、英語表記では Morpheus のようだ。研究社・新英和中辞典は、「1.<<ギ神話>>モルフェウス((夢の神;Hypnosの息子)) 2.眠りの神」と記す。『ギリシャ・ローマ神話辞典』(高津春繁著・岩波書店)は、モルペウスとして、「夢の神。<<造形者>>の意味で、<<眠り>>の神ヒュプノスの子。・・・・夢の中で人間にモルペウスは人間の・・・姿を見せる役目であった。彼らは大きな翼で音なく飛翔した」と記す。また『ギリシャ神話』(呉茂一著・新潮社)は、「オウィディウスによると、キンメリオイ(常夜の国というに近い)の国の近くの深い山中のうつろに『眠り』の神の住処がある、その洞窟のいちばん奥ふかい広やかな室に、高い象牙の寝台を置いて、眠りの神自身が、黒ずんだ覆いに、柔毛のようにふっくらしたソファの中に、寝んでおいでで、その周囲には定かならぬ物の影、空しい夢の群れが、いろいろな物の形をとり、収穫時の麦の穂よりも数多く、むらがり寄っている。その中には人の姿をまねるモルペウス・・・・などが区別された」と。
 著者は多分、このことから本書の主人公・涼子にモルフェウスというコトバを選ばせたのだろう。

 この作品は第1部「凍眠」、第2部「覚醒」という二部構成になっている。
 舞台は2010年4月に設置された未来医学探究センター。一般にはコールドスリープ・センターで通る施設での話。日比野涼子は「専任施設担当官」という肩書を持つバイト扱いの非常勤職員で、このセンター地下1階に置かれた銀色の柩を見守り管理する。たった一人の職場である。この銀色の柩には、人工凍眠の状態に置かれた少年が眠っている。涼子は彼をモルフェウスと呼ぶ。
 モルフェウスは5歳の時に東城大学医学部小児科に網膜芽腫(レティノブラストーマ)で入院。入院2週間後に右眼摘出。左眼にも転移する可能性があり、その治療薬が見つかるまでの期間、凍眠状態で待機するという目的で、人体凍眠という手段を選択したのだ。それは、『時限立法・人体特殊凍眠法』の成立により、未来医学探究センターが設置されたために可能となり、その適用者となった。ヒプノス社が開発した人工凍眠技術により、コンピュータ制御されたシステムでの人体凍眠被験者第一号なのだ。
 第1部は、モルフェウスの眠る銀の柩を、涼子がどのように保守管理しているかを描く。涼子は眠った状態で成長し続ける人体のための維持管理システムをマニュアルに沿って管理しながら、モルフェウスに対し、計画的に睡眠学習教材をセットして、情報のインプット操作を行っていく。

 この第1部の焦点は、『時限立法・人体特殊凍眠法』にある。この法律は、ゲーム理論の若き覇者、マサチューセッツ工科大学、曾根崎伸一郎教授の緊急提言『凍眠八則』という理論武装があって迅速に成立したのだ。その八則とは・・・
 一項 凍眠は本人の意志によってのみ決定される。
 二項 凍眠選択者の公民権、市民権に関しては、凍眠中はこれを停止する。
 三項 第二項に付随し、凍眠選択者の個人情報は国家の管理統制下に置く。
 四項 凍眠選択者は覚醒後、一月の猶予期間を経て、いずれかを選択する。以前の自分と連続した生活。もしくは他人としての新たな生活。
 五項 凍眠選択者が過去と別の属性を選択した場合、以前の属性は凍眠開始時に遡り死亡宣告される。
 六項 以前と連続性を持つ属性に復帰した場合、凍眠事実の社会への公開を要す。
 七項 凍眠選択者は凍眠中に起こった事象を中立的に知る権利を有する。
 八項 その際、入手可能な情報がすべて提供される。この特権は猶予期間内に限定される。
 この八則のロジックの鉄壁性、呪縛力がすさまじく、法律が速やかに成立するが、そこには官僚体質が色濃く持ち込まれ、5年間の時限立法になる。癌患者がこの法の対象から除外され、結果的に涼子の名づけたモルフェウスただ一人に適用されるだけの法律になろうとしているのだ。
 本書は涼子が2010年10月にこのセンターの職員に採用された2年後の2012年10月から始まっている。仕事には、東城大学医学部の委託資料の整理という課題もあるが、その内最近5年分の資料整理を終え、モルフェウスに関わる資料部分の整理にとりかかり始める。銀の柩のメンテという管理に併せて、その中で凍眠する少年自体の情報に深く踏み込んで行く。ちょうどそれは、2012年10月10日にモルフェウスが眠りの最深部に到達し、後半の覚醒への歩みのプロセスに入る時期でもあった。

 涼子は人体特殊凍眠法という法律の問題点に気づき始める。つまり、鉄壁と考えられた『凍眠八則』の問題点だということになる。それは凍眠選択者の人権問題である。涼子は八則の問題点の指摘準備を始め、曾根崎教授とのEメールを介した議論に突き進んでいく。
 第1部は、涼子と曾根教授との議論の展開がひとつの山場である。
 モルフェウスの情報を整理すること、この八則を考える過程で、涼子自身のアフリカ小国での過去の記憶が蘇り、その地でのできごとに関わる涼子の思いと最先端医療に対する思いとがクロスしていく。
 さらに、黒い靴、靴下、黒い背広に黒のソフトハット、深い紺のネクタイという装いで現れたヒプノス社の技術者、西野との関わりが深まっていく。彼は目覚めへの段階に入った人体凍眠システムのチェックにやってきたのだ。この西野が第2部では、重要な役割を担う形になっていく。
 
 この第1部は、銀の柩に眠るモルフェウス、「スリーパーを守りたい」という目的から凍眠八則の問題点を鮮明にし、公論化したいという涼子の思いを軸に展開する。涼子とステルス・シンイチロウとのメール交信による個人情報の保護、人権制限など人権問題が論議の中心になっていく。
 これは非常に興味深い課題である。本当に、近未来にこんな医療技術が実現するかもしれない。宇宙旅行での凍眠カプセルというSFが医学領域にシフトして、これは医学問題と人権問題の接点における思考実験であり、シュミレーションでもあると思う。
 また、このセンターの運営や法律制定過程の話として、官僚の思考・行動に触れられているが、そこには著者の皮肉が効いている。まさにこんな実態が現実にあるのだろうなと思わせる。
 そして、第1部の最後は、目覚めへの最後のステージが描かれていく。フィクションとはいえ、その描写にはリアル感、緊迫感が漂っていて、つい引き込まれるところだ。

 第2部は、東城大学医学部付属病院のオレンジ新棟2階に搬送入院されたところから始まる。モルフェウスから佐々木アツシという実名に戻った少年が覚醒していくプロセスである。5年間の凍眠で肉体的には暦年で14歳、しかし精神年齢的には9歳の少年。その少年が、凍眠中の睡眠学習により、とんでもない能力の知的側面を持つ。その少年が、正常な覚醒、自己のアイデンティティを再確立していく過程を描いている。一方、涼子は法律的に覚醒後のアツシとの接触は禁じられた立場になる。スリーパーではなくなったアツシを直に守ることはできないという現実に放り込まれていく。
 その代わりを病棟師長の如月翔子が担っていくことになる。ここに、リン酸系代謝異常のテトラカンタス症候群を発症した患者、中学3年生14歳の村田佳菜が加わってくる。彼女が、アツシの覚醒プロセスに間接的なサポートをする展開になっていく。なかなかおもしろい想定だ。9歳から14歳へのリンキングに役割を果たす。
 アツシの覚醒プロセスは、直近未来のこのストーリーにおいて、どれだけ医学的事実、実現可能性の裏付けがあるのだろうか。記憶喪失者が記憶を回復するプロセスなどがアナロジーに取り入れられているのだろうか。これ自体が非常に興味深い問題だ。さらに5年間の睡眠学習がポジティブな成果を発揮し出す形で、著者は描いている。これ自体も、もう一つ興味をそそられるテーマである。著者は、素人にとっても関心の高いテーマをうまく絡めてきていると思う。
 9歳の子供が、5年間の凍眠の後、14歳の少年、いやそれ以上に知的能力を備えた人間として覚醒するというのはファンタスティックな展開でもある。

 アツシが覚醒を終えた段階で、本書の最終ステージにステップアップしていくところが本書の読ませどころといえる。直接アツシに接触できない涼子が、アツシという人間の人権をどういう形で守れるのか。そこで、西野が重要な役回りを担う形で再登場する。彼の活躍振りが面白い。システム開発者の能力発揮が一つの見せ場だ。彼が涼子とアツシを意外な展開で結び付けていくことになる。
 この部分は、本書を読んで楽しんでいただくと良いだろう。

 モルフェウス誕生の環境形成とメンテ(起)→モルフェウスの人権確保への論及(承)が、第1部である。そして、アツシの覚醒プロセス(転)→覚醒したモルフェウスを守る奇策の実行(結)が第2部だ。
 全体を眺めると、著者はこんな起承転結の形で本書を構成していると、私は捉えた。

 著者は事実とフィクションを絡み併せて、この直近未来の医学医療問題の作品を創作した。「網膜芽腫」は現実の症例だとネットで確認できた。「テトラカンタス症候群」というのは、著者命名のフィクションなのか。ネット検索で、事実情報を得られなかった。
 睡眠学習の効果というのは、実際どこまであるのだろう。たまたまこの本を読み終える時に、新しい調査結果のニュースをネットで発見したのだが・・・関心のある観点である。
 本書には、「リバース・ヒコカンパス」という技術がフィクションとして登場する。「消去された記憶領域を別の記憶で埋める。そうして過去の記憶の一部、あるいは全てを破壊し、新しい記憶を上書きする。これがソフトの実相だ。記憶を操るソフトとは、すなわち人の過去を思いのままにするソフトでもあったのだ。」という描写がある。こういう技術は実現可能なのだろうか。既に一部でも実現しているのだろうか。
 本書には、人体凍結技術を含め関心と疑問を呼び起こす観点がいくつも盛り込まれていて、実に楽しい。それがSF小説のおもしろさなのだろうけれど。

 本書には、官僚の生態をリアルに皮肉った描写が点在する。引用はしないが、思わずにやっと笑いたくなる。ほんと現実にある一面を垣間見る思いがする。著者のシビアな観察あるいは体験の裏打ちがありそうな気がするが如何だろうか。
 
 曾根教授、ステルス・シンイチロウが涼子に送信した一文が最後に効いてくる。なるほど! それを引用しておきたい。

「獲物を罠にかける猟師は、自分が罠にかかった時にそれが自分の罠だと気づかない」
 

ご一読、ありがとうございます。

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本書にでてくる語句で、気になるものをネット検索してみた。その結果を一覧にまとめておきたい。

Morpheus (mythology)  :From Wikipedia, the free encyclopedia
眠りの王国(ケユクスとハルキュオネの物語) :「ギリシャ神話解説」

網膜芽腫とは?  :「テロメライシン情報局」
メディウム → 媒剤  :ウィキペディア
等張液  :「weblio辞書」
シュレーディンガーの猫 :ウィキペディア
海馬 (脳) :ウィキペディア
ラリンジアルマスク  :ウィキペディア
アンビュー :「病院で耳にする言葉の辞典」
アンビュー 医学用語:専門用語集[あ]  :「ナースのお仕事」
バイタルサイン :ウィキペディア
エントロピー  :ウィキペディア
代謝 :ウィキペディア
ドラッグ・ラグ :治験ナビ
  外国で実施された医薬品の臨床試験データの取扱いについて :治験ナビ

Sleep your way to a better life? Weizmann study says it may be possible
By David Shamah  August 28, 2012, 12:07 pm     :「THE TIMES OF ISRAEL」
【朗報】睡眠学習の効果が50年振りに証明された件 ワイズマン研究所調査 下田裕香氏
睡眠学習法とは ~睡眠と記憶の重要な関係~ :「睡眠・快眠ラボ」

ルッコラ :ウィキペディア


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以前に、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『極北ラプソディー』

『奴の小万と呼ばれた女』 松井今朝子  講談社

2012-09-02 18:43:10 | レビュー
 山本兼一著『銀の島』の後に読んだのが、本書である。偶然だが、本書の構成も入れ子構造になっていた。そのこと自体がちょっとおもしろい。全く異なった領域をテーマにしている作家が、同じ発想の構成で作品づくりをしているということが。

 本書は、「わたし」が大阪梅田の地下街を迷路気分で歩き、いつの間にか地下街の際涯にたどり着き、細い隙間を進んだ奥に古書店を見つけ、そこに足を踏みいれる。和綴本を積んだ専門古書店だ。店主らしき老女から、「あんたのお捜しもんは、奥にある」と言われる。そして「これはうちにしかない大切なもんや」と手渡された本が「三好正慶尼聞書」という写本だった。
 「まあ、とくとご覧じ。よう考えはったらええ」と言われて、「わたし」は帳場格子の横の演台に腰をかけ和綴本を読み始める。
 それは200年も前の正慶尼という人物の生い立ちを記した本だった。そこには「奴の小万」と呼ばれた型破りな女の半生が記されていた。

 こんなイントロで、物語が始まる。ほんとに型破りな大女の生き様が描かれている。世間の型にはまったものの見方に反旗を翻した一人の女の痛快なエピソード、大阪の町で評判になった話が一杯盛り込まれている。著者は面白い創作を手がけたな・・・・と思いながら、ときには笑いをこらえながら、読み始めたら、そうではなかった。
 後に「奴の小万」と呼ばれた主人公は、実在の人物だった。著者は史実の行間に想像の翼をはばたかせ、「三好正慶尼聞書」という多分フィクションの形を借りて、物語を紡ぎ出していったのだろう。「わたし」が「聞書」で読み取った内容がこれなのだと。

 名を雪という。炭屋と薬種屋の業を兼ねた木津屋の娘。両親を早くしてなくし、京で御所勤めをしたことがある祖母・万に育てられた孫娘である。なぜ、この娘が「奴の小万」と呼ばれたのか。それが本書前半で、一つの山場にもなっている。
 お雪は7つで背丈が5尺に届いた。器量は良いが大女として成長していく。7つの時に、丁稚から手代に昇格したばかりの喜助が柔取りのところまで行くと聞き、好奇心から強引に付いていく。そこは島田流柔指南所だった。そこで、老師から柔を習い始める。このあたりから、「おもしろい娘」の本領を発揮しだす。お雪は精進するから上達する。
 勿論、一方で、御所勤めをした祖母から、読み書きを習わされ、聞香を習い、物語を読むように指導される。箏の習い事もある。結果的に、文武両道を習うという風変わりな鬼娘がここに誕生する。根底は、人並みを外れた大女に育ったことがそうさせたのか・・・。

 柔を習うことがきっかけで、浜仲仕で撥鬢奴と呼ばれる髪型、男侠気取りの矢筈の庄七と知り合う。16才の時、口縄坂で掏摸を投げ飛ばす。数え17才の時に、丹波屋の与四郎とのつきあいを祖母に仕組まれるが、謀を企て、しかしそれを自ら壊す結果にしてしまう。それが原因で矢筈の庄七との関係が深まっていく。まさに、ここからお雪の人生が大きく転換していったといえる。
 道頓堀の相生橋で、芝居帰りの娘らにからむ柄の悪い若者数人を見て、その一人にお雪が平手打ちを見舞う。それがなんと操り浄瑠璃「容競出入湊(すがたくらべでいりのみなと)」の芝居のネタにされてしまうのだ。芝居で付いた名前が「奴の小万」。それが町の評判になる。この芝居、実際に大受けした事実がありその資料が残っている。
 こんな調子で、世間の常識に背を向ける大女の価値観と行動力が作られていく。
 お雪は庄七との絡みから、さらに「奴の小万」を地でいく行動に突き進む。そして、それが京での宮仕えに出される原因となる。宮仕えの京で、「志摩」とだけ書かれた手紙を下人から受け取ったことがきっかけで、公家侍の棚倉志摩介と関係を持つようになる。
 兄の急死で宮仕えを辞し、木津屋に戻り、女主の修業を祖母からさせられることになる。この後お雪に、志摩介が再び関わって来ることになる。
 世間の目から見れば、びっくり仰天する事柄を次々に引き起こしていくお雪。世間の価値観に縛られずに、自分の考えで行動していく美人だが大女の生き様は、ある意味痛快であり、爽快感すら感じる。

 その一方で、お雪を温かい目で見る人達にも、巡り遭っていく。
 一人は、庄七に強引について行き、知り合うことになった黒船の親仁こと根津四郎右衛門。もう一人は、坪井屋吉右衛門から掛け軸仕立ての奇麗な花籠の絵を見せられたことがきっかけで、吉右衛門を介して会うことになる柳里恭である。
 この二人は、お雪にとって父親のような、庇護者の役割を担うことになる。
 また、この二人の人物も、それぞれ全くちがうが江戸時代の男の一つの生き様として、興味深い。やはり、世間一般の人生尺度からは外れた人々であるからだろうか。
 同業の寄合の席に出席したお雪が、そこで坪井屋吉右衛門と知り合いになる。彼は、柳里恭をお雪に引き合わせることになる人物だ。本書では、吉右衛門について、19歳の頃から、お雪、つまり奴の小万に憧れをいだいていた但馬屋のお示と祝言してしばらくの時期までにわたって点描している。

 木津屋の女主になったお雪は、祖母から婿取りを画策されるが、やはりここでも己の生き方を通すことになる。女主としての役割を果たす一方で、世間の尺度でみれば、とんでもないことを引き起こしていく結果になる。そこが、またお雪らしいというところか。
 これはお雪のその後の人生の転機にも直接つながるエピソードである。本書を開いてみてほしい。

 最終章は、「わたし」が「聞書」を半ばまで読んだところで、「もう店じまいや」と追い出されるところから始まる。そして、後日に記憶に残る内容から「聞書」の信憑性を確かめたとして、木津屋お雪に関わる史実、関係した実在の人々を簡略に紹介している。
 この事実・史実の記述が、今までの物語を一層際立たせることにもなっている。
 そこでは、柳里恭が柳沢淇園という名で知られていたこと。坪井屋吉右衛門が木村蒹葭堂として世に知られたこと。お雪が贔屓にした役者が後の初代嵐吉三郎であること。根津四郎右衛門のこと。晩年のお雪に会い印象を書き留めた瀧沢馬琴のその内容。お雪の晩年のエピソードを伝える書に記されていた内容などである。

 本書に出てくる印象深い文を引用しておこう。

*まずものをよく見ることだ。ただ眺めているのと、描こうとして見ていることのちがいは、絵を描くうちにだんだんわかってくる。  p201
*身のほどを超えようとしてあがく男の危うさは、いつも女心を昂らせるが、そうした男は女を世間でいう幸せにはしてくれない。   p255
*嬉しいときは誰でも笑える。哀しいときも笑うがよい。本当に嬉しいときは、肚の中でこっそり笑え。哀しいときこそ、声をあげて笑うてやれ。それがこの大阪の町に住む者の生きる極意じゃ。    p301

 鳥鐘の声を惜しまぬ年の丈  
と辞世の句を詠んだが、正慶尼(お雪)は危うく命をとりとめた。
そして、ふたたび詠んだ句が、
 未来かと思や難波の初日影  だという。
著者は「この句を詠んだあと、彼女はきっと腹を抱えて笑ったにちがいない」と記す。

 奴の小万と呼ばれた女は、「路上に頓死す」と伝えられているとか。


ご一読、ありがとうございます。

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 本書に関連する語句をネット検索した。一覧としてまとめておきたい。

草双紙 :ウィキペディア
三好正慶尼 :「木津屋 老舗商家の歴史」
奴の小万のこと  野田康弘氏

容競出入湊(すがたくらべでいりのみなと)
 「豊竹座、待望の大当たり」の項に記載されている。
 役者絵 として (上から2つ目の絵が、奴の小万。クリックで拡大絵が見られます)


四つ橋 → 四つ橋跡 :天佑神助氏
  四つ橋跡 : 「摂津名所図絵」
大阪住友銅吹所 :天佑神助氏
口縄坂 → 天王寺七坂 :ウィキペディア
源八渡しの跡 :大阪市

撥鬢奴 :コトバンク
撥鬢 → 髪型について:「河童ヶ淵」
豆板銀 :ウィキペディア
高津社  :「摂津名所図絵」
坐摩神社 :「摂津名所図絵」
豊竹座 → 文楽の歴史③ :「人形浄瑠璃 文楽」

根津四郎右衛門 → 宝暦12年5月2日 坪田敦緒氏
根津四郎右衛門 :近代デジタルライブラリー
竹内式部 ← 竹内敬持 :ウィキペディア
 宝暦事件 :ウィキペディア
坪井屋吉右衛門 → 木村蒹葭堂 :ウィキペディア
木村蒹葭堂邸跡 :「たんぶーらんの戯言」
柳里恭 → 柳沢淇園 :ウィキペディア
  柳里恭 寿老唐美人画幅
  花籠の絵 茶碗 
  江戸・家老50(20)大和郡山藩/柳沢里恭:「牆麿★コア~い話★とんだりはねたり」
竹田吉三郎 → 嵐吉三郎 :ウィキペディア
藤原家隆 :ウィキペディア

『南水漫遊』:コトバンク
『浪華人物誌』 :近代デジタルライブラリー

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 以前に、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『家、家にあらず』
『そろそろ旅に』